ハァ……ハァ……
クライデ、クライデ!もうやめろ!
何を考えているんだ!?死にたいのか!?
エーベン……
うん……確かに、そう考えてたよ。
ッ!?
チェロでオリジムシを引き寄せて、それから……自分諸共吹き飛ばそうかなって……
でも、君が来ちゃったからには……もうできそうにないかな。
クライデ……一体どう……
小さい頃からね、知ってたんだ……自分の異常な体質に。
ボクとずっと傍にいてくれた感染者の中には、病状が悪化する人もいるんだって。
だからボクとお爺ちゃんは、当時の住処を追われて、色んな村を転々とすることになったんだ。
全員が全員ボクの影響を受けるわけじゃない、長く一緒にいなければ大丈夫だって……ずっとそう思ってた。
でもお爺ちゃんの容態が日に日に悪化しているから、この幻想も打ち破られちゃったかな。
それからハイビスカスさんが教えてくれたんだ、これは“潜伏現象”って言うらしいね。ボクがアーベントロート区に来て、たった数週間でこんなひどい有り様にしてしまった。
……だったら、生きてるだけで災いを呼び起こしてしまうぐらいなら、死んだ方がマシだよね。
そんなわけあるか!貴殿は何も悪くない!
どうして?
……
――ヴェルトリッヒ・メロディエンを知ってるか?
そっか、ボクも……思い出したよ、君のそれを聞いて。
ヴェルトリッヒ・メロディエン、実験で亡くなってしまった人たち、巫王の残党……そして君。
全部、思い出したよ。
だからこれは貴殿のせいでも何でもないんだ!貴殿は悪くない!
悪いのは全部あの巫王、あの残党ども、あのゲルトルートだ――貴殿じゃない!
……うん。
ありがとう、君のおかげで色々思い出せたよ。これは生まれついての体質じゃない、実験から生み出された悪しき産物なんだね。
礼を言いたいのはこちらのほうだ、クライデ。あの時、貴殿がチェロを弾いてくれたおかげで私も色々と思い出せた。
でもね……
なんだ、何が“でも”だ?
今はもうボクの予想を遥かに超えた事態になってる、自分を傷つけることすら制御が効かなくなってしまった。
もしあの伯爵様が言っていたことが本当なら、ボクに残された日は長くない、だからいっそここで……
ダメだ!
私がなぜゲルトルートのウソに引っかかってしまった分かるか?あのメロディエンは他者に移せると言われたからだ!
でもボクのメロディエンは暴走してるんだよね?君に移したって……
試してみなきゃ分からないだろ!
それに貴殿はすでに死ぬ覚悟ができているのだろ?ならいまさら何を恐れているんだ?
でも、君を傷つけたくない!
それは私を傷つけてから言うんだな。
イチかバチかだ、ここで決めよう。
……わかった。
よし、では先に聞くが、普段から頭の中でメロディエンは響いているのか?
音もアーツも、曖昧だが、私はいつもメロディエンの存在はなんとなく感じてしまっている……一音一符知り尽くすも、私のものではない、耳をつんざく酷い旋律が。
ボクも感じるよ。
でもボクが感じる旋律はそんな耳をつんざくようなものじゃないんだ、むしろすごく優しくて――いや、調和し過ぎて、ぽっかり空洞が開いた感じがするほど、って言えばいいのかな。
なら二人でセッションしてみよう、各々が感じてる旋律を合わせるんだ。
セッションかぁ……でも二人っきりの演奏だね、観客がいないから。
いいや、観客なら大勢いるじゃないか。
ムシたちのこと?
