
おいみんな、この先で人を見つけたぞ!軍の連中だ!

えっと方角は確か……なんだ?な、七時の方向でいいのか?

あっ、大丈夫だべよ、大体は分かってるからー。

でも見間違いとかじゃないよね?ここら一帯って人っ子ひとりいない荒野なんでしょ……なんで軍がこんなところを巡回してるんべか?

望遠鏡を貸して。

ここの近くは隠れられる地形が少ないから、みんなは一先ずここに隠れてて。

一緒に行くよ、リードちゃん。ヴィクトリアの軍って言ったら、ウチのほうがリードちゃんよりも詳しいでしょ?

……うん、ありがとう。

セルモン、ちょっと代わりに見てもらいたいんだけど……この岩の下に隠れていれていれば、どこから見ても私の姿は見えていないはずだよね?

おう、まあいいんじゃねえの?

そうか、よかった。しかし、荒野を歩いて四日ほど、天災も獣にも出くわさずに済んだのに……最後には軍と遭遇してしまうとは、まったくツいていないもんだね。

ほらセルモンも、もう頭を出してキョロキョロ確認しないほうがいい、一緒に隠れていよう。それに彼女らともこんなにも一緒に過ごしただろ、まだリードたちが信用ならないのか?

ああそうさ、ああいったお人よしは一番信用ならねえ。

誰のせいにもならねえことをしてりゃ、いつかそいつがヘマをしても自分のせいにはならねえからな。

まったく、どうせ私たちを止めようとしている彼女のことを毛嫌いしてるだけなんだろ。こうしてダブリンに会おうとしてる私たちを。

そうかもな、でもお前に思うところはねえから安心してていいぜ。

……確認した。こっちに向かって来ているのはヴィクトリアの部隊だ、規模は小さい。装備からして、近くの駐留軍には見えない。

けど、武器はとてもいいものを持っている。もし交戦すれば……勝算は低いと思う。

もしかしたら私たちを探しに来たわけではないのかもしれないけど、念のためこのまま隠れておこう。今の進行方向なら、向こうがこっちに気付くことはないはずだから。

私に思うところがないのは、単に私が何を言っても誰も聞いちゃくれないからだろ。

言っておくが、別にあいつがアタシのポジを奪ったから嫉妬してるわけじゃねえからな。

……例の部隊が近づいて来たぜ。おい、もうちょっとそっちに寄せてくれ、あいつらをしっかりと見張っておかなきゃならねえだろ。

まったく、頼むからこんな時に余計なことをしないでくれよな。
(遠くから戦闘音が聞こえてくる)

なっ、どうしたんだろう?なんか、戦闘が始まったみたいだぞ?

……待ち伏せされたんだ、あの狭いところで。

じゃ、じゃあもしさっき隠れていなかったら、私たちも襲われてたってこと?待ち伏せしていた人たちは一体誰なんだ?

なあおい……よく見えはしねえけどよ、あの人たちが着てる服、セルモンのとなんか似てねえか?

もしかして……あれがダブリンなんじゃねえの?

……

……ダブリン。

八か月前のとある朝、私はつい仕事を終えたばかりで、ちょうどペニンシュラ郡にあるレストランで朝ご飯を取っていたのですが。

そこにラジオからこんな宣言が聞こえてきましてね。

その声の主が言うには、我々は炎をもってヴィクトリアの汚濁を清めていく、と。

ターラーの名のもとに……要するにヴィクトリアへ宣戦布告してきたんです。

その声の主は、自分たちを“ダブリン”と呼称していましたよ。

……ハッ、あんなもの、暴徒連中が火事場に乗じて自分たちに言い訳をかましてるだけに過ぎませんよ。

暴徒、ですか?

