ここはもう君がいられる場所ではなくなった。
逃げよ、逃げよ。戦士よ、君の悲しき運命はすでに定まった。君に相応しい生への責務はもはや存在しない。
そうだ、君の生は、私たちにとってなんの意味もなさなくなった。
……そうして、敵の勝鬨に怖気づいたわけでもなく、また残忍な相手の叫びによって退いた戦士は、ここに逃げ込んだ。
アクロティリ、ミノスとサルゴン周囲のある村落地域
身体が健やかな若き戦士すらも病床に伏してしまうほど憂鬱な雨が連日続いた。
ましてや、意気消沈し落胆した哀れな人がそれに耐えられるはずもない。
一体どんな経緯がこの若き彼女を故郷から追い出させたのだろう?
一体どんな過去があれば彼女は自分の恋しい故郷を振り返った時に心の壁を閉ざすようになってしまうのだろうか?
そんなこと、彼女は誰にも知られたくなかった。
逃げなさい、見知らぬ土地へ。
そして――
様子はどうだい?
もう二時間はあっちでバタついてたが、今ようやく安静になった。俺たちが見に行った時はまた10メートル先に進んでいた。
彼女がもしプロのスパイだったとしたら、体力を温存するために死んだフリをするはずだ、俺たちの注意を惹きつけるのではなく。
恐ろしい罠かもしれない、ミノス人に善意と同情心を生み出させ、危険を顧みない善良な行いをさせるためのな。
そうか、もしミノス人だったら、良心が耐えられないほど痛んでしまうからな。異郷の戦士よ、彼女の挙動をどう思う?
ふん、ありゃペテンだな。
俺からしてみれば、罠の可能性だって十分にある。あんただって知ってるだろ、サルゴン人どもの汚い策略のせいで、この村はずっと……
それはそれ、これはこれだ。私が君に彼女の様子を伺わせたのは、憶測や疑うためではなく、彼女は無実だって証明してほしいからだよ。
村人たちの安全を考慮してくれてことには感謝しているさ……
(冷笑)
……善意だろうがなかろうがね。サルカズの戦士よ、彼女の今の様子はどうだったか、それだけ教えてくれればいい。
簡潔に言うと、あのままじゃコロッとおっ死んじまうな。
持っていた装備と武器を見るに、彼女はサルゴンからやってきた戦士だったんだろう。だが今じゃミノスの土地で、水から出た魚のようにバタついてるだけだ。
彼女だけだったか?
今のところはな……その後のことは、分からん。
うーん、だとしたら……
なあ、“パラス”祭司。
なんだい?
出過ぎたマネをしたいわけではない、だがミノス人が俺を雇い、あんたが俺たちを指揮している以上、これだけは言わせてもらいたい――
あんたはただの看護師ではないのは分かる、ましてやただただ単純で、善良で、同情することと許すことした知らないバカな祭司じゃないってことも。
あんたはミノス人の指揮官であり、ここの民族戦士を育ててる指導者であり、ここにあるミノスの村々が信仰してる“女神さま”とやらだ。
あんたは今彼女を受け入れ、人々を代表して彼女をもてなし、彼女の砂や塵を洗い流し、自分と同じように彼女を尊重しようとしている。まあ、あいつはあんたが見つけたんだしな。
だが現状、あの戦士ちゃんにはっきりと分かることは、十中八九サルゴン人であることだ――
サルゴンと停戦協定を結ぶまで、彼女は依然としてミノス人が警戒と対抗すべき敵であることに変わりはない。
……
戦士よ、君は自分の態度をやわらげて示し、持てる自分の知恵を見せてくれたのだね。尊重と責務に則り、私もその言葉に耳を傾けるべきなのだろう。
ただ君の言う通りではある、私たちの判断が差別を生み出してしまいかねない。悲しくも、直面しなきゃならない事実ではある。
私は確かに彼女を受け入れようと考えているよ、少なくとも治療だけは絶対に施してあげたい。
彼女は若い、それに今じゃ虫の息だ、だがどうであれ、私たちにとって彼女は無害だって信じてあげようじゃないか。
彼女の背後に数百数千ものサルゴン兵が潜んでいるかどうかは、君が確認しておくことだよ。
今は危険な状況でもないんだし、戦時中でするような言い訳で助けられる命を見殺しにするわけにもいかないよ。
(余計なことをしやがって。)
余計なことをしてると思う人も当然いるかもしれない。だからほかの人たちには自分たちの仕事に戻ってもらって君に彼女の様子を見させたんだよ。
サルカズ人よ、哀れなサルカズ人よ。君たちは自分たちが生きる道のために、冷酷と無情さを表に出している。言い換えると、君たちのほとんどは冷酷さを己の誇りと見なしている。
その人にはその人の得意なことをやらせよ、私はこれを基準に命令を下してきた。
だから君も自分の使命に従事しなさい、ほかのことは……自ずと解決する方法は見つかるよ。
であればあんたは文字通り俺の言葉に耳を傾けただけで、考えを変えるつもりはないんだな、なら誰が彼女の様子を見ても変わらないじゃないか?
