
もう10時か……おい、コーヒーなんか飲んでる場合か?

さっさとケツをコーヒーメーカー横の椅子から自分の持ち場に戻せ。

ブフッ……!

前回お前が提出した意見書は直したのか?今から3時に行われる会議までそう時間はないぞ。

直しましたよ、ほらここに。

前回の会議ではっきりと意見が出されたから、基本的にその場で何個か解決策が思い浮かんだんすよ、直すのにもそんなに苦労はしませんでした。

ほら、スピーチ原稿も用意できていますよ。

もう時間がない、今日から週末の三日に案を決めるぞ。後方部門にこれを実践させる時間も確保しなくちゃならん。

もっと細かく直しておけ、市長の意思は明確だ、前回のとはまったく違う。

火山は人を待ってくれやしないぞ、冗談でもなんでもないからな?

へいへい、分かってますよ。

書いたものを見せろ。

はい、スピーチ原稿も一緒です。

……あのー……

なんだ?

……実はこの案を書き直してた時、ずっと俺たち内部じゃ解決できないモンを見つけましてね。こればかりは会議に出してボスと市長に伺わなきゃならんと思ってまして。

問題って?

まだ確証は得ていないんで、一通り説明しておきます。

ほら、今回俺たちが出した案って区画ごとの移転で、各区画にいる重要な技術要員と重要なポジションにいる管理要員たちを先に避難させるってヤツですよね?

それらの人数なら俺たちだけでもなんとか避難させてやれます。全員移転が済んで、中枢区画での作業を引き継いでもらった後に、残りの人口の移転に取り掛かる。

区画ごとを単位として移転を行うのが大前提としてはいますが、今んとこ出されたどの案も、よその物流企業に頼んだだけじゃ輸送能力が不足っすよ。

ああ、それで?

考えただけじゃ何も出ないだろ、問題を見つけてお前は何か対策を講じたのか?

会議にこの問題を提言して、行政と輸送局に投げるわけにもいかないだろ。
(回想)

……

……物流企業数軒の輸送能力じゃ力不足は明白か……

専門的な輸送管理能力を有する現代物流企業をもってして限界がある……
(電話のベルの音)

もしもし?

シエスタ市政府、市長のヘルマンだ。
(回想終了)
(ノック音)

失礼致します、ヘルマン市長。今日のスケジュールの確認に参りました。

こちらスケジュール表になります。

以上が予定してあるスケジュールになります。

つきましては、先ほどある提携先の物流企業からお電話を頂きまして、午後一時前後にシエスタにお越しになられると。

午後には各部門との人口移転に関する会議の打ち合わせが三件予定されております。スケジュールを照らし合わせたところ、向こうもかなり押されてるようでして、会議がキャンセルされることはないかと。

そちらの会議には私がヘルマン市長を代表して出席致しましょうか?

……君は提携先との面会に同行してくれ、会議なら別の秘書に任せる。

議事録を取っておいてくれ、終わったら私に渡すように。

かしこまりました。

では提携先との面会は各部門とも共有したほうがよろしいですか?

……ああ、伝えておいてくれ。

だが外国との物流企業と提携を結べた場合は、新しい物流管理のモデルを取り入れることも考慮しなければならない、その際はまた会議で新しい案を出してほしい。

分かりました、ではすぐあちらに伝えておきます。

……はい、今のところは。

市長は午後にお客様と面会する予定がありますので、午後の会議は私が先ほど述べた議題で進めてください、こちらがファイルになります。

以上が市長からの指示です。何かお聞きしたいことはありますか?

いえありません、お疲れ様です。

ありがとうございます。
(秘書が立ち去る)

よーし、今からお前に与えられた時間は四時間だ。

はぁ……

これ、俺が前に用意しておいた別の案っす。新しい物流管理モデルを取り入れるっていう提携合意書。

ん?

はっは~、この野郎……

ならいいニュースを教えてやろう。今回の仕事をきちんと納めたら、みんなとびっきりのボーナスが貰えるぞ。

気合を入れていけよ!
(バイソンとオーウェルが姿を現す)

お初お目にかかります、ヘルマン市長。

ご連絡を頂けて誠に感謝致します、今回このように提携を結べる機会を設けて頂いたことに関しても。

構わんさ、提携は双方ともに利益をもたらさなければならんからな。

そちらはご子息でいらして?

