母ちゃん母ちゃん、あっち見ろよ!なんかケンカしてるぜ!
見たって面白いもんでもないでしょ、どうせまた値段交渉ができなくておっ始めたパターンよ。
それよりもしっかりと母ちゃんについてきな。こんなとこではぐれちゃったら、どこであんたを見つけりゃいいのさ。
ズオ公子、こいつらそう簡単に手を引くような連中じゃありませんよ。このまま続けても、うちらの安否はともかく、一般人を巻き込んでしまうかもしれません。
……リーさん、何かアイデアはないんですか?
こっから逃げるアイデアならありますけど、その場合のちのち面倒なことになっちまいますが……
待ってください――
(まずい、こりゃ間に合わ――)
山海衆はごった返す人混みの中に隠れ潜み、さながら水の下の魚のようである。
群れと化した魚が同時に水面から飛び出せば、いくらズオ・ラウとリーが事前に備えていたとしても、このような素早い攻勢を防ぎ切れるとは限らない。
しかしそこで、まるでその場に居合わせたほとんどの者たちが雪を見たようであった。
細々とした小さな霙のそれではなく、ヒラヒラと一片一片舞い落ちてくるしっかりとした雪が。
そしてやがてその大雪は激しい濁流を堰き止めるかのように、山海衆らの足取りを引き留めた。
(悶え苦しむ声)
かような技を繰り出せたのは、単に尋常ならぬ“武術”を極めたからではなく、死地から得られた経験も働いていたからなのだろう。
下がれ。
……
これ以上はもう追わないでください。
市場は人が多い。ああいった輩は容赦を知らないから、一般人を容易に巻き込んでしまいます。
(苦しそうに息継ぎする)
チュ、チュウバイの姐さん……お久しぶりです。
確かに久しぶりですね。それにまったく上達していないどころか腕が鈍ったのでは?
……
姐さんはどうしてこちらへ?
宗帥からお前に手を貸してやれと言われました。
そちらの方は?
先の任務で、知り合った友人でして……リャン様の昔からのご友人であります。
リャン様のご友人であってしても、政府関連の者でなければ事件に首を突っ込むべきではありません。
いやいや、誤解ですよ誤解。おれはたまたま通りかかっただけですって。
にしても、仕事を頼まれたら決まって違う人に、“余計なことには首を突っ込むな”って言われるんですけど、これも私立探偵の性ってもんなんでしょうかねぇ。
もしリーさんの助けがなければ、おそらくボクは無事では済まされなかったでしょう。それにしても、リーさんは本当にたまたま通りかかっただけなんですか?
本当にたまたまだって言っても、司歳台は信用してくれるんです?
今は緊急事態ですので、あまりふざけないで頂きたいです。
はぁ、面倒なのは嫌いだってさんざん言ってるのに、なーんで毎回毎回向こうからやってくるんだか。
実は、うちに仕事を頼んできた依頼者の方、龍門のウェイ長官の知人でしてね。昨晩の軍営で、皆さんもうすでに顔は合わせたと思いますよ。
でその依頼内容は、さっきズオ公子を襲った連中の捜索で間違いないと思います。
昨晩玉門で起こったこと、まだ何か知ってることはありますか?
いや、そこまでは。私立探偵に依頼する人たちっていうのは、話せない事情を持ってることが多いんでね。うちはもう慣れっこですけど。
もしそちらから少しだけ情報を開示して頂ければ、おれも少しは手伝ってあげられますよ?
……
昨晩起こった乱戦の中、とある刺客に傷を負わせることができたので、本来ならそれを手掛かりに医療施設から調査しようと考えていたんです。
何軒か調べはしたのですが、どこも怪しい箇所は見つからなくて。ただ先ほどの一軒だけ、そこで働いていると言う男が、なんとしてでも建物内に入らせまいとボクを足止めしてきたんです。
しかしどうにかして建物内に入ってみれば、屋内で包帯と血痕を発見しました。それから男はとても慌ただしい様子で、施設から飛び出していってしまったんです。
この玉門で、司歳台に歯向かうようなヤツがいるんですか……?
