着いたぞ、ここは……宮殿と公爵邸が繋がっている道だな。
(小声)……金色の鬣。
今なにか言ったか、ヴィーナ殿?
いや、なんでもない。彼らに会うのは久しぶりなものでな。
ついこの前も、私たちはちょうどこの道から逃げてきたのよ。でも今日またこの古い石畳の道を歩くことになったとはね。この道も、ここまで頻繁に歩かれるのは初めてなんじゃないのかしら。
だってこの道、本来なら緊急用なんだもの。
だが、公爵邸の者だろうが宮殿に住まう者だろうが、その者たちの緊急時に使われ
ることもなかったということか、この道は。
傭兵、酒の席以外でのそういう冗談はやめろ。
悪かった。
アラデル、前に私はこの道から諸王の息吹を持ち帰ったと言っていたが……
実は何も思い出せないんだ。
おかげでこっちは焦りに焦ってる。まるでわざと大きな責任から逃れているような錯覚に陥ってしまうんだ。
気にしなくていいのよヴィーナ、あの頃のあなたはまだ幼かったんだもの。
言葉を覚えたばかりの子供に責任を強いるような人がいるとしても……それは向こうのエゴでしかないわ。
あっ、ごめんなさい……もしかしたらあなたの親しい人たちの悪口になってしまったかしら……
いや、貴様の言ってることは正しい。
だがそれでも、私たちはここへ帰ってきた。
“責任”?“奇跡”?当時の自分が、周りからどんな期待を背負わされていたかは分からんが、今はもう何も気にしてはいないさ。
私が今ここにいるのは、為せねばならないことがあるからに過ぎない。
大義も名分も、私は付けるつもりはない。なぜならば……人々の平穏な暮らしを取り戻すために戻って来たのだからな。
ふふっ……なら、また一歩目標に近づいてきたわね。
それじゃあみんな、あそこのレンガで塞がれた壁を壊してちょうだい。でも静かにね、大きい音を出したらバレてしまうから。
ここから下に降りる必要があるわね……
ああ、では私が……
暗闇を突き進む中、背後から足音が聞こえてきた。
金色の鬣も……
ヴィーナ、どうかした?
……
なんでもない、進もう。
追っ手は来ていないな。
サルカズは思いもしないだろうな、まさか俺たちが地下に潜っているだなんて。
なんせあいつらは今、上でドンパチ騒ぐのに夢中になっているんだしよ。
だがその上で苛烈に繰り広げられている戦いでの犠牲者のうちに、我々の仲間も含まれていくかもしれん。
だからアラデルがこの作戦を提案した時、私は迷っていたんだ。
本来なら私も自救軍と一緒に……ロドスのみんなと一緒に戦うべきだったからな。
でも、私たちの作戦がバレないようにするためがドクターたちの計画でもあるのよ。
上がどんな状況になっていようが、私たちは諸王の息吹を手にしなければならない。それが最優先事項よ。
だってあれはサルカズの計画を破壊しうる存在だからね、なんなら戦局を根本的に変えうるほどのものでもあるわ。
その剣のことだけど……吾輩はおとぎ話でしか聞いたことがないわね。
あれはね、歴代アスラン王が所持していた宝剣なのよ。
伝説では、草原に住まう精霊がアスランのために作った剣とされているわ。古代にいたとされるパーディシャが、その剣でバケモノの王の首を斬り落としたとも。
それからアスランがヴィクトリアにやってきて、ここの王になってからその剣は王権の象徴になった。
一部の文献の記載によれば、まだ移動都市もなかった時代に、時の王たちはその剣で天災を切り伏せたと書かれているわ。
そのため数百年もの間、ロンディニウムは一度も都市を破壊しうる嵐に遭ったことはないんだとか。
おかげでその諸王の息吹さえあれば、ロンディニウムはどんな強敵にだって打ち勝つことができるって、口伝されているぐらいだわ。どんな強大なバケモノだろうが、恐ろしい天災だろうがね。
……
それを信じてる人なんているのかしら……
アタシは信じるぞ。
俺は……俺はヴィーナを信じる。
あんたそりゃ話をすり替えてるよ、吾輩だってヴィーナを信じてるさ。でも今の話、明らかにただの子供騙しのもんでしょ、そんなことあるわけ……
いいえ、“天災を切り伏せた”っていうのはもっぱらアスラン王たちの王権神話を誇示するために作られた話でもなんでもなく、実際にそういうことができるのよ。
もし嵐を引き起こすことができるザ・シャードがロンディニウムの矛だとすれば、天災を切り伏せる諸王の息吹はヴィクトリアの盾ってところね。
その矛は今じゃ誰にも知れ渡ってはいるけれど、盾はもはや伝説でしか存在しないもの扱いとなってしまったわ。
だからもし私たちがその力を手に入れれば、サルカズの野心も必ず阻止するこができるはずよ。
アラデル、我々の宝剣について詳しいのだな。
それはまあ……カンバーランドの者としての務めでもあるからね。
間近でその剣を見たことがあるのか?
