ラテラーノは楽園だ、と周りの人々はいつもそう言う。
そこは自由で、歓喜に満ち、秩序が働き、紛争が絶えないこの世の数少ない清浄なる地だと言う。
しかし、そこに疑問を抱かないか?
我々の聖なる都が、かの都市が如何にして造られたのか。如何にして維持され続け、そして発展してきたのか。
なぜラテラーノこそが唯一無二の存在であり、ラテラーノこそがこの世の天国、千年の楽園と讃えられてきたのか?
もしこの大地に再び戦火が燃え広がり、そして平和が一夜にして崩壊してしまった暁には――
この世は果たして、唯一つの楽園なるものの存続を許容してくれるのだろうか?
(警告音)
重大な危機が発生。
繰り返します。
重大な危機が発生。
……危機のレベルを計測中……
計測結果:最高レベル
これにより自動運行演算プログラムを開始します。
演算失敗。
緊急対応プログラムを起動します。
現在、適切なメンバーリストを入力中……

聖下、全員揃いました。

うむ、ご苦労。

しかし、本当によろしいのですか?歴代の教皇を除いた者が聖徒に選ばれる前例などありません。このように決断されるのはリスクがあるのでは……

君の言いたいことは分かる。私もあらゆる書籍を漁って、千年間にも及ぶ記録に目を通してみたが、今回に類似した事例は書かれていなかった。

だが心配には及ばないさ。

それよりも私が受けたあの警告のほうを心配してやったほうがいい。

その警告というのは、具体的にどういう……?

私としても真摯に君の質問に答えてやりたいんだが、生憎それができなくてね。

強いて言うなれば、天に座す我らの信仰が、やがて危機が迫り来ると警告を発してくれたのだよ。ただそれがどういうもので、いつどこにやって来るかは見当もつかん。

それから数人ほどの名前が記されたリストも渡されたのだが……

そのトップに名前が記された人物こそが、今回の主役というわけだよ。

だからあの小僧に聖徒の称号を与えるおつもりでいると?

それならほかの肩書きに変えても良いではありませんか。「聖徒」は……あまりにも特別で、背負うには重すぎます。何を言おう、最初にこの都を建てられた聖人らにしか与えられない称号なのですぞ!

ふむ……しかし、私もその称号を有しているではないか。

そ、それとこれとは別です!あなた様は教皇聖下であらせられるお方なのですから!

今回の一件は、あの小僧にそれなりの権限を分け与えてしまうようなことです!今後ヤツが多くの政務に口を出してくる可能性だって……とにかく、由々しき事態です!

まあまあ落ち着きたまえ、ジェオヴァンニ。少しだけ冒険をしなければならない時だってあるだろうさ。

それでそのリストなのだが、先ほど彼以外にも何人かの名前が書かれてると言ったね?それで私はその者たちにも……

ま、まさか聖下!そのリストに記されてる者たち全員に聖徒の称号を与えるおつもりですか!?

ふざけ……じゃなくて、重大な規則違反に値する行為ですぞ!

そう急いで否定しないでくれたまえ、ジェオヴァンニ。まずはその人たちを探してからでも良いではないか。

そうそう、リストには何人か見知った人たちの名前も書かれていたよ。ほかに誰が載っていたか、君には分かるかな?

いえ、まったく……

そうかそうか。ふふ、ならもうしばらくの間は秘密にしておくとしよう。

さて、ジェオヴァンニよ。

此度の儀式を終えた際には、私もそろそろその人たちに会いに行かねばならないようだ。

あれ~?なんでここ、こんなにもたくさん風船が飛んでるの?

大通りでアップルパイ投げ大会をやってたせいでこっちは遠回りするハメになっちゃったよ、そこら中パイだからで歩けたもんじゃない……今日なんかあったの?

さあな、なんか儀式が開かれたって聞いたぜ?詳しいことは俺もよく分からんが。

まあそんなこと放っておいて、イベントがあれば楽しめばいいだけだろ。俺たちはいつだってそう過ごしてきたんだ、考えるだけ無駄だよ無駄!

それよりもさ、あの風船をたくさん身体に括り付けたら飛べるようになるんじゃね?

