……ッ。
坊ちゃん、大丈夫ですか?
ああ、夢を見ただけだ。
やはりソファで寝るものじゃないな。
親父は?
ドンならすでに劇場へ向かわれました。
……
坊ちゃんも向かわれますか?
レオントゥッツォは答えず、ただ深くソファに身を預けた。
(回想)
ロッサーティの、ジョバンナ。
そうだ。
チェッリーニア、お前と私が交わした当初の約束は、ベッローネに勝利をもたらすことだった。
だが、考えが変わった。
この一件を終わらせてくれれば、ベッローネの借りはチャラにしてやる。
その時、君はもう自由の身だ。
狼の主、ザーロの牙として君に約束しよう。
(回想終了)
……
日が落ちる頃には住処へ戻り、そしてまた日が再び顔を出す時になった。
雨音に耳を傾き、テキサスは自身の刀を磨きながら、手元に送られてきた脚本――『テキサスの死』を読み込んでいる。
曲折を経た物語はとても心を動かすものであり、彼女の知る事実となんら大差はない。
テキサスはある種の予感めいたものを覚えていた。
だがまずは、自身の剣をより鋭く研ぎ澄まさなければならない。
今日の彼女の剣筋は、いつもより存外に素早いものになるだろう。
(電話のベルが鳴る)
やれやれ、雨が降ってるというのに太陽は眩しいままだとは。
刑務所の臭い飯ならよかったよ、キミたちも今度試してみるといいさ。
以前連中にも教えてやりましたよ、まあ悪くはないと。
さあ、ご乗車ください。
本当に参加しなきゃダメなの?
クルビア人を一人殺すぐらいじゃないか、そんな大げさにやることかな?
チェッリーニアも参加すると、ドンから聞いております。
へぇ?
詳細は?
劇団の演奏者に扮して、舞台が始まった際に隙を見て行動に移るそうです。
ふ~ん……じゃあボクの舞台衣装は用意されているの?
ドンが仰るには――
観客席で臨機応変に対応しろ、とのことです。
……フッ、フフフ。
まったく人の気持ちを理解できないお父様だ。で、パパはどこに行ったの?まさか自分はいい席に座ってショーを楽しむつもり?
ドンなら別件です、会いたい人がいると。
会いたい人?
はい、洗車屋で働いてるヤツです。
(クロワッサンが扉を開けて部屋に入ってくる)
あー、ソラ、やっぱりカタリナはんのとこで練習しとったな。
ウチは反対せんけどさ、やっぱり早めに楽屋入りして本番に備えておいたほうがええんちゃうの?
……うん、そうだよね。
今エクシアはんが朝飯買いに行ったさかい、ウチらも合流しにいこーや。
分かった。
そう言えば、この前エクシアのお姉ちゃんを迎える歓迎パーティをやるって言うとったな?
うん。
でもこれだと、間に合うかどうか分かんないなぁ。
あっクロワッサン、足元気を付けて!
え?ちょわッ!
(クロワッサンが躓く)
いてて~……
大丈夫?
平気平気、ちょっと躓いただけや。
わっ、ここに積んであった本全部倒してしもうた、片付けな。
ん?なんか写真が何枚か落ちてしもうてる。
写真?
うん……ん?
どうかした?
これ見てみ。
それは何年も前に撮影された写真だった。
映ってる背景はおそらく広く賑やかなクルビアの街であり、ソラは辛うじて認識できた。
その中央には、中年の男性が一名立っており、穏やかな表情をしているが、得も言われぬ胆力すら感じさせる。
そんな彼の両脇には、ループスの女の子とフェリーンの女の子が立っていた。
左に立っている女の子は美しいブロンドヘアをしており、表情は明るく、いかにも朗らかな性格の持ち主であることが見て取れる。
一方、右側の黒髪をした女の子は無表情で、何を考えているのか分からい様相でいた。
なあ、この写真に映ってるのって……小さいころのテキサスはんやないの?
それにこの子の隣に立っとるのって、カタリナはんやない!?
見てみ、写真の後ろ……
写真の後ろには、“ジョバンナとチェッリーニア、1080”と文字が書かれている。
ジョバンナって、もしかしてカタリナはんの本名なんやないの?
