
楽器店は……あった、ここだ。

すごい豪華なお店だね、本当に楽器屋さんなの?

無論だ、ここはヴィシェハイム一の楽器専門店でな、さもなければ貴殿をここに連れてきやしないさ。

でもボク、ホッホガルテン区に入る申請も届けてないのに、いいのかな……

ハッ、申請の許可をもらった頃にはもうとっくにコンサートも終わってしまっているさ。それぐらいあの役人共は仕事のできない能無しな連中だよ。

何より、申請を届けていないのがバレてしまっても、多少を罰せられるだけだ、心配はいらない。

でも、感染者をアーベントロートから抜け出すように手助けした人は、感染者よりもキツい罰を受けるって聞いたよ……

大丈夫だ、心配するな。

ほら、腰はまっすぐ、オドオドするな。れれで貴殿が感染者だとバレてしまっては面倒なことに――

いらっしゃいませお客様、本日はどういったご用で?楽器ですか?それとも……

無論楽器だ、チェロが見たい。

かしこまりました。

そちらのお方は……?

彼か?彼は私の……

大変恐縮なのですが、不適切なお召し物を着用されているお客様の入店はお断りさせて頂いてまして……

やっぱり、ボク外で待ってるよ……

外で待ってる、ですか?失礼を承知の上でお尋ねさせて頂きたいのですが、ソワソワしてるようにお見受けしますけど、どうされましたか?もしやそちらのお客様は――

おい貴様、誰に疑いの目を向けているのだ?先ほどから服装が不適切だのソワソワしてるだの……よくもそのような無礼な言い回しでこちらの貴族を貶してくれたな、食い扶持を失いたいのか?

確かに少々汚らしいと思うかもしれないが、素朴な恰好をせざるを得ないほど、彼は一時的に困窮してしまっているだけだ。なぜ貴様如きが入店を拒否できるのだ?

大変申し訳ございません!しかし……失礼なのは重々承知の上でございますが、そちらのお客様のご恰好はあまり弊店の格式にそぐわないかと……

格式だと?

私の――従兄弟はついこの間、ひどい災難に見舞われたのだ、宝のように大事に扱っていたチェロもそこで失ってしまった。

私はそんな彼のために、新しいチェロを買って少しでも喜んでもらいたいと思っているというのに、なぜ貴様の店の格式云々を気に留めなければならないのだ!

お気持ちは大変理解できますが、弊店の規則でございますので、適切なお召し物を着用して頂いてからご入店頂きますようお願い申し上げます……

本当に申し訳ございませんが、何卒ご同伴の方にはお引き取り頂ければと……

そこまで言うのであればいいだろう!
エーベンホルツは自分のマントを脱ぎ、クライデの肩にかけた。

これで彼は私と同じものを着ていることになった、どうだ?まさかこれで私が羽織っていたマントが不適切になったとは言うまいな?

私がまたこのマントを羽織ったら、私までもが入店を拒否されるのか?

それは……

少々お待ちください、店長に伺ってみますので……
(店員が立ち去る)

フンッ、外見だけで人を見下すような下衆な輩め!

マント、返すね……

ありがとう。

いいんだ、遠慮するな。

最初から貴殿をここに連れてチェロを買ってやると言い出したのは私だからな。

あの店員と荒事を起こすなことになっても、必ず貴殿をこの店に入らせてやるさ。
(店員が戻ってくる)

先ほどは誠に申し訳ございませんでした、どうぞお入りくださいませ。

弊店店長が何卒お二方のために弊店の楽器をご紹介させて頂きたいと申しておりますので、少々お待ちくださいませ……

こんにちは、あの、今ちょっとお時間を頂いてもいいですか?

あら~、ハイビスカスさんじゃない。

時間ならあるわよ、どうかしたの?

その、容態のほうをお聞きしたくて……

ふぅ……

さっきの店員さんが保安官に通報を入れるじゃないかって、ずっとビクビクしちゃってたよ……

まさか。感染者のことならバレちゃいないさ。ヤツは貴殿の見ずぼらしい恰好を見て、平民として見下していただけだ――

……おっといけない、アレを忘れるところだった。

忘れ物?

