現代
4:14p.m. 天気/晴れ
サルゴン中部、イバテー地区、戦域
……最も苦しかった日々の中、私は常にあの情景を思い出していました。
批判、それと質の悪い原材料で理想的な道具を作れないことに嫌気がさした時――私はあの日見たもの聞いたものすべてを思い出すんです。
――お前は一人であの傭兵を全員――
いや、彼は先に……武器を配備させたんです、自滅するように……
よくそんなことができたな……あれは全部お前が作ったものなんだろ……
どのような職人なら自分の創造物に未練を抱くのですか?感情を注がせるのはより完璧な道具を創り上げるためにあります、感情によって束縛されるためにではなくてね。
とっくに図っていたのか。
みなに対する不利な要素を排除したまでです、何がおかしいのですか?
――うえっ、焦げた匂い……
ロドスは平和主義者だなんて言わないでくださいね。
ふっ……もっともあなた方は違うと思いますが。
……あの日見たもの聞いたものって何だ?
ああ、あなた方は彼女が戦ったところを見たことがありますか?
彼女はまるで自分の目を雲の上に置いたかのように局面を操っていましたよ。
……近い。近いぞ。
サルカズ……魔族、彼女が勝った。彼女が勝ったぞ。この結末もイシンは予想済みだ……
ゴホッ、どうしてもぼくについて行くんですか?
ケルシー嬢からお願いされたことなんでね、彼女がサルゴンを出るまで、彼女の言葉は即ちイシンの責務なのだよ。
……ええっと、彼女はどこに……?
丘を越え、徐々に見慣れた風砂が、源石火薬と血の匂いを帯びてきた。
風が砂霧を晴らし、異形なバケモノが太陽の光を歪ませながら姿を現した。
ケルシーもそこに立っていた。
とても落ち着きながら。
――ゴホッ、ごふっ――
君は戦士になり得たはずだ、サルカズの戦士にな、名もなき者よ。
……望まれた死だ、術師。
俺を殺さないのか?
私は――
(斬撃音)
(怒りが籠った唸り声)
チッ、このバケモノめ……俺の命はいらねぇってか、この傷が見えねぇのかよ?
(咆哮)
(打撃音)
Mon3tr、もういい。
すでに重傷を負って瀕死だ。
(不満げな嘶き)
はぁ……はぁ……チッ、ペッ、これでパーディシャの手を煩わせることもなくなったな……
サルカズ、君の名は?
ぺっ……どっちが聞きたい?
教えてくれ、術師、お前が言うその――カズデルは――今どうなってる?
依然として混沌を極めている。
だがサルカズたちはそこに故郷を築こうとしている。
故……郷?俺たち魔族が、感染者が、そんな夢を持つことなんざ……ごふっ……
俺はサルゴンから一歩も出たことがないってのに……
……幾百幾千年来、サルカズは幾度も“カズデル”を、彼らの我が家を築こうと試みてきた、だがそのほとんどは失敗に終わった。
“我が家”の定義は人それぞれだ、だが今のカズデルは、この言葉本来の定義に最も近しいのかもな。
“ティカズ”たちも故郷を持つべきだ。
チッ、そいつぁ……
……いいねぇ……
……
(イシンの足音)
哀れな魔族、哀れな魔族、彼は死んでしまったのだな。
君たちはここに来るべきじゃない。
騒ぎが大きかったのでな、イシンもここは少し処置しておいたほうがいいと思うぞ、あまり人目につかれては厄介だ……
……あなたは一人でこいつら全員を……
(不満げに頭を振る)
えっ、あっはい、二人で……傭兵の一個小隊に勝った?どのくらいの人数だったんですか?
少し骨が折れるほどだった。もし彼らがMon3trをあまり警戒していなかったら、私も危うかった。
急ごう。赤角町を出てから、すでに七回も小規模な襲撃を受けている。
今に至っては、もはやサルカズ傭兵の一個小隊の規模まで膨れ上がった、その後は、おそらく王族の衛兵隊、パーディシャの精鋭部隊にまで発展するかもしれん、何はともあれ、私たちが逃れるべき勢力は徐々に拡大していっている。
あまり彼らを殺したがらなかったように見えるが?
