どういうご用件で?
先ほども言ったではないか、演劇を見に来ただけだ。
……皆さん、私の後ろへ。
(子供たちがゴールディングの後ろに隠れる)
申し訳ありませんがレイトン中佐、ここはあなたを歓迎しておりません。
そう水臭いことを言わないでくれ、ゴールディング。
君のひたむきな努力は認めているさ。困難な時代であればあるほど、教育は重要になってくるものだ。
それはまるで、自分はその“困難な時代”とはまったく無縁と仰ってるみたいですね、軍人さん。
だっていつの時代も、あなたのような人はなんにも困りませんもの。
その胸元につける勲章も、ますます数を増やしていくばかりでしょうね。
ロンディニウムの管理にあたっている軍事委員会に協力することは容易ではない、私だってたくさんの……困難に直面しているさ。
だがこの都市への愛なら、私も君たち同様、一度だって変わったことはない。
靴職人のトムも一緒ね。
トムは私の友人でもある、あんなことは実に見るに堪えなかったよ。
彼はただ酒に酔っていただけです、口では“陛下”やら“蒸気騎士”やらと独り言を言っていましたが、あの人は“サルカズ”の綴りすら知らなかったのですよ。
彼ならまだ生きているではないか。
生きていることだけが、私たちの存在意義ではありません。
どうしても私をヴィクトリアの裏切者扱いにしたいのかね、ゴールディング?
――
であれば、実に勇ましい淑女方であるな。
だが誤解しないでくれたまえ。
今日ここへ来たのは、もう一度この学校を見てやりたいと思っただけだ。
しかしジャスミン、どうやら君は私のことを忘れてしまったらしいな、実に残念だ。
……忘れた、って?
私も君に劣らず随分とここの世話になったことがあるのだよ、ジャスミン。君や君と一緒にやってきた子供たちのことも未だに憶えているぞ。
しかし士官学校を卒業した後は、何かと忙しいものだったのでな。まったく顔を見せてやれる暇がなかったよ。
それにゴールディングも、昔はあれほど私を信頼してくれていたではないか。いつもよく一緒にガリアの歴史を振り返ったり、あの不朽の文学の話に興じたりして――
そこまでにしてください、レイトン中佐。
あなたのお父上にはとても感謝していましたよ。長年ずっとこの学校を支援して頂いて、子供たちのためにも知恵の火を灯し、蒙昧と混沌を追い払ってくれたのですから。
あなたもそういう人だと思っていました…なのにあなたは自らの手で、元よりか弱いその光を消し去った。
そうかい?だが考えてみてくれたまえゴールディング、この学校が今日まで持続できたのはなぜだと思う?
なっ――脅しですか!
諸君らを脅す理由も動機もないさ、子供たちがまだここにいるじゃないか。
ゴールディング殿、我々は共にガリアの遺民だ。
戦争とは無情なる破壊者であり、幾千万もの命を連れ去って行っては、叡智へと通ずる人類の一切の努力さえも打ち砕いていく。君も私も、それをよぉく知っている。
ヴィクトリアが次のリンゴネスに成り果てる様など私は見たくない。今演じてくれたこの素晴らしい劇が、ここで途絶えてしまうところもな。
だから、私は私のためにあのような選択を打って出たのだよ。
……だとしても、あなたの考えには賛同しかねます。
リンゴネスの王立劇場はすでに灰燼に帰しましたが、それでも『凱旋の讃歌』はどんな時代のどこの場所でも、絶えず歌い続けられてきました。
建物も都市もいずれは崩れていくが、私たちがかつてそこに築き上げてきた結晶だけは決して滅びることはありません。あれは私たちの教え、私たちの文化、私たちの希望なのですから。
戦争の翳りが濃くなればなるほど、己は獣ではなくヒトであることを気付かせるために、なおさら信念を固く持ち、美しいものを信じる必要があるのです。
そんな抗いが勝てるとでも思っているのかね?
