あ、お帰り!ちょうど探しに行こうかと思ってたよ。
身体に砂がついてるけど……もしかして海に行ったの?
ええ。
行かないほうがいいって言ったじゃん、全然聞き入れてくれないだもん。
はやくお家に入ろう、中のほうが暖かいから。
大丈夫。
そう、じゃあこれあげる、食べ物を見つけたんだ。半分ぐらい縫い終わった服をチメネア叔父さんにあげたから、食べ物を少しだけ貰ってきたの、彼ならまだ食べ物はそれなりに残ってるから、たぶん気にしないでしょ。
冬入りまではまだまだ時間がありそうだし、もう少し頑張れば、使える布地もきっと見つかると思うし。
この貝の身は……
あなたたちは一体何を食べてるの?
きゃっ、そんなに掴んだら痛いよ……っていうか力が強っ!
あなたたちは一体何を食べているの?
か、海岸で拾ったものだよ!
ここの海に食料はない。なんの収穫も得られないはずよ。あの海ももう落ち着いてる状態にあるから。
だから、今日海岸に行っても、食べ物なんか拾えないってば。
その時にならないと……
その時っていつ?
(住民の足音)
百……
百だ!
(住民の足音)
わ!数字を全然気にしてなかった。もう百になったんだね。
何かの合図を得たように、街道の各地で散り散りになってた“忙しそうな”人々が徐々に集まってきた。
彼らはみなブツブツと同じ数字を口ずさみながら、とある缶詰を取り囲んでいた、人々は続々と、缶詰の中から何かを取り出しては、黙々とその場を後にした。
缶詰。
食べ物はどこから来てるのか、知りたいんでしょ?
潮が百回繰り返しすごとに、大人たちは今みたいに集まってきて、缶詰の中から貝殻を一枚取り出すの。
缶詰の中にある貝殻はほとんど白色だけど、中には赤色の貝殻も混ざってるの。
赤色の貝殻を取った人は、日が暮れた後に、海に向かうんだ。
そして翌日の朝になると、海岸には食べ物で埋め尽くされているんだよ。
その赤い貝殻を取った人はどうなるの?
海の中に潜ってそこで暮らすの。律法でそう書いてあるから。
あなたたちはそんなことをまだ信じているの?
じゃあその人はどこに行くって言うのよ?
(住民の足音)
……百、やっとだ。
おい、フエゴ、なんて顔をしているんだ?今日は素晴らしい日なんだぞ!
もうすぐ、私たちの中から、幸運な人が選ばれる。その人は私たちより一足先に、よりよい暮らしを送れるようになるんだからな。
明日になれば、新鮮な食べ物を、得られる。みんなまた生き長らえる。海に行く人だろうが、この岸に残る人だろうがね。
私……
そう焦るな。お前はもう十分大きくなった。すぐにでもこの偉大な、チャンスに、加わることができる。
そして今、お前も昔のように祝福してやるといい。かつての兄弟と姉妹をな。
プランチャ、お、俺……
なに地面にコケてるんだ。まったく。さっき、海に近づいて、足がふやけたわけじゃないだろうな。
なんでこうなったかは分からねぇ。お、俺腹が減った……もう力が出ない。これは病気だ……俺は死ぬんだ。
そうだ、貝殻は?俺がさっき取った貝殻はどこに……
地面に落ちてるぞ。
色は……赤色か?
俺は、海の中で暮らせるようになったか?
海の中に行けば、もう腹を空かさなくて済む。そうだろ、プランチャ?いい暮らしを、過ごせるんだろ。
お前も……えっと、司教様が言ってたように、俺を祝福して、くれるんだろ?
……
お前の見間違いだ。
ほら、お前の貝殻だ。よく見ろ、これは何色だ。塩水で目でもやられたか。
白?なんで白なんだ……見間違えたのか?そんな。俺の目、いいはずなんだ。
(ハープを取り出す)
お前もいたのか。
なるほど、ソレはそう使うものだったのか。
ゴホッ、プランチャ、お前が持ってる貝殻……お前、しっかり握りしめているな。血が流れていないか?赤いのが、チラッと見えたぞ……
祝福なら、生憎私は持ち合わせてないわよ。
お前は何も分かっていないな。
これでこそ意味がある。少なくとも、私には分かる、どこへ行くのかを。すぐに分かる。
何をしてるのですかあなたたち!?
