日は徐々に西へと傾いていく。
人と城壁の影も、それによりとても長く引っ張られてしまっている。路肩にまで影に覆ってきたため、露店らはみなパラソルを仕舞い、店主らも悠々と背伸びをしてみせた。
最後にちょっくら棚卸しをするぐらいだなぁ。これが終わったら家に帰ってメシだぜメシ――
そんな刃のついちゃいない模造刀なんか、今時の観光客にゃもう売れねえよ。さっさ帰ってやったほうが家のためだぜ。
俺がマジで刀を打てる業があったらこんなとこで模造刀なんか売ってねえよ。きっと軍でデケぇ仕事をしてたはずだぜ。
そういや、昨日赤い刀を持っていたある観光客を見かけたんだが、ありゃきっとただの剣じゃねえ。一体どこで手に入れたんだろうな……
その少女は呆然とあたりを見渡していた。目の前には今までに見たことがない景色が広がっている。
足元からは微かながら震動が伝わってきているが、おそらくは移動都市が減速する際の兆しなのだろう。しかし街行く人たちはどうやらとっくに慣れているようであり、せっせといつもながらの仕事に取り掛かっている。
この時間帯であるがゆえ、夕食の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってきた。それにより少女は、自分はまるまる二日なにも食べ物を口に入れていないことに初めて気づく。
……
全身に伝わる痛みと疲労が、飢えと一緒に襲ってきた。
両の足はもはや言うことを聞かなくなり、香ばしい匂いにつられて、少女はとある食事処へと向かっていく。
いらっしゃいませー、ご注文は?
隣で食べてる人のと……同じのを。
あいよー、三番テーブルさんに肉焼き冷麺いっちょー――
そろそろ夕食時であるため、店内はすでに満席に近しい状況だった。しかし質素な暮らしを過ごす人々にとって、多忙な一日を送った後のボリュームたっぷりの食事こそが、何よりの楽しみにして慰めなのである。
壁に備え付けられたテレビからは、繰り返し見応えのある殺陣のシーンが流れている。もはや見慣れたシーンではあるのだが、たまに思わず顔を上げて、テレビに注意を向けてしまう客がいるほど、その殺陣の場面は実に見事なものである。
(あの箱の中にいる人、なんかあの人とそっくりだ……)
(その人の隣にいる女武侠も、なんだか師匠に似てるような、似ていないような……)
(あと、“本作は事実をもとに作成しています”って、どういう意味なんだろう……)
ご注文の冷麺でーす、ごゆっくりどうぞー。
あっ……どうも。
やっぱ街全員の名前が書けるような、百メートルぐらい長い巻物がいいと思うぜ。餞別に送るプレゼントはそれぐらいでなくっちゃ!
アホか。宗帥はこの街から出ていくんだぞ、そんなデカい荷物を送っても持っていけると思うか?
こういうのは気持ちを込めるだけで十分なんだよ。だからここの食べ物を送ってあげたほうが、まだ実用的でもあるだろ。
っていうかさ……宗帥ってここ玉門を何年守り続けてきたんだ?
じゃああの人、もう百何歳って歳なんじゃねえのか?どうりで退任するわけだぜ、もう身体も持たなくなったんだろ。
だがつい最近会った人がいたって、武侠界隈の人間から聞いたことがあるぞ。それがな、宗帥は一般的な中年男性ぐらい若かったらしいぞ。
えっ、じゃあ宗帥って、ただの人間じゃねえってことなのか……?
世の中にはアーツで寿命を延ばしている人がいるみたいだし、宗帥もそういう人なんだろ。
だが宗帥がどういう人だろうが、ここ玉門を守り続けてきた大英雄であることに違いはない。ここに住んでいる人たちは、みんな宗帥に感謝しなくちゃな。
でも宗帥、結婚してるだとか、子供がいるなんてことは一度も聞いたことがないから、なんだか勿体ない気がするな。ズオ将軍の公子様のあんな大きくなられたっていうのに、なんでかなぁ……
(あの人たち、さっきあいつは大英雄だって……言った?)
お客さん、食べ終わったようですけど……お口には合いましたかー?
ありがとう、すごく美味しかったよ。
じゃあお代のほうは……
あっ、えっと……
私が代わりに払います。
あ、ありがとう……
いいんです……でも奇遇ですね、またこうして会えたんですから。
もしかして財布を失くしたとか、それともお金が足りなかったんですか?
