ムリナール、あの二人があのまま音信不通になるとは私には到底信じられん。君たちニアール家の者が、何も行動を起こさないわけがないだろ。
ハッ、私もそう思っていたさ。消えるにしても都合が良すぎる。
そちらも知ってるだろ、ハンターたちが収集した情報はおおよそ三年前の時点、黄金平原の場所でぴたりと断たれた。それからもうあの二人を見た者はいない。
しかしだ、いくら私らがこうぼやいているとは言え、お前はそろそろキリルの世話に戻ったほうがいいのではないのか?
……ここ数年、私はずっとこう考えてきたよ。誰もがニアール家を狙っているとな。
ヤツらは私の兄の功績に嫉妬しているのさ、私みたいなあちこちで邪魔入れする侠客もな。
だが君の兄、スニッツが当代で最も傑出した軍の指導者だったのは間違い。君も私も知ってのことだろ……
いくら嫉妬していようと、彼以上の実力を持ってる人などいるはずがない。ヤツらは戦争に勝ちたくないのか?
もう戦争は必要なくなった、あの連中はそう考えているからだよ。あるいは、もう戦争はしたくないと考えているのかもな。
だからヤツらは鋭利な刃物を仕舞うことにしたのさ……ついでに私を大騎士領に戻るように脅しかけてな。
――戻ってはダメだ!
言ったはずだ。君たちニアール家の者は、何も行動を起こさないわけにはいかないと……
どうしたチェスブロ、なぜそんなに激動しているんだ?眉にまで皺を寄せて。
最近はまた寝つけられなくなっているのか?昨日私たちが救出した者たちがまた捉えられると心配しているのか?
違う、私はただ……
……暗殺を用意するにも、考え過ぎていただけなのかもしれない。
……暗殺?
私は未だに、夢の中だということだったのだな。
……
やれ。
12月1日 2:15a.m.
ツヴォネク市郊外
しかし……
市内に潜伏してる哨兵に命令だ、やれ。
総員、進軍用意だ。
しかし大騎士長から指令が下りた以上、無闇に動くべきでは……
……カヴァレルエレキがこちらの行動を掴んでるのはもはや明白ですよ。
だからなんだ?
そんな脅し文句で騎士の槍が折れるとでも思っているのか?君たちが担いでいるボウガンの矢はなまくらか?
民衆が恐怖する中、自分たちを守ったのはまさに征戦騎士である事実を書き換えられるとでも?それかリターニアが牙を見せても、監察会は微動だにしないとでも言いたいのか?
我々の行いは、監察会ごときが否定したところで変わることはない。
直ちに行動に移れ――これは命令だ。
……申し訳ありません、あなたにはもう……命令を下す権限はありませんよ。
現時刻を以て、騎士団の指揮権は監察会に接収されました。このことはすでに各分隊の隊長、及び武器職人らにも伝わっております。
我々は騎士団の地位のために、征戦騎士の持つべきもののために奮起しただけです……
大騎士長なら、そのすべてを否定するのも致し方ありません。
……私に従うつもりはないと?
では私自らその命令を伝えよう。
(チェスブロが征戦騎士を刺す)
ゴフッ……何を……
(征戦騎士が倒れる)
……ツヴォネク市への伝令ならこれで伝わった、このまま計画通りに進むぞ。
異論はない者だけが、私と付いてくるがいい。
騎士団長は紅に染まった佩剣を鞘に収め、大股で駐屯地へ向かっていく。
夜通し命令を待っていた数十名もの高位の征戦騎士たちはすでに列を成してたが、ただ黙々とチェスブロが通り過ぎていくのを見やるだけ。
列から飛び出す者は誰ひとりとていなかった。彼を止める者もいなければ、彼に敬礼する者さえもいなかったのであった。
(自動車のブレーキ音)
こんにちはお二方、最近事故が多発するもんで、午前零時から六時にかけて市外に出る方には検問を行っているんです。識別番号と関連書類を見せてくれますか?
ほら。
ありがとうございます、少々お待ちください。
それとツヴォネク市の特産品のハーブを香料に使ったジャーキーが売られてますが、記念にいかがですか?
