あれは彼女の最も印象深かった出来事の一つだった。
あれは彼女の「貴族生活」が幕を閉じる一日であった。
戻ったか。
……
その剣は嫌いではなかったか、なぜそれを持っている?
ついでに持っただけだ。
ふむ。
君からは泥の匂いがする、しかし血腥さと、焼き焦げた匂いがしない。君のメイドが君が沐浴も着替えも済まさずに急いで私に会いに来たと言ってた、つまり、当ててやろう、君は手を出さなかった。
もっといい方法でも見つかったのか、タルラ?あの目の上の瘤を、邪魔者を対処する方法が?もっといい方法が見つかったから、私の言った通りにはしなかった、そうなのだろう?
貴様は私にアントニオ少佐を排除させようとしただけではなく、子供を一人殺させようと私を騙してくれたな。
コシチェイ……子供だぞ。アントニオは彼の息子を連れて旅行していた、私に彼を陥れて、憲兵を遣わして彼が次に行く都市の道中で殺すつもりなんだろ、そうすれば彼の息子も難を逃れられるはずもないからな。
アントニオは匿うことをとても得意としている。君なら分かるだろう、あの少年は彼の息子ではない。
ふん……
教えたはずだ、より重要な目標が目の前にいるとき、道徳面や資源面での犠牲は避けられないと。
君はアントニオを逃した、次に彼が現れるのはヴィクトリアのとある特務官の官邸だろう。
鼻につくフェリーンたちが私たちの四都市のこれから一年の航路を探り出し……
……それをもとに我々のビジネスパートナーを特定し、我々の物資の出元を調査し、我々の輸出入ルートを描き出し、我々の防衛配置を洞察してくるだろう。
ファイルはすでに処分した。
素晴らしい!よくやった。君にもできるではないか、違うか?
しかしタルラよ、君はどうやって……証明するのだ、アントニオはあのファイルを一度も「見ていない」ということを。
もし彼があのファイルの内容を知っていなかったのであれば、なぜあれを持ち出したのだ?
では貴様はどうやって彼が貴様の公爵領を、ウルサスを裏切ると証明してくれるんだ?なぜ彼を尋問せず、捕らえず、直接排除しようとした?
私に証明など必要ないからだ。尋問は彼に反駁や罰から言い逃れる機会を与えてしまう、彼の行為を赦免するわけにはいかないのだよ。
彼はそうする可能性がある、であれば、私にとって、ウルサスにとって、法にとって、それだけで十分だ。
してはならないのだ。彼は「そうすること」ができないのだよ。
――アントニオは私のほうで処理しておいた。君がファイルを処分したあと、私の蛇たちが君の尻ぬぐいをしておいたよ。
そうだろうな。知っていたさ……貴様なら絶対に彼を逃さないとな。
私はこれまでずっと君を鍛え上げてきた、より優秀な人になるために、しかし見てみろ、君はまた私の期待を裏切ったではないか。前回よりも成績が悪いぞ、タルラ。
スヴァダ会議での表現はあれほど素晴らしかったというのに、それに、タルラ、君もあの感覚を味わえることをいい加減認めるべきだ。
あの万に一つもない頂点の感覚を。
私を侮辱するな。貴様は私の怒りにさらに油を注いでいるだけだ。
では、君ならきっと完全無欠な感覚のほうを味わいたいのであろう。
君の懸念はよく分かる、君の考えも理解できる。だから……
蛇たちに彼の息子に扮していたあの少年を見逃してやった。
どうだ、タルラ?君一人でもこの程度ならできるのではないか?
あの少年は彼の息子だ。紛れ、も、なく。
息子にならないことも可能だ。
あの少年は成人したら、君のところに来て、父のために復讐するだろうな。
では君は……いつになったら、君の父のために復讐をするのだ?
タルラ、君の父を殺めた人は、まだ健在だぞ。
……
君をその手で復讐が果たせるように鍛えてあげようと、私は君に約束した、しかし、今の君では……まだ足りない。
……もういい、コシチェイ!
