ねえ母さん、父さんはまた遠出?今回はどのくらいかかるの?
河周りの雪もそろそろ融けそうだね。今年は雨の頻度は多くも少なくもないから、きっと干ばつが起こらないいい年になるはずだ。
上流で新しく開墾したあそこの土地も、面積はそれほど大きくないけど、稲を植えておけば、一家が腹を空かせることはないはずだ。
ねえ、母さんもいい加減父さんに何か言ってやってくれよ。もう“シノギ”はやらなくていいって。新しい服もキレイな装飾品も、何もいらないからさ。家族が全員、平穏に暮らせていればそれで十分だよ。
なんだか、イヤな予感がするんだ……
貧しければ野草が生え、豊かになれば青々とした苗が生える。
草鞋で千里も踏破すれば、高山長水も郷(さと)となる。

ゼェ……ハァ……

クソ、この先はもう崖だ……
(崖から小石が転がり落ちる)

クソ、クソ!なんなんだよ!これじゃもう逃げられないじゃないか……

いいや慌てるな、慌てるんじゃない……腕っぷしじゃ敵わないにしても、ここまで仕込んでおいた罠なら少しはあの女に一泡吹かせてやれるはずだ。

そんで弱ったところをとっ捕まえて、コテンパンにしてやる。このおれサマを舐めてかかった罰だ……
(チュウバイが近寄ってくる)

もう気が済んだか?

なっ、なんで――

こ、こっちに来るなッ!

年端も行かないのに、中々悪知恵が働くじゃないか。狩りを教えた人からは教わらなかったのか?獣用の罠は、人間には通用しないぞ。

それに万が一ほかの者が罠にかかってしまったら、また一ついらぬ罪を重ねることになるじゃないか?

ヘッ、なにがいらぬ罪だよ……言っとくけどこっちは……山ほど悪事を働いて来たんだ!

なら、私が今ここで君を殺してしまっても問題はないということだな?いわば勧善懲悪というやつだ。

ああそうだよ!

い、いや……ちげーし!

と、とにかくこっちに来るんじゃねえッ!
(慌てる少年が炸薬を見せる)

懐に仕込んであるこの炸薬が見えるか?一歩でも近づいたら、今すぐ導火線を引っ張って起爆させるぞ!いくらお前が武術の達人だろうと関係ねえ、道連れだ!

……

いいだろう、もう近づかない。その代わり、大人しくいくつかの質問に答えてもらう。

おれから何かを聞き出そうとしたってムダだぜ!

あの山の洞窟に隠れていた賊たちとはどうやって知り合ったんだ?

知り合いもなにも、おれはあいつらのかしらだ!

全員片付けたからって調子に乗るなよ!絶対あいつらのために復讐してやるからな!

かしらだって?君、今年でいくつになるんだ?

ハッ、ガキだからって舐めるんじゃねえぞ?ここら一帯の村々に聞いてみればいいさ、このおれ“方小石(ファン・シャオシー)”の悪名を知らないって人はいないはずだぜ!

お前ですらド肝を抜くような悪事をこれでもかってぐらいやってきたんだ!

呆れた……
半日前

おいシャオシー!シャオシーどこだ!
(ファン・シャオシーが駆け寄ってくる)

なんだなんだ、呼んだか?お前らの仇でも襲ってきたのかよ?

それかようやくおれたちも出陣ってところか?なな、今日こそおれも連れてってくれよ~。

クソぉ、玉門に行った連中、どっからあんなバケモノを引き連れてきやがったんだ!もうほとんど全員やられちまってらァ!

片付けてる暇もねえ、みんな逃げるぞ!

なに言ってんだよ、相手は一人なんだろ?

おれと手合わせした時なんか、お前らみんなそこそこ強かったじゃねえか。一人も敵わないなんてそんなこと……

黙らっしゃい!

今はゆっくりお間とお喋りしてる暇はねえんだ!おい、お前に預けておいた駄獣はどこに行った?

えっ、あの駄獣なら……売っちまったけど。

なぁぁぁにぃぃぃぃ!?売っちまっただとォ!?

それで食うもんを買ってこいって言ったのはお前じゃん。

こんのドアホォ!駄獣を預けたのは、お前を町まで行かせて俺たちがかっさらった宝石を売るためだったんだよ!この野郎、駄獣まで一緒に売り払ったのか!?

