父の手紙だ。相変わらず、真っ当な人間になれと私に言い聞かせてきている。本当に聞きたいのか?
「……貧者と困っている者を救うのは騎士の本分である。だがそれと同じ道を行く者の選定には気を付けろ。」
「守るべき者たちをお前と一緒に苦しむことのないようにしろ。いつまでも悪人を諭す必要も、弱者たちを取りまとめる必要もない。」
――まるで自分が叱られてるみたいだ、これで満足か?
父は何も私たちのやってることは間違っているって言いたいわけじゃない、ただこんなことをしても結果は付いてこないぞと言いたいだけなのさ。
「作物を救うには、その下に根付いている痩せぼそった土を取り換えてやるしか方法はない。」
11月30日 11:20p.m.
ツヴォネク市外の村落
……ここ二日ぐらい俺たちのふっつ~な村も、中々賑やかになってきたもんだぜ。騎士団団長が直々ここまで巡回しに来てくださっただけでなく、貴族様までお越しくださったとは。
そう思わないかい、ムリナール様よ?
……まずはこの感染者に場所を提供してやれ。今の彼はあの暴動事件の首謀者という罪を着せられている。
む、ムリナールさん、ここがあんたの言ってた安全な場所ですかい……?俺をバウンティハンターに預けるのか?
そう怖がらないでくれよ、金目のものは持ってそうに見えないんだし、強盗まがいなことはしないって。
(不安げに首をさする)
俺たちの騎士様がここに連れて来たというのなら、お前さんも色々と知っちまってるんじゃないのか?
家族はいるかい?いたらトランスポーターを向こうに寄越して、逃げろって一言伝えてやってもいいぜ?
えっと……
ほれ、紙とペンだ。
(ゼノが紙とペンを受け取り立ち去る)
さてと、ムリナール――ふむ、剣を持ったお前さんは大騎士領にいる連中すら畏怖する存在だってのに。
あの都市を出てから、剣すら所持しなくなったとは。
……
お前さんを殺したい人間なんざ、俺んとこだけでも長いの列ができちまうほどいるんだぜ?そこら辺の木の枝一本だけで襲ってきた人を全員追っ払えるぐらい傲慢になっちまったのか?
ではなぜそいつらは襲ってこない?私はここにいるんだぞ。
……剣なら征戦騎士のところで今メンテナンスをしてもらっている。無駄話はやめて本題に入ろうか、トーランド。
ヘッ、冗談だよ。お前が明日剣を取りに行くのは分かってんだ。
もしここでお前さんが俺たちのことを思い出してもらわなかったら、こっちは悲しんじまうぜ。
なんせ……あのままあいつに会いにいったら、そこで死んでたかもしれねえからな。
……
そんなしかめっ面で俺を見るなよ。こんな時間で急にマジメは話を突き詰めてきたってのは、お前さんも何も知っていないわけじゃないだろ。
……なにを知っている?
まだ単なる憶測だが、お前が考えてるのと大差はないはずだ。
ちょいと場所を移そうや。あの可哀そうな人には静かに手紙を書かせてやろう。
もうかなり遅い時間になっちまったが、川の向こうにある工場の灯りはまだ見えるな……かつてパレニスカ家の荘園だった場所だ、懐かしいもんだねぇ。そう思わないかい?
……申し訳ありません、こちらに黒い煙が上がってるのを見かけて、火事が起こったと駆けつけてきたのですが……お邪魔してしまいましたか?
少し日記帳を燃やしていただけだ、気にしないでくれ。革の表紙が燃える匂いは嗅げたものではないな。
そうでしたか、何事もなくてよかったです。
あと、職人団が先ほど例の剣のことで尋ねてきました。
……一先ず放っておけ。その剣の持ち主ならしばらくは取りに来てはくれないだろう、残念だ。
了解しました。では準備もすべて整いましたので、あとは明日のセレモニーまで待機するだけです。
せっかくだから君もここに座って、少し話をしないか?ちょうど今回の行動についての考えを尋ねてみたかったところでな。
では、失礼します。
……しかし、私はまだ一介の若造に過ぎません。経験も何も浅いものですから、あまりご期待に応えられるような返答は出ないかと思います。
構わん、私が前騎士団長にリターニアへ潜伏するよう命じられた時も、一介の若造に過ぎなかったさ。
今回の行動で、一番自ら任務を請け負ってきたのも、見聞を広げてきたのも君だ。君の意見の勝る考えなどないよ。
それに、今の君はマレック家の首席騎士だ。若造と自分を卑下することはないだろ?
