フィッシャー、子爵から緊急の書簡が届いて……
……フィッシャー?
まったく、また何か難題に突っかかっているのか?
……申し訳ありません。
あのアルモニとかいうフェリーンがここトロント郡でのさばっているって言うのに、お前は呑気にパズルと睨めっこか。
ご安心ください、彼女の監視の手なら一切緩めておりませんよ、これでもしっかりと見張っておりますので。
その様子だと、あまり調査に進展はなかったみたいだな。
もしこのしばらくの間の観察で、彼女が今もヴィクトリアに忠誠を誓っていることを証明してくれたのであれば、こちらとしても裏切者を捉えなくて済むので嬉しい限りです。
だが、お前が嬉しそうにしてるところなんて一度も見ちゃいないんけどな。
……前回の任務が失敗した後、こっちはもうこの執務室でお前を見ることはないと思っていたぞ。
そう仰らないでください、任務そのものなら失敗せずに済みましたから。
それで、病院での診断結果はどうだった?
急性感染でした、傷口に入った活性源石の破片が多かったみたいで……まあ当然ですが、容態ならすでに抑えられていますので、ご安心を。偶発的な痛みもなんら任務に支障は来しませんから。
ただ、診断結果はまだ上に報告していなくて。
アルモニに対する調査任務を遂行するだけの余力はまだ残っていると自負していますし、こんな情報が疎らな任務を引き継いでくれる人はいないと思っておりますので。
この靄の先にある真実を、私が必ず責任をもって追及してみせますよ。
……それまでの間、皆さんとはきちんと距離を置いておきますので、その点に関してはご心配なく。
今まで緊急事態を処理してきた私の経験からすれば、お前がそこまでする必要はないさ。
市庁が今もお前の出入りを許可しているのなら、私たち特別行動隊も引き続きお前のサポートに回るだけだ。
だから感謝の一言ぐらいくれたっていいんじゃないのか?
はは、まあいいさ、ただの冗談だよ。少しでもいいからお前にもリラックスしてもらいたいってだけだ。
じゃあ子爵からの手紙、手が空いていたら目を通してくれよな。
……招待状、ですか?
なるほど、謹んでお受けいたしましょう。
……君の言うことに従えだって?一体私たちをどこに連れて行くつもりなのさ?
これ以上荒野に入っても野垂れ死ぬだけだ!君が目指してる方向には一つも集落がないんだぞ!
あんな草木一本も生えないような場所じゃ、狩りどころか、ロクな果物さえ採取できないさ。それに、いつ石の雨が降るのか君には分かるのか?天災トランスポーターでさえあんな場所には行かないってのに!
あの沼を抜けるには数日かかることぐらいアタシにだって分かる。食料のことなら、ヴィクトリアのキャラバンでも襲えばいいだろ。
それに、あの医者からもらった薬もまだ十分あるしな。
彼女は医者じゃないってば……彼女も町に行くつもりだから、ついでに私たちをそこまで送ってもらうようにお願いしたのに、君は彼女をなんだと思ってるんだ?ただの救急箱だとでも?
君のそんなしょうもない私利私欲のために、誰もが自分のものを、なんなら自分の命さえ君に預けなきゃならないって言うのか?
うっせぇぞヴィーン!そんなにゴチャゴチャ意見があるんだったら、自分一人で行きゃいいだろ!テメェにそんなことができるもんならなァ!
……
ケッ、そんなナリじゃ到底生きていけねえさ、この腰抜け野郎が。
セルモン!
……
よぉ、“リード”じゃねえか。
気に食わねえあだ名だぜ、まったく。そこら辺にある石ころとか泥んこみてぇで、お前を指してるのかそれともその辺に生えてる草を指してるのか分かんなくなっちまうよ、ギャハハ。
騒ぎが聞こえてきたんだけど、ケンカ?