あははは!ええ、うちのせがれでして、もっと視野を広げて鍛えてあげようと、こうしてあちこち連れ回しているんですよ。

初めまして、ヘルマン市長。

どうも。

初顔合わせのお礼として、市長殿に腕時計をと――私個人からものです。

気を遣わせて悪いね。しかし今フェンツ輸送様からプレゼントを頂くのは、公私ともにまだあまりよろしくはないかと。

以前話されたプロジェクトの要求ならすでにそちらとの電話会談で共通認識を得ているよ。今日シエスタまで招待したのは、ぜひともその契約を結べないかと思っていてね。

はっはっは、やはり市長殿は仕事が速い。

市政府から頂いたプロジェクト書類ならすでに目を通しています。市政府がこのフェンツ輸送を採用して頂いたことには誠に感謝しておりますよ。

もちろんさ、こちらとしても是非とも今回の提携が結ばれることを望んでいるよ。

では話に入ろう、今回の契約内容について何か思うところはあるかな?

市長殿は誠に率直なお方だ……もちろん喜んで今回の契約にはサインを致しましょう。

しかし相互利益と申し上げられた以上、見積もりについてはもう少し話し合いたいと思いまして。

……

こちらの腕時計ですが――

いつでも、お好きな時に時間を止めて頂いても構いませんよ。

ほう。

中々貪欲なのだな、フェンツ輸送は。

あはははは、誤解しないでください!

今回の人口移転について、こちらは無償でお手伝いさせて頂けるかもしれないと、そう申したいのです。

…………

詳しく聞こうか。

まずはこれをご覧ください。こちらで起草した『プロジェクト契約に関する意向書』になります。

今回は市政府との直接なやり取りですので、今回の提携ももっと一歩先を進めてほしいと思いましてね。

この機会をお借りして、ここシエスタにフェンツ輸送主導の、現地の物流あるいはトランスポーターの制約を受けない新しい物流会社を立ち上げたいというのが、こちらの希望になります。

なるほど。

ではオーウェル殿もその言い分の重さをよく存じ上げているはずではないだろうか。
ヘルマンは静かに椅子の背もたれに身体を預けた。

……オホン。

ヘルマン市長、もうすぐ3時に予定された会議が始まります。

分かった。

中々いい仕事を見せますね、市長殿の秘書は。

秘書は何もその個人の実力だけを見定めればいいものではない。その人がはたして私の意思を汲み取れるか、タイミングを正確に読めるかどうかの能力も重要だ。

市政府はいつだって多くの選択肢に迫られるのでね。

しかし市長殿は時間を有する解決策では急場を凌げないと知りながらも、それを手に取ったではありませんか。

こちらは間もなく3時の会議が予定されている、そこでだ――

フェンツ輸送はこちらに何を魅せて頂けるのかな?

オホン。

市長殿、もし我々フェンツ輸送がその両問題とも解決できると申し上げれば如何致しますか?

私たちは稼ぎに来たわけではなく、問題を解決しに参った次第です。

その“問題”とは何かね?

市長殿がお抱えになられてる問題であれば、なんであれ解決致しましょう。

私がどんな問題を抱えているのかね?

例えば、モデルチェンジとか。

今後フェンツ輸送を主体とする物流企業が創設されれば、市長殿は物流の力を借りて自由に貿易を行ったり、いかなる政治団体の立場に属することなく貿易協定を結ぶことができます――

そしていずれシエスタはその貿易協定の下、中立の立場で各国の市場に参入していき、各国政府及び企業のビジネス活動を支援するに足りる要所となりましょう。

ほう、それはお褒めに与り光栄だ、フェンツ輸送は中々先見の明をお持ちのようだな。
秘書が前に出て、ヘルマンから渡されるファイルを受け取ろうとする。
その際オーウェルが身を前に乗り出す。

市長殿、クルビアにおかれる開拓ビジネスについてはどう思われておりますかな?