あの老いぼれがこの世に残した旋律をムシどもに聞かせる、これ以上の屈辱もないだろ。
フルートとチェロが奏でられた瞬間、二人はあることに気付いてしまった。
両者の旋律には微塵も協調性も見られなかったからだ。
フルートの音色は酷く焦り、狂騒し、耳をつんざく。リズムも一定せず、目の前にある何もかもをも深淵へ引きずり込むような衝動に駆られていた。
一方チェロの音色はゆったりと、物憂げであり、空虚に、リズムも一定であった。まるで天災が過ぎ去った後の更地が如く、そこには何もない。
しかしそれでも二人はがむしゃらにこのセッションとは到底呼べない演奏を続けた。
すぐに、オリジムシたちが潮汐のように押し寄せてきた。
蔓延る臭気の中、メロディエンに人生を破滅させられた二人が、酷く乱れたセッションを奏でる。彼らが奏でているものは脳内に実在するのかすら疑われるほどの旋律であり、聴衆はオリジムシたちだった。
そう思えば思うほど、メロディエンの尻尾を掴んだ気がしてきたと、エーベンホルツは思った。
そしていっそ息を込めてフルートを吹き込むも、クライデのチェロはますます重苦しく空虚な音色を奏でるのであった。
エーベン……
エーベンホルツが俯きながらクライデを見やったが、クライデの頭はすでにだらんと垂れ下がっていて、チェロの音色も徐々に低く、そして虚無へ達しようとしていた。
だがよりによってこの時に、エーベンホルツはナニかを掴めそうな予感がしていた。
彼は全身の力を込めて、思いっきり最後の強音を吹き鳴らる。
クライデも力を振り絞って、チェロで一番太い弦を重々しく弾き鳴らす。
警報のように、音色が広がっていく。
そして先ほどまで二人に押し寄せていたオリジムシたちは、今やむしろ捕食者目にしてしまったかのようにそそくさに素早く退散した。
クライデ……大丈夫、か……?
クライデ、生きてるか……
(重苦しい息継ぎ)
……生きてるよ。
メロディエンの音は、まだ聞こえているか?
……正直、さっきよりもはっきりと……
すまない、私がせっかちなあまり……
ううん、ポジティブに考えよう……ほら、ムシたちを追い返せたんだし――
ちょっと待って……!
どうした?
君が買ってくれた服が――
よかったぁ~……汚されてない。
匂いはどうだ?臭いだろ?
……ふふ、確かに。
気にするな、鼻がひん曲がってしまうぐらいなのはこっちのほうだからな。
思い返すと、昔もこんな臭気まみれになったことがあったものだ。
昔ウルティカの塔からそう遠くない場所にある建物が火災を起こしてな。塔の従者どもは鎮火しないどころから、私のところに駆けつけて一瞬たりとも目を離さずに監視されていたものだよ。
逃げられるかもしれないから?
逃げられるか、隠れられるか、あるいは火の海で自殺を図ろうとするか……
死ぬことすら許されなかったの?
塔にある窓のほとんどにはアーツが施されたフェンスや鎖に覆われていたんだ、私が早まって飛び降りることに恐れてな。
私は大事な大事なマスコットだったからな、死なれては向こうの連中がその責任を負わされてしまう。
ともあれ、結局火が塔まで及ぶことはなかったが、燻ぶられてしまったよ、おかげで全身焦げ臭い匂いまみれだ。
しかもその燻ぶられた時に羽織っていた外套を半月も羽織り続けるハメになった、気温が暖かくなってからじゃないと脱げなかった。
……ボクも色々昔のことを思い出したよ。
お爺ちゃんと一緒に住んでいた場所から追われたから、ボクたちは比較的裕福な村を転々とするようになったんだ。
感染者であることをさえ隠しておけば、ほとんどの村はそれなりによく接してもらえたよ。
本で読んだことがある、農繁期になれば、友好的な村人が夜に日雇いたちに腹が膨れるほどのソーセージとビールを与えてくれるらしいじゃないか、貴殿の時もそうだったのか?