ボクもあの人は非常に怪しいと思っています。意図的な公務執行妨害だけでも十分犯罪ですが、あの人、言ってることとやってることがめちゃくちゃで、何か企てているとは考えづらいんです。
ズオ公子、もうちょっとだけそいつの詳細について教えてくれませんか?
あの怪しい人物の外見でしたら……
(ズオ・ラウがガタイの良い男性を思い出す)
フェリーンの男性でして、年齢はおそらく四五十代。とてもガタイがよく、それに……武術に通じていました。
……
本当にあいつなのか……?
ユーシャさんから亡くなられた鏢局の方たちの親族への訪問を頼まれたのですから、私たちも急ぎましょう。
急いでるわよ、残りあと一軒ってところでしょうが。
それよりドゥさん、聞きそびれてしまったのですが、どうして玉門へ?
前にも言ったでしょ。ここへ来たのは自分の会社を立ち上げるためよ。
テイさんから自分の娘も玉門に向かったとは聞いていたのですが、まさか本当に遭遇できるとは思いませんでしたよ。
まっ、これも一種の縁ってやつね。
そういえば、あたしたちはもう事件調査のために協力し合ってるってことでしょ?ならこのままついでに、あたしの会社に入っちゃってもいいんじゃないかしら?
まだ諦めてなかったんですか……
ユーシャさんもユーシャさんです……今回の一件で、中々見知った方たちを巻き込んでいるみたいですね。
ていうか、あの使者のお嬢サマが鼠王の娘だったなんてね。
え、ドゥさんもリンさんとはお知り合いだったんですか?
知り合いってわけじゃないわ。ただ父さんが若い頃あちこち回っていたついでに、鼠王の名前を耳にしたってだけよ。
そっちこそ、龍門人ならみーんな鼠王とは親しいと思っていたわ。
龍門はそんな小さな街じゃありませんよ……
ただ事務所の仕事の関係上、リンさんと顔を合わせることならたまにありますよ。ただユーシャさんに関しては、本当に聞いたことがあるというぐらいでして。
あんたたち龍門人にとって、鼠王って一体どういう人なの?そこがすごく気になるわ。
“龍門人”って一括りにするには、ちょっと定義が広すぎますね。
彼を後ろ盾として見ている人もいれば、絶対に目を付けられちゃいけない厄介者と見ている人もいますし、なんなら普通の優しいお爺さんと見ている人も……
ただ一つだけ言えることは、彼なしでは龍門に安寧はないってことですね。
なんだかすごそうな人ね……でもそんな父親を持っていることだから、リンのお嬢サマも色々とやり辛いんでしょ。
え、どうしてですか?
世の中の父親ってのみんな一緒なのよ。どいつもこいつも自分が敷いておいた道を子供に歩かせようとする。
実力があればあるほど、そうさせられるわ。
ドゥさん、もしかしてテイさんとはあんまり仲がよろしくないんですか?
良くないわけではないんだけど、あんまりベタベタとくっ付かれてもらいたくはないわね。
じゃあ、まったく自分の子供のことを気に掛けないような父親もいると言ったら?
いつまでも自分のやりたいことしかやらず、自分の子供もほかの人に預けて、様子を尋ねようともせず、いざ消息不明になったら十数年も経つような父親が。
それって……
いや、やめておきましょう。今は話にも出したくない。
もしクソ親父が十何年も音沙汰がなかったら、あたしが鏢局の全部を引き継いで一からやり直してやるわよ。
あたしのほうがもっと上手くやれるって見せつけてやるんだから。
でもどれだけ上手くやっていても、まったく様子を見に帰って来てくれなかったどうするんですか?
