(サルゴン語)……彼は去った、現世の瑣末ごとを捨て去りて。
(サルゴン語)我らは激しく憎むが、この運命が不公平だからにあらず。
(サルゴン語)しかし悲しむことなかれ、彼は現世の苦難から解脱されたにすぎぬ。
(サルゴン語)なればこそ彼のために高らかに歌おう、彼はついに大地へと帰したのだ。
(サルゴン語)かの者の友よ、愛した人たちよ、涙を流すことなかれ。
(サルゴン語)死とは大地の慈しみなり、我らは元より万物の嗣子なり。
(サルゴン語)……全ては土へと帰す。
(サルゴン語)……すべては荒野に帰す。
(サルゴン語)……我らもいずれそこに帰そう。
枯れ木の影の下で、粗削りされた粗雑な石碑が立っていた、滑らかとは言えない石碑の表面には文字が何行か刻まれていた。
「我らの友、ミアーロ ここに眠る」
「彼は感染者だった。一人の医師でもあった。」
「そして善人であった。」
……
大丈夫か?
……どうだろうね。
あのトカゲの爺さんから聞いた、この国では、相当な身分がある者しか葬式は執り行われないらしい。
ほとんどの一般人は死んだらそこで終わりだ、彼らは家族によって荒野で簡単な埋葬が行われるが、墓標も、悼む想いもない。
巨大な平台――移動都市で生活してるほとんどの人は死者の遺灰を都市の進行ルートにばら撒くと言う、都市の生活空間は貴重なため、死者を安置するための空間は極少数なんだと。
一般的な集落でも墓標らしきものは見当たらない、命を奪いかねない災害が席巻してきた時には、死んでいった者たちがどこに埋められたのかすらわからなくなってしまうからな。
サルゴンに宗教はほとんど存在しない、ここにいるほとんどの人たちはあまり死後の世界を信じていないと言う、むしろ死者はいずれ大地へと帰り、この世界の一部分になると彼らはそう思っているらしい。
ということは、誠実さと純朴さが染みついた文化と言える、俺は気に入ってるぞ。
じゃあミアーロに墓を築いてあげたとしても、いずれ消えてなくなるってこと?
おそらくはな、だが俺たちだけでも彼のために葬儀をやってやろう、これも重要なことだ。
私はまだ受け入れきれないわ。
なぜだ?
あんなのを見てしまったから、到底彼の結末を受け入れられないもの。
私たちにも責任があるかもしれないのよ、アレキサンドル。
もしミアーロがいなかったら、前の半年間で苦しみ藻掻いてきた私たちはさらに多くの困難と直面していたのかもしれなかった。
ずっと考えていた、もしあの時私たちがもっと早く駆けつけていたら?私たちがもっと強引に、あの病人たちと一緒に行動することを頑なに譲らなかったら?
もし私たちが……
そういう考え方はやめておいたほうがいい。
ミアーロは自分自身で選択をしたんだ、だからお前のせいじゃない。
あのデカ女は己の責務を全うしようとした、この文化と制度の下で育った貴族として、彼女は進んであの病人たちを庇護しようとした、それは紛れもなく崇高な行いだ。
あのロドスのオペレーターたちが言うには、ミアーロの症状は深刻だった。
彼にとって、毎朝の太陽は死と共に昇ってきていたんだろうな。
あんな症状で今まで長生きできたのもほとんど奇跡に等しいと言う。
それが彼らの生活なんだ、俺たちにやれることなんてそうないさ。
でも私たちはこれまで正しい選択をしてきたのかしら?
私たちだって当然彼らに救いの手を差し伸べたかった、彼らを「助けて」あげたかった。
自分がなんでこんなに自信たっぷりと、私なら彼らを「助けて」あげたと思えるのかは知らないけど。
私たちはあの病人たちと共に暮らしてきたのよ。
でも私たちは根本的に感染者を理解していなかった、私たちは「鉱石病」をさも当然の如く感染性を帯びたガンだと、私たちがよく知っている不治の病の類として一括りにしていた。
でもあんなのはただの病気なんかじゃない……あれは災いだった。
私たちはそれについて何も知らなかったくせに、彼らを救おうとしていたのよ。
理由もなく自分を責めるのはよせ、コーエン。
そんなことをしても意味はない。
お前の今の気持ちはよくわかる。
だが俺たちがやってきたことを否定してはダメだ。
俺が屋上でやることもなく暇していたのを憶えているか?その時はそりゃたくさん時間を持て余していたさ。
俺はそこに座って、ミアーロの診療所を見ていた、そこに住まう人々を見ていた。
異世界からやってきた異客として、俺はこの世界を見渡していたんだ。
俺はそんな察しがいい人間じゃないが、それでも色んなことを見てきた、見るに堪えない、残酷なこととかな。
ある日の夜、ある町民が夜の暗さに紛れながら、別の住民の家から一つの包みを担ぎ出してきたんだ。
麻袋でガッシリとくるまれた、人一人ぐらいの大きさがある包みだった。
……
俺はあいつらが麻袋を車に詰め込み、町の外れの道に沿ってゴビ市場に向かい、南にある巨岩の後ろへ消えていくところを見たんだ。
これと同じ出来事は何回も見てきた、過去の三週間におそらくは二回ほどな。俺の見えていないところだと、もっとたくさんこういうことが起こってるんだろうな。
