
ドクター!はやくアーミヤちゃんを連れて、ここから離脱しないと!

……

相手はあのテレシスだよ……シャイニング一人じゃ長くは持たないって!

ドローン――
(ドローンがドクター達に近寄ってくる)

しっかりロープに掴まっててねドクター、逃げれるだけ逃げるよ!
(サルカズ兵達が通り過ぎる)

ゼェ……ハァ……ゲホッゲホッ……

本っ当にこれ以上どうしようもなくなったら、アタシがあいつらと戦ってやるからね。

アタシだって、できれば戦いたくなかったさ。でも……テレジアがアタシを部屋から引っ張り出してくれて、アーミヤちゃんとケルシーが、今の責任重大な任務を寄越してくれたからには……

まあ……これでも伊達にブラッドブルードはやってないよ。

ドクターたちのためだったら、アタシだって……

クロージャさん、こっちだ!

へ?

こっちだ、ドクター――ロープは固定した、手を貸せ!
長剣が地面に突き刺さり、光が瞬く間に広がっていく。
その場に居合わせた者たちは全員、ほんの刹那ではあるが、時間の停滞を肌身に感じた。

……聴罪師の巫術か。

テレシス様!

ケルシーは……

彼奴なら終いだ、此度の命もじきに終わりを迎えるだろう。

現状報告として、例のコータスがロドスに連れて行かれてしまいました。大君様もバンシーとアスカロンを追撃しております。

テレジアのほうはどうなっている?

それが、先ほどテレジア様から連絡が入られまして。

アレの用意が整った、とのことです。

結構だ。
摂政王は顔を上げ、暗雲に遮られた空と遠くに聳え立つ城壁に目を向ける。
城壁の外にこそ、サルカズが真に留意すべき戦場があるのだ。

では始めるとしよう。

……覚悟はいい?

覚悟も何も。

そうね、ここまで来たからには覚悟も何もとっくに決まっているはずね。

ヴィーナ、どうか私に――

私たちに、すべてを見届けさせてちょうだい。
地下空間の果てに、黒い建物が静かに佇んでいた。その周りには、複雑で精巧な構造体がずらりと並ばれている。
歴代ヴィクトリアの最も傑出した頭脳らはかつてここに集まり、心血を注いでここにあるすべてを形作ったのだ。
かの剣を、この奥へ納めるためだけに。
その剣を手にして、天災を切り裂ける英傑はあまりにも稀有な存在である。そのために、人類の叡智をかき集めてはこの嵐を防ぐ盾を作り出した。
ここにある構造体、ましてやそこに鎮座する建物は、みなそのために生まれたのである。
そこへまた、声が聞こえてきた。
しかし先ほどと打って変わって、切羽詰まった様子も、喚き散らすことも、諫めるつもりも煽り立てるつもりもないようだ。
それらと引き換えに、シージは疲労を伴ったとある安心感を覚えた。
そう、彼女はここに来たことがあるのだ。物心がつく頃よりも前に、何者かに導かれてこの場所を訪れたことがある。
そんなあの時と同じように、今のシージも、自分はどこに向かって何を手にすればいいのかを理解していた。
剣はすぐ奥にある。誰にも取り囲まれず、何者にも守られず、まるでその建物全体を着飾っている小さな装飾品と変わらぬように、ただただ真っすぐ部屋の中央に差し込まれていた。
諸王の息吹。
それは千年もの時を経て、幾度も作り直されながらも、いつまでもそこに鎮座している。
そのような剣に、シージは手を伸ばす。
しかし手が近づくにつれ、幻影の破片がうねって共鳴しながら、この空間に埋め尽くしてくるようになる。
アレクサンドリナ。アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア。それら幻影は、何度も何度も彼女の名前と姓を繰り返し囁いてきた。
だがとうとう、シージが剣に手を触れた。
瞬く間に、往日の断片が彼女の身体を通り過ぎ、鳴り響く轟音が彼女の脳裏から炸裂した。
そこでシージは忽然と理解したのだ。
今、目に見えているものと声のする発生源は、すべて自分自身だったのだと。
彼女自身の迷い、困惑、悔やみ、懐かしさから来たものだったのだ。
彼女自身がすでに忘れ、あえて忘れたものたちであったのである。
巨大な手が、シージを持ち上げた。ロンディニウムと名の付く巨人が彼女の下で立ち上がり、彼女が歩んできたヴィクトリアの地を引きずっていく。
あれは彼女とその仲間たちが、かつて歩んできた地だ。
そこへやがて、夥しい声が重なって聞こえてくるようになった。
ヴィクトリア。ヴィクトリア。
これがヴィクトリア。
これが私のヴィクトリアだ。
「ヴィーナ、ヴィーナ。」
気が付けば、誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