否定はしない。
そなたはサルカズに何やら特別な感情を抱いているな……ふむ、これ以上は追究しないでおこう、失礼をしたな。
もうじき日が暮れる、ケルシー嬢、すぐにこの死体たちを片付けなければならん、それに、彼らのバギーがこちらの労力をかなり省いてくれそうだ……
急ごう。
知識は人の心を掴むための手段になり得るか?エリオットは一度もそんなことを考えたことはなかった
以前はそれを考えることすら少なかった。かつての彼はとても純粋で、かつとても才能に溢れていた。当然彼はイシンがケルシーの僅かな話を聞いただけで彼女に従うことに理解できずにいた――
彼はまるではるか遠い過去に生きているようだった。サルゴンの黄砂の向こうを眺めながら、彼はただただ待ち続けていた、彼が欲している答えを教えてくれる人を。
答えを知るだけで果たして十分なのだろうか?
ここだ……古の市場の入口、ここが沁礁の町だ。
またサルゴンの町じゃないですか……
イシンは入口を知っておる……古の市場は秘密でも何でもない、誰だろうとここで自分が求めるものを探す資格はある。
イシンについてきておくれ。
……イシンじゃないの?黄砂でおっ死んじまってなかったのか?
運が良かっただけだ。
えっと、後ろにいる二人って、もしかしてクルビア人……?亡命してきたクルビア人ねぇ、その箱もさぞかし金になるんでしょうね。
……!
そう警戒しないで、大丈夫だってば、金貨四百枚でどうかしら、その箱を買いたいの。
申し訳ないが、非売品だ。
……それは残念。
でも大丈夫、この先パートナーになれる機会なんて幾らでもあるんだし、だよね、イシン、はは。
あまり気にしないでくれ、お嬢さん、ここじゃよくあることだ。
彼女も実際それほどそれに興味は持っておらんのよ……
もし彼女が本当にその気があれば、おそらく今後は、ロクに眠ることも叶わないだろうな。
初値から四百枚でしたけど……?
沁礁闇市とはそういう場所だ……活力に満ちたイバテーの心臓でもあるからな。
……どのくらいここに滞在するんですか?
道は遠い、イシンにも準備する時間が必要だ、おそらく半月以上はかかるだろうな。
イシン、頼んだぞ。
む、これは何の真似だ……金銭だと?イシンは金銭など必要ない……
なるべくはやく準備を済ませてほしい。こちらの敵は今でも私たちを追いかけて回しているのでな。
わかっておる、だがその金貨は仕舞っておくれ、イシンは貰えぬ……それにそなたにまだほかに聞いてみたいことがある。
……そうか、わかった。ならいつでも聞いてくれ、なんなら今でもいいぞ。
……感謝するよ、イシンはあまりにも老いた……大切なことをたくさん忘れてしまった。
不幸にも、それらを憶えていた人もみな消え去ってしまった、だから、イシンは手がかりが知りたいんだ……
お嬢さん、そなたはまだ若い、このイシンなんぞがそなたに望みを抱くべきではないかもしれんが……だがそなたはあの町のことを、あの風の中に消えた秘密を知っておるのだろう。
……何を知りたい?老齢のサヴラよ?
イシンはかつてあるパーディシャに仕えておったのだ……沁礁の地のパーディシャに。そのパーディシャはイシンを気に入ってくれて、わしを知己としてくれた、一生を費やしてでも償え切らない栄誉を賜ったよ……
しかし……歳月が経って久しい、このイシンはなんて罪深いことか、パーディシャが語ってくれた話をよもや忘れてしまったのだ。イシンはパーディシャが語ってくれた言葉たちを思い出すまで、死にたくはないのだ……
町を滅ぼしたあの災難の後、あなたは方向を見失ってしまったのだな。
もう遠い昔のことだ、お嬢さんや、そなたはあの天災すらも覚えておるのだな――
……沁礁の地を統治していたパーディシャは歴史でもそう多くはない。だが少なくとも書き記された歴史と童謡の中に、サヴラの占い師の記述はなかった。
もし自分が何者なのかを明確したのであれば、それなりに時間を有すると思うぞ。
ああ、それなら問題はない――お嬢さんがここを出ようと、また待つことになろうと、イシンはジッと待っていよう。
それまでイシンは死ねぬ、そなたもこのことをどうか忘れないで頂きたい。
約束しよう。
イシンについてきてくれ、ここに家を持っておるのだ、古い家だがな……
え……?