通常暴徒として認識できる人たちのことなら、もうすでにヒロックで死に絶えていますよ。

今は都市中に暮らしているターラー人たちを利用して、あのターラー出身の公爵を試そうとする輩もいるのですが……まさかダブリンの指導者がこの点を利用しているとは思いもしないでしょうね。

例の事件が終結した後、ダブリンは内部の不安要素を粛清し、さらに周辺地域に住まうターラー人たちの支持をも集め、ヴィクトリアの目を掻い潜って無事に撤退することができたのですから。

そう考えると、ダブリンの指導者は貴族たちの考え方をとても熟知してるようですね。

まあヤツの出自とバックについてる支持者たちのことを考えれば、当然だとは思いますけど。

あの事件で民衆に非人道的な砲弾を投げつけたのは駐留軍のほうです。そのためヒロック事件の真相が公になることはありませんし、指導者の彼女とその諜報員もこのことを知っていることでしょう。

ただ……例の報告は読みましたよ、すべて目を通しておきましたが。

どうやらあの日、ヒロックに現れたダブリンの“リーダー”は……もう一人いたみたいじゃないですか。

それだと公爵が収集したほかの情報とは合点がいきませんね。

この二つのパズルのピースが見えますか?

まあ、はい。まったく同じように見えますけど……

形さえ一緒であれば、穴を埋めることは可能です。そしてこの二つのピースを一緒に並べた場合、多くの人たちは片方の一枚を影と見なすことでしょう。

……影、ですか?

つまり、フィッシャーさんが以前疑っていたダブリンが関わっているっていう放火事件は……

私も最初は疑っているだけでした。

例のフェリーン……アルモニというフェリーンの反応を見るまでは。中々に面白いものが見れましたよ。

まさかあのウェリントン公が、ゲール王のもう一人の末裔を野放しにしていたとは思いもしませんでした。

……

アルモニ様、やはり予想通り、確かに今朝はここにいる農家数人を連れて行った者たちがいたようです。

我々も聞き回ったところ、どうやらその者たちの恰好は駐留軍のそれではないようでして、付近を徘徊している巡察隊のものとも違っていました。

そう、ご苦労様……ところで、もしいま休みを取って旅行しに行くとしたら、どこに行ったほうがいいかしら?リターニア?それともカジミエーシュ?

もしくはもっと遠くに……それこそ私の同級生みたいに、炎国に行くってのも選択肢だとは思わない?

……どういう意味でしょうか。

はぁ~あ。

まあいいわ、うっかり罠にハマってしまったけれど……それでもなるべく手を貸してあげなきゃならないものね。彼女の安全を確保するのが最優先なんだもの。

それはつまり……

私の可愛い可愛い、ラフシニーちゃんのことよ。

つまり向こうも彼女を探していると?それは本当なんですか?

違うってハッキリと言えるのかしら?

あれでも彼女は一応“リーダー”よ、私たちにほかの選択肢があると思う?彼女がほかの者の手に渡ることだけは絶対に阻止しなきゃならないの……特にあのカスターの手に渡ることだけはね。

さあ、行きましょう。そろそろ“オフィサー”のところに行ってあげなきゃ。

なあセルモン、俺たちはどうすりゃいいんだよ?俺たちをダブリンのところまで連れてってやるつってたけどよ、当の本人らは目の前だぜ?おまけにあの兵隊らとおっ始めてやがった。

ここはターラー人として、ターラーのダブリンに手を貸した後、忠誠心を誓いがてらそこに加入する……流れとしてはこんな感じか?

ダメだよ、何を言ってるんだ!私たちが行ってもただの足手纏いにしかならないよ!

そ、それにそんなことをしたら……リードたちがどう思うのさ?

あいつらなら向こうに隠れてる。俺たちとも少しは距離があるから、ここで動いてもバレはしねえはずだぜ。

あっ、おいまた一人倒されちまったぞ……

……なあおい、いつまでもここで見殺しにするってわけにもいかねえだろ?

……ヴィーン、振り向いてよぉくリードたちのほうを見てみな。

全員撤退だ、今は追撃から逃げることだけを考えろ!

調査任務ならもう終わった!ここで時間を無駄にしてしまえば余計な損害を被るだけだ!ダブリンめ、一体どこまで待ち伏せしていやがるんだ!

隊長、三時の方向に何者かが動いています!

……何者だ!?