結構だ、どうも。
……
その貴族はどうしようもなく焦っていた。だが税関職員はいつまで経っても彼らを通らす意向を見せてくれはしない。
……リターニアの紋章が目に入ったのなら、仔細にチェックする必要はないだろ?
(飛んできた矢を弾く音)
――なっ!?
この時間帯であれば、目撃者も世論も気にする必要はない。
もしあの塔の術師に弓矢が通用しないのであれば……ジャベリンの使用を許可する。
……後腐れなら気にするな。征戦騎士が手を出したことなど、どこの都市だろうと憶えてくれはしないさ。
(ムリナールが近寄ってくる)
……
フッ、ムリナール。
やはり私を止めに来たか。
私は安堵を感じるべきなのかな?ここ数年来でやっと、君が何か行動を起こしたことに対して。
]君がここに現れたというのなら、今晩ツヴォネク市では正体不明の両者が衝突する事件が起こるだろう。
バウンティハンターも征戦騎士も、誰だろうとあの前進する都市に近づかせはしないさ。
……私はただ、時間通り剣を取りに来ただけだ。
だが手ぶらではないじゃないか。
……
そういうお前はどうなんだ?お前に……付き従う者たちはどうした?
それは君が一番分かっていることだろ。
君が望んだ通り、大騎士領が干渉してきた。あの忠誠な騎士たちならみんな緊急の指令に従ったさ。
騎士の秩序と栄光を守るために、いつまでも利益を被れるために……虚栄の功績に与るためにな。
大騎士領が動いただと……?
――そうか、その顔を見るに……どうやらまだ知らないんだな。
……監察会の視野というのは貴族の血脈に従ってその範疇を広げてきたが、ヤツらがカジミエーシュの隅という隅の動きを掌握してることなら、私にはなんの関係もない。
ああ、その通りだ……君であるはずもない。君は決して監察会や大騎士長に、援助を求めるようなこすいことはしないからな。
だって今もこうして、私を止めに来たじゃないか。
計画がすべて監察会に筒抜けだった。大騎士長自らが指令を下した今、私にはもう戻れる道もない。
何より、行動開始の指令を伝えるために私は、自ら私を止めに入ってくれた部下を殺めてしまったからな。
今でこそ分かったよ、決心を貫くことがいかほど難しいか……やはり当時の君はすごい、尊敬してやまないよ。
……お前の独断専行と私の行いを、同じ土俵の上に置いて語らないでもらいたいな。
君が私よりも多くの敵を回してきたことなら認めるさ。
敵を多く回してきたかどうかではない……お前の手段は歯牙にもかけられたものではないと言いたいのだ。
もし自分の行いに恥じていないのならば、なぜ軍の情報を捏造してまで私とリターニアの訪問客を敵対するように仕向けた?
手段どうこうなどこの際どうだっていいだろ。私はただ……このカジミエーシュと同じぐらい、君にも失望したということだけだ。
ああそうさ。
征戦騎士内部で起こった不祥事が公式文書に残ることなど、監察会は決して許しはしないだろう。だからもし、私が指令に従って大騎士領に戻ったら……
その道中で突如と謎の病に罹って病死を遂げるか。あるいは今の君みたいに、あの高いビル群に押しつぶされて二度と声を発せられなくなるかのどちらなんだろうな?
今のお前に、私の一般生活に指を差す資格などないぞ、チェスブロ。
もし今もなお、多くの者たちに代わってその者たちの戦場の在処を独断で決めつけるのであれば、お前は因果応報と言わざるを得ないだろうな。
庶民のために戦を被るのは征戦騎士の本分だ。
無防備な庶民を最初に見捨てるのが戦争というものだ。
……お前にはまだ賢明な選択をする理性は残っているはずだろ、違うか?
その選択が、たとえ征戦騎士の部隊に戻るというものではなかったとしても。
“残っているはずだ”、だと?ならこのままカジミエーシュから逃れろと言いたいのか?もしそれが唯一にして正しい選択だと言うのなら、なぜ君は今もここに残っている?
