ここが……
巨大な門が地下空間に聳え立っている。ここはシージら一行の呼吸する音を除いて、何も聞こえない。
当然である。死とは静寂なものであるのだ、いくら輝かしい王権であってもそれだけは不変なのである。
……王たちの眠るの場所。文字通り……王たちの墓所だ。
ところで、何か聞こえないか?
いいや、アタシたちの息する音だけだが。
……
だが事実、何かの音がこの空間から聞こえてくる。
これは夢から醒める際の唸り声か、あるいは疲労から来る呻き声か?
彼らがこちらを見ている。
“ヴィクトリア”そのものが、こちらを見ているのだ。
シージがそれに気が付いた時、ある種の焦燥感に襲われた。
彼らは何を期待している?私からどういった未来を見ているのだ?
だがそんなシージは、とっくにこういった事象に追われる日々にはうんざりしていた。
すでに久しく、あの黄金そのものであるかのような生き物の呼び声に、構ってやることはなかったのだ。
黄金の鬣……
行こう、さっさとこの任務を終わらせるぞ。
ロドスも自救軍も、我々の支援を必要としているはずだ。
――
止まれ!
地面にあるこれは……一体……
……暗すぎてよく見えなかったせいか、最初は上流階級の奇天烈な衣装かなんかだと思ってたぜ。
だがこいつは、血だな。
交戦した痕跡も残ってる。
酷い有り様だな……まるで血の池地獄だ。
血痕、蜿蜒とした血痕は、道の突き当りに構える門の隙間の先へと続いているように見える。あるいは、その巨大な門から這い出てきたのだろうか。
血はすでに乾いていた。ただ赤黒く捻じ曲がった跡を残し、砕かれたレンガの上を覆っている。
レンガ以外にも、そこには破損した矢尻や、刃物の欠片、またはアーツの爆撃が残した穴もが血に覆われていた。
さらに巨大な痕も残っていた。まるでここの静寂をも切り裂かんとするような傷痕が、赤裸々とこの神聖な門に刻み込まれている。
周りには一つと遺体は残されていないが、ここでどんなことが起こったのか、戦場を経験したことがある人間であれば誰であれ容易に想像はつくだろう。
両者は決死の信念をもって戦いに望んだ。そしてその両者共々、その願いを叶えたのは明らかである。
血痕の色味や乾き具合を見るに、何年も前に残されたものみたいだ。
何年も前……それって……
……サルカズの仕業だ。
ここで倒れたのはサルカズだろうな。
ここに落ちてるのはヤツらよく使ってた武器だ。当時、塔楼騎士を襲ったサルカズの戦士が使用していたのとまさにこれと同じタイプだった。
……いま外で戦ってるサルカズ兵とはまた別ということか。
ああ。
今のサルカズが所持しているサーベル類はすべてハイバリー区の軍工場で作られたものだ。ヴィクトリア軍が使用する制式の武器と似通ってる。
こんな粗い作りはしていねえさ。それに……ここまで野蛮でもねえ。
今も鮮明に憶えている……この錆びた刃物がアタシの仲間の身体を切り裂く時のあの音が。こいつらは結構な重量があるんだ、だから鎧を叩き割る前に、骨がやられちまう。
ダグザ、あんた大丈夫?
……平気だ。
もしこの程度の痕跡を見ただけで怖気づいてしまったら、今のロンディニウムの夜という夜から逃げることなんてできやしねえよ。
……ヴィーナ、想定外の状況だわ。
……
先ほどから聞こえてくる例の声で、彼女は頭痛に苛まれている。
彼らは促している、訴えかけてきているのだ。
諸王の息吹はまだこの中にある。
冷静を保ち、先へ進もう。
ところで、ここにいたサルカズたちと戦った相手は分かるか?
いいや、判別はできんな。
相手は痕跡を残していないのか?
残っていないか、あるいは俺ですら見たことがない痕跡とかだな。
トター殿、傭兵は長いのか?
あと一か月で十四年目になる。
なら、ほとんどの国で製造されてる武器兵器類を見たことがあるだろう。
あるにはあるが、全部ではない。
俺はただの普通の傭兵だ。各国の精鋭部隊が持ってる武器なら、あんまり見たことはない。
見ていたら、生きてちゃいないからな。
……
モーガン、インドラ、通路の外で見張りを頼む。
はいはい、昔みたいに退路の確保、でしょ?
面白いのがあったら俺たちにも教えろよ。
(モーガンとインドラが立ち去る)
シージ、このまま闇雲に進むわけには……
私たちの頭上で起こってる戦闘が聞こえるか、ダグザ?
いや、聞こえないけど。
私には聞こえる。戦闘で生じる震動も……感じるんだ。
だから手ぶらで帰るわけにはいかない、ダグザ。
仮にあの剣がすべてを阻むことができるのなら、ほんの僅かな犠牲で屠殺の歩みを遅らせることができるのであれば……
私は必ず手に入れなければならないんだ。
私が背負うべき責任だの義務だの、決してそういうものではない。これは単に……私がそうしたいからだ。
昔こちらにちょっかいをかけてくるゴロツキ連中を返り討ちにするのと同じさ。
ヴィーナ……
アラデル、貴様も言っただろ。ここまで来れば、もう振り返る余地もないとな。
あんた、なんか嬉しくなさそうだね。
んなわけねえ、宮殿の地下でやれるなんてそうそうねえだろ!
シージらが手を出す状況に出くわさなければいいんだけどね。
俺はこれでもな、お前のためについてやってんだぜ?お前が一発でぶっ倒れちまったら、俺がデケェ声出して向こうに伝えとかなきゃならねえだろ。
この吾輩がぶっ倒れるわけないでしょ、このばかハンナ。
……
ねえ、初めてヴィーナに会った時の彼女の顔だけど、憶えてる?