ただの難民のようですが、武器を所持してます。

……そこに向かって真偽を確かめろ。総員、両面作戦の準備だ!

ダブリンの正規部隊が一般人に偽装してる可能性がある、油断するんじゃないぞ!

ねえ、あそこの人!岩陰から頭が見えちゃってるべ!

あっ、軍にバレた。こっちに来ちゃうべ。

ウチがちょっくら対応してくるよ、ここにいるみんなは一般人だって軍に説明しておくから。

いや、あれはターラーに駐留してる軍だ、一般人だったとしても信用してくれるとは限らない……

……彼らは一度だって私たちを助けてくれたことなんてなかったんだから。

……
(ターラーの流民がダブリン兵に近寄る)

ゼェ……ゼェ……ど、どうも……あの、俺たちもターラー人でさ、ダブリンに加わりたくて……

……

……あのー、聞いてる?
(ダブリン兵がターラーの流民に斬りかかる)

ッ痛ぇ――!な、何しやがるんだよ!

そこをどけ!
(チェンがダブリン兵を切り倒す)

……はやくここから逃げるんだ。今は両方から狙われてしまっているぞ。

でもこいつらはダブリンだぞ!こいつらは……俺たちターラー人を守るためにいるんじゃねえのかよ?

……それについては答えてやれんが、少なくともここにいる兵士たちはもうとっくにただの屍だ。

制式の破城矛に、それを所持しているヴィーヴル……お前、元テンペスト特攻隊のメンバーだな?

あれ、ウチらのこと知ってるの?

じゃあ話がはやくて助かるよ。ウチらはここで待ち伏せしてた連中とも、なんならダブリンともまったく関係がないんだ、ただの誤解だって。

……フッ、フィッシャーからは手掛かりを捜査してくれとしか言われちゃいないが、まさかあいつが探していたものまで見つかっちまうとはな。

いや違うな、大方こうして出くわすように仕向けていたか。

元テンペスト特攻隊所属のバグパイプ、なぜここでターラー人に肩入れしている?

えっ、だってそれが責務でしょ?ターラー人だってヴィクトリア人だべ。

それで、誤解はもう解いたよね?解いた?解いたらもう手を止めてくれない?一般人への加害は軍規に違反する行為だべ。

……お前、まだそんなことを言っているのか?

えぇ、そんなことってなによ?

どうやら今の状況をまったく分かっちゃいないようだな。

そんなことないよ、ウチもしっかりと把握してるべ。

ウチの友だちがさっき、おめーさんらはターラー人を守っちゃくれないって言ってたけど、今のやり取りで大体分かったべ。彼女は間違っちゃいなかった。

おめーさんらも、あのヒロックにいたハミルトン大佐と同じタイプの人間なんだべ?

だから今で確信したべ。ウチが退役することになっても、ウチは必ずヴィクトリア軍人としての責務を果たし、おめーさんらの嫌がることを続けていくって――

一般人を守るっていう、おめーさんらがやりたがらないことをね!

なら聞くがお前、そこにいる白髪のヴィーヴルの正体についてはどこまで知っているんだ?

ほら、はやく逃げようよ、セルモン……

もうみんなも逃げようとしているんだから早く!

……イヤだ。

こんな時に意地を張ってる場合か!

受け入れづらいのは分かるさ!でも……あのチェンがウソをつくとは思えない、だから……今はとりあえずここから逃げよう!

逃げて生き残ったら、またいくらでもチャンスは……

……おいセルモン、何を見ているんだ?おいッ、まさかあの人って……

……

……

……兄貴。

これでよしっと。もう大丈夫だよ、ヴィーン……今回のケガはこの前の足のケガと同じようなものだから、そう大したことはないよ。

ただ、それでも少しは痛むかもしれないから我慢しててね。

ああ、それなら平気だよ……血さえ目に入らなければ、平気さ。

ケッ、この腰抜け野郎が。セルモンを助けるとかデカいこと言ってたくせに、結局彼女に担がれて逃げることになってたじゃねえか。

べ、別にいいじゃないか、少なくともみんなこうして逃げ切れたんだから。

……はぁ。

なあり―ド、一つ聞かなきゃならないことがあるんだ……今日ずっと考えていたことなんだ。

君や君のお友だちはみんなプロだから分かると思うんだが、どうしてさっき見たあの人たちのこと……あのダブリンの人たちは死んだって言えるんだ?それが分からないんだ。

もし、彼らがただ夢遊病で辺りを彷徨っていただけだったら?もし伝説に聞くような人の意識を奪うアーツにかかっていただけだったら?