そんなわけないでしょ。あんたのその体重じゃ、あと二十キロ減らしたって飛べるわけがないっての。

まあそう言うなよ!重いコートでも脱いだらいけるかもしれないだろ?どうせ今日はそんなに寒くないんだしさ……

ていうか見ろよ!また新しい風船が飛んだぜ!

……あぁもう我慢できねぇ!ちょっと服を持っててくれ、今日という日はやってみなきゃ気が収まらねぇぜ!
(元気なラテラーノ人がコートを脱ぐ)

ちょっ、ちょっと!気を付けてよね!
(元気なラテラーノ人が宙に浮き始める)

お、おおおおお!飛んだ、本当に飛んだぞ!

た、たっけぇ~……ってちょっと待て、なんでまだ上昇してるんだ?

ちょっ、ちょっと待てって!ひ、ひぃぃ……この高さは無理だって……!

失礼、通ります。

あ、そこのお兄さん!待って、手を貸してちょうだい!

ん?

助けてくれぇぇぇ!誰か、誰か下ろしてくれよぉぉぉ!

いいでしょう。
(フェデリコが風船に向かって銃撃を行う)

いってぇ!

痛ッつ~……いやぁ助かったよ、お兄さん。

そうだ!俺の風船は……あああああ!全部割られちまってる!ひどいぜあんた、やり過ぎだっての!

現場の状況を判断して、あれが最善だったと思いますが。

そうだけどよぉ~……ったく、少しは風船を残してもらっても良かったじゃねえか。

文句言わないの、あんたを下ろしてやるためにはああするしかなかったんだからね!まあまあお兄さん、こいつのことは気にしないでよ~。

そういえばお兄さん、かっこいい服着てるね。どこで仕立ててもらったの?

私も詳しくは……

えっ、本人が知らないってどういうこと?もしかして貰ったものとか?

こりゃ多分制服か何かだぜ、なーんか見覚えがあるような……

へぇ、制服……どういう仕事だったらこんなかっこいいのが着れるんだろ?あたしもそこに入ってみたいな~!

……これが標準的な制服の類かどうかは私では判断できかねます。

ただ、もし共に働くおつもりがありましたら、教皇庁のほうへ履歴書類一式を送ってください。

“……かの者たちはサンクタを導き、都市を築き、そこをラテラーノと名付けた。”

“災いが再び迫り来る時、サンクタには新たな啓示が降臨し、新たな導き手が民を導いてくれるだろう……”

“今に生きる者たちが、永劫に朽ち果てぬサンクタの楽園を見届けよう。”

我らここに見届ける。

我らここに見届ける。

我らここに見届ける。

よし、儀式はこれでおしまいだ。

さあ、顔を上げなさい、我が子よ。

……いや、少なくともこれからは呼び方を改めなければならないね。

顔を上げ、私の傍に近づきたまえ。ラテラーノが築かれてから千年、歴代の教皇を除き初めて聖徒に選ばれた者――フェデリコ・ジャッロよ。

……

あまり喜んでなさそうだね。外で飛んでいる風船はあまり好みじゃなかったのかな?

なぜ、私を?

なんだね?

何もかも理解に及びません。聖徒の具体的な責務とはなんですか?やがて迫り来る「災い」とは?そういった事象に、直ちに行動を取ったほうがよろしいのでしょうか?

「災い」の詳細を知る必要があります。それによって得た具体的な判断材料をもとに、作戦を練り上げなければなりませんので。

ふむ、真っ当な質問だ。しかし、私ではおそらくそれには答えられん。

そもそも私が得た警告はとてもシンプルでありながらも難解なものでね。明確な答えを出してくれてはいないのだよ。

その時々の時代は様々な波乱と試練に直面する、我々は可能な限りそれに備えるしかない。だが一つだけ確かなのは、君にはそれに対処しうる力があるとし、法が君を選んだということだ。

……やはり、私にはまだ……

そう急ぐことはないさ、まだまだ時間はある。

それよりも今は、もっと現実的な話をしようじゃないか。たとえば今着用しているその装い……とても似合っているよ、フェデリコ君。

枢機卿の何名かがわざわざ今回の採寸や配色を決めるために論争を引き起こしたくらいだからね……だが、すべて無駄ではなかったようだ。

それは枢機卿が担当すべき業務内容ではないはずですが。

まあまあ、堅苦しいことは言わないでやってくれ。我慢できず興味ある物事にそっぽを向いてしまうことだってあるのだから。

君の業務履歴のほうを見させてもらったが、優秀な執行人じゃないか。とてもとても優秀だ。

君はほかの人たちと違って、戒律に縛られることもなく、多くの行為を禁忌と見なすことはしないみたいだね?