君はここで三か月は傭兵をやっているよね、ならここの人々がどういう人間なのかは分かってるだろ。
もしミノス人が、二時間どころか、十分もあれば、彼らの疚しさはその純粋な心を蝕んでしまう、己の良心に抗うこともできず、危険を顧みずに救いの手を差し伸ばせてしまう……
そんな場面で、もし裏切り行為が起こってしまったら、村人たちの真心はどれだけ揺れ動かされてしまうのだろうね。
ハッ、結局のところ、あんたもここの村人たちのお人よしを認めてるじゃないか、敵かもしれないヤツの命もこんなに重んじてやってるんだもんな。
言いたいことは分かるよ、サルカズ人。村ではあなたを認めた人だって出てきている、お年寄りの方たちもまるで孫のように君に接している、善意による受け入れだよ。
しかし君は違うものを求めているものね。愛、少なくとも私たち異種族からの愛と、君が得ようとしてる報酬を比べたら、なんとも無価値なんだと君は思ってるのだろう。
俺たちにとっちゃくだらないものだからな。
君たちには君たちが進む生きるべき道がある、それを深入りして聞くことはしないよ。
けど私には分かる、さっき私が述べたサルカズ人の振る舞いを――君も最初はそうだったんじゃないかな。私たちが初めて会った時、君は純粋ならざる善と、不完全な悪の心を抱いていた。
けど今はもう違う。ミノスの兵士たちと、村人たちと触れ合うごとに、君は考えを改めた、己の意志で武器を振るう賢い戦士になった。
君が警戒するのも無理はない。ただ、敵側のサルゴンはこの時に襲撃する理由はない、ましてや“惹き餌”を撒くような卑劣な手段を使う必要もないと、今回私はそう判断した。
善良なる人の心を利用して罠を仕向けるより、サルゴン人は堂々と正面から突っ込んで、残忍な虐殺の策略を大声で宣言することを好むからね。
わかったわかった、もうあんたに従うよ。
じゃあ今は、一先ずこちらのサルゴンからやってきた若き戦士さんに目を向けよう。
君の言う通り、私は彼女を助けたい……
けど君が警告した通り、何も考えずに彼女を村に連れて帰ることも賢明とは言えないね。
見た感じ明らかな外傷とか、少なくとも手術が必要な傷は見当たらない。
私が彼女を治療するよ、結末がどんなであれ、責任は私が負うから。
つまり、俺があんたのためにテントを持ってきて、国境から2キロも離れていない場所で、ましてや駐留軍拠点よりも遠いここで彼女を治療するっていうのか?
うん、軍の拠点にいても大差ないと思うけど……
自分の身分を忘れるな。あんたは村人たちが拝んでる対象であり、彼らをサルゴン人の束縛から解放してくれる希望なんだぞ。
あんたは彼らに“勝利の女神”と呼んでいるほど慕われているんだ、なのにあんたはこんな危険な場所で……
兵士よ、言葉遣いに気を付けなさい。
……チッ。
ある無辜なる若人が、二時間も耐え忍び、自分の意識を保ち続けている、生き残るために。
彼女はすでに君の試験を通った――最も敏感で警戒心が強いサルカズ人のね。それに君は彼女がスパイもしくは罠である証拠を掴んでいない。
それに対して、私の心の内はすでに疚しさでいっぱいだ、もう見て見ぬフリはできない。
あんたがそうカッカしても俺は何も言わんさ。だが……あの娘が目を覚めた後、あんたとこうして話ができるかどうかは、俺には保証しかねるがな。
とっさに対応できるよう構えておくことだけはしときな。
……
若きサルゴンの戦士は、この時夢に苛まれていた。
彼女は自身の気迫により辛うじて身体を前へ進ませていたが、いつしか視界は暗闇に支配されていた。
彼女は久しぶりに長い間眠りに入っていたのだ、そしてふと温かみが彼女を包んでいた。知らない温かみだ、それにより彼女は夢の中でさえ警戒心を解くことはなかった。
そして、彼女は夢から、温かな罠から、皮膚に感じる温かみから逃れた。
……誰。
やあ。目が覚めたかい?