やれやれ、そういうのは除け、タルラ、己の要求を除くんだ、私だって君が優秀な人になることを望んでいるのだぞ。
人殺しに、憲兵の親玉に、貴族の軍官に、陰謀家に、虐殺を生み出す術師になることか!?それが貴様の言う優秀な人だというのか!?
タルラ、タルラよ。それは違う。
私は継承者を渇望しているのだよ。
……
貴様はよくそんな気持ち悪いことを素直に言えるな。
ただ、ふん、申し訳ないが、公爵よ。
貴様の期待はもうすでに……
地に堕ちた。
ふむ……
興奮しているな。言ってみろ、タルラ、言ってみるがいい、君が何をしたのかを、何が君をそんなに得意げにしたのだ?
半年前に採掘場で小さな源石鉱材の破片を拾った、それをどうしたと思う……?
私はそれを自分の腕にはめ込んだ。
……ほう?
効果はてきめんだった。
私はもうすでに感染者になった。
私は感染者になったんだ、コシチェイ公爵。我が命久しからず。貴様の権謀術数も、計画も、投資も、すべて水の泡だ。貴様はもう私を利用することはできなくなった。
私の一切はすべて貴様のために用意されていた、そうなんだろ?だが今はもう違う。
あぁ。それはそれは……なんと予想外なことか。
陰謀が破綻した味はどうだ?
コシチェイ、私はすでにウルサスとこの大地が最も恨めしく思い、最も忌み嫌う感染者になった……
都市で、凍原と荒野で最も下劣な感染者にな。
君の姉が今の君の姿を見て、果たして喜ぶと思うか?
……貴様!
一体何が君をこうも私に抗うようにしているのだ、我が娘よ?
――貴様。
貴様は私を欺いた、ウェイが私の父を殺した首謀者だと私を騙した。二人はかつて共に貴様に抗い、貴様を龍門から追いやったことを私に教えなかった。
貴様が私の父の死に際にどんな人物を演じたかを教えなかった、たとえウェイが私の父を殺し、その罪を背負い、死ぬべき人だとしても――
貴様もその咎から逃げられると思うな。
貴様は表では自分の領民を重んじて、ほかの集落を都市の周囲に配置し、感染者たちに安息の地を与えるようにしていた……
だが実際は、貴様はあえて感染者と住民たちの生活を天と地の差に仕立て上げた、貴様は感染者を経て住民たちに自尊心を見出させようとした。
都市が市民に対する略奪は貴様によって美化され義務となった、奴らは感染者や住まう所を失った非市民たちをいたぶることで慰めを得ようとしていた!
これが貴様の公爵領か?これが貴様の都市と統治だというのか?
不平等を用いて虚像を創り出し、虚像をもって貴様の影響力を拡張していたと?
もうこれ以上我慢できない。貴様の偽りばかりの手法と捻じ曲げれた手腕を責めないにしても、貴様の偽りだらけの主義主張とその偽りの慈しみに満ちたにへら顔を見るだけで、もう我慢の限界だ!
教えたはずだ、タルラ。
「この平和な時間の中で、彼らは互いの平等的な扱いを享受することはできない」――そう教えたはずだ。
この一連の凡庸な年月を終わらせることを除けばな。
君も私も彼らの自治を受け入れることはできる、クルビアやイェグラの市民のように。しかし彼らはどうだと思う?
彼らは次の執政官と次の貴族を推挙するだろう、なぜなら彼らは他人への尊重心を持たず、権力と暴力を畏怖しているからだ。
それだけではない、彼らはほかの人が彼ら以上に勇敢で聡明で、善良で、慈悲深いことを許しはしないのだ……
君が彼らの公爵、あるいは皇帝でない限り。
君は彼らを同情している。私の領民たちを同情している。税吏や官僚たちに追いやられて逃げ場を失った市民たちを憐れんでいる。
それはいいことだ。
しかも、君がいくら感染者を侮蔑する言葉を吐き出すように無理していたとしても……私は未だに憶えているさ。
君は次から次へと私の政策を弄り、より多く彼らを守ろうとした、その上市民たちの怒りを湧き立たせるようにした。
私は長い時間をかけてやっと彼らの情緒を抑え込めたというのに、タルラ。
彼らを同情してるわけではない!