初めて聞く話ね。
話したくなかったんだ、それに必要とも思っていなかったからな。
お前の言う通り、俺たちは外からやってきた人たちだ、この国の住民ではない、俺がさっき言ったように、彼らからすれば俺たちは異世界人でもある。
俺は彼らのことを理解できていない。彼らの歴史、文化、生活、喜怒哀楽、何もかも理解できていない。
自分の理解できないものにいちいち指摘する権利なんて俺にはない、彼らが何をしようが彼らなりの理由があるからな。
本来ならそうあるべきだったんだ。
だがまたある日の夜、おそらくは俺の好奇心が俺の理性を打ち破ったんだろう、俺はその道に沿って、連中が麻袋を埋めた巨岩の後ろに行ったんだ。
そこで砂の下から光が漏れ出していたところと、キラキラと輝く粉塵が砂の中から昇ってきて、最後には空中に消えたところをこの目で見た。
夜だというのに、眩いほど輝く粉塵だったよ。
麻袋に何が詰めてあったかは、当然知ってた。あの粉塵が何だったのかも、大方予想はついてた。
もちろん、今の俺たちならその粉塵が何だったのかはわかるよな。
麻袋が担ぎ出された家、その玄関にはよく一人の老婆が座っていた。だがあの夜以降、その老婆は二度と姿を現さなかった。
ケッツは毎日その町民たちと一緒に日を過ごしてきたから、あいつもきっと知ってるだろうな。
(ため息)
あなたこの前なんか屁理屈を言っていたわね……ここの住人はみんな化学戦向けの訓練を受けているようだったとか?だから口や鼻を優先的に保護してたとか?ホント呆れるほどの屁理屈ね。
俺はそうする原因を見たことがあるからな。
さっき「俺たちはこれまで正しい選択をしてきたのか?」って言ってたな。
答えは簡単だ、俺たちが彼らを助けたのは、俺たちに道徳と良識があったからだ。
老いや病や死は避けられない、こっちの世界だろうと俺たちの世界だろうとな。
たとえこの「鉱石病」がなかったにしても、この貧困に喘いでいる人々が直面する苦痛が減ることはない。
たとえこの病いがなくとも、戦争、重税、自然災害は変わらずこの可哀そうな人々を連れ去っていく。
彼らの領主を、この町を見てみろ、彼らはどんな社会で生活している?
こんな封建社会なんて俺たちの知ってる地球じゃとっくに時代遅れになっている、だがこれが彼らの現実なんだ。
俺たちの基準からすれば、彼らは文明的な世界に生きてるとは言えないだろう。
俺はここ数年でクソみたいな出来事をこれでもかというほど見てきたんだ、コーエン。俺が何を言いたいかわかるか。
この世界はクソだ、だがだからといって俺たちには何もできないという意味ではない。
だから善行を否定するな、道徳と良識はいつだって正しいんだからな。
……はぁ。
あなたの言う通りね、アレキサンドル。
今話したバカみたいな質問は忘れてちょうだい、きっと疲れていたんだわ。
確かにお前はしばらくの間まったく休めていなかったもんな。
俺たちもみんな疲れてしまったよ。
誰か来た。
……
……
……すまなかった……
なんと言葉をかければいいものか、だがこれらすべては私の責任だ。
すべて私の衝動と愚鈍さによるものだ。
長身のレプロバは一つの金色の印章を握っていた、彼女はそれを力強く握りしめ、己の信念を注ぎ込んだ。
堅固な手甲に奇妙な青い紋様が浮かび上がり、その金色の印章が溶けだし、彼女の手から零れ落ち、粗削りされた石碑の上に注がれた。
アーツ……
これは酋長が我が父に賜った金の勲章だ、父は酋長最強の戦士の一人だった、アインタウィルも彼の軍績による褒美だった。
私の父は強く、慈しみ深く、そして正直者だった。
私が小さい頃から、彼はいつもこう口にしていた。
トゥーラ一族は採掘労働者の血肉の上で成り立っているのだと。
当時、地下の源石を採掘することで、私の父は莫大の財を手にすることができた。
しかしそれによってもたらされたのが鉱石病の蔓延だった。初めは採掘労働者だけだったが……いつしかこの病いは町中に広がっていった。
浅層での源石採掘を終えたあと、父は源石採掘場を閉鎖し、深層での源石採掘を禁止した。
彼は感染者区域を建て、彼らを保護するよう人員を派遣した。彼は鉱石病に罹った人々の死体の上で金貨を数えることに耐えられなかったんだろう。
父はずっと私とドラッジならもっとよくしてくれると期待してくれていた。
ドラッジがクルビア留学の際に何に触発されたかは知らないが、私はヤツがますます陰険になっていくところをただ見ているしかできなかった。
父がヤツを勘当して初めて、あの人はもう私の兄ではなくなったんだと意識したよ。
だが私も父を失望させてしまった。
私では彼の功績と基盤を受け継ぐ資格はない。
私に資格はないのだ。
私は武力を一身に備えながらも、何もない遂げられなかったからだ。私はアインタウィルを守れなかった、私の父の民たちを守れなかった。ドラッジを殺すことも叶わず、むざむざと逃してしまった。
ドラッジにつき従ってる連中は、一体何者なんだ?
