龍門上城(ションセン)区、上廠(ションホン)街、近衛局ビル
正午ちょうど
近衛局、ここは特殊な場所だ。誰も来たがらないし行きたがらない。だがいつだって、ここの世話になる人はいるものだ。
(警備に務める)
おいお前、二十年前に咸祥(ハンチョン)飯店で起こったマフィア同士の殺し合いの事件は憶えてるか?
(無視)
んじゃあ、十年前に宝華(ボウワー)街に起った強盗事件は?
(無視)
じゃあ、七年前の斬り付け事件は?
お前が言った事件はどれも知らんし聞いたこともない。いいから邪魔するな、こっちはまだ公務中だ。
(やれやれとため息をつく)
はぁ、まあいいや。
(アグンが近衛局隊員に近寄る)
おじさん、お巡りさん!
いま目の前にいるこの人が、さっき近くの広場で自動車を盗んでるところを見かけたよ!
は?おいなんだよそれ!
適当なことを言うんじゃねえぞクソガキが!
まあそう怒鳴るな。
お前がやったかどうかは監視カメラで確認する、署までご同行願おうか?それと君も、事情聴取に協力してもらうよ。
チッ……わぁったよ。
(ウィンクする)わかった。
(上手く行ったよ、ロックロック姉さん。)
(了解。ロック二十七号、ステルスモードを起動。)
その前日
多分ここのはずなんだけどなぁ。
こんにちはー、ここって野良動物の愛護センターですか?
もしもーし?
テメェに構ってるヒマはねえ、消えろ!
……ちょっと聞きたいことがあって来ただけです、すぐ済みますから。
テメェらクソガキが何を企んでここに来たかは分かってんだ!
心配そうに動物をここに連れてきたと思ったら、翌日には街中にポイしやがって!
あの、なんか誤解してません?別にペットを引き取りに来たわけじゃないんです、ただちょっとなくした烏雲獣を探してて。
消えろつってんだろ!
自分じゃロクに世話もしないくせいに、何かあったらすぐこっちに寄越しやがる!
お前らみたいな無責任なガキのケツを拭くつもりはねえんだ、いいから消えろ!
テメェのケツはテメェで拭きな!
とっとと消えやがれ!
あの、話しぐらい聞いてくれませんかね!
うるせえ、消えろ!!!
あの!あの!
……なんだよ、こっちは何もしてないのに。
もうやめときなって、いくらシャッター叩いても出てこないよ。
ああいう性格だから諦めなって。
お姉さん……ここの人?
すぐ隣に住んでるの、まあこの人と話したのは年に数回程度だけどね。性格はああだし、シラクーザのマフィアで結構ワケありなもんだから、怖い物知らずしか彼に構っちゃくれないよ。
でも動物愛護の仕事をしてるんだよね?そこまで悪い人でもないんじゃないの?
所詮はまだ子供ね、簡単に信用しちゃうんだから。こうやってシャッターを閉められたら、中でどんなやましいことをしてるか分かったもんじゃないでしょ?
人ってのは見かけで判断しちゃダメなんだよ。
それ、知ってるから教えてくれてるの?
数日前、近衛局がガサ入れしてきたんだよ。
このえ……きょく?
あっ、他所から来たの?まあ警察みたいなとこだよ、で違法に警察用循獣を隠し持ってるとかなんとか。
警察用かぁ、それって……犯罪だよね?
もちろん、だから何をしてるのか分かったもんじゃないってこと。警察の循獣だって取っちゃうような人だよ?
じゃあその人が動物を引き取ってるのって……
よく動物を引き取っては、すぐに送り出してるところを見かけるんだけど、もしかしたら……闇市にある肉屋に売ってたりして。
(怪しすぎる。もし本当に愛護センターに偽装してそういった悪事を働いてるのなら、見過ごせない。)
そっか、ありがとうお姉さん。
じゃあ、あたしは家に戻るね。君もはやく戻ったほうがいいよ、こんなとこにいないで。
女の人が玄関のドアを閉めた後も、アグンがそこから立ち去ることはなかった。板戸にかけられた錠は、触れた後にみるみると氷漬けにされ、アグンに軽く叩かれて断ち切られた。
そして門を少しだけ内側に開け、そこにできた狭い隙間にアグンは潜り込む。
籠も檻もない、あるのは餌用の皿だけ。中に入ってる水も食料も数日前のものだ。
動物は?どこにいった?