どうみても普通の――待って、これはなんですか?
――純金?
ここに、純金の山が積まれている!?
これはイシンの財だ……イシンにはもう用はない、しかし今は、これらを使うことができてイシンも嬉しい。
これほどの資産を所有しているのに、他者から奪われることはないのか?
イシンは旧日の弄臣だからな、一文も値しなくとも、イシンを庇ってくれる人はおる。
すぐに準備をしてこよう。
それであなたは何を知りたい?
たくさんある、お嬢さん……
すべてそなたの知ってることだ。
……地上がやけに寂しくなりましたね。
地下闇市が俗に言う“闇市”と呼ばれる前は、ただの普通の地下市場だった。常に天災の危機に晒されている地区からすれば、珍しくもない。
……夜の帳が下りた後、灯火は地下へと移る。
……
何か言いたいことでもあるのか?
あなたとこんなに長く、こんなに遠く逃げ回ったのに、まだモヤモヤがたくさんあります。たとえば、あの記憶を失ったサヴラのこととか。
……はるか昔、ここにはある都市があった。イバテーの果てしない土地にあった唯一の移動都市だった。
都市を建設することは往々にして奇跡に等しい、当時の沁礁を治めていたパーディシャが精励恪勤したおかげで、イバテー地区は前代未聞の団結を見せた――その団結の象徴が、あの満天の黄砂を扇いだ町だった。
それから人々はパーディシャの下に団結するようになった、それにあの時代は今からさほど昔でもない、今でも多くの人は彼らの故郷のかつての栄光に沈んでいると、私は信じている。
だがいいことはそう長く続かなかった、天災が町を滅ぼしたんだ、伝説ではパーディシャが市民や労働者たちを避難させた後、集ってくる天災雲に声を荒げながら痛烈に叱責したと言われている、滅びを迎えるその時までな。
……叱責?天災にですか?
記録官がそう書き記したんだ、だが真相はそれに勝るとも劣らないものだったんだろう。
沁礁の偉業はその時に崩壊した、無数の人が一夜にして難民へと変わった。彼らは本来共に故郷を築き上げることができたが、あの町と共に……みな砂風の中で忘れ去られてしまった。
……
イシンはその中の一人だった。王族と新しいパーディシャは金を惜しんで都市の再建に乗り気ではなかった、であれば彼らの末裔たちはもう二度と故郷を建て直す方法を見つけられないだろうな。
それにより彼らは悲しみと怒りで満ちるようになった。それでおそらく彼らは……まだ“沁礁の地”を重んじてくれるどんな人に対しても、同様な尊重を向けてくれているのだろう。
だから……彼らはぼくたちを助けてくれるのですか、自分たちの同胞を助けるように?
だったら、ぼくたちはすぐにでもサルゴンを出られる、そうですよね?
すべて順調にいけば、今月以内にもサルゴンの国境を超えることができるだろう。
ウルサスに行くんですか?
そうだ。
どうしてですか?
やっぱりまだ分かりません、あなたがクルビアで何もかもを捨ててサルゴンにやってきたのは、ぼくたちの成果物を戦争の導火線にしないようにするためだけだったのですか?
君たちはその一連の連鎖反応が招く恐ろしい結末を予見できていないんだ。
……ならあなたはできるって言うんですか?
もしどうしても答えが欲しいのというのなら、私の答えは、“イエス”だ。
ぼくを殺して、その後にこの箱を破壊したほうが手っ取り早いと思いますがね……なのにあなたは今でもぼくにこれを持たせることを許している。
そうして欲しいのか?
……いや。
最初は……どうして自分はまだ独りで生きているんだって思っていました。でも今はもうそうは思っていません。
……ケルシー、もしぼくがこの箱をあなたに渡したら、あなたはぼくのために……ぼくたちのために何かをしてくれますか
君はイバテーの王族もそれに巻き込まれているのを知っているだろう、サルゴンからクルビアまで、どこにもこの陰謀の助太刀が潜んでいることも。
……それでもあいつらには代償を支払ってやりたいんです。
見てくださいよ、この箱を――この箱はもうぼくの唯一の交渉手段なんですよ。
だがそれを破壊した後、君は一文無しに――
――一文無しですって?
