
十七年前
2:44p.m. 天気/晴れ
ウルサス中部、サスナ谷療養所外

シュコー――ハァ――
シュコー――
ハァ――
シュコー。


やあ、旧友よ、調子はどうだい。

いや、いいんだ、そのまま横になっててくれ、少しだけ様子を見に来ただけだ、すぐに公務に戻らねばならん。駄獣が止まるわけにはいかないんでね、それに鞍を私につけたのは、紛れもなく私自身だからね。

なに?いや、もちろんさ。私は依然として君が知っているあの若人だよ、財政大臣なんかじゃなくてね……

身分を弄っても意味はないからね、我らはみなこのウルサスの広大な大地のために努力している、陛下が思い描かれたあの真なる栄誉なる未来のためにね。

我らはみな陛下の臣民だ、この点を忘れ、未だに暴力に生きる人々は、いずれ古い伝統の孤児になる。

……すまない、どうやら財政の処理にあたりすぎて少々ストレスが溜まっているようだ。

心配はいらない、同僚と有志の者たちの意気揚々とした様も、腐敗した者の腐敗がヤツら自身を蝕んでいく様も見えているとも、我々は必ず勝利するさ。

軍に蔓延っているあの貴族たちも……ヤツらとあの蛆虫共もすぐに陛下の足元にある土と化す、そして我らが陛下の行かれる道から徹底的にそれらを排除する。

……そうだな。

――帝国議会は今まさに変化を遂げている。

我らであの頑迷な貴族共から、ウルサスに属する、陛下に属するすべてを奪い返すのだ。

我らで旧時代を引き裂き、蹂躙し、冒涜し、ウルサスのために新たな航路を切り拓く、わが友よ――私が成し遂げよう。我らで成し遂げよう。我らの生涯を費やしてでも。

ウルサスは変わらねばならないのだからな。


今日だと?

計画は本来なら次の週に遂行する予定だったけど……今日が一番の機会なの。

さっきメイド長の話を聞いたわ、財務大臣がここに来てから明らかにあの縮こまってた臆病者が動揺しているって、あの大臣が彼に何か言おうが言わまいが、彼は少なくともそこから立ち去るわ

彼は恐れているんだな。そしてその恐怖が彼にスキを生じさせる。

おそらく彼の衛兵隊はこの突発事態に対処しきれないと思う、だから彼は一番油断した姿を私たちに見せるはずだわ……

ウルサスの別の要人が訪問しにくる合間に、大公を暗殺するのは極めて危険なことだわ、けどここに大物が来ること自体少なくない上に、大公が彼のプライベートガーデンに行く回数自体指で数えるほどしかないのよ。

私たちはまだ十分に状況を把握しきれていないだろ。

確かに私はまだ把握しきれていない。

でもあなたなら把握しきっているって信じているわ。

それに、あなたならきっとやり遂げてくれるとも信じている。

……

教えて、まだ何に戸惑っているの?

あなたのためなら私がやってあげるわ、なんなら――

リリア。

私はただ、君に普通に生きててほしいだけなんだ。

君がどう私の言葉を解釈しようと、私は認めざるを得ないんだ、チェルノボーグで、あの理想を抱きながら情熱に溢れていた若き科学者たちは……みな犠牲になってしまったことを。

私は彼らが死んでいく様など見たくなかった。リリア、君も同じだ。

……

……それはできない相談よ、ケルシー。

この件が終わったら、私はシラクーザに行く、それからヴィクトリアに向かう。

もし君が私と同行してくれるのなら……チェルノボーグでの計画を遂行しないのであれば、君は死なずに済む。

私は夫の血痕があの裏切者に踏みにじられてるのが耐えられないのよ、一秒たりとも。

……身勝手だな。

そうよ、だから私の一番身勝手なお願いも忘れないでちょうだいね……

私の娘のことをよろしくね、もしあの子がそうしたいのなら、あの子に医学を教えてあげてね。

あなたならきっと生き残れるわ、ケルシー。


我が旧友よ。

今年の冬は寒い、だが春の温かさは変わらないと私は信じている。

まだ私たちが初めて会ったあの日のことを憶えているよ、あの時も初春だった。あの激情に溢れた演説の中、君は歓声も上げず、笑いもしなかった。

お互い一目で目に入ったな、もちろんほかの人もいたが。

侵略の成功を誇りに思う者など誰一人いなかった、歓喜を上げる者は先代皇帝の栄光を仰ぎ見るばかりで、足元の貧相な大地が目に入らず、他者の生存を許さないでいた。
ヴィッテ、春は来たか?

