待て、アルモニ。
この先の道路の関所、そこに配置されている駐留軍の数が異様だ。
おや、お気付きになりましたか?ちょうど向こうにも注意するよう呼びかけておきましてね……ここで恐らく公爵同士の関係を破壊する事件が起こるかもしれないと。
……つまりあの者たちがトロント郡の管轄区域を離れる前に捉えておかなければ、お前が残しておいた策も通用しなくなるというわけか。
フッ、驚くことでもない。
……ウェリントン公の手下にして、ヘマタイト近衛隊の隊長、まあ当然ですが、あなたにとってこれらの身分が脅すになることはもうないでしょう。
しかし、あのまま追っていれば大公爵同士の領地争いに発展していたかもしれないのは、あなたもご存じのはず。昨今のヴィクトリアの情勢において、そんなことを望んでいる人などおりませんよ。
だったら、どうして私に選択の余地を残してくれなかったのかしら?
でもまあ、こうしてこちらの任務は達成できたことだし、良しとしますか。
今回のこのような結果はあなたのミスによるものです。正体がバレてしまったスパイとして、これ以上スパイらしく虚勢を張る必要など、もうあなたにはありませんよ。
そうかしら?でも私としては本気で、いつの日かやってくるであろう協力関係のために、お互い努力をしておいたほうが――
アルモニ。
喋り過ぎだ。
うっ……
……
総員、撤収だ。
元より今回は負け戦だ。ヤツらのことなら、一先ずは見逃しておいてやろう。
(アルモニと”オフィサー”が立ち去る)
ッ……
……だから言っただろ、フィッシャー。鉱石病がある程度進行しちまったら、もう痛み止めを飲んでも意味がないって。
今の容態も、あんたが長時間アーツを使ったせいで招いた結果だ。
そんなことは分かっています。
……
分かったよ、言い過ぎたんなら謝る。
いえ、ただ……
まさかかの敬愛なるカスター公が、“灰色のハット帽”を送り込んできたとは思いもしませんでした。
あの公爵の密偵が……いつの間にか私の部下に取って代わっていたことも。
ハァ……ハァ……にげ、逃げ出せたのかな?
ああ、追っ手は見えていない。
まずは負傷者がいないかのチェックだ、いたら早めに手当てしておいたほうがいい。
仲間を……失ってしまった、何人も。
しばらくここで待機しておこう。煙や霧のせいでみんなはぐれてしまった、もしかしたらまだ森の中に隠れている人もいるのかもしれない。
以前彼らにはこちらの方向に向かうよう言っておいたはずだったな。ならもし向こうが憶えているのなら、こっちに来てくれるはずだ。
うん、少しだけ待ってあげよう。それにもうすぐ朝だから、キミたちは先に行ってもらっても構わないよ。
ほかのみんなも武器を下ろして、しばらくの間は休憩しておこう……
……
……バグパイプ?
……“リード”。
おめーさんが、あの時ヒロックにいた術師なんべな。
おめーさんがあの火事を操っていた黒幕。そのアーツには見覚えがあったんだ、おめーさんがあの街を焼く尽くしたんだな。
Outcastさんも、おめーさんを助けるために死んでいったってのに。
……答えろ。おめーさんが、ダブリンの“リーダー”なんだな?
……
その場にいた誰もがリードに注目し、彼女の答えを待っていた。
バグパイプが投げかけてきた問いなら、今までに何度も聞いてきた。そしてこの問いを聞くたびに、彼女は必死に首を振ろうとする衝動を抑えつけてきたのである。
しかしこの時の彼女は、あの時に嗅いだ干し草と夜風の匂いを思い出していた。
槍先に燃える炎とは違った、張られたテントの前で揺らめく焚火のことを。
今も漂っている濃い霧の中で、脳裏に反響する一人ひとりの呼びかけの声のことを。
だからもう、首を横に振りたくはない。そう彼女は思ったのであった。
そうだ。
ヒロックにいた時、私は死ぬことで、この身分から解放されることを望んでいた。だから源石の砲弾が降ってきても、私は避けなかった。
ロドスに助けられた後、私は自分の運命から何かを取り戻そうと思うようになったんだ。だからダブリンが残していった傷痕を少しでも宥めようと、この旅路に出ることにした。
でもキミが投げかけてきたその問いなら、今はこう答えてあげることしかできない。そう、私がダブリンのリーダーだ。
あの死んでいった人たち……ダブリンのために死んでいった人たち、“ターラー人”たち。
ダブリンは……そんな人たちをずっと騙してきたんでしょ?
