(電話の音)
こちら、ライン生命総括クリステン・ライトのプライベートオフィスです。
現在、本人の都合によりお電話をお繋ぎできません、提示された音が鳴った後にお名前とご用件をお話ください。
いや~しくじっちゃったよ、クリステン、しくじりだ……
あの将校さんもバカじゃなかったよ、この前納品する際に、あたしが仕掛けた“小細工”を見抜いたんだ。
彼とフェルディナントの人間にずっと監視されててさ、ここまで逃げるのに何人分もの分身を無駄にしちゃったよ。
ライン生命の方も、きっとすぐにフェルディナントが動くと思う……ほかの課の主任たちはそんな彼に従うか、あるいは知らぬ存ぜぬを貫くのかのどっちかだね。
いや~、もしかしたら今回は本当に逃げられなかったりして。
ちょっと怖くなってきちゃったかな~、まあちょっとだけなんだけどさ……それでも、珍しいじゃん、こんな怖がることなんて?
でも、あたしたちの間で交わした約束なら、ちゃんと守るつもりでいるよ。
……あたしね、クリステン、こう思わずにはいられなくなっちゃうよ……
もし彼女がまだいたら、私たちはとっくに……
ミス・ミュルジス、これ以上の抵抗はおよしなさい。
ライン生命本部からここ商業区まで一晩中逃げるものですから、こっちの時間も随分と無駄にしてくれましたね。
……はぁ~。
もう逃げても無駄、って言いたいの?
あたしがまだツリーマウンズにいる限り、見つけるのは簡単だもんね。
いえいえ、ツリーマウンズに限りませんよ、ほかの都市にいたって一緒です。
ここはクルビアです。法を犯したものなら、その裁きから逃れようだなんて考えないことですね。
……それって、あたしが軍部と締結した守秘条項を違反したから?
なら少しだけうちの弁護士に連絡を入れさせるぐらいの時間を頂戴よ――そんな全身武装させた傭兵をやって、死に物狂いであたしを追わせるんじゃなくてさ。
言いましたよね、ここはクルビアだって。
プロセスというのは明示されてから初めて動くというものです。それ以外の場合だと、専ら効率重視ですが。
……
そっ。じゃあもう少しだけフェルディナントと話をさせてくれないかな?もしかしたらまだ誤解が解けるかもしれないし。
無理ですね、私が受けた命令にそれを許可する項目は含まれていませんので。
あなた……フェルディナントの雇われじゃないの?
フェルディナント・クルーニーとあなたは同僚ですけど、私はただ一時的に手を組んだパートナーに過ぎません。
ライン生命内部でどんないざこざが起こっていようがこっちは微塵も興味はありません。生態課だろうとエネルギー課だろうと、私も私の雇い主もパートナーは誰でもいいというスタンスでいるので。
私たちが求めている事はあくまで結果です。ライン生命が提供してくれるあの産物なら、うちの雇い主がきっとそれをうまく使いこなしてくれるでしょう。
そしてあなたは、以前犯したあの小さなミスのおかげで、完全に私たちからの信頼を失ってしまいました。
……あれはわざとじゃないんだって言ったら、信じてくれる?
ちょっと流れで実験データを保存しちゃっただけなんだよ、研究員の癖というかさ。
癖?半日経ってやっと出た言い訳がそれですか?
残念ですけど、こっちはあなたの特別な魅力にはなんの興味もないんです。
フェルディナントも確かあなたに警告していましたよね、関連する法案が議会を通るまで、ほんの少しでもあの実験内容を外に漏らしてはいけないって。
エルフの血筋はあなたの美貌を先延ばしにしてくれているけど、習慣的な健忘症にもかからないようにしてくれているはずですよね?
なっ――!
知ってたのね、あたしが……
エルフだってことをですか?
対象のプロファイル内容を把握するのも私の仕事のうちの一つですからね。
……
ですので、少しはこちらにも協力してください。まったく効き目もないような幻を作り出そうとしても無駄ですから、諦めてくださいな。
どうやらマジでもう逃げられそうにないね。
――
ほう、あなたはそれで時間を稼いできたのですね……けど、そんなので私の目を誤魔化せられるとでも?
私をただの膂力任せのバカだと、あるいはあなたのあの実験室にずっと引き籠もってる同僚たちと同じだとでもお思いで?
見つけましたよ。
(???がミュルジスにアーツを放つ)
がはッ……
この温度……水分子が……言うことを聞かない……
それがあなたのアーツ……それとほかの特殊な技術だとか?