然るべき時に応じて禁忌を破る行為は許されると考えおりますので。

それは当然さ、私も反対はしていないよ。

時々やり過ぎなところはあるが、これまで完璧に任務をこなしてこれたのは君なりの判断基準があったからなのだろうね。

であれば、一つ君に任せたい任務がある。本当なら私が自ら出向かわなければならなかったんだが、急遽ほかの用事が入ってきてしまってね。

とはいえ、決して楽な任務ではないぞ?状況はとても複雑で、なんなら我々の想像を超えるものに発展する可能性だってある。君がこれまで受けてきたものとは一味違う任務だ。

だが、君ならきっと遂行してくれることだろう。どうか私に見せてくれたまえよ……法が君を選んだワケを。

そういうわけでフェデリコ君、この任務を受けてくれるかな?

了解しました。執行人フェデリコ、任務を受容します。

では、詳細を。

アルトリア、何を見ているのかね?

この花たちを見ているのさ。

修道院を回ってみたんだが、ここにしか咲いていない花なんだね。しかし咲く時期に間に合ってよかったよ、ここの景色は本当に美しい。

……それをクレメンが聞いたらきっと大喜びするだろうな。

この花たちは彼が面倒を見ているのだが、もう随分と鑑賞しに来る人は見なくなったよ。本来なら修道院のあちこちに咲いていた花だったのだが……

今ではもうここにしか残ってはいない。

そうか、それは残念だね。とても素敵な花言葉を持った花だと聞いたものだから。

かつてはな。

今は違うのかい?

……違ってはいないかもしれんが、目が衰えてしまってからは花を観賞するのも一苦労でな。儂はもう歳を取り過ぎた、ここに長く居座り過ぎてしまったよ。

そなたの音色は痛みを和らげることができても、老いを巻き戻してくれることはない。それと同じように、花では一人ひとりの腹を満たしてはくれんよ。

物事というのは、何事も思うようにはならない。よぉく分かっておるさ。きっと我々がラテラーノに救援の手紙を送った時から、こういった日々は運命付けられたのだろう。

苦い結果しか残らなかった……

今日という日々がな。

ふむ、苦い結果か。その苦みが、余韻ですら舌先にずっと残り続けるようなものだというのなら、私は嫌いではないけどね。

私の知る限りじゃ、痩せこけた土地だからこそ甘露な果実が実ると思うんだけどね。

……痩せこけた土地、か。そうだな、その通りだ。

こんな痩せこけてしまった土地が、儂ら唯一の住処になってしまったとは……

きっとより素晴らしい、穏やかな暮らしを見つけることができると……かつて儂らはそう信じていた。

雨風を凌ぐことができる城を持つことができ、信仰をいつまでも貫き……かつて住んだ土地以上に、今ある平穏な暮らしに思いを馳せることができると。

儂らはただ紛争から逃れ、静かな場所で穏やかに暮らしていたいだけだったのに……

なのに今は……
老人の痩せこけた顔が僅かに震える。
力を振り絞って、くたくたになった皮膚から懸命に人を押し潰す言葉を吐き出そうとするも、それは咳と壊れた鞴のように漏れる息に取って代われてしまった。

あれから一体何年経った?五十年か、六十年か……それともそれ以上か?