――
シージが目を見開くと、そこにはもう幻覚も幻聴もなく、視線を下ろせばヴィクトリアの王権を象徴する諸王の息吹が手に握られていた。
見たところでは伝説に聞くほど特別感はなく、巨大なわけもなく、派手で煌びやかな装飾も施されてはいない。
極々一般的な剣にしか見えなかった。

ヴィーナ、諸王の息吹を手にしたのね。

想像するよりも……随分と軽い。

よし、剣は手にした。私たちもそろそろ戻るとしよう、仲間たちにも見せてやり――
手にしたその剣冷たさを、仲間たちにも見せてやりたいと思って振り返ろうとするシージではあるが……

……動かないで。
そこに、さらに冷ややかなナイフがシージの腰に当てられた。

……アラデル。

こっちを見ないで!お願いだから、振り返らないで。

……その剣を渡してちょうだい。

……

ごめんなさい、本当に……本当にごめんなさい、アレクサンドリナ殿下。

私にはもう……

……

こうするしかないの。
アラデルの声はとても落ち着いてはいたものの、断然とした悲哀が含まれていた。
そこでふと、シージはモーガンが冗談交じりに数ページは書き起こしていた“回顧録”のことを思い出した。
文章の構成はとてもじゃないがお粗末なもので、文体も決して上品なものとは呼べないものであった。
物語はデタラメにでっち上げられた戦いから始まった。その戦いが終わり、アジトに戻れば、その中に登場するアラデルが自ら手を振るって、みんなのためにシチューを作ってくれる。
その部分を思い出して、シージは密かに心の中で微笑んだ。なぜならアラデルは確かにみんなのためにシチューを作ってくれはしたものの、回顧録では一部事実が……
お世辞にもシチューの味は美味いとは言えないところが端折っていたからだ。

シージ!
(ダグザが駆け寄る)

ッ――!

……動くな。
(トターが刃を抜き、傭兵達が集まってくる)

てめ……テメェら……

あんたのことは傷つけたくないんだ、騎士のお嬢ちゃん。

だがな、俺にも返さなきゃならない恩義ってもんがある。

アラデルに協力して王たちの眠る墓所からその剣を入手する、それが俺たちの任務だ。

はぁ、この仕事さえこなせば、俺もとうとう引退できる。

……引退するには十分、美味しすぎる仕事だからな。

……

傭兵、アタシらはついさっき、一緒に裏切りに遭って死んでいった英雄たちを弔ってやっただろ。

お前だったら、分かってくれると思ってたのに……

そうかよ、テメェらもアイツらとはなんも変わっちゃいなかったんだな。

さっきまで一瞬でもテメェを信頼していたアタシが……バカだった。

お嬢ちゃん、“生きることは難しい”って話、さっきしただろ。

すまないな、俺たちだって生きていたいんだ、仕方がなかった。

俺たちはみんな一緒さ、あの……仲間に裏切られて死んでいった人たちと。

だからこそ残念だよ、俺たちは今回たまたま違う道を目指していたらしい。

アラデル……

アレクサンドリナ殿下。

ご自分の身のためにも、諸王の息吹をこちらに渡してちょうだい。

……

本当にこれしか方法はないのか?

私はあなたの信頼を踏みにじった。私からは何も言えないわ。

責めるなり戒めるなり、あるいはここで倒すなりしたって構わない。全部受け止めるわ。

それでも、剣だけは貰っていくわよ。

それが私のロンディニウムにおける……“使命”なのだから。

……諸王の息吹は嵐の中からロンディニウムを守ることができると、確かにそう言ってたな。

私だってロンディニウムを戦禍に陥れたくはないわ。でも安心して、この剣だけは絶対にサルカズたちの手には渡さないから。

となると、大公爵らとの交渉材料にするつもりだな。

……

アラデル、貴様の背後にいる人物は、諸王の息吹を脅しの材料としてほかの公爵らを自らの陣営に組み入れようとしているのだろう。

その人物、本心からヴィクトリアを守ろうとするつもりはないのかもしれないぞ。

だが我々は、戦力が乏しくありながらも、ロンディニウムに身を置きながら守ろうとしているではないか。

危害と屈辱を被った者たちと一緒に。

分かっているわよ。

彼女の目的ならよく分かっている、でもそんなの私には関係ないの。

私はただ……私にできることに集中して、責任を負うだけよ。

では自救軍はどうする?