(首を振る)
友好的な村人でもせいぜい小銭を用意してくれただけで、日が暮れるまでにボクたちを追い出そうとしていたよ、物を盗まれるんじゃないかってね。
逆に友好的じゃなかった村人たちからは、カチカチなクネッケと言うことを聞かせるための武器を見せつけられたっけ。
……
ちょうどボクがある村で農作業を手伝っていた頃にね。
すごい熱い時期だったから、全身汗びしょでさ。周りに誰もいないから、その隙に服を脱ごうとしたんだ。
でも脱ごうとした時に、近くで騒ぎが起こってね。
お爺ちゃんが走ってきながら教えてくれたんだ、日雇いの一人が袖を巻いたせいで、腕にあった源石結晶がバレてしまったって。
その人はすぐに廃棄された地下牢に閉じ込められたよ、それからほかの人たちも抜き打ちチェックをするって。
もしお爺ちゃんがいなかったら、ボクもあの地下牢で死んでいたかな。
死んでいたって――感染者を殺すつもりでいたのか?
殺しはしないけど、その必要はないよ。
放っておけば勝手に死んでくれるからね、餓死して結晶化して、それから人体が爆発するだけだから……
その頃はもうすでに感染者の待遇を改善する法律が世に出ているはずだろ?
そんな法律、移動都市に入った時に初めて知ったよ。
……
クライデ――
本当に……
本当に……すまない。
すまなかった。
謝らないでよ、君だってあの伯爵様に騙されただけじゃないか……
違うんだ、もしあの頃、私にもっと勇気があれば――私が手を上げていれば、貴殿は――
本当にすまなかった……
……いいんだよ、謝らないで。
さっき言っていたでしょ、悪いのは全部メロディエンを生み出し、利用しようとしていた人たちだって、君は悪くないよ。
ボクはあの頃、ボクにできることで君を守ったけど……
……君は、君なりのやり方でボクを守ってくれたんだね、ありがとう。
……
そうだな。
ありがとう、クライデ。
ムシ共も退治できたことだ、ハイビスカスとツェルニー殿のところに向かおう……きっと方法が見つかるさ、きっとな。
だから礼なら、貴殿からメロディエンを取り除いた時にまた言ってくれ。
行こ――
クライデ!?おいどうした!クライデ!?
(クライデが倒れる)
症状はまだ落ち着いているので、おそらくはガスにやられて気絶したんでしょう。
こちらが受診した中毒を起こした患者たちの多くの症状と数値を照らし合わせてもクライデさんのと一致しています。
ただクライデさんのこの先のことを考えると……あの伯爵さんが言ってたこともあながちウソではありません、もうすでにかなり危うい状況に瀕しています。
だから私たちに手を貸しているのか?
私は……あなたたちを信じたい。
確証を得たいんです。
状況証拠でも、客観的な事実でもいい、メロディエンがただの憶測ではなく、迫りくる陰謀の一部であることを証明してくれれば――
(クライデのお爺さんが帰ってくる)
クライデさんのお爺さん!?
どこに行ってたんですか!ずっと探していたんですよ!
ウソ、憶測か……
自分の言ってたことが百パーセント真実だと言い切れるのかね?
君がクライデに話したあれのせいで……君から聞いた話のせいで、あの子は危うくオリジムシと一緒に死のうとしていたんだぞ!分かっているのか!
エーベンホルツさん、クライデさんは本当に……?
(ゆっくり頷く)
もしエーベンホルツ君が見つけていなければ、あの子はもう死んでいた!
そんなに知りたがっているのなら教えてやろう、メロディエンは実在するものだ、信じられないというのならわしの首をくれてやっても構わん!
それは本当ですか!?
これ以上君たちに説明してやれる時間はない、わしにはまだやらねばならんことがある。
しかしそれを証明して頂かなければ……
……君みたいな頑なな人は生涯で数人見かけただけだったよ。
ザールの休憩室に行くといい、そこにすべてがある。
そうだ、ザール!
ゲルトルートが言っていた、演奏時のアーツと合わせるために、アーベントロートザールに小細工を施していたと!
では目的地ができたとなれば、今すぐそちらに――
それとツェルニーさんも一緒に連れて行くといいさ、二人して互いを諫められないては元も子もないからね。
じゃ、もう行かせてもらうよ。
(お爺さんが立ち去る)
待って、お爺さ……
エーベンホルツとハイビスカスが目を見合う。
何かが怪しい、だがそんなことを考える余裕など二人にはもうなかった。