ここを見張っておいてください。
陣形を崩さないように気を付けてくださいよ、もちろん彼女の動きにも。
あのバカ丸出しな傭兵みたいにはならないようにお願いしますね、私たちの目の前にいる相手もしっかりと見極めねばなりませんから。
……来ました。
……
彼女の腕の動きに注意しなさい。
いつ剣を抜いてくるか分かったもんじゃありません――
……
……それと影にも気を付けるのですよ。目では剣筋を追えませんからね。
……
剣を抱えた白髪のサルカズはだんまりだ。
だんまりでありながらも、ただただ近づいてくる。
全身を武装させた衛兵たちとて、たまらず後退してしまうばかりだ。
下がるんじゃありません!
……
そこでぴたりと、彼女はそこ場に立ち留まった。
衛兵らが注意深く目を凝らす中、彼女は左手を上げ――ボロボロなマントの横についたポケットからとある小さなメモ書きを取り出した。
私はただ彼に会いに来ただけです、約束通り。そう警戒する必要はないと思いますが。
……
……ところで、リバーサイド通りの道を教えて頂くことはできませんか?
……
まあシャイニング!
あなたたち、みんなして玄関先を塞いでなんのつもり?はやくどいてちょうだいな。言ったでしょ、今夜こちらで家族の集まりがあるって。
……了解しました。
(???がシャイニングに抱きつく)
まあまあシャイニング、遅かったじゃないの、ずっと待っていたのよ?
……サルス。
遅れてはいません、時間通りです。
はいはい、時間通りね。まっ、そんなことで彼が怒ることはないわ。
ささ、はやく入りましょ、ディナーはもう用意してあるのよ。それにあなた、こんなボロボロな恰好になっちゃってまあ、ロンディニウムを出てからずっとまともに食べられていないでしょ?
だから彼に言っておいたの、王立科学院に出てくる献立を忠実に再現するようメイドたちにディナーを用意させなさいって。
……
シャイニング……あぁシャイニング、昔みたいに食卓を囲んで話をするのは随分と久しぶりになるわね。その際は、あなたが辿ってきた今まで旅路の話を聞かせてちょうだいな。
シャイニングが戻ってきたわよー!
お帰りなさい、シャイニング。
……
さあ、座ってください、そこは元からあなたの席なのですから。あの時はまだロンディニウムに来たばかりでしたが……もう随分と昔になってしまいましたね。
あなたがあの哀れな者たちを殺し、そして例の実験体を連れて逃げ出したあの日から、ずっとそこの席は空いたままでした。
あの時の裏切り行為、まったく一族をゾッとさせましたよ。
だが、私はあなたを責めたりはしません。さあ、座ってください。
……
……
私はもう待ちきれないわ、シャイニング。最近はずっと朝になるまで実験室に籠りっぱなしなの、だからこんなまともな食事は久しぶりだわ。
そう言って彼女は真っ先に椅子を引き、白い角が生えた聴罪師の頭領の右手側に腰を落とした。
そこから聴罪師の頭領は目を伏せ、一言も喋らなくなった。
そしてしばらくして、シャイニングは懐に抱えた剣を置き、長机の横にある唯一の空席に座り込んだ。
サルス、最近進んでる実験の話を聞かせてください。
やだわ、食事中に仕事の話?はぁ、はいはい。
まあ特に報告することもないわね、こっちは必死に記憶から感情を取り出そうとしてるけど、あの死んでいった可哀そうな人たちの声はそう長く留められそうにないわ。
成果ならあるにはあるけど、断片的な言葉しか捉えられていない。正直言って、そろそろボトルネックって感じね。
情報は切られた木の枝みたいに、その木の全体的な輪郭を形作ることはできても、根っこが断たれている以上は安定しないし、新しい芽も出ないわ。
それに、あれより昔の声を捉えるのは無理ね。それを現代に引き寄せることなんて論外よ。
なんせ……命とは時間のように、一方向にしか流れていないものだからね。その本質をまとめるにしても、文学みたいな抽象表現で描述するしかないわ。あなたやシャイニングのアーツで捉えられたとしても、一瞬だけよ。
“魔王”だけは特殊ですからね。
あれらの知識と技は言うなれば滝みたいなものだわ。その源流を見つけることなんてできっこないし、その中から清らかな水を汲み取ることだってできやしない。
あ~あ、シャイニングの実験が中止させられた後、こっちの研究もますますやり辛くなってきてしまったわ。
……
そういうそっちはどうなの?摂政王ったらまたなんか大事を企んでるんでしょ?だってあなた最近、西部大広間に籠っていないのならザ・シャードに籠りっぱなしだもの、全然私の実験室に顔を見せに来ないんだから。
仕方ありません、殿下の計画がいよいよ肝心な時期に差し掛かったからですよ。
はぁ、まあよく分からないけど。
今までそれぞれのカズデルで、私たち聴罪師は色んな王侯貴族に仕えてきたけど、それも必要に応じて、ってだけだったわ。
それなのにあなたったらずーっと摂政王の傍にべったり。よそ者から見たら聴罪師は摂政王の近衛なんじゃないかって誤解されてしまうぐらいよ。
私たちがそんなことを気にしたことなどありましたか、サルス?