貴様とクロヴィシアが共に自救軍を作り上げ、貴様の栄誉をもって自救軍を守ってきたではないか。

私に栄誉なんてものはない。

なら、命をもって自救軍を守ってきたのだろう。

しかしだアラデル、貴様がここで剣を持ち去ってしまえば、私はどう自救軍の戦士らに説明してやればいい?

……クロヴィシアがしっかりと処理してくれるはずよ。

その際向こうからどう見られようが、私にはもうどうだっていいわ。

……

アラデル、自分のやれることだけに集中すると言っていたが……

そうやって固執するあまり、自分がすでに持っているものを疎かにしてはいないだろうか?

あなたに何が分かるのよ……いずれ必ず失ってしまうものに固執してどうするの?

全員から寄せられた信頼も敬意も、ただの上っ面だけのものだって知りながら、それでも身の内を明かせって言うの?

歩み始めた道の果てが最初から決まっていたものなら、一体何を強く持てって言うのよ!

私は何も選んじゃいなかったわ……

私はただここまで歩いてきたってだけなの、ヴィーナ。気付けばもう、ここまで運命に背中を推されていただけ。

最初から、私たちは同じ道を行けるはずがなかったのよ。

……

私たちは小さい頃、一度は出会っていたはずだったな?

……

カンバーランドの公爵邸で。

てっきりもう忘れたと思ってたわ。

ほとんどな……だがあの時、私の傍にはガウェインがいてくれていた。

あの時、まるで太陽みたいな生き物が私に言ってきたのよ。いつの日か、必ずあなたとまた再会するって。

でもきっと、それがこんな形になるなんて彼も思ってもいなかったでしょうね。

その剣、やっぱりどうしても渡すことはできないんでしょ?

だったら、ここで斬ってちょうだいな。私たちはここで……

アラデル。

私がした約束を、まだ憶えているか?

今さらそんなこと持ち出したって何にもならないわよ!もうやめて!
(回想)

もう何も背負うこともなく、ただあなたたちの知恵袋として……あっ、ごめんなさい、モーガンがいるのを忘れてたわ。だったら、私は下っ端になっても構わないわ。

一緒にサルカズの駐屯地を吹っ飛ばしに行きましょ。火はあなたが点けてもらって、煙がそこそこ上がるようになったら、私がそこに潜り込んで連中の指揮官のケツをシバキ上げてやるから。

……

冗談よ。

知ってる。

まあ私はもう、敷かれた道しか歩くことはできないから気にしなくていいのよ、ヴィーナ。

なぜそう言う?貴様が私たちに加わってくれたら、きっとグラスゴーにまた新たな逸話が生まれるはずだ。

それって……

ここで約束しよう。

貴様がヤツらの指揮官のケツをシバキあげた後も、必ず無事に帰ってこれるように私が守ってやる。

私からの約束だ。
(回想終了)

あれは冗談じゃないさ、今もな。

だからみんなで帰ろう。無事に、一緒に帰るんだ。

――
(蒸気の吹き出す音)
その時、両者の拮抗を打ち破る音がした。
また錯覚の類だろうか?
シージが周りを見渡す。だが巨大な石像は陰影に覆われたまま微動だにせず、そこら中に横たわってるサルカズたちの死体も蘇ってくるような気配はない。
(蒸気が何度も吹き出す音)
また一度、同じ音が聞こえてきた。
すぐ傍に、彼女の目の前に。
噴射する音が、次第に回数を増していく。
音はますます大きく、リズムもますますはっきりと――地下空間全体に鳴り響いてしまうぐらいに。

なっ……なんだあれは!
そこで突如と、アラデルの心臓が激しく動悸を引き起こした。
彼女は感じてしまったのである。
運命の予兆が、またもや無惨にも鳴り響いてきたことに。






