(回想)
ほら見て、ホルスト!こっち、ほら!
本当に聖像の前で花を植えちゃうなんてね。しかもほかの場所と比べてきれいに咲いてる。クレマンのやつも丸くなったとはいえ、腕は健在ってとこかしら!
ステファノもよく許しを出してくれたわよね。聖堂の床を掘ったり、あちこち土だったりなんだったりを探す必要があるからさ……土までこんな拘っちゃうとか。
あんまりはしゃぐんじゃないぞ、お前はまだケガ人なんだからな。
こんなのただのかすり傷でしょ?
かすり傷でも悪化することはある。
それとこれからはもうその名前じゃなく、ジェラルドって呼んでくれ。
はいはい、分かったわよ!まったくなんであんたまで口うるさくなっちゃったのかしら……そういう悪いところ、ステファノから学んじゃダメよ!
あの爺さんはあれもこれも口を出したがるから、あんな皺くちゃになったんだからね!
ご老輩ならゆったりと余生を過ごしながら、全部人に任せておきゃいいのよ。それでこその長生きよ!
言い過ぎだぞ、アイリーン。ステファノだって、この修道院のこれからを一心に思っているからああなってるんだ。
私たちがこうしてここにいられるのも、彼のおかげじゃないか?
分かってるわよ!私が言いたいのはね、彼は背負い過ぎだってこと!見てるこっちが疲れてくるっての!
もしいつか急に背負いきれなくなって辛い思いをしてしまったら、元も子もないでしょうが……!
ステファノはサンクタたちの中でも特に頑固な人間だ、説得しても聞き入れちゃくれないだろう。一度自分が決めたら、決して最後まで曲げることはない。
だが、彼のそういうところに救われて、私たちがここにいられるのも事実だ。
私たちサルカズとてほかとは一緒だと、そう言ってくれたからな……
確かに、爺さんはいいことを言ってくれたわ。
まっ、もし本当に背負いきれなくなる時が来たら、私やあんたが彼の代わりに背負ってやりゃいいだけの話……一種の恩返しってとこね。
だからあんたも、もう昔のことは忘れなさい。カズデルを去ったあの時から、私たちはテレジア殿下を見捨てたも同然……もう振り返ることなんてできないのよ。
あんたも私も、裏切者なんだから。
……分かってる。
改めて言われるまでもないさ、アイリーン。
ずっと殿下の背中を追ってきたのに、いつの間にか見えなくなってしまったよ。殿下が思い描いた風景が。あの両殿下からも、サルカズの未来がな。
……元気出しなよ。
平気さ。しかしまあ、今は少なくとも新しい暮らしを得ることができた。
カズデルから去ることを望んだ者たちをここへ連れてきたのはこの私だ。なら、最後まで彼らには責任を負わなくてはな。
昔と比べたら……今の暮らしはよっぽどマシなものになったよね。
が油断は禁物だ。昔と違って今は物資も資源もない、あの強盗連中も時には厄介な相手に化けてくるぞ。
それは逆に警戒しすぎなんじゃない?
その調子じゃ数年後、十数年後、その名で恐れられていた傭兵がこーんなド田舎で狩りをしてるだけのハンターになっちゃってもおかしくはないわね!あははは!
ははは……
……ねえ、ジェラルド。
ん?
もし本当に武器を捨ててさ、こんなド田舎のハンターになったらって……考えたことはある?
私も、その時はどういう人間になってるんだろうね?
さあな、考えたこともない。
その時の私がどうなっているのか……
気になるのなら、自分の目で確かめることだな、アイリーン。
昔、殺し合いを終えた夜、私はいつも息抜きがてら気ままに空を見上げていた。
その時の空はいつだって抑圧的な黒色だった。焚火も消えかかっていて、火も暖かさを失っていくばかりだった。
戦場ではいつも血まみれだ。その時は顔の汚れを拭き、同じ満身創痍の仲間に目を向け、しばし私たちにとって少し贅沢なことを頭の中で考えてしまう。
私たちのようなサルカズは、本当に俗に言う幸せな一生を得ることができるのか?