もし……もしそうだとしたら、私たちで呼び起こしてあげればあんなことをする必要なんて……

残念だけど、そのどちらでもない。私もできればキミたちのことを安心させてやりたいとは思っているけれど、私はあのアーツを知っている。あれは特殊なアーツだ。

はぁ、そうか……私はまだ怖いとしか思えていないからいいんだけど、今のを聞いたらセルモンは……

彼女が……どうかしたの?

……

もう言っちまいなよ、ヴィーン。お前が最初にあいつは信用できるって言ったから、俺たちもそれでついて来ただけなんだからよ。あいつのこと、俺たちは今も全然分かってねえんだし。

実は私も……強盗だった彼女に襲われてから知り合ったんだ。

もちろん、最後はちゃんと話し合って和解できたけどね。あの時の彼女は単に頑丈な靴が欲しかっただけだったんだ。冬に彼女のお兄さんが穴の開いた靴で雪の中を歩いていたものだからさ、それでね。

それであんたは靴を渡したのか?

いいや、彼女のお兄さんならその頃はもうすでにダブリンに行ってしまったから、靴は渡しそびれちゃったよ。その時は彼らを庇ってやることで精一杯だったからさ。

だから彼女がここまでやって来たのも、本当はお兄さんを探すためってだけだったんだ。

]はぁ?じゃあ、俺たちをここまで連れて来たのもそんな理由のためだったってわけかよ?

あっいや、全部が全部そういうわけじゃなくて……

二年前、彼女もそのお兄さんと一緒にダブリンへ加わろうとしていたんだけど、途中ではぐれちゃったみたいで。

……それで今日、あんな形でお兄さんと再会することになってしまったのなら、きっとすごく悲しい思いをしちゃったんだろうなって……

……そんなことを言われちまうと、なんか俺も自分ん家の人たちのことが心配になってきちまったぜ。

あいつら、みんなまだ村に住んでんだよ、そろそろ茅葺の屋根も替えごろだろうなぁ。ったく、今度落ち着いたら、トランスポーターに手紙を届けさせてもらわねえと。

村のみんなならきっと大丈夫だよ、心配はいらない。その時になったら、私も一応トランスポーターを探してあげるから。

そうか、助かるよ。

……でも、俺たちはこれからどうすりゃいいんだ?今まで追っかけてきたダブリンはただのゾンビだったし、セルモンも目標を失っちまったしで、これからどこを目指せばいいんだよ?

ねえリード、君はどうおも……

……あれ、リード?どこに行ったんだ?

……13、14、15……昼間よりも3人は減ってるな。

……ったく、なんなんだよあのアーツは。いっそのこと、殺してもらったほうがまだマシってもんだぜ。
セルモンは岩の後ろに隠れながらキョロキョロと辺りを見渡す。
暗い荒野の中、あの兵士たちは今も自らの胸中に秘められたゴールに向かって、のそのそと進軍を続けている。
彼らが着こなしていたはずのダブリンの装束はすでに泥や土埃で色褪せてしまっており、似通った格好も、どこからかやってきた仄かな光によって照らされている。

奇襲して……それから撤退する、それだけだ。何も問題はない。
100メートル。
彼らは今もセルモンが隠れている岩に向かって来ている。

フッ、あいつ、部隊のびりっけつを歩いていやがる。どうやら小隊長にはなれなかったみてぇだな。よく毎回手紙であんなデカい口が叩けたもんだぜ。

でも、こいつらが向かってる方角だけは……手紙に書いてあった通りだな。
50メートル。
セルモンは手に持っている木の棍棒に力を籠め始めた。

……なあ、お前が行こうとしてるあの都市ってのは、そんなにお前にとって大事な場所なのか?