……ありがとうございます。
マレック家は元来、真の戦士を輩出することを誇りとしてきました。しかし征戦騎士に加入してから幾星霜、私は未だに我がマレック家の紋章に栄光をもたらしてやれず、慚悔の極みです。
……失礼ながらお尋ねしますが、チェスブロ様はどうなのですか?ここいらはまったく、あなたからそういった話は聞いておりませんので。
私か……まあそうだな、騎士同士ならそういう話になるのも当然か。しかし、我が一族の名はもうすでに消え失せて久しくなる。
これは大変失礼しました、デリカシーもなくそのようなことを……
いや、いいんだ。ただの世話話さ。
以前の私はここら一帯に住んでいてな。
……まだ子供だった頃、ツヴォネク市は辺境を周回し、リターニアの都市と睨み合っていたものだったよ。
晴れた日には、その巨大な影が草原をよく過っていたよ。騎士になりたがっている子供たちの武将ごっこで、誰の木の槍が先に相手に当たっていたかでもめる声が絶えなかったな。
きっとこれが、私の郷愁の念なのかもしれん。
それからは……ご当主様であられる騎士が亡くなられたのですか?
いや、国家反逆の罪状を犯したのさ。
……
当時の私はある家臣の息子だった。歳も若く、語られる身分もない。一族がリターニアと裏で繋がっていることがバレた後、監察会に貴族の称号を剥奪されたんだ。
それは……天光騎士の伝承の話ですか?パレニスカ家は反逆者たちの首謀者として、十余名いる高位の征戦騎士たちを集めるも、陰謀の夜によって誅殺されたという……
しかし、あれはかなり脚色された話のはずです。単身であれだけの騎士たちを相手取れる人なんているはずがありません。ましてやそこにはリターニアの術師さえいたはずですよね?
天光“騎士”か……フフッ。
その頃パーティ会場に入ってきた若い侠客に私は手加減してやってほしいと懇願したが、それでも陰謀に加わった者を誰一人として見逃しはしなかった。
今やあの醜聞はもはや定説になってしまった、これ以上語ることもないだろう。
……君たちが私を次期団長として推薦した時、前団長は承諾しなかったはずだ、違うか?
私が一族の陰謀を死守するのではなく、他者に許しを乞い、誅殺を阻止しようと知っていたがために。
あの方の言葉を借りれば、正義は忠誠よりも高い……だがこれは征戦騎士にとって、実際はとても致命的な欠点を帯びているものなのだよ。
君はそれについて……どう思う?
あの頃の話なら、俺もお前さんらから聞いたことがあるってだけだ。
あの若造が自分のお友だちを連れてやってきた時、兄弟たちがコソコソと耳打ちし合っていたぜ、まさかお前みたいな貴公子があんな義侠心に溢れていたとはってな。
こっちは賭け事にまで発展しちまったんだぜ?
お前さんがリターニアの陰謀を粉砕したことが事実だっていうのなら、“ニアールの次男坊が巨額の負債を抱えたため戦争の英雄キリルから破門された”ってのも本当なのか?