これまでなら信じていた、サルカズも我が家を持つような時は来ると。ただ信じれば信じるほど、気持ちとは裏腹に無力感に苛まれてしまう。
私たちはもうあまりにも多くの血を流してしまった。あの殿下が願う素晴らしい光景が実現する前に、却って自分たちの血が干乾びてしまうのではないだろうか。
だから私はカズデルを捨て、死んでもおかしくないような人たちを連れ、逃げるようにかつて命を捧げてきた土地を離れることにした。
正体を隠しながら、私たちはようやくサルカズも受け入れてくれる場所を見つけた。ただ静かに穏やかに、普通とは変わらない暮らしを過ごす。それだけが望みだった。
その願いなら、一度は現実のものとなってくれた。
だがいつからだろうか、息すらできないほど苦渋な暮らしになってしまったのは。
まるでテーブルに置かれても、誰も手を伸ばそうとしない美味い料理みたいに。
誰かが壊すこともなく、どうにかして持ち堪えさせようとしても、自分から腐っていく。
もし、血を流さない限り、すべてを終わらせることができないというのなら……
私にはできることも、もうそれしかない。
もういいんだ、クレマン。
私はもう逃げることはできないし、もう逃げられない。
私の前の名前、まだお前には教えていなかったな。あれはただの負けイヌ、悪名高い脱走兵の過去だ。振り返る価値すらない。
だから私がここにいる限り、ほかの人たちに手出ししてもいい理由をヤツらに与えてしまうんだ。
そんな顔しないでくれ。一足先にアイリーンに会いに行くだけだ、なんてことない。死ぬことなんて、得物を血で染めてきた人からすれば馴染み深いものさ。
もし私の首でほかの人たちの生きる道を取り換えることができるというのなら、まだ割に合うだろ?
残った人たちなら、私の言うことを聞いてくれるはずだ。私がいなくなっても心配はいらない。
ただレイモンドに関しては少しカッとなることもあるかもしれん、まだ血気盛んな若者だからな。その時は……これまで以上にあいつを宥めてやってくれ。
……
それと最後に一つ……
ステファノに伝えてやってほしい。私たちが荒野を彷徨い出したあの時から、やみくもに足を止め、この場に留まるべきじゃなかったのかもな。
ただ私にとって、私たちサルカズにとって、ここはあまりにも理想的な場所だったよ……
長い間ずっと一緒に暮らせたことも、本当に夢みたいだった。だが、いつかは現実と向き合わなければならない、それも分かった。
だからステファノに――ありがとう、そしてすまなかったと、そう伝えてくれ。
では後のことは頼んだぞ、クレマン。
結局、最後になって……
私はただのハンターでいられたのか、はたまた……あの傭兵に戻ってしまったのか。
すまないな、アイリーン。こんな姿、おそらくお前が望んだものじゃなかったのだろう。
……夜が、明けたか。
昨日から今日まで一日しか経っていないっていうのに、まるで一気にたくさんのことが起こったみたいだった。それでもすべては終わってしまう、あっという間に。
何はともあれ……長い夜だったよ、君もそう思わないかい?
(フェデリコが近寄ってくる)
何をしているのです?
訊ねられるほどのことならしていないさ、フェデリコさん。
ただ、花を探していてね。ジェラルドに手ぶらでアイリーンに会わせるわけにもいかないだろ、そういうのはよくない。
でも昨日の大火事で……何もかもが燃えてなくなってしまったみたいだ、何も残っちゃいないね。
もし花だけを求めているのでしたら、わざわざここへ来る必要はないと思います。
いいや、ただの花じゃダメなんだ。君には分からないよ。
ここの花は特別なんだ。この修道院で育った、特別な品種で……
友情と希望を象徴している。
そう、友情と希望。前に主教様から教えてもらったんだ、あの花はラテラーノとイベリアが手を取り合う象徴で、修道院で一番大事なものの一つ……
素敵だよね……あの頃の私は、すぐその花に魅了されてしまったよ。
あの頃の修道院は至るところに花が植えられていたんだ。いつも咲く時期に鐘楼から見下ろすとね、まるで修道院全体が花に覆われてる光景が見れるんだ。
アイリーンは特にその景色が好きだった。もちろん、ジェラルドも……
前々からサルカズを恐れている人たちが、それこそ彼らと話そうともしない人たちが大勢いたんだが、開花の時期を経ると、お互いの関係がすごくよくなったんだよ。
たとえ冷酷で好戦的と噂されるサルカズでも、通りすがりに少し立ち止まって花畑を眺めたり、一つ二つ摘み取って家に飾ったりするって、みんな気付いたからね。
ちっとも凶悪な逃げ惑う人たちには見えないし、自分たちとはなんら変わりはないって……
……
ここにまだ一輪残っています。
え?あぁ……聖像の下に咲いてるやつかい?
そこにあるね、とても幸運な一輪だ。ちょうど聖像が倒れてきたおかげで生き延びれたんだろう……
けど残念、それは私が求めているものではないよ。
それはなぜ?
この花を見て……まだ分からないのかい?
いくら聖像の下に隠れて生き延びれたとしても、茎はとっくに折れてしまってるし、花びらも焼かれてしまってる。こいつはもう満身創痍だよ。
しかし、まだそこにあります。
どうだろうね、本当にあるって言えるのかな?
私も以前までは、苦難を乗り越え、たとえ火の海も恐れないものはあると信じてたいんだ。笑わないでくれよ……本気で信じていたんだ。
あの時は、楽な暮らしではなかったけど、何もかもがよかったよ。
ほんの少し余裕があれば、ニーナさんは子供たちにお菓子を作ってくれるしね。
青草ワッフルって言うんだけど、聞いたことはあるかな?