……以前の私なら、その者たちの命はダブリンの炎を燃やし続ける燃料に過ぎないと言うはずだ。
ターラー人の時代のために、立ち上がって不公平に抗おうとするすべてのターラー人のために、その炎は強く激しく燃やしていかなければならないと。
でもそれを……Outcastに助けられ、再びこの道を歩み始めてから、私は口にすることができなくなった。
実際、避けられた死もあったのだから。
死んでいった者たちはみんな、ダブリンのための犠牲となったのだなんてことは、私の口からは到底言えない……ターラー人だって、一人ひとりが生きた人間なんだから。
今でも憶えているよ、ダブリンの犯してきた過ちの数々を……特に私が犯してきた過ちは。私はその醜い傷痕を、もう隠したり匿ったりしたくはないんだ。
じゃあ……“ヘマタイト近衛隊”のこと。
今日の夜に、おめーさんを攫おうとしていたダブリン兵たちは、ウェリントン公の人間だった。
おめーさんらは……公爵の私兵なんだべか?
いや、ダブリンのバックに勢力は……どんな勢力もいてはならなかったはずだ。
いたとしても、それは……安寧の故郷を望み、自分たちの土地で自由に過ごすことを願うターラー人たちであるべきだ。
でも、おめーさんはダブリンを恐れているべ。
もしダブリンが本当におめーさんの言う通り、ターラー人を守るために戦っているっていうのなら、おめーさんは一体何を恐れているんだべか?
……
私が……恐れているもの?
おめーさんが想像してるダブリンはいいところ。でも実際、中身は暴徒や陰謀家、自分の手の及ばない人間たちの巣窟。そんでおめーさんに至ってはそいつらにすら捨てられた、そうだべ?
多くの人たちが、ダブリンの火の中からターラー人たちの未来ではなく、自分たちの未来しか見えていなかったことなら、否定はしない。
たぶん……ヴィクトリア人たちが一つひとつレンガを積み重ねて、自分たちの家を築き上げていた時もきっと、自分たちはヴィクトリアのために家を築いているんだと考えてはいなかったと思う。
けど、ヴィクトリア人はすでに自分たちの家と土地を持つことができた。落ち着いて開拓し、耕すことだって。でもターラー人たちは、生きるためにはたくさんの血を流さなければならない。
そんなの、私は見たくない。そう、私が怖がっていたんだ、血が流れることを、人が死ぬところを……だからずっと隠れてきた。
考えないようにって、感じ取れないようにって……ただの影でいようって。
でも、本当にこのままでいいのだろうか?どうして私の見えないところで、血は……流れ続けてしまっているのだろうか?
リード……
……バグパイプ。キミたちはずっと、このターラー人たちをどこに連れていくんだって、聞いてきたよね。
そこで一つキミに聞き返したいことがある。ダブリンの夢は、本当に叶えてはいけないものなのだろうか?
……
バグパイプが失望を感じることは滅多にない。
自分の報告書が永遠に届けられるべき人の手に渡すことはないと、自分の戦友たちは長らく企てられてきた策略の中で非業の犠牲を遂げたのだと、そんなことばかりを考えてしまう。
再びダブリンと相見えた時にどうやって彼らの陰謀を瓦解してやろうか、彼らの魔の手からどうやって一般人を助けようかと、そんなことばかりを考え続けてきた。
しかし今、ヒロック事件の背後にあったのは単なる公爵同士の腹の探り合いだったと、リードの背後で戦火から逃げ出してきたのは怯えた目をしたターラー人たちに過ぎなかったということを彼女は知った。
だから彼女は、誰に失望感を抱いているのか分からなくなってしまったのである。
リードの口からどうやって答えを導き出せばいいのかすらも。彼女もまた、リードの問いに答えてやれないのと同じように。
……行こう、チェンちゃん。
いいのか?