あっ、でも気にしないでくれよ。賭け事つっても花輪を編んだチェスブロがいつ愛しの赤髪のクランタに送りつけるかってだけだから。
……もしくは、お前さんらがいつになったら人のことを良く思い過ぎてる癖を治してくれるか、だな。
……昔の彼がどういう人だったかなど、今はどうだっていいだろう。
彼の今の企てはすでに大勢の無関係な者を巻き込むものになっている……お前が手にしたあの契約書類が本物であればな。
こいつはあの大騎士領からやってきた弁護士が提供してくれた証拠品だ、偽物の可能性は低い。
……
正直こんなにもツいてるとは思わなかったぜ。相手がご親切に資料を全部渡してくれとはよ。
本当ならこっちから脅して資料をもらうつもりもあったんだが……お前さんがいたせいでできなかった。
んで資料の中身についてなんだが、おそらく誰もその重要性には気付いちゃいねえな。
この書類を渡してくれた者が言うには、あの弁護士は法律で少しちょっかいを出したかったらしい。俺たちがカミェン村からの救助要請を受け、ついでに手を貸したようにな。
この一件を気にしてるのはチェスブロの野郎だけだぜ。俺があの弁護士から話を聞かないようにするため、調査の名のもとにハンターたちを捕えたりしてよ……
つまり、このマレックJr.がサインした契約書類はまったくヤツの一族とは無関係ということになる。あいつのバックはきっと騎士団がついてるはずだ。
……一方ゲール工業は要求通り感染者たちを募集してメディアに金をばらまき、襲撃事件を話題に仕立て上げた。
そして今ある感染者が暴動を引き起こした局面を作り出したと。
俺とあいつの関係なら、少なくとも直接俺に相談してくれるとは思ってたんだがね。俺んとこの兄弟たちはあいつが探してる感染者よりもまだ我慢は効くほうだからよ。
あの商人どもが自分の子会社に広告を打つ時、征戦騎士たちはそこからどんなメリットを得られるか考えたことはあるのかねぇ。
……ここまで来れば、公衆のパニックを引き起こすだけでなく、以前“銀槍の天馬”らが大騎士領へ進入するようなことまで起こしかねん。
単純に武力をかざして威勢を示す行為になんの価値もないと言うのに。
ツヴォネク市の慣例に則れば、征戦騎士が市に入るにもあんな手間をかける必要はないはずだ。
まったくだぜ。こんなことのためだけに、お前さんの剣を奪う必要もなかっただろうに。
……ついでなんだが、あいつ俺に言ってたぜ。セレナのために復讐したいってよ。
……私にはなんの分もないぞ。
ハッ、もちろんお前さんを責めたりはしていなかったさ。だが、お前さんに剣を返す約束をしたのには、またなんか理由でもあるんだろうよ。
……
明日はセレモニーだな。
俺もちょうどそのことを考えてた。
その時にはすでにあいつのやりたいことも全部終わって、お前さんが手を挟む必要もなくなったか。あるいはその時にナニかが始まって、お前さんが手を動かすかのどっちか。
最悪の場合はそのどちらも起り得ることだな。たとえば……お前さんにあのリターニア人が両国の友好を象徴する彫像の前で死ぬ様を見せる、とか。
呆れた……そんな愚行に走るなど。
おいちょっと待て、どこに行くんだ?
あんな下作な手段に出るなど、到底見てられん。
話をつけてくる。
……ふむ、これはすまない、難しい質問をしてしまったな。
ただ、今晩のターゲットがまさか貧民街に現れたのは、本当に君の聞いたあの天真爛漫な理由だったとすればと思ってな……
私からすれば、未だにああいった理想を抱いてる人たちというのは死ぬべきではない人たちだ。たとえこの時代がその人たちを呑み込もうが。
フフッ……それで、どうして今回の行動には賛同してくれたんだ?
此度の作戦において、騎士団の心は一つです。
我々はみな、あの都市の繭に包まれて今でも夢を見ている人たちが、そろそろ現実の闘争と迫ってくる脅威に直面するべきだと考えております。
リターニアの拡大主義はすでに端緒を見せました、戦争はもはや止まること知らずです。向こうがすでに平和のベールを引き裂く用意があるのなら、我々も動き出すべきです。
一歩下がって物事を俯瞰したとして、今回の事件はカジミエーシュとリターニアの衝突へは至りませんでしたが、それでも民衆は不安な日々を送るハメになっています。
今回の事件できっと理解してくれるでしょう。自分たちを真に守ってくる人たちはどこにいるのかを。
フッ、動員スピーチの際に私はそんなことを言っていたのか?
