
この嗅ぎ慣れた匂いは……

まだ仕事中なのが憎らしい、アルコールが体内を染めていくあの味わいが懐かしく思うよ。

・君専用の飲料は潤滑オイルという噂があるが。
・酔うと椅子に立って詩を詠い始めるって聞いたぞ。

……そりゃきっとブレイズが言いふらしたヤツだな。

いつもなんで自分の噂話が一番多いのかってボヤいていたぞ、しかも自分が新兵器をテストする段階の対戦フェーズがいつも手厳しいと文句まで言っていた。

言っておくが、“オイル”ってのは私が一番好んで飲んでるカクテルの名前なだけだ。

“ワン・モア・グラス”のバーに通ってる常連ならみんな知ってるぞ。

ドクター、そんなにその類の噂話が気になるのなら、今度ブレイズに誘われても断らないで一緒に行ってやることだな。

Logosたちだっているぞ――

その時になれば、あんたはきっと私に関する噂を忘れてしまうほどの情景を目にするはずだ。

それでサリア、待合いの相手はもう来てるのか?

彼なら毎日ここで二十時間は屯っている。

……どうも、“ツリーマウンズ・サンシャイン”を二杯頼む。

あんたは仕事の合間に飲むような人間には見えんが。

そうだな。

自分の脳がアルコールに邪魔されるのはどうしても慣れない。

相変わらず面白くない女だな、サリア。

この二杯はお前への奢りだ。

しっかりと持っていてくれ、三杯目を頼むつもりはないぞ。

ちぇッ……なんだよ、ライン生命を抜け出した後、あんたも俺みたいに家なき子の貧乏神になっちまったのか?

お前が提供してくれる情報次第では、いくらでも酒代を代わりに支払ってやらんでもないぞ。

フッ、で何が知りたい?言ってみな。

……この試験管に入ってる液体は見えるか?

ひっく、どれどれ……

言っておくが、飲み物ではないぞ。

なら探す人を間違えたな、他をあたってくれ。

右手を見せろ。

何すんだよ?

お前は右利きだが、左手でグラスを持っている。

ということは、お前の右前腕部はまだ皮下移植したマイクロアーツユニットの痛みに苛まれてることになるんじゃないのか?

皮下移植したマイクロアーツユニットだと?

……サリア。

その男と顔の見えない野郎は誰だ?

ライン生命のエンジニア課か?ヴォルヴォート・コシンスキーか?それとも……名前すら言えないあの機関の連中か?

これ以上俺を喋らせないように徹底して口封じにすると、考えでも変わったんじゃないだろうな?

あんたが今言った企業なり組織とは関わっていないし永遠に関わることもない、これだけは保証しよう。

保証?口でそれを言うぐらいなら酒を注文してくれたほうが誠意ってもんがあるぞ?

ドクター、私たちがこの場にいても話してくれそうにないぞ。

……あんたのことを言ってんだよ。そんな怪しすぎる格好のヤツなんざ信用できるかってんだ。

クルビアの科学技術の界隈は狭いんだよ、分かるか?

フルフェイスの野郎は残ってていい、あんたのほうがまだ安全だって思えるからな。

……

・少しだけ休憩しておけ、Mechanist。
・休憩時間だ、君も少し飲みに行ったらどうだ?

いいだろう、傍で見ておこう。
(Mechanistが立ち去る)

サリア、俺から何度もブツを買ってくれたことに免じて忠告してやる――

俺と同じ目に遭いたくないのなら、これ以上詮索するな。

あんたが見せたその液体も、あのパワーアーマーも、裏でこれらを牛耳ってる人は皆あんたが触れていい連中じゃないんだ。

……

ああそうさ、あんたでさえダメな連中なんだよ。

今自分が何を喋ったのか理解しているのか?

もちろんだとも。

私を気付かせてくれたのは君じゃないか、それすら理解できないほど私もまだボケちゃいないさ。

……言いがかりだ。

言いがかり?そうなのか?

ふむ、それはミュルジスの行方不明と自分は関係していることを指しているのかな?それともライン生命の総括の座を我が物にしようとしてることかな?

……

脅したいのなら、もっと説得力のある証拠を見せたらどうなんだ。

まあまあそうカッカしなさんな、フェルディナント。

私たちはもう共に働いて何年になるんだろうね?君は比較的ここへの加入が遅かったとは言え、それでも十年は経ってるんじゃないのか?