くっ……
(???がミュルジスに近寄る)
私と学術を論じれる余裕なんてあなたにはないはずですよ、ミュルジス“主任”?
こっちはもう鬼ごっこには飽き飽きなんです、それに突発的に現れる氷水で自分の羽と髪の毛を濡らされても困ります。
はは……あなた……ただの傭兵じゃないね……
お褒めに与り光栄です。
では、最後のチャンスです――私の質問に答えなさい。
クリステン・ライト、ライン生命の総括は、数年立て続けに各企業から大量の純化固体物質を購入して、一体なんの実験をしているのですか?
はっ……ハァ……あなたもあなたの背後のいる人も、みんな総括の実験に興味津々なら、なんでまだフェルディナントに手を貸してるのよ?
質問を質問で返さないください、今私が求めているのは回答だけです。
くっ……
だったら……あなたの欲しがってる回答は……持ち合わせていないかな。
プロファイルを拝読すると、あなたは自分の血筋から与えられた能力で人をおちょくるのが好きなようですね?そんなあなたが、まさかそこまで総括に忠誠だったとは。
忠誠……?
いやいや、あたしはただ……自分のために……
う~ん……どうやらこのチャンスをものにしないおつもりのようで。
では、ミス・ミュルジス――
私たちとの協力関係もここまでですね。
(人形の機械が近寄ってくる)
ここまで……?
殺れ。
……
サリア……
クリステンのほう……間に合ってるといいなぁ……
(人形の機械がミュルジスに襲いかかる)
2:43a.m. 天気/曇り
ツリーマウンズ都市区域
……
あのー、待ち合わせの方はまだいらっしゃらないのですか?
ああ、十分前には到着してるはずなんだが。
まあ、彼女が時間通りに来てくれることなら最初から期待はしていない。だが先ほどの通話からして、私よりも向こうのほうが焦って対面したいと思っているはずだ。
もしかして向こう側は今さら後悔してるんじゃ……
ほら、ライン生命生態課の主任っていつもニコニコしてるけど、絶対本心を口に出したりはしないタイプじゃないですか。
ミュルジスのことなら私も信用はしていない。
今もライン生命に残っている連中なら、誰だろうとそう簡単には信用しないさ。
信頼が協力を得るための唯一の条件というわけでもない。最初私がお前のところに来た時、お前は簡単に私を信用できたのか?
オホン……それは本心を言えってことですか?
ええ、信用はしていませんでしたよ。最初あなたが家の玄関に突っ立てるのを見て、何か身を守るものはないかと探しながらキッチンに隠れて、ついでに通報までしようかと思っていましたから。
それが普通だ。
とはいえ、ライン生命は武力を用いてまで、守秘条項にサインをした離職研究員を脅す必要はどこにもない。
……少なくとも私がまだ警備課にいた頃にはな。
(無線音)
ん、通信か?
……
どうしました?表情がなんだか、険しいですよ……?こっちが鳥肌立っちゃうぐらいには。
状況が変わった。
ミュルジスが来れなくなった。
何か……あったんでしょうか?向こうから用があって会おうと言ってたのに?
エリクソン、一つ頼み事がある。
な、なんでしょうか?
私のところに入ったメッセージをとある製薬会社の事務所まで届けてほしい。
オペレーターたちに、直ちにケルシー殿とドクターに知らせるように頼み込んでくれ――彼らが直近までクルビア領内にいることは分かっている。
彼らの助けが必要だ。
5:11a.m. 天気/曇り
ツリーマウンズ市外、359号実験基地
おはようございます、ドクター。いつも早起きですね。
・規律正しいルーティンは中枢神経データを安定する作用があります。
で、データ?生理データのことでしょうか?
あはは、いつも話し出すとユーモラスたっぷりですね。
はぁ~……一晩中徹夜したっていうのに、これだけのデータしか取れなかったなんて……きっとフランクス主任に怒られちゃうなぁ……
・否定、ドロシー・フランクスの一般的な性格と形容が不一致です。
えっと……それって慰めてくれているんですか?
ありがとうございます……でもフランクス主任に叱責されなくても、フェルディナント主任はどうでしょうね、会いたくないなぁ……
(???が近寄ってくる)
いい加減しっかり睡眠を取ったほうがいいよ、ヘレン。
エレナ……いや、一週間後の査定を考えると、どうしても眠れなくなっちゃって。
本当にどうしてもあの案件を取りたいのよ、うちの奨学金もまだまだ返しきれていないからさ……
……あっ、ごめんね、また二人の前であれこれ愚痴っちゃった。
うーん……じゃあこうしよっか?実験が終わったら、主任にキミのことを話しておくよ。
ほ、ホントに?ありがとう、エレナ~……エネルギー課でフェルディナント主任に物怖じしないのは君だけだよ~、なんで怖くないの?