海の災いが起こってから、儂は裁判所の要求を拒否してイベリアを出ていった。それから何代もここに住み続けてきた人たちを……それこそ生まれから死ぬまでの一生を見届けてきた。

それが今となっては、生きることすら難しくなってしまったものだよ。

いつだってそういうものじゃないか、生きるということは。

そうだな……

ここにいる人たちを見てみなさい。彼らがどこの人たちだったのか、儂にはもう分からなくなってしまったよ。

彼らはイベリアの人だったか……それともラテラーノの人だったか……

儂らはもうあまりにも遠くへ来てしまったのかもしれんな……

……

なあ、アルトリア。

これまでの月日を歩んできた儂は、まだラテラーノ人のままでいると思うか?

それはあなた自身にしか答えられない問題だね、ステファノ・トッレグロッサ主教。

そうでありたいと、儂自身はそう思っておるのだが……

なら、あなたは今でもラテラーノ人のままだよ。

……そなたの言葉はいつだって真実だ、ならそなたを信じよう。

……だからもう儂の考えを探ることはよしてくれないか?

まさか。あなたのプライバシーを探ることなんか絶対にしないさ、主教様。

そなたがここに留まることを許したのは、ここは悪意を持たぬ者を拒まないからだ。この意味は分かっているな?

しかしだ、やはり今でもそなたが何を求めてここにやって来たかは見当もつかんな。

もし何も求めていないって言ったら?

……

どうやら信じてはくれないみたいだね。

ならこうしよう、私にはどうぞお構いなく。ここでの出来事や人たちには決して関わらないと約束しよう。もちろん、主教様のこともね。

私はただこの修道院の物語に引き寄せられ、素敵なエンディングを目にしたいと願う旅人に過ぎないさ。

それでも信じられないのなら、このヘイローに向かって誓いを立てようか?

……ずるい人だ。

……よかろう、その言葉を信じよう。
そうして老人は再び静かになった。
老いを経てしまえば、人は誰しも凝り固まり、干からびてしまうものなのだろうか?かつて周りの者たちに愛されてきたこの一本一本の皺も、今では鬱々とした雰囲気を感じさせるだけとなった。
両の目もすでに濁りきってしまい、翳りに覆われてしまった。この目を見るだけでも、数十年にもおけるこの修道院の月日を窺い知ることができそうだ。
この老人の顔つきも、昔はきっとより温厚で優しい、よりラテラーノ人らしい顔つきをしていたことだろう。

この数十年もの間、聖都は一度たりとも儂らの要請に返事をしてはくれなかった。だが、儂は祈りを諦めたわけではない。

儂の信仰は儂に友愛を教えてくれた。兄弟と姉妹たち、そして誠実な友人らを見捨てることなど一度も教われなかったさ。

だが多数の幸福のために、少数を切り捨てなければならないというのであれば……

私がとても敬虔な信徒だったら、そんなことをすれば裏切りになると思うかな。極めて恥ずべき行為だ。

主教様もそう思っているんじゃないのかな?

……それは答えられんな。

仮に信仰が自身を裏切れば、それを信じていた者たちはどうすればいいというのかね?

よし、ここに置いておこう。

あとで若いやつらに任せておけばいい。これくらいあれば今年の冬は凌げるはずだ。

うん、分かった。あとで呼んでおくよ。

しかし、本当にラッキーだったよ。この肉さえあればもう少しは持ち堪えられそうだ。

……すまなかった。

だんだん寒くなってきたせいで、あまり獲物が獲れなくなってしまってな。今回の収穫は予想よりもはるかに少ない結果になってしまった。

何言ってるんだ、そんなことは言わないでくれ。

あんたたちがいるおかげで、子供たちも少しは肉にありつけるようになったんだ……すまなかったなんて、そんなこともう言わないでくれよ。

はは、そうか、なら撤回させてもらおう。今日は子供たちのためにたんと美味しいものを作ってやってくれ。

そうしてやりたいのは山々なんだけど……でも、やっぱり節約しておかなきゃ。

そうだ、ヘルマンはどうしたんだ?今日は狩りに参加しなかったのか?もしかして怪我をしたんじゃ……?

……あいつのことなら心配するな、なんともないさ。

本当か?

怪我をしてしまったら一大事だ、放っておいたらもっとひどいことになる。だからそんなことでウソを言わないでもらいたいんだが……

分かっている。ちゃんと助けが欲しい時はお前たちを呼んでおくから。

まあそういうことだ。時間ももう遅いし、私は先に帰らせてもらうよ。

……待ってくれ、ジェラルド!