トカロントを例に挙げると、あの都市は一年中クルビアの国境周りを回り、クルビアに絶えず経済的な利益をもたらしております。

トカロント?

ええ、トカロントです。

あのような開拓事業を主としている貿易都市の未来というのは、クルビアが策定した計画の範疇に留まります。

開拓都市はほかの移動都市とワケが違う、シエスタならもってのほかだ。

だがそこがクルビアにもたらす利益は、それに相対するほかの独立した地位がもたらす潜在的な危険以上をも上回る、それは知っているよ。

だからトカロントはずっと移動し続けているのだ、荒地でほかの移動都市では得られないものを得ながらね。

この意味をオーウェル殿は理解しておいでかな?

もちろんです。

シエスタがどういう都市であるかはあなたの言い分次第です、あなたは市長殿でいらっしゃるのですから。

しかしトカロントの経済モデルはすでに固定されています、今後それが変化することもないでしょう。

一方、シエスタもこの美しいビーチから身を引こうとしている。

そんなビーチから離れたシエスタがどういう都市かなど、誰が言えたものでしょうか?

……

ははは、市長殿、ご存じの通り、炎国からシエスタまではそれはそれは遠い距離があります。現代の交通を駆使しても、短い距離とは到底言えません。

フェンツ輸送はそんな炎国の龍門から来たしがいない個人企業です、大したことはできません。しかし市長殿に招待されたことで、私たちはここへやって来た。

市長殿、これをご覧ください。

ずっと龍門とその周辺で生業をしておりますが、それなりに稼いではいます。

火山がシエスタに残した時間はほんの僅かしかありません、せがれが結婚するまでの間すら待ってはくれないでしょう。

チャンスは得難く、時間は人を待ってはくれませんよ、市長殿?

……なるほど、それで腕時計を贈って頂けたわけか。
ヘルマンはテーブルの後ろで座っているバイソンを見やる。

この提案についてだが、息子さんは何か意見はないかな?

せがれにですか?

ボクですか?えっと市長さん、今回の提携にボクは何も関与はしていませんのでなんとも――

ははは、なあに、そう構えなくても結構だ、適当に聞いただけだよ。

では今日の契約は結ばれてほしいと思ってはいるのかな?

……フェンツ輸送のマネージャー兼いち役員として、答えは当然イエスです。

ふむふむ。

確かにボクは今回のプロジェクトには関わっておりません。しかし物流会社の発展と未来は必ずしも物資の輸送、ひいては経済と文化の交流に縛られるべきではないとボクは考えています。

ボクたちには考えも能力もあります。その点については必ずやご期待にお応えできるかと。

市長殿、如何ですかな?

はははは。

私のある娘もそうして常にシエスタのことをあれこれと思っていてね。

もう一人の娘とここを離れる際、彼女と約束をしたんだ。彼女が目指すシエスタのために未来を発展させてやると。

移動都市シエスタは、今後も美しい都市のままでいるだろう。

オホン、今回のプロジェクトのために色々と努力してくれたことには大変感謝しているよ。

……

ふむ、もうじき日も沈みそうだ。この時間帯の景色が一番美しい、この際どこか外で話し合われてみるのは如何かな?

これで最後ね。この在庫を全部売り出してから、私たちも荷物を片付けて新しい区画に移動しましょ。

でもやっぱり名残惜しいよなぁ……小さい頃からずっとここで育ってきたし、ここのビーチなんざ砂一粒だって違いが分かるぐらいだってのに……

行く前に砂を瓶詰めにして持っておこう、もう帰ってこれるかどうか分かんないんだし。

たぶん、もう帰ってこれないよな……?

さあね?そんな悲しまないでよ。

あっほらお客さんよ、はやく行って!

こんにちは~、砂虫の炭火焼きですよ~!うちもうすぐ引っ越しちゃうんで、メニューも一新するかもしれないんです。だから今のメニューを食べられるのは今のうちですよ~!

な、なにこれ!

砂虫の……足?

どうした大声なんか出して?

……ふむ。市長殿、絶景を有する以外に、食べ物においてもシエスタは格別なのですな。

あぁ、これか。以前のオブシディアンフェスで、ある娘っ子がここでそれを焼いて売ってたんだよ。

それが案外美味しくてね、今じゃちょっとした流行りの屋台料理になってるんだ。

(ねえ、あれって市長さん?)