それが……いや、君にも伝えておこう。実は私たち、トゥーラ町には行かないことになったんだ。
さっきラジオで、そこの町にある二軒の工場がどうやらこっそりダブリンに物資提供していたらしくて、それで軍に追い立てられた際に衝突が発生したって言ってたんだ。
だからこのままそこに向かったら、逃亡用の車両に乗るどころか、町に近づいただけですぐに捕まってしまうかもしれないんだよ。
……せっかくまた頼りにできる人に助けてくれて、ここまで逃げて来れたっていうのに。
ハッ、なんだよお前。まるで車に乗り込めば今の日々ともおさらばできるみてぇな言い草だな。
工場から別の採掘場に逃げ込んで、そこで運よくアタシらはターラー以外の場所に行く車に乗ることができた、なんてこと……そう上手くいくかってんだ。
でも、大勢の人がそうやって逃げ出していったじゃないか。
そいつらは村を焼かれて、近くには種も撒けねえような荒地しかなかったから逃げたんだ。でもお前よ、あいつらが最終的にどこに行ったのか、生きてるのか死んでるのかすら知らねえだろ。
それに、ターラーがどこにあるのか、どこに行きゃもう逃げずに済むのかなんて、お前に分かんのかよ?どこの地図にもんなモン書かれちゃいねえぞ。
そんなことで私を脅すな!じゃあ君の言ってることなら正しいって言いたいのか!?
……もういい、私はここの知り合いから食料を貰えないか掛け合ってみるよ。君もよくそんな大層なことが言えたものだ、まるで私たち十数人の明日の食料でも吐き出してくれる勢いだよ。
(ヴィーンが立ち去る)
彼……すごく悲しい顔をしていた。
そりゃそうさ、あいつはウソがつけねえからな。他人様から借りものをする時は“また帰ってくるから”とか、“それまでのツケだ”とか無理してウソをつかなきゃならねえんだ。
……手伝ってくる。
お前は外から来るヴィクトリア兵と同じ訛りを喋っちまってるからやめとけ、ここの連中に信用されねえよ。それともなんだ、お前はウソをつくのが得意なタイプだったのか?
私はただ、人からモノを奪うやり方が好きじゃないってだけ。
それと、あなたの私利私欲な身勝手な考えも……好きじゃない。それこそが一番のウソだよ。
お前のその友人は本当にこの付近でダブリンを見たのか?
じゃなきゃこの付近なんか通りたかないわよ。今じゃほかのキャラバンにもこの話が広まってるものだから、みーんな大きく遠回りしてでもここを避けたがっているわ。
もしあんたたちがそんな自信満々に“何も起こらないから”なんて約束してなきゃ……絶対こんなところなんか通るものですか。
でもさ、もうすぐおめーさんらの目的地なんでしょ?ここまで来てなにも起こらなかったけど?
あー、それは……もう何日も前の話だからね、相手もすでにどっかに行っちゃったんじゃないかしら。
あの時ダブリンも急いでいたって聞いたからね、だから私の友だちのキャラバンは襲われずに済んだのかも。
へー、じゃあその時のダブリンがどのくらいの規模だったか、どこに向かっていったかは知らねえべか?
それなら向こう、人っ子ひとりいない荒野に向かったって言ってたわよ。具体的にどのくらいの人数だったかは知らわないわね、ジロジロ見るようなもんじゃないって言ってたから。
言っておくけどウソはついてないからね、お二人さん。武装したあのダブリンの連中を除けば、そこらのターラー人のチンピラなんか全然怖くないなんかないんだから。
貧しい地域に強盗みたいな輩は付き物でしょ?だから私たちもそれなりに自衛の手段は持ってるの。
オーク郡が移動するせいで、私たちもここら一帯を通らなきゃならないって知った時にはもう、武器と防具を購入するだけで大出費よ。
ちょっと待って、チェンちゃん……ほらあそこ。
なんだ?
