今度はイベリアか。
まあもう少しだけ付き合ってくれ、バンシー。ここでの日々が一番印象深かったんだ。
この地のことは嫌っていると思っていたのだがな。
確かに、あの災いが起こる前までは好きではなかったさ。ここにいる者たちの自惚れも尊大さも飽き飽きしていたよ。
まるで怖いもの知らずな人たちだったからな。
なら、あの災いが起ったおかげでうぬは満足したのか?
俺はあの赤目ナルシストみたいな変態趣味は持ち合わせちゃいない。災いなんて、この大地じゃいつもどこかで起こっている。特筆するものでもないだろ?
しかしだな、俺を夢中にさせたのはあの生物たちだったのさ。
噂程度でしか耳にしたことはないが、率直に言ってあれらには不穏を覚える。
我らとはあまりにも異質な存在だ。
そういう俺はどうなんだ、バンシー?俺もお前とは違って異質な存在なのか?
お前も知ってるはずだろ。どの姿も本当の俺じゃない。
源石はこの大地に住まう者たち全員に消えぬ烙印を押したんだ。そのせいでお前たちは今その姿でこの大地を練り歩いている。
だがな、源石は俺たち変形者だけを除け者にした。
俺たちだけが原初の姿のまま取り残されたんだ。
その純粋無垢なる姿を誇りにでも思っておるのか?
いいや、ないさ。この世界はもうこんな有り様になっちまったんだ、今さら純粋無垢なんて言えたことじゃないだろ?
俺は源石がもたらした変化を、お前たちの後を追うことしかできないのさ。お前たちが創り出したすべてを。
あらゆる方法を試し尽くしたよ。イベリアで荒んでしまった小さな町を見つけてそこに移り住んだ時も、色々と試してみた。
俺“たち”が、な。
仕事やら交流やら、商業やインフラ……あらゆる方法を尽くしてその町を蘇らせた。
そしていつしかその町は、二百人もの俺たちから成り立つようになった。
それで今日に至るまで発狂することなく過ぎて来れたとはな。運がいいのやら悪いのやら……
フッ、どうだか……
まあとにかく、おかげで思い出深い日々をそこで過ごしたよ。色々とやらなきゃならないことが多かったからな、毎日が充実していた。
俺たちの日々は有意義なものだ、そんな錯覚すら覚えてしまうほどに。
とはいえ、飽きはいつか必ずやって来る。瑣末なことに没頭するのは面白いが、いくらそれをまとめたところで、俺が求めていた答えは出てこないまま。
だがそれも、周りが“シーボーン”と呼んでいるものと出会うまでだった。
かなり興味深い存在だったから、じっくりと観察しまくったよ。
うぬ自身を思い起こさせたのではないか?
いや、意識の統一というヤツを比べるのなら、俺ははるかにシーボーンとその群れの先を行っている。
どれだけ姿形が変わろうが、俺たちは“全”であり“一”の存在だ。だがシーボーンは、群れで“全”を成すしかない。
でもな、俺はそんなヤツらが羨ましかったんだ。分かるか?
あいつらは本能に従うだけでよかったからな。
食べ物を探し、養分を摂取し、繁殖して進化を遂げる。それだけをすりゃいい。
もしかしたらお前がさっき言っていた“純粋無垢”って言葉は、そいつに使ってやったほうが正しいのかもしれないな。
……とまあ俺は、その場に残ってすべての経緯を眺めることにした。多種多様な生物たちが、徐々に海草を取り込んでいくところとかな。
あいつらは何も考えていなかった。ただ身体に刻まれた本能に従うだけ。
そこで思ったんだ、じゃあ俺たちは?俺たちの本能はなんだ?俺たちは何をすべきなんだだろうか?
なあバンシー、何かいいアドバイスはないか?
って……お前笑っているのか?
失礼、別にうぬを嘲笑っていたわけではない。
王庭の主の中で最も古い一柱である変形者が無我夢中に生きる意味を探してるとは、と思ってな。
確かに、それは大事なことだ。ただ、我の目の前に立っているこの人が彷徨える哲学者だとは考えもしなかった。
フッ、哲学者を言うのなら、ヴィクトリアの大学で何年か教授を務めたこともあったぞ?
お前たちからすれば、意味を探し当てることは簡単なことだろう。ごく一部の者たちを除いて、ほとんどは短命に終わる存在だからな。
自分探しで、人生の時間を費やすことは難しくもしないさ。
だがな、俺たちにはそれができないんだよ。
君がくれたアドバイス、それかテレジスが思い描いている未来。ボクたちからすればどれも興味はないね。
所詮は時間潰しにしかならないからさ。
そんな瞬く間に消え去ってしまうものに思い入れを込めることなんて、ボクたちにはできないよ。
ボクたちはもうあらゆる可能性と、娯楽を試し尽くしてしまったからね。
……だんだん哀れに思えてきたぞ、変形者。
何にでも無気力になってしまった老いぼれ、みたいに?
そんなことを知ってる人はそう多くはないよ。
以前、我の友人たちから幾つかバカげたゲームを教わったことがあったのだが……
いや、やめておこう。
まあいいじゃないか、教えてくれよ。君が思ってる以上に興味は持っているからさ。
いや……それはまた後にしてもらおうかな。やれやれ、面倒臭い仕事がまた舞い込んできちゃったよ。
この近くではないね……だったら、少しだけ向こうに意識を向けておかないと。
ないって……どういう意味ですか?
そのまんまの意味だよ!
そこに通信設備は一つもなかった、誰かに先を越されたんだよ!
もしかして……あのダブリンの部隊でしょうか?