コンサートに出演する際の衣装さ。

今の貴殿の恰好はカジュアル過ぎる、それでは舞台には上がれない。

ヴィシェハイム一の仕立て屋に連れて行ってやろう、ほら行くぞ――

でも、体型を図る時に、結晶が……

……確かに、それもそうだな。

なら――アーベントロートで一番いい仕立て屋を探そう。

空は青く澄み渡り~……♪

分かった分かった、もうそれぐらいにしてくれないか?

ううん、もっとお礼を言わせて。チェロも衣装も、本当にありがとうね!

チェロならともかく、衣装はまだ仕立ててる最中だろ、礼なら袖を通した時に言ってくれ。

仕立て上げるのは明日の午後だね!似合うといいな~!

本当にありがとうね!

あの楽器店を出てからずっと、鼻歌を歌ってる以外は礼を言ってばかりではないか。ありがとうならもう十何回も頂いてる、もう十分だ。

うん、うん、ありがとうね。

流れる河は淀みなく~……♪

その曲……

ん?曲がどうしたの?

聞いたことがあるような、ないような……いや何でもない、ただの勘違いだろう。

ところで、なぜチェロを学んでいるのに、肝心のチェロを持っていないんだ?壊れたのか?

昔チェロを教えてくれた先生からもらったんだけど、すぐに壊されちゃってね……今でも家に置いてるよ、でも……この町を出る時は、きっと弓しか持っていけそうにないかな……

弓だけ残しても使い物にならないだろ?

弓を見れば、その先生のことを思い出すんだ。

だから弓まで失ったら、先生のことを忘れちゃうんじゃないかって……

どういうことだ?今もしっかりとその先生のことを憶えているじゃないか?

実は、もうあやふやになって来たんだ……

先生はすごい髪が長いサンクタのお姉さんでね。身なりがきちんとしてて、いつも微笑んでいてて……

昔は本当に、目の前に先生が立っているんじゃないかってぐらい鮮明に覚えていたんだけど……今はもうモヤモヤになっちゃった。

本当は色んな人のことも憶えていたはずなんだけど……

だから、記憶を物として残したいんだ、全部忘れちゃわないよいにね。

……記憶を物として、か。

じゃあツェルニー殿は何で記憶に留めておくんだ?

う~ん、サインでいいかな。

ロドスのハイビスカスは?

ハイビスカスさんなら、ロドスのマークが記されてる空の薬瓶かな?

フッ、適当過ぎないか?

物はなんだっていいよ、思い出すことが肝心だからね。

じゃあ私はどうなんだ?このチェロか?

ううん、別のにする。

先生がくれたチェロみたいに、また壊れちゃったらイヤだし……

それもそうだな。

エーベンホルツだったらコインが欲しいかな。穴を開けて、ちょっとしたペンダントにするんだ、きっと素敵だと思うよ。

私は貨幣で憶えるのか!ははは!

あっ、イヤだった?じゃあほかのに……

いや、変えなくていい、私もいいと思う。

まあ、とにかく、また練習しに貴殿の家に戻らないか?

いや、その前に……ツェルニーさんのお家に寄っていこう。

なぜだ?

だったら私は結構だ。どうせ私を目に入れるだけで機嫌を損なうからな、あの人は。

ただの誤解だって。きっと仲直りできるよ。

貴殿はずっと誤解誤解と言ってるな、私たちが彼と初めて会った時から。

だが、おそらくはもう解くことはできないさ、だから私は遠慮させてもらおう。

でも、昨日はちゃんとツェルニーさん認めてくれたでしょ?

ちょっとずつ誤解を解いていこ?ね?

……

ほら行こ、君に買ってもらったチェロ、ツェルニーさんにも聞いてあげたいしさ。

こんなに素敵なチェロなんだから、聞いてくれる人がいないと勿体ないよ。

こんにちは、少々お時間を頂いても良いですか?

ああ、ハイビスカスか……すまないな、今はちょっと……

何個か質問にお答えして頂くだけですので、そんなにお時間は取らせません。

答えたくない質問があれば、答えなくてもいいですから。

血は、取らないのか……?

はい、許可がない限りは、絶対に。

わかった、質問ってのはなんだい?

午前中の限られた時間内で、こんなにいいチェロが見つかるわけがない。ましてやアーベントロートの中だと尚更だ……

ホッホガルテンに行ったな?

