私は水賊の生まれだった。
親父が言うには、河は大地の至るところに通じており、堅牢な船さえあれば、どこへだって行けるらしい。
親父は何よりも雪を嫌っていた。雪が降れば、“シノギ”はできず、一家が腹を空かせるハメになるからだ。私の名前もそうやって付けられた。
どういう“シノギ”だったかは分からなかったが、親父は毎月得物と物資を、そしていつも必ず私にプレゼントを持ち帰ってきてくれた。その時は母も、何も文句を言わずに持ち帰った物資の仕分けを手伝い、血に染まった親父の衣服を洗ってくれた。
しかしある日、甲冑を着こんだ連中が私たちの住む村に攻めてきた。親父は生涯、河の上で暮らしていたが、ついにはその河底に葬られてしまった。
私が憶えているのは、そんな連中を率いていたヤツの顔だけだった。圧倒的な勝利を獲ったにも関わらず、その顔にはまるで喜びの色が見えず、ただ赤に染まっていく河を呆然と眺めているだけだった。
その時から、私には一つの感情しか残されていなかった。
必ず復讐してやると。
そいつの在処を知って、私は家を出た。炎国の最東端から、最西端まで追って。
そこでこの大地には、ただ河が流れているだけでなく、ほかにも数えきれないほどの山や平原も存在していることを初めて知った。
この大地に住まう人々には、幾千万もの生き方があり、そして幾千万もの辛苦があるのだと。
私たちが住んでいた村はあまりにも小さかったんだ。もし親父も外に出られていれば、一生あんな生業をせずに済んだはずなのに。
けど親父は間違っていた。船さえあれば、どこへだって行けるわけではない。
そうして私は、ついに玉門へとやって来た。そいつも城壁の上に立ち、あの時とまったく同じ表情をしていた。どうやら私も多少ながらその人のことが分かってきたようだ。
復讐してやる、必ずな。
……

……

事態の経緯はこのような経緯です。

剣はあの武術狂いのワイが持っています。あの方の実力を考えればズオ・ラウではどうにもならないでしょう

あんな約束一つのためだけに、三年もここに残っていたとは……却って面白みのある人間に思えてきたぞ。

して、タイホーの容態は?

まだ昏睡状態にあります。

タイホー殿と、先日ウェイイェンウーの暗殺を試みたヤツは同一人物でした。混乱に乗じて逃げられてしまいましたが、私では相手になりません。

ズオ・ラウも今では鋳剣坊を封鎖してしまいました。多くの武人もそれで……取り押さえられてしまっています。

天災が差し迫っている中、防衛軍と武侠らの関係が決裂してしまったからには、玉門の情勢もさらに悪化する一途を辿るでしょう。

衝動的に動いてしまったあの子を責めるわけにもいかないさ。

……あなたがこの事態に介入しない限り、収まりは効かないかと。

私はズオ将軍からここに残れと命じられている、真っ向から彼と歯向かうわけにはいかないだろう。

ここ数日のことだけを言っているわけではないのは、あなただって分かっているでしょう。

あなたはもうすぐここを離れる。それまでに、あなたをずっと慕ってくれた人たちのためにも、一つ弁明や説明をしては?

それとも、申し開きが出来ないから逃げるおつもりで?

……

周りはお前を私の弟子として扱ってはいるが、私も時折お前の来歴をどうしても忘れてしまうよ。だから致し方なく、お前を録武官として、ズオ・ラウらと同じような子として扱うことにした。

ですが、私は一度もあなたを“先生”と呼んだことはありません。

私に“先生”と呼んでもらえる資格がないのは事実だろう。

お前は物覚えがいい、剣術もほとんどはお前自身で磨き上げたものだ。私から教えられるものも、最初から限りがあったのさ。

ですが、あなたが私の正体を隠してくれたからこそ、私はこうして玉門に留まることが出来ました。

子供を再び荒野へ追いやるわけにもいかないだろう……

何故です、私があなたを殺す可能性を考えはしなかったのですか?それとも、私は永遠にあなたの相手ではないとでも?

復讐を望むのなら、何も武闘において私に勝つ必要はないだろう。

食事に毒を盛ったり、あるいは今この城壁から私の背中を一押しさえすれば、私はすでに数百回は死んだ計算になる。

ただ私を殺しても、その執念を消せないのではないかと心配なだけだ。

……もしあなたと五年も過ごしていなければ、今の言葉を聞いた私はきっと“お前はこの世で最も道徳家気取りをした偽の聖人君子だ”と吐き捨てていたかもしれませんね。

五年……もうそんなに経ったのか。

あなたからすれば一瞬でしょう。

なぜそう言える?

