今も空を覆い隠している天災雲がそこにある。
もしここで手袋を外せば、あなたは空気中に飛散する源石粉塵が掌に当たる感触を覚えるだろう。
ナハツェーラーの王も自身の玉座に腰掛けながら、彼の大軍団を俯瞰している。
腐れ喰いの軍団は決して怖気づくことはない。腐れ喰いの軍団に軟弱さは存在し得ないのだ。
彼らは嵐を越え、傷痕を顧みることもなく、敵と仲間の屍を超えていく。
ナハツェーラーの王に歯向かう敵が粉砕されない限り、彼らは、サルカズたちはこの行軍を止める資格はない。
彼ら自身が戦争そのものなのだから。
公爵閣下、先鋒部隊のうち、およそ高速戦艦の三分の一がすでに作戦能力を失ってしまいました。なんとか戦局を挽回しようとしていますが、楽観的なものではありません。
あの猛烈な天災が……突如と我々の先頭を襲撃したことが原因です。
それにこのような高濃度の源石環境では、作戦を続行するのも困難です。露出した活性源石によって、こちらの戦艦の機動性は大きく損なわれてしまっています。
ただ一方、サルカズ側はさほど大きな影響は受けていない模様で。ヤツらはほとんどが感染者ですから……まったく意に介していないのでしょう。
また、ナハツェーラー軍の中で今まで見たこともない巫術の装置を発見しました。ヤツらが発生させた空間の裂け目は……非常に厄介ですが、こちらも反撃措置を講じております。
戦線を維持しろ。後方で待機している砲兵らに前線への制圧射撃命令を出せ。右翼方面に穴を開けるのだ。
はっ。直ちに実行します。
(ダブリンの兵士が立ち去り、カスターから無線が入る)
ウィンドミア公にはまったく情け容赦がないわね、ウェリントン公。
ついさっきおもちゃを奪いに行った私たちの艦隊を救ってくれたのよ?なのにサルカズを彼女の駐屯地に向かわせるよう仕向けるなんて。恩を仇で返すつもりかしら?
こちらの通信チャンネルに割り込む許可などしていないぞ、カスター。
相変わらず堅苦しいわね。
一応ウィンダミア公には知らせておくわ。これでも私たちはヴィクトリアの一員なのだから。
あなたが何を企んでいるのかなんて、すべてお見通しよ。
焦り過ぎなのよ、あなた。
意見を提示するのなら次からはもっと身分に相応しい形式を取れ、カスター。
(ウェリントンがカスターの無線を切る)
ふんっ。
(エブラナが近づいてくる)
ウェリントン公、そろそろ艦内に戻られてはどうだ?ここは天災が発生した場所から遠いとは言え、漂う粉塵が貴殿の健康を害してしまう。
責務があるゆえ、私はここに立たなければならないのです、殿下。
やはり貴殿はいつだって信頼に置ける人物だ。
ふふっ……それにしても、あの兄妹はかなり慎重に事を進めているな。
ザ・シャードの威力がこの程度に収まるはずもない。きっと我々に知られたくないのだろう、嵐を操る力を掌握しきれているのかどうか。それとも……向こうはさらなるチャンスを待っているのかな?
あれは元々ヴィクトリアの嵐です。それが今、我々がその嵐と対峙しなくてはならなくなったとは。
周りの兵士らはみな強張っているが、貴殿は落ち着いているな。
しかも……少々興奮しておられる?
えぇ、殿下。否定はしませんとも。
此度の戦争はとても畏敬の念を抱かせるものです。
ガリアの近衛軍以来の相手ですゆえ。
しかしご心配なく、こちらの準備はすでに整っております。誰に握られていようと、あの嵐はターラー人のために疑惑と軟弱さを濯ぎ、我々の若い部隊もその試練を乗り越えてくれるでしょう。
私にはヤツが見えるのです……ナハツェーラーの王が。
うわべも虚飾もすべてを置き捨て、ヤツの軍団と対峙しようではありませんか。
ターラー人がこのような場所で立ち止まることなどありますまい。我々の怒りはヤツらのと比べて、勝るとも劣らないのです。
この私めが、ターラー人のために新たな時代を切り拓いてみせましょう。
私の忠実なる公爵……
あぁ、すぐにも結果は見えるだろう。
ようこそおいでくださったわ、エルマンガルド。リッチたちの善意を持ってきてくださって本当にありがとう。
これはきっと歴史的な瞬間になるわ。サルカズが団結を急ぐこのタイミングで、リッチたちが自身らの図書館を出て、私たちの側につくことを選んでくれたのだから。
うふふ、そう結論を急がないでくださいな、殿下。私はただ視察しに来ただけに過ぎませんので。
それでもプレゼントを持ってきてくれたじゃないの。前線にいる兵士たちがきちんと使ってくれるはずだわ。
あれは裂け目をいじくるだけの小細工に過ぎませんよ。
いいえ、リッチが把握している空間に関する知見は……私たちほとんどの認識をはるかに超えるものだわ。
まあ、カズデルにずっとおられる殿下たちと違って、私たちリッチはみな臆病者ですから。安全な場所で“命運”をひた隠すことのほうこそが大事なのです。
けれど王庭の議事堂には、今もリッチの席は残されているわよ?