はい。

いい度胸だな。

実は……ボクを店に入らせるために、エーベンホルツがそこの店員さんとケンカしちゃって……

ケンカだと?君の恰好はホッホガルテンじゃ十二分に目立つというのに、まだ目立ち足りないというのか?

「真っ当な恰好でない限り入店はできない」と言われたんだ、クライデの恰好は真っ当じゃないと言ってるようなものだぞ。きっと平民の服装を見て、わざとクライデにケチを付けていたんだ!

貴族だというのに、一平民を庇うとはな。

クライデを庇ってやっただけだ!

貴族にしろ平民にしろ、あの店員が店に飾ってる楽器に触れる資格など万に一つもない!

クライデを店に入らせないで、威張り散らしてるだけの貴族にブランド物を売りつけるなど、高級木材を薪にして燃やすようなものだ!

(頷く)

貴族としてよく言ってくれた。

クライデ君、先にそのチェロに馴染むように練習しておきなさい。

私はピアノ伴奏でエーベンホルツの癖を治せないか試してみよう。

癖を治す……いや、やっぱりそれは――

よろしくお願いします、ツェルニーさん!

(小声)ね、誤解がちょっとずつ解けていってるでしょ?

(小声)ツェルニーさんの君への態度も変わってきているから、あとは君次第だよ。

こんにちは――

魔族か?

さっさと消えろって言ってるんだ、クソが……

……すみません、お邪魔しました。

――おい、ちょっと待て。

なんでしょう?

どうせまた事務所に帰ってやり過ごすつもりだろ?

そんなことは――
(カフェ店員が近寄ってくる)

ちょっと言い過ぎなんじゃないのか?

何様のつもりだテメェ――

何様だと?ウチのコーヒー代を何度もすっぽがしてるお前こそ何様のつもりだ?

あっ、ベルク店長だったのか……いやいやすまねえ、気付かなかったよ……
(横暴な感染者が立ち去る)

ありがとうございます。

いいってことさ。

アーベントロートは感染者の居住区画だからな、活力があるとは言っても、道理が通じない輩もチラホラいる、気を付けたほうがいい。

はい、お気遣いありがとうございます。

これ、俺の名刺。そこにカフェの連絡先が載ってるから、コーヒーが飲みたくなったらかけてくれ、デリバリーですぐに届けるよ。

あはは、はい……

そういえば、ロドスの事務所はずっとアンダンテちゃんが仕切っていたはずだよな、君はここに派遣されにきた新人なのかい?

いえ、私はちょっとここでの異常現象の調査しに来ただけでして。

あっ、そうだ、ヴェングラーさん、鉱石病の容態についてなんですけど――

異常現象?そんなのあったかな……まったく聞いたこともないが。

実はですね……

状況は?

ラッヘマンなら順調に進んでおります。

ウルティカ伯の行動も想定の範囲内です。ラッヘマンに対して妨害行為に動きましたが、本人はあまり関心を持っていないと思われますので、計画に支障をきたすことはないかと。

それは何より。私もラッヘマンの動き一つでロドスの人たちをアーベントロートから追い出したくはないのでね。

ツェルニーについてですが、著名な音楽評論家たちをコンサートへ招待するために、以前から持っていた人脈やコネを駆使しております、それなりの著作権も獲得してるとのことです。

また、嫌々ながらではありますが、以前から気に入らなかった貴族の曲集に推薦文を書いたとも……

そこまでしたのなら、彼も後戻りはできなくなったわね。

先日のあのサンクタはどうなの?確か曲を集めるためにラテラーノからリターニアに来たって、入境申請に書いてなかったかしら?

入境記録によりますと、彼女ならすでにヴィシェハイムを出て、次の目的地に向かっております。

なら放っておいてもよさそうね。

そろそろ時間だわ、私たちもアーベントロートザールへ向かいましょう。

ツェルニー殿とお会いする時間は夜ですので、まだ少々お早いのでは?

ほかにもやらなきゃならない仕事だってあるでしょ。

それに、万が一あの人が気まぐれでアーベントロートザール付近まで行ってぶらつくものなら、それこそ面倒よ。私たちが配置したメンバーたちだけじゃ彼を止められないのだから。