
沈黙。怪異。掴みどころがない。よそ者。
彼らは自然とそう口にする。
暗い。冷血。見殺し。天性のバケモノ。
みんな陰でそんなことを言う。
そうね。
人は故郷を失えば、何者でもなくなる。
そう考えると、ここに来た私は、新しい生活を始められるかもね。
ただ、過去から逃れることはできない。あれは影に沿って自分の足を這い上がり、その人を泥沼の奥深くまで引きずり込もうとする。
誰も過去から逃れることはできない。
もしいつか、自分の故郷が自分のところへ……

2:33a.m. 天気/曇り
ロドス本艦、廊下

はい!この報告書を提出すれば、あなたの外勤任務を終了です。

ええ。

ちょっと待って、また……空白?お、オホン……

最初から最後まで、“クリア”の3文字しか書いてないじゃないですか!

ん?

任務は確かに終わらせたはずよ。

いや、そうなんですけど……

……もう少し書き込んでもいいんじゃないですかね!?

ん?

(どうしよう……想像よりもとっつきにくい?)

(前から彼女と全然話したことないし、今回は彼女の相手をしてくれって、チームリーダーに言われたけど……やっぱり相手にしづらいなぁ。)

(深呼吸)

ま、まあ、分かりました。

任務中の細かい点ですけど、もしドクターが疑問に思ってたら、またあなたに聞きに行きますのであしからず。

……ドクターが?

はい、ケルシー先生がスカジさんは先生に報告したくないかもしれないっておっしゃってまして……それとアーミヤさんに甘やかされ過ぎだ、このままじゃダメだ……とかも。

なので今回の任務をドクターに委ねたんです。

あの女、フンッ。

では直接ドクターに報告することで問題ないですね?ドクターは今不在ですので、何日間か休んでもらっても大丈夫ですよ、ドクターが戻ってくるまでは。

今提出してくれたこの報告ですけど、ホントまだまだめちゃくちゃ記入するところがたくさんあるんですからね!

……

面倒臭いわね。

まあとにかく、任務番号F1071、提出を確認しました、あとで再度記入を――

待って。

はい?

プロファイルを頂戴、思い出したから、もうちょっとは内容を補完できると思う。

あ!そりゃもう当然!じゃあお願いしますね。

(思ってたより順調に行ってる……)

それじゃあ、もうこちらの用事は済みましたので、戻ってしっかり休んで……ん?

……

顔色が急に変わりましたけど、何かあったんですか?

そうかもね。

え?ここ?艦内でですか?もしかして侵入者!?スカジさんの五感はすごく敏感だって人から聞いたことがありますけど、まさか……

いや違うなぁ、もし艦内で危険事態が発生したら、警報が鳴くはずなんだけど。

……歌声。

歌?なんの歌ですか?えっと、すごく静かですけど、歌声なんて全然……

ここに、なんで歌声が?

確かにちょっと雑音が聞こえますけど、でも歌ではないですよね?ロドスにある各計器類も作動してますし、可能性としては、機械による振動音でしょうか?スカジさんはまだ慣れてないんじゃないですか?

いや、匂いもする。

海の匂いだわ。

……スカジさん?それはちょっと冗談が過ぎますよ。一体何を言って……

え?ちょっ!スカジさん!
(スカジが走る足音)
スカジは焦りながら、間髪を入れずに走り去り、階段の通路を駆け上がった、エレベーターに乗る時の数秒の焦慮がその匂いを取り逃してしまうかもしれないと恐れていたからだ。
一人の狩人が海岸を行く♪
(スカジが走る足音)
彼女はこの歌が聞こえる。しかしこの艦にいるほとんどの人は、聞こえていない。
この言葉、この旋律が、彼女の記憶を呼び起こした。彼女は昔を懐かしむような人ではないが、それでもそれはあまりにも耳に馴染んでいた。
しかし……あってはならないのだ。この歌はここに現れてはならないものなのだ。
彼の背後にある故郷は、ただただ悲しみを嘆いて♪
(スカジが走る足音)
歌声がこの艦にあるパイプ内を流れていく。
海の匂いがハッチの壁からどんどん滲み出ている。
スカジもこの匂いを憶えていた。湿り気が彼女に近づいていく、彼女の皮膚は止まらず収縮し、強張っていた。
緊張していたのだ、しかし興奮でもあった。
まさか彼女が目を覚ました?スカジはさらに足どりを速めた。

(ドアが開く音)