あの恰好……審問官だ!
なんで審問官がここに?めったに現れないはずなのに。
前回審問官が来たのは数年も前……あの頃の私はまだ幼かったし、みんなひどい暮らしを送っていた。
町に食べ物はなくなり、たくさんの人が病気で倒れたんだ。どこもかしこもメチャクチャで、毎日人が死んでいったよ。
審問官は何人もの人を連れて行った。その人たちは二度と戻っては来なかったけどね。
それからの日々は少しずつ良くなったけど、まだまだ餓死、あるいは病死があった、でも少なくとも、えっと、少なくとも……
それに……あの人は審問官だ。
へぇ。
シーッ、詩人さん、彼女に睨まれたらおしまいだよ、今すっごく機嫌悪そうなんだから。
今ここで起こってることは、見てましたし、耳にも入っています。あなたたちは人を海に沈めようと図っているのですね……自分たちが何をしてるのか分かってるのですか!?
……
黙ってないで何か話しなさい!なぜ黙るのですか?変よ、ここは何もかもが変ですよ。疾病、飢饉……本来ならこういった避けられない事態を目にするはずだと思っていました。
しかし以前入ってきた情報によれば、こんなに時が過ぎてるのに、どうしてあなたたちはまだ生きてるのですか!
実際の状況があまりにも乖離していますね。あなたたちの状況は私が想像してたよりもマシですが、来てみればあまりにも惨たらしい!
あなたたちは――その行いがもたらされる結末をちゃんと理解できているのですか?
私を見て、そしてちゃんと答えなさい!私が誰だか分かってるのですか?
お前は審問官だ。
そうです、だから私の問いに答えなさい、市民たち!
これは海の選択だ。選ばれた人は、それを受け入れる。
違う!なにが海の選択ですか、まるで海自身に何かの意志があるような言い草ですね……なんて恐ろしいことを言うんですか!
私の目に映ってるには、あなたたちが集団で謀殺を働こうとしてるところです!海に入った人なんて、生きられるはずがないでしょ?あなたたちは……自分たちには無関係な人に刑罰を執行する権利があるとでも思ってるのですか?
海に入っても、死にはしない。
死なないなんてどうして言い切れるのですか?
じゃあお前は知ってるのか?
と……とにかく。私が分かるのは、海に入ったその人は死よりも恐ろしい末路を辿ることぐらいです。
そして今、私ははっきりと見ましたからね、あなたたちはあなたたちの中の誰かを脅迫しようとしている。
私たちは何も強要していない、その人は自ら選択したことだ。
その人が海に行きたいと願うのなら、私たちはそいつを止めるべきではない。律法では海に行ってはダメだとか書いていないからな。
根も葉もないことを、そんなの間違っています!
じゃあ、一体何が正しいのだ?お前は審問官なんだろ、なら私たちに正しさを示してくれ。
……少なくとも、私はあなたたちより何が誤ってるのかはハッキリと分かっています。
あなたたちは今許されざる行為を行っている。あなたたちが認めなくとも、悪の気配はすでに嗅ぎつけています――
(剣を抜く)
……
私の剣を恐れないとは。それとも、本当に謀殺とは思っていないのか。
あなたたちは死すら恐れていないのですね。もはやバケモノになりかけていますよ。
それとも……何者かがあなたたちをバケモノに仕立て上げようとしているのでしょうか。
いずれにしてもそれがあなたたちの狂気だろうと、それとも何者かに操られていようと、私は必ず悪の根源を見つけ出します、天に誓って!
私はもう行くわ。
え?
シビレを切らしたのは彼女のほうね、なら私には関係ないわ。
彼女って……誰なの?あの……審問官のこと?
彼女にも色々味わってあげたほうがいいわね。
ずっと色んな部屋を探し回ってるわね。
ついてこなくてもいいのに。
一軒一軒こうして探しても、本当にその探してる人が見つかるの?
見つかるまで探すまでよ。
町の北から南まで、西から東まで行くには、一日二日はかかるよ。
あなたがついてこなかったら、こっちはもっとスムーズに動けるわ。
あなたをここに連れてきた人はあなたが探してることを知ってるの?その人は具体的な位置とか教えなかったの?