だが君は確かに彼らを愛しているのだろう。
貴様……!?
いいぞ、タルラ、君は本当に彼らを重んじているのだね。ますます私に似てきたではないか、我が娘よ。
……よくもまたそんなことを口に出せたな!?
しかし君のその浅はかな行動は必ず失敗する。
私がこれから何をするのかを知ってるような口ぶりだな?貴様にそんな能力は……
たとえ全員がいい結果を欲していたとしても――あれらは必ず失敗するものだ。
タルラ、タルラよ。なぜなら彼らが求めているいい結果と君の夢は、本質上違うものだからだ。
君では異なる人種に同じ行為を認めさせることはできない、彼らの紛争、衝突と混乱は避けて通れないものなのだよ。
サルカズはどうやってサンクタと対面すればいい?カジミエーシュ人はどうやってウルサス人と対面すればいい?逞しくも勤労な熊はいかにして傲慢で無能な鷹と対面すればいいのだ?
彼らに方法を教えるのか?なんて傲慢な考えなのだ、我が娘よ!君はその姿とその身分で彼らを命じようとしているのかね?
あぁ、もちろん、分かっているとも。君なら必ずやり通すだろう。
タルラ、君は君によって統治される定めにある者たちを統治しに行くだろう。君は黒蛇の英知を継承し、紅き龍の血が流れ、熊の国土を足踏み、鷹の歴史を振り返っているのだからね。
生まれついてから他者によって統治される人など一人もいない。
しかし彼らは君の統治を渇望している。彼らは生涯君のような人が自分たちを統治してくれることを待ち望んでいる。
ウルサスはいずれ君によって震え上がるだろう、我が娘よ。
他者を統治する者はいずれ必ず更なる強者によって統治されるぞ、コシチェイ。
あぁ、その点については私も懸念している、タルラ。では最後の授業をしよう。
……ん?
タルラ、我々はいずれこの短く世俗的な統治を超脱する。
先代の皇帝はお隠れになった、しかし先皇の影は依然この大地に被さっており、先皇の意志と思考はすでに彼の時代を超越した。
彼は真のウルサス帝国を継承したのだ、ウルサスの土地の繁栄を支え、ウルサスの人民に安息を与えた。
しかし一旦太陽を失えば、ウルサスの繁栄なる木の葉はたちまち枯れ果てた、そしてこの土地は互いの養分を吸い取り合う低俗な生き物と更なる腐敗しか残らなくなった。
君が世話を焼いてるその人たちも――
暴力を、四方への虐殺を、自虐を、畏怖と己の図々しさを愛してやまないのだよ……
君は教育と信念で彼らを吸収し、彼らを教化しようと夢見ているが、彼らが君の言うことに微塵の興味もないことをまだ知らないんだね……タルラ、君はもっとこれらを知るべきだ。
彼らはこの土地で幾年も生き延びてきた、彼らは己の根深い悪しき生活方式に慣れてしまっている、しかしそこへ足を踏み入れる君は彼らにとってはただのよそ者に過ぎない。
いわゆる統治者とは、いわゆる貴族とは、いわゆる軍とは……みな逞しい人民にすぎない、贅沢に暮らしている人民にすぎない、訓練を受けた人民にすぎないのだよ。
領地は改編される、軍隊は編制され直される、統治もいずれ崩壊する……
いかなる統治も久しからず、ウルサスの人民がそれに追随したい意志があることを除けばな。統治は永遠ではない。ただ前に突き進んでいるだけなのだよ。
――君が薄っぺらな恩や恵みを換えて得たのは、服従だ、非現実的な期待だけだ。
彼らの本来の姿などなぜ貴様が知っているんだ?ウルサスが彼らをあのような姿に変えたのではないか!
もちろん知っているとも、あぁ、むしろ知りすぎた。
彼らは君についていく、そう思っているのだね?パンのために、ジャガイモ、きれいな水と暖かな焚き火のためにか?君はそんな彼らを承諾するのか?