ウチの任務はダブリンの真相を調査することだべ。それならもう、今ダブリンの“リーダー”から聞いたよ。
それに、リードもしばらくはウチらと一緒にロドスへ戻るつもりはないみたいだし。
……
彼女には彼女のやるべきことがあって、ウチらもウチらのやるべきことがあるでしょ。
……分かった。
(チェンとバグパイプが立ち去ろうとしていた所、ヴィーンが駆け寄ってくる)
ば、バグパイプ!
……ヴィーンさん?
これ……あげるよ。
これは、ラジオ?
また荒野に向かうんだろ?だったらそれを持っていってよ、もしかしたら使えるかもしれないし……
そっちはいいの?
私は……ほら、ターラー人に関する情報なんて、いつ聞いても似たり寄ったりなものばかりだろ?だからいいんだ、貰ってくれ。
本当に感謝してるよ、バグパイプ、それにチェンも。あと……ロドスにもね。テントを分け与えてくれて、これまでずっと守ってきてくれて本当にありがとう。
じゃあ……またいつか。
……
うん。またね、ヴィーンさん。
古臭いそのラジオはバグパイプの手の中でジリジリとノイズを発している。それを耳にしたバグパイプは、無意識に力を込めていた手を緩めていった。
お達者で。
……ケリーに、フェガール、そして私と君。残り八人になってしまったね。
でもまあ、人が減った分、いざという時には逃げやすくなったはずだよね、あはは……
……
……トランクにまだ綺麗な包帯が残ってないか、代わりに探してもらえないかな?
あっ、うん……はい、これ。
今から傷口周りの包帯を解くけど、いいね?少し痛むかもしれないけど我慢して……
(リードが包帯を巻き始める)
いッ……
……あれ、ヴィーン、あんた血を見ても平気になったのか?
え?そ、そうかな……でも、いちいち怖がっててももう仕方がないでしょ。
はぁ、なあリード……バグパイプたちは本当にあのまま行ってしまったのか?君たちは友だちだったのでは?
……友だち、なのかもしれない。いずれはそうなるかもしれないけど、今はそうじゃない。
……そうか。
でも、行ってしまうことが分かってても、せめて別れぐらいは言ってあげたほうがいいと思うんだ。
誰にだって……せめて一声だけでも、別れだけでも言ってあげるべきだよ。
――あれ、モニ……?モニだ!
遠くのほうで、黎明の微かな光を頼りに、足を引きずりながらもこちらへやって来るモニの姿が見えた。
彼女の手には折れてしまった剣と、そして血に染まりきってしまったバンダナが握りしめられていた。
あれは……セルモンの所持品?
……モニ、セルモンは……?
(無言のまま首を振る)
……ごめんなさい、あなたは見えてないはずだから分からないものね。
遠くの森の中、戦火が燃え尽きた後の硝煙がゆっくりと空に向かって立ち上っている。
セルモンと同じく、今も多くの者たちがあの森の中で横たわっている。彼らの最期を、見届けてあげられた者などいるはずもなく。
生き残った者たちはただただ静かに、消えていく煙を見上げることしかできなかった。
……彼らはみんな、ただ……どこに向かえばいいのかが分からないだけだったのに。
ハイストーン平原でも、ヒロック郡でも、オーク郡でも……
リードは数多もの大火をその目で見てきた。それぞれ異なる場所で、権力と名声を相争うために、戦争と厄災は絶え間なく引き起こされ続けてきた。
その中で一般人たちは必死に藻掻き抗うも、最後には無念にも非業の死を遂げてしまう。
それを思って彼女は手を伸ばし、ドラコの炎で小さな小さな花を生み出した。
その炎を手に握る感覚は今でも彼女を震わせるものであり、臓物も激痛に苛まれるが、彼女はもう目を閉じることはしなかった。
この泥沼から這い上がった……すべての人たちに捧げる。
小さな花はひらひらと沼地へと舞い落ちていき、やがては静かに泥土の中で散っていったのであった。