……
はぁ、もうちょっとしたら日が暮れちゃうよ、少しは休もうよ。詩人さん、今日はどこに泊まるつもりなの?
どこでもいい。
私と一緒に帰ろうよ。言ったでしょ、北にある部屋は比較的にマシだし、みんなもいるし。
ほら、前回の鱗油も少しは残ってたから、チメネアおじさんがとっくに明かりをつけて、部屋を明るくしてくれてるよ。
必要ない。
(ドアの開く音)
スカジは適当に道端にあったドアを蹴破った。ドアの先は半分崩れてしまった部屋だった。
ここに泊まるわ。
この部屋にするの?随分と長い間人が住んでないようだけど。
気にしないわ。
ベッドどころか、平な地面すらほとんどないじゃん。横にならないのなら、どうやって寝るの?
立って寝たり、座って寝たりしてる、慣れれば体勢は関係ないわ。
すごいね……
変ね、吟遊詩人がどういう人なのかは知らないけど、あなたはその人たちとはなんか違う感じがするのよね。
歌が好きな人って、みんな明るくて元気な人だと思ってたわ。けどあなたは、口数がまったくない。
それに、ダンス好きな人って、あなたみたいに埃まみれな場所に座って、スカートを汚しても気にしないのかな?
そろそろ家に戻ったほうがいいわよ。
うるさくしちゃったかな?
ここはロクな部屋じゃないって、あなたが言ったじゃない。
でももう少し一緒に居たいの。
私は一人でも十分よ。
あ、そうだ。あなたって部屋にいる時、いつも外を眺めていたわよね。どこを見ているの?海辺、それとも教会?
夜にも外に出たいのかな?たとえば、丘を登って、教会に行ってみたいとか?
あなたには関係ないわ。
そうだね、私には関係ないね。ちょっと気になっただけだから。
……これあげる。
詩人さんのハープ?私にくれちゃっていいの?
いつもこれを見てたでしょ。欲しいのなら、あげる。
……キレイなハープ。
(ポロロン)
いい音色。でも私弾き方なんて分からないよ、それにあなたが弾いてるのが見たいだけだよ。
じゃあ何が欲しいの?
私はあなたの持ってるモノが欲しいから、あなたについて来てるとか思ってるでしょ?
でも私は本当にあなたにただついて行きたいだけだってば。
……
あなたはただ人を探してるだけ、そのお仲間さんを探してるだけだってのはちゃんと理解してるよ。
……確認したいこともあるから。
あなたってもう何年もその人を探してるんじゃないの?
ん?
私からすればあなたってこんな人なのよ。その人のことになると、あなたって急に目つきが変わるんだよ。あれは長い道を歩いてきた人の目。ペトラお婆さんもそういう目をする時があるんだ。
いいことじゃない。私に言わせれば、あなたはようやくその人から解き放たれたようなもんだよ。
どういうこと?
重いものを背負ってるってことだよ。
ちょっと意味が分からないのだけれど。
あなたが何年頑張ろうと、二三十年経ったら、あなたもその人も、きっとその重荷をおろしたいと思うはずだよ。
そんな長い時間頑張り続けられる人なんていないんだしさ。
一体なんの話をしてるの?
だから、あなたはかなり運がいい人なのかもって話。もうその人のことを探さなくてもいいんだよ。
……
ここはね、重荷を背負ってない人じゃないと長く生きられないの。頭の中でずっと何かを考えてちゃ、いずれ発狂しちゃうからね。
私はまだそんなに長く生きてはいないけど、でも発狂した人ならたくさん見てきたからね。
あなたには分からないわ。
あなたたちの過去は当然分からないよ。でも過去はね、いいも悪いも、たくさん積み重なったらいずれその人を押しつぶしちゃうんだよ。
ペトラお婆さんが毎回マヌエルという名前を出すたび、彼女の病がまた少しだけ酷くなったんだなって分かっちゃうようにね。
あなたはまだ若いんだから、そんな辛い暮らしをわざわざ送らなくてもいいんだよ。
……そんな簡単な話じゃないわ。
簡単かどうかは、話してみればわかるよ。
私はここにいてあげるから、聞かせて。
あれは……
頭に思い浮かばなくても、離れることはない。
考えないようにすればするほど、ソレはどんどん自分に纏わりついてきて、溺れさせようとしてきた……
ほら、お前も一杯やんな。
(ラッパ飲み)
ちょっ――一気に飲み干すな、少しはこっちに残してくれ。夜寝つけない時はこいつが頼りなんだからさ。
はぁ、やれやれ。お前ってヤツは。
自分は厄災だの、自分がフアンを死なせてしまっただの……こんな爺さんになった俺ですらまだお前を責めちゃいないのに、もう生きてるのか死んでるのかわからねぇようになりやがって。そんな調子じゃ責められるものも責められないだろ?