(まさか本当に肉屋に売られた?)
だとしても、なんでこんなにペットフードが置かれてるんだろう……?
この机に置かれているのは……建物の見取り図?
こ、の、え、きょ、く、び、る……ん?丸く囲ってる箇所もある?
拘留所、循獣の収容部屋……隣接してる……
(この人は一体なにがしたいんだ?まさかその循獣のために……?)
おいガキ、誰だテメェは?どうやって入ってきた!?
一体どうなってんだ?鍵は閉めたはずなのに!
鍵が壊れてる?ッ……しかもなんか冷てぇ!
(ギロリとアグンに振り向く)
勝手に入ってきてごめんなさい。
テメェがやったのか!?弁償してもらうぞテメェ!ったく先週買い換えたばっかなのに!
えぇ!?
何がえぇだ?
(眉を顰める)あいや……ごめんなさい。
そうだ、ついでに聞いてもいいかな?この見取り図に色々マークついてるのはなんで?
(机に置いてる図を見せる)
人のものを勝手に触んじゃねえ、ぶっ殺されてえのか!
気を付けてよね。
なっ、これは――
動かないで、さもないとこの氷の輪っかがどんどん首を絞めつけることになるよ。
クソ、ガキのくせに!
それで教えてくれないかな?近衛局に行って何するつもりなの?
……近衛局の恥知らずどもは、適当な言い訳をでっち上げて俺の循獣を攫って行きやがったんだ。んだよ、奪られたら奪り返すのがスジってもんだろ?
へぇ、でも君が先に近衛局の警察循獣を奪ったって聞いたけど?
ペッ、俺があいつを拾った時はもう命からがらだったんだ、近衛局なんざ影もなかったわ。
こっちは仲良くやってたってのに、なんで近衛局に攫われなきゃならねえんだ!
じゃあ、最初はその獣たちを保護してただけってことだよね……ならほかの動物はどこにいったの?いた痕跡すら見つからないんだけど?
こんな見ずぼらしい場所でそいつらを置けると思ってんのか?外縁区画で廃棄された工場地帯を買ってそこに置いてる。
それだけで信じれると思う?
信じようがいまいがテメェの……
(何かがチーンと鳴る)
なんだ!?
電子レンジ?
んだよ、饅頭を温めただけだろうが!
それ夜ご飯?
いちいちうるせえんだよ!
それで足りるの?
……テメェにゃ関係ねえだろ!?
ペットフードに金を使うあまり、自分は骨をしゃぶるしかないってわけだ。
……あんな数もいりゃ、イヤでも節約しなきゃならねえだろ!
……
悪かった。
(アーツを展開してる腕を下ろす)
ゲホッ――
(今も少し怯えながら首をさする)
おいガキ……お前アーツができるのか?
うん、少しは。
じゃあ……さっきカギを開けた芸当も、他んとこでできるんだよな?
烏雲獣の行方を捜してるんだろ?
そう、去年いなくなったんだ!何か知ってない?
何匹か保護したことはある、が生憎記憶が鈍いもんでな、具体的なことは何も憶えちゃいねえ。でも確か記録は取っていたはずだ。
もし俺に協力してくれるのなら、そのファイルを探してやる。
うーん、ボクにはファイルを見せるだけで、その代わり近衛局の潜入に加担させるのはちょっと釣り合わないんじゃないの?
フンッ、なら勝手にしろ。
その烏雲獣のことなら他所で聞きな。
……
ロドス駐龍門事務所
早朝
アグン!
えっ!あっ、おはよう、ロックロック姉さん!
顔色が悪いけど、ビックリさせちゃった?
あはは、ちょっと考え事してて気づかなかった。
昨日はどこ行ってたの?シャオバイが先に帰ってきて、キミが一人でスラム街に行ったって聞いたけど。どうだった、何か手がかりはあった?