彼らはついていくさ。そして、彼らが飢えたとき、真っ先に君の身体を自分たちの腹に収めようとするのだよ。
もし彼らに非現実的な幻想を抱いているのであれば、君は彼らを恨むだろう。必ず恨むだろう。
コシチェイ、私は貴様ではない。
私は断じて貴様などではない。
しかし君はもうすでに私と同じだ。ただ甘い夢からまだ覚めていないだけだ。
もし君に目指すべき目標があるのであれば、行くがいい、恐怖で恐怖を滅ぼし、命で命を統治し、犠牲で犠牲を導き、無知で無知を育み、痛みで痛みを生み出すがいい。
方法はすべて君に教えた、それらはもうすでに君の武器となった。あとはこれらをどう使いどうやって……慣れることを知るだけだ。
君の愛する人たちが自分たちの国と自分たちが生きている意味を理解するまでにそうするといい。
貴様のその屁理屈と邪説が何を言いたいのかさっぱり理解できない。
すべて事実なのだよ。すべて、君はいずれ対面する。
ではこうしよう、我が娘よ。君は私を信用していないのだろう。
君と一つ賭けをしよう。
この長い年月の間、私が君の身体の中で培ってきたアーツはとっくに芽を出した、そして実を結ぶときが来た。
……なに……を……?
君はこれから一生、君が固く抱いてきたすべてに疑問が生じたとき、君の同胞と称される者たちに、その自由であるべき人々にほんの少しの恨みでも抱いた瞬間……
君の中ですぐに私たちが交わした契約が履行される。そのときになれば君は私が教えた道を歩むようになる。
これから数年間、君は幸いにもそういった状況には遭遇せず、おとぎ話のごとき土地で生活を送るだろう。
君が対面する人々が遭遇してきた苦しみに、理解することも、それらに迫害されていると解釈することもできるだろう……
私は待とう。この国も待ち続けよう。三年、五年、十年、百年経とうと、君は同じ答えしか導き出せない。感染者となった君にそれほど長い命はないだろうが、その日はいずれ必ずやってくる。
ウルサス帝国は今まさに病に蝕まれている時期にある。作物が荒廃とした土地で育たないように、陰暗な土地では腐敗した花しか咲かないように。
君は君の愛する人々によって裏切られる、君は君の友が君によって死ぬ瞬間を目にする、君は自分の未来に対する期待に意味を失ったことを見つけ出す。
なぜなら他者の目には、君がしてきたことすべては己の身分によってもたらされた圧力を補えないように映るからだ。
君はすべてが犠牲にできることを知る、すべての人が隣人より我が身を大事にすることを知る、君は君の誇らしい奮闘の象徴が実は虚無であることを知る。
君は、君のすべてを捧げたこの大地が君を望んでいないことを知る。
君は君の求めるものが無に帰すところを目にする、彼らが君の尊ぶ一切に唾棄するのを目にする、命も、尊厳も理念もすべて意味を失う。
なぜならその人々は、君が謳っている崇高な人々は、ただの歩く屍だからだ。
私が遭遇したものは、君もいずれ遭遇する。
貴様……貴様は私を……屈服させようと……!
いいや、違うよ。私は確かにこのアーツを使える、これは騙しでも、脅しでもない。
しかし、私のアーツはあまりに弱くてね、君に教えたすべてもこのアーツを構築するための基礎なのだよ。
このアーツは、君が私を否定する間は、なんの作用も働かない。
しかし君が一旦私を認め、私を理解し、君自身がどんな大地に身を置いているのかを理解した途端……
――しとしと、しとしと、ポタ、ポタ、ポタと。
君は私になる。
ウルサスの未来もいずれ君が握るようになるだろう。
……何を言っているんだ?
貴様は何を……一体何を言っているんだ?
意識を操れるのか?思考に暗示をかけれるのか?頭でも狂ったか、私にそのアーツに対抗する方法を教えたのは貴様だろ、貴様が私にその心を操るアーツを見破る方法を教えたんだろ!
とんでもない。
自分の継承者にそのような下作で有害なアーツを施すと思うか?