本当のことを言うと……ケルシー、実は最初から、ぼくはこんな箱なんか必要なかったんですよ。
どんな細かいところだって憶えている、ぼくならぼくたちの成果を再現することだってできますよ。
なっ……
もちろん、それなりに時間はかかりますし、更なる困難にもぶち当たるかもしれませんけど……でもぼくならできると思ってますよ。
もし本当にあなたが言うように、この源石エネルギー源は武器転用できるのなら――
……
……初めてぼくの顔をちゃんと見てくれましたね、ケルシー。ぼくを子供として、保護対象として見るのではなく、一人の科学者として、一人のクルビア人として。
どうやら私は君の年齢のせいで君の可能性を疎かにしてしまったのかもしれないな、エリオット。
安心してください、先生の成果をあの人殺し連中の好き勝手できる手段にはさませんから。絶対に。
ただこれを使って最後に成し遂げなきゃいけないことがありますけどね。
……君はソーン教授のこの研究の根源を理解できていない。
先生から聞きましたよ、技術の原型はとある考古学者隊がサルカズの古代遺跡から発見したものなんだって、移動都市に全く新しい上により便利なエネルギーを提供してくれることも――
――もう一度繰り返す、具体的な使用方法に基づけば、こいつはサルゴンの半分をも黄砂に沈めることが可能な品物だ。
……くっ……
……あなたは元から傭兵の首領でしたよね、万が一を防ぐために、まだ別の方法を考えているんじゃないですか、“顧問”?
例えば……今すぐここでぼくを殺すとか。あなたたちが最も得意とする手段で問題を解決できるんじゃないですか。
……
(嬉しそうな反応)
……
……
……部屋に戻れ。
なっ――
強がるな、エリオット、今の君ではそれらしい選択をすることはできない。
よく考えるんだな、一体自分は何をすべきなのかを。
どうも、感謝するよ、イシンはこれだけで十分だ。
そんな遠くまで行くの?
イシンは行かんよ……イシンはどこにも行かん。
そうかい、まあ好きにしな、そっちが金を出して、こっちがモノを出す、簡単な話さ。
テイクアウトもしてあげようか?
いや、必要ない、あのお嬢さんの行く先を多くの人に知られてはならんのでな……
(ケルシーの足音)
イシン。
おお、お嬢さん、準備はもうほとんど済ませた、薬品、食料、水、それと少しだが精錬された源石錠もある。
この車両は奪ってきた品物よ、ヴィーヴル人に四五回は改造されてるけど。
悪いところは、ちょっと見た目がボロいってとこかな。その代わりいいところはたくさんあるよ、性能は揃ってるし、使い勝手はいいし、おまけにグレネードランチャーだって付いてるわよ。
北に向かうんだってね?どこに行くの、まさかサーミかしら?わあ、本当に行けるの?
そちらへの支払いだが……
……直接純金で支払いたいの?だったらおつりはないよ、崩すの面倒臭いし。
イシンは支払いを惜しんだことなど一度もない、彼らが過去にわしにしたようにな。
へっ、なら毎度アリ!
(黒市の市民の去る足音)
今日はこのぐらいにしておこう、イシン。
わかった、お嬢さん……順調にいけば、三日以内に、出られるはずだ。
――リターニアのアーツユニットのパーツはそりゃ使い易いけど、邪魔くさい上に作りは雑だし、やっぱりクルビア産のほうがいいわね。
……モノを仕入れてきたはいいが、ミノス産の源石制武器って、彼らは……
――買ったのならいちいち後悔しない、ちゃんと分かってるんでしょうねアンタ――
繁盛、繁盛しておるな……イシンはここが好きだ。
あれだけの財と地位があるのに、あなたはなぜイバテーの別の場所で流浪していたんだ?
……イシンはサルゴン人を助けたいんだ、この考えがイシンを支えてくれておる、この無限に等しい命を。
サヴラ人の平均寿命からすれば、あなたは相当長寿でいる、アーツの作用によるものなのか?