ロックロック姉さん……
どうしたの?
ボク、ヤバいことに巻き込んじゃったかも。
それで……結局その人に協力するって言っちゃったの?
うん、循獣を取り返すのは無理だから、近衛局に潜り込むことに加担させられちゃった……
近衛局なんかに行ってどうするの?
もしその循獣が中でヒドい扱いをされてたら、死んでも取り返してやるって言ってたよ。
だとしてもダメだよ!それは彼の責任でしょ?なんでキミまで巻き込まれなきゃならないのさ!
ボクも仕方がなかったんだ、烏雲獣を探すにはああするしかなかった。周りにも聞いてみたんだけど、野良の動物で一番詳しいのは彼しかいないって。
子供をそんなことで脅すなんて。ダメ、やっぱりキミ一人じゃ行かせられない、あいつが何を企んでいるのか分かったもんじゃないんだから。
でもそっちの仕事のほうが優先度高いんでしょ?こういうことならボク一人でもなんとかできるよ。
もしその時本当に何かあったら、彼に全部押し付けるからさ。近衛局からすれば、あのマフィアよりもボクのほうがまだ信用できるはずだし。
だとしても安心できないよ。それに急いで決めつけなくても大丈夫、こっちもキミに付き合ってあげられるぐらいの時間はあるんだから。
でもここのオペレーターたちって近衛局と親しい関係にあるって聞いたよ?ロックロック姉さんには頼れないよ。ボクは一応これでも余所の人間だから、何か起こっても収まりはつくはずだ。
そんなことはどうでもいいの!
ロックロック姉さん、落ち着いて……
でも……そうだね、軽率だった。
うん、だから安心して――
あたしは無理だから、あたしのドローンを向かわせるよ。
……それでも姉さんだって正体がバレちゃうじゃん!
出発する前にクロージャから最新の光学反射モジュールを貰ったんだ、一時的にドローンをステルス状態にすることができるヤツ。
なんか嬉しそうだね……
プロペラも改造して、なるべく音を出さないようにだってできる。音を出さずに飛んでいれば室内に入ってもバレたりしないでしょ?
でも、工具なんて今持ってるの?うわ……姉さん本当にここで改造しちゃうの?
シッ、いいから座ってて、すぐに終わるから。
こいつは優れものだよ。ビルに入ってもルートやら人の配置をこと細かく教えてくれるんだ。
それに監視カメラをジャミングしてキミの居場所がバレないようにだってきでるんだよ。キミがそこまで厄介だと思うような相手なら、こっちだって手は打っとかないと。
じゃあ……姉さんの言葉に甘んじよっかな。
龍門上城区、上廠街、近衛局ビル
午前
あれ、お水を買いに行くって言ってなかった?なんでポテトチップスになったの?
食え。
ボクに買ってくれたの?
ほかに誰がいるってんだ?俺はこんなもん食わねえんだよ。
……どうも。
さっさと食え、食ったらやるぞ。
昨日ビルに入り込む方法はあるって言ってたけど、今なら教えてくれないかな?
なんだ、分からないのか?
おじさんってば本当にマフィアなんだね。
見えねえのか?
見えるよ……でもなんでマフィアを辞めて愛護センターなんか開いたの?
あん時ファミリー内で内紛があったんだ、派閥を間違えた俺はドンに追い出されちまった。んで落ちぶれた俺はヤンニーと出会って、お互い救われた。
それから分かったんだよ、俺を必要としてくれるヤツもいるんだって。
そのヤンニーとは仲が良かったの?
当たり前だ。拾った時は俺を見ただけでぶるぶる震えていたが、今じゃ逆に俺を目に入れなきゃぶるぶる震えちまう。
奇妙なこともあるんだね、マフィアのメンバーが警察循獣と仲良くなるなんて。
“元”マフィアな!
フンッ、俺だって龍門に来てからこんなガキと一緒に近衛局ビル前でポテチを食うことになるたァ思いもしなかったぜ。
あっ、じゃあいる?もう食べちゃうよ?