分からないな、わが友よ。もう来ているんじゃないのか。

今年の春は早めにやってくる、だが私の天災トランスポーターが言うには、北の強烈な天災の影響で、もうしばらくずれるかもしれない、それに気温もまた下がる。

おそらくまた冬へ逆戻りだろうな。
私たちは冬が好かん、そうだろ?

私も好きではないさ、相棒。

だがそのことで思い出したよ、私もさすがに禁酒せねばな……アルコールで冬を凌ぐのはもうやめだ。あれは一種の麻酔にすぎないからな、酔い潰れれば、どのみち凍傷してしまう。

しかし冬が長引くことはない。

ただの天災による余波にすぎないからね。


これは……

これで永眠を与える。最も安全な方法で、かつ最も効果的だ、効果がはやく生じて過ぎて、私たちの退路が断たれることもない。

撤退する準備はもう済ませてあるか?

ここに初めて来た日から、すべての準備はもうできているわ。

もう時間がないな。

わかっているわ、けどこの前の演習では、私たちなら余裕で……

それは違う。

私たちはこの療養所のことを甘く見過ぎていた。

君は計画を変更する必要はない、あとのことは私に任せておけ。

何かわかったの?

……

潜伏させておいたMon3trが敵を察知したんだ、大公はウルサスその他権力者と何か交流をしていたか?

いいえ、彼はずっとここで大人しくしていたわ。

……

Mon3trって……あなたのペットのことよね?何を見たの?もしかしてウルサスの民俗伝説?

実情をそのまま君に伝えるわけにはいかない、さもなければお互いの生存可能性を極度に縮小させてしまうからな。

そう……ウルサスには手段がたくさんあるものね……

恐怖は餌になりえる、この件に深入りすれば君の判断力に影響を及ぼしかねない、私を信じてくれ。

……ええ。

よし、そろそろ時間だ

あのバックを持っている金髪のフェリーンが見えるか、彼が大公の専属医師だ。

……わかってるわ。


一人の大公に何ができるというのだ?

現状に甘んじているあの連中を見てみろ……もちろんだとも、あの片目が見えなくなった総督が陛下の御前に跪いた時から、彼はすでに脅威ではなくなった。

彼は賢い、適切な時期を選んで明哲保身に回ったからな。あんな連中みたいにではなく……私利私欲のために、頑なに抗い続け、ウルサスの僅かとしか残されていない兵力をもって反乱の余波を対処した連中ではなく。

あれは本当に心を痛んだよ……私は軍政のトップではないにしろ、我らの祖国の生産が停滞するのを、経済と民間産業の状況が日に日に落ちぶれて行く様を見るたびに、とてつもなく悲しくなる。
陛下はあの風見鶏の連中を許したのか?きっかけさえあれば、ヤツらは懲りずに己の利益を再び陛下とウルサスの上に置こうとする。

陛下の慈悲を咎めないでくれ、ずる賢くもしばらくは裏切らない貴族を容認することよりも、我々が耐えられないのは、果てしない内部での軋轢のほうだ。

何としても雑草と害虫を駆除し、種を蒔かねばならない、春がやってくるよりも前に、新たな芽を目にしなければならないのだ。

そのために私はたくさん努力したよ……どうかこの言い回しを許してくれ、あまりこんな言い回しはしないのでね、だが陛下のおかげで、私は私の今の身分に大変誇りを持っている。

わが友よ、安心したまえ、あの犠牲になった者たちが成し遂げられなかった偉業は、生き残った者たちは遂行してくれる。

陛下はウルサスに新たな未来をもたらしてくださる。たとえ頑固極まりない貴族だろうと、捻じ曲がった邪悪な神だろうと、祖国の最も暗黒な場所に根付いている怪物だろうと、ヤツらは恐れなければならん――我らの皇帝陛下を恐れなければならないのだ。

我々の責務はこの一点を確実なものにするためにある。


……

止まれ。

メイド長から聞かなかったのか?ワーリャ大公が今ここを使用している、誰だろうと入ることは許されない。

今日の当直医師は私です、であれば、私は大公閣下の医療顧問でもあります。こちら身分IDカードです。

……新入りか?