あっ、すみません……ただ、皆そう思っているだけです。
……それに……戦場でしか騎士は真に実力を発揮できませんから。
我々は遥か辺境へ駐在する極一般的な騎士団です。輝かしい戦果もなければ、長い歴史もない。規模の中規模と人の目を惹けるような特色もない。
当然、我々のほとんどは騎士一族の従者あるいは家臣、天馬の優れた血統もなければ名門の出身でもない。重要な位置を占める騎士団に身を置くことも本来なら不可能。
ただ、もし戦場に赴く機会があるとすれば、我々は必ずや己を証明してみせましょう。商人どもに我々の勝利を買わせはしないし、敵の砲火の前で畏縮することもありません。
……そういう信念を、今のカジミエーシュ人らみんなが持っていればよいのですが。
まあそう言うな……戦争は元より我々騎士の本分だ。
民衆は弱くていい、恐れてもいい。我々がその者たちに代わって戦をし、その者たちに我々を信用させればそれでいいのだ。
ゴホッ……
あっ、風向きが変わりましたね、あなたもこちらに座られては?煙に燻ぶられては大変でしょう。
いいんだ。
……それ、燃やしたのって……セレナ隊長の手記ですか?
ああ。だが心配はいらない、もう何度も読んだ。内容もほとんど覚えている。
ただ近年ここら辺境の変化も大きい、多くの記述も合致しなくなった。私も早めに処分しておきたくてな、さもないとこの先の足枷にでもなってしまう。
……そうですね。私たちはどうしても、今も彼女のことを偲んでおりますから。
知っての通り、我々が監察会に失望した原因の一つが、あの貴族間の闘争です。
あんな小さい村にある不動産の帰属問題如きに、隊長が犠牲になってしまっただなんて。
実を言えば、あの一件の実情は複雑に絡まった政治闘争の類でもないのだよ。
……だが、結果として彼女を殺めてしまった者たちのことなら、私も君たち同様決して忘れることはない。
あの者たちはずっと待ちわびてきたのだ、我々に復讐する機会を。
征戦騎士へ加わる前から、我々はそれなりに顔がきく人物の恨みを買ってきたからな。そんな者たちは私に剣を抜かせないための見せしめとして……彼女を犠牲にした。
申し訳ありません、詮索するつもりは……
構わない、ずっと口ごもっているわけにもいかないからな。
我々はただ、重税に苦しめられてる人々を、商業連合会の車列に土地を踏みにじられた人々に手を差し伸べてやりたいだけだった……
その者たちのために涙を流すことは、常人であれば至極当然だろう。
我々のやってきた行いは決して不名誉なものではないさ。大貴族と商人どもがメディア共々沈黙を保ち、幾重にも重なった己の罪状をひた隠そうとしているだけだ。
少なくとも騎士同士で、あのような沈黙は不必要だと私は考えている……
騎士は権力に首を垂れるべきではない。他者の苦しみに跪をつくことにこそ価値はあるのだ。
……もしこの先にまた機会があれば、そうしましょう。
今のカジミエーシュでなら、まだ難しいだろう。
理想を追い求めている者とは、そのほとんどが後から気付くものなのさ。自分は平坦な草原を歩んでいるのではない、震えながら僅かな足場しかない断崖絶壁を歩んでいるのだと。
そして我が身を深淵へ投じた者たちなら、その一声すら我々は耳にすることはできないのさ。
……だからこそ私は戦争という雷を以て大地に詰問し、絶望の中から活路を見出してやりたいのだよ。
あいつを探す?探すってどこから?征戦騎士の駐屯地かい?
それ以外あると思うか?
あいつには一先ず手紙を送っておいた、言いたいことならとりあえず全部書いてやったさ。だがそれでもあいつを食い止められなかったのなら、どうしようもねえがな。
……今回の一件は静観してる余地などないぞ、トーランド。
ヤツがすべての希望を戦争に賭ける場面なんぞ見てられん。そんなこと、己が失敗したことを認めることと何が違うのだ?
……ああそうさ、コテンパンに失敗しちまったからこそ、あんな極端な選択に出たのさ。俺たちはそれを理解できるから尚更ムカつくもんだぜ。
あいつにムカついてるんじゃないさ……俺たちをここまで追い込んだカジミエーシュそのものにだよ。
だがいくらお前さんが騎士団に立ち向かい、まあそれができる実力があるとしてもだ……あいつがお前さんの剣を持って行ったのはこのことを見越していたからだろう。
これ以上見て見ぬフリを貫けとでも?