ちょっとくれ。
歳月は刃物の如しとはよく言ったもんだぜ、年々人が削られて丸くなっちまう。
……
俺もとうとう頭がおかしくなっちまったらしい、なんでお前みたいなガキにいちいちこんなこと教えなきゃならねえんだ!言っても理解しないくせに。
それじゃあ、そろそろ行こっか。ポテチも食い終わったし。
……ああ、行こう。
龍門上城区、上廠区、近衛局拘留所
午後
お前正気か?自動車を盗むなんて罪をでっち上げやがって。
いいじゃん、少なくとも近衛局に潜入する目的は達成したんだし。
ていうかお前どうやって取調室から抜けてきたんだ?
色々細工をしたのさ、お巡りさんが部屋を出た後にこっそり抜けてきた。
俺が書いた図に従ってちゃんとカメラを避けてきたんだろうな?
それよりも確実な方法があるから大丈夫だよ、ここに来るまでの間ボクはまったくカメラに“映らなかった”から。
あっ、さっきも言ったよね?手を檻に置かないで、凍って皮が剥がれちゃうよ?
分かってるからさっさとしてくれ!
(アグンが氷を放ち、檻が開く)
収容部屋ならこの先にある。急げばヤツらが帰ってくる前に拘留所に戻れるはずだ。
それと約束、一目確認するだけだからね?
分かってるから黙ってろ、さっさと行くぞ。
(アグンと運営主が走り去る)
見えた、あそこだ。
ヤンニー!
(嬉しそうにその場を回る)あう、ワンワンワン!
ヤンニー、寂しかったか?俺は毎日お前に会いたかったぜ。
キャンキャンキャン――
よしよしいい子だ、ここでもちゃんと元気にしてるようで安心したぜ。それに見ろよお前の部屋、俺の寝室よりも広いじゃねえか、ハッハッハ。
わふぅ?
本当ならお前を連れて帰りたいところなんだが、俺から引き離されてからなんだか肉がついたようじゃねえか。
お前にもずっと苦労させちまったな。
(鼻を檻に押し当て、隙間から出ようとする)
ハッ、肉がついちまって檻から出られねえようになっちまってるじゃねえか。
わうぅ……
ずっと一緒にいたい気持ちは痛いほど分かる、でも仕方がねえんだ。
アグン、そろそろ戻らないと。向こうから警備員が向かって来ているよ。
誰だ?
……ステルスドローンだよ。
なんでそんなものを持ってるんだお前は!?
今は説明してるヒマはないよ。はやく行こう、警備員が来てる。
もう少し時間をくれ、こいつと話がしてぇんだ!
いいからさっさとそこを離れてよ!あんたが捕まろうがどうなろうがどうだっていいの、でももしアグンまで巻き込むことになったら、絶対に許さないんだからね!
急に怒鳴るんじゃねえ!ビックリするだろうが!
いいからさっさとそのデカいケツを引っ下げてそこから離れなさい!本当にブタ箱にぶち込まれたいわけ!?
テメェがそんな大声で怒鳴ったらバレねえもんもバレるだろうが!
じゃあなヤンニー、ここでおさらばだ。もう……もう会うことはないだろう。ここでいい子にして、しっかりご飯を食べるんだぞ。俺のことはもう忘れていい、新しいご主人を見つけな。
きゃうぅん!ひぃん!
(鼻先を檻に突っ込む)
くぅん……
(涙を拭く)もういいんだ、ヤンニー!
ロックロック姉さん……
なに?
先にドローンを撤退させて、ボクがこの人のために時間を稼ぐってのはどう?
ダメだよそんなの!キミまでバレたらどうするの?
大丈夫、心配させるようなことはしないから。
(服を引っ張る)
何してるの?
顔を隠してる。
アタシがいるんだからそんなことしなくてもいいでしょ?
(口を開ける)
まだ気を遣うっていうのなら今すぐここから出ていくけど?
(口を閉じる)
あんた、あと10分だけ時間を稼いであげる。それまで言い残したいことを言っておきなさいよ!