それともこれが私にとっての最後のチャンスであっても、何かもを諦めろと言いたいのか?
――カジミエーシュには本物の暴力を必要としていることを、激烈な変化をもたらす戦争を必要していることを理解しているのは君のほうだろ!
……いいや。
そんなこと一度たりとも思ったことはないさ。
……
そうか。
私たちは長年知り合って、お互いのことは何でも知ってる体を貫いては、色んなことを口に出さずに抱えたままでいたもんだな。
だが今となってようやく理解したよ、そのほとんどは単なる誤解に過ぎなかった。
本当にしっかりと話し合うべきだったよ。昔みたいに、あの森の間に開けた平原で、明るく燃える篝火の前でな。
……もし今、私を阻むつもりがないというのなら、また昔みたい木の枝を槍に見立てるだけで済ませよう。
……お前は少し頭を冷ましたほうがいい。
(複数の矢が飛んでくる)
旦那様、お身体を低くしてください!近くに何人もの弓使いがいます!
……ヤツらは一体何者なんだ?なぜ昨日からずっと私を追い掛け回している?
アルシア、逃げるぞ!ここは検問所なんかではない!
検問官殿、もし轢かれたくなければそこを――
(検問官が倒れる)
ちょっ、待て待て待て!人身事故だけは勘弁してくれよな!
こっちの連中が道を塞いでいたヤツらを倒したことに免じて、お二人さんも落ち着いて、アーツを引っ込めてくれないか?
なんせ激しいエネルギーを受けちまったら爆発しちまうトラップが置いてあるからよ。それで車が故障でもしたら、お前さんらもリターニアに帰り辛くなるだろ。
一体いつからそこに――
(トーランドがリターニアの貴族を捕らえる)
むぐぐ――
旦那様!
おっと、すまねえ。
簡単に言うと、ちょいとこの貴族さんをここから連れ出したいと思ってんだ。ご協力願います?
(トーランドが従者の攻撃を弾く)
おい待て待て、ここのトラップが爆発しちまったらみんな仲良くあの世行きなのは本当だぞ?
それにお前さんよ、ここにいる全員を相手にできるほどの実力もねえんだろ、ならこっちの条件を呑むってのも手なんじゃないのか?
私たちの間に話し合えることなどない、この傭兵め!
(トーランドが攻撃を弾く)
ほう、お前さん……爆発でここにいる連中全員を巻き込んで、旦那さんを逃がしてやりたいって算段かい?
はぁ、やっぱりお前さんら塔の術師ってのはイカレてやがるぜ、どうしても好きにゃなれねえ。
(打撃音)
……っとまあ落ち着け。何も自分の命を犠牲にするまでもねえさ。
検問官はウチらのモンじゃねえ、周りに潜んでる弓使いもだ。
……続けろ。
おっ、聞いてくれるのかい?
この業界に居座ってると、別の連中と同じ目標を奪い合うってのは日常茶飯事でな。しばらく生かしてくれる連中もいりゃ、ここでキレイさっぱり処分する連中だっている。
そこんとこをよーく考えてみてくれ。
それと、ここを出て南東側に30分ほど進んだ道路わきに小さな村がある。そこの一番高い家には今にも落ちそうなエスカッシャンが掲げられてんだ。
もしそこで待っていてくれれば、こっちも色々とやり易くなるんだが、どうだい?
(戦闘音)
……懐かしいアーツの光だ、やはりこれがニアールというものか。
本でキリルにまつわる伝説を読んだことがあるよ、街の広告にでかでかと映された耀騎士の名も見たことがある。君の口から、君の兄の昼とも錯覚するほど眩い光のこともな。
だがそれだけだ、私の知るニアールはそれだけだ。
まるであの時、裏切りを画策していた宴会と同じだ……ドアを開ければ、私は血の池を目にすると思っていたんだが、眩い光の雨に晒されてしまったよ。
(チェスブロがムリナールに襲いかかり、ムリナールが攻撃を防ぐ)
……あれはもう何年も前のことだ。
ああそうさ。昔話としてほのめかされるのは、なんとも悲しいことだ。
一体これまで何をしてきたのだ?君の剣術……さらに磨きがかかっている、光もさらに眩いものとなっているじゃないか。
剣に負わせたエネルギーだけでも、重い槍の全力の一撃を弾くこともできているとは。
自分で分かっているのなら、なぜわざわざ私に聞く?