イシンは……己のアーツも忘れてしまったわい……イシンはただぼんやりとだがこの源石水晶玉を弄るしか能がない、わしは最も輝かしかった時代を忘れてしまった、一体どんな仕掛けがこれにはあるのだろうな……
正常な生理疾患ではなさそうだ、あなたの大脳と身体はアーツの影響を受けているのかもな。
……ケルシー嬢。イシンは、沁礁の町が雨風に消え去った今日、おそらく、サルゴンの中枢でないとその手がかりは見つからんと思っておる……
そなたはあの伝説上の黄金の町に行かれたことはあるか?
サルゴンの王都のことだな。
基礎工業が次第に発達している今日でも、サルゴンの王都は依然と移動都市へ遷都しようとしない。
砂風が常にサルゴンの城壁を叩きながら、悠久の歳月を渡り歩いておる……
たとえ天災だろうとサルゴンの核心を震撼させることはできないだろうな。
イシンは己が忘却してしまったものはそこにあると信じておる。イシンはすべてを思い出すことができるかもしれんのに……そこには辿りつけられないとは……うぅ……
各地を治めるパーディシャと皇帝の恩寵を賜れた王族しか、あの砂風の最奥に佇む都市を拝むことはできないからな。
あなたは言っていたな、答えが欲しいと。
イシンはある夢しかを憶えておらん……果てしない熱土の上、軍隊が無人の地平線で争いを引き起こしたことしか……
――!
イシンは、蹄鉄が血腥い網を広げながら、彼らがサルゴンの最南端の地平線を目指していく場面しか憶えておらん――
待ってくれ、そんなこと――
いや待て……
なぜあなたはそれを知っているんだ……夢魘(むえん)と謳われたケシクの遠征はすでに数千年も過去の出来事だ……それと沁礁の町に一体何の関係が……
ケシク……夢魘の王の帳……イシンは、全部知っておるのか……なぜだ?
……
……あなたはかつて、夢魘の嗣子に仕えていたのか?
サルゴンの皇帝が、よもや夢魘の血を引くクランタをパーディシャに任命したというのか?
……イシン……は……
パーディシャ……沁礁のパーディシャ……イシンの主はクランタ?夢魘の末裔?
彼はあなたと共に見張り役の城壁へと赴き、己の血統には今なお誇りに思うほどの偉業が流れているとあなたに教えたのでは……
――!
城壁、そうだ、だがあれはただの城壁ではなかった、南、そうだ!南にあるんだ、サルゴン人ですら踏み入ることを厭う熱土に、人類未踏の大地の入口が――
……夢魘。パーディシャに任命された夢魘、そしてイバテー地区は、彼がかつて政治的偉業を行った中心地。
彼は王族たちの贅沢の限りを尽くした生活で保身に回ろうとしなかった、彼の征服に対する渇望は彼を……
……彼をこの砂漠の征服へと至らしめた……そうだ……パーディシャはこの黄砂を征服したかったんだ、民を連れて、新たな都市を……移動都市を再建するために……
歴史によれば、彼はあと少しのところで成功できたはずだ。
だがあなたは彼の命で見失ってしまったのだな、たとえ彼があなたに善意を抱いていたとしても、彼が死んで久しくとも。
わしは……
思い出した……
わしは番人などではない……パーディシャの腹心でもない……イシンはただの、彼の弄臣だったんだ……
……
いや……思い出したぞ……いやいやいや……あの夏の夜か?
ゴホッ、ゴホッゴホッ――
落ち着いて。
……
そうか……老いが数多の記憶を入り乱らせたのだな……そなたの言う通りだ……パーディシャは満天の夜空の下に彼の宮殿で宴会を開き、その場にいた衆人に語ったんだ……
いや……まさか……うう、ううぅ……イシンは……彼の栄光を享受する資格すらないのだ……ううぅ、うわああ……
あなたは彼のアーツの影響を受け、長い長い悪夢があなたの思考を歪曲させたのだな……だがこれは彼がわざとあなたに施したものではない。
……臣下が自ら願ったものだからな。何人たりともあの偉業の境地に、好奇心に、憧憬に、欲求に、人々を陶酔させるパーディシャの魅力に抗えぬのだ……
あなたは自分の夢で自分を見失ってしまわれたのだな。
ならぬ……ならぬのだ……なぜイシンは……
……
イシンは……しばらく落ち着きたい、落ち着かせておくれ……頼む、イシンを、しばらく一人でいさせておくれ……
……!