……お前ら、なんでそこまで俺を……
今伝えなきゃ永遠に後悔するからだよ、あたし痛いほど知ってるから。
ほら行こ、アグン。
うん。
……ここなんか寒いな。
壁に氷が付着してる……まずい、これはアーツだ!
支援要請せねば――
ヘルメットに備え付けられた通信機に触れようとする近衛局人員の手を、冷たく堅い氷が阻もうとする。
振り解けないことを知った彼は、思い切って壁へ激突しようとした。だが足が地面から離れることはなく、下から這い寄ってくる寒気に気を取られて下を向けば、氷の層はすでに腰の辺りまで来ていた。
お巡りさんを傷つけるつもりはないよ、ただちょっとお願いしたいことがあるんだ。
一つはこの場所を借りたい、もう一つはあと何分か待っていてほしい。
それが人にお願いをする時の態度か?顔を隠しやがって。
それについては申し訳ないと思ってるよ。
お願いするんだったら、もっと詳細を教えてくれたらどうなんだ?
お別れしたい人がいるんだ、これじゃダメ?
お別れがしたいのならカフェにでも行ってゆっくりやればいいだろ。なんでわざわざ動物の収容部屋なんかで……
まさか……
あの野郎メイタンに会いにわざわざ近衛局にまで来やがったのか!よくもそんなことができたな、さっさと出てこい!
ヤバッ、喋り過ぎちゃった!
(中々頭が冴えてる人だね……アグン、どうする?)
(大丈夫、氷はそう簡単には剥がせない。ボクたちが逃げた後も証拠は残らないさ。)
(だとしても早くしてね、あとできっと人が増えてくるから。)
さっさと出てこい!コソコソしてそれでも男か!
メイタンにメロメロと惚気やがって!
このクソッタレが――
(まずい、煽られちゃってる。)
おいガキ、そいつを放してやりな。今日という日はこいつをタコ殴りにしてやる。
お前、未成年を唆して犯罪に加担させたのか!?
いやお巡りさん、それは誤解だよ。
(アグン、今は何も喋らないほうがいいと思うよ……)
いいからさっさとそいつに纏ってる氷を剥がせ!
でも……
いいからやれェ!
(氷が全て溶ける)
(参ったな……)
ごめんね、お巡りさん。
このクソッタレが!
(運営主と循獣訓練員が殴り合う)
命知らずめ、メイタンを攫いに近衛局まで入り込んできたのか!
メイタンじゃねえ、ヤンニーだ!俺のペットなんだよ!
いいやあいつの名前はメイタンだ!チェルノボーグ事変で救助活動、爆発物探知、追跡任務に何度もあたってくれた、近衛局で一等勲章を叙勲した循獣だ!断じてお前のもんじゃない!
ほざけ、俺のモンじゃなけりゃ誰のモンだって言うんだ!テメェがあいつのご主人って言いたいのかよ!
なら教えてやる!メイタンのご主人はここにいた上級警司のシェー・ミンだ!貴様みたいな前科まみれのダメ人間が飼っていい循獣じゃない!
クソッタレが――シェーミンだろうがなんだろうが、んなもん知ったこっちゃねえ!
大人しくしろ!
ひっかいてる爪を引っ込ませろってんだこのクソが!
なら私の太ももを放せ!
じゃあまずはテメェの腕を俺の首からどけろ!
あの二人、ケンカしてるの?
どちらかと言うと暴れ回ってるだけね。
あんな地面をゴロゴロと転がってて、ケガでもしないのかな?
ケンカじゃないならケガはしないはずだよ。
ガシャン――ガシャン――
一方その頃、例の循獣は未だケガのことなど顧みずに檻へ頭をぶつけていた。早く檻から抜け出し、地面で暴れ回ってれる二人の止めに入ろうと必死でいるようだ。
檻への衝突は回数を重ねるごとに激しくなっている。すでにこの子の柔らかそうな鼻は血まみれだった。
……こっちはそれどころじゃないかも。
あの循獣を止めるのが最優先みたいだね、あの二人はとりあえず放っておこう。
ねえ君、外に出たい?