数千年來、向こうが聴罪師に抱いてきた誤解なんてそれだけじゃ留まらないものね。
ねえ、あのテレシスって一体何が違うわけ?
……
もし呼び捨てにしてるところをマンフレッド将軍に聞かれてしまえば、お説教だけでは済まされませんよ。
ふふっ、家族の前だから言えるのよ。
彼もあの殿下みたく、どこかの王庭の出身でもないじゃない。血統もあなたやシャイニングよりもずっと純潔ってわけでもないわ。
それに彼らのご先祖は今までに一度だって聴罪師からの諫言を得ていないし、私たちだって彼らの血脈の記憶を掘り起こしたこともないでしょ。
いくら“魔王”がその妹を選んだとは言え、彼女の兄にそんな特別な……
あなたには教えたはずですよ、サルス。
力とは血脈を源とし、その血脈は記憶を受け継く。そして記憶は罪を重ね、罪はやがて枷となる。歴史に縛られない者だからこそ、その力を枷から完全に解き放つことができるのです。
はいはい、分かってるわよ。往日の輝きが両殿下のお導きのもと、再びこの大地へ降り注がれんことを。
……まあまあ、サルス。
成功しようが失敗しようが、殿下はサルカズにとって絶大な影響力をお持ちになられている。一番疎かにされてしまうポイントではありますが、忘れてはなりませんよ。
そうだシャイニング、あなたが連れて行ったあの実験体……えーっと、名前はなんだったかしら?リサ……それともリズ?その子は今も元気?
……リズなら元気です。
鉱石病の影響も中々に深刻なんじゃないのかしら?
彼女の身体は特殊だからね、あなたが見つけたあの……あのー……医療組織、それとケルシーが力を貸したとしても、助けになるとは限らないわ。
そんな彼女もロンディニウムに戻ってきてよかったわね~。あなたの実験室ならまだ残してあるから、いつでも彼女をここに連れ戻して……
……
料理はお口に合いませんでしたか、私の親愛なる姉さん?
少しくらいは話しをしてちょうだいな。せっかく家に戻って来たんだから、そんな冷たくならないでよ?
もしリズのことで機嫌を損ねてしまったのなら……謝るわ。でもあなたも理解してちょうだい、リズはただの感染者じゃないのよ。
それに、彼女の身に宿る苦しみと意識が誰のものなのか、彼女が抱える痛みと記憶が誰のものなのか、それを彼女自身が思い出してしまったら、今みたいに仲いい関係のままでいられるとは限らないでしょ?
彼女は私たちの家族ではないのよ、だからあなたも――
――彼女こそが私の家族です。
……そう……
でも……でもあなたが私のところに戻ってこなければ、彼女はいずれもぬけの殻になってしまうのよ。彼女がどうして今の状態になってしまったのか忘れないでちょうだいね。
もしそんなに彼女のことを大事にしているのなら、私もあまり悲惨な結末にならないように心から願っているわ。だから戻ってきて、ね?
それを理解できていないわけじゃないでしょ。
……
それを重々承知しているから、今回私の招待に応えてくれたのでしょう?