明日出発する。
……イシンはどうしたんですか?
彼はしばらく己を整理するための時間が必要でな。
悪夢に長い間うなされていたんだ、彼は夢の中で過去を受け入れようとしている。
どういう意味ですか……
その箱ももう用済みだ。
あれは本来最後の交渉手段だったんだが、サルゴンを離れるとなると、私たちにとってそれを持っても何の意味もない。
……これはぼくのものです。
ぼくの最後のものなんです。
……だから決定権を君に委ねる。
君はどうしたい?
……!
ぼくを無理強いさせないでください……
君を強迫するつもりなどさらさらない。たとえ君がその技術を復元できようと、本来ある形から……抜け出そうと、今ある源石基礎工業に頼れば、どうにでもなる。
……チッ。
しばらく迷った後、若い研究者は箱を下ろした。
彼は箱の中身が一体何だったのかすらほぼ忘れかけてしまったようだった。たとえずっと肌身離さずそれを守っていたとしても。
……これは……
青色の源石結晶が安定しながらも微かな光を放っていた。
……キレイ。
これ……本当にあなたが言うほど危険なものなんですか?
……簡易的なサンプルでは何の説明にもならん。それのコアとなる原理を把握すれば、一つの町を消し飛ぶ榴弾を作ることなど造作もない。
もしイバテーの王族あるいはパーディシャがそんな技術を手に入れれば、何が起こると思う?
技術は発展し続けています、邪なことを考えてる人なんて遅かれ早かれ手に入れますよ。
……率直に言おう、その源石サンプルは唯一無二のものだ。
源石としてみれば、その性質はなんら特殊な点はない、だがそれが今の形状に変った経緯を見れば違う、それは昔の探索で発掘されたものだ。
発掘隊はいつもたくさんの秘密を見つけられるものですね……
クルビアは三枚しかこのような源石サンプルを発見できなかった。だがこれらは例外なく……とあるサルカズの遺跡付近で見つかったものだ。
それらを破壊するとどうなるんですか?
サンプルの爆発範囲はすでに実験に投入されたあの電子装置類にはだいぶ劣る。だがそれの本来の性質は依然と私たちを別の危険に陥れることができる――鉱石病という危険にな。
そうですか。
さっき唯一無二って言いましたよね?それは結構、ならぼくにも方法はありますよ。
――待て!
よせ――Mon3tr、彼を守れ!
(不満げな嘶き)
少年は美しい結晶を地面に叩きつけて砕いた。
その瞬間、光がすべてを呑み込んでいった。
ぐあ――なんで、止めるんですか……!
……話を聞かなかったのか、あれは源石なんだぞ!
感染したいのか。
がはっ、がはっ……
だから何なんですか!?
……
感染者を忌み嫌ってるんですか?感染者が憎いんですか?ハッ。
ならちょうどいい、もうあなたに借りを作らなくて済みますからね――!
……私も感染者だ。
なっ――えっ――
ぐっ、あ……!痛い……!頭が……!
急性感染の症状か、応急処置が必要だ。
そんな、の、必要ない――!
私はただ君が数時間後に源石粉塵になって塵と化すのを防止したいだけだ。
君は誤った方向を進んでしまったな、エリオット。
君はただ自分の運命を粉砕しようとしたんだろうが、それは最も間違った方法だ。
うあ……ぐっ……ぐあああ!
……エリオット・グラバー。
今の君は感染者になった。君が自ら、選んだ運命だ。
はぁ……はぁ……ハッ!
ならそれは……いい運命なもんだな……
もしこの先厄災に見舞われたくない生活をしたいのであれば、こちらから様々な方法を提供してやらんでもないが。
いや……ぼくはただ……ぐっ。
こうすれば……きっと……この足枷を壊せる……そうすればぼくは……過去を振り切れると思っただけです……
……ごめんなさい……あなたを巻き込んでしまった……
そんな状況でも謝罪が言えるのだな。
だってぼくもあなたが憎いですから、ケルシー……
てっきり君はもう私をクルビア人として見ていないのかと思っていたぞ。
いや……そうじゃありません……
あなたは本当に自分なら他人の運命を変えられると本気で思ってるんですか……?