ジョバンナ……ジョバンナ・ロッサーティ。
この店は開いてどのくらいになるんだ?
もう五年になりますぜ。
五年か、それは奇遇だ。私が飼っていた門番の牙獣もちょうど失踪して五年になる。
今頃しっかりと暮らせているのやら。
……こんなでかい街じゃ、少なからず生き残る方法ぐらいはあるだろ。
ずっと不可解だったんだ、肉はたんまりと与えていたつもりだったし、ねぐらもいいとこを用意してやっていたというのに、一体なにが不満だったんだろうな?
まさか、あいつは元から菜食だったのかな?
あるいは、初めて野菜を食った際に、自分が今まで食ってきた肉がどれだけまずかったのかを知っちまったのかも。
肉はまずけりゃ……食わないほうがまだマシですぜ。
ほう?
車、洗い終わりましたぜ。
ふむ、中々いい腕をしてるじゃないか。
やってるうちに慣れちまったもんさ。
フッ、お前はいつもきちんと仕事を全うしてくれた人間だったよ。
だが、これから局面が大きく変わってくるぞ、ダンブラウン。
お前もそろそろ味の嗜好を変えたほうがいい。
……考えておきます。
よく考えておくんだな。もし考え直してくれたら、いつでも戻ってこい。
あなたが臨時で呼ばれたベーシストね?
ああ。
うーん……ん?あなたのその髪色なんだけど、生まれつき?
そうだ。
珍しいわね、この舞台でベーシストを演じる人はみんな黒に染めなきゃならないんだけど、聞いた話によれば、その髪色と瞳の色はテキサスと血縁関係にある人でしか出ないらしいのよね~。
それによく見ると、あなたの目元……サルヴァトーレにも似ているわね、もしかしてそこの隠し子だったりして?
……いや、テキサスとは何も関係はない。
そう、偶然ってあるものね。
まあいいわ、ささ、座ってちょうだい。化粧をしてあげるけど、まああなた元がいいもんだから、パパッと終わらせてあげるわ。
劇場のボックス席
こちらのお席は如何でしょうか?
視野はバッチリ、悪くないわ。
それはよかった。
もし何か必要でしたら、いつでも私にお声がけくださいませ。
もう下がっていいぞ。
(劇場の支配人が立ち去る)
ウォーラック、あなたは一緒に見ないの?
俺がこういうもんに微塵も興味がないのはあんただって知ってるだろ、とりあえずいい酒でも持ってきてやるよ。
じゃあ――
ブランデーだろ、知ってるよ。
(ソラが駆け寄ってくる)
すみません、遅れました。
いいのいいの、みんなまだ準備中だから。
さあ座って、まずはお化粧してあげなきゃ。
はい。
どうしたの?顔色が悪いけど、もしかして緊張してる?
……いえ、そういうわけじゃ。
大丈夫よ、ソラちゃんあんなに頑張ったんだし、きっとみんなから気に入られるはずだわ。
だといいんですけどね。
そうそう、これ知ってるかしら?
なんですか?
楽団のベーシストがね、急病で来られなくなっちゃったのよ。
えッ、じゃあどうするんですか!?
大丈夫、ディレクターが急遽代わりの奏者を見つけてくれたから。今、別の楽屋でお化粧してるわよ。
代わりって……大丈夫なんですか?
ディレクターの目に狂いはないから大丈夫よ。
そういえば、ディレクターさん今日は来ていないんですか?
さっき来ていたわよ、少し指示した後にまた出て行っちゃったけど。なんか、お客さんと会わなきゃいけないらしくて。
まあ、上の人間ってのはみんなあんな感じで忙しないものよね。
大丈夫よソラちゃん、ソラちゃんはソラちゃんのパートだけに集中しなさい。
はい。
……
あれ、裁判官さんじゃないですか!
しばらくぶりですねー、今日はミュージカルを見に?
……いえ、たまたま通りかかっただけです。
そうですか。でも今から上映するのは待ちに待ったあの『テキサスの死』ですよ、きっとお気に召すとは思いますが。
……すみません、今はちょっとそういう気分じゃないので。
そうですか、ならまた今度お越しください。
(ダンブラウンが通りかかる)
……ん?
(ダンブラウンさん?どうして彼がここに?)