源石を手始めに、“魔王”の真実へ至る道を開拓する中、私たちはすでに明確な結論を得ました。
彼女は古い檻籠なのです。もし必要とあれば、私たちが新しい檻籠を作って差し上げますが……
そこまでにしてください。
――
はぁ。
あの時、混乱に乗じて仲間に傷を負わせながらあの女を連れて逃げて行った時でさえ、そんな大真面目に怒ってるところは見なかったわ。
どうやら今までどんなことを経てきたのか聞くまでもないようね。まあとにかく……
……そのよそ者を、家族以上に大事にしてるみたいじゃないの。
サルスはひと口でグラスに注がれていた水を飲み干した。
彼女は酒を飲まない、酒を好まない。仕事をしてる合間の飲酒は特にそうだ。
彼女の影が明かりのもとで揺らいでいる、今日は仕事をする日でもなかったのだ。
あなたたちは私の家族ではありません。
ここまで言ってまだ理解できないのですか?
いいえ、十分ですよ。
シャイニングはひと口たりとも出された料理に手をつけることはなく、また傍に坐っている二名の聴罪師に目をくれることはなかった。
そして剣を抱えて席を立つ。
……あなたたちから送られて来たリズを監視する兵士ですが、全員すでに私からお帰り願いました。
招待状も、もう二度と送ってこないでください。
もし次に会うことがあれば……そこは戦場になるでしょう。
“全員すでにお帰り願った”、ねぇ。
ねえシャイニング……本当にこのまま行っちゃうの?
もうあなたたちと話すことはありませんので。
もし私が……行かないでって言ったら?
あなたじゃ私は止められませんよ。
もう少しあなたと話がしたいだけよ、それぐらいのことなら私にだってできるわ。
ダメかしら?
……
聴罪師の頭領は静かに酒を嗜んでいる。
サルスもすでに彼女のアーツを放っていた、シャイニングには感じる。ここで剣を抜いて立ち去ることはできるが、その後は?
こんなことをして、本当にリズを救える方法は見つかるのだろうか?
シャイニング。
(聴罪師がサルスにアーツを放つ)
……うぐッ!ちょっと!本気でシャイニングに荒事を立てるわけないじゃない、どうして私の邪魔をするわけ!
いいでしょうシャイニング、お好きなようにしなさい。
今しばらくは、私のもとから離れることも許可しましょう。
ただし……摂政王殿下の計画の邪魔だけはしないように。待ちわびた未来へ歩んでいくサルカズたちの邪魔をしてはなりませんよ。
……
あぁシャイニング、私の愛しい姉さん。
誰であれ、いくら己の血脈に唾を吐き掛けようと、そこにある桎梏から逃れたいと望もうが、血脈そのものを否定することはできません。
その血から賜った理を否定することなど、なんの意味もないのですから。
……もうとっくに知っているものだと思っていましたよ。
何事も、あなたが思ったままに進むことはありませんとも……お父様。
……大君様。
レイトンよ、貴公はいつも憂いているようだな、一体何が貴公をそこまで眉を顰めさせているのだ?
もしや私が貴公へ振舞った酒が不味かったか?それとも、つまみの類の味が淡泊過ぎたからか?
ふむ、それも当然か。なにせ良いワインには、運命に抗わんとする凡人の惨めな様と、予言に溺れる英雄の傲慢さを合わせるべきであるのだから。
舞台上で物語をでっちあげることに関しては、私も堪らず賛辞を送ってしまうほどの造詣の深さをヤツらは持っている。だが残念かな、我々のヴィクトリアの友人たちは“虚構”に頼り過ぎた。
我々はもっと心を突き動かされるものを見たからな。違うかね、レイトン?
それは先ほど、大君様がこの貴族の妻と子供を、貴方様の部隊の餌としてやったことですな。
反乱分子に対する審査には大いに賛同しますが、しかし……うぅむ……
かはッ――!
彼は突如と、声を出せなくなった。
全身の血液がまるで彼の喉元を塞いでいったかのように、彼は堪らず地面に膝をついて必死に口を開くも、呼吸することはできない。
視界が血霧に覆われてしまう前に、彼はブラッドブルードが依然と優雅に、そして静かにその場へ座っているのを目で捉えたが、ブラッドブルードはまったく彼に目もくれなかった。
(レイトン中佐が倒れる)
中佐ッ!
隊列を組め、中佐をお守りしろ!
ここで私に抗うつもりなのかね?
……
だが貴様らの血の匂いはそう伝えてはいないようだぞ。
恐れている……怯んでいるな。
血が叫んでいるぞ。下げれと、私から逃げろと。
……
……隊列を崩すな!防衛態勢に移るんだ!