十数年過ぎても、まったく面貌を変えず、いつもこの世を見尽くしたようなやるせない表情を浮かべていれば、いくら私が鈍感だったとしても、あなたが普通の人間じゃないことぐらい分かりますよ。

この大地には、極めて長寿な種族も存在する。昔は物語の中でしか存在しないものだと思っていましたが、まさかこんな身近にいたとは。

最初から気付いていたのか。

気にしてはいませんがね。

復讐をするのに、あなたがどれほど長生きかなどは関係ありませんから。

それに、あなたは普通の人間ではないと考えてばかりいては、自分に言い訳を探しているようなものでしょう。

あなたの言ったように、己の足で高みを目指す、一歩一歩少しずつ上へ登って行けばいい。ほかのことを考えても、ただ心が乱れてしまうだけ。

しかし一旦勝ち負けや恨みを憶えてしまえば、たとえ報えたとしても、そう簡単に下ろせるものではないぞ。

剣に雑念を込めてしまえば、鈍ってしまうからな。

普通の人間というのは、そういった執念にしがみつかなければ生きてはいけません……それを分からないあなたではないでしょう。

知り合ったばかりの頃、お前はまだ今みたいに“気勢が激しい”わけではなかったのにな……

この五年間、あなたからは色々と教わりましたから。

私は武を習う心得しか教えてはいないさ。

これもあなたからの受け売りです。その人の教えられるものには限りはある、しかし、学べるものは教えられるものよりも多く、それをものにすることができる、と。

……

話を戻しましょう、そろそろあなたのことを思ってくれている人たちに会ってやるべきです。

あなたはそれこそ、そういった人たちの執念みたいなものですから。

……

あのデカブツ、どっか行っちゃった……
(ズオ・ラウが駆け寄ってくる)

その場から動かないでください。

またあなた……

あなたがあの凶悪犯たちと無関係なのは分かりましたが、なぜ剣を盗んだのですか?医館にいたあの人とも、一体どういった関係が?

あいつらのことなら知らないし、あの大男のことも知らないってば。

やはり、とんだ大事に巻き込まれてしまった、といったところですか。

あなたは移動都市で生活したことがない上に、玉門についても何一つ理解していない。何者かがあなたにその剣の在処を唆し、そして利用されたと。

しかしそれがどんな厄災をもたらす行為だったのか、あなたはまるで知る由もなかった。

ここであなたの知っていることをすべて教えて頂けるのでしたら、まだ汚名を返上するチャンスがあるのかもしれませんよ。

言ったでしょ、私は誰にも指図されていないって。私はただ恩返しをしたいだけなんだ。

自ら命を落とすことになっても、ですか?

……とにかく、もう私のことは放っておいて。

真相はどうであれば、無関係の人をこんな事態に巻き込むわけにはいきませんよ。

これでも、ボクはあなたを助けようとしているんですから。

……

いくら人畜無害そうに振舞ったってムダ。あなたはいい人じゃない。

ボクは捜査命令を受けている身であり、あなたは剣を盗んだ。いくらそちらに言えない事情があったとしても、白と黒を履き違えてもらっては困ります。

鍛冶屋に来たおじさんたちみんなを連行した。それを見ただけでも、あなたへの信頼はゼロだよ。

あの者たちは山海衆を庇おうとして鋳剣坊へやって来た者たちです。

違う!彼らはあの場所を守ろうとしていただけだ!

だとしても、容疑が晴れるまでは、一様に取り調べを受けてもらいます。天災は目前、凶悪犯たちも市内で跋扈している、ボクには玉門への責任を負っているのですから。

私の部族では、十六歳になった、健康で強かなアナサでなければ、一族の者たちはその人に専用の武器を作ってはくれないんだ。

そして自分の武器を手にしたアナサは、生涯老人と子供と、病に侵された同胞を守らなければならない。

無関係な人を巻き込まないようにするためだとか、都市を守るためだとか。そんな軽々しい言葉を言っただけで、よくそんな気軽に他人へ武器を向けられるものだね……

このズオ・ラウには、責務がありますから……

やっぱり師匠の言ってた通りだったよ。あなたたちみたいな人たちは、それらしい大義名分を掲げておけば、自分たちは何も悪くないって考えるような人たちなんだ。

……
(ワイ・テンペイが近寄ってくる)

わざわざスピードを落としてやったっていうのに、後ろを見りゃ誰もついて来やしなかったとは。

剣ならまだ俺が持っているぞ。なのにお前ら、なに仲良くくっちゃべってるんだ?

武人のお方、どうやらズオ・ラウはお二人と少し誤解があったようです。ですので、どうか今はその剣をこちらに返して頂けないでしょうか?

お前らの会話を聞いて、事情は大体分かった。

この剣はあの宗帥の所有物であったんだが、知らぬ間にこの嬢ちゃんが持って行ってしまったってことだろ。

あいつの武術は入神の域にすら達している、得物なんかを頼るようなことは絶対にないはずだ。だが、この剣だけはどうしても手放せなかったから、こうやってお前を送り込んできたわけか?