あの石ころなら、肉屋のおっちゃんまったく興味がなかったぞ。

その代わりおれたちが飼ってた駄獣が丈夫そうだったから、いい値で買ってくれたんだぜ?その半分のお金で肉を買ってきたんだ。

な、ななななんてことを……!

って、おれたちもうずっとこの山に籠りっぱなしだろ?無駄に駄獣なんか飼って、おれたちよりもいいもん食って肥えやがって。そのせいで肉食獣を誘き寄せちまうかもしれねえだろ……

※言葉になってないスラング※、なんでテメェのような役立たずを引き入れちまったんだチクショーッ!おかげでこっちはおしまいだッ!んのガキ、ぶっ殺して――
(山海衆が斬られ倒れる)

子供だと……?

だ、誰……?

身体に外傷は見当たらないから、この子はおそらく玉門の一件とは関わっていないのだろう。

山海衆め、悪事の限りを尽くす連中なのは分かっていたが、まさかこんな幼い子供まで巻き込むとは……想像よりも遥かに限度のない連中だ。

なにごちゃごちゃ訳の分かんねえことを言ってるんだ!

言っておくが、ここで手を引いておいたほうがお前の身のためだぜ。おれの手下たちをしょっ引いたことなら、今はひとまず目を瞑ってやる。

だからここは大人しく道を譲るんだ。今日はお互い会わなかったってことで――

逃がすなんて一言も言っていないぞ。

っておい、来んじゃねえつってんだろ!

懐に仕込んでるこの炸薬が見え……
少年は微かな風が吹きつけてきたと思えば、懐に潜らせていた布袋が破られていたことが目に入り、ジャーキーやらその他諸々の雑貨がボロボロと地面一面に転げ落ちている。
その中には、“平安”の文字が彫られた木製のお守りが混ざっていて、粗造な鍵に括りつけられていた。その上に筆の筆跡で書かれた“謀善村”という三文字は、赤色でとても目を引く。

お守り……謀善村?
(シャオシーがチュウバイが拾った物を取ろうとする)

返せッ!

これは君の家鍵か?

お前には関係ねえだろ!

……家が待っているのなら、なおのことあちこちに行っては駄目だろ。

君はまだ子供だ、どういう人とつるんでいたかが分からないのも致し方ない……それでも、少なくとも善悪の判断は身につけなければならないぞ。

たとえあの連中とそこまで深い関係でなかったとしても、万が一この先あいつらがまた君のところへやってきたら、自分がどうなってしまうか想像したことはあるか?

なにが善悪の判断だよ、お前に言われたくねえってんだ!

なら、このまま一番近くの官府まで連れて行ってやってもいいぞ。その際は自分で事情を説明するんだな。

しかしそうしてしまえば、こちらとしても面倒だな……

ひとまず家まで送ってやろう。君の処遇は家族に決めさせてもらえ。

イヤだ!

死んでも帰るもんか!

駄々をこねても無駄だ。
少年は腰から小刀を抜いて仇白へと向けたが、その腕は弦のように真っすぐ張り詰めており、小刀もまるで言うことを聞かずガタガタと震えている。

これ以上おれに突っかかるのなら、こっちも本気を出すぞ!

辱めを受けるぐらいなら潔く死んでやる!それが漢ってもんだ!

なにを言おうがおれは行かねえぞ!やれるもんならおれを殺してみやがれってんだ――

いいだろう――
女は明らかに少年から二メートルほど離れていたはずだったが、次の瞬間には彼の耳元で女の声が聞こえ、身体半分も動けなくなってしまっていた。
そして当然ながら反応する間もなく、冷たい刀身が少年の喉元に当てられる。

……

どうやら死ぬのはまだ怖いみたいだな。

いいことだ、少なくともそこまで頭のネジが外れていないことになる。
(チュウバイが剣を収める)

人はいずれ口にした言葉に対価を払わなければならないものだ。戯言は誰でも言うことはできるが、誰しもが運があるわけではないぞ。

お前……い、一体なにが目的で……

家まで送り返す、道案内を頼もうか。
ここは山入りする前の最後の町、その町にある唯一の客桟である。
そこまで大きな客桟ではないため、二人は隅にある机に腰かけた。
少年は椅子に座ればすぐに、周りに目を配っていく。そのせいで、隣の机に座っている客も堪らず彼へと見返してきた。
一方仇白は、静かに剣を机に立て掛けた。