(必死にアグンが差し伸べてきた手を擦る)
あの二人を止めたいんだね?
大丈夫だよ、あの二人ならただ暴れ回ってるだけ、変にケガを負ったりはしないよ。
わう……?
でも確かに、あのままやり合ってても埒が明かないね……
(しゃがんで檻のカギに手を置く)
とっくにどっちの味方に付くかは決まってるんでしょ?
わんわん!
ただ向こうの二人が勝手に決めつけてただけなんだよね。
だったら、自分でその二人に教えてあげな。
ほら、行って。
(尻尾フリフリ)
檻が開ききるのも待ち遠しく、その狭い隙間から抜け出したヤンニーは、一目散に地面で揉みくちゃにされてる二人のもとに駆け付き、懸命に吠え出した。
いくら吠えてもまったく構ってくれない二人を見て、ヤンニーは堪らず訓練員の足に噛みつく。痛みから動きを止めた訓練員は、困惑しがらその循獣を見下ろした。
メイタン、お前それどういう意味だ……?
ヤンニー……
二人とも、そろそろ手を止めてもらえないかな?
ようやく顔を見せてくれたか、坊や。
きっとこいつに唆されたんだろ。君はまだ子供だ、今日の出来事については追及しないでおく、だからはやくお家に帰りなさい。これは私とこいつの問題だ、手出しは無用だよ。
そうだ、ガキはすっこんでろ。お前の欲しがってた記録なら下城(ハーセン)区九番街の四にある廃棄された工場に置いてある。部下にもそのことを伝えてあるから、そいつから渡してもらいな!
ボクとしては、ここで無理してでもおじさん二人を止めてやってもいいんだけどね。
君、一体なにをするんだ!
おい、言ったそばから氷の柱を急に出すんじゃねえ!
……一時停戦だ。三つ数えたら、お互い手を離そう。
いいだろう。三、二、一。
ふぅ――
ゲホッ、なんで二日も首を括られるハメに遭うんだよ。
いや~……なんでだろうね。
フッ、お前……マフィアなんだろ?そんなお子ちゃまな戦い方でよく今まで生き残れたな?
テメェに言われたかねえ、近衛局のくせに恥ずかしくねえのか?
私は事務職から異動してきたんだ。
マフィアだって……似たような仕事ぐらいあるわ。
(白い目を剥く)
二人とももうちょっと場所を空けてもらっていい?ボクが間に入るから。
どうしても真ん中に座らなきゃ気が済まねえのか?
(しぶしぶ場所を空ける)はぁ……
わんわん!
おお、お前も俺の隣がいいのか?
メイタン、それはそいつに付くって意味でいいんだな?
あんな見ずぼらしい住居と飯しか与えられてないのに、一体そいつのどこが気に入ったんだ?
……確かに俺んとこはテメェらんとこほど環境は整ってねえが、それでも俺は……できるだけこいつがひもじい思いをさせないだけのことはしてきた。
俺の腹が少しでも膨れてりゃ、こいつは飯で困ることはねえ。こっちが寒さを凌ぐ代わりに、こいつが寒さを覚えることはなかったさ。
満足させてやれねえかもしれねえが、それでも俺はできるだけのことはした。
ミンがまだいた頃は、朝早くからお前を散歩に行かせてあげてた。食べるのも着るのも、なんだって一番いいものを用意してやった。
そんなご主人を、お前は忘れてしまったのか?
くぅん……
彼はとてもお前を愛してたよ。お前がまだ赤ちゃんだった頃だって、片時も離れずお前の世話に明け暮れていた。
チェルノボーグがぶつかってきたあの日、彼がお前を任務に連れて行ったきり……お前は失踪し、彼は帰らぬ人となってしまった。遺体は見つからなかったよ。
そんなお前は、彼がいなくなった途端に忘れてしまったのか?
横山(ワンサーン)ビルってとこでか?
ああそうだ……
忘れもしない。
なら、ヤンニーも忘れちゃいないさ。俺はそこでこいつを拾ったんだが、しょちゅうそこに連れていかれては吠えまくってたよ。
そうなのか?憶えていたのなら、なぜご主人を挿げ替えたんだ?