……君が能無しでないことを信じているからだよ。
セレナが大騎士領で国民院の裁判を受けていた時、君が彼女の冤罪を一つも証明してくれなかったわけがない。
彼女がその後、音もなく消息を絶ったことなど信じられるものか。ましてやあれから君が一度も彼女に会わなかったこともな。
……
自分が能無しであるのを痛感させることは多々あるさ。
君があんなもので歩みを止めてしまうとは思ってもみなかったよ。
国民院の前で無実を証明することにはなんの意味もない、私たちでは彼女を救うことはできないのさ。
だが過去の君は違った。君はあの国民院ですら見いだせなかった公正を、その法典に刻んでやれたはずだ。
……あの争いにはあまりにも多くの勢力が加勢していた、判決を言い渡された者だけでも十三人はいる。一条の法文だけで、ヤツらに公正をもたらしてやることなどできるはずもない。
それで君はこう考えたのだな。彼らが受けた冤罪は自分の日常を犠牲にしてまで挽回するものでもないと。
――死ぬのが怖くなったのか、ムリナール?それとも、もはや己の生死を天秤にかけるものでもないと思え始めたのか?
征戦騎士の一撃はどれも重い。
チェスブロの槍も、本来なら重装甲と堅牢なる盾、そして城塞と鋼鉄の被造物に差し向けるべきものであった。
だがその槍も今やほとんどは、行き場のない怒りと、見えない敵を虚しく突き刺すのみ。
(ムリナールとチェスブロが互いに引く)
……足取りが崩れかけているぞ、チェスブロ。そんな初歩的な凡ミスは犯さないでもらいたいな。
もう一回そんなことをすれば、お前の甲冑に裂け目ができるだけじゃ済まされなくなるぞ。
フッ……
もう随分とお互い手合わせしてこなくなったはずだ、違うか?きっと君が想像するよりも、今の私はなにかと少しおっかなく見えるだろう。
君はどうなんだい?あの時、私たちがずっと諫めていようが、君も刃を収めようとはしなかったじゃないか。
両者が再び激突する。
振りかざした長槍は地を割き、岩をも砕く。飛び散った石屑はアーツの輝きを受けて火花を散らしていく。
……よくぞ避けた。
あの時の君は、惨めに許しを乞う貴族と君に脅された商人がどう思っていようが何も気には留めなかった。都から警告文が来ようが、すべてが徒労に終わろうと何も思わなかった……
そんな君はいつまでも大騎士領に戻ることもなく、正義のために己の命を燃やし尽くすことだってできたはずだ。
……だが今はどうだ?
……
もし今の君にできないのならば、私を見ていればいい。
私が君の代わりにそれを成し遂げよう。
――そんな信念だけで、私のやるべきことを取って代わるつもりか?
(ムリナールがチェスブロに斬りかかる)
ニアールの剣捌きは、まるで剣身から雨水を振り落とすだけの所作に見える。
燃ゆる黄金色の光は征戦騎士の甲冑に落ち、燃えた痕を一本一本焦がしていく。
今のお前は軽はずみにも命を投げ捨てようとしている。希望も何もないというのに、それでも頑なに顧みないつもりか?
……私はお前にこんなところで死んでほしくはない。
お前の計画は実現しないし、実現できるわけもない。なのになぜそこまで執着する?
ゴホッ、ゴホッゴホッ……
おや、お目覚めかい?