周りに助けを求めようとしても無駄だぞ。

あーはいはいそうですか。分かったからそいつでいちいち脅かしてくんなよ。
これまでの間、二人は実に半月もの時間を共に過ごしてきた。それまで片方が逃げればもう片方が追い、もう片方が怒れば片方が身を隠すことばかりをしてきたため、二人の間にはある種の“心の通じ合い”が芽生えていた。

この町から真っすぐ北に向かって森を超えれば、河が見えるはずだよ。河を超えたら山に入るけど、そっからは一本道だから、そのまま山道に沿って進めばいい。

山ん中には多分まだ村が何個か残ってるんじゃないかな?でもここ数年でだいぶ引っ越しちゃったようだから、お姉さんが探してる“謀善村”がまだそこに残ってるかどうかは分からないね。

どのくらいかかりますか?

険しい道だからね、急いでも一週間はかかると思うよ。

あとそうそう、もう春に入ったからね、暖かさで獣たちも活動し始めてるはずだ。道を急いでるにしても、気を付けたほうがいいよ。

ありがとうございます。

“江湖を渡り歩いてきた”とは言うが、家からそこまで離れてもいないじゃないか……なんならその家から逆の方向を案内するとばかり思っていたぞ。

お前みたいな厄女と出くわしたら、渡り歩けたはずのもんもロクに歩けねえだろうが……

それにおれだってバカじゃねえんだ。もし人がまったくいねえような場所に連れて行ったら、お前と一緒に飢え死にしちまうだろ。

逃げるんだったら、もっとほかの方法を考えるよ。

フッ、そこは頭が冴えているんだな。

まあいい、まずは腹ごしらえだ。町を出れば、いつまともな飯にあり付けられるか分からないからな。

食べたいものがあれば、自分で注文しろ。

なんでもいいのか?お前の奢り?

私もそこまで金は持っていない。万が一代金が足りない場合は、君をここに残して皿洗いをさせる。

冗談はよしてくれよ、お客さん。うちみたいな小さい場所、金が足りなくなるほどのご馳走なんか作っちゃいないって。

フンッ、なら遠慮はしねえからな。メニューを寄越せ!

これと、これと、あとこれ……ああもう、とりあえずこっからここまで全部だ!

えっと、お客さん二人だよね?その量の注文はちょっと……

(茶水で机に字を書く)

ん……?

(“誘拐されてる”)

――!?

(“警察を”)

注文し終えたか?

ああ、とりあえず頼む!

あ、あいよ……
(店員が立ち去る)

どこに行く?

厠だよ、まさかそこまで一緒について来るつもりか?

……

余計なマネをするんじゃないぞ。
(シャオシーが立ち去る)

さっき向こうにいる子どもがこっそり、自分は誘拐されているって伝えてきたんだ……

店に入って来る際は普通の姉弟と思っていたから、何も疑っちゃいなかったんだけど……一体あの子の身に何が……

それで、その誘拐犯はどこに座っているんです?

……はぁ……

ゼェ……ハァ……

あの女……さすがに、ここまでは追ってこれねえだろ……

ヘッ、このおれを捕まえようだなんて、百年はえーってんだ。

にしても、ツいてねえぜ……

なんだよ“山海衆”って……てっきりどっかのデカい一派かと思ってたのに、あっさり女一人に全滅させられやがって。おかげでこっちも追われる身だよ……

金は稼げてねえし、ロクに武術も学べてねえし。せっかく手に入れた干し肉もなくしちまったしで……
ファン・シャオシーはそのまま座り込むも、地面はとても固く冷たい。
二言ほど罵り終えれば、腹がそれよりも大きな声を発するのであった。
志を高く掲げていても、今ここにいるのは江湖を練り歩いて名を上げようとした、背中に腹の皮が付きそうになっている一人の少年だけであった。

さっき少しだけ飯を口に入れてから逃げればよかったなぁ……これからどうすれば……

言ったはずだぞ、三度目はないと。

なっ、なんで――

私にも我慢の限界ってものがあるんだぞ。

なんでそこまでおれに突っかかってくるんだよ!?