兵士たちは顔面蒼白であった。
彼らは震えながらも、その両手に――制式サーベルやクロスボウ、ヴィクトリアが彼らのために製造してくれた武器を握り締めている。
彼らはみな精鋭揃いだ。ウルサスの百戦錬磨の先鋒も、リターニアのアーツの襲撃も、クルビアの銃器すら恐るるに足らない。
そんな彼らが、目の前のソファーに座っているだけのサルカズに恐れをなしていた。
武器を、下ろせ……
下がれ……みな下がるんだ。
しかし中佐……
これは……命令だ。
……了解しました。
兵士たちは揃えながらも、静かに下がっていった。
先ほど口に出した命令ですべての気力を費やしてしまったレイトンは、抗うこともなく、サルカズが彼のために用意してくれた長い暗闇へと沈み込んでいこうとする。
そして彼はまた、サテン生地のように滑らかなウィスパーボイスが聞こえてきたのだ。
レイトンよ……レイトン。
私は貴公を友と思っているよ。友であれば互いに信頼し合わなければならないだろ、違うか?
これでも私は十二分に慈悲を与えたはずなんだがね。いつだって貴公や貴公の部下が犯した差し障りがない“ミス”をフォローしてやってきた。
コソコソと裏で行われている取引や、路地にある闇市なら……私は気にしない。欲と貪婪は罰せられるべきではないというのが私の持論なのでね。
だが、貴公もそれ相応の信頼を向けて然るべきだ。
多くのガリア貴族は羽獣を好んで飼っていたな。あの美しい小動物のためであれば、煌びやかな檻籠を作って、柔らかなベッドを敷いてくれる。
彼らが囀れば、最高の食事にすら用意してくれる。
ご機嫌斜めの場合でも、時折主人の手を啄んでやれば飼い主は大喜びだ。お互い我が家にいる羽獣の賢さと個性を見せびらかそうとする。
しかしだ、その羽獣は……飼い主を逆に飼い慣らしてやったと勘違いを犯しているだけに過ぎぬのだよ。
空気がレイトンの肺へと戻っていった。
しばらくしてから、彼はようやく立ち上がることができた。四肢は未だに震えたままではあるが、彼は必死に自分の声を震わせないように努めた。
……寛大なるお慈悲に感謝致します、大君様。
……
このまま進め!
隊列を崩すんじゃないぞ!
(ヘドリーが近寄ってくる)
……俺を探してると聞いたぞ。
ケガはどうだ?
変わりはない、だが任務に支障はきたさないさ。
なら結構だ。
先ほど情報が入った、お前も確認してみろ。
……分かった。
ハイバリー区で極秘任務にあたっていた先遣隊の傭兵たちに……事態発生だと?
本来であれば一時間前に向こうから任務進捗の報告が来るはずだったんだ。
……
傭兵らの近頃の働きには、軍事委員会も不満を見せている。
兵士らには、この先のさらに大きな戦闘へ集中してもらわねばならん。殿下も私も、本来なら傭兵らに……期待していたのだが、このザマではな。
……今すぐあいつらの行方の調査に取り掛かる。
必要ない、すでにこちらで手配した。
そうだ……一つ予想を立てたのだが、彼らはおそらくお前の古い知り合いと出くわしたのだろう。
サルカズの補給線にこれほどの関心を寄せているのは、我々を除けば彼らしかしない。
君も考えてみたまえ。ドクターとアスカロンたちは……
今頃ハイバリー区で軍需工場の調査に取り掛かっているのだろうか?それとも、すでにその他補給線の情報を握っている要所の急襲に取り掛かっているんじゃないのだろうか?
……
引き続き静養したまえよ、傭兵。
私が君の古い知り合いたちを一人ひとり見つけ出してやる前に、君はこれ以上不必要な“傷”を作らないでくれたまえ。
おードクター、帰ってきたんだね!
どうだったどうだった?工場の情報はもう手に入った?
・中継地点を何か所か見つかったかもしれん。
・これでパズルの半分は埋まったぞ。
すごいじゃ~ん、ドクター。万が一君とフェイストに何かあったら、このアタシがとうとう本気を出して救い出さなきゃなって思ってたよ。
・アスカロンがいる、大丈夫だ。
・……
・アスカロンに感謝だな。
……
・そこでアスカロン、もう一つ頼み事があるんだ。
・そこでアスカロン、もう一つ頼んでもいいか?
……
・Wに連絡を取ってくれないか?
・Wも今ハイバリー区にいるんだろ?