(俺に訊くなよ、本物見たことねえんだし。)

(じゃあさ……)

(ああ、少し襟を正したほうがよさそうだな……)

あはははは、一口試してみては如何です?

えっ……

あー……

……いや、遠慮しておこう。

それよりも市長殿……あちらでずっとグルグル回ってる設備は一体……?

あれか?“メリーゴーランド”と言うらしい。

あれもフェスで突拍子にできた娯楽設備でね。なぜだか知らないが、当時は毎日大勢の人がそれに乗りたがるほど大人気だったのだよ。

ほう、そうですか。

お二人は外国人ですか?

じゃあ一本サービスしますよ、味見がてら!美味しかったらまたいらしてくださいね!

あっ、ありがとうございます。じゃあもう一本貰いますので、お支払いします。

あら、礼儀正しい子ね、それになんだか可愛いじゃない。

えっ?……あっ、どうも。

ん?

っておい、俺が傍にいるのにそんなこと言うのかよ。

あはは~いやね、冗談よ!

ヘルマン市長、オーウェルさん、こちらへどうぞ。

海を見ながらの食事は、シエスタに来る観光客の間では定番でね。ここから見える景色は最高だ。

移転した後でも、シエスタはシエスタなりの特色を保持し続けることだろう。たとえ移動都市に移された後でも、彼女が有するものが損なわれることはないさ。

当然でございましょう、市長殿はそれについていつも万全にご考慮されておりますからな。

ご注文の料理が揃いました、ごゆっくりお楽しみください。

うむ、絶景に絶品、この刺身をまた味わい深い。市長殿、先ほどあちらの屋台の店主ら二人がなにやら新しいメニューを考案するどうこうと耳に入りました。

屋台とて色々と考えなければならないものですな。

ビーチにはまだ撤収されていない娯楽設備がある、よければご子息にぜひとも体験させてみてはどうかな?

ありがとうございます市長さん、でもここに残らせて勉強させてください。

オーウェル殿のご子息はまだ歳若くも、しっかりしているものだね。普通この歳なら、とっくにはやくチケットを買ってもらうよう親にせがんでいるはずだよ。

ははは、いずれフェンツを継がせたいと思っていますからね。ただ、せがれなりの考えがありましたらそちらを尊重しますよ。

なるほど、幼い頃から教育しているのだな。

遠く広い視野をお持ちだ。

いえいえ、ご覧の通り、こいつはまだまだヒヨッコですよ。

今でこそしっかりしてるように見えますが、小さい頃は苦労しました。

ご謙遜を。

謙遜してるわけではございませんよ、市長殿。父親なら誰しも同じ経験はされると思います。これから話しますが、どうか笑わないでやってください――

こいつが四歳の頃、幼稚園で親子祭りなる行事が開かれて、それに参加したことがあるんです。

行ってみたら、親子同士の綱引き試合が行われることになりまして、こいつの母親はあまり身体がよろしくありませんから、必然的に私が綱引きすることに……

オーウェル殿の綱引きとなれば、誰も勝ち目はなかったのでは?

……ええ、確かに誰にも負けませんでした、すぐにも優勝しましたよ。

けどそこがいけなかったのです。子供はまだ世間知らずなものですから、自分らも勝ちたいと思い、勝った私らを見るなり一斉に私のところに来て“パパ”と呼んで、綱引きをさせようとしたんです。

ゲホッゲホッ……

奥様のほうは……?

その場にはいませんでした。

それはよかった。

しかしまあこいつがまたキモが据わっていまして!いいものはみんなとシェアすべきと先生から教わったと言って、私を前に押し出したんですよ。

あの時は本当に……何も言い返せませんでした。

ちょっ!父さん!

わっはっはっは!

市長殿も以前、娘が二人いると仰ってましたね?