子供を荒野で野放しにしても死ぬだけだ。

死んだら死んだで別にいいじゃねえか!お前になんの関係があるんだよ!

小さい頃から誰にも心配されたことなんてなかったのに、なんで今さらそんな……

自分の命すら惜しくない人に、他人が心配する余地などあると思うか?

お前に何が分かるってんだよ……

小さい頃から辺りを彷徨って、誰にも助けられずに独りで生き抜いていく暮らしの辛さを知らないくせに……

……

いつもいつも知った風のことを言いやがって!お前みたいなスゲー武術を習った剣客が、おれの苦労を知ってるわけが――
(獣の咆哮)

――!
少年は振り向けば、この森の中で唯一腹を空かせている生き物は自分だけではないことをそこで初めて知った。暗い木々の影から、ぬらりと一匹の肉食獣の姿が現れたのだ。
肉食獣の血眼はまるで暗い夜を彷徨う鬼火のように見え、草木は低い唸り声に怯えて背を丸めているようにすら見える。

た、助け……

動くな!

う、動けないって……

大声を出すんじゃないぞ。走っても、背を向けるのもダメだ。

慌てないで、ゆっくりとこっちに近づくんだ。私の後ろに……

む、ムリだよぉ……
(獣が襲いかかる)

まずいッ――
(チュウバイがシャオシーを押しのけ獣に斬りかかる)
柔らかい落ち葉を踏んづけてしまったのか、それともあまりにも気を張ってしまっていたのか、少年は咄嗟に走り出したと思えば、思いっきり地面に躓いてしまったのである。
それにより肉食獣のほうは恐怖の匂いを嗅ぎつけ、一瞬の隙を逃がさずに襲い掛かるが、それは女剣客のほうも同じであった。
仇白からすれば、戦場で襲い掛かってくる刀剣と比べて、肉食獣の爪など脅威ではなかった。
だがそれも、背後に守らなければならない子供がいなければの話だ。

さあ、食べよう。

君の干し肉を台無しにしてしまったからな、焼き獣肉で弁償だ。

お前、大丈夫なのかよ……?

なんのことだ?

この肉食獣に少し引っ掻かれたことを指してるのか?それともさんざん君に腹を立たせられてきた私のことを心配しているのか?

これ……やるよ。

親父から薬の作り方を教わったんだ。狩りをする時はいつも持ち歩いていたから、そういう噛まれたり引っ掻かれた傷に効くって。

それは毒薬じゃないってどうやって信じればいいんだ?

……
少年は小刀を取り出し、自分の腕にそこそこ深い傷を作り出せば、そこに薬瓶の粉末を塗りたくった。
歯を食いしばるほどの痛みではあるが、それでも少年は根性で声を抑えた。

これなら信じれるだろ?

……

獣一匹に手こずるなんて、剣術の達人とばかり思っていたのに。

ふーん、肉食獣の味ってこんなもんなのか……うえッ、硬いし血腥い。

野外で火の通った肉が食えるだけでも贅沢というものだ、あまり文句を言わないでくれ。

それもそっか……あいつらと山の洞窟にいた時は、数か月も肉にあり付けられたなかったんだし。

あいつらとは、君の“手下”たちのことか?そこそこ名を轟かせている大悪党も、腹を満たせない日があるんだな?

チッ、ここぞとばかりにバカにしやがって……

君のような年頃の子供が、家族とケンカして家出していったところならそれなりに見てきたものだが、自分のことを大悪党などと呼ぶヤツは初めてだ。

……舐められたくないからそう呼んでるだけだよ。

いい人だろうが悪い人だろうが、誰からも恐れられる人にならなきゃ、結局イジメられるだけだろ。

なんだその屁理屈は?誰に吹き込まれたんだ?

自分で思いついたんだよ……経験ってもんだよけーいーけーんー!

フッ、半分は正解だな。

誰からも恐れられる人になればイジメられることはなくなるかもしれないが、却ってその人たちは手を組んで君をやっつけに来る。

イジメられたくなければ、とにかく敵を作らないことだ。

……一つ、聞いてもいいか?

そんなスゲー武術、一体どこで学んだんだ?

荒野を五年練り歩いて、さらには戦場に放り出されて五年、それまで生きていれば、誰しもそれなりに武術は身に付くさ。

……もっとすごい人にも会ったことがあるぞ、私はその人から教わったんだ。

お前よりもスゲーのか?