……!
そう強張らないで、さっきまでずっと寝ていたね……
クランタの兵士はすぐさま立ち上がり、周囲を警戒しながら見渡した。
狭い空間には彼女、見慣れないフォルテの女と、細々と置かれた物品だけだった。
……わかった、自分の武器を探しているんだね?ここにあるよ、はい。
……
クランタの兵士はすぐさま自分の武器を奪い返し、そして寸分も躊躇せず、モーニングスターを相手に振りかざした。
しかし狭い空間では彼女の行動は制限されている。武器は周囲のテント布に当たり、鈍い音を発するだけにとどまった。
目の前に依然と座ってるフォルテの女はまったく驚く様を見せなかった。
判断が速く身のこなしも鋭いね。未知なる来訪者よ、相当な訓練を積んでるようだね、それに自分の実力にも自信を持つ兵士と見た。
けど残念だけど、ここじゃあまり動くには適さないだろうね。
……
今のあなたはこちらの質問に答える権利しかない、さもないと、私のハンマーと盾があなたを潰します、ゴホッゴホッ……
わかった、わかったよ、そちらが許してくれるまで、こちらも質問に答える以外口を出さないでおこう。
ここはどこですか?
私のテントの中だ。君を治療してた、それに君を休ませる場所も必要だったからね。
余計なことは喋らないでください!テントの外はどこですか、誰がいるのですか?
私たちの兵士がいるよ、ミノス人の。
(※サルゴンスラング※、私はいつの間にミノス兵と関わってしまったの?)
君はサルゴン領土側からこちらにやってきて、ミノス領土の辺境で倒れたんだ。兵士があなたを見つけた時は、まだ地べたを這ってでも前進しようとしていたよ。
……ここはミノスの領土内?
君の荷物を片付けてさせてもらったよ、そちらの足元に置いておいた。
お腹も空いてるし疲れてるだろう、疲れ果てて道を急いでたせいかコンパスが使い物にならなくなったのを知らなかったのかな、方角を判断できる機器も全部どこか壊れていたよ。
……
君が聞こえている通り、外にいるのは全員ミノス兵だ、もし独り身で、暴力で対話の権利を得ようと考えているのであればおすすめしないよ。
このテントからどう外に出るからは君次第だ。まずは話し合って、それから安心して外に出ることだって可能だ。あるいは交渉を拒否して自分から去ることもできる、まあいい選択とは言えないけどね。
襲ってこないって証明するのですか?
私は祭司をやっている。信仰への尊重に則り、ここの村人と兵士たちはみんな私の指示に従ってくれる。
あなたたちが何者かは知っています、けどそんな話は聞いたこともありません。
ここは今もサルゴンの部族と争っているだろ。もし君が暮らしている場所がここからそう遠く離れていないのであれば、おそらくサルゴンの集落で耳にしたことはあると思うけどなぁ。
……じゃあここはアクロティリ近辺?
その通り。
その、サルゴンからの客人よ、お名前を伺っても……?
許可できません。
うーん、公平な交流ではないと言えど、私にとっては少々不利だなぁ。
クランタの兵士が眉を顰める、まるで安静に思考を巡らせ現状を整理するかのようだった。
さっき、私はミノスの領土内で倒れた後、あなたがずっと私を治療していたと言ってましたか?
情け無用な兵士たちに尋問されるより、私がやっておけば少なくとも談話できる可能性があるかもしれないと踏んだからね。
談話?