誰かに言われたから?死んでもそこに行かなきゃならねえのか?

風に吹かれても、雨に打たれても、何度も何度も傷つけられても行かなきゃならねえ場所なのかよ?
30メートル。
セルモンは、二年前に自分が初めてダブリンを見た時のことを思い出す。
考えがまとまったら、私たちのところに来い。我々の指導者が必ずやターラー人に生きる土地を与えてくださると、ダブリンにいた者はそう言った。

……本当に、すまねえな。

アタシは……お前みたいに強くはねえし、いつだってついつい振り向きたくなっちまうんだよ。
そう言い終えて彼女は岩から姿を現し、ダブリン兵たちのもとへ駆け込んでいった。
昼間に見たあのヴィクトリア兵と同じように、あのチェンと同じように、素早く一撃を与えてやれば、このすでに死んでいった者をもう一度倒すことぐらいはできるだろう。
彼らが静かにターラーの土に眠り、二度と起き上がる必要がなくなるその時まで。

……
(セルモンがダブリンを殴る)

――!
しかし、そのダブリン兵は倒れなかった。
首の後方に攻撃を食らったもう一人のダブリン兵は軽く躓いてしまっただけに留まり、その後すぐさま攻撃を食らったほうへ身体をひねっては剣を抜き出した。
ただただ静かに、一言も声を発さないまま。
(ダブリン兵が集まってくる)

……

クソッ、テメェら!邪魔すんじゃねえ!なんだよ、テメェらもまとめてぶっ飛ばしてやろうか!あぁ!?

いいぜ、お望み通りこのアタシが送ってやるよ!

本当は兄ちゃんだけを送ってやるつもりだったんだが、お前らも本当は……

(静かに武器だけを振り回す)

――ああもううぜえな!一言ぐらいなんか喋ったらどうなんだ!

ッ……

当たった……

クソッ、ツラの真正面に食らわせてやったっていうのにまだ足りねえのかよ。
今の一撃により、セルモンが持っていた棍棒は手から滑っていってしまった。
それと同時に、攻撃を食らわせた兵士の仮面も剥がれ落ちたのである。

――
その際、セルモンは一つ錯覚を覚えた。なぜだか武器を振り回している相手の動きが、一瞬だけ立ち止まったかのように見えたのである。
まるで彼女がまだ小さかった頃、ヴィクトリアのパトロールに捕まりそうになった時と同じように、兄はセルモンに向かって大きく腕を広げ、迎え入れてくれるかのように見えたのであった。
それからしてセルモンは、ようやく兄の顔をはっきりと目で捉えることができた。
しかし妹の一撃を食らった兄は、その額から血を流すこともなければ、目の前に妹が立っていようとも、まったく視線を向けてはくれなかったのである。
ただ遥か遠くに伸びているぼやけた地平線を望んでいた。目の内に潜む火花を静かに燃え上がらせながら。
――まるで兄が、ダブリンのもとへ行くと決心したあの日の夜と同じように。
気が付けば周りをダブリン兵に囲まれてしまっていたが、セルモンは呆然と目の前にいる兄に腕を伸ばす。
敬服。憧れ。やるせなさ。悔しさ。
ありとあらゆる情緒が湧き上がっては沈み込むも、彼女の指先に触れた冷たい炎によってそれらすべて呑み込まれてしまった。
恐怖。
そしてそこに残ったのは恐怖だけであった。死んでもなお、燃え狂う渇望への恐怖だけであったのだ。
だが次の瞬間、どこからか烈火が立ち込み、明るい火花が夜空に花開く。
セルモンの指先がまさに触れるか触れないかといった寸でのところで、火の花は咲き誇り、そしてまた彼女が掴み取る前に散っていく。ダブリンの兵士もそれに続いて地面に倒れ伏し、二度と起き上がることはなくなった。