崩落した洞窟内は、死にゆくバケモノの膨れ上がった肉体がその大半を埋め尽くしていた。本来なら異質な美しさすらも放っていた肉体は自身の死に対する畏怖によって徐々に硬直していった。
そこかしこで水が漏れてるわ。そいつを仕留めて、さっさと撤退しましょ。
なぜ貴様らみたいな目先のことすら見えない凡人どもが生き残り、私のような偉大なる目標に命を投じた人が……失敗せねばならんのだ?
盲目で、進化の流れを堰き止めたエーギル人の飼い犬め……貴様らは科学と未来に……なんの利益にもならんというのに!
私は……私は真理に近づいていたのだ!なのになぜここで死なねばならん!?なのに貴様らは……なぜ受けるべき残酷な刑罰から逃れられるのだ?
私は長きにわたり歩み続けてきた、私の意志も肉体も、あと少しのところで人間の身体の束縛から解放されたというのに!なぜだ?
なぜだ?なぜだ!?なぜだァ!!
黙れ。
……
エーギルは……滅ぶ定めにある。貴様に残された道などどこも……どこも……
愚かね。私が生きてさえすれば、私はエーギルのままでいられる。そして私が生きてさえすれば、エーギルも生き残る。
……しかし……貴様は……
滑稽……あまりにも滑稽だ。
貴様はほかとは違うではないか。ふっ……貴様の定めはほかとは違う……
貴様自身もよくそれを分かっているだろ。己の運命はすでに定まっていることを。
これ以上無駄口は聞きたくありません。大人しく死んで頂けますか、お互いそれが本望のはずです。
呪ってやる……呪ってやるぞ……陸が沈むその時まで……貴様らは塩粒のように、海から逃れられるだろうが……最後は必ずまた海へ溶けていく。
貴様らの遺骨が堆積した貧相な荒原と陸を、我らの怒涛なる潮騒が夜空の下で沈めてくれよう!
グレイディーアは自身を抑え込んでいた。彼女が向けた最後の礼儀は自身の青白い顔ですら隠し通せない嫌悪だった。
絞り上げた嗚咽のような声がグレイディーアに伸びた触手から聞こえる。
しかしハンターに触れる前、触手は硬直し、ピクピクと痙攣し、丸く縮こまった。
主教は死んだ。彼のすべてもやがて忘れ去られるだろう。
グレイディーアはスペクターとスカジを見ていた。
やっと死んでくれましたわね。これで一件落着……この手で殺してやりましたわ。けど想像より嬉しくないですわね。
彼らがわたくしにしでかしたことと比べて、あまりにも優しすぎる死です。それに一人殺しても、まだ二人残ってますもの。
うっ、まだ眩暈がしますわね。わたくしはどうやってここに来たのでしょうか?まるでずっと夢でも見ていたようですわ。
スペクター?
なんせ……ずっと目が覚めていませんでしたものね。
ヤツらの尻尾はもう掴んでいる、そして今それを辿って、丸ごと引っこ抜けば、必ずあなたを治す方法が見つかるわ。
今はまだ大丈夫です。アレらも今じゃわたくしをコントロールできていませんし、清々しい気分です。ようやく……自由になれました。空も飛べる気分です。
しかし、隊長、話は全部聞いていました。
ヤツは私たちもいずれ海嗣になると言ってましたよね?なら隊長は、とてもとても、強力な種になるのでしょうか?
ならない。
アイツらと比べてあなたは違うから。
私の独断であなたたちを傷つけていなければいいのだけれど。
いくつか質問があるから答えてほしい。
何なりと。
私たちの体内には海嗣の血が流れてるの?
ええ。
あなたがここに来たのはスペクターの身体状況の原因を確認するためだった。あの一撃を受けたのはなぜ海嗣は私を探していたかを知りたかったためだった。
そうよ。
ここにいるのは主教と海嗣だけじゃないってとっくに知っていたの?
ええ。
私たちのあの自殺行為に等しかった決戦のあと、私が何をしたか知ってるの?
それは知らないわ。
じゃあ私たちは勝ったの?
それも知らないわ。エーギルと連絡が途絶えてしまったから。
……じゃあ私たちはエーギルの捨て子なの?
もしそうだったら?アビサルハンターは撒き餌だったことになる。
もしそうだったら?アビサルハンターは海底にある小魚を引き寄せる淡い光だったことになる。
もしそうだったら?アビサルハンターの力は強力だ、しかしエーギルはその数万倍もある。
もしそうだったら?アビサルハンターが特殊なのは、明らかに海のバケモノと関係があるだけだからだ。
怒りの炎がスカジの真紅の目で揺蕩う、しかしわずかな希望も垣間見えた……
どれが本当で、どれがウソなの……?
捨て子じゃないわ。
わかった。行きましょ。
あっさりしてますのね。
悩む要素なんてないからよ。私は結局のところアビサルハンターだから。
……二番隊の人たちもそうじゃないの?
アビサルハンターならみんなそうよ。
もうすぐここが崩れるわ、それに……
主教の死体に引き寄せられたのか、恐魚たちが洞窟の裂け目から這い出てきた。
びっしりと、おぞましいほどに。
三人の狩人が海岸を行く♪
チッ、数が多すぎますわね。
スカジ!もっと精を出しなさい!腕と足が傷ついてないでキレイなままなのはあなただけですのよ!
無茶言わないで……こっちはもう引き千切りすぎて手がしびれてるのよ。あなたさっきソイツらの口に手を突っ込んで真っ二つに引き裂いてたわよね、それっていつだった?
三秒前よ。
グレイディーアはクルっと身を翻し、手をバケモノの口に突き刺し、貫通させた。そして素早く腕に力を込み、ハンターの力に耐えられなくなったバケモノの肉体は、生きたまま内側から引き裂かれ、投げ捨てられた。
そして今ちょうどよ。
ダメね。あの死体がある限り……恐魚の勢いは止まらないわ。アレがヤツらを呼び寄せている。あれが碇よ!
でしたらあの死体を消滅させなければいけませんわね……埋めるだけじゃ不十分ですし……
私がやるわ。
その大きな風穴が開いた身体でですか?
あなたたちは先に――
(ケルシーの足音)
突如、とある姿がハンターたちの目の前に現れた、スカジは彼女の顔を見て、思わず驚愕した。
ハンターたち、はやくここから脱出しろ!
どうしてあなたがここに!?
話はあとだ!Mon3tr、行け!
道を阻む恐魚たちを自前の鋭利な刃でズタボロに切り裂きながら、Mon3trは教会の頂上へと飛んでいった。Mon3trの口には黒い球体が形成され凝固していき、教会へと吐き出した。
その直後町全体が大きく揺れ、教会は崩壊した。
主教と彼の秘密は永遠に葬られた。もう誰も知ることはできない。