向こうにも向こうなりの行動計画があると思うが。
・あのとても若いサルカズの傭兵なんだが……
・作業員に手を出さなかったあのサルカズの傭兵なんだが……
もしかしたら助けが必要になってるかもしれないんだ。
……それならWも把握してるはずだ。
・クロージャ、アーミヤは……
・そろそろ約束の時間かな?
ドクター!
その声を聴きつけ、あなたはすぐに声のする方へ振り向いた。
そこにはあなたのもとへ駆けつけてくる、とても馴染み深い姿があった。
(アーミヤが駆け寄ってくる)
私たちもただ今戻りました。
アーミヤ。
・久しぶり。
・お疲れ様。
はい……ドクターも……
ドクター、あなたがここ数日手分けして行動しようと提案を出した時、それが最善の選択だということは頭では理解していましたけど、それでも……
でもまあ、少なくともこうして無事再会できましたね、ドクター。また会えて嬉しいです。
・クロージャ、そっちの準備はどうなった?
・明日行動できるかどうかは、すべてクロージャのほうにかかっているな。
大丈夫!ここ数日間で、こっちもそろそろ仕上がってきたよ。
ロンディニウムのほか地域の都市防衛システムも同じ弱点を持ってるかどうかはまだ不明だけど……まあ、システムの骨組みは大体一緒だと思う。
Miseryとホルンさんからもらった情報と、ウチらが都市防衛砲台の制御室で手に入れたデータをもとに、ドローンの解析機能をグレードアップさせたんだ。
アタシに30分ほどの時間さえくれれば、ドローンが防衛軍の司令塔中枢に近づいた時にちゃちゃっとシステムを解析して、十日間前後のロンディニウムの交通記録をぜーんぶ抜き取ってあげるね。
・20分じゃダメか?
・できるだけはやく頼むよ。
そうですね……明日の戦闘はきっと今まで以上に苛烈なものになるはずですから。
私たちのほうもここ数日、ロンディニウム市内にいるサルカズ軍の動向を探ってきました。
予想では、マンフレッドとブラッドブルードがこの先の戦闘に出現するかもしれません。あの二人は私やアスカロンさん、それとMiseryさんでなるべく食い止めておきます。
ただ……
・長引くだけ、戦士たちも危険に陥ってしまうな。
・テレシスに対応できるだけの暇を与えてはならないな。
王庭のサルカズに関しては、いつでも前線に出現する可能性はある。
その通りです、ドクター。
ルシー先生が今私たちのために、市内へ戻ろうとするナハツェーラーとリッチを食い止めてもらってはいますが……それでも先生が稼げる時間にも限りがあります。
・同時に何人もの王庭を相手取ることはできない。
・あの二人も加わってしまえば、戦況は圧倒的に不利だ。
合図に注意しておこう、いつでも撤退できるように準備しておくんだ。
はい、ドクター。
ロドスも自救軍も、すでに準備はできています。
アラデル、先ほど傭兵たちが貴様を探していたぞ。
……
ごめんなさい、ちょっとボーっとしていたわ。何か言った?
……いや、謝るべきなのはこっちのほうだ。
私があんなに急いでいなければ、貴様と一緒にエルシーを助け出してやれたはずだ。
彼女は貴様にとって……とても大切な存在だったのに。
エルシーは私の唯一の家族だったわ。
だからもう、カンバーランド家はとうとう滅んでしまった。
家族が一人しか残っていない家なんて家とは呼べないもの、そうでしょ?