はい。

ワーリャ大公の当直医師は大公閣下の専属医師が担当している、暗黙の了解というやつだ、運がよかったな、つまり貴様らは今日休暇にあたれるということだ。

貴様らが初めてであることに免じて、今回は許してやろう。だがもしまた勝手にこの廊下を行こうものなら、楽な死に方はさせんぞ。

わかったらさっさと去れ、よそでせっかく得たその休暇を楽しめ。
(無線音)

私だ、いやなに、ただの療養所の当直医師だ、すぐに追い払う……

なに……?あのやぶ医者がいなくなっただと……?

……だがそれではリスクが……むぅ……財務大臣がここにいるんだぞ、わかっている……

そこの二人、止まれ。

はい、何なりと。

何かあったのですか?

……ついてこい。


いいか、何を見たとしても、あれは大公閣下のいつもの癖だ、大げさになるんじゃないぞ。

穏便に大公閣下のお世話をするんだぞ、日が暮れたらすぐに出てこい、閣下を煩わせることは許されん。

よく処置にあたれば、貴様らに褒美が与えられる、とても豪華な褒美がな。貴様らみたいな……貧乏人が楽して暮らすには十分なものだ。

ありがとうございます、この機会を得られて大変光栄に存じます……ケルシー、あなたも感謝しなさい?

あ……はい、本当に感謝致します、旦那様。

……フン、田舎者が。しくじるんじゃないぞ。

気をつけます。

……

待て。

以前から一人しか入れないんだ、今回とて例外ではない、さもなくば大公閣下からお咎めを受けることになってしまう。

このメイドを入らせろ。

――しかし、旦那様、医者は私であって――

大公閣下が服用される薬はこちらで用意する、貴様はここで待っていろ、何かあればその時に入れ。

それはどういう――

つまり貴様はここに三時間待機していろ、いつでも対応できるようにな。

それと、貴様、入ったあと10分を超えてはならない。

もし超えてしまったら、例え中で何が起きようと、生きて帰れないと思え。

ボディチェックだ、先にこの使用人を入らせろ。

……かしこまりました。

(扉を開ける音)

……

……大公閣下。
光を背にしたところに一人の老人が座って――横になっていた。彼は動かず、穏やかな呼吸をしながら、遠くを眺めていた。


……医者か?

いえ、わたくしは使用人でございます。

そうか……まあいい、こっちに来てくれ。

……かしこまりました。

君はウルサス人か?

いいえ。

頭を下げて、君の顔を触れさせてくれ。

……かしこまりました。

ふむ……ヴァルポ、いやフェリーンか?実に愛らしい種族だ。

閣下……目が見えないのですか?

そうだ、先月の出来事でね。

私はもうじき死ぬ、今日かもしれんし、明日かもしれん。無駄足だったな、若いの。

……

ヤツらは医者を入らせないようにしてるんだ、私を殺すためにね。

申し付けないのですか?あなたは大公でいらっしゃるのですよ。

大公であるからこそ、私はウルサスには逆らえないのだ、もう心の準備はできている。

今日の天気の様子はどうだ?日差しがだんだん暖かくなるのを感じるよ。

快晴でございます、大公閣下。

あぁ……快晴か、もう長い間こういう日が続いている。

……絶望されているのですか?

絶望……?絶望は始まりの一瞬にすぎんよ、私たちの長い日々の生活には常に様々な情緒が溢れかえっている、それは人々を絶望させることもなく、己の人生を愉快にしてやることもない。

我々は常に妥協しながら生きてるのだ、若いの、ある者はそれを無感覚だと称している、私は自動自得だと思ってる人もいるがね。

……そうだな、暖かい季節がやってくる、あの風ももう耐えがたいものではなくなるのだな。

誰が君をここに遣わしたのかな?若いの?

もうご存じかと思いますが。

君も驚かないのだな。私みたいな何事も成し遂げず、それでも最後には身代わりにされた人は、いつも若者たちから見下されているのだと思っていたよ。

私は一度も人を見下したことはありません、何よりもあなたはウルサスの一大公でございます。

私に本当のことを教えてはくれないのだな……それもそうか、なら私に当てさせてくれ……

財政大臣が遣わしたのか?いや、違うな……彼はこの件となんら関りはない、こんなでしゃばることをする人とも思えん、これが彼の意思であるのなら……そうであってほしいものだね。

なら、集団軍の蛆虫共か?あの肝の小さい老いた連中なら……いや、これも違うな、ヤツらならもっと簡単な方法で……

考えさせておくれよ、若いの、誰が君を遣わしてきたのを……

……

まだこそにいるかい、若いの?