ラテラーノから持ち込んだレシピ、そこにサルカズたちが栽培したハーブを加えたここだけのデザート。ニーナさんとヘルマンが作ってくれて、みんな大好きだった。
ニーナさんいつも言っていたよ、私たち大人が少しだけ苦い思いをするのは構わないけど、子供たちにまで「苦い」思いをさせちゃダメだ。
子供たちには「甘さ」ってものを知ってもらわなくちゃってね……
……そのデザート、記憶しておきましょう。
いや、いいさ。私たちもとっくにあの味を忘れてしまっているからね……
ここまで来てしまったら、わざわざワッフルなんてものを作ってくれる人も、もういないだろうし。
ねえフェデリコさん、時々どうしても気になってしまうことがあるんだ。
もしサンクタがそこまで特別な人たちじゃないのなら。もしラテラーノには私みたいな、平凡極まりない、どこにもいそうな取るに足らない人間しかいなかったら……
あの聖都は、今みたいな姿になっていたのかな?
ラテラーノは、ラテラーノでいられたのかな?
……私には分かりません。
そうか、それは残念だ。
クレマンさん、あなた……
もう信じることもしない……考えが変わってしまったのですか?
ただ単に、現実と向き合わざるを得なくなっただけだよ。
世の中の多くは、周りが考えてるほど打ち破ることができないわけでもなく、試練も傷を負わせてくるものばかりではないさ。
けど少しでも瑕疵があったり、異物が混ざったり、なんなら目立たない傷が少しでもあれば、修復することも取り返すこともできなくなってしまう……
あなたが見つけたその花のようにね、フェデリコさん。
ここにはもう、私が求めている花はないよ。
……
さて、もうすぐミサの時間だ。私はそろそろ行くよ。
それじゃあね、フェデリコさん。
(クレマンが血サル)
……
フェデリコ・ジャッロは独り、朝の聖堂に残った。
火事が残した焼け跡は簡単な処理が施されており、もとからあった設備を失ったせいで聖堂内の空間はなおのこと茫々とした広さを増し、足音だけがそこに反響する。
フェデリコはとても優秀な役場の執行人だ、これで彼は執行人となって六年目になる。仕事のやり方もとっくに心得ている。
それと同時に、聖徒の称号を得た初めての年でもある。誰も彼に指し示してくれないし、アドバイスもくれない。
やがて寡黙なこの聖徒は茎が折れ、花びらが焼け焦げてしまった花を拾い上げた。
聖像の庇護があったおかげで、炎に呑み込まれずに済んだ花。あのような大火事から生き延びれたことは、ある種の奇跡とも言えるだろう。
だが一部の人たちからすれば、そんな奇跡など一銭の価値すらない。
花はまだここにある。
しかし求めている花ではない?
そして、決して治ることのできない傷痕……?
私には理解できません。
……
ラテラーノは、ラテラーノでいられたのか……?
…………
参考できるデータが不足しているため、回答は不可能。
この時にふと、執行人フェデリコはあることに気が付いた。
それはクレマンの表情が、あまりにも落ち着いていたこと。
彼はジェラルドの死を話題に上げることもなければ、ほかのサルカズたちを口にすることもなかった。
それに比べて自分はどうだ?
行動を伴わない言葉にはなんの力も生まれない。だからこそ、彼は必ず真実を突き止めるとは言わなかった。
必ずジェラルドの最後の願いを叶える、それさえも。
目の前にあるボロボロな花を見つめるフェデリコ。
もしかしたら、いつの日か――
自分が抱えている疑問に対して、この花が答えてくれるのかもしれない。彼はそう予感したのであった。
ん……うううぅぅん……
おはよう、サラ……もう起きなきゃ……
ふわぁ~~~、むにゃむにゃ……くぅ……
アラン、アランったら!起きてアラン!
起きてってば!ママが、ママがきのう戻ってきたよ!
えっ!?
ママが戻ってきた!?どこどこどこ!
ぜったいママだよ!ほら、これ見て――
うわぁ~!これ、ママがぼくたちにくれた新しい毛布?ちょっとボロボロだけど……
でも丸っこいもようも、羽が生えた人もかかれてる……うん!まちがいない、これはママが昔もってきてくれるって言ってたものだ!
ボロボロでもいいじゃん。わたしたちはいい子なんだから、ママを許してあげることもおぼえなきゃ。ママ、自分の服だってボロボロなんだし……
わかってるよ、そんなことくらい。
ほらほら、はやくフェデリコおにいちゃんを探しにいこ!
今日もおにいちゃんといっしょに遊べるのかな……?
ちがうよ、夜ママが会いにきてくれたから、おにいちゃんは心配しなくてもだいじょうぶだよって、おにいちゃんに教えにいくの!