ったく、※イベリアスラング※むしゃくしゃする。
……ごめんなさい。
敵の目標はこの私だった。だから私に近寄っても、ロクなことは起こらないわ。
(酒瓶が割れる音)
なんだよ、お前に出会っちまった俺はツいてないって言いたいのか?
あなたも私から離れたほうがいいわ。
そうかよ、お前に言われずとも離れてやるさ。
……
もういい、別にお前の※ミノススラング※みたいな悪運を信じたわけじゃねぇが。こういう生業は元から流血は途絶えん。クソガキも俺の言うことを聞かなかったから、死んじまった、しかもよくわからんヤツの手によって。お前もどうしようもできなかったんだ、俺がどうこうできるわけないだろ?
この仇は俺には討てん。お前をどうこうする気にもならん。
この酒を飲んだ後は、お互い袂を分けて、自分の道を進もう。
……わかった。
……この野郎!お前はずっとその調子でいるつもりなのか?慰めの言葉が言えないのなら、せめて責め言葉ぐらいは言えるだろ!?
ここの言葉は今でもあまりよく話せないわ。
それは違う。お前はただほかの連中のこと友人とは言いたくないだけなんだろ。
まあいい。どうせもう別れるんだ、少しだけ無駄口を叩いてもバチはあたらんだろ。お前はこの後どこに行くつもりだ?
……わからない。
また昔のように、フラフラと放浪して、歯ごたえのない仕事を受けて、自分に指一本も傷つけられないようなヤワな敵をやっつけ、永遠に覚めることのない夢のような暮らしを過ごすつもりか?
……
スカジは思いっきり酒を痛飲した。しかしアルコールは彼女にまったく効かなかった。
……
じゃあ、私はどこに行けばいいって言うの?
あなたたち賞金稼ぎは、みんな金のため、生活のために生きている。
けど私はもうとっくに何もかもなくしてしまった。
野蛮で、無秩序。自動トイレすらない。こんなところに留まるつもりはないし、ここも私を必要としていないわ。ここに居座る理由なんかある?
脆弱で、無知蒙昧。欲深いくせに死ぬことは怖がるし、私のことを理解しようともしない、アレらに見つかったというのに、避けることもしなかった。
……理解しがたいわ。
(酒瓶が割れる音)
おいちょっと待て、これ以上酒瓶を握りつぶさないでくれるか?
……
獲物を斬って、敵を仕留める。それが私の天職。
彼らは死んだ、けど私だけ生き残った。私はなんのために生き残ったの?なんで災難はいつも向こうから来るくせに、いつも私を殺さないの……どうしていつも私の傍にいる人たちだけを殺すの?
フアンはいい人だったのに。
お前に言われずとも分かってるわ、このエーギル女!
じゃあどうして?どうして彼らだけが死ぬの?
私は待ち続けた、探し続けた、絶対に私の影を追いかけるヤツらを皆殺しにしてやるって、けど全然見つからないの、この目にすら映らないの。
なら私はどうすればいいの?みんなから距離を置く以外、どうすればいいっていうの?
誰か……誰が教えてくれるの?
わかった、わかったから。もうお前の勝ちでいいよ。
残りの酒は全部お前にくれてやる。そいつらを全部飲み干して、俺みたいに思いっきり泣いてみるといい、そしたらぐっすり寝れる。
無駄よ、試したもの。
なら夢を見るんだな、ハンター。お前にとって、夢のほうが真実なんだろう。もしかすると、夢の中ならヒントがあるかもしれん――たとえば、お前だけの、なんだ、宝の地図とか?
そいつを見つけるんだな。そしたらもっとマシな道を進められる。わき目もふらずに前に進め、その場でのたうち回るよりかはマシだろ。
宝の地図。
詩人さん?大丈夫?