ここに。

……陛下のご意思か?陛下が私に……この愚かで傲慢な人間に己の愚行に対する代償を支払わせたいと?

ああ、あの晩はただの恐ろしい夢ではなかったんだな……

君は失明した感覚がわかるかい?とっくに慣れたこの私の暗黒の視界から、何かもっと歪曲したものが蠢いているのを……恐ろしい違和感を覚えるんだ。

それはつまり、失明しても覆い隠し難い恐怖があると。

……あれは親衛の意志だ、若いの、あの晩、皇帝の利刃と私の喉の距離は目と鼻の先しかなかった。


なに?果物ナイフを?なら私がやろう。

スケジュールは忙しいが、旧友にリンゴを剥いてあげる時間さえないのであれば、それはあまりにも冷酷すぎやしないか。
財務大臣にこんな雑務をやらせるわけにもいかんだろ。

私を皮肉っているのかい?
財務大臣はナイフを取るのではなく、もっと別のことを執ったほうがいいと思うぞ。

冗談はよしてくれ、友よ、リンゴを剥くだけじゃないか、それとも迷信などの話題に切り替えたほうがいいかい?

ほら、療養所の果物はどれも新鮮だ。君の身体にもいい。
いや、ヴィッテ、我が友よ、ナイフを寄越してくれ、時には身体を動かさなければならん、でなければなまってしまう。

弱りきってるじゃないか、自分の手を切ってしまうぞ。
ウルサスの将校が、果物ナイフを扱う気力すら残っていないとでも思っているのか?

いや、そんなことなど思っていないさ。

はぁ、わかったよ、ナイフを渡そう。くれぐれも気を付けてくれよ。
(ナイフで切る音)

――

一体何を――医者を呼べ!――一体何をやっているんだ!?

なぜそんなことを――自分の指を切るんだ――はやく医者を呼べ!
フゥ――ヴィッテ!そう狼狽えるな、想像よりも痛くはない……長年の痛みが私を慣れさせたんだろう……そう急ぐな、聞け。
見てくれ、ヴィッテ、私の右手は戦火のさなかで爪を失った……カジミエーシュ人よって親指を削ぎ落された、そして東国の刺客によって人差し指の半分をもってかれた。
私は自分の右手にはもう価値はないと常々思っていた、ヴィッテ、たかだか右手は私が刀を持つための手であったということだけで、こんな目にあった。
そして今、私は自分の左手人差し指を斬り落とした、これで両手ともに健全ではなくなった、公平になったとも言える。

一体何のために……!
教えてくれヴィッテ、ウルサスの戦争は、私がかつて生涯をもって誇りに思ってきたこの栄誉なる傷痕には、本当に栄誉などあるのか?
いや、お前が答えを言う必要はない、肝心なのはこれではない、しかし見ろ、この血が流れる新たな傷口を、これは己の意志によって作り出された傷だ、私を病魔から目を覚まさせ、お前と再びこうして言葉を交わすようにしてくれた。
ヴィッテ、お前はサンクトペテルブルクに戻るのだな、お前はいずれあの偉大なる都市に戻るのだな。
ならば私の身体の一部を持っていくがいい。我が肉体は征戦のさなかでバラバラに引き裂かれ、摧残(さいざん)を受けてきた、しかしこの血肉は、唯一私が自らの意志で切り離したものだ。
私に子はいない、だがこの指は、私の愚かさを嘲笑うといい、この指は私の唯一誕生してくれた血肉なのだ。
これをサンクトペテルブルクに持っていき、お前の庭に、あるいは街にある花壇にでも埋めてやってくれ、私をサンクトペテルブルクの泥土で活かしてやってくれ。
そうだ、私の血肉をウルサスへ溶け込ませてくれ……私をサンクトペテルブルクへ、我々の世代が守った、ウルサスの心臓へ!
――ヴィッテ!

(誰かが走り回る足音)

……

……

今日はやけに慌ただしく走り回ってる連中が多いな……チッ、マナーも弁えないアホ共が。

お前はここでジッとしていろ、様子を見てくる。
(ウルサス軍人が去る足音)

承知しました。

(ケルシーは今どうなってるの……)

(チッ、もう時間がない。)
(ウルサス軍人の足音)

おい、お前、116号宿舎の様子を見てこい。

はい?しかし私の助手がまだ――

ここは使用人が一人いるだけで十分だ、医者は必要ない。

これは財務大臣からの要請だ、もしあの大物の怒りを買えば、私たちでは担いきれん。

さっさと行け!絞首台に立たされたいのか!?