私はアーツで一つの過程を速めただけだ、君のこの大地への認知、己への疑心、己への懐疑、己を恨み己を見直す過程を速めただけだ。
このアーツを施さなくとも、すべて同じように起こりえる。ただこのアーツは君をより早く到達させるためにすぎない。
正常に都市で暮らせているフリをしている人はみな自身への催眠を習得している。
彼らは現実逃避を、規則と道徳で己を飼いならすことを、失敗した者の卑下な殻で残酷な事実で容易く傷つけられる己の人格を隠すことを得意としている。
私は鎧と、武器と、自我を君に授けた。
そうすれば君は自我に対する疑いと自傷の過程を省ける、君の困難、君の抗い、君の時間を省ける、君は現実に打ちのめされたとしても瞬時に立ち上がり、再生することができるようになる。
君は自我の否定で多くの命を浪費しなくて済むようになる。
私が君に教えたすべては君の脳裏でまた新たに育む、君は繭を剥いて糸を引くようにこれらの知識を新たに編集し直す。
君は君の原初の迷信を打ち破り、豊富な知恵の庭の中で曲がりながらも終わりがある道を探し出すだろう。
タルラ、ウルサスの運命は君次第だ。
黒蛇は君と共にいよう。この朽ち果てぬ意志は永遠に死ぬことはない。
――貴様――
私を呪うのか?
貴様は……貴様自身で……私を創り上げようとしているのか?
いいや、タルラ、これは呪いではない。祝福なのだ。
君を祝福しているのだよ、我が娘よ。
いつか君が人の本性への非現実的な想像から目を覚ましたとき、君は知るだろう、なぜ私たちはこの大地の輝かしい未来のために死して奮闘せねばならないのかと。
嘘だ!で……でたらめを言うな!
そんなはしたない炎国の言葉は教えなかったはずなんだがね。しかし学ぶのもいいだろう、これも君が未来で君を演じるためにもなるからね。
ハッ、当然だ。貴様は私に公衆の面前でこういう言葉を言わせなかった、貴様が言う私の印象を――
――君の出所を隠すためだよ。
私は心から君のために思っているというのに、君はむしろ私のアドバイスに歯向かい、私の言葉を冒涜し、私が教えたすべてを知りなおも逃げ出そうとしてきたな、タルラ……
だが心配はしていないさ。なぜなら君はいずれ必ず私が示した道を辿るのだからね。
人と人の間は恨みによって占められているのだよ、恨みによって統治し、愛によって、彷徨いによって、羨望によって恨みは生まれる。
恨みとは人々の関わりの必然なる結果だ、人が二人いれば自然と統治が産み出される、私みたいにすべての人を平等に愛せることを、除けばな。
私が憎いか、タルラ?私がしてきたことは、この大地が君にすることでしかないというのに。
貴様がしてきたことなど……私には関係ない。
なんら関係はない……!これっぽっちも!
あぁ……いい。素晴らしい。
名を受け継がず、権力を駆使せず、地位も利用しないとは、素晴らしい、我が娘よ。決心は固いのだな。
ならば君自身の手で君のやるべきことを切り拓いていくがいい。君は私の領地と政治資源、私の富と私の力も受け継ぎたくないのであろう、それは素晴らしい。
ではこれらは、君の手で奪い取るがいい。君がそうしてくれれば、私の心願も満足する。
勝手に私の意志を決めつけるな!
いいや、もちろんしないさ。しかし本心でもあるのだよ。このような「贈呈」を甘んじて受けるコシチェイなどいない。勤勉で自尊な我らにとって、これは侮辱とも言えるからな!
君に教えられることはすべて教えた。
君がこれから奪い取ろうとするものはすべて、君のものだ。
我が娘よ……君は実に素晴らしかった。
君は以前の君が抱えていた決裂を手放しても、違う道を辿ろうとしているのだな……
感染者は君のためにほかの領土を切り拓いてくれるだろう。君がしようとしていることはこのウルサスの大地には一つたりともないからね。
(剣を抜く)
私が今日貴様のところに来たのは他でもなかった。よりによって貴様の邪悪で毒に満ちた布教を延々聞かされるとは思わなかった。
ほう。ついにこの日がやってくるのか?