忘れるわけねえ。
そりゃもう必死の形相だったぜ。
あの頃の彼女ときたら、背丈はちっこいくせに、まあ短気だし全然喋らないしで。怒ってるのかどうかなんて分かんないのに、彼女が手を出したらそりゃもう……はは、一体誰から教わったんでしょうね?
本人が言うには先生から、らしいぜ。
ああ言われちゃ、てっきりノーバート区にいる喧嘩王から教わったんじゃないかって思っちまったぜ。
でもあとからヴィーナの正体を知ったら、まあ納得だわな。おおかたその先生とやらも、脳みそ筋肉しか敷き詰められてねえ騎士とかなんだろ。
ていうかよ、王子様とかお姫様ってのはみんなヒラヒラしてロクに走ることもできねえような派手な服装しか着ねえんじゃねえの?なんでその先生は獣みたいな戦い方を教えたんだよ?
ふふ、初めて吾輩らに正体を打ち明けた時は、てっきりこいつは冗談を言ってるんだと思っちゃったよ。
ヴィーナがそんな俺たちの生死に関わるようなことで冗談を言うわけがねえだろ。
最初はさ、てっきりまた新しく出てきたギャングが、吾輩らグラスゴーに吹っ掛けてきたんだと思ってたけど……
それがまさか王位継承者を口封じに来たとはね、まったく。
あの連中はまあしぶとかったぜ。
それから吾輩はこう思ったのよ、ストリートで屯ってるよりも、王になり得るかもしれない人と一緒に冒険したほうがよっぽど刺激かもってね。何より吾輩の好みに合うし。
それがいつの間にか、ヴィーナと一緒にロンディニウムから逃げて、あちこち彷徨ってはまたここに戻ることになるとはね。
もし……伝説に存在する英雄たちに選ぶ権利があるんだとしたら、きっとソファーに寝っ転がりながらゴクゴク冷たいビールにありつけるはずかも。そう思わない?
……いまさら後悔か?
まさか、こんなとこまで来ちまったのなら後悔してもしょうがないでしょ。
回顧録だってもう筆を起こす用意はできてるわよ、いつかそいつでガッポリ儲けてやるわ!『偉大なるヴィーナ陛下とその偉大なる仲間たち』ってね、あとは出版社に話をつけるだけよ。
お前のそのちんけな語彙力でか?やめとけやめとけ!
面白いってヴィーナからお墨付きは貰ってるわよ!
……
なんか……吾輩らで看板をぶっ潰しちゃったあのバーのことを思い出すわね。
おぉ、ヴィーナが入ってからの初めての勝ち戦だな!
思い返せばあの夜、酒蔵にあった酒を全部飲み干してしまったわね。まあ結局最後にはベアードが吾輩ら一人ひとりをトラックに運んで、サツが来る前に逃げてやったけど。
バカ違ぇよ、お前を運んでやったのはこの俺だ。ベアードは便座とハンドルを間違えちまうぐらいベロンベロンだったんだぞ、あいつに運転なんかできるわけねえだろ!
あれ、そうだったっけ?
でもまあ……どこにいようが吾輩らはいつもみたいに、一緒にバカやってるんでしょうね。別のギャングからバーを奪うにしろなんにしろ。
ねえ、ハンナ……
ここに戻ってからもう結構経つでしょ?なのになんでヴィーナは一度も、グラスゴーの様子を見に行くなんてことを言ってくれないのかしら?
……鍵。
別行動になる前、ドクターからこの鍵を渡されたんだ。
ケルシー先生を説得させて譲ってくれたと、ドクターは言ってた……この鍵でしか、目の前にあるこの門を開けて、王たちの眠る墓所に向かうことはできないとも。
だがこの鍵は、かつてとあるドラコが持っていたものだ。
……
……なあアラデル。
これと違うもう一本の鍵の在処を……貴様は知っているか?
もう一本の鍵。
アスラン王家が所持するその鍵も、目の前にあるこの門を開けることはできる。本来であれば、シージの父から譲られるべきものだったのだが、彼女は一度もその鍵を見たことはない。
……どうして急にそれを?
先ほど思い出したんだ、あの諸王の息吹にある……もう一つの伝承を。
「アスランのパーディシャは剣を携え、異国にある最後の地の征服を試みようとする。」
「ドラコ王の炎はアスランに襲い掛かり、彼の甲冑はベリーのように赤くなるほど燃やされしまい、少しずつ炎の中へ消えていった。だが彼が持っていた剣は甲冑よりも堅牢で、消えることはなかった。」
「アスラン王がドラコ王を突き刺そうとする時にはすでに、アスラン王が持っていた剣の刀身は半分しか残っていなかった。」
「それ故にドラコ王は死を免れるも、アスラン王は己の右手を失うこととなった。」
「その後ドラコ王とアスラン王は盟約の契りを交わし、その剣も再び作り直され、ヴィクトリア数百年もの栄光の象徴となったのだ。」
私の先祖は……あと一歩のところでドラコの王を殺すところだった。
その末裔たる私は今、その赤き龍の末裔が所持していた鍵を手にして……
王たちの眠る墓所の門を開けようとしている。
……気に病まないで、ヴィーナ。ドラコだろうとアスランだろうと――
ここにいるのは、みんなヴィクトリアの民なのだから。
(巨大な門が床を引きずりながら開く)
やがて、門が開いた。
シージが想像するよりも簡単に門は開いた。まるですべて用意されていたかのように、彼女の一押しを待っていたかのように。
ここ、王たちの眠る墓所――
ヴィクトリア千年の歴史が彼女に押し寄せてくる。去っては再帰したアスランに押し寄せて。