なんだ?

……みんな、最近ずっとラテラーノのあの話で持ち切りなのは知ってるだろ?別にやましいことを考えてるわけじゃないんだが、やっぱりどうしてもせっかちなところがあってだな……

だからもし何か気に障ることを言われても、あんまり気にしないでやってほしいんだ……

……

分かっているさ。

そ、そうか……それならいいんだが……

……

おお、レイモンド。すまなかったな、ひとっ走りさせてしまって。

さあ、残りはあいつらに任せるとして、私たちはもう行こう。ところで、ヘルマンはまだ戻ってきていないのか?

ヘルマンなら今日一日中見かけなかったすよ。ちょうどさっきデービーたちが探しに行ったから、俺もあとで探しに行くつもりです。

それと、探索しに出かけて行ったやつらも用意はできてるってことっす。夜そいつらが戻ってきたら色々と分かってくるかもしれません。

そうか、助かったよ。それじゃ、引き続き荷物を片付けておいてくれ。

……ちょっと待ってくれよ、ジェラルドの兄貴!

本当に……俺たちはこのままでいいのかよ!?

落ち着け、レイモンド。

お前も分かってると思うが、私たちはもとから選べる状況じゃなかったんだ。

だからこうして妥協するっていうのか?

じゃあ俺たちはこれまで一体なんのために……俺たちがあいつらとは違うから?俺たちだって同じ――

レイモンド!

そこまでにしろ、わがままを言うんじゃない。

でも!

でもじゃない。

お前が気に食わないのはよぉく分かっているさ、レイモンド。

だがな、そうするしかないんだ。まあ、今日はまだ時間がある……もしまだ顔を会わせたい人たちがいるのなら、最後くらい会いに行ってやりなさい。
摂食。
それは生存本能を満足させるために、食べ物を認識してから口に運び、そして咀嚼して呑み込む行為。
すべてにおける生命活動の礎であり、すべての生物が生まれて最初に備わる本能。
呑み込み、摂取し、そして吸収する。
生存するために尽くされる、ありとあらゆる努力の源である。
これ以上真っ当で純粋な欲求など、ほかには存在し得ないでしょう。

もう一度あなたに忠告しておくべきでしたね、今はあまり適切な時期ではありません。

今のあなたは、身体も心も弱い状態です。その状態でいると、周りの状況に影響されて正常な判断ができなくなってしまうのですよ。

……

もう私の声は届いていないのですか?
返事はなかった。
広々とした地下空間には修道士の声と、これまで聞いたこともないような不気味な音だけが聞こえてくる。
その不気味な音の正体は、食料を摂取する音であった。
栄養になり得るものであればなんであれ引き裂き、食道へごくりと呑み込み、そして腹の中に落とし込む生々しい音。
やがて音のする先に、元々の姿形を失ってしまった“ナニか”のシルエットがうっすらと暗闇の中から現れてきた。

もうすぐ冬に入る頃合いですから、近頃はてっきり曇りが続いてきてしまいましたね。

この修道院も……まるで孤立無援の孤島といったところ。修道院だけでよくここまで長く耐えてきましたが、それももう限界の様子。

周りの壁を見れば分かりますが、隙間や亀裂だらけで強い風を防ぐことすらできない。

ふむ、燃料も残り僅かといったところでしょうか。もし寒さを凌げるものがなければ、今年の冬は多くの人が凍え死んでしまうでしょうね。

しかし、だからといって何も手だてがないわけではありません。

それほど規模は大きくありませんが、近くに源石の鉱脈が眠っています。

そこでエネルギー源になる源石を掘り出せばよいです。これまでの間、貴方がたはずっとそうしてきたではありませんか?