その詳細については、申し訳ありませんがお伝えできません。

もしあいつに迷惑をかけちまったのなら、あいつが退任する日時もそのせいで延期になっちまうだろうな……かといって、この嬢ちゃんを助けてやるって言っちまったもんだし……

むぅ……こりゃ参った、実に参った。

……

いや、いいことを思いついたぞ。

話し合いみたいなまどろっこしいことをしなくて済むような、直接的な方法を思いついた。

お前ら二人とも、それなりに実力はあるほうなんだろ。ならここで一つ戦え。武器はなし、己の拳のみでだ。勝ったヤツに、この剣をやろう。

今は国の安全に関わり一大事なのですよ、そんなおままごとをしている暇なんてありません。ふざけないでください。
(ジエユンがズオ・ラウを殴る)

ボクはしませんから――いてッ。

……こっちは急いでるんだ。
梅花五点、拳脚 相通ずる。来留去送、手を甩(ふりな)げ直(ちょく)と衝く。
内の発勁を寸(はか)らんば、力に対錯あり。意を外へ投ずるには、精神を一点するのみ……

おっ?
空がぼんやりと明るくなってきた頃、宿屋で働いている従業員はせっせと食卓や床を綺麗に掃き、本日調理をする食材の仕込みに取り掛かっている。
リーは今しがた目を覚ましたばかりであり、裏庭からはすでに羽獣のさえずりと、そして空を切る拳の音が聞こえていた。

やっぱ親子だよなぁ、これもまたある種の縁ってやつかぁ……

朝っぱらからお疲れさん、いやぁ見事だよ。

おじさん……

しばらくお前がその拳法をやってるとこを見ていないものだったからな、てっきりふと何かを悟って、技を繰り出さなくてもいい境地に達したのかと思ったよ。

もう、そういう冗談はもういいですって。

武術はそう簡単なものではありませんよ。進歩したければ、毎日苦い鍛錬を積み重ねなければなりません。

そうだな。

しっかし、お前に初めて事務所の仕事を任せて、ゴロツキどもに狙われたあの時のことを思い出してしまったよ。

しばらくしておれが駆けつけてみれば、お前はそこら中で倒れ込んでいるヤクザ共のど真ん中に立ち尽くして、何もやることがないって感じでボーっとしてたもんな。

あん時のお前はまだ十六歳だったってのに……

武術なら、まだろくに言葉も憶えていない頃から始めましたよ。

そんな昔のことをまだ憶えているのか?

いえ、あの人が教えてくれたんです……

まあ、そういうところはあいつもしっかりとお前を教育してくれていたよ。

こういう諺があるじゃないですか、「師匠は入門まで、修練は個人次第」って。

まあ、“入門”も大事ですけど……

そりゃきっと父親として、お前に教えてやれる唯一のことなんだろうさ。

……

別にあいつを庇っているわけじゃないぞ?確かにあいつは父親失格だ、でもそれがお前の進みたい道を諦める理由にはならないだろ。

その武術は、あいつからのプレゼントって思っておけばいい。もし気に入らなかったら、好きでもない習い事をさせられたって考えて、やめちまえばいいのさ。

武を極める道はあいつが決めた道だ、それをお前が必ずしも辿る必要はない。

]習ったこの武術のことならキライじゃありませんよ、私にも私の人生があることは分かっています。

だって私は、龍門科学技術大学エンジニア学科の卒業生にして、リー探偵事務所のスタッフ、それにロドスの外勤オペレーターでもあるんですから。

でも、冬青木区から出た初めての大学生武侠ではないけどな。

必要とあれば、それもなってみせますよ!

そうか。ならそこまで考えがまとまっているのなら、次会った時に全部あいつにぶつけてやればいい。

おじさん、それって……

今までずっと鍛錬してこなかった拳法を急にまたやり始めたんだ、それぐらいの理由があるってもんだろ。

まあ、あいつが長年放棄してきた責任のことを考えると、もしムカついて来たのならあいつを殴り飛ばしてやればいい。

仮に負けたとしても気にすることはないぞ。今のお前ぐらいの年頃だったあいつが、お前よりも強かったとは限らないからな。

……
(ズオ・ラウとジエユンが殴り合う)
ズオ・ラウは持燭人としてはまだまだ若いほうだ。とはいえ処理してきた任務は、もはや少なくはない。
しかし、そのうち彼が手を出せなかった任務は皆無であった。彼が習ってきた武術も、反撃の仕方は教えてくれたが、如何にして相手の攻撃を受け止める方法は教えてはくれなかった。
これはそういった道理によるものなのだろうか?それとも単に傷ついた少女に手を上げたくはなかっただけなのだろうか?
降りしきる雨粒のような攻撃がズオ・ラウを襲うが、彼はただただ守りに徹することしかできなかったのである。
そして二人は地面に倒れ込んでしまい、どちらも土で顔を汚してしまっている。それでも少女は執拗に、振るう拳は必死そのものであった。
とはいえ傍から見れば、二人のやり取りはまるで子供同士のケンカのようであり、実に滑稽である。

