君が欲しがっていたデータだ。
ありがとう、フェルディナント。まさか自分から持ってきてくれるなんてね。
君と政府部門が動いてくれたおかげで、ローキャンの水槽に残っていた大部分のデータを回収できた。あまり人に知られたくないことだから助かったよ。
それに……君にもこの部分のデータがなぜこうなったかを理解してもらいたくてね。
……
ドロシーは静かに目の前にあるモニターを、呼吸さえ軽んじてしまうほどに注視する。
モニターにはとある映像記録が流れ、そこに一人の白髪の少女が映っていた。
ほとんどの時間、その少女は睡眠と食事を取り、あるいは空っぽな空間の中で呆けている。
また、たまに実験室まで連れて行かれ、1メートル余りもある隔離壁を隔てて、その向こう側にある実験室の中で机や椅子をくず鉄に捻りつぶしていくだけだった。
美しい子ね。
ローキャン・ウィリアムズを思い出すような言い方だな。イカレた連中でしか被験者を“傑作”としてそこら中に見せびらかすようなことはしないと思っていたよ。
そうね、最低限の倫理観すら無視しているって大勢から責めれれていたわ。
倫理観?フッ、そんなもの、リスク回避のために凡人が自分につけた足枷に過ぎんさ。
いつだって科学とは常識を逸脱するものなのだよ。倫理観をもって科学者を批評することは最大の侮辱にすら当たる。
ウィリアムズが叱責された原因は、彼が果てしない未知に狂ってしまい、科学者のあるべき理想を失ってしまったことにある。
最後のところの映像記録を見てみるといい、君が口にしたその“美しい子”がいかにして実験室を天災の現場に様変わりさせたかを――
そう言って、モニターの画面に変化が起こった。
当時の監視カメラに音声は記録されていない、だが抑揚ある悲鳴はそれでもモニターを貫き、数年先の未来にあるこの実験室まで届いていた。
地面を染める夥しい血の池、どれほどの崩れたレンガだろうとそれを覆い隠すことはできない。
……
この子は……結局どこに行ってしまったのかしら?
彼女が関わっていたデータには明らかに改竄された痕跡が残っていた。分かると思うが、ローキャン水槽にある遺産同様、この子も一部組織からすればまだ利用価値があるということになる。
ねえフェルディナント、私この子を探したい。
……
ウィリアムズの実験を継続したいと思っての発言ではないんだろうな?
言っておくが、彼女はもうコントロールが効かない。そんな大きなリスク、ライン生命じゃ到底受けきれんぞ。
……あの子は自らの意志であの実験室に入ったわけじゃないんだから、そんな残酷なことなんか要求できないわよ。
じゃあ治療してやりたいのか?
私たちは医者じゃないんだぞ、この実験の全過程を見た人であれば、尚更そんな妄想を抱くべきではない。
違うの、フェルディナント。
私はただあの子を探して、そして……抱き締めてあげたいだけなの。
だ、抱き締める……?
あの子は……孤独なの、あまりにも。
彼らはあの子の家族を奪って、あの子を誰とも違う人間に作り変えてしまった。
だからどうしても考えてしまうのよ……あの子は今どこにいるのかって。
友だちはできたのかしらって、また敵と出会ってしまってないかしらって。
あの子の声が、どうしても聴きたいの……
過去は変えられなくとも、少なくとも未来ならまだ変えられるでしょ?
ドロシー、君はいつもそうだ……まったく掴みどころがない印象を抱かせる。
君みたいな感情で動く科学者はめったにいない。理性に囚われることがなければ、君もいずれはローキャンよりもイカレてしまうことになるだろうな。
……イカレてしまうこと?そんなの、夢の中で何度も見てきたわ。
だからこそ、あの子を見つけてあげたいの。
もしあの子がまだ生きていたのなら……誰かがあの悲惨な過去からあの子を救ってあげたのなら……
いつか私が狂っても、きっと誰かが私を止めてくれるって、そう信じているわ。