そんな君が私のことを理解してないわけないだろ?私が資料と録音データと起草された法案文書を携えながら古い友人のところへ来るような人間に見えるかい?

パルヴィス……

君は私にそうしたが、だからといって私がそれを君にやり返すつもりはないさ。

クルビア人は何でもかんでもまずは交渉の席に置きたがるが、私は君が一番好んで口にするボケたフリをした陰湿なリターニアのヤギジジイだ、それを君は忘れているよ。

何が目的だ?

私はただの通りすがり、ついでに旧友を励まそうとしていただけさ。

分からんな、お前はもっと……総括側に立っていると思っていたぞ。

私たちはみな研究者だ、分からんことは永遠に分かっていることよりも多い、そんな理屈も分からなくなってしまったのかい?それが研究の一番の楽しいところじゃないか。

君もクリステンとよく似ている。二人とも若すぎて、まだまだ愚かだ。

ひたすらに高みを目指そうと上へ上へ突き進んでも、遅かれ早かれ後について来てる人たちを疲弊させるだけ。

私はもう少しだけゆったりと研究に励みたいだけだよ、みんなと一緒に地面へ真っ逆さまだなんてまっぴらゴメンだ。

ライン生命が君の手に渡ったら、二三年もすれば軍やほか大企業に跡形もなく引き裂かれておしまいになるかもしれんが、明日にでもバラバラになる必要はどこにもないさ。

君の私への評価がこれほど高かったとは予想外だよ。

だがね、クリステンを動かす前に、まずは警備課の主任を片付けておかなきゃならんぞ?

今のライン生命に警備課主任なんぞ在籍している覚えはないが。

フフッ、まだまだ若いのにもうボケてきてしまったか。

サリアの辞表だが、今でもまだクリステンの承認を得ていないぞ。

まったくあんたが何を考えてるのかてんで分からないぜ、サリア。

ローキャン……うちの元雇い人がアレをしでかした後、あの事件を口にしようとするヤツはいない。

どんなに実験の仔細を知っていたとしても、みんな口を揃えて関係をなかったことにしたがる。

まあ、それが賢い人のやり方だ。

その理屈で言えば、お前は愚か者ということか?

はは……いいねぇ、あんたは相変わらず鼻につくようなことをポロっと言いやがる。

もし関係をチャラにしたかったら、俺だってそうしてたさ。でも連中は俺を見逃してはくれなかった。

あんたはいつも俺の右手は疼いているかと聞くが、疼いていないわけないだろ?だがな、俺が自分の右手をダメにしないで、あいつらの実験台にならなかったら、あいつらが今こうして生きてる俺を許してくれると思うか?

そんな死に損ないの執刀医がこの俺だ!あいつらが俺に何を埋め込ませていたかを知らないままでいても、この事実だけは変わりはしないんだ!

お前が怒りを顕にするのは珍しいな。アルコールでさえその怒りを掻き消してはくれなかったか。

そういうあんたは随分と人が変わったな、サリア。

数年前に初めて俺のところに来た時のあんたは、怒り心頭だったよ、分かりやすかった。

そうだったのか?

……顔には出ないけどな、あんたは。

だが間違いなく、俺はあんたの怒りを感じていた。当時自分がどういう実験に関わってしまっていたのかと知った時、俺も同じように怒りが湧いたさ。

ライン生命を打ち倒す道ならほかにもある。

あんたはライン生命を立ち上げた創設者の一人だ、ライン生命の組織を狙ってる連中なら、狂ったようにこぞってあんたに媚びへつらうだろうよ。

ライン生命だけに目を向けても問題解決には至らない。

死した猛獣一頭分の血肉さえあれば、より多くの猛獣を養ってしまうことになる。ローキャン水槽の失脚がすでにそれを証明してくれた。

言い訳だな。

ここ最近あんたはずっとライン生命のために走り回ってきた。表ではライン生命と対峙してるフリをしてるが、実際は会社のためにケツを拭き回っている。

今あんたと会って確信したよ、あの噂は本当だったんだって。

――だってあんた、ライン生命のために監獄にまで入って行ったじゃないか。

・マンスフィールドのことか?
・そうは言うが、しかしどこか違和感が……

……真相と噂には齟齬がつきものだ。

ハイドブラザーズが倒れたことで、ライン生命にいるエネルギー課の主任はかなり頭を悩ませているんじゃないのか?