すまねえな、ちょいと迷惑をかけることになっちまって。
ついでに言うと、今は薬剤を運搬するトラックに乗っている。この割れちまったフロントガラスは、まあ運悪く弓矢のせいでこうなっちまった。
お前さんをここまで連れて込むのに随分と手間がかかっちまったもんだぜ。ようやっと地下の輸送通路に逃げ込むことができたから、少しは休めるだろうよ。
朝方になるとここってば結構道が混み始めるんでさ。荷揚げに不法の取引、事故に見せかけて横転しちまった車両など色々起こる……
お前たち……一体何が目的だ?アルシアは……アルシアはどこだ?
お前さんの従者のことかい?今頃市外で待機してくれてるはずだ、向こうが協力してくれればの話だが。彼女にもちょいと敵の目を分散させてほしかったからよ。
安心しろ、彼女は優秀な術師だ。一人で彼女を追っていった弓使い程度じゃどうにもならねえよ。
そんで俺たちは……まあ強いて言うなら手伝いに来ただけなんだが、それでも少しは前金をもらちまってる。依頼人が中々いい値段を出してくれてな。
そんでこっちの兄弟も何人かが負傷しちまってる、あいつらが流した血の補償とはなんだが、お前さんともちょいと報酬の交渉がしたいんだ。
――だから今はその杖を収めてくれないか?昔っから生憎リターニアから逃れてきた術師たちとは手合わせ願いたくないんでね。
……状況は理解した、報酬ならある程度は払ってやる。お前たちのことも詮索しないでおこう。
こちらとしても、このまま平和的に交渉できるのなら何よりだ。
そいつは助かる、こっちもただ仕事を請け負っただけだからな。このトラックがブツを指定の場所まで送り届けた後には……無事移動都市から出られるだろうさ。
……コンテナの中身は何も入っていないように見えるが。
お前さんをブツ扱いにしていいのならそうするが?
このトラックはレンタルしたもんなんだ。通行許可証だって借りたヤツでな、多少はフリをしなきゃ、人の目は誤魔化せられねえだろ?
……それに万が一お前さんの従者がしくじったとしても、この海外企業の通行証を持っていれば、お前さんを無事リターニアまで送り届けることができる。
……どうしてそこまで……
いやなんでもない、これ以上は詮索しないと言ったからな。
ご配慮どーも。ところで、待ってる間は暇なんだし、ここいらで報酬の話に入ってもいいかな?
私が……何に執着しているだと?
この社会には明白なルールというものがある。明確の指標が存在する日常においては、正しい選択を導き出すのに古めかしい計算機を使用する必要はないだ。
ではなぜ、我々はそれ以外の賢明な選択とは言えないものを選んではならないのだろうか?
私には分かっているさ、監察会から招待されたことがあるのだろう?ニアール家の一人ひとりが招待されたように。
騎士という騎士をあの競技場に放り込んで辱めを受けさせようとする商人なら言わずもがなだ。
本当なら、君は選べたはずだ……巨大な権力を、地位と富を。本当なら君は、より多くの人々を救ってやれたはずだ。
だが君はそうしなかった。
君だって頑固な人間だ、それなのになぜこの私を諫めることができる?
私が征戦騎士の部隊に戻り、新たに貴族の家臣としての道を歩み始めたのは、私と同じ道を歩んでくれる者を探すためだった。
……誤解しないでくれムリナール、私は何も戦争を求めていたわけではない。戦争は必ずやってくるさ、それを騎士たちは担わなければならない。
塔の影を、北風に混じる慟哭を知る者はほとんどこの国から消え失せた。その代わりとして競技場に流れる血に拍手喝采するようになったが、その人たちを咎めるつもりはない。
騎士道精神は今もなお征戦騎士の中で輝き続けている、だがその輝きは断じて武器が見せる輝きではない。私とて、人々に暴力や荒野に埋もれる死骸を見せたいわけではないさ。
私はただ、略奪や侵略、あるいは他者の命を奪うことだけでなく……他者のための犠牲になれるという選択もできることを、人々に知ってほしいのだ。
騎士の血とは、そのために流れるものだからな。
――騎士の栄光は他者なんぞに見定められる必要はない。
地に足を付けることを諦め、運命すら自分ではどうにもならない戦争に委ねたお前に……騎士道精神を語る資格などあるものか?