ふっふっふ、それはね、キミも私みたいに……
一か月もラボに籠って、どんなことでも主任が満足いくようにこなせば大丈夫だって?そ、そんなのできるわけないじゃん……
あっ、そろそろフランクス主任のところに行かなきゃ、またね!
(研究員が立ち去る)
うん、またね。
・……
さっき淹れたコーヒー、あなたも如何?
・過剰なカフェイン摂取は鉱石病を悪化させる可能性があります、エレナさん。
そうだけど、そんな一種の可能性だけで自分の暮らしを諦めたくはないよ。
なんでもかんでもお医者さんの言うことを聞いちゃったら、私も姉さんと一緒にロドスに残るべきじゃん?
キミもでしょ、ジョイス?医療部オペレーターたちができるだけ長く本艦に残ってほしいってぼやいてたよ?
・規約に従い、定期的にライン生命に戻って帰任する必要があります。
・この基地で医療サービスを提供するのは、臨時的な一任務に過ぎません。
うん……あっ、そういえばあと二三日もしたら、市内に戻ってサイレンスさんと会うんだよね?
私もドロシーも寂しくなっちゃうな~。
(???が近寄ってくる)
ジョイスにも休憩が必要よ、基地での仕事もプレッシャーはあるんだから。
それとエレナ、フェルディナントがいつもあなたが彼の部下で一番優秀な研究員だって強調してくれなかったら、私だって心を鬼にして、あなたを市内に追っ払ってやりたいのよ?
ドロシー、やっと顔を見せてくれたね。
ヘレンがさっきそっちに行ったんだけど、見かけなかった?
あらごめんなさい、すれ違っちゃったのかしら……
はぁ~、もしかして最近目が回るほど忙しくしちゃったりしてるの?
だったら私とジョイスに言えたことじゃないじゃん、キミだって何日も寝てないんでしょ?一週間前なんか、君のラボのゴミ箱、目覚ましように試薬剤の箱でいっぱいだったんだからね。
……実験が最終フェーズに入ったから仕方なかったのよ。実験の進捗を早めるって試験者にもそう約束しちゃったものだったから……ほら、そうすると一日でも早く家族のもとに戻れるでしょ?
まあ、実験が早く終わらないでほしいって思う人はいないものね。
それに私はキミの助手だ。仰せのままに、言うことに従うしかないよ。
それじゃあ――私の可愛らしい助手にもう一仕事を手伝ってもらおうかしら?
こっちはあんまり長時間ラボを抜けられないから、この発熱モジュールを外にいる人たちに届けてほしいの。
発熱モジュール?私たちが荒野で一か月以上も探し回ったのに、どこでこれを買えたの?
え~っとぉ……
・警告、ライン生命の技術部品を検知。
ほら、私もジョイスも一目で分かっちゃったよ。これ、自分のラボにある素材で作ったヤツでしょ?
ビジネス課の石頭たちがへそを曲げるかもしれないよ?キミがオリジニウムアーツ応用課の主任でも、関係なくくどくど言われるんだからね。
それは分かってるわ。
でも、あなたはこんな些細なことをフェルディナントやほか主任にチクったりはしないわよね?
……
彼らはどうしてもこれが必要なの。最近は天気も寒くなってきたことだし、臨時的に建てられた小屋じゃ寒風を防げないわ。
……ドロシー。
ずっと言いたかったんだけど……ちょっと彼らの面倒を見過ぎじゃない?
彼ら……開拓隊の隊員たち、ライン生命の雇われ開拓隊たちをさ。
開拓隊は一か所にずっと留まったりはしないから、そんなことをしても向こうから仲良くなってくれることなんかないよ。
彼らだってただの若者たちなのよ。
あなたの言いたいことは分かるわ。私を心配してくれているのよね?彼らが去ってしまったら私が落ち込むんじゃないかって。
私の可愛らしい助手ちゃんはなんて優しいのかしら……
……そんなニコニコしながらこっちを見ないで。私はキミの門下生じゃないんだからね、フランクス主任。
エレナ……
はぁ~、分かったよ、でもこれで最後だからね。
だって……実験もそろそろフィナーレなんだし。
隊長、準備ができたぞ。
……
……隊長?
ん?
緊張してるのか?