……お心遣いに感謝いたします、私たちのことをずっと覚えてくださって。
ところで、殿下もすでにご存じなのではないですか?ここに来る道中、ケルシー士爵が私のところに訪れてきたんです。
必死に私を説得してきました……どうか貴女側に味方しないようにと。
弔鐘のあの若き主がちょうど彼女らに手を貸していまして。師の方々から聞き及んでおります、あのバンシーは無視できない存在だと。
加えてケルシー士爵から……もし殿下が摂政王とこの戦争を引き起こしてしまえば、この大地をさらなる無秩序と争いの坩堝へ落とし込んでしまうだろう、とも。
これはあくまで一時的なものよ。私たちは……それを耐えなければならないわ。
団結するための必要な共通認識は、こうでしか打ち立てられないから。
……ふふっ。
殿下、一つ面白いことがありまして。
殿下とあの士爵、話されてることがまるで瓜二つですよ?
お互いずっと団結、団結と……これからやってくる災いを前にしてこれしか方法はないと、どちらもしきりにそう訴えかけてきているんです。
ケルシーも……
なのになぜ、貴女方はお互いに対峙し合っているのですか?
それはきっと……お互いとても焦っているからだと思うわ。
まあしきりに訴えかけられはしましたが、ご安心ください。私はあくまでリッチの王庭の使者ですので、あちらの要求にはまだ応じていませんよ。
貴女に対しても、ね。
私たちリッチは、これまでずっと手を貸す相手には慎重に吟味してきたものですから。
ええ、もちろんそうしてもらって構わないわ。
この長い苦痛によって砕け散ってしまったサルカズの心は……いつかきっと拠り所を見つけるはずよ。
そう遠くない未来に、ね。
……アーミヤ、あなたはその道を見つけることができる?
軍のクソッタレが!どうせ俺たちを連れていくよりも牙獣を連れていったほうがまだ役には立つと思ってるんだろ!
何様のつもりなんだあいつらは!もし俺がこの病気をもらっていなかった時だったら、あいつら俺に目を向けることだってできなかったくせによ!
クソ、クソォ!全部この*ヴィクトリアスラング*鉱石病のせいだ!
こんなことならロドスって連中が打った抑制剤なんか拒んでおけばよかった!ノーポートの爆撃を受けて、源石粉塵として死んでやったほうがまだマシだぜ!
少なくとも冷やかしてるあの連中の顔面にぶっかけてやれたはずだ!あいつらにも俺の苦しみを味わわせてやれたはずなのに!
チッ、あのコータスが……余計な抑制剤を寄越してきやがって……
こんな*ヴィクトリアスラング*な薬じゃ、なんの役にも立たねえんだよ!
……あぁ、もう俺はおしまいだ。
もうこっから逃げられるはずがねえ……
俺の人生は……もう何もかもがおしまいだぁ……
ノーポートから逃げ出したところでなんの意味があるんだよ?この源石が……全部この身体に生えた源石のせいだ!
いっそのこと俺の身体を貫いて、俺のことを殺してくれ!
感染者の市民は怒りのあまり腕に生えた源石の結晶を掻きむしる。まるで源石を握り潰せば、すべてが元通りになるといったように。
だが激痛がこの感染してまもない彼を襲い、呼吸が荒々しくなる。ようやく慣れ始めたこの苦痛に藻掻き苦しむ彼の頬から、涙混じりの汗水が滴り落ちていた。
やがて仰向けで土の上に寝転がった彼の視界には、すでに正午の位置に昇り詰めようとしている太陽がいた。
だが眩しさに目を閉じようとした時、ピンク色の髪の毛が彼の視界を遮る。
あんた、こんなとこで日光浴はあんまりいいとは思わないわよ?土で服が汚れちゃってるじゃない。
近寄るんじゃねえよ、俺は感染者だぞ。下手したら次の瞬間に爆発してお前を巻き込んじまう。
フッ、見たところあんたの鉱石病はかかって一週間も超えてないやつでしょ?最初の何日かで、あんたと同じような人たちはたくさん見てきたから分かるわ。
みーんな驚いたり信じられないだったり、苦しんだり悩んだり、怒ったり意気消沈していたけどさ……
でも結局、自分はとんだ不運で可哀そうな人だってことを受け入れるしかなくなったのよ。
俺たちの気持ちを、お前に何が分かるってんだ?お前は――
私だって感染者だけど、そんなに変?