(ため息をつきながら首を振るう)

そこまでだ。

もういい、もう分かった。勝負はついた、嬢ちゃんの勝ちだ。

ほら、受け取れ。
(ジエユンが刀を受け取る)

お前のその恩返しが済んだ後に、また医者代を返しに帰ってこい。

……わかった。
(ジエユンが走り去る)

ほら小僧、お前の刀も返してやる。
相

手が負傷していたから手を出さなかった。負けは負けだが、それでもいい負け方だったぞ。

……

そんな目で俺を見ないでくれ。

あいつは帰ってくると俺に約束したんだ、だから今はあいつのことを信じてやる。もし約束を破るものなら、俺の人を見る目が狂っていたってことだ。

そん時は俺があいつをとっ捕まえてやるよ。

もう行っていいわよ。

……何よその目は?

いいえ、あなたまったくケガを負っていないものだから。

想定外だったってこと?それともガッカリした?

あなたを危険に巻き込みたくなかっただけよ。

不必要な誤解を生じさせ、あなたを面倒事に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。

でも事情ならすでに彼らにも伝えておいたから、もう大丈夫よ。

待ちなさい。

さっきここの兵士があたしに教えてくれたわ。あたしが持ってるこの腕章――あんたから貰ったコレ。この前都市の外から持って帰ってきたものなんだってね?

それの説明はまったくないのかしら?

もう知っているのなら、わざわざ私から説明を聞く必要はないと思うのだけれど。
杜遥夜の拳は彼女の顔の寸でところでピタリと止まったが、リン・ユーシャはまったく避ける素振りを見せなかった。

あたしたちはまだ知り合ったばかりだから、あたしのことを信用していないのは理解できる。

鋳剣坊を代わりに調査してほしい人を探しているのなら、それはそれで構わないわ。

でも、あたしの仲間を利用してあたしのことを騙そうとすることだけは絶対に許さない。

ごめ……

うるさい、黙ってて。

あんたに謝る資格はないし、あたしもあんたを許しはしないんだから。

そう。

これがあんたたち龍門人のやり方なわけ?

私自身のやり方よ。

……

で、一体何が分かったの?このままあんたに利用されっぱなしのままでいるわけにはいかないわ。

知ってることを全部教えなさい。

最初はまだ疑っていただけだったのだけれど、今はもう確信したわ。

都市の外で起こったトランスポーター部隊の襲撃事件から、私たちが遭遇したあの事件と胡散臭い繋がりがあることが分かったの。

あなたたちが鋳剣坊で山海衆と遭遇したことも偶然ではなかったのよ。あのモンって刀鍛冶とあいつらが裏で結託しているのが何よりの証拠よ。

じゃあ、本当にモンさんは……?

もしも、こういった一連の事件を画策する能力を持っている人は誰かと言われれば、もう彼しかいないわ。

そんな、なんで孟さんがあんなことを……

じゃああたしの仲間は!?ほかに分かったことはないの!?

それについてはまだ分からないわ、けどもうすでに調査するよう人を送っておいたから。

もし最悪の事態を想定すれば、これは単にトランスポーターの部隊が襲われてしまっただけではなく、この玉門自体が極めて深刻な危機的状況に陥ってしまっていることになるわ。

それが彼らの目的じゃなければいいのだけれど。それともまさか、まだ何か隠し持っているのかしら……
もう数十年だ、モン・テーイーがこうして外から自分の店を見ることは滅多にない。
中にいる時は、いつも窮屈に思えていたのだが、こうして街の通りに出てみれば、工房を囲う壁は高く、レンガも分厚い。構えている門は立派なものであり、中々に豪勢ではないだろうか。
一か月ほど開かれる市場も、いよいよ残り数日あまり。しかし街中は依然と賑やかであるためか、店前が寂れているこの鋳剣坊だけが、今は却って目立ってしまっている。
“準備中”と書かれてたプレートは地面に落とされており、その代わり門には、白を基調に赤い文字が描かれた規制線が貼られていた。
黒塗りの木の門からも、いつの間にか黄銅製のリベット一つが外れてしまっており、孟鉄衣はそれにいつまでも気付かずにいて、誰もそれを知らせてはくれなかった。

はぁ……

やっぱ歳のせいだな。最後にやらなきゃならねえことも、中々上手くいかないもんだ……