比べられないほどにな。

じゃあ俺が今からちゃんと鍛錬を重ねたらさ、どのくらいでお前ぐらいになれるんだ?

十年だな。

十年ッ!?

それまで生きていればの話だが。

え、えへへ……ね、姉さん~。

……なんだ急に?

剣客の姐さん……おれを弟子にしてくれねえか?

これからどこへだってついて行くし、義侠もやっていくからさ、姉さんのことを師匠って呼ばせてくれ!

弟子は取らないし、易々と他人に武術を教えるつもりもない。

それにあんなに悪さをする君に武術を教えてしまったら、却って本物の大悪党を育て上げたことになってしまうだろ?

おれを姉さんみたいなスゲー武人に育ててくれれば、もう誰かにイジメられることもないだろ!そしたらちゃんと言うことを聞いていい人をやるからさ、お願いだよ~!

ふふっ、そういう私はいい人に見えるのか?

えっ……まあ、うん……

だっておれを助けてくれたし、今も食べ物を分けてくれたし……

あんなにつえーのに、物を奪わないでちゃんと金で払ってるんだから、あいつらとは違うと思う……

ふっ、まったく善悪の分別がついていないわけではないみたいだな。

でもやっぱり分からねえんだ、なんでおれを助けてくれたのか……

姉さんたちみたいな凄腕の人たちって、みんなこんなに“お節介”なのか?

私はもう君に何個も質問に答えてやったはずだぞ。

なあ姉さん……おれを弟子にしなくてもいいからさ、姉さんと一緒にいさせてくれよ。どこへだって行くからさ、家だけはマジで勘弁してほしいんだ。

なら、一つ聞きたいことがある。

どうしてそう頑なに帰りたがらないんだ?ずっとその家の鍵を持っていただろ。

……

おれ、家を出た時に決心したんだ。絶対大物にならない限りは帰らないって。

家に家族はいるのか?

母ちゃんは物心がついた時からいないけど、父ちゃんならまだいる、はず……ほかはいないよ。

だったらなおのこと家に帰るべきだ。きっと心配してるはずだぞ、それでもいいのか?

帰ったところで喜んでくれるとは限らねえよ……村のみんなはおれのことが嫌いだし、見下してイジメてくるし……言っても姉さんには分からねえって。

もう一回言うぞ。他人と仲良くしたいのであれば、その人たちを敵に回すな、だ。

何より君はまだ子供じゃないか。子供がそんな村重に恨まれる仇を持つことなんてあるのか?

姉さんすら腰を抜かすような大悪事をやったことがあるって、おれ言っただろ。

とにかく、何も成し遂げられずに生きるぐらいなら、死んだほうがマシだって、おれは考えてるんだよ。

この地にどれだけの人間が苦しみながらも生きる機会を得ようとしているのかを知れば、そんなことも言い出せないはずだ。

はぁ、もういいや。姉さんには口でも腕っぷしでも敵わねえんだし、もうなんとでも言ってくれ。

じゃあ最後に。どうして姉さんについて行っちゃダメなんだ?

江湖を練り歩くのは危険だからだ。それに君のような子供なら、放浪するよりも帰るべき場所に帰ったほうがいい。

じゃあ姉さんは?姉さんの家はどこにあるんだよ?

……家ならもうない。

ないってどういう意味だよ?天災で?それとも移動都市がそこを通るから更地にされたとか?

とにかくなくなったんだ。住む場所も、人もな。

じゃあさ、姉さんことを色々と教えてくれよ!ずっと俺のことばっかりだし……そうだ、名前だ!姉さんの名前をまだ聞いていなかった!

仇白(チュウバイ)だ。仇敵の仇(チュウ)、白雪の白(バイ)。

名もなきただの剣客だ、面白い話なんてないぞ。

ちぇっ、なんだよ。まあ喋りたくないのなら別にいいけど。姉さんみたいな武侠ってのは、みーんなそうやって素性を隠したがるんだな。

話したくないのは、聞いても気まずくなるだけだからだ。

さあ、明日もまだまだ歩かなければならない。腹がいっぱいになったのならはやく休みなさい、体力を温存しなければな。
「森を越えて、河を渡れば山に入れるよ。」
いいや、あれは山と呼ぶよりも、山々が合わさってできた森と呼んだほうが正しいだろう。
山同士が繋がり、一つの山頂がもう一つの山の麓と連なっている、そんな山の森。終わりも道も、どこにあるのか見当もつかない。
見渡す限り、その深山だけがこの地から切り離されているように思えてしまう。距離も遠いためか、そこだけの時間がまるで止まっているかのように見える。

もうすぐだ!たぶんここで合ってると思う!