あそこ……ダブリンに似たような恰好をした人がいるべ。
はぁ、つい最近発布された新しい税制はまったく容赦がないものだよ。もし昔だったら、みんなもこんな苦しまずに済んだっていうのに。
俺もあんたを助けてやりたいのは山々さ、ヴィーン。それとこちらの外からいらしたお嬢さんも……ただ申し訳ないんだけど、うちも生活がギリギリでね。
十数人を食わせなきゃならないのは俺もよく分かる。でもみんな元気だし、人でもあるんだからさ、そこは自分たちでなんとかやり繰りしてもらえないか?
でも、君も知ってるだろ、ほら消灯の鐘。私たちみたいな腹を空かせた人が勝手に貴族の獲物を盗らせないように、もう何年も鳴りっぱなしだろ。
餓死しそうな人間が、いちいちそんな規則なんか気にしてる場合か?こんな状況下でも他人から施しを求めるなんて、俺から見りゃそいつらはとんだ怠け者だよ!
まあまあ、そんなことはないさ……彼らはみんな規則を守るいい人だよ、だから私もこうして彼らのために食料を貰えないか回ってるだけなんだ……
――じゃあ、せめて何かと交換してくれないか?
本当に申し訳ないけど、このご時世じゃもう口約束は通用しないんだ、ヴィーン。
(リードが本を出す)
……本?いやいやちょっと待ってくれよ、お嬢さん。そんなもの、テーブルの足に敷いてもすぐボロボロになってまうだけだって。
(ドアのノック音)
あの……こんにちは、どなたかいませんか?
この声は――
シッ、静かにしておけ。
あの女また人を連れて物乞いしに来たのか、鬱陶しいなぁ。もしドアを開けたら、小一時間はドアに寄りかかってああだこうだと言い訳してくるぞ。
ドアに寄りかかってくるんだ!感染者だってのに!まったくあんなんじゃいつかドアにまで石が生えてきちゃいそうだよ!
ったく、あの乞食どもめ、てっきり去年の冬でほとんどくたばったと思ってたのに……石を貰ってしまったのは気の毒だが、あちこち行ったり来たりしないでもらいたいね、まったく鬱陶しい。
でも、さっきの声……いや、そんなまさか?でも、聞き間違えってわけじゃ……
……
ヴィーンさん、さっきの声、知ってるの?
わ、分からない……やっぱりやめておこう、下手に窓の隙間から覗いてるとこを見つけられたら面倒だしな……
(外から喧騒が聞こえてくる)
……外が騒がしい。
誰かがその感染者を追い立ててるの?
いや、これは大通りのとこからだな。
おいおい、マジかよ……やっぱりな、飢えたら人間、なんでもやりかねないよ!あいつら農具を持ってケンカをおっ始めたぞ!
おいまだなのかよ?これ以上もたもたしてると、キャラバンが行っちまうぜ。
どうせ今回もヴィーンは何も貰えずに帰ってくるはずだ、賭けてもいいぜ。あんなどこに行っても人にモノを乞うだなんて、メンツってもんがねえのかよ。
毎日俺たちを見るなりに顔色を変えやがって、一回ぐらいヴィクトリア人からモノを奪ったっていいじゃねえか!ダブリンに入るのも、そいつらと戦争するためじゃなかったのかよ?
でも、私たちがこんなことをしてると、リードさんに怒られちゃうんじゃ……
んなヤツなんか放っておけ。まだ動ける力が残ってるうちに奪わないでどうすんだよ?まさか腹を空かせて目が回ってから奪うってのか?
ここに来てやっと久しぶりにキャラバンと出くわしたんだ、次いつ出会えるかなんて誰も分からねえだろ?
じゃあ、リードさんにも手伝ってもらえないか説得してみるってのはどう?そしたら少しは成功する確率も高くなるはずだし。
……もういい、あの女の話はもうやめろ。んなのアタシらの勝手だろうが、おの女にゃなんの関係もねえ。
毎回毎回、よそ者のあいつに手を貸してもらわなきゃ気が済まねえのかよ?
いいからとっととやるぞ。