だが周知の事実として、源石の採掘は鉱石病の感染に晒されるリスクを伴います。

ほかに選択肢があるのなら、誰もそんなリスクを冒そうとはしませんよ。一旦鉱石病にかかってしまえば、それは死刑判決を受けたも同然なのですから。

当初貴方がたは自らの故郷を捨て、はるばるこの修道院までやってきた。自身を受け入れてくれるために、進んで危険な仕事を請け負ってきましたね。

そういう貴方がたはもう、この修道院にとって不可欠な存在になっていったのですが……

……

やはり私の声はもう届いていませんか……

……

ふむ、これは少しばかり……

私も悲しい気持ちになってしまいましたよ。

あのー……誰かいませんか……キャッ!

なんで……地面にこんなにもガラスが散乱してて……

フォルトゥーナか?いいところに来てくれた。

そっちのほうを持ってくれないかな?窓枠を取り付けたいんだ。今日は風が強いからね、そのせいでガラスがまた割れてしまったんだ。なんとか塞いでやらないと。

あっ、うん!任せて!

でもつい二日前に直したばっかりよね、また割れちゃったの?この前だって、ずっと歯を震わせながらステファノお爺さんのミサに参加したばかりなのに……

あっ、テープいる?切ってあげよっか?

うーん、粉々になっちゃってるから、今回テープは使えそうにないね。ごめんよ……さすがにガラスの破片を全部元通りにくっ付けることはできそうにないかな。

クレマンさんのせいじゃないよ、謝る必要はないって。

じゃあどうする?とりあえず何かで塞いでおくとか?風が入ってきちゃうと寒いから……あっそうだ、使えなくなった布地でも持ってこよっか?

いや、布は貴重だから、服のために取っておこう。これからますます寒くなってくるからね。

たぶん木材がまだ残ってるはずだから、それを使おう。ほら、ジェラルドたちがこの前解体した空き家の。あとで探しに行くよ……
(クレマンが窓枠を塞ぐ)

よし、窓枠はこんな感じでいいかな。ありがとうフォルトゥーナ、助かったよ。

そうだ、さっきは何か用事でもあったの?

あっ、そうだった!えっとね、何か食べ物がないか探してたのよ。もうフィーヌのせいで、お昼ご飯食べ損ねちゃったから……

誰のせいでお昼を食べ損ねたって?

フィーヌ!?

どうしたの?あなたまでこっちに来ちゃって。

どうせあたしが来なかったら、好き勝手あたしの悪口を言ってたんでしょ?

悪口なんか言ってないわよ、全部事実でしょ。あなたに長ったらしいお説教さえなければ、こんなことにはならなかったんだから。

それはあんたがいつまで経ってもトロいからだよ、人に騙されてるっていうのに呑気な!

あのレミュアンって女には気を付けろって再三言ったでしょうが!あちこち関わってさも心配してるようなフリを見せてるけど、絶対なんか企んでるって!

フォル、あんた最近いつにも増してボーっとしてるけど、まさかあの女に何か吹き込まれたんじゃないの?

そんなことないわよ!何も吹き込まれていないし、ボーっとなんかしてない!

……いいや、してるさ。

あたしらはサンクタなんだから、それくらい分かるよ。

……

レミュアンさんだってサンクタなのよ?あの人に悪意はないことくらいあなただって感じ取れているはずなのに、なんで信じてあげられないのよ?

どうしてそんなにラテラーノ人を毛嫌いしてるわけ?私たちだって……もともとはラテラーノ人だったでしょ?

ステファノお爺さんだってこの前、すぐにまたラテラーノに戻れるって言ってたじゃん。それなのにラテラーノからの使者を閉じ込めちゃうなんて……

どうしてそんなにラテラーノへ帰りたがらないの?

レイモンドたちと一緒に行けないからだよ、その理由だけでも十分でしょ!

あの人たちは見捨てろっていうの?申し訳ないけど、あたしには無理だね!

そういう意味で言ったわけじゃなくて!

じゃあどういう意味なのよ!

落ち着きなさい二人とも!

主教様がああ決断されたのにはきっとあの方なりの考えがあるからだ。だから二人とも……少しは落ち着きなさい。

……

……

とりあえず私は木材を探してくるよ、窓を塞いでおかなきゃならないからね……フォルトゥーナもデルフィーヌも、少し頭を冷やしておきなさい。
(クレマンが立ち去る)

……フィーヌ、あなた私の考えが感じ取れないの?