くぅん……
(優しく抱えてるヤンニーの鼻にできた傷を撫でる)
おいガキ、さっきから黙っててどうした……?
ちょっと疲れただけだよ。
……子供なのにまるで可愛げがないな。
メイタン、いや、今はヤンニーだったな?
くぅん……
今のご主人のことが大好きなんだろ?ならそいつについて行くといいさ、もう私に無理して引き留めるような資格はないよ。
いいのか?
私も疲れてしまった。何年も背負ってきたが、さすがに重すぎた。
そんなあっさり諦めるのかよ?
一つだけ言っておく。こいつがお前について行くと決めたのなら、何があってもきちんと世話をし続けろ。
貴様のあのボロ家にはちょくちょく顔を出す。もし飼育放棄なんざしたら、タダじゃ済まないぞ。
俺がこいつを棄てるわけがねえだろこのバカ野郎!
ならもう黙ってろ、連絡を入れる。
(おい、あいつを止めねえと!)
シーッ――
フー、すまないが三階からあるファイルを取ってきてもらいたい。
それとアトン、循獣の収容部屋の空調がおかしくなったみたいなんだ、診てくれ。
……
(アグン、こっちに向かってきてた人たちが余所へ行ったよ。)
じゃあボクたちは先に帰ろっか、ロックロック姉さん。
さあヤンニー、俺たちも帰ろう、我が家に!
おい、なんで檻に戻るんだ?
メイタン……どうしたんだ?
もしかして、残りたいのか?
メイタン……
相変わらず食いしん坊なヤツめ。
ヤンニーは丸っこく愛らしいお尻をフリフリと振りながら、檻の中からフリーズドライの袋を咥えてトボトボと元マフィアの男のもとへ駆けつけて行った。
近衛局ビルの入口
見送りはここまでだ。
ったく……なんであんなに道が入り組んでんだよ、目が回っちまいそうだぜ。
さっき案内した通路は普段誰も使わないところなんだ、文句を言うな。
ハッ、お巡りさんの世話になっちまったな。
フンッ――お前のために案内したわけじゃない。
じゃあな、メイタン……いや、ヤンニー。
時間があったら……お前もこいつに会ってやれよ。
(運営主達が立ち去る)
(長く息をつく)
……安心してくれ、ミン。ちょくちょく顔を出しにいくよ。
下城区九番街の四
入りな、記録なら全部ここに残してある。
すごいたくさん……天井にまで届きそうだ。
烏雲獣だろ……どこにあったかな、確かにちゃんと分けてあったんだ。
(探し回る)
あっ、気を付けてね!
あったあった。おい、ちゃんと受け取れよ。
わかった。
(運営主がはしごを降りてくる)
この中だ。どれどれ……去年のだろ……
烏雲獣なら四匹も来てたのか……
こいつか?拾った後、近くの婆さんに引き取らせてもらったんだ。場所もあそこからそう遠くはない。
ううん、こいつは耳がちょっと欠けてる。ボクが探してるヤツは耳にケガはない。
じゃあこいつは?いや違うな、こいつはもう飼い主が引き取ってたか……
歳も違うしね、こいつ口に白い毛が生えちゃってるぐらいヨボヨボだ。
じゃあこいつで間違いねえな。見ろ、そっくりだ。
いやこいつ、胸の辺りの毛が茶色っぽくなってるよ。
あぁすまねえ、見間違えちまった。
ん?なんか落ちたぞ?机の下、なんも見えねえな。
おじさんはファイルを探してて、ボクが拾うよ。
おう。んで烏雲獣だから全身真っ黒だろ?ケガもないし、7月25日の朝に窓から逃げたヤツとなると……
そのまま読み上げてて。あと見つかったよ、名札がついた首輪みたい。
見つかった時は……紐が切れた首輪と……大量の血痕が地面に残ってたっと。でもあの血の量じゃ……もうとっくに死んでるだろうな。
……
(首輪を灯りの下で観察する)
名札になんか書いてるか?
……うん。
なんて書いてあるんだ?
六十四(リュウスーチー)……