はやく、はやく逃げるのよ!こっちにも人がいるわ!
クソッ、あいつらもしかしてもうここを包囲しちまったのか?
(ヴィーンが特別行動隊の兵士にぶつかる)
ひぃっ……
動くな。
わかっ、分かりました、動きませんから……あとそのサーベル、ちょっと近い気がするんですけど……手が滑っちゃう、なんてことはないですよね?
……
た、助けてくれリード!どうすればいいんだ!?
……人が多すぎる、これじゃあ強行突破は無理だ。
(ターラーの流民が棍棒を振り回すも破壊されてしまう)
ハァ、ハァ……あれ……棍棒が真っ二つにされちまったぞ!
……この人たち、かなり自信がある。力づくで捉えようとするのではなく、抵抗する私たちを抑えつけたいんだ。
うん、それに腕前もそこそこ……
……こんなとこまで追いかけて来れるなんて、こいつら一体何者?
――って待った、あの人ウチ会ったことがあるよ。
つい数日前、ウチらがあの“死者の兵士”とかち合った時にだ。
……
じゃあつまり、おめーさんらは別にトロント郡に駐留してる軍ってわけじゃねえんだべな。だったらここにいる流民たちを捉えることは越権行為だべ!
軍規に従わないってのなら、ウチらも手加減はしないべ!
“軍規に従わない”って言葉は、お前にも当てはまるんじゃないのか?その破城矛がすでに弾薬を外しているとなれば、さっさと戦場から離脱するべきだぞ。
戦場って、ここは戦場なんかじゃないよ?焚火だってほら、まだ……
――危ないッ!
音もなく姿を見せたその漆黒のナイフは、刃に冷ややかな光を反射させることなく、ただ一筋の煙霧を描いてなぞった。
ナイフはただ脅かすかのようにバグパイプの喉元へ向けられているが、その持ち主は視線を、いつまで経ってもリードのほうへ向けられている。
そこでリードは、この騒動はすべて自分がもたらしたものなのだと、相手の鋭い視線からはっきりと読み取ることができたのであった。
あなたのその長槍、本来なら炎が燃えていたはずですよね?
……
無駄な抵抗を選ぶよりも、武器を降ろして、こちらの指示に従って頂いたほうが賢明かと思います。
ターラー人たちに敵意はありませんよ、一般人に危害を加えて報復をするつもりもありません。余計な傷害を起こさないという点では、あなたも私も同じ立場にいるかと。
こちら、政府からの正式な書類になります。
それって、市議会で発行された調査令状?
……
令状を見て、元ヴィクトリア兵は武器を降ろした。
トロント郡市議会の決定に従って私たちは今、とある放火事件の疑問点について調査を行っている最中でして。
……私たちにほかの選択はない、ってこと?
うっ、うえええん……
――泣くんじゃない、静かにしろ。
……(むせび泣く)
……
(はぁ、生きた心地がしないよ。)
(こんなことで死ぬんだったら、遺書ぐらい書いておけばよかった……)
(アタシから言わせりゃ、とっとと書いておくべきだったな。)
(逃げ出した頃に一応書いておいたんだけど、ここ二日あまりにも楽し過ぎたからその、破いちゃったんだ。いま本当に後悔してるよ。)
(んなことぁねえよ、アタシらはまだ終わっちゃいねえぜ。)
(みんな縄で縛りあげられてるし、武器だって全部取り上げられた。こんなのもう死ぬ以外にないじゃないか?)
(はぁ……取り調べかぁ、聞いただけでもゾッとするよ。取り調べを受けたターラー人なんて、私たちの知る限りじゃ何人帰ってきてこれた?)
(それにこの人たち、一体リードみたいな優しい人から何を聞き出そうとするつもりなんだ?)
(私たちなら、まだお互いのことをよく知ってるからいいけど、リードたちが以前どこで何をしていたかなんて誰も知りやしないのに。)
(なんだよ、あいつを疑うってのか?)
(いやいやいや、そんなつもりはないよ……私はただ……)
(はぁ、でもねセルモンせめて、死ぬことぐらいは怖がったっていいじゃないか。)
(ここからならまだ焚火が見えるな。私たちって、一体どれぐらい夜の中で明かりを見てこなかったんだろう?)
(やっとこさ逃げ出せたと思ったのになぁ。)
(そう言えばあんた、むかし俺からモノを借りに相談しに来てたよな、元手が欲しいからって。俺も羽獣肉の燻製をあんたに預けて売ってもらうようにしてたっけ?)