基盤材料の提供先は減って、新しい実験基地の建設申請も尽く却下……結構なデカい案件を何個も取り損ねたって聞いてる。

あいつがどんな実験をしようが、進捗を遅らせなきゃならなくなっちまったようじゃないか。

ハイドブラザーズを監獄に入れさせたのは私ではないぞ。

だがあんたはそれに一役買ってるんだろ。

その後のことなら分かるぞ、ハイドブラザーズがブタ箱にぶち込められたことで、地方検察官がそいつらを利用してもっとデカい獲物を釣ろうとしてる。

なぜ新聞はライン生命を報道しないのか?なぜライン生命はいつもそういった事件から逃れられるのか?

それも全部、あんたがずっとライン生命の犯した過ちを揉み消していたからだろ。

さもなきゃ俺のところにも来るはずがない……

今あんたは、この試験管の中身がライン生命と関わっていないか焦って確認しようとしている。

あんたの内側は、相変わらず警備課主任のままなんだよ。今でもライン生命の後始末を自分の使命だと思い込んでいる。

ライン生命にも、未だにあんたが手放せないようなナニかが存在しているんだろ。あの人であれ情であれ……

はは、分かったぞ、サリア、あんたも感情で動くことがあるんだな!

結局、あんたも俺と同じ生身の人間だったってことか。
(回想)
(炎が燃え盛る音)

暴走だ……実験体が制御不能になってしまった!

拘束器具もまったく通用しない!

実験体の自我意識は検知不能……鎮静剤注射も効き目がない!

実験体が大規模にアーツを展開しているぞ!

バケモノめ……なんなんだあのデカい生き物は……

いや、炎が具現化しているのか……

……今すぐ主任に知らせろ!
(警備課員が走り去る)

火が……ひどい火事……ゲホゲホゲホッ……

イフリータは、どこ……

イフリータ――!
(サリアが近付いてくる)

サリア……!?
炎が廊下を覆い尽くすも、サイレンスはまったく熱さを感じなくなった。
なぜなら自分に向けられたヴィーヴルの目は盾よりも硬く、刃よりも冷たかったからだ。
その内側にどんな感情が秘められているのかなど、サイレンスには分からない。
今でも彼女は分からずにいるのだ、自分がそのヴィーヴルの目を覗き込んでいた時、一体ナニを目にしていたのかを。
(回想終了)

サイレンス先生、大丈夫か?

えっ……

きっと疲れたんだろう。

ここまで先生はずっとモーア先生と俺たちの面倒を見てくれていたからな。

さっきは感情的になって危うく先生に傷をつけることにもなってしまった、本当にすまない。

ロドスはライン生命と違って、先生もグレイも見返りなしに俺たちによくしてくれているっていうのに。

見返りなしに……?

私ね、サニーさん……私だって過ちの一つや二つぐらい犯したことがあるんだよ。

私だってライン生命の研究員だからね。危うく一地域の住民全員を死なせるほどの実験を、主導したことがあるんだ……

え?

それに、私をすごく頼ってくれて、私を親とすら思ってくれている子供がいるんだ。

その子はその実験の被験者だった。

じゃあそこの子は今……

まだ生きてるよ。

生きてるけど……何年力を尽くして、あの子を普通の暮らしに戻してはやれなかった。

容態の悪化を食い止めることだって……

あまり自分を責めないでやってくれ、先生は一度もその子を傷つけようとはしなかったんだろ、そう信じてるよ。

フフッ……

私も昔は、そうやって自分を慰めてたっけ……面白いことに。

本当に憎たらしい人たちは他の人たちだって――昔はそう思ってた。

でも、本当にそれだけだったのかな?
実験の実施段階の第一責任者として、どうして私は最初からこの研究のリスクに察知できていないかったのだろうか?
答えは火を見るよりも明らかだ。
目の前で創造されていく草分け的な成果に自分の目がやられてしまっていたか……
あるいは自分が思ってるほど、自分は優秀な研究員じゃなかったのどれかだ。
それを認めることは、確かに他人を憎むことよりも難しい。

もしかしたら、私が本当に許せない人は……

……

先生にもそんな過去があったんだな。

ただの過去じゃないよ、この基地に来た理由でもあるんだ。

自分の友人を救いに来たんじゃないのか?