(もしかして……私のアドバイスを聞き入れて、劇場で羽を伸ばしに来たのかしら?)
(でも、今日の舞台って……)
……
やっぱり見に行きます。
おっ、考えが変わりました?
はい。
チケットを一枚お願いします。
劇場のボックス席
ドン、お会いになりたい人がいると。
ほう、誰だね?
食品安全部部長のルビオです。
……
呼んでくれ。
はい。
(ルビオが近寄ってくる)
ドン・ベッローネ――
ここではディレクターと呼んでくれまたえ。
あっ、はい、分かりました。またお会いできて光栄に思います、ディレクター。
まあかけてくれ、ルビオ殿。
まずは舞台を見よう、話はそれからだ。
お集りの皆様、本日は私たちルーチュ・デル・ジョルノ劇団の舞台へお越し頂き、誠にありがとうございます。
本日上映される演目は、スィニョリーナ・カタリナが書き上げてくださった『テキサスの死』、その第二幕になります。
サルヴァトーレの物語については、おそらく皆様はすでにお耳に馴染むほどお詳しいかと思います。しかし、その中で物語の仔細をご存じでいらっしゃる方はどれほどおられるでしょうか?
そんな私たちのために、テキサスファミリーに深い造詣を有するスィニョリーナ・カタリナが、気取らないかつ繊細な視点の物語を提供してくださいました。
ここで共に、サルヴァトーレの生涯に対する知見を深めて参りましょう!
(拍手が起こる)
すぅ……ふぅ。
ソラちゃん、頑張ってね。
はい、行ってきます!
ふぅ……やっと座席見つかったよー。
でもさすがはソラ、いい席取ってくれたじゃ~ん。
ソラはんはみんなから期待されとるからな~。
ごめんなさーい、ちょっと道を譲ってもらってもいいですかー?
サンクタの娘っ子……シラクーザで見るとは珍しい。
あれ……あんたもサンクタなの?
ヴォルシーニに来て結構経つけど、こうして同族に会うのは初めてだよー。
ふふっ、どうやら今日はツいているな。
まあいい。さあ、通って行きなさい。
(???が立ち去る)
……
どないしたん?
おっかしいなぁ……あの人からまったく何も感じられなかった、もしかしてはぐれサンクタとか?
だったとしても、アタシの知ってるのとはまた違うような……
まあいいや。ところでさ、そういえば今日の劇場、一目でファミリーっぽく見える人たちが多いように思わない?
ロッサーティのドンが来てるかららしいで。
えっ、それってさっき言ってた……
そっ、でも今は舞台に集中しようや。
(歌声)あれは混沌とチャンスが織り交ざった時代。時代の荒波に呑み込まれた者がいれば、時代を先駆ける者たちもいた。
(歌声)暴力と富、権力と秩序、成り上がった者たちは一体何をもってこれらを引き換えたのだろう?
(歌声)そこへ一人のシラクーザ人が、野心と傷痕と、苦難を携えながらクルビアの地へ足を踏み入れた。
(歌声)物語は、ここで再び始まりを迎える。紳士淑女方、かの時代が誰によって握られていくのか、その経緯をとくとご照覧あれ。
この歌声は……
そうか、キミが彼女を迎えに来たんだね?
でも、本当にそんなことできるんだろうかね?
誰だお前は?
紳士淑女諸君、これより真の意味で、この物語の始まりを迎えようじゃないか。
(ラップランドがファミリメンバーに斬りかかる)
(テキサスが姿を現す)
……本当に生きていたのね、チェッリーニア。
えッ、あれって……
テキサスはん!?
――えっ?
……ッ!?
テキサスは刹那の間に、ボックス席の一か所に目を向けた。
ベルナルドがそこですべてを見届けようとしている。
そして理解してしまった。
偶然にしろ、ある種の必然にしろ、この場にいるソラは危険に陥っているが、一方で安全だとも言える。
それをどちらに転ばせるかはすべてテキサスの動き次第だ。
観客席に見える不審な動きと、遠くから聞こえてくるかすかな騒めきが、暗殺の始まりを伝えてくる。
テキサスはソラに向けて声を出さないサインを見せ、そして手にしているコントラバスを奏で始めた。
これよりショータイムの始まりである。