(いい加減にしろお前ら、メソメソすんじゃねえ。今はとりあえず様子見だ。)
(様子見ってどうやって……それに見たところで何になるんだ?)
(……悔しいんだよ、アタシは。)
(お前の泣き言にはもううんざりなんだよ。ターラー人の街にいた時も、村の脱穀場に行った時も……みーんな泣き言を喚いていやがった。いい加減聞き飽きたっつーの。)
(だからもう泣き言はやめろ、アタシにも泣きつくな。泣き言言ってるくせに、いつも自分たちでなんとか方法を思いついてきただろうが。)
(アタシはこの見張りたちの注意を惹きつけておくから、何をすべきなのかは自分らで考えな。)
まあリラックスしてください、リードさん。私はただ、普通にお話がしたいだけですので。
ここには暖かな焚火もあれば、夜間は羽獣のさえずりも聞こえる。本物の尋問室よりも、ここの環境のほうがまだ心地よいのではないでしょうか。
……
沈黙、ですか?まあそれもいいでしょう、あなたを困らせるつもりならありませんから。
きっと以前、近隣地区の駐留軍が手荒な真似をしたせいで必要以上に警戒心を抱いてしまっているのでしょう。でしたら、ここで彼らに代わって非礼をお詫び致します。
……ダブリンのことについて聞きたいの?ここにいる人たちなら、みんなダブリンとは何も……
説明なら結構ですよ、そちらの状況ならすでに把握しておりますから。
一回の襲撃で十数名のターラー人たちを過度に敵視して、あまつさえ勝手に“ダブリン反乱軍”などというレッテルまで貼り付ける。いち地方の駐留軍であればそれも仕方がありません。
この分厚いプロファイルに記載されたあなたたちの罪状なら、すべて取るに足らない小さなものでしたよ。まあ当然、あなたはほかの方と違って少々特殊ではありますが……
……そこで私が、こういった厄介事をあなたたちから払って差し上げましょうか?
なんせこれまでの逃亡劇は、さぞかし大変だったでしょうからね。
……もしああいった厳格な法律さえなければ、彼らだって最初からこうやって逃げ惑う必要もなかったはずだ。
今は私との二人っきりの対話なのですから、できることならあなた自身のことについて話して頂きたい。今よりもさらに前から、あなたはずっと逃げ回ってきたのではないんですか?
……なんのことだか。
かつてのあなたの、身分について聞いているのです。
至って普通の人なのに、プロファイルには何も、医療や移動都市を出入りしてきた履歴、税金納入の記録など、何もかもが記載されていないものですから。
……ターラー人はいつも周りから追い払われている。ヴィクトリア側の記録で私たちのことが書かれていないだなんて、そんなに珍しいことでもないと思うけど。
では、去年の秋にヒロックで騒動が起った時、あなたは現地に居合わせていましたか?
去年五月にペニンシュラ郡が襲撃された時も、あなたは現地に居合わせていましたか?
あなた自身のことについてお聞きしているので、ご自身のことについてお答えください。
……
リードさん、もし自分の本名や自分がどこからやって来たのか、自分はどういった人間なのかすらまったく教えてくれないのなら……
その人、まるでただの“影”のような存在に思えませんか?
ねえチェンちゃん、この人たちの正体だけど、もう大体目星がついたんじゃない?
まあな。私たちが先ほど手合わせしたのは普通の兵士たちではない、尋問の手段も変わっていた。
加えて、あの部隊を率いていた奴は色々と何かを知っている。だからこそ……私たちの扱いも丁重だったのだろう。
言われてみれば確かに。でも見張られてるとは言え、ウチらはここで待っていればいいけど、あのターラー人たちが縛られなきゃならないのは不公平だべ……
それにしても、なんであの男はおめーさんの正体が分かっていたんだろう?
……まさか諜報部門の人間までもが出動していたとは。
諜報部門?なんで諜報部門の人間がリードちゃんに用があるんだべか?
彼女の身分もきっと特殊だからだろう。
だから誰も巻き込まれないように、これまでずっと一人で行動していたんだ。
な、なんかイヤな予感がしてきた……あいつら本当にちゃんとターラー人と話し合ってくれるのかな?暴力を振るって、リードちゃんに本心じゃないことを吐かせたりしないよね?