お……落としちゃったかな……
そうだったんですか、ツいてませんね。
それにあなた、ここに初めて来たようですし、街のことも詳しくはないのでは?この後一緒に、役所のほうへ届け出に行きましょうか?
それは大丈夫!ありがとね!
今日のお代も、いつか必ず返すから!
ちょっと待ってください。
!?
あなたが持ってるその剣って……この前探しているって言ってたヤツですか?
あ、あなたもこれを奪うつもり!?
いや、他人のものを奪うわけないじゃないですか……
でも最近、玉門の中ですごく特別な剣が盗まれたって聞きましたけど、それってまさか……
……も、もう行くね。
(ジエユンが走り去る)
ん?誰かいるのか……?
出てこいッ!
武を習う人らに、そういう冗談は言っちゃいけないって聞いたんだがね。
なんせこの世で最も過酷で、凄まじい武練の類だからな。
もしあいつが条件反射で、目を閉じながらおれに一発ぶちかまして来たら、おれはここの世話にでもなってしまうんじゃないのか?
そうなってしまった際は、私も彼を捕えなければならないな。殺人未遂の罪で。
……
どうだいリャン様?さっきの賭け、おれの勝ちってことでいいんだよな?
……そうだな。
おれはさっきリャンと賭けをしていたんだ、お前がおれたち二人を見た際にどういう反応をするのかって。
こいつはすぐ回れ右をするほうに賭けたんだが、おれはボケーっと口をかっ開いてその場で立ち尽くすほうに賭けてな。
人を見る分野に関しては、ほかの者が君に勝るところなど見たことがないよ。
それがよりによって、今回はおれたちの義兄弟なんだから尚更だろ。
……
まあ心配すんなって、お前がここにいることならワイフーはまだ知らせちゃいないよ。
おれがいくら空気が読めなかったとしても、親子が再会するにはそれなりに適切な場面が必要なことぐらい分かっているさ。
十数年ぶりに会ったと思えば、まさか出会いがしらあんな面倒事におれを巻き込んでいったこの知府殿と違ってな。
もう勘弁してくれ、本当にあの時のことは申し訳なく思っているんだ……
フッ、これ以上お前のことを責め立てちまったら、“桑の木を指して槐の木を罵る”ってことになるんじゃないのか?
……
まあまあ、ここはおれたち三兄弟しかいないんだから……
少しだけ話し合おうや?ちょいとばかり酒とつまみを用意しておいたからさ。
(無線音)
お嬢からもらった情報に従って、怪しい倉庫の住所は全部そちらの端末に送っておいた。
一つ一つ、隈なく調べておくんだ。時間がない、テキパキこなすんだ。
だが何か分かったからって下手に動くんじゃないぞ。まずはみんなに連絡してから、その後一緒に――
俺をお探しかい?
!?
その者はとても反応速度が速い。なんせこの仕事を長年こなしてきたため、いつ手を出すべきで、いつ逃げ出さればいいのかの線引きをしっかりと分かっているからだ。
しかしそんな彼が振り向こうとするも、肩に手が置かれたことに気付いてしまった時には、それだけですでにまったく動けずにいた。
俺のことを探していたのなら、なんでそう逃げようとしているんだよ?
お前……
仕事っぷりは機敏だが、ちょいと度胸が足りていないな、坊主。そこを治せば、お前もいつかは大物になれるかもしれねえ。
そう言い終えて、老人はゆっくりと手を戻ていった。
お前らんとこのリン特使に伝えな。今日の申の刻ちょうど、南五番街にある七番倉庫のとこで待っているぞ。
……
……
……
飲まないのか?
まだ仕事中だ。
じゃあ……お前は?
身体によくない。
酒も飲まなければまったく喋りもしない。こうやって三人とも睨めっこしてて何がしたいんだか……
リャン様よ、お前さっきまでこいつに聞きたいことがあるって言ってただろ?
それは君もじゃないか。
俺たちはいつからこうして、酒の力を借りなきゃ本心すら話せないような関係になっちまったんだ?
言いたいことがあるのなら直接言え。
テンペイ、今まで君は……
四方を練り歩いていた。
その場所その場所の、一戦交えられそうな相手が見つからなくなるまで探して、それから場所をひたすらに移り住んできた。
この前リャン様に会ってから、じっくりとこいつの昔と変わったところを吟味してやろうと思ってたんだが、この武術バカときたら、そのまま顔に出てきちまっているとは。
俺のどこがそんなに変わったんだ?