あなたたちが掲げる恐怖も、権力も、殺戮も……決して誰一人とて飼い慣らすことはできませんよ。
私はそう信じています。
……そう信じたい。
光あるところに、私たちは向かうのですから。
であれば実に羨ましいことだ、ゴールディング殿。
頭上に広がる暗雲を見てやるといい、じきに嵐がやってくるぞ。
私たちにはまだ時間と選択肢が残されている、稲妻が落ちてくる前に。
いつの日か……その演目のフィナーレが見れるのを楽しみにしているよ。
学校を去り、都市防衛軍の司令官はそのまま街を後にした。
ほかの都市防衛軍の兵を引き連れてくることはなく、どうやら彼は本当に一人でここにやってきたようであった。
……
アダムスのもとへ行き、情報を知らせねば。そうゴールディングは考えた。
あの司令官がどれだけ敵意を示さなかったとはいえ、何の謂れもなくこの学校へやってくるはずがない。
ジャスミンや子供たちに知る由がなくとも、ゴールディングだけは彼がここへやってきた理由を知っていた。
(複数のサルカズの戦士がゴールディングの近くを通り過ぎる)
サルカズ?なぜいきなりこんなにも……?
書店へ向かう道はとっくに知り尽くしてきた、彼女はここ二年間何度もそこを通っていたからだ。
しかしなぜだか今日だけはやたらと道が長く感じる、その終わりが見えなくなるほどに。そこでふと、彼女はまたサルカズが街へやってきた日のことを思い出した。
本当に今が変わる日はやってくるのだろうか?
信じるしかない、そうするしか……
しかし突如、ゴールディングは喉を抑え付けられるほどの恐怖を感じた。
今にも吐き出しそうな彼女は、身を翻してそこから立ち去った。
(ゴールディングが走り出す)
ランシー、パティ!
もう、あの子たちったらどこに……!ラン――
――
(シェイプシフターらしき影はジャスミンを殴る)
うぐッ――!
……こんな簡単な任務に、わざわざお越しにになれることもないでしょう。
だったらゴールディングを捕まえておくべきだったね、レイトン。
マンフレッドならこうしていたよ。それにあの赤目の老いぼれなら、学校にいる全員を皆殺しにしていただろうね。
……
分かっているよ。君はサルカズじゃないんだから、自分や防衛軍に、そしてこの街の住民たちに最後ぐらいメンツを残してやりたいんでしょ。
でも、念には念を。保険はかけておくに越したことはないよ。
なっ……
ランシー、パティ……あの子たちったら大丈夫なのかしら。
ねえ軍人さん、私怖いんです。あなたのような人やサルカズが子供たちを傷つけるんじゃないかって、子供たちが……あなたみたいな人になっちゃうんじゃないかって。
……ここで倒れてる本人と、口調がそっくりですな。
ああ……僕たちは感じ取っているからね。
この人は自分よりも歳幼いヴィクトリアの子供たちをいたく心配しているんだ。感じるよ、でも理解に苦しむ。特にこういった血の繋がりに関わらない心遣いが。
……
……どうされましたか?
君たちは実に興味深いね。君たちを通せば、僕たちはもっと自分のことを……サルカズのことを理解できる気がするんだ。
私たちから答えを見出すつもりですかな?であれば、それは一体……?
君は、サルカズたちに興味がある人とは違うんだね、レイトン。
申し訳ありません。
いいさ、まずは任務を優先しないとね。
彼女はもう用済みだから、学校に連れ戻してしっかりと見張ってやってくれ。この先の戦争に備えた情報収集のために、僕たちはゴールディングさんの傍に残るよ。
はっ。
……
どうされました?
誰かに見つかってしまったようだ。
兵たちを呼びましょうか?
いやいい、あいつらじゃ彼には敵わないよ。
色々とテレジアのところから学んできたからね、彼は。きっとすぐにでも……気楽に話ができるだろうね。
……
……ジャスミン。
はい?
私が出て行った間、何かありましたか?
いいえ、ランシーとパティがすごく怖がっていたものでしたから、ラルフとほかの年長組がその子たちを休ませてあげたぐらいです。
そう、ならよかった。それでちょっと考えていたんです……あの子たちは、本当にこの劇を気に入ってくれるのでしょうか?
私たちの努力には意味があるのだと、そうですよね?
どういう意味です?