シッ、少し声を抑えてろ。
……お前が以前書いたあのヒロックの報告は読んだ、心配するのも分かる。
でしょ?あの人、市議会からの調査令状を持ってて、平和的にターラー人たちと交渉するって言ってたけど、ウチにはどうも……
……いや、ここは信じるしかないよね。あいつは議会が決めた代行者、きっと手荒な真似はしないはずだべ。
だが尋問する際のプレッシャーとなれば、一般人では耐えられそうにないだろうな。
……ところで、私たちがまだ学校に在籍していた時にバディを組んでいただろ。その際にどうやって行動していたかはまだ憶えているか?
あっ、そのハンドサインって……
もちろん憶えているよ。あの時危険度の高い源石製品を奪還する時も、ウチらそうやってハンドサインを出して意思疎通し合っていたもんね。
憶えてくれて助かる。
いずれにしろ、リードの身分は特殊だ。いざ他人の手に落ちて駒扱いにされてしまえば、おそらくこの先も色々と厄介が起こりかねない。
うん、そんなことになったらリードちゃんもきっとツラい思いをしちゃうだろうね……だってあの子、ずっと何かから逃げ出そうとしてるような感じがするし。
おめーさんの言いたいことは分かったべ、チェンちゃん。リードちゃんがロドスに戻れるように、ウチらがいっちょ手を貸してあげようってことだべな。
まあまあ……これはまたくっきりとした轍ね。
どうやらまたお前のライバルに招かれているようだな。
ライバルって、揶揄わないでちょうだい。
でもお生憎、今回は“招かれている”って感じじゃないみたいよ。だって彼、お客人がどんなダンスを踊ってくれるのかなんて、まってく気にしちゃいないんだもの。
私たちが顔を出すだけでも、十分に私たちの立場を示せるからね。
ダブリンが可哀そうなラフシニーを助けにいけば、彼女の正体はバレることになるけど……同時に私がどちら側に立っているのかという証明にもなるでしょ?
それに彼だって分かっているはずよ。彼女を公爵の手に渡らせないためにも、同じドラコのリーダーとしての彼女の影響力を維持するためにも……私がこうして姿を見せなきゃならないってことをね。
問題ない、そんな野心などこの私が綺麗に打ち砕いてみせよう。
……羽獣の鳴き声が止みましたか。これがどういう意味なのかはご存じで?
……(首を振る)
まあいいでしょう、ならまずはあなたがここ最近残してくれた事件の記録について話しましょうか。
あなたはほかの人たちに対して重大な危害を加えることはしませんでしたね。軍の駐屯地で起こったあの火災も、備蓄が少し燃やされただけで、人的被害はまったくありませんでした。
普通ヴィクトリア駐留軍に対するターラー人たちの恨みはこんなものではありません。それに比べてあなたのやり方は、とても温厚そのものだった。
なんならダブリン兵を撃退しようとしていた、なんていう目撃例もあったほどでしたよ。
私がいま述べたこと、すべて認めますか?
他人を傷つけたくなかったことだけは認める。
いいでしょう。あなたは良識的な人ですから、そう信じましょう。
では、先ほど羽獣が静かになったことについてなのですが……
……どうやら、ダブリンのお友だちがあなたを助けに来たようですね。
……
いや……いやだ。
あそこに戻りたくない……
戻る、ですか?ふむ、つまり影としての暮らしには戻りたくないと?
燃える死体に囲まれ、死者の灰を街中に振り撒くような暮らし、といったところでしょうかね?
良識的な人間からすれば、そういった生活はさぞかし苦痛そのものでしょう。
そこでちょうど、今のあなたには選択肢があります。
私たちの庇護を受けてください。そうすれば、あなたが過去に犯した罪は追及しないでおきましょう。
……
絶対に……イヤだ!
逃げなきゃ。向けられたすべての視線から逃げ出さなきゃ。
でもどこまで逃げれば、逃げ出したことになるのだろう?
よし、今だ!
ガッテン!
もう一回ウチの破城矛を食らうことになるけど、ごめん!
(バグパイプが破城矛を振り回す)
――
破城矛を振り回すバグパイプはテントのほうに視線を向けてはいなかったが、その後ろに立っていたチェンは次の瞬間に大きく両目を見開いた。
尋問する者たちを遮っていたテントが、音もなく灰燼と化したからである。
そして黒夜に燃え盛った一筋の炎も、またすぐさま消え果てたのであった。