君との談話だよ、若いサルゴンの兵士さん。
君は突如こちら側とサルゴンの国境線付近で倒れこんだ、お腹を幾度も鳴かせながらね、後ろには援軍なり追っ手を見かけなかった。だから君は敵じゃないのかもって、私はそう考えたんだ。
ここの王族は、確かロクなやつじゃなかったはずです。
戦争はあなたたちとあいつらがやってることであって、私には関係ありません。私はただ先を急いでるだけなんで。
おお、やはりそうか!だとしたら、武器を下ろしてくれないか、無辜なる人よ。どうか私と平等に交流しよう、こちらも誠意をきちんと示したいからね。
は……話が分かり辛い。何を小難しい言葉を使ってるのですか。
ふぅむ、戦士たちも時折そうやって文句を言ってくる、だがこれは不本意だ。英雄殿では、みんな私を一番親しみやすい祭司って褒めてくれるのに……
とにかく、私はあなたたちの兵士とも、長官あるいは誰とも顔を合わせたくありません、今の私はもうサルゴン軍の傭兵ではなくなりましたから。
ただここからさっさと離脱したいだけです、ほかのことなんてどうでもいいです。
そうかそうか、であれば……
(ゴクリ……)
……
……えっと。
無辜なる戦士よ、歳若くも勇敢に密林を越えようとする旅客よ、そうだな、まずは武器を下ろして食事でもしたらどうかな?
私は別に……うっ……!
余計な気力を消耗してまで立たなくてもいいんだ。安心して、私は村の祭司、君に治療を施したい。
だから、談話することなんて何もありません。
(ゴクリ……)
(ダメだ、お腹空いた……)
先にご飯にしよう、名の知らぬ旅客よ。君の武器は破損していないが、身体は過度に疲労しきっている、戦士の素養を持つあなたが安心できる状況ではない。
君は過去にそれほどミノス人と交流したことがないんじゃないかな、もしくはただ噂を耳にしただけかと。ミノスでは、私たちの兵士は命令を受け取るまで、一歩たりとも動いたりはしない、退くことも決してないんだ。
ただご理解して頂きたいのだが、今は特殊な戦時中だ、君への警戒も少なからず必要となる、ただ、ミノスの兵士はみなとても礼儀を重んじているのは確かだ……
じゃあなぜ私を助けたのですか?
これも一種の培われた美徳と言えよう、善良は時として客観的な判断に融通を効かせてくれる。
じゃあ手元に置いてある武器は、どういう意味ですか?
あ……これはだな、私と同じような武器を持っていたから、そこから端倪があるのではないかと思ったんだ。
やはり……!
待て待て、とりあえず話を聞いてくれ。まず、無辜なる客人よ、君の武器の作りはとても精巧だ、きっとサルゴンの名のある武器職人の手によって製造されたんだろう。
君もきっと大切にそれを使っているのだろう、だから、ほら……私の武器から、君もこれがどのように使われて、私にどのような実力があるのかが分かるのではないだろうか。
……
ほら、君は私を疑ってるように、私も先ほどまでは君の正体に懐疑心を抱いていた。
しかし今の自分の様子を見てみろ!見るからに力はすでに尽き果てているし、装備もリュックの品物も過度に使用されている。
それに一番重要な点は、君の武器は新しい傷がついた痕跡がないことだ。つまり君はしばらくの間戦闘に参加してないと説明ができる。それらを鑑みて、私は君を恐れる必要性はないと判断した。
……だから、息の根を止めるつもりですか。
そうではない!私にとって武器とは決して君と交渉するための材料ではない。だから、私はこうして武器を地面に置いてるではないか。
それにほら!サルゴンの旅客よ、今はとりあえずこの食事でも食べて飢えを満たしてくれ。私はすでに君は私たちの真の敵とはなんら関係はないと信じているからな。
君が今後どのような選択を取ろうと、このタダで食べられる料理は、君の力を考慮するにあたってあまり長い間放置しないほうがいい。
……お、やっと出てきたか。
サルカズ人……
なんだ、俺の図体と角を見て怖気づいちまったか?
なっ……!
嫌悪感に、恐怖心も少し抱いているな、そんな初見で人を憚る目なんざたくさん見てきたから分かる、※サルカズスラング※。
どうか大目に見てほしい、勇敢なる戦士よ。君はここにいてもなんら過ちではないさ。
ふん、祭司さまはそう思ってるだろうが、こいつはどうだろうな?あんたの言うことを全部聞いてくれるようなお利口さんでもないだろ
……祭司、あなた言ってましたよね、外にいるのはミノス人だけだって。
みんなとっくに昼飯時なんだよ。飯を食い終えても酒を飲んで、歌と詩を詠わないと帰ってこないさ、だから俺みたいなサルカズがここを見張ってやってるんだよ。
むぅ、私からの戒めはやはりまだすべて聞き入れてもらえなったか、本来ならミノス兵たちの善良さを見せてやりたかったんだが……
顔を合わせなくて本望です。
すぐにここを立ち去ります、あなたたちの戦場で暇つぶしするつもりはありませんので。
おや、もう行かれるのかい、恐れ知らずの旅行者よ?