老けたんだよ。
何を当たり前なことを言ってるんだ。
一応こっちは本気で心配していたんだぞ?いつかお前が一戦交えた相手に殺されてしまった報せを受けるんじゃないかって。
この俺がか?
上には上がいるからな……
そして君は最終的に玉門へ来たというわけか……ここへ来て何年になるんだ?
三年だ。
ここにいるヤツが、俺と武を競ってくれると約束してくれたんだ。
短ければ三年か五年、長ければ十数年後に相手をしてくれるってな。
最初の頃、天下に名を轟かせると意気込んでいたあのワイ・テンペイがまさか……こうも長い間、孤独に耐え忍んでこれたとはな。
どうせほかにロクな相手が見つからないんだ、ここで何年待とうが構わねえ。
そんで、この医館で三年も働いてきたってわけか。
酒が盃に注がれるが、それでも酒の芳しい匂いは薬味によって打ち消されてしまう。酒で晴れ晴れしない心を潤すも、口の中には苦味しか残らなかった。
“白頭翁”、“刀傷木”、“羽不泊”、“千里及”……色々と生薬が揃っているんだな……
玉門の武術界隈に半月も聞いて回ってきたっていうのに、それがまさか宿屋の真向かいにあるこの医館にいたとは。
借りを作ってしまったからな、いずれにせよ返さなきゃならねえだろ。
なら、この世で一番お前がデカい借りを作っちまった相手のことも分かっているはずだ。
……
うっし、おれの言いたいことならこれだけだ。リャン様、まだなんか聞きたいことはあるか?
旧友のもとを訪ねて、元気でいるかどうかを見てやったのだから、“聞きたいこと”ならないさ。
テンペイは玉門に三年も引き籠もっていたんだぞ?それにお前、ここに来てもうしばらくするだろ?よりによってこんなタイミングをチョイスして“何も聞くことはない”ってのはちょっと……
玉門には未だに危機的状況にあるのだ、ここは私情を優先する時期ではない。
リャン様が一心に国のことを考えてらっしゃるのは分かってるんだが、おれたち一般市民にもそれを押し付けるのはちょっと違うんじゃないのか?
別にそういう意味では……
もし本気で話をするつもりだったのなら、俺もしばらくはここに残ってやろうと思っていた。
言いたいことも素直に言えないようになっちまったとは、一体どうしちまったんだ?
ワイ・テンペイは目の前に置かれた酒を手に持ち、ぐいと傾けた後、二人に背を見せて部屋を出ていった。
リャン様、欲しい答えは見つかったか?
まあな。
それはワイ・テンペイの義弟としてか?それとも玉門の参知としてか?
……私もそろそろ、君に見透かされてしまっていることにも慣れておかなければならないな。
だったらそろそろ厄介事を惹きつけちまうそのどうしようもない悪運を取っ払ってくれよ。少なくとも、話ができる人間ぐらいは探せるだろ?
彼なら、もしかすれば適任かもしれないな……
まーたこの前、おれに盃を探させるようなことを頼むのか?
今回のはそう複雑なことではないさ……
でも、あいつは昔のまんまだったぞ。
一番ヒトが変わらないのは彼だろうさ。
じゃあ、おれとお前はどうなんだよ?
……
はぁ~あ……“桂花を買い、載酒を同にせんと欲すれど、終にこれ、少年の游とたがう”。
こうしてみんな同じ席について、酒を飲み交わしながら少しだけ昔話に花を咲かせることができただけでも、ありがたいことだよ。いつまでも昔を取り戻そうとするのは、頑固で贅沢ってもんだ。
(ワイフーがジエユンに駆け寄る)
あなたも私の邪魔をするつもりなの?
ここ二日間、色んなことが起こりましたけど、私もまだよく把握しきれていないんですよ。
けど、もしそちらに悪意がないのなら、事情をしっかりと説明して頂けませんか?
私にそんな時間は……
おいガキ、今手に持ってるそのブツを寄越せ。
渡すものか!
この人たち、あなたについて来たのですか?
こいつらなんか知らない……
では、ここ最近市内で悪さをしてるのは、あなたたちなんですね?
ケッ、命知らずの小娘風情が――
(ワイフーが山海衆をなぎ倒す)
(この人、前に私と試合をしていた時よりも……まさかあの時は、全力じゃなかったってこと?)
あなたたち、これっぽっちの実力でよくそんなに調子に乗れますね。