なんだか苦しそうだよ……あなたのそんな表情は今まで見たことがないわ。
平気。
ずっとそれを握っているのね。あなたがそんなに大事にしてなかったら、てっきり良くないモノなのかと思ってたよ、あなたが怒って握りつぶしてしまうほどの。
詩人さんは……別に怒ってるわけじゃないのね。
これは彼女のものだから。
彼女?それって探してるお仲間さんのこと?そっか、本当に諦めるつもりはないんだね。
……彼女は重荷なんかじゃないわ。
彼女が……私を助けてくれたんだもの。私に一つも道を示してくれた。
もしその道を辿っていけば、もしかしたら答えが見つかるかもしれない。
詩人さんは、何を探しているの?
まだ分からないわ。自分は一体誰なのかを探しているのかも。それとも自分は何をするべきなのかを探しているのかもね。
あなたたちは……廃墟で何かを探してる時、何が見つかるかわかるの?
あはは、そう言われちゃうと、確かに分からないかな。
だから、見つからないと分からないのよ。
(ドアのノック音)
ここを開けなさい!
ヤバッ。
詩人さん、彼女に逆らっちゃまずいから、ドアを開けよう。
どうして?
……
あなたイベリア人じゃなかったのね。
なんだっていいわ。
あの人は審問官なの。審問官は……
ここにいるのは分かっています、上手く偽装できているとは思わないでください、この町に入った時点でももうバレてるんですからね!
ドアを開けなさい、市民、あなたは自分がどんな人を匿ってるのか分かってるのですか……
匿ってるって?ちがっ、私は別に、わざと匿ってるわけじゃ……
三つ数えます、それでも開けないのなら、容赦しませんから。
三、二――
(ドアの開く音)
一!ゴホッ、ゴホゴホッ、なんて埃まみれなの、かなりの間人が住んでないからか……
あ、エーギル人、やはりここにいましたね!
(斬撃音)
審問官はまるで空気が真っ二つに斬り分けられるほど、素早い剣捌きを繰り出した。
剣の下にいるはずだったスカジは腰を折り、奇妙な動きでスルリと避けきった。
剣にぴったりと張り付くスカジ、スカジに食らいつく剣、しかし剣は一向に彼女に触れられない。
は、速い――
詩人さんが……攻撃を避けた!?なにあの姿勢……全然想像がつかないんだけど。
詩人さんが椅子の……背もたれに立った?そこって人が立っていられるの?しかもすごく安定している!
そんなのまぐれに過ぎません!
逆に見てみたいですね、あなたのその幸運、どこまで続くんでしょうね?
(斬撃音)
また避けた!ビュンって――部屋の隅から隅へ。まるで暴風が巻き上げた海藻よりも軽く、素早い!
私にそんな棒っきれは通用しないわよ。
棒っきれ……ですって!?
なんたる侮辱……
その侮辱には相応のツケを支払ってもらいますよ!
(斬撃音)
わあ――パワーもすごい!椅子が裂けた、それにタンスも、地面までも亀裂ができてる!
も、もうこれ以上見てられない……でも詩人さんが……
あれ、何ともない?全部避けた?なんて素早いの!
いや……あれは避けてるんじゃない、詩人さんの足取りは全然乱れていないし、むしろ独特なリズムを感じる……
……き、キレイ。
汗水が若き審問官の赤くなった顔から滴り落ちた。剣を握りしめる彼女の手は依然と力が込められてはいるが、呼吸が徐々に早まってきた。
あちこち斬り分けられた狭い空間。しかしスカジにとって、広々とした荒野で呑気に歩いてるのとそう大差はなかった。
いつまで避けてるつもりですか、エーギル人?
あなたは自分の種族の人たち同様、私たちの国に忍び込む、人の目が届かないところでコソコソと――
ハア!
(斬撃音)
……剣筋がズレた?壁を斬った?
審問官は……疲れはじめてるのかな?
フッ、私の剣筋がズレることなどありません――
か、壁が崩れた!
よかったぁ、部屋のもう片隅にいて……
でも詩人さんの……退路が断たれちゃった。審問官はわざと斬ったのね。
さて――避けられるものなら避けてみなさい。
この剣を受け止めるがいい、これがあなたの罪への裁きです!
……面倒臭いわね。
くっ……そんな?
私の剣が、こうも簡単に防がれただなんて?