……
あっ、ここよ。
(ドアのノック音)
ごめんくださーい、どなたかいらっしゃいませんかー?
お邪魔しますよー、私たちは――
あれ、ドアに鍵がかかってないし、誰もいませんね?
ここが四軒目よ。
犠牲者になったのがこの医館で医者をしてる人の息子さんでね、先生は地元の人で、この医館を何十年も経営してきた。お互い助け合いながら生活してきたってところね。
トランスポーター部隊が犠牲になった報せなら今日の午後にも市内に伝わっているから、医者のほうもすでに知ってるとは思うんだけれど……
けど室内を見たところ、異常はなさそうですね。ものは綺麗に整頓されているし、机もピカピカに拭かれている。角っこにあるあの二つの袋は、さっき市場で買ってきた日用品でしょうか。
玉門がこういった慣わしがあるのかは知りませんけど、この部屋の中……なんだか“何も起こらなかった”って感じがしますね。
父親として、自分の子供が帰らぬ人となってしまったら、どういう反応を見せるのでしょうか……
……
(シャンを思い出す)
少なくとも、“何も起こらない”とは思えないわね。
それにしても、家主がいないものですから、このまま勝手に入ってしまうのはよろしくなでしょう。
先にユーシャさんのところに向かいましょうか。
お嬢、この先に見えるのが、さっきの密輸者が言っていた倉庫です。
にしてはなんか変ですね……
ここを知ってるの?
以前潜入しに来た時、市内の物流を調べていたんですけど、ここは街の南にある鍛冶屋が鉄器やら源石燃料やらを置くためにある倉庫のはずなんです。
俺が手に入れた資料によればですと、その鍛冶屋は街の中でもそこそこ歴史のある店でして、今回の事件と関りを持っているとは思えないんですよね……
あんの※龍門スラング※、まさか俺たちをおちょくったんじゃないだろうな!
落ち着きなさい。
何を焦っているの。
あそこまで追い詰められていたからには、あれ以上ウソをつく度胸はないはずよ。それにここまで来たことだし、怪しい点があるかどうかは、見れば分かることでしょ。
あなたはここで見張っててちょうだい、私が様子を見てくるから。
お気を付けて。
……
そこのお嬢さん、もしかして入るところを間違えたんじゃないのか?
ここって、あの彫刻屋さんの倉庫かしら?
……
石を買いに来たの。
あなたたちの店長さんが市場に置いてる作品はどれも作りが悪すぎるわ。ただ石そのものは悪くなかったものだから、ここで直接仕入れようと思って。
店長さんからすでに同意は得ているわよ。ここに来て、直接案内してもらえって。
彫刻屋ってのは、鐘記(しょうき)ってところか?
そういう店名だった気がするわ。ほら、市場の一番東の端っこにあるお店。
鐘記さんの倉庫なら街の西だよ、ここは街の南だ。
だからもう奥まで見て回らんでも結構だぞ。
だってほら、周りを見てみろよ。どれも鉄鉱石だの、くず鉄だので、どこに石があるように見えるんだ?
だからお嬢さん、あんた入るとこを間違えてるよ。
でも、案内役にもう代金を払っちゃったんだけど!
……
ごめんなさい、邪魔したわ。
いや、いいんだ。外まで送るよ。
空を覆い隠す雲の層に切れ間が生じ、降り注いできた日差しによって、肌に僅かな突き刺すような痛みが生じた。リン・ユーシャは無意識に後ろ首を触り、そして目の前を歩いている倉庫の見張り番を見てみれば……
一体どのような恰好をすれば、首根っこにそのような日焼けの跡が残るのだろうか?
なんかおかしなところでも?
いえ、なんでもないわ。案内してくれてありがとう、それじゃあ。
お嬢、どうでした?
このままここで見張っておいて、周りの動向にも注意しておくのよ。
何か異変でも?
いいから。目を光らせておいて、何かあったらすぐ報告するように。
分かりました。