スペクター!
彼女は医療ハッチのドアを勢いよく開いた。
しかしベッドは空だった。

……
おそらく目が覚めて身体を動かそうと外に出たのだろう。

待って……これは?
彼女は落ちてるそれを拾い、手に取った。

彼女のものだわ。
スペクターの金色のネックレスが無造作に地面に落ちていた。おそらくは故意によるものだろう。
彼女はこれを嫌っていた?彼女が今の自分の身分を嫌っているのは当然のこと。
教会、少なくとも海にあった教会で起こった出来事の何もかもは、ロクな出来事ではなかった。
でも……何かが違う。
よそ者。
なぜかは知らないが、スカジは突然この言葉を思い出した。
これはスペクターの匂いではないことにも気が付いた。
以前のスペクターの匂いと比べて、今ある匂いはあまりにも濃く、あまりにも冷酷だったからだ。自分はただ驚きのあまり焦っていたのではないかとスカジは自身を疑った。

近くにいるのは分かってる。誰?姿を見せて。
アビサルハンターだ。しかしスペクターではない。まさか生き残っていたアビサルハンターがほかにもいただなんて!
しかしなぜここに?
……スペクターは一体どこに?

……

……あなたが誰だろうと何だろうと知らないわ。出てきて。
(スカジが走る足音)
彼女は追わねばならない。何かがおかしいからだ。彼女は確実に相手が付近にいると察知していた。
スカジは部屋を飛び出した、一つの影が廊下の奥で瞬く間に横切った。
いや……二人だ。歌声はまだ響いている、相手は依然と歌を低吟していた。
スペクターは。スペクターはそのアビサルハンターによって連れて行かれたのだ。


遅いですわね。

いい加減来ないと、もう行ってしまうところでしたよ。

ハンターか!誰だ?
スカジはバッと飛び上がり、角を曲がった、彼女は無意識に身に付けてある使えそうな武器を探っていた。

――何のつもり?
その時彼女は真っ先に相手の視線に目を合わせた。

……待って、あなたは……
それは思いもよらなかった人だった。

スカジ。

元気そうね。

……あなたは……まさか二番隊隊長の、スペクターの隊長の……?

あなたは……グレイディーア……!?

お久しぶりね、スカジ。まだエーギルの歌を憶えてくれていたとは、嬉しい限りだわ。

スカジは彼女の顔から微塵も“嬉しさ”を見ることはできなかった。この女は、自分が彼女を知ってから、一度も表情を変えることはなかった。
スリムな女性がスペクターを抱えていた。この数年間、スカジが唯一知ってる生き残りのアビサルハンターであるスペクターは、今グレイディーアの肩に頭を寄せていて、得難い静かな夢を見ていた。
スペクターの隊長が最初の言葉を発すると同時に、歌声は消えていった。
スカジは茫然としていた。舷窓から入ってくる、陸地にしかない乾いた風が彼女のいささか乾燥気味な頬を優しく撫でた、彼女は思った、このハンターは生きている、グレイディーアは生きていた。スカジはようやくまた同類を見つけたのだ。
違う。グレイディーアが彼女たちを見つけたのだ。ただ……

……あなたはとっくに死んでたと思っていたわ。死を覚悟して私たちを行かせるために。あなたたちは全滅したと思っていた。

命は尊いものよ。あなたも生きていて嬉しいわ。

スペクターは生き残った、だからいつも思ってた、あなたたち二番隊にも実はまだ生き残りがいるんじゃないかって。

どうやってここを見つけたの?スペクターは……彼女はまだ病室に居させたほうがいいわよ。

……
スカジが最も厳格な印象を抱くハンターのうちの一人は、この時一言も言葉を発しなかった。
懐疑心がスカジの中で生い茂ってきた。

彼女は色々変わったわ。今の彼女はあなたを憶えているかどうかも分からない状態なの、それに身体が弱っているわ。

弱っている?ハンターは弱まることなんてないわ。

あなたは陸地に上がってどこくらい経つの?

地上の病、特殊な病が、彼女の身体を蝕んでいるの。この艦にいる人たちが彼女の病状を抑え込んでいるわ。

この数年間、彼女はまったく目を覚ましてくれなかった。今のスペクターはもはや別人よ。一体何が彼女をこんな目にしたのか私にも分からないわ。
グレイディーアは何も喋らなかった、柔らかな風が吹き込み、グレイディーアの髪はそれによってなびいて、彼女の眼光を遮った。

……グレイディーア。あなたはグレイディーアね、違えるはずがないわ。けど何をしてるの?彼女をどこに連れて行く気?

ハンターは陸地でなら自由に動けると思っていましたわ。もしかして間違っていたのかしら?

いいえ、グレイディーア……彼女は眠っているのよ。ついて行きたいかどうかなんて、あなたはまだ彼女に聞いていないでしょ?

ここにいるあなたの僚友たち、あなたかなり気に入ってるらしいわね。その人たちもあなたと同じことを考えているのかしら?

あなたなら思いのままにその人たちの背骨をへし折れるのに、その人たちに怖がられないはずもないんじゃなくて?