アクロティリで最も盛況な村はすぐそこにある、もし道を急ぐ旅客なのであれば、ここで足を止めて一通り観光すればまた別の楽しみも生まれると思うよ。
結構です。
そう言わずに、劇場と映画館もあるよ?美味しいミノスの郷土料理屋だって……
興、味、な、い。
むぅ、私たちの勇士たちが愛してやまない浴場だってあるのに……
……浴場?
男女混浴だ、諦めな。
ならいいです。
祭司専用の小浴場でもいいよ。ほら、長旅で全身泥と土まみれじゃないか、少しの間休養してもいいと思うんだが……
だから結構です!私は……旅行してるわけじゃありません。
私を見かける人なんて少なければ少ないほどいい。嫌な予感がするから、ここをさっさと出たんです。
ここはまだサルゴンからかなり近いんですから。
うぅ、しかし、こうも質素で、見ずぼらしい少女を放っておくには……
何か言いましたか?
こいつならほっとけ、こいつはもう自分が以前暮らしていた大都会に戻らず、ずっとこんな僻地の寒村に留まってきたからこんなお節介になっちまったんだ。あんたもこいつのキツい言葉に耐えられるとは性格が良すぎるぜ。
アクロティリの村は確かにあんたには合わん。逃げるあるいは迷惑をかけたくないのなら、今のうちにとっとと出て行きな。
しかし、異郷人よ、君の目的地とはどこなんだい?満身創痍になりながらも先を急いで、もしや許しがたい罪を犯したのか、それとも貴族の怒りでも買ってしまったのかい?
どれも違います、私はただ……自由身分を得た傭兵です。
遠くに行けば行くほどいい、目的地なんてどうでもいいんです。
北や、東の果てを目指しています。ここは……今の私が暮らしていける場所には思えません。
荒野も、戦場も、サルゴン人も……今はどれも見たくありません。
あぁ……哀れな、悲痛なる過去を背負いし若人よ。
せめて名前だけでも聞かせてくれないか、私が君ために祈りを捧げよう、あるいは君がこれから直面するであろう危険もしくは幸福なる地の啓示を授けよう。
そんなものサルゴン人に通用するとでも思ってるのですか?
ふん、まあ俺は信じちゃいないけどな。
(踏む)
痛って!パラスお前……!
“パラス”?
(はぁ、名を暴露してしまった件については君が責任を背負ってもらうよ、サルカズの勇士よ。)
覚えておくに値しない名前だよ、今のところはね。
しかしまあ、もし君が――ミノスの国境線で、十二の英雄の啓示を率いる祭司が、この地でミノス人の尊厳と自由を守り、サルゴンの侵略と対抗し、少数でそれに勝利した物語を聞いたことがあるというのであれば……
いやまったく。
お、オホンオホン……ま、まあそれもそうか、なんせまだ戦争には勝っていないからな。
このような名称を宣ってしまって申し訳ない。ただ、ミノス人の伝説をサルゴン人にも知ってもらえれば、もっと相互理解が捗ると思っただけだよ。
そういうお話は、次に来るサルゴン人にでも聞かせてやってください。
うぅ……わかった、であれば、サルゴンからやってきた旅客に手を振ってあげること以外、私たちにしてやれることは他にないな。
この正常になったコンパスは君に返すとしよう。
君はまだ自分の目指す場所を明らかにしてはいないが……それでも、前に進むといい、前に進むことこそが君の唯一の目的だ、一切の苦難から逃れる方法でもある。
君のために多くの精力を出し、最も険しい山から君を救って、死神の追補から逃してくれる善良なる人が現れた時に、また決定するなり、その人についていくといい。
おい、言葉には気を付けろ、祭司、あんたが言った苦難とやらが、本当にこいつの身に降りかかるかもしれないだろうが。
あんたの言葉は時折よく当たるからな。
大丈夫です……どうなっても構いませんので。
先に進めば終わりはいずれ訪れますから。
君のために祈ろう、若人よ、君が進む道はまだまだ長い、果てしなく長い。
君は戦士だ、勇敢で、毅然とした勇士でもある。君の勇敢さはその武器に、その手足に、その魂に刻まれよう。
君の目は今しばらく濁ってしまっているが、雨風に打たれれば、またその輝きを取り戻せる。
君に信頼してもらえるための精力を発揮できなくて申し訳ない。お互いに、もっとやるべき重要なことがあるからね。
今も十分に疑ってますよ。
君も、私も、この愛らしいサルカズの戦士も、みんな終わりなき旅路を突き進んでいる、自分の魂のために苦痛を耐え忍んでいるのだよ、しかしそれよりも身を思って知らなければならない最も大切なことがある――
それは己を受け入れてくれる場所を見つけることだよ。
見張り交代だ、代われ。
おう。
なあ、サルカズ人。
なんだ?