……
あるわ、でも一回だけよ。
あの時見た情景というのは、ホント思い返すと、夢でしかありえないものだったわね……
なあなあ、それは一体どういう剣なんだ?
あの剣は……とても美しかったわ。
心を打ち震えるほどのパワーも秘められていた。それを見れば、みんなもきっと勝てないものなどないと思えてしまうはずよ。
本当にそんなにすごい剣なの?
伝説……伝説か。
もしかしてそれって、サルカズを暗喩してるんじゃねえの?ぶった斬ったら、サルカズにだけ特別効くとか?
……あんたぶった斬るぶった斬るってそればっかりね?
もしあの日、吾輩らを追い掛け回してた大君とかってヤツの脳天にヴィーナがハンマーを振り下ろしていたら、二百年後にもそのハンマーに同じような話が付け加えられるとは思わない?
うふふ、本当にそうなるかも。
じゃあその時ハンマーを授けた精霊は……ロドスになるわね。
……そうなったらクロージャは大喜びだろうな。
「荒地を行く神の船!王の帰還なり!」ってね。
それのどこがおとぎ話なんだよ、まるっきり事実じゃねえか!
だったら二十年後、ウチらの近所で走り回ってるガキんちょ連中も、きっとみんな「偉大なる女王ヴィーナ、ロンディニウム人を導いてサルカズを追い払ってくれた」ってそこら中に言いふらしてるに違いねえ。
じゃあヴィーナの物語となると、もっとしっかり構成してやらないといけなくなるわね……むむむ……
……私だけの物語ではないぞ。
恐れ知らずの勇敢なる“ハンナ・インドラ”、聡明で叡智ある“ケイト・モーガン”、忠誠にして不屈なる“イザベル・モンタギュー”。
そして……高潔で実直なるアラデル・カンバーランドも。
これは私たち全員の物語だ。
……ふふッ。
さあ、このまま進もう。
物語は自分で自分を書き下ろしてはくれないからな。
諸王の息吹。
シージは心の内で思っていた、私はそれを見たことがあるはずだと。
だが思い出すのは靄にかかったような記憶の断片と、曖昧な声だけであった。
(回想)
さあ、我が娘よ。この剣を持ってみなさい。
剣に呼ばれている感覚はあるかね?
感じるのだ、その剣を。
その声を。
ヴィクトリアを。
そこは燃え盛る宮殿であった。
その日シージは外に出て、どんな催し物が開かれているか見てみたかった。国王の生誕祭の日は、毎年とても賑やかであるからだ。
だが彼女が目にしたのは、怒り狂うように吠えたてる炎と、その炎から逃げ惑い、あるいは地面に倒れ伏している制服を着た人々だけであった。
地面も揺れが止まらない。そこで彼女はふと、枕元に置いてあるガラス作りの羽獣を思い出した。あれは彼女がつい最近、貰ったばかりのプレゼントである。近頃は毎晩、その精巧に作られた小物を抱えなければ眠りにつけないのである。
アレクサンドリナ殿下!
中に入ってはなりません、危険です!しかし殿下が外に出ておられたのは幸いでした。ヤツらの狙いは陛下と貴方様なのですから……
ただ陛下は……もう……
いや、今はそれどころではありません。
陛下から最後の命令をお受けしました。必ず貴方様をここからお連れ致します。
(回想終了)
ヴィーナ、どうしたの?さっき地下に下りてからずっとそんな感じだけど。
少し……思い出したんだ。もうとっくに忘れてしまっていたはずのことを、思い出した。
それは辛いほう?それとも楽しかったほう?
いや……まだ声しか思い出せていないんだ。
(回想)
……申し訳ございませんが殿下、ここからはご自分で歩くことになります。
少し前もここを訪れたことはあるはずですよね、憶えておられますか?
(複数の何者かの足音)
ヤツらが追ってきた。
いいですか殿下、何があってもこの道を進むのです。
決して振り返ってはなりませんよ。
(戦闘音と走り去る足音)
彼女は言うことに従って、ひたすら奥へ進んでいった。
この先に広がっているのは一面の漆黒ではあるが、彼女は自分の背後を追いかけてくる星屑の如く優しい光のほうがなおのこと恐ろしく感じた。
彼女はひたすら逃げた。その道の始まりも終わりも忘れてしまうほどに、涙も枯れてしまうほどに。だが目の前に伸びる道は、いつまでも果てしない。
しかし逃げていくうちに、彼女の下から金色の鬣が現れた。
まるで自分も四本の足で駆け回る獣になったかのように、幼い彼女はその暖かな金色にしがみついた。
そうしてついに、彼女はもはや自分を追いかけて来る悪夢に恐れることはなくなり、自分が失った何もかものために涙を流すこともなく、自由自在に暗闇の中を駆け巡るのであった。
やがてそういった幻は消え、記憶も波のように引いていった。
気が付くと、彼女は長い長い道の真ん中に立っていたのである。
その道の突き当りには門が構えている。その門は生と死を隔てるものであった。生から死へ、あるいは死から生であるか。どちらにせよ、その門はヴィクトリアの王たる者にしか開かれないのである。
……ここだ。