一体なんのつもりだ?わざわざ遠回りしてまでこんな山を登って。

ここの山頂に登れば、たまに玉門の都市が見れるって聞いたんだ!

……
少年は懸命につま先を立たせ、山頂の崖から西の方向を見渡す。だが見渡す限りは荒野が広がるばかりであり、地平線も朦朧とした黄砂に覆われて何も見えない。やがて少年の顔色には、落胆の色が浮かび上がってきた。
だがチュウバイには分かっていた。二人の視界のさらに外、あの満身創痍の移動都市は今も傷を舐め、気を張り詰めながら荒野のどこかを走っているのだと。

数年前ここを渡った時は、もっと荒涼としていたはずだ。

前にもここに来たことがあるの?

かなり前にな。

それってやっぱ馳道(ちどう)があったからだろ!ほらあそこ!
崖のもう片側を見下ろせば、そこには目を引くような灰色の道路が荒野に敷かれている。地形に沿って、視界の端まで曲がりくねりながら伸びている。
“馳道”とは、天災対策の一環で辺鄙な地域へ物資を届けるために炎国が開通させた、いわば国道や高速のような役割を持つインフラ設備のことを指す。
このような道路は全国に点在する百余りもの移動都市と、果てしない荒野を繋げている。
猛々しい山に穴を開き、窪地には橋をかけて道を繋いでいく。そのところどころに設けられた補給ステーションはさながら均等にできた竹節のようであり、生きるチャンスというものをこの道路が繋げている隅々まで行き届かせているのだ。
もし神々がこの不毛な地を見捨てたと言うのであれば、人間はそれを新たな血管として作り変えたと言えるだろう。
この大地はとても残酷なものだが、人間の力が及ばないわけではない。

家を出た後、たまに馳道を工事する人たちを見るんだ。にしても、こんな道を直してなんの意味があるんだ?

移動都市みたいにあちこち動き回ることができるわけでもねえんだし、天災が襲ってきたら全部台無しじゃねえか?

その移動都市の渡れない場所を、ああいった道路が繋いでくれているんだ。

壊されてしまったのならまた新しく作り直せばいい。やらなければならない公共事業だからな、労力も物資も惜しみなくそこへ割かれる。

だがその道を敷いてくれている人々がいるということと、道の有難さを知ってくれている人は……極々わずかだ。
以前、この山道に天災が押し寄せた。天災はそのまま玉門へと襲っていき、都市そのものに甚大な被害を与えはしたが、その代わりとして新たな英雄譚もそこで生まれた。
一方ここは人里から離れているため、負傷者も建築が被害を受けることも発生していなかったため、ここで起こったことはほぼ誰にも知れ渡っていない。
だがそんな場所では、今や施設復旧部隊のみがせっせとこの無名の馳道を修繕しているだけであった。

この道をずーっと西まで辿れば、玉門に着くらしいぜ。姉さんは色んなところに行ったことがあるって言ってたけど、玉門にも行ったことがあるのか?

ああ。

この前あの連中と一緒につるんでいた時、人手を募って玉門で大暴れするって言ってたんだ。でもあいつら、おれは実力がないからって、全然連れてってもらなかったんだよ。

それなら、君を連れて行かなかったあの人たちに感謝すべきだな。

なあ、玉門って一体どういう場所なんだ?英雄とも呼べるような人たちがいたり、すげー軍隊とか武器があるような場所なんだよな?

いいや……むしろあそこは極々普通の人たちが、極々普通の暮らしを過ごしていただけの場所さ。

玉門は年中、砂嵐が吹く砂漠の中を彷徨っているんだ。そこでの暮らしは大変なものだぞ、君が想像しているものよりも華はない。

苦労なら平気だよ、デカいことができればそれでいいんだ……いつまでも山の洞窟に引き籠もっているよりはマシだし。

まあとにかく、おれの目標は変わらねえさ……だから今は姉さんの言うこと聞いて、ひとまず家に帰ってやるよ!そこでしっかり準備したら、また山を下りるけどな!