……きっと本来であれば起こるべくして起こる事象だったのだけど、それが今日まで引き延ばされただけだったのかもしれないわね。
そう言うな、アラデル。
あの忌々しいブラッドブルードには必ずツケを払わせてやる、約束しよう。
蒸気鎧もあの火事のせいで失ってしまったわ。でもまあ、それでよかったのかもしれないわね、これでもうあれと向き合う必要もなくなったんだもの。
……ねえ、ヴィーナ。
私もその、グラスゴーに入れてくれないかしら?そこでなら、何も起こらなかったかのように忘れられる気がするの。
もう何も背負うこともなく、ただあなたたちの知恵袋として……あっ、ごめんなさい、モーガンがいるのを忘れてたわ。だったら、私は下っ端になっても構わないわ。
一緒にサルカズの駐屯地を吹っ飛ばしに行きましょ。火はあなたが点けてもらって、煙がそこそこ上がるようになったら、私がそこに潜り込んで連中の指揮官のケツをシバキ上げてやるから。
……
冗談よ。
知ってる。
まあ私はもう、敷かれた道しか歩くことはできないから気にしなくていいのよ、ヴィーナ。
なぜそう言う?貴様が私たちに加わってくれたら、きっとグラスゴーにまた新たな逸話が生まれるはずだ。
それって……
ここで約束しよう。
貴様がヤツらの指揮官のケツをシバキあげた後も、必ず無事に帰ってこれるように私が守ってやる。
私からの約束だ。
……そう、ありがとう。
まっ、冗談はここまでにしておきましょう。このまま続ければ……本気にしちゃうから。
それじゃあ、私はもう行くよ。トターさんと傭兵たちが私を待っているからね、一連の作戦行動を再確認しに行かないと。
ヴィーナ、あなたもしっかりと準備しておきなさいな。
諸王の息吹は……いよいよ目の前よ。
(アラデルが立ち去る)
もし彼女に、この都市から連れ出してほしいと乞われたら、キミはそれに応えてやるのか?
クロヴィシア……?
(クロヴィシアがシージに近寄ってくる)
ロンディニウムの城壁は高い。普通の人間がその影から逃れることは困難だ。
だがキミは逃げきった。宮殿から、そしてロンディニウムから逃げ出すことができた。その点において、アラデルはきっとキミが羨ましいのだろう。
彼女は二十数年もの間、ずっとカンバーランドの名を背負うように自分に無理を言わせてきたが……キミは違う。キミは、一度だって考えたことがあるんじゃないのか?己の名を棄てることを。
……否定はできないな。
だがどんなに否定しようが、私はこの地へ帰ってきた。
今のヴィクトリアが危機に陥っているのであれば、私にはこの国のために戦う義務がある。
……ヴィクトリアか。
王も、公爵も、商人も、軍も、労働者も……
己の行いに理由をつける際、みな口々に“ヴィクトリアのためだ”と言っていた。だから彼らは百年も千年も戦い続けることができた。
だがそのヴィクトリアの定義とはなんだ?この国が抱える六十余りもある移動都市とその周辺の領地、四千万にも及ぶ国民のことか?それとも彼らを統治する君主の名か?
アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア王女殿下よ――
自分はヴィクトリアのために帰って来たと、キミはそう言うが、であればそのヴィクトリアの何のためにここへ戻ってきたのだ?
貴族のお屋敷が燃やし尽くされてしまいました。生存者がいればいいのですが……
サルカズもこれからの大規模な軍事行動を企てている、都市防衛軍に至ってもはやそれを隠そうともしなくなった。
……
この街も、もう元の姿に戻ることはないのでしょうね。
ゴールディングは分かっていた。あの司令官が自分のもとに訪れて来たということは、もはや自分の身分は明かされたのである。
彼女は深い無力感に襲われながらも、あてもなく街を彷徨う。
どうして人が、時代の波に抗うことができると言えるのだろうか。
ふと、アダムスの書店へ寄った際、店のドアは開いてはいるが、店内には馴染み深い暖かな電球の光が灯されていないことに気付く。ゴールディングは密かにイヤな予感を抱き始めたのだ。
店内には誰もいなかった。だがそこにはまるで実体を得たほどに濃い血の匂いが、店内の隅という隅に弥漫している。
そこでゴールディングはようやく気が付いたのだ、床がぬるぬると滑りやすくなっていることに。
床だけではない。カウンターもレジも、棚に収納された書籍も、またはアダムスがいつも手元に置いてあるティーポットも。
まるで丁寧にペンキで色付けされたように。
紅い血が、そこら中に塗られていたのだ。
――
ここ数日、ずっとゴールディングを苛んできた不快な感覚が、とうとう今までになかったぐらい爆発してしまった。
激しい吐き気に催されながらも、彼女はすぐさま逃げ出すかのように書店を出た。
ゴールディング先生、大丈夫ですか?
おえッ――ゲホッゲホッ。
……ジャスミン。
顔色がすごく悪いですよ。ほら、私が支えてあげます。
ゴールディング先生、あなたが出してくれたあの舞台劇ですが、まだ終わってはいませんよ。
言ってましたよね、教育こそが先生たちの力の源だって?
私の、力の源……
はい、ですので戻りましょうね。
でも焦る必要はないですよ、私たちはこんなにも待ち続けてきたのですから。フィナーレだってきっと迎えられますよ。
んじゃ、あんたらに任せたぜ。
安心しろ、俺たちが必ず新しい仲間をアジトまで連れてってやるからな。
あんたは一緒に行かないのかい?