いや、机に被ってた埃からして、ノーポートがロンディニウムから切り離された時にはもうすでに奪われてたんだと思う。
となれば、急いでほかの方法を考えたほうがいいですね。通信が送られていないことが、すぐにでもあのヘマタイトの隊長に気付かれてしまいます。
これでまたスタートラインに立たされてしまいましたね。ふむ、悪くない。少なくともまたボーナスを稼げるチャンスが舞い戻ってきましたよ。
カスター公に仕えてるあなたも、ダブリンの亡霊たちも……
裏からコソコソとこの区画に潜りこんできた、ということは……あなたたちはノーポートの現状を維持しておきたいってことだよね?
公爵たちの主力部隊に動いてもらわない限り、私たちの作戦も実行しようがない。一体どうすれば……
その話はもうよしなさい、ダフネ。
あなたがまだここにいるってことをウィンダミア公が知ったら、きっとなんとかしてあなたを助けに来てくれるはずよ、そうでしょ?
……
どう、かな……
母親とのいい関係を認めることは恥ずかしいことでもないわよ。
イネス、何か方法はないのか?
面倒極まりない、とだけ言っておくわ。
つまり、あるってことだな。
……あなたのそういうところ本当嫌いだわ。
まあ、やれるだけやってみるけど。
でもあんまり期待しないことね。じゃあ、とりあえず高いところを探しに行ってくるから。
イネスさん、その際どのくらいかかりますか?
日の出までかしらね。
それまでの間に、シージもほかの人たちも準備を済ませておいて。
もう出立されるのですね、ご武運を。また機会がございましたら是非ご利用くださいませ。
ここで働いているうちに、わたくしは素敵な日々を過ごし、素敵な方々と知り合いました。
そんなノーポートは活気に溢れた街だったのです、このまま思い出や廃墟に留めるには勿体ない。
ええ、必ず。
陰謀も紛争も、きっといつかは消えてなくなりますよ。
以前……とても、とても私が会いたい人がこう言っていましたから……
いつかこの大地に生きる人たちは……みんな穏やかな夢を見ることができるはずだって。
(アーミヤ達が立ち去る)
やれやれ、またホテルがめちゃくちゃになってしまった。困ったものだ。
自分で掃除をしないような人たちに、清潔を保つことがどれだけ困難なことなのか分かるはずもないか……
パーシヴァル!パーシヴァル!
まったく、またどこをほっつき歩いているのやら……
まあいい、少しここで待つとしよう。
そうしてこの年老いたホテルのマネージャーは同じように年代物となってしまった椅子を手繰り寄せ、楽な姿勢で腰を下ろした。
あのコータスの子が……魔王……
やれやれ、自分でも驚いてしまうほど変化について来れなくなってしまったよ。
変化か……もしかしたら、それを追わなくなってしまったボクたち自身の怠惰に問題があるのかもしれないね。
だが、変化が必ずしも前へ進んでいるとは限らないよ。
……さて、ここにいる友人たちともそろそろお別れを告げるとしよう。本当に……大好きな場所だったよ、ここは。
あと二か月の辛抱だったのにね、コルバート。サルカズがここへやって来た後、ただの清掃員だったサルカズの君がホテルのマネージャーになれたんだからさ。
やっぱり、よく分からないものだよ。
そう言い終えてサルカズの老人は立ち上がり、ぐるっとホテルの広々としたロビーを見渡す。ここに置いてある品の一つひとつが、この老人にとって思い出深いものとなっている。
あのイネスってキャプリニーが言っていたね。どんな飾り立てた言葉であっても、それを戦争に使っていいものではないって。
だったら、ボクたちが戦争を本来の姿に戻してあげよう。
これまで多くの要人や貴族たちが踏みしめた精巧な絨毯に、サルカズの老人は火の着いたライターを投げ込んだ。
そして瞬く間に、轟々と炎が燃え上がる。
こ、ここにいる兵士たち……みんな殺されてる!?
も、もしかして敵!?ウチがもっとはやく気付いていれば……
……
後程この者たちの家族に弔慰金を渡す手続きをしておこう……いればの話だが。
急いで対処したほうが……!
必要ない。
……まさか。その顔、最初から知ってたんすか?
こ、これも……あんたの計画の一部ってこと……?
軍事委員会の計画だ。
犠牲は至るところで発生し、かつ避けては通れないものだ。お前の隊長からとっくに教わっていると思っていたのだがな。
でも!あんたは将軍で、こいつらはあんたの兵士なんでしょ!
そうだ。私は将軍であり、そしてこれが私の務めだ。
たとえ敵であろうが私たち自身であろうが、やるべきことはただ一つ。一人ひとりの人間を、この戦争という名のバケモノがかっ開いた大きな口に放り込み――
我々が求めた結果を吐き出してくれるように祈ることだ。
これこそが、今の私の立場で為せることのすべてである。
こ、この野郎――
だからこそ、そのすべてを見届けるためにここへやって来た。この一人ひとりの、若くして死んでいった者たちの顔を目に入れるために。
私が下した判断の結果がこれなのだと、心に焼き付けるために。
これはサルカズが支払うべき対価と言うつもりはない。
この者たちはヴィクトリア人に殺された……そう私が仕向けた。
どうして、こんなことを……?
火を灯すためさ。
この大地のすべてを焼き尽くす火を。
我々サルカズは……こういった争いが溢れる大地でしか、自分たちの居場所と生き残る空間を見つけ出すことができないからな。
それをしっかりとお前にも理解しておいてほしい。
よく理解し、憎み、そして最後には受け入れるのだ。
それしか方法はないからな。
封鎖エリアの奥で眩い炎が猛然と立ち込み、古いビルを燃やし尽くしていく。
また……火災っすか?
いや、あれが最初の火種だ。
私たちもそろそろ飛空船に戻ろう、ついてきたまえ。
客人らのご到着だ。