次ここに立った時は、きっとここら一帯に名を上げている――いや、天下に名を轟かせている大武侠になっているって誓いを立てるぜ!

なら、まずはしっかりと人として成長しなければならないな。もし“悪名高い”方小石になっていたのなら、また懲らしめに来させてもらうぞ。

チッ、こういう時ぐらい冷やかししなくてもいいだろ……

まあいいや、この山を越えたら謀善村だ。

そっからの道は憶えているから、心配はいらないぜ。
早朝、朝日は山霧を払い除け、風に吹かれて斜めになった炊煙が何本も村から上がっている。
遠くにある山頂付近を見上げれば、雪はまだまだ融け切っていない。その麓には、ちらほらと田んぼが広がっている。
おそらくは耕していた途中で雨に降られたのか、畝を作るための土は固められる前に流されてしまい、田んぼは泥濘と化している。
耕されていない箇所も、土は固まってしまっている上、麦わらも未だに首を重く垂れ下げている。
三月末の春分の日、一年を通してやってきた農作業の終わりと始まりでもあり、休むこともままならない。
田畑を耕している村人も犂を置き、曲げた腰を上げて揉み解しながらひと息ついていた。

ようやく晴れ間が来てくれたか。日差しもちょうどいいし、こりゃ今日はいい日になりそうだ。

はやくここも耕しておかねえと、って――

お、おおおお前は!?
(シャオシーが村人に近寄る)

ファン・シャオシー……?ファン・シャオシーなのか!?

おー、大遠(ダーユエン)のおっちゃんじゃん?その通り、おれサマが帰ってきたぜ!

なんだよ、そんなおっかなびっくりした顔して?肥料を餌に間違えて、おっちゃんとこの飼槽に入れちゃっただけだろ、それも三年も恨まなくもよくねえか?

お前……ゆ、幽霊じゃねえよな?

なに言ってんだ、当たり前だろ。

れにしてもおっちゃん、三年も会わないうちに余計背中がひん曲がっちまったな。

え、えらいこっちゃ……えらいこっちゃあ!

はやく族長に報せておかねえと!
(村人が走り去る)

ほら見ろ、村中から嫌われてるって言っただろ。

嫌われているより、怖がられているように見えたが。

あんなに慌てふためいて、一体どれだけの悪事を働いたんだ?

それを言うのなら、まずはどっちが先に手を出してきたのかを聞くべきだぜ!

どこだって一緒だ、一番イジメやすそうなヤツをイジメるんだ……でもこうして帰ってきたからにゃ、もう村の人たちなんか怖かねえぜ!

……

どうしたんだよ、そんなキョロキョロして?ここまで貧しい村は初めてか?

君はまだまだ見識が狭いな、と思っただけだ。

ちぇ、なんだよそれ。

だが土地神を祀った御廟を村の入口に建てた村なら、確かに初めて見るな。

それに、なんで御廟の隣に墓が建てられてるんだ?

墓ぐらい珍しいもんでもねえだろ。

なんで廟の隣に置かれたかは知らねえけど。

まあいいや、お前が誰なのかは知らねえけど……ここに埋まってるってことは、お前も村の一員だったんだろうな。

死んだら死んだで、これ以上苦しまずに済むんだから、それもいいことだよな。
少年はその墓前でしゃがみ込み、手を合わせる。平然そうに縁起でもないことを言っているが、その姿勢は真摯なものであった。

おれん家ならこの先だ、もうすぐだよ。

……

どうした、行かないのか?

おれ……

……まあいいや、ここまで来たら逃げられるわけでもねえんだし、全然怖かないね。

父ちゃーん、帰ったぞー。
とても小さな土壁の家だ、どうやら家主はいま留守らしい。屋内には雑貨物が大量に置かれているが、ほかと比べればまだ整理整頓されてるほうだろう。
かまどに置かれていた残飯を見て、少年もほっと一息ついた。

おっかしいなぁ、どこ行ったんだろ?

もしかして畑かな……ちょっと探してくるよ。

父ちゃーん……父ちゃーん?

どこにいるんだよ……
(村人達がぞろぞろと集まってくる)

あいつを捕まえるんだ、逃がすんじゃねえぞ!