ああ、まだ任務が残ってんだ。
だってあんたの孫、今じゃ自救軍の中でもそれなりの顔役をやってるからな。
顔役はそんなぺちゃくちゃとつまらないことを言わないけどね。
そうだ婆ちゃん、これ返すよ。
作業員証かい。
オレはもうここの人間じゃない。ここを出てからも、付けてるわけにはいかねえだろ。
……
小賢しいだけじゃ死は欺けられない。死んでいった者たちが蘇ることはないし、残された傷痕も時間が経つにつれ浅くなっていくとは限らない。
でもオレは、毎晩毎晩一人で誰にも使われなくなった機械を眺めながら後悔したくはねえんだ。
だって……
夜は必ず訪れてくるもんだろ。
だからオレは死んでいった者たちが残してくれた松明を引き継いで、その夜を超えてやる。
寒さが消えるまで、先の道を覆い隠す暗闇がなくなるまで――いや、オレの足が歩けなくなるまでな。
中身もねえ希望なんざオレは抱いちゃいねえし、オレに代わるほかの誰かが身を挺してくれることを待ってるわけでもねえ。
婆ちゃんも言ってくれたじゃねえか、ロンディニウムはオレたちで作り出した都市なんだって。
だったら、たとえこの都市が明日の戦乱で廃墟になろうが、明日のそのまた明日になりゃ、オレたちがまたその都市を建て直しゃいいだけの話だろ。
フェイストは一気に、これらを話し終えた。
その正面にいる人は相も変わらずずっと黙りこくったままだ。だがこの沈黙は今までのように、フェイストを不安に駆り立てさせるようなものではなかった。
彼は組み立てラインの傍で立っている祖母の姿を見ながら、ふとこんな疑問が思い浮かんだ。
婆ちゃんの髪って、いつからこんな白くなったんだっけ?
ふぅ……
考えがまとまったのなら、あんたの好きにしな。
……分かった。
またな、婆ちゃん。
(フェイストが立ち去る)
……
フェイスト!
フェイストは視界の隅で、こちらへ飛んでくるとある小さなカードらしきものを捉えた。
それは彼が先ほどキャサリンへ返した古い作業員証だ。
そこでフェイストは、笑顔を浮かばせた。
大丈夫、また戻ってくるって、婆ちゃん。
それだけじゃねえぜ、ちゃんと勝利も一緒に持って帰ってきてやるからよ。
婆ちゃんがオレを誇りに思ってくれてるのは分かってんだ、だからわざわざ言わなくてもいいぜ。
その代わりに、オレも婆ちゃんに伝えておくよ――
この先オレがどこに行こうが、これだけは変わらねえ。オレもここの工場を誇りに思ってるぜ。
あと……婆ちゃんのこともな。
そんでさ婆ちゃん、前に婆ちゃんがオレに聞いてきたあの質問なんだが、オレ考えてみたよ。
自分を失望に叩き込んでくる物事とか、裏切りとか、猜疑心とか、いつまで経っても団結できない人たちとかさ……きっとまた現れるんだろうよ、オレにも分かるさ。
でもそういうのが来るのを知ってるからって、ほかの人を信じることを諦めちまったらさ……それこそ、この戦争から生き残ることはできねえって思うんだ。
勝とうが負けようがさ、オレたちはどうせ、いつか絶対そういうもんと出会うことになるんだからよ。
……
あっ、そうそう。ついでにだ。
オレは蒸気鎧の中がどうなってるのか一度も見たことねえけど、あの組み立てラインでひたすらパーツに金槌を振り下ろしてる姿だけは忘れねえよ。
オレからすりゃ、婆ちゃんこそが英雄だぜ。昔も今も、これからもな。
へへ……
まあ気色悪いって言われるのもイヤだし、ここで本当におさらばだぜ!じゃあな婆ちゃん!
カン、カン、カン。
組み立てラインはいつもと変わらず稼働している、まるで昔から変わっていないかのように。
……ふっ、まったくこのやんちゃ坊主ときたら。
フェイストは工場の奥から耳馴染のあるため息が聞こえた。
彼はそのため息が聞こえた方向に手を振り、しかし振り返らずに、そのまま外を照り付ける太陽のもとへ消えていったのであった。