感じてるよ、当たり前じゃん。

でも……いや、ごめん。さっきはついカッとなっちゃった。あんたがそういう意味で言ったわけじゃないことくらい、分かってるから。

ううん、私も……ごめんね。

あんた、いつもその銃持ってるよね。確か父親から譲ってもらったんだっけ?もうとっくに使い物にならなくなったんじゃないの?

うね、どこかの部品がダメになっちゃったみたい。それに私、銃の扱い方よく知らないから……

でもね、使うために持ち歩いてるわけじゃないの。

そうなの?ずっと飾り半分で持ち歩いてるのかと思ってた。

まあ、半分はそうね。

こうして銃を握ってるとさ、なんだか……祈りの姿に見えない?

お父さんが私に銃を譲ってくれた時にそう言ったの。これはサンクタたちの慣わしだって。

……そんな慣わしがあるなんて初めて聞いた。

あたしの婆ちゃんの、母方のだけど、銃を谷に落っことしちゃったから……

……元気出して、フィーヌ。ほら、私の貸してあげるから。

この銃を直したら、また一緒に使い方を勉強しましょう。

だから今は、とりあえず一緒にお祈りをしよっか。

えぇっと、この前残ってた木材は……確かこの辺りに……

あったあった、やっぱりここに置いてたか。

うん、これだけでも十分かな。もし余っても、窓枠の周りの補強にも使えそうだ。

それから燃料は……

もう少ないな……

ん?

だ、誰だ!?

……

……誰もいない?

見間違い、なのかな……?

本当におかしな地形をしているな、ここ。どういう名称の地形だったっけ?岩石砂漠みたいだが、奥に深い谷も確認できるぞ?

まあいいや、とにかく足元には十分気を付けてくれよな。

お気遣いどーも。あなたがこんなに紳士的だったなんて初めて知ったよ、リケーレ。

おっと、お褒めの言葉なら結構だ。あんたに褒められてもいいこと何一つないからな。

そうケチケチしないでよ、今回は本心で言ってるんだから。

それで、ターゲットの修道院はっと……どれどれ、前にあるあれがそうなの?

ああ、多分あれで間違いない。

それで、どうやってあそこに入るつもり?このまま玄関のほうまで行って、ご丁寧にノックして知らせるとか?

もしかしたらお出迎えしてくれるかも?

フェデリコ、どうする?

ひとまずこのまま接近しましょう。

了解っと。あっ、もう一度俺たちの任務を確認しておくか?

ターゲットの修道院を確認。イベリアとラテラーノが1011年に共同で立ち上げた大型移動総合施設、正式名称“アンブロジウス修道院”。

当修道院は本来であればイベリアに所属していたものではあるが、六十一年前に規定のルートから航路が外れてしまう、そのまま行方不明に。

しかし一か月前、ラテラーノは当修道院からの救援の知らせを受けたため、そこに特使を二名派遣した……というのが事の経緯です。

ここまでは普通だね。

で、こっからが問題。一体なぜ派遣した二人の特使は連絡が途絶えてしまって、武装要員であるあなたたちを直接ここに送り込まなきゃならなくなったのか。

私が受けた任務内容は、連絡が途絶えてしまった枢機卿補佐官レミュアンとレガトゥスのオレン・アルジオラスを探し出し、身元の安全を確保すること。

及び人員の傷害を可能な限り避けながら、修道院内部の正常な運行を確保することです。

それは……あまり派手にやり過ぎるなって意味なんじゃないのか?ほら、教皇聖下からの。

……

まあ、オレンのほうはどうでもいいよ。私はレミュアンのために今回の任務へ志願したんだから。

私情を任務に持ち込まないでください。

現時点で、任務対象の状況は不明瞭です。建物内の住民たちも、敵意を抱いてるかどうかは不明です。

じゃあ……まずは潜入調査でもしてみるか?

いえ。

このまま正面から突破し、速やかに任務を遂行したほうがよろしいでしょう。

もしすでに二人の身に何かが起こってしまった場合、彼女らの遺骨をラテラーノへ持ち帰る任務に変更せざるを得なってしまいますので。