ああ……

二人の娘だ……
ヘルマンは静かに椅子の背もたれに身体を預けた。

長女のほうは何も心配いらないのだが、下のほうがまたお転婆なものでね。

いや、やはりどちらも心配だ。

ははは、まさか市長殿が娘二人に対してこうも弱かったとは思いませんでした。

昔そのお転婆なほうがヴィクトリアの大学に通っていた時は、まったく私と会おうとはしなかったのだよ。

ある時、そこの教師にあの子の近況を聞こうと時間を割いて大学に向かったんだが……

あの子ときたら、まったく別人を自分の父親と偽って、教師と面談していたんだ。

娘さんも中々キモが据わっておりますな。

まったくだよ。

隣でずっと聞いていたんだが、段々と腹が立ってくるも納得してしまってね……

私のあの娘は……温室育ちの麗しい花かと思っていたんだが、まさか野草のほうだったとは。

あんなことができると言うことは、確かに私の血が流れている証左だろう。だからあの子ならきっと、外でも自ら困難に立ち向かって解決できると信じているさ。

何より、あの子の人を見る目は悪くないのでね。

だからその後、私に偽ったその人に連絡を入れたんだ。

何をされたか気になりますね。

私のもとで働いてもらうようにしたよ。

わっはっはっは!さすがが市長殿!

ならきっと、その人も中々の才覚をお持ちだったのでしょうな。

……オホン……

おや、もしやそちらの秘書殿だったのですか?

恐れ入ります……

わっはっはっは!これは面白い!

それでそのご令嬢は今どちらに?

働きに出て行ったよ。

なるほど。いや実は私もこいつをほっぽり出して世間を見させてやりたいと思いましてね。

龍門に何人か古い知り合いがいまして。いつもふざけたことをする連中ではありますが、こいつなら大丈夫でしょう。

子供をしっかり育てるのは誠に大変なことだな……

オーウェル殿もきっとたくさん苦労をされてきたことだろう。

いえいえ、家内には及びませんよ。

数年前までは、幼い息子と病弱な家内を抱えていたものですから、会社の発展を遅らせてまで彼女らに付き添ってうあろうと考えていたことがあったのです。

しかしまあ、家内が十数通もの手紙を送ってきて圧をかけてきましてね。はっはっは、もしレム・ビリトンと炎国が遠くなければ、本当に飛んでくるんじゃないかという勢いでして……

家内のあの手紙があったからこそ、フェンツとせがれは今みたいに成長できたものです。頭が上がりませんよ。

……オーウェル殿は実に幸運な方だ。
目の前で絶えず打ち寄せる白波を見て、ヘルマンはしばしの間沈黙に入った。

奥様のご健康を心の底から祈っているよ。

ありがとうございます、市長殿。

“市長”か……

ヘルマンで構わない。

ではヘルマン殿……あなたはただの市長なだけではなく、立派な一人の父親であるのですな。

フフフ、オーウェル殿も私の想像を超えるようなお方だったよ。

フフフ……

さあヘルマン殿、一杯頂こうではありませんか。

ヴィクトリアの葡萄で作られた一品です。色味は赤黒く、匂いも濃厚。

ガリア産の樽で熟成されたものですから、焙煎された風味も味わえますよ。

龍門から持ってきた酒です、どうぞお試しください。

――おっと。

これは失礼した、飲み過ぎたあまり手に力が入らなくなってしまったよ。

はっはっは、酒を少し溢してしまうことならよくあることです、お気になさらず。

さあ、改めて注いであげましょう――グラスさえ手元にあればよいですがね。

私のグラスならもう随分と持ち出してはいない。もしまた手が震えて落としてしまったら勿体ないではないか。

はっはっはっは、なら私がお手を支えてあげましょう、そうすればグラスも割れはしません。

なにせ綱引きで全勝した手ですからね。

……フフフ、それなら安心だ。
二人はグラスを持ち、目の前の風景を眺める。
夕日は傾くも、海面には白昼よりもさらに眩しい光が昇ってきたのであった。

オーウェル殿。

なんでしょう?

龍門から持ってきて頂いた酒、確かに美味い。

それに、これは本来ならシエスタには持ち込められなかった一品だ。

……

きっとシエスタも、他国の人たちの口に合うはずだろうな。

ええ、きっと私が持ち込んだ酒も、シエスタならお気に召して頂けることでしょう。