そろそろ俺たちに名前を教えてくれてもいいじゃないか。それとも、お前は“サルカズ”が自分の名前だとでも思ってるのか?
名前なんて大してことはない。あんたらだって自分たちの祭司を“女神さま”って呼んでるし、あいつも自分のことを“パラス祭司”と呼んでるじゃないか、それともあいつは本当に女神さまの類なのか?
まあ好きにしろ。ただ、この戦争が終わった後、戦ってくれた英雄たちのために名前を刻んであげたいんだが、お前の歴史が“サルカズ”として刻まれちまうぞ?
ハッ、そういう話は生き残ってからにしな!楽観的なミノス人さんなことだ!
(……)
(英雄として本や石碑に自分の名が載るかどうかは、俺にとってはどうでもいい。)
(俺がサルカズ人であるかぎり、どんなことをしようがサルカズ人として見られるのであれば……サルカズが英雄として扱われても悪い話じゃない。)
ん?
パラス祭司じゃないか、なんでこんなとこにいるんだ。
やあ、サルカズさん。
……さん付けはやめてくれ。なんで夜の見張り台にいるんだ?何かあったのか?
騒ぎ立てるようなことでもないさ、多分だけど。
ただ、今日の昼に起ったことでまだ心がモヤモヤするんだ、だからここに来たら、答えが見つかるんじゃないかと思ってね。
なんだ、まだあのサルゴンのクランタのことを考えていたのか?そこまで特別なヤツなのか?
逆だよ、彼女は至って普通さ。
普通であるがゆえに、悪霊につき纏われているかのようにそそくさに立ち去り、心も安らげず誰に対しても警戒心を抱いてしまっている。
本来の彼女ならあそこまで人を拒むような人じゃないと思うんだ、おそらくだが、近頃起こった何かで彼女は心をあそこまで閉ざしてしまったのだろうね。
サルカズさん、君なら何が起こったと思う?
俺には関係のないことだ、俺はあんたみたいに、人間の本質に関わる物語に興味が湧くことはないんでな。
俺が今知りたいのはあんたがここに来た理由だ、俺の仕事が終わるのを待ってるようにも、ただただ暇つぶしに散歩しに来たようにも見える。気分屋の“女神さま”が今何を考えてるか教えてくれると幸いだ。
シッ。
……
(剣に触れる)
誰かいるのか?
君の言う通りだ、サルカズさん。人の心はそう易々と覗けるものではない、現に私とあのクランタの旅客との間にある縁は浅いしね。
だが、君も私も彼女の脆弱さをこの目で見た――彼女の心の強さは挫折によって挫けられた、今は彼女にとって最も肝心な時期だ。私たちが彼女にしてやれることは少ない、であればせめて朝食だけでも最大限の礼儀として彼女にもてなすべきだ。
しかし、しかしだよ。あの可哀そうなクランタ兵が、彼女が今求めているのは、自分の命を自分の手中に収めようとしていることだ。自分で目的地を選択する、あるいは自分で自分を終わらせられるような。
だがどちらにせよ、彼女は私たちの目的同様、自由を追い求めている、たとえそれが使命だったとしてもね。
しかし私は、彼女の背後でその自由を奪った悪霊がどれほど邪悪なものかが分からない、自分もこれからそれほど悲惨な情景に直面してしまうことなんて信じたくもない。
ねえ、そこの“サルカズさん”、君もこの情景を悲しんだりするのだろうか?