そんなことは一度も思ったことないさ。
けどあなたはそれをしてるんですよ、ケルシー……たとえ誰からもあなたのやってるとこは間違ってるって言われなくともね……
ハッ……でも今はもうすべてが終わった、そうなんでしょ?
……
ぐっ、はっ。
出発時刻は変更できない、だが君は今すぐ横になって安静になる必要がある。
……これが鉱石病というものですか?
人によって差異はある。
ならぼくは……もうアーツユニットに頼らずともアーツ装置の実験ができるようになるんですか?
君は体系的なアーツの教育を受けたことがないだろ、それにそんなことをすれば死を早めるだけだ。
なら言い換えると、できるってことですね。
……
うん……それはいいですね。
……その先を進めば、闇市を抜け出すもう一つの道がある。
この道はイシンしか知らぬ、誰だってそこを行ったことがないからな。
聖檀。
墳墓。
お嬢さん……もうこの道を阻むものはない。
……
……
エリオット。
私はウルサスに行くぞ。
……分かってますよ、今それを言ったのは、どういう意図ですか?
そこは重要ではない、私が聞きたいのは……まだ私についてくるかだ
君は本来クルビアに戻って、自分の事業を受け継ぐことができたはずだ、少なくとも、君があの選択をする前ならな。
……
それとも、ここに残るのか。
――!
イシンの言ってた通り、誰だろうと運命を操ることはできない。
彼が君を助けてくれる。
……お嬢さんがそう言うのであれば、イシンがお前を助けてやろう、坊や。
そんな今更……
私は君の未来を決定する権利などない。
たとえ君はあんな極端な方法で私に証明を試みようと、過去と関係を断ち切りたいと証明をしようとな、最初から、君はわかっていたはずだ。
――
戦争の阻止、サルカズ巫術の遺産が引き起こすサルゴンの内乱と、大規模な源石感染の阻止――簡潔に言うと、それが私の目的だ。
それってつまり……もう成功したってことですか?
じゃああなたは、あなたの計画で死んでいった人たちのことをどう思ってるんですか?
分かってますよ、あなたはぼくを助けてくれた、本来はぼくたちを助けることも、ぼくはあなたに恩があることも――でも、あいつらが犯した罪は何も“戦争を引き起こす準備をした”だけじゃないんですよ――
あなたなら見たことありますよね、きっとそうだ、ここに来るまで、あんなに戦いが起こったんだ、あなた一体何人殺してきたんですか?それと何人あなたとぼくを殺そうとしてる人がいるんですか?
パーディシャも、王族も、内乱はもうとっくに始まってますよ、まさかこの事態が終われば、あいつらはお互い嬉しそうに隔たりを下ろしてパーティを開くとでも言いたいんですか?
……君はサルゴンの貴族と王族たちの間に作用してる原理を知らないんだ、彼らの腐敗と傲慢さが彼らを引き留めてくれるさ。
じゃあそういうあなたは……何もなかったかのように締めくくり、離れるつもりなんですか?
ぼくにはできませんよ、ケルシー、申し訳ないけど……ぼくにそんなことはできません。
ならどうしたんだ?
……あいつらを全員見つけ出す。
……
サルゴンからクルビアまで。
一人残らず。
ふむ……執着か。
どうやらこの子はもう覚悟を決めているようだ、お嬢さん。
……
これは彼がした選択だ、イシン。
分かっておる、イシンは二人の考えを尊重するさ、なんせこのイシンはあまりにも老いた、イシンも火種を残したのだ……
ぼくを手伝ってくれるってことですか?
尽力しよう、坊や。
ありがとうございます。
それじゃあ、ケルシー――
そろそろお別れですね。
悪夢から覚めた老人の目尻には、旧日の栄光を含んだ涙がかかっていた。
若き研究者は思いに耽っていた、彼の心にある怒りの炎はとっくに感染による痛みすら覆い隠していた。
ケルシーは無言のまま。
流浪者は独りになって旅立った。
……お嬢さん、イシンへの対価を忘れないでおくれよ。
二十数年後、金貨一枚と引き換えに、この無力な魂を連れて行っておくれ。
……
Mon3tr、出発しよう。