お前の行く道を敷くために倒れた者たちに涙し、悲しみを覚える資格などどこにある?
(ムリナールがアーツを放つ)
一滴の雨粒が槍先に滴り落ちた。
霧雨が降りしきる朝が顔を出してきたかのように、光は森を覆う夜霧の間に弥漫する。
……あぁ、ようやく本気のアーツを見せてくれるのだな。
だがこちらは全身を武装で固めている。基礎的な防具すら身に纏ってはいない君相手では、公平な決闘とは到底呼べないな。
征戦騎士の全力の一撃を防げる甲冑など存在するか?ましてやお前が繰り出す一撃だぞ。
フッ、なら結構だ。
待て、お前は……
中々いい目をお持ちで。
とはいえ、こっちと二か月も手を組んでやっと知ってもらえるお貴族様もいるけどな。
まっ、一目見て分かってくれても、まるで最初から知らぬ存ぜぬといった具合でまったく口にしてくれなかった人たちもいるが。
……サルカズの傭兵。カジミエーシュの金は、お前たちみたいな連中すら買収し得たのか?
そいつは買い被り過ぎだぜ。お前さんが俺たちをどういう目で見てるかはどうだっていいが、ここに潜んでいるのは何もサルカズだけじゃないんだぜ?
確かにカジミエーシュは俺たちを同じようなものとして扱っちゃいるが、それはあくまで向こうがどういう連中を見捨てたかによるな。
……
なんだ、ビビっちまったか?
サルカズの唯一特別と言える点なら、ほかのカジミエーシュ人より多少長生きできるってことだけか?あと、俺はまだ若い部類だぜ?
……しかしまあ、見知った連中がどんどん減ってきちまっているのも確かさ。
(戦闘音と雨の音)
ゲホッ……
しんしんと降りしきる雨。銀色に砕けた甲冑の破片。
その砕けて空いた穴からは赤い血が流れ出ていた。
……ここまでにしょう。お前の負けだ。
まだだ……
負けだと?誰に負けを認めろだと?
……
その征戦騎士は再び槍を握りしめて、前方へ突き刺す。
だが彼の足取りが前へ進むことはなかった。
……誰に向けて、負けを認めろと言っているのだ?
一歩よろめき、金色の雨粒が彼の頬を濡らしていった後、その騎士はついに倒れてしまった。
彼は顔を上げ、顔に降りしきる雨の中でも目を見開き、黙々と彼を見つめるニアールを直視する。
――監察会の高いビルの中で胡坐をかき、権謀と虚名に酔い痴れている貴族たちにか?
それとも滑稽なウソで世を塗り固め、歪曲した欲望をおもちゃとしてカメラの前に映し出す商人どもにか?
私に、自分はついぞその貴族の血筋によって固められた組織の権威には抗えなかったと認めさせたいというのか?
それとも私に、このカジミエーシュから逃げ、闘争を諦め、我々が敵視してきたすべてに首を垂れさせるつもりか?
ゴフッ……
……私はただ、もうほかに歩める価値のある道が見えなくなってしまっただけさ。
そのたった一つの可能性すら、君は否定するのだな?ならその剣をもって私に証明してみせろ。
……もしそこまで私が間違っていると思っているのであれば、私は受け入れよう。
だが私は権力にも、金銭にも屈せはしなかったさ。ましてや生きたいという意志にも、無駄に過ごしてきた月日にもな。
……いいや。
ムリナールが剣を収める。
日が昇る前の寒々とした夜の中、ただ光の雨だけがしとしとと降り注でいた。
言ったはずだ……お前はここで死ぬ必要はないと。
相手が振り向いてくれさえすれば、彼はこう思った。私も手を止めよう、と。
……フッ。
ムリナール、なぜ君はそこまで諦めがつくのだ?