それもあるよ、ジョイスは助けたい。

でも、あなたたちも、エレナも、フランクス主任も助けたい。

事態が収拾つかなくなる前に、私は災難を食い止めてやりたいんだ。

……俺の言ってたことを信じてくれるのか?

言ったはずだよ、私は真実を、自分の目で見たものしか信じないって。

ついさっき思い出したよ、これと似たような場面を見たことがある。

私たちを追いかけてるあの銀色の物体――アレはアーツが暴走した際の産物とよく似ている。

そうそう、ベンにものを届けるように頼んでおいたんだ、君宛てにね。もう君のオフィスに届いてるかな。

ベンに?

また忘れたのかい?この前私と茶を飲むように言ってたじゃないか。どもりながらも色々とたくさん話してくれたよ、おかげでお茶のパックが尽きそうになったがね。

君が私に借りを作った憶えはないが。

そうかい?私のキメラ実験の終わり頃、君はそうは言っていなかったぞ。

……炎魔実験か。

憶えていてくれて嬉しいよ。

あの実験の最終段階、私の学生が自制の神経麻酔薬を使ってね。

大した効果だったよ――

いや~、本当にサイレンスは優秀な子だ、また会いたいものだね。

私の実験が中止させられた頃、以前得られたデータをチェックしてみたんだが、驚いたことに偶然じゃないことが分かってね。

なんのデータだ?

私だって君みたいに、たまにはガラクタを探したりはするさ。

ローキャン水槽のことか?あの資料ならとっくに……

手続きの話なら、言わなくとも分かるね?

ローキャン・ウィリアムズは本当に天才だよ。彼のデータを見て気付かされた、私の実験思考は少しだけ遠回りをしていたらしい。

あの時の私は、被験者の細胞を活性化させ、移植した破片をもっとエネルギーと同調させるようにあれこれ考えていたものだったのだが――

それがまさか、被験者の神経反応を抑えるのが正しいやり方だったとはね、誰もあれは予想つかんよ。

抑える……?

そこで君の公式に少々手を加えさせてもらったよ、私の推察をもとにね。

身勝手な行いですまないと思っている、あまりに気を悪くしていないといいんだが。

……救いようがないほどに狡いだな、ヤギめ。

そんな歯を食いしばってどうしたんだい?私はただ君が提出する前に、こっちからプレゼントを送ってやっただけじゃないか。

私を相手する手札が一枚減ったところで、そんなに悔しがることかね?

フンッ、その公式が私の実験の役に立てるといいな。

きっと喜ぶはずさ、約束しよう。

そうだ、もし君が成し遂げたら、ミュルジスの代わりに君が私に黒豆茶十箱の借りを返してくれないかな?

私のあの公式がなかったら、あの賭けは本来私の勝ちだったもんでね。

本題に入ろうか。

――この試験管の中身を聞きたい。

あんたが取り出した時点でも匂ってきていたよ。

間違いない、まったく同じ匂いだ。

はは……俺の手術台で死んでいった魂たちが……また舞い戻ってきやがったか。

濃度も高いし、量も多いしで……

一体誰なんだ……?

誰だって?

ローキャン水槽の跡地から一番多くの遺産をかき集めたのはどいつだと思う?

自分の住処に戻ったら分かるさ、サリア。

……ライン生命か。

フッ、あんたも最初から答えが分かっていたじゃないか。

“ブリキの男”とは会ったことがあるんだろ?そいつがあんたの代わりに俺を見つけたんだよ。

“炎魔実験”の最大の出資元はどこなのか?ローキャン水槽のスポンサーはまた誰なのか?

ほぼ同時期に、トップクラスのラボを何軒も雇用して似たような研究をさせるようなことができるのはどこの誰なのか?

普段そこのラボたちはちんけな特許のために相争っているってのに、一緒に仲良く同じ研究資料をシェアさせることなんて、普通考えたら無理な話だ。

それとだ……

あの生き残った被験者たちが、クルビアから送り出される前はどこの手に渡ると思う?

それってまさか……

あらあら、もうすでに大盛り上がりじゃないですか。

どうやら少し遅れてしまったようですね。