私は常に思うんだ、ウェイは私を殺し損ねた、では彼の傍にいる誰がいずれ私を殺しに来るのかと。その結果が君だったとは、その結果は――当然君だったということだ。
己の父を屠った仇に罰を与える、君が恨む人の代わりにその者が恨む人を殺す。なんと素晴らしい結末なのだろうか。
君の殺戮は私の懸念を証明してくれた、ならば私は抵抗を諦め、君の手によって死のう、我が娘よ。君の行いは君が真理へ向かう橋となる、であれば私は死によって君の基盤となろう。
私は貴様の娘などではない……断じて。
貴様を殺すのは、貴様のこれ以上の悪事を阻止するためだ。
では、タルラよ、君が悪を働け。
もういい。
そして善を働くがいい、さすれば君は私の善行も認めてくれる。
ほう。その剣、執事に収納するように言わなかった……その剣は好きじゃない、君は剣よりアーツを多用してきたが……それを持って行くといい。
その剣は君がどこから来たのかを常に教えてくれるからね……
(吠える)
……その剣は君と私の道も指し示してくれるからね。
私が憎いか、タルラ?
騙されんぞ、老いた毒蛇め!貴様の命はここで終わりだ、この悪人が!
(斬撃音)
スゥー、ゴホッ、スゥー、スゥー……
肺……が……スゥー……
狙いが……まだ……甘いな。
貴様を恨むことはない、コシチェイ。
その恨みが貴様のいつもしつこい上に胡散臭い詭弁の一部だとしても、貴様は恨むにも値しない。
むしろ哀れに思うよ。貴様の死は貴様の孤独と、貴様の妄想がただの泡沫であったことを証明しただけだ。
貴様の話してきたことがどれも荒唐無稽であることを証明してやる、貴様にそれを知る機会はもうないが。
は、は……素晴ら……しい……
私が死ねば、ウェイの……重荷も外れる……
期待しているよ……そのときの……君……の後悔と……君の……恨みを……
……忘れるな……
タルラ、忘れるな。
君の終着点は私であることを。
タルラはゆっくりと剣を公爵の胸から引き抜いた。
彼女の思考はすでに遠くへ漂ってしまった。彼女は城から、都市から、追っ手から逃れた……
種は蒔かれた、あとは芽が出るのを待つのみだ。
そして私たちのところにやってきたと。
もう何年も前のことになるけどね。
……コシチェイが死んだあと、都市はどうなったの?危険な目に逢わなかった?
もし何かがあったら、私は君たちのところには来れなかったよ。
都市は……噂によると、私が去った後コシチェイの領地と財産はすぐさま第四軍集団に割譲されたって聞いた。
私に関しては、誰も気にしてないみたい。自ら姿を隠すような……フフ、町の若手を気にする人なんていないよ。
でも確かに結構遠くまで来たな。気が付いたときは、もうお爺ちゃんとお婆ちゃんの家の前まで来てたから。
あのときの私は、思考が吹っ飛んでたから、来た道に何があったかなんて、憶えてないよ。
お婆さんが私に言ってたわ、あなたに初めて会ったとき、全身血まみれだったって。その服を綺麗に洗うにも、苦労したって。
私の村がひそかにあなたを殺そうとするかもって、考えてみなかったの?
なんで急にそんなことを言うの!?
だって……きっと少しは考えたことはあるんでしょ、って思って。
君たちならそんなことはしないよ。作物の収穫量は悪くなかったし、消された夜の踊りの焚き火や、柵の内にいた荷物運びの獣、それと壁に掛けられた装飾品を見れば……
君たちの生活は豊かとはいえないけど、自分たちの生活は気に入っていることぐらいはわかるよ。
君たちは絶対私を殺しはしない、もししたら、踊りすら心置きなく踊れなくなっちゃうからね。
人を殺したあとになおも素っ気なくできるのは邪悪な怪物だけだ、そんな人はあまりいないけどね。
人のことをいい方に考えすぎなんじゃないの?