陸地の人たちが私たちに敵意を抱くことは普通よ、けどこの艦は違う。私が出会ってきた人たちはみんな違ったわ。

あなたが警戒を解いた理由がまだ理解できないのだけれど。

いいや……彼らをこの一件に巻き込ませたくないの、問題は私にも、彼らにもないのだから。
問題はあなたにある。
スカジは一歩踏み出した。

あなたのその行動にどういう意味があるのか、できれば説明してほしいんだけれど。

ハンターのスカジ。

――陸地にいても私は執政官の身分を使わずともあなたを拘束することができますのよ。

くっ……

けどあなたにそれを教える義務は私にはありません。

私はただ、あなたに知ってほしいだけ、この私が彼女を、自分の隊員を連れて帰ったことをね。それだけで十分よ。

……

どうして?

現時点であなたがそれを知る必要はないわ。

でもスペクターは!

――(エーギル語)――
その名前が完璧にスカジの耳に届く前に、グレイディーアはすでに舷窓から艦外の月色に溶け込んでいた、スペクターのぐったりとした身体も一緒に消えていった。
スカジは手を伸ばしてそれを掴み取ろうとしなかった、ピクリとも動かなかったのだ。
彼女は理解していた、グレイディーアは逃げれば、自分がどんなに追いかけても追いつけないことを。しかしグレイディーアはただただ逃げたかっただけなのであれば、自分にこんなメッセージを残すこともないと理解していた。
彼女は助けを求めていた、もしくは自分を誘い欺こうとしているのかもしれない。スカジは信じるも疑いもしたが、どうすることもできなかった。少なくとも彼女は何かをしろとも、何かをするなとも命令されていなかったのだから。
“塩風町”
グレイディーアはそれだけ言い残して消え去った。
スカジはそこに行くしかなかった。

塩風町。

……まったく嫌な再会ね。


……あなたたち、ここで何をしてるの?

おい、あいつスカジだよな?

確かに見覚えがある。画像のヤツとも似ている。

……お!はは、これで手間が省けたぜ……

スカジで間違いねぇ、張り込みしてて正解だったな。

うん?

おい、しかもあっちから頷いたぞ……それにあの剣を見ろ、マジモンのスカジだ!

スカジ、“大尉”を憶えているか?俺たちはそいつの金を貰ってるんだ、そいつの復讐のために、お前の命を貰いに来た!

バカ……このアホ!だからやめろつってんだよ!

そいつの金を貰って適当にフリをしとけばいいって言ってただろ!?何が復讐だ、何が懸賞金を貰うだ、んなことできるわけねぇだろ!

あの噂を思い返せ!彼女がマジモンだったら、この仕事で金なんか貰えるわけねぇだろ?命が何個あっても足りねぇんだからよ!

今のうちにずらかろうぜ!お前のそのオンボロを持って逃げるんだよ!

ペッ。

ならお前はベッドに逃げ帰ってママのおっぱいでも吸ってるんだな。ただの長髪の娘っ子だけでちびりやがって。手ぶらで帰るなんざ、言語道断だ!

そうだ!こいつがマジのスカジだとしても、スカジがどれだけ強くても、今のこいつは一人ぼっちじゃねぇか?

こっちは一人、二人……えっと、たくさんいるんだ!

けどあの凄腕の賞金稼ぎたちは全員ぶちのめされてたじゃねぇか?あの時も、あいつは一人だったんだぞ!

もう一度考え直せ、お前が毎回人数が多いから平気だって言った時、ロクなこと起こらなかったじゃねぇか?

そんな場面誰が見たってんだよ?俺から言わせれば、あの連中は、十中八九夜に酔いつぶれながらキレイなクランタの部屋に押し込んだに違いねぇ。

結局相手が懐からクロスボウを出して乱射して、全員の脳天に花を咲かせただけだろ。

噂なんざ所詮そんなもんだ、大げさに言わないと、あのハープを持ってる、吟遊詩人とか何とか、あいつらもメシが食えないだろうが?

剣を一振りしただけで五十もの山を切り開いたとか荒唐無稽にも程がある……なら俺は一発殴ればロンデニウムをぶち抜いてやれるわ!

スカジだろうが何だろうが、俺たちはここでこいつを殺す、そしたらほかとの金の奪い合いの心配もいらねぇ!それにほかの連中がこいつのクビにかけた懸賞金も加えれば、一生遊んで暮らせるぜ!

チャンスをあげる。今ならまだ見逃してあげる、あなたたちとイチャついてる暇はないの。

野郎ども、やれ!こいつをぶっ殺せ!

……

(エーギル語)腐った海藻は一番粘りが強まって張り付いてくる。

この悪質な賞金稼ぎたちの面倒臭さはいつまで経っても変わらないわね。