……
この情景に対して、私は自分の戒めを言うことにより、間もなく訪れるであろう紛争にもっと直接的な結論を導き出せるかもしれないね――
悪なる来訪者よ、君は先より訪れてきた旅客と違って、全身から血と邪悪な匂いを漂わせている。君には残虐な計画を持ち、自分より弱った対象をターゲットとして狙っているね。
君はミノスの聖地で謀殺を、狩りを、後世で讃えられる卑しい行いを働こうとしている。そんなことは私が許さないよ。
予兆も見せずに、暗闇から現れた影が咄嗟にミノスの祭司へ突っ込んでいった。
(斬撃音)
しかし瞬時に、彼の攻撃は別の鋭利な刃によって防がれた。
襲撃者はすぐさま距離を空けた。
……
……
そこをどけ、同族者、巫女のようにグタグタとくだらない話を喋りやがって耳障りな女だ。
ならあんたは彼女の話も、彼女がなんで今悲しそうな顔をしてるのかが分かってないようだな。
こっちにも仕事があるんだ。邪魔しないのであれば、見逃してやってもいい。
そこの女は俺が“クランタ兵”を追うのを阻止したいようだ、俺には分かるぞ、そいつは俺がここの手掛かりを得る前から俺を待っていたようだな。
その女が俺のターゲットを庇うと言うのであれば、活かす道理はない。それとお前、お前はここで何をやっている?
傭兵だ、ミノス側に立っている。
ほう、なら敵ではないな。お互い自分の仕事に専念しようじゃないか。
その巫女の命はお前の仕事の範疇に含まれるものなのか?
あんたが気にすることじゃない。
それもそうだな。俺が斬った一撃にはどれも明確な価格が付く、ここで無駄な気力を使っては無駄になる。――訳の分からん自由論を語るその女が俺を不愉快にさせたことを除いてな。そいつのフォルテの角を掴んで、あのクランタ兵をよりはやく見つかる道を指し示してもらおうか。
どうなんだ、詭弁しか喋れない巫女よ?
……まったく、なんて礼儀も品性もない獣なのだろうか。
君は自分を汚れたナイフだと思っている、いかなる忠告にも耳傾けないつもりなのだな?
※サルカズスラング※、もういい。我が同族よ、お前に恨みはない、だから目を瞑って、そこをどけろ。
殺し屋は今にも手に持つ大刀をミノスの祭司に振りかざそうとしている。しかし、サルカズの傭兵は祭司の前に立ち、動こうとしなかった。
……
フッ、どうした、サルカズ人であるお前は、本当にミノス人の洗礼を受ければ、人として尊重されるボディーガードにでもなれたと思い込んでいるのか?
この祭司はなんの関係もない。だが、あんたが受けたその仕事には虫唾が走るぜ。
自分は受けたことがないとは言わないでくれよ。忠告しておくが、お前じゃ俺には勝てんよ。
いいや、野蛮なる侵入者よ、邪悪なる追っ手よ、君は自身の盲目的な自尊心によって、負けるのだ。
英雄たちは座して死を待つことはしない、ましてや悪魔が己の獲物を追うところを、己の目的が果たされるところをみすみす見逃すこともしない。
君は金銭と権力によって目が眩んでしまった、迫害と追跡して殺すことがどれだけ恥じるべきで、卑しいことなのかを忘れてしまったのだ。
どうとでも言え。今なら、まだ角一本だけで勘弁してやる。
正直に言うと、俺を雇ってまで逃走兵を“解決”するには大げさすぎると俺は思っているさ。まさかミノス人の首を持って帰ったら、報酬を多く貰えるという算段なのだろうか?
私への侮辱の呪いを言ったからには、こちらも悪鬼に心を惑わされてしまったための最後の憐憫を君に与える必要もなくなった。
言っておこう、残虐な殺し屋よ、あのクランタの旅客の安全のため、私は決して君を行かしては帰さない。
悲しくも、哀れなサルカズの兵士たちよ。君たちのかつて混沌とした心はもはや異なるものとなった、君たちは互いに異なる道へと進みだしたのだ。
サルカズ人の結末はただ一つ、救済は訪れない。巫女よ、これ以上無駄口を叩くな。これでも食らうがいい――
暗闇での戦いは後世で記述されることはない
今なお走り続け、旅路のさなかで次々と沈んでしまう魂だって存在する。
それから遠くない未来で、その魂はより熱く輝く光を激しく照らし出す。
それからまた遠くない未来で、大地を奔るロドスにおいて、星々の光は徐々に集い、より輝く光となり、目標に向かって大地を突き進むのだ。