あまりにも悪事を見てきたからね。その多くの悪事も当人たちに選択の余地がなかったからこそ引き起こしたにすぎないんだ。
もし選択の余地があれば、私には分かる、この大地のほとんどの人ならきっといい人になるほうを選ぶって。
……コシチェイが言っていたようになるのではなく。
彼はこの世の全員は悪で、あなたも最後はその悪人たちを恨むようになる、あなたは優しすぎるからって言ってたのよね。
……なんてひどい呪いなの。こんな言葉以上にひどいものなんてないわ。
だから、私は絶対誰も恨まない。彼らがしてきたことには必ず何かしらの原因があるからね。
私に促してほしいんでしょ?
そうしてもらうと嬉しいんだけどね。
じゃあ私がいなくなったらどうするの?結局は自分で考えないといけなくなるわ。
そんな縁起悪いことは言わないでよ。
いつかはそうなるわ。私たちの後ろにいる感染者たちも、きっといつか先に去ってしまう。
私たちに残された命で、私たちの生活を有意義なものにしても……バチは当たらないわ。
そうだね。私もそう思ってる。
それを成し遂げるには難しい、アリーナ、難しいけど、でも感染者はもう一度団結するべきだと私は思うんだ。
ウルサスで私たちのあるべきものを取り戻すんだ。もしできたとしたら、この大地もきっと自分の行いを顧みてくれる。
そしたら、感染者だけじゃない……感染者だけじゃないんだ。
ウルサスも、ヴィクトリアも、リターニアも、国も、種族も、出身も問わず……私たちを隔ててきたものはきっと消滅する。
私たちは同じ愛される生活を送れる権利があるんだ。もし何者かがそれを阻むのなら、私たちで私たちのあるべきものを取り返せばいい。
そうしたいのなら、試してみるといいわね。
でも今そうしても全滅してしまう。
そりゃあ第一歩がウルサスに挑むつもりなんでしょ?
私たちの一挙手一投足はもうすでにどれもウルサスへ挑んでるようなもんだよ。
でもね、犠牲もあれば、得られるものもある。その得られるものが私たちのものでなくともね。
私の考えてることはあなたほどじゃないけど……ただ私の印象では、この大地はいつもあなたの予測通りにはいかないわ。
つまり?
タルラ、あなたは得られるもののためなら犠牲を厭わないの?
……
……アリーナ、違う。違うよ。そんなこと……そんなことって……
分かってる。でもそう考えざるを得ないわ。
しない。いや、絶対にそんなことはしない。
私たちがしてきたことには必ずいい結果が待っていると信じてる、原因は簡単だ。なぜなら彼らはその結果を得るに相応しいからだ。この大地の生きとし生ける者はその結果を得るに相応しいからだよ。
……うん、そうね。じゃあ行きましょうか。
遊撃隊と合流するの?
遊撃隊に私たちを認めさせに行くんだ。
難しいわよ。
難しいだけじゃ私は退かないよ。
姐さん!こいつは……さっき俺たちを助けてくれた人だ!
警戒を緩めるな。
はぁ、ふぅ。
噂通り、本当に寒いな、君たちスノーデビルは。こんな寒い冬の日以上に寒い。
君が彼らの指揮官だね?
感染者か?
そうだ。
説明しろ、なぜウルサス軍官の服を着ている。
これまで色んなウソをでっちあげてきたけど、どれが聞きたい?
矢を撃て。
ちょっと待て!君は冗談通じない人だな。スノーデビル小隊の隊長なんだろう?
なぜ撃たなかった?
だってよぉ……あいつは本当に……俺たちを助けてくれたんだぜ、姐さん。本当だって。
……我々を助けただと?
握手をしよう、スノーデビルの隊長殿!誠意を示すのであれば、こちらも平等で尊厳のある方法で示したい。
双方ともに立場を損なわず、落ち着いて話ができるばいいな。
必要ない。
……ものは試しだ。君のことは噂で聞いているよ。
彼らが背負ってるあの源石の結晶は、君のアーツの源かな?
フッ。
もし君の氷を融かすことができれば、少しは話を聞いてもらえるかな?
――ほら吹きめ、できるはずがない。
ものは試しだ。