お前も感染者なのか?でもなんでそんなピンピンして……
いや待てよ、お前どっかで見たことがあるような……
私はパーシヴァル、サンセットホテルのドアマンをやっていたわ。
よろしければお荷物のほうを預からせていただきたいと思ったのだけれど、見たところなさそうね。ざーんねん。
いや違う、ノーポートでじゃない……
……あら、ほかの場所でってこと?珍しいこともあるのね。
俺は騎馬警察をやっていた、何年もな。感染者が関わってた事件も何度か受け持ったことがあったんだが……
思い返すと、あいつらへの態度を改めるべきだって後悔してるよ。今じゃ俺もそいつらの仲間入りだからな。
これまで感染者たちを取り調べてきたこともあって、感染者が集まってできた組織を一つ知っている。ロンディニウム付近にまで出没してるとの噂だ。
名前は確か……
(レイドが近寄ってくる)
パーシヴァル、ここで何をしている?
ありゃ、レイド。
なーんにも。感染者を一人見つけたってだけ。どうせウィンダミア公に捨てられたんでしょう。
なんだ、また見つけたのか?
もしノーポートとロンディニウムの切り離しが起った時にお前が知らせてくれなかったら、この感染者たちは今よりもさらに惨いことになっていただろう。感謝してるよ。
ふっふ~ん、私の勘はいつだって鋭いからね~。
しかし、まさかこちらの通信チャンネルをロンディニウムの公共放送として発信することを思いつくとはな。いつもラジオを聞いてる俺にも感謝してもらいたいよ。
そう簡単じゃなかったけどね。こっちはせっせとホテルにある通信設備を解体してやっと発信できる場所を確保したんだから。
そのせいでロドスの人たちとダフネって人に申し訳ないことをさせちゃったけど。
なあ、お前らは一体……
おっと、忘れてた。そうそう、警察をやっていたのなら“レユニオン”って聞いたことない?
レユニオンだと!?まさかお前ら――
おっ、やっと来た。
(ナインが近寄ってくる)
よくやった、パーシヴァル。ここに来るまでの間、多くの感染者を見つけることができた。彼らの状態は思っていたよりも良好だったよ。
区画にいる頃はほとんどレイドが頑張ってくれたんだから彼に感謝しな。私はほとんどサボってただけ。
まっ、ロドスも少なからず尽力してくれたけどね。認めたくないけど。
……ロドス、やはりヤツらもそこにいたか。
……レユニオン、お前らの悪事は知っている。
今度はどんな災いをロンディニウムにもたらす気だ?
……お前は一つ誤解している。
我々は旧レユニオンの残党を集めている者たちだ。
かつてのレユニオンとは違う。
とはいえ、この名が犯した罪をかなぐり捨てるつもりはないさ。だが、改めて感染者たちに我々の存在を証明するために行動を起こさなければならないのも事実。
生まれ変わったレユニオンは、もはや指導者を必要としない。我々は各国を練り歩き、そこで我々を認めてくれた感染者の集団と共に戦うつもりでいるからな。
……一体何が目的だ?
薬と情けでは、感染者を救済することはできない。だが団結力と純粋な力ならできる。
感染者は国を持たないが、新レユニオンが彼らの拠り所になってやろう。
そんな我々に加わる気はないか?
タルラ、何をボーっと見てるの?
……まだそこに残ってる天災雲を。ザ・シャードが起動したのだな。
そうね……やれやれ、まーた感染者が増えることになるわ。
あんたに一つお知らせがある。
紫の炎を操るドラコを……目撃したわ。
……そうか。
なあパーシヴァル、ここ最近、私はよくこう思っていたんだ……
確かに生まれ持って波乱を引き起こすことを得意とする人たちは存在する。その者たちが主張するには、すべての事象は自分たちが動かし、導き、創り出したとのことだ。
ある種の意味合いにおいて、その者たちは常に成功を収め続けてきたのだろうが……私はそんな者たちを勝利者と呼ぶつもりは更々ない。
その者たちが創り上げたすべてが“歴史”と称されることなど、私は断じて認めることはできないさ。
断じてな。