は、はい、申し訳ありません、直ちに、直ちに向かいます……

(ケルシー……!早くして!)


若いの、こっちに来てくれ、ここに座るといい、君の名前は?

ケルシーでございます。

……コードネームでも、偽名でもないんだね?

わかるぞ……君が名乗った時の態度、私には分かる、君はその名前を愛しているのだね、ケルシー?

どうでしょう。

もうお時間がありません、大公閣下、もうしばらくすると、あなたの衛兵たちがここに入ってこられます。

そうだな……どうやら自分を殺しにきた刺客に時間を与えてやらねばならんな……

ん。確か通信機は手元にあったはずだが……

ここにあります。

はは、慎重な殺し屋さんや、いつの間にそれを持っていたんだい?

どうか私に任せてくれないか。

……

信頼してくれて感謝するよ、若いの、慣れているんだね君は……誰から遣わされてきたかは知らんが、君はいずれ大器になるよ。
(無線音)

衛兵隊長、こちらの療養所の使用人は……私の故郷から来たと言う。もうしばらく彼女と話がしたい、邪魔をしないでおくれよ、私が命令を下すまではな。

侵入者は、軍規に違反する者と見なす、わかったな?

……これでよし。

……閣下の故郷はどちらにあるのですか?

サスナ谷のすぐ向こう側だよ。

君が私を信頼してくれているのは、君はすでに用意周到だからなのかな?たとえ衛兵たちが今入ってきても、君は難なく逃げ出すことができる、そうなんだね?

それについてはお答え致しかねます。

……もしくは君は親衛の者ではないのかしれんな。君は歪な恐怖を抱いていないからね。そうだな、あの親衛が内部の事情を他者に委託するはずもなかろう?

ヤツらはウルサスで最も無欲なる監視者だ、天秤に置かれる価値ある者でなければ、ヤツらのお目にかかれることはない。

まあそういうことだ、私の負けだ、若いの。結局君の内情を知ることはできなかったよ。

君は何のためにここにやってきたんだい?

……己の責務のためです。

ケルシーよ、私は苦しみながら死ぬのだろうか?

いいえ、薬が徐々にあなたの神経系を蝕み、昏迷したように眠りに落ちます、二度と目が覚めることはありません。

……重病を抱えた老人にとって、それは施しと言えよう。

感謝するよ。

……

そうだ……君は医者なのかい?それとも科学者なのかい?

輝かしい眼を持っているかい?手の指には薬品の匂いでも残っているのかい?

君は――

――いや、待った、もしや君は……チェルノボーグの一件のためにやってきたのか?

ケルシー……ケルシー……あの日の大火事によって亡くなった所長も、確かその名ではなかったか?

もしあなたがあの犠牲者たちを全員憶えられているのであれば、私はウルサスの目から逃れられないでしょう。

あぁ……君だったのか、君がケルシー……

なんとも奇妙なことだ……君はあの秘密警察の目をかいくぐってきたのか、それだけじゃないな、君はその名を偽ることもせず、ここに侵入してきた……?

どうやってそんなことを?

方法ならいくらでもございます、大公閣下。

私に死んでほしいと思う人もいれば、そうでない人もいる。最初はそう思っていたよ……しかしもし君はただの科学者なのであれば、こうも簡単に……騙されるべきではない。

あぁ……それとも、何者かが君を買収したのかい?何者かが君の復讐を利用して、私を死に追いやろうとしているのかい?

お答え致しかねます、閣下。

では、薬品の注射をさせて頂きます。

あぁ、私に死刑宣告を言い渡すのだね、それはいい、ここでいたぶられるよりかはマシだ……

む……

……

終わりました、閣下。

……私にはあとどこくらい残っている?

十五分ほどです、閣下。

……教えてくれないか、若いの、私の目の前にある景色は美しいか?


大地が芽を生やし、太陽がそれらを満たし、希望を抱かせております。

美しいか?

壮麗な景色でございます、ただこの壮麗さもウルサスでは珍しくもありません。

……フッ、若者はいつの時代も口八丁だな……この景色を見れるウルサス人は……どれほどいるのだろうな?