私以上に苛烈な怒りを抱いていた君が。私が見てきたすべてを、君もかつては見てきたはずだというのに。
……
君が見ていないはずがないさ……
商業連合会が征戦騎士に口出しするようになって随分と時が経つ。己が栄誉を物として売り捌き、あまつさえ商人に身を投じて武装への野心をかき集めようとする騎士たちも増える一方だ。
リターニアも……巫王の塔が崩れた後、ヤツら十分と言えるほど休めただろう。私はこの目でヤツらが戦争へ向けた下ごしらえを見てきたさ。そこにあるのは恐怖だけだ、ロマンティックの欠片もない。
それにどの時代を見ても、荒野に流れる人々はたくさん存在する……天災も戦争も進化し続ける都市も、どれであれその者たちを追いやってきた。
それらすべてを、君はよく知っているというのに……なぜ剣を抜こうとしないのだ?
チェスブロの視界はすでに霞んで見えなくなっている。相手の表情はもう見て取れない。ただムリナールが顔を下げて自分を見下ろしていることだけは分かる。
――君は何を迷っている?何を考えているのだ?
雨音の中に返答はなかった。ただキラキラと細やかに煌めく金色が、彼の視界へ溶け込んでいく。
息絶え絶えなチェスブロ。その命は次第に冷たい甲冑からゆっくりと流れ去っていった。
それと、理想に情熱を注ごうとした時に聞こえてきた、あのお高く留まったかのような嘲笑い。
私が苦境に陥った者たちのために涙を流していた時、その傍らでひたすらに嘲っていた観衆たちのことを指してるわけではない。
私は彼らに、死者へ向ける悲しみと同じような感情を向けていたさ。
その嘲笑いというのは、今この時にも、あるいは今もどこかで、彼らを突き動かせなかった私の不甲斐無さを笑ったものだ。
たとえこの身を粉にしても、彼らを揺れ動かせずにいる私へ向けられた嘲笑だ。
……
雨は止まない。だがチェスブロは依然と目を見開いていた。
ふと、真夏日に降るにわか雨を、泥地の森を、渓谷を流れる花冠を彼は思い起こした。
その日々の中、彼が最後に見た幸せな夢を思い起こしたのだ。
ニアールよ、沈黙のままでいるな。そう彼は思った。
――あの長く徒労に終わった旅路の果て……君がやむを得ず大騎士領へ戻っていったあの時と同じだ。
君みたいな人間があの者たちを放っておけるはずもないだろ、ムリナール。
……最も輝かしかった時期に突如と抹消され、まるで風前の灯火のように忽然と吹き消されたあの二人の名前。
十五年来、監察会は頑なにその名前を口にしようとはしなかった。君がいくら問い詰めたところで、返事は返ってこなかったのだろう?
ニアール家の者にして、あれだけ輝かしかった二人が、こうもカジミエーシュに拒まれてしまった……この夜に沈んだ国はもう、彼らの光を寸分とて受け入れてはくれないのさ。
だからこそ、君はとことん失望してしまったのだな……
あの二人が異国で……何年もの間ずっと待ち侘びていることも知らずに。
……なんだと?
フッ……
数年前、リターニアに潜入した時……私はあの二人に会ったよ。
……
ポタリと。
最後に受け取った一通の手紙には、広がってしまった墨の痕が残されていた。
二十年もの間に抱いてきた疑問だ。たかが一通の手紙に、それを書き記すことはない。
だがそれは二十年もの沈黙を経て、ムリナールがこの征戦騎士に問いかけることができる唯一の質問であったのだ。
……ほかの人にも、そのことは伝えてあるのか?
……
チェスブロはゆっくりと首を横に振る。
この長い長い沈黙の中、ムリナールはただ彼の次なる告発を、あるいは長らく待ち続けてきた彼の懺悔の言葉を待っていた。
だがそんな彼に返ってきたのは、まるでため息かのような重苦しい一呼吸の後の、金属同士が軽く触れあった時の摩擦音だけだった。
その征戦騎士は、深々と地面に突き刺さった長槍に己の身体を預ける。
それは彼らがかつて荒野で何度も見てきた、空っぽの甲冑のようであった。
そしてしばらくして、ムリナールは雨の中に膝をつき、かつての彼と同じ道を辿ろうとした者に、騎士として哀悼の礼を向けたのであった。