全力を出さなかったこちらにも落ち度はありますが……エーギル人、あなたは一体何者ですか?
吟遊詩人。
ウソをつかないでください!あなたが塩風町に入ってから、こっちはずっと見張ってきたんですからね。
とぼけても無駄ですよ……あなたみたいな吟遊詩人がいるもんですか!?
……ホセさんも骨折れ損のようね。
ホセ?
そんなことより海で何をしてたのですか、全部見てたんですからね!
(斬撃音)
審問官は剣を繰り出し、斬りつけ、突き刺す、剣捌きは徐々に速くなり、精確性も増してきた。
彼女はもはやただ目の前のエーギル人を攻撃してるだけではなく、次々と角度を変えながら、周りの空間を高速に斬り分けていた。敵にスキがないのなら、剣術を用いて相手にスキを生じさせるまで。
しかしスカジは全身スキだらけであった。彼女にはまるで防御する意思などなかったのだ。
機敏な剣撃はすべて跡を残さない残音の中へと消えていった。
さっさと白状しなさい!ここに潜入した目的はなんですか?
よそに口を突っ込むんじゃない。
す、すごい!
審問官を恐れてない上に、彼女を皮肉ってる?
いや、あれは皮肉なんかじゃないのかも。詩人さんの喋り方はずっとああだったし、私もようやく慣れた。でも……オホン、審問官に油を注いじゃったなぁ。
私は……審問官です!
イベリアで発生したことなら、何であれ私たちには口を突っ込む権利があります。
律法を犯したすべての過ちは……私たちが見つけ、解決する。
ここの海は様子がおかしい。アレの数もどんどん増えている。この町は間もなく……いいえ、あるいはもうすでに悪の巣窟に成り代わってるかもしれません。
(斬撃音)
白状しなさい、エーギル人。このすべての異常の原因は、あなたがもたらしてきた、そうなんでしょう?
アレらをここに集まらせるように、あなたは厄災をここにもたらしてきた――
ええ。
あなたはここの住民たちに異端の思想を吹き込み、彼らを海へ誘った。彼らを見てください、今じゃもはやあなたと同じようにおかしくなってしまいましたよ!
ん?
あなたも見てたはずです。ここの海で何が起こってるのかを。けどあなたの今の目は――
まったくもって無関心、という目をしています!
うーん……
そんな冷淡な普通の人がいるもんですか?それでよくも自分はやってないと言えますね!?
逃がしませんよ、エーギル人――!あなたたちはまだこの国に災いをもたらすつもりですか?あなたたちが何を企んでいるかなんて、もうお見通しなんですよ!
え?
審問官は一体何を言ってるんだろ?
詩人さんはここに来てまだ全然経ってないのに……それに厄災とか、おかしくなったって何のこと?
海に入るのって……私たちの願いなんじゃないの?
それにエーギル人ってなんだろ?
全然わかんないなぁ。
(斬撃音)
あなたじゃ私の相手にはならないわ。
ものは試しですよ?
時間の無駄。
チッ。それは確かに。あなたに無駄な時間を割くべきじゃありませんでした。
最初から――コレで対処すればよかったんです。
審問官は突如と剣を収めた。そして腰の辺りから銃を取り出し、両手で握りしめ、スカジに狙いを定めた。
え!?
(スカジがアニータを突き飛ばす音と爆発音)
しゃがんでて。出てきちゃダメよ。
フッ、エーギル人、これで私の強さを思い知りましたか?
(スカートの裾を払う)
穴が開いちゃった。もうこのままホセさんには返せないわね。
なっ……ウソ!無傷ですって!そんなバカな?ちゃんと狙ったはずなのに!
まだ続ける?
あなたのその武器。あんまり扱えきれてないようね。
じゃなきゃ、今も私と会話してくれるはずないもの。もう一回ちゃんと狙ってもいいわよ。
そんな……
あなたの言ってることだけど、私には分からないし、興味もないわ。
あなたとは……
一筋の光が宵闇を突き破り、スカジの顔へ直撃した。
光は街道の端から放たれていた、そこへ明かりを携えた人影が現れた。
スカジは相変わらず無表情だが、さきほどのうんざりはすでに消えていた。
しかしあまり明るいとはいえない光が目に入ったその瞬間、審問官の目には輝きが戻っていた。