そうだ……花、私の花、種を蒔いたんだ……芽は出ているか?蕾を付けているか?私のこの痛めつけられた目では、もう花たちが咲き誇る姿すら目にしてやれん……

今は……残念ながら。

どうやら帝国の冬はこの観賞植物の成長を妨げてしまってるようです。

あぁ……ここでは咲きほこれないのだな?

閣下はこの長い冬で何を植えられたのですか?

若い頃……私はかつてカジミエーシュとの戦争に参加したんだ。戦争をしたことはあるかい、ケルシー?

……

混沌を極めた戦争だった、一発目の砲撃音が鳴った十数分後、隊列も戦場も意味を成さなくなった。

私は騎士数人によって足にケガを負い、頭部も一発ハンマーで殴られたよ、私はヘルメットを外し、無我夢中で地面を這いずり……花畑まで這いずった。

その後私はそこで気を失い、援軍に救助された、朦朧としていたが、そこにあった花のことは憶えていたよ。

……サスナの百合の花ですね。

そうだ……戦争が終わった後、私は人に頼んでその辺境から種を持ってこさせた、私はあの花のカジミエーシュの学名が嫌いでね、だから自分で新しい名前をつけたんだ。

私はこの花が好きだ、私の町では、この花は町のシンボルとして扱われている。ウルサスの土地でなら……カジミエーシュより立派に育ってくれる。

……私の妻も……花たちを育てていた、かなり上手だったよ。

しかし花たちは……土から芽を出すことはなかった。

まだ春が来られなかったのでしょう、閣下。

そうだな……私はこのウルサスの地を愛してる、ここは様々な希望を生み出してくれるからだ。

しかし貧者と感染者の身体によって満たされてもいます。

この地が数々の悪行を犯したことは否定せんよ、だがだとしても、この地はすべてを包み込んでくれている……あぁ、少し疲れてきたな……

説得力ある言い訳には聞こえませんが。

言い訳?いいや、若いの……赦しを得ようだなんて一度も考えたことはないよ、必要ともしていないさ……

ただ、命が輝く最後のひと時でなければ、気付け……ないのだ……意味というのは……実際に……

サスナの百合よ……

もう一度……この目で彼女に会いたかった……

……もう行くといい、若いの。

感じるよ……太陽の暖かさを、それに……見える……

ふぅ……

閣下は命の最後のひと時にご自分を許せる資格はないのかもしれません。

(ウルサス語)ウルサスは貴殿を忘れません、大公閣下。

(ウルサス語)……ウルサス……私の……

……祖国よ……


旦那様、大公閣下がお眠りになられました。

……貴様に言われんでもわかる、命令を受けた、30分後でないと入られん。

おい、大公閣下と地元が一緒らしいな、んん?

貴様みたいな若い女が、何が何でもこの療養所に入りたがっているのは、お偉いさんに気に入られたいからなのだろう、違うか?

これで満足か?なら何をボーっとしてる?私に靴を磨かせたいとでも思ってるのか?

いえ、そんな……申し訳ございません!旦那様、どうかお許しください、すぐに立ち去りますので……

フンッ、使用人風情が……


……果物ナイフはとても錆が付着しやすいので、感染を引き起こすかもしれません、彼の容態は随時チェックしておきますので、どうかご安心くださいませ。

……そうか、苦労をかけるな。

友人の血が上った頭を冷やすのに私も随分と時間を費やしてしまったようだ……

彼が医務室を出たあと、伝えておいてくれ、君は私たちの心に炎を点けさせてくれた、どうか信じてくれ、君の友人のイスラム・ヴィッテを、と。

ただこれから、私はトランスポーターと共に目的地に行かねばならなくてね。

お気を付けくださいませ。

……

……
(ヴィッテが去る足音)

(ケルシー――!)

(直ちに脱出しよう。)

(財務大臣がいるおかげであの官僚たちの付き人も縮こまっている、脱出するなら今しかない。)

(あいつは……死んだの?)

(効果が生じた時間が私の予想よりも短かった、彼の身体は元から長くはもたなかったんだ。)

(無数もの人があいつの死を利用しようとしている、連中の争いはきっと私たちにチャンスを与えてくれるはずね。)

(行こう。)

ケルシー――

ありがとう。

あなたは私たちのために……その手ですべてを終わらせてくれたわ。

まだ終わりではないさ。

どんな形に変わろうとも……私たちはいずれまたこの帝国と相対するだろう。