緊張?いやいや、まさか。
……でも、もう部屋を七回もグルグル回ってるぞ。今ので八回目だ。
ちょっと……思考を整理してただけだ。これから色々と不確定なことが起こるかもしれないからな。
なあサニー、俺たちは本当にこんなことをしていいのかよ?
……
あの科学者たち、それとあの医者も、みんな俺たちをよくしてくれてるじゃないか。
……最初から言ってるだろ、一度や二度の善意をくれたところでなんの意味もない。
俺がまだロースクールで勉強してた頃、慈善活動に勤しんでいた同級生たちはな――
感染者収容区域に寄付をしたり、構内でアイツらの不公平な境遇にディベートもしていた。
だがな、俺が不幸にも病を貰っちまってから、あの連中が俺の見舞いに何回来てくれたと思う?
何回なんだ?
ゼロだ、一度たちとも来てくれなかったさ。
そんで一年前、大学ん時のルームメイトからちょっと金を借りようとしたことがあったんだ、あの頃のあいつはもう特区最大の法律事務所のスタッフでな。
電話を受け取ってくれたと思えば、どちら様だって聞いてきやがったんだ。
「サニーさんは治療で休学されていたため、卒業者連絡一覧に連絡先が記入されておりません」だとよ――クソッタレが!
まったく、金輪際で一番感動した笑い話だったよ。
とんだクソ野郎だな。そんな連中、俺たちみんなごまんと見てきたさ。
安全な場所から善意を振り撒いてやってるのは、あの連中の単なる自己満足なんだよ、それで話のネタにもできるからな。
考えてもみろ……今この時だって、あの実験基地にいる体裁ばかり気にしてやがる科学者たちは、きっと優雅にコーヒーでも飲みながら俺たちのことで話を盛り上げてるはずだ。
自分の利益に障らない限り、誰だって自分の優しい一面を見せびらかそうとしていやがるんだよ。
分かった分かった、もうそこら辺にしてくれ。
一番見てきたのも、想像してきたのもあんただ。あんたの言う通りだよ。
……だから何も後ろめたい思いをする必要はない。やるんだ。
この基地に、俺たちを思ってくれる連中はいない、俺たちを除けばな。
ささ、ジョイス、このコーヒーを飲み終えたら、仕事に戻りますか。
(開拓隊隊員が駆け寄ってくる)
先生……先生!
……開拓隊の隊員さん?
勝手に入ってきちゃダメだよ……その、消毒とかしていないんだから……
医者はどこにいるんだ?サムが、サムが症状を起こしたんだ!
症状って……鉱石病!?
あんた、医者か?頼む、俺たちのサムを助けてくれ、頼む!
昨日の夜中から、ありえないほど身体が熱くなってるんだ、それについさっきとうとう血まで吐きやがった!
・患者の位置を明確に教えてください。
一番近くにある小屋の中だ……あんたらが以前教えてくれた方法で、あいつに鎮痛剤を飲ませて、今寝かせている。
了解しました。すぐに緊急医療プログラムを起動します。
……ジョイス!
・申し訳ありません、ほかの事務の優先度を下げる必要があります。
……分かった。
止めようとしたわけじゃないんだ。ただ、今回の往診はあまり安全規範に則っていないからさ……
だからジョイス、私も同行させて。
・あなたは医療作業員ではありません、エレナさん。
そんなの気にしてる場合じゃないよ。忘れないで、私も一応基礎的な医療工程の訓練は済ませてあるんだから。切羽詰まってる状況なんだし、人手は多いに越したことはないでしょ?
それにドロシーからも頼み事をされているんだ、どの道行くっきゃないよ。
ここだ!
患者は?
キミたち、邪魔しないで!鉱石病の発症は一秒たりとも猶予が許されないんだよ!
……
な、何を……
・スキャン結果、エンプティ。
動くな!
なっ……ネイルガン?
・付近に急性鉱石病発症者を発見できません。
そうねジョイス、見たところみんなピンピンしてるもの。
じゃないと、こうして私たちに危険な工具を向けたりはしないわ。
(???が近寄ってくる)
両手を上げろ。
キミは……開拓隊の隊長ね。
覚えてくれていたとは意外だな。
隊長さん、私とジョイスをここに誘き寄せてどういうつもり?
すぐに分かるさ、ドクター……ウビカ。
苗字の発音はこれで合ってるか?
中々標準的な発音ね……
すまないがお前たちの通信機を寄越してもらおうか、ドクター。
開拓隊がお前たちの上司に少々モノ申したいことがあってな。