――昔のバウンティハンターたちがなんでお前さんについていくと決めたのか忘れちまったのか?
……
お前が征戦騎士を相手取る必要はない。
じゃあお前さんも、そんな気を遣う必要はないぜ。
お前さんが心配してることなら分かるさ。
何人かのバウンティハンターは今でも騎士たちに拘束されてる、そう簡単には解放してくれねえさ。征戦騎士と真正面からぶつかるにしても、俺たちに勝ち目はない。
チェスブロが一人で喚いているのを見てるだけでも、俺ァ心が痛いぜ。お前さんら騎士様はどいつもこいつもそういう連中だって言わないでくれよ?
……
父の考え方には賛同できない。なぜ自分が土を耕す者であって、他者が育てられる作物だと決めつけられるのだ?
なぜ自分はその作物を土に埋め、もう一度この土を肥沃にしてやれると決めつけられる?
……いや、そんなこと手紙に書いたりはしないさ。いつまでも疑問に思うも、信じるに値する答えが見つからないことなど、騎士のすることではない。
だがその疑問の声を、私はいつまでも憶えておこう。
……心配すんなって、あいつとただ話がしたいだけなら、俺は止めねえさ。お互い水臭くなったことにちょいと気を落とすだけだ。
だが手を動かす前によ~く考えてみるんだな、ムリナール。
ボス。
なんだ?急用か?
はい、あの従者を連れていたリターニアの貴族だが、こっそり帰りやがった。
今帰ったのか?
こんな事態が起こってる中でカジミエーシュから逃れるだと?まったく……現実が見えていないのか?
征戦騎士らが行方を追うのは確実だろう。
はぁ、どうやらもう話してる時間もなさそうだ。
俺がここに来たのは知り合ったばかりの仲間たちと顔を合わせるためでな。だから事態が発展する前に、少なくともあいつらには報せてやりたい。こんな関係もないことで死なせるわけにはいかねえ。
……
トーランド、一つ頼みごとがある。
あのリターニア人の保護を……
……いいぜ。
手段はなんでもいい、とにかくあの征戦騎士たちを食い止めろ、だろ?
ならいつも通り、こっちはこっちのルールでやらせてもらうぜ。
お前さんは?
チェスブロに会いに行く。
ハッ、そうかい。
自分が正しいと思ったのなら、絶対それを曲げたりしないもんな、お前さんは。
んじゃ最後に……一つだけ聞いておく。
――本当にただ話をしに行くわけじゃないんだろ?
……
今宵の夜風は身震いしてしまうほどに寒々しい。見渡す限りの漆黒の中、ただ川の滾る音が聞こえてくる。
そんな川の向こう岸には、静かに工場が佇んでおり、灯りがその巨大な鋼鉄の身体を照らしていた。
我々はまだ日が没したあの時に戻れると、血と炎がまだ熱を帯びていたあの頃に戻れると、我々の足元には今でも長い道が続いていると、人々はそう信じているだろう。
だが今では、そんな過去を思い出させてくれるだけの時間すらない。
欠けてしまった過去に、偲ぶ思いだろうが怒る気持ちだろうが、もはや胸中に湧きたつことすらないのだ。
そんなムリナールは、トーランドに手を伸ばしこう言った。
「――剣を貸してくれ」と。
はい、ターゲットはちょうど移動都市の関所へ向かう高速道路を走っています。
翌日の式典を欠席するほどの臆病者だったとは……まあ、今回の一件が両国の外交関係に影を落とすことになるのは目に見えていただろう。
我々が都市の関所を取り押さえ、ターゲットの出国を阻止しますか?
……
ほかにターゲットを見張っている者はいるか?
……付近には街中のベンチで寝ているホームレスしかいません。
ではセキュリティチェックを建前に、一先ず観光客たちの出入国を制限しろ。
了解。
(無線音)
……お待ちください。
伝令から緊急要請が入りました。
……
だ、大騎士長からの……直々の指令です。
即刻ツヴォネク市から大騎士領へ出向くように、とのことです。