私にも連中のことはよく知らない、ただあの連中はヴォルヴォドコチンスキーと称するクルビアの一組織から来てることしかわからん。
あのクルビア人どもとやり合うのも今回が初めてではない……
ヤツらは貪欲で、邪悪だ、ただ町からいかにしてより多くの石を掘り出せられるかのみを気にしている、町の人々がどう生活していくかなどお構いなしだ。
どこかで聞いたことがあるような話だな。
……フン。
父はよくこうも言っていた、もし一人の戦士になりたければ、力だけでは我が家を守ることはできない。
戦士は戦士を打ち破ることはできても、暴力で真の邪悪を討ち破ることはできないと。
……ずっと理解できなかった、父が言う「真の邪悪」とは一体何なのかを。
……だが今ようやくわかった、ドラッジはただの邪悪の手先にすぎず、私もこうしてすでにそれに敗北してしまったことぐらいはな。
命をかけても解決できない問題はよくある。
これからお前はどうするつもりなんだ?
わからない、ドラッジには逃げられた、ヤツの傭兵もおそらくは散り散りに去っていっただろう
だがヤツはこの地にあのバケモノを残していった、アインタウィルはもう居住するには適さない……
だが少なくとも今は、私はまだ我が家を守らねばならん、町の生存者も依然とそこに取り残されているからな。
お前の屋敷はそんなに多くの人を受け入れられるのか?
……屋敷の地下に避難所がある、大勢の人数を収容できるが、食料も水もあまり足りていないのが現状だ。
申し訳ない、お前たちにこんな愚痴を言うべきではないな。
本当は礼を言いたかっただけだ、これまでの間にアインタウィルの住民たちをずっと守てくれて感謝する。
礼には及ばないわ。
私は……まだやるべきことが残っているため、ここで失礼させてもらう。
……
彼女はいいヤツだったな、あの悪党が彼女の兄だなんて想像もできん。
コーエンさんたち、まだここにいらしてたのね。
ちょっと来るタイミングが悪かったかしら?
あっ、大丈夫よ、私たちもそろそろ出発しようとしていたから。
これはあちらの感染者たちから預かったものよ、この箱はミアーロ先生の……遺物。
感染者が話し合った結果、これはやっぱりあなたたちに預けたほうがいいって。
……
開けて見てみよう。
いいの?
いいも悪いも、彼は俺たちの友人だ。
中身はなんだ?
一枚の地図と、一冊の本ね。
それはサルゴン語版の『クルビア都市旅行案内』ね。
この地図は……ちょっと一昔前のものみたいね、どれどれ……
うーん……ここの区域はおそらくティカロントね、クルビアの辺境にある都市よ、私も行ったことがあるわ。
この畳まれたものはゼニか何かか?
これはクルビアの金券ね……まさかミアーロ先生がまだこんなお金を残していただなんて。
前に彼が言っていたわ、いつかここを出て、クルビアという場所に行きたいって。
「本物の医者になりたい」ってな。
もう残された日にちも僅かだというのに、彼はそれでも自分を律しながら生活していたのね。
待って、まだ中にメモが残っているわ、見てみるわね。
……あぁ……
なんて書いてあるの?
……読み上げる?
お願い。
「このメモを今お読みになっているお方、ぼくの物品を片付けて頂きありがとうございます。」
「お金はどうかほかの方たちに分けてあげてください、ぼくにはもういらないと思いますので。」
「箱はどうか捨てないでください、これはぼくの母が残してくれたものですから。」
「あなたがどなたかは存じませんが、わが友よ。」
「どうかあなたの生活が順風満帆に行きますように。」
「――ミアーロより」
……私は一体どんな顔で……どんな気持ちで彼が残した善事と遺産と向き合えばいいの?
ミアーロ先生はとても強い人だったわ。
感染者にとって夢とは嗜好品、とても砕けやすい宝石みたいなものなの。
たとえクルビアに行っても、都市部の感染者は分区管理されるし、収容隔離地区から一生出られない人も大勢いる。
それとほとんどは、鉱石病に罹れば死刑……あるいは死刑執行猶予として判決されるようなもの。
現実が自分の夢を、自分の生活を、最後には自分の命をも諦めるように迫ってくる。
苦痛な現実を前にして、それでも自分の生活に希望を見出せる人なんてそうそういないわ。
一体何が彼の信念をここまで支えてきたのかしら?
ミアーロみたいな人は、こんな生き方や、あんな死に方をすべきじゃない。
ちょっと、どこに行くの?
あのデカ女を探してくる。
何をするつもり?
少し彼女と話がしたい、いい考えを思いついたんでな。