いえ……なんでもありません。
あの防衛軍の軍人さんが言ったことなら気にする必要はありませんよ、ゴールディング先生。
……ちょっと気分が優れないので、休んできますね。
すみませんが、ここの片づけはお願いします、ジャスミン。
ええ、任せてください。
演目なら、ちゃんとフィナーレを迎えなければなりませんね。だって蒸気騎士がすでに宮殿前にやってきたのですから。
子供たちなら、きっと数日後にはちゃんとフィナーレを迎えてくれるはず、ですよね?
……ええ、きっと。
(ゴールディングが立ち去る)
フィナーレを迎えていない物語というのは、色々と話が枝分かれしていくものだ。
しかし、演じきった部分ならもう変えようがない。新しいものに目がないのが人間というものだ。
……そこでずっと隠れながら見ていた君は、どう思うんだい?
……
舞台はまだ残されているから、よかったら僕たちで再演してみてはどうかな?第一幕から。
誰しもが、仮に一切が起こり得なかったとしればどうなっていたかと、そう幻想に耽るものだ。
故に、再演は無意味である。
でも少しでも可能性というものがあれば……
君もこの演目に加わってみたらどうかな?ちょうど手持ち無沙汰みたいなんだし。
おはようございます!何やら悩ましいお顔をされておりますが、どうされたのですか?
勝利の角笛はすでに城壁の上で三日三晩も響き渡っているのに、なぜ私の心は今もなお焦燥に駆られているのだろうか?
私たちの偉大なる将軍なら、すでに凱旋されたではありませんか?あのお方の恐れを知らぬ勇気を共に讃えましょうよ!
勇気?恐れを知らぬだと?フッ、それもそうか。
忙しない召集が、我々の信念を一つにまとめた。しかしその対価は、眼前に迫ってきている滅びと憎悪になるとはな。
あなたは主君に仕えるべきお方でした、なのに今は一人の賊に忠誠を誓っているだなんて。
舞台の上で、謎の観客は近づくも、視線は目の前にいる人から遠くへ移していった。
彼は何もこの演目に感情を孕ませようとしているわけではなく、むしろこのすでに封印されて久しい戦争に関するもう一つ過去を整理していたのだ。
私が仕えるべきなのは君主ではない、実直な勇気だ。
しかしこのまま進めば、あなたが迎えるのは滅びだけです。
私という人が滅びることよりも、この国が暴君によって破滅へと向かわされている場面を生き長らえながら見届けることのほうがよほど恐ろしい。
なぜそういう結末を迎えると知っておられるのですか?
この国の辿った道を知ってるように、自ずと迎える結末も知れることだ。
バカなことを!歳幼いあなたが、よくもまあ往昔を懐かしむ口ぶりが出せたものですね!
太陽を永遠に空へ留めさせる者など存在し得ない。そのような欲を生み出したこと自体が最大の貪婪というものだ。
この栄えある輝きを維持するために、私は幾度となく狂人の立振る舞いを見てきた。賊に扮して相争えば、いずれにしろこの国の腐敗を早めるだけだ。
“ジャスミン”は舞台上で身を翻し、ゆっくりと数歩歩き回ったと思えば、それから正面に向き直して、顔を明かりにできた影に隠した。
だがそれよりも先に、もう一人の演者が口を開きセリフを吐いた。止水の如き落ち着きを見せながら僅かに横を向き、そして両腕を組み始めた。
彼らは認めたくないのだ。堕ちゆく者が光を手にしたくとも、握りしめるのは雷のみであることに。
では、人々は甘んじて堕ちていくことを受け入れなければならないと仰るのですか?
その頂を二度と顧みたいことを選べばよいのだ。
仮に自らの視線をそこから移せば、眼前に広がるのはもはや深淵ではなく、無限の可能性を秘めた肥沃の地であることに気が付くはずだ。
深淵に打ち勝てると仰るのですか?深淵の真の姿を、そして時間が差し迫っていることをすら知らぬあなたが。
深淵ならすぐ傍にある。なれば我が肉身でその深淵を埋め、血を以て廃墟を焼き尽くし、後代の人々のために豊かな平原を残してやろう。
なぜならば、往日の灰燼がすべて吹き散らされぬ限り、平原に新たな糧食が生えてくることはなく、我々もその糧で後代たちの腹を満たしてやれることはできないからである。