今の私は、堪らず本を読み漁りたい衝動に駆られてしまいました――
――マーガレットさん。
……ヴィヴィアナ、それはいつからだ?
わかりません。
あえて言うのであれば、おそらく覚悟も決めずにメジャーリーグに足を踏み入れた時からでしょうか。
君はここに残っても構わないのだぞ。
それも考えました、なんせここは大騎士領、それにあなたという騎士がいるのですから。
……けどこれも私が出した選択です。
選択?
ご存じですか、あなたと血騎士の荒唐無稽な冒険のために剣を抜くと決心した時、実は私……結構興奮していたんですよ。
……
せめてなにか言ってください、黙られちゃうと恥ずかしくなっちゃうじゃないですか……
あれは得難い体験でした。他人のために、一つの信念のために、不条理に見える戦いのために剣を抜いたのは。
きっとリターニアを離れてから、私は本物の騎士として生きてこなかったからなんでしょうね。
本当に残らないのか?もし行ってしまえば、それこそヤツらの思うツボだぞ。
ではこう言い換えましょう、マーガレットさん、私を留まらせないでください、その代わりとして私の帰還を祈ってください。きっと帰ってきますから。
ただ今は、ノヴァ騎士団の“指示”に従って……辺鄙な都市にしばらく滞在しておきましょう。
きっと素晴らしい冒険になり得るかもしれません。
君の騎士仲間たちは?
私の数えられるぐらいしかいない仲間たちなら、すでに揃ってるじゃないですか。
……本当に光栄に思うよ。
最後はせめて、君を見送らせてくれ。
ありがとうございます。二回もチャンピオンを制覇した者に見送って頂けるなんて、こちらも光栄の至りです。
そうだ。荷物を片付ける時にこの本を仕舞い忘れたので、ちょうどいいですし、差し上げます。
詩集か?
『二つの月とキンセンカ』です。
ありがたいのだが、私はリターニアの詩歌文芸を嗜めるほど詳しくは……
文字と隠喩の魅力は、具体的でロジカルな答えを強要しないところにあります。
耀騎士とあなたがした行いのように。
……送迎車両が来ましたね、見えますか?
ああ。
次お会いする時、大騎士領は一体どんな姿になってるのでしょうね?
……君も知ってるだろ、この国はそう簡単には変わらないさ。
だが少なくとも、騎士たちが再び騎士と名乗れるように変えてみせよう。
ええ、その約束、心に刻んでおきましょう、マーガレットさん。
燭騎士様、お待たせしました、ご乗車くださいませ。
おや……これは意外ですね、ごきげんよう、耀騎士様。
ごきげんよう。
今すぐ発たなければいけないのですか?
あ、はい……あなたが最後の乗客ですので。天災トランスポーターのほうもすでに準備が整っております。
……わかりました。美しい都市だといいですね。
では、また会いましょう。
(燭騎士が立ち去る)
……また会おう、ヴィヴィアナ。
……
彼女ならもう行ってしまったぞ、見送りに来なくてよかったのか?
……
確かあなたは……
商業連合会代弁者の、マギーでございます……しかしメジャーリーグを終え、私も近いうちに代弁者の席から外されると思います。
なら勇気を出して見送ってあげるべきだったと思うぞ。
ミス・ドロストとノヴァ騎士団関連の事務作業は長らく私が担当しておりました。
私はただ最後までその職務を全うしただけです、しかしどうやら間に合わなかったようだ、残念です。
あなたは……いや、いい。
ミス・ドロストがあんな扱いをされたのには、あなたにも関係がございます。
耀騎士様、あなたがメジャーリーグで行ったことを鑑みると、今の私たちは敵同士でございます。
それは語弊がある、代弁者殿。
私たちはお互いにただ己の信念に従い、己の理想と正義のために奮闘してきただけだ。
もし……連合会がその理想を未だに抱いていればの話ではあるがな、他者を貪って腹を満たしてるのでなく。
……あなたがそんな弁舌だったとは驚きです。
事実を言ったまでだ。
……まあいいでしょう。
これは燭騎士が向かわれた都市の座標です、いい場所ですよ。
お時間があれば彼女に手紙でも送ってあげてください、あの人はあなたが想像するような強い人ではありませんから。
……木漏れ日と職人の都、オグニスコ。
ええ、燭騎士様、しかしなぜあえてそこへ?
なぜでしょうね……
おそらく詩を書くためじゃないでしょうか。この街の呼び名を聞くと、なんだか創作意欲が掻き立てられるような感じがしませんか?
あはは、あなたの前で下手なことなど言えませんよ、私は学のない人間ですので。
ご謙遜を。
この先の暮らしを期待しておいでですか?燭騎士様?
……ええ。
きっと、いい詩が書けそうです。
……
……なにか用か?ペガサス?
今の騎士たちはもう忘れてしまったでしょうし、歴史の教科書にも記されていない事実を。
“天途”、その儀式の正式名称は――
(古い言語)天を行く征途。
……お前……なぜそれを知っている?
成年した夢魘の戦士は一族と酋長が見守る中、己が決めた試練の地へと赴く。
古い部族は伝統的に、“自分で決断する”行為が一番大きな経験になると考えていた。自信か狂妄か、慎重か怯臆か、すべてそれによって決まってくる。
ただすべての夢魘の部族がそういった伝統を持ち合わせているわけではなかった。昔の書籍から歴史を漁っても、そういった儀式に関する記述はごく僅かしかないわ。
ただ一人を除いてね。その人だけが、生涯をかけて自分の天途を歩み終え今なおも歴史にその名が刻み込まれている。
……
トォーラ。あなたの祖父はもう亡くなったと思っていたわ、けど彼はまだ生きてる上に、夢魘の血統を今も引き継がせていたとはね。
……ペガサス!
貴様――!
怒ってるのね……あなたが生まれた地はこの大騎士領から数千里も離れたところにあるはず。騎士になった屈辱に耐え忍んで、絶えず競技場で殺戮をしてきたのは、その怒りを発散するためだったのかしら?
――憤っているとも、だがこの私が貴様に刃を立てられないとは!屈辱だ!
貴様は一体誰だ!?
ただの老いた征戦騎士よ、武器を下ろしなさい、若き夢魘。
話を続けるわ、その死してようやく天途を成し遂げた人、彼の天途のスタート地点は今のウルサスの東にある、かつて豊かな草原だった。
……
彼はその広大な草原に立ち大地全土を眺めながら、一族の者と兄弟たちに誓いを立てた――
彼の天途はヒッポグリフとペガサスの国を跨ったわ。ガリア皇帝の堅牢な陣地を粉砕し、阻んでくるリターニアの千に並ぶ塔をも打ち倒していった……
彼の人生における最後の十年で、ようやく誓いの通りに天途を終えた、大カガンは大地全土を鞭笞し、旧時代を焼き尽くし、人類文明の世界に目を向けさせた。
あなたのご先祖は確かに類まれなる偉大な功績を築き上げたわ、トォーラ、そしてあなたにはカガンの血が流れている……カガンの末裔は、今なお私たちの目の前に生きているのね。
ハッ!ケシクたちの最も偉大なる功績は、ペガサスという腐りきった神民を統治者の席から引きずり下ろしたことにある!
だがしかし!己自身を見てみろ!
……
依然とペガサスはその高位に身を置いている、さらには自分たちの愚かしい弄臣たちが騎士の時代を滅ぼす様をただただ座視してるだけではないか!
己自身をもう一度よく見直してみるがいい!貴様のどこが騎士だというのだ!?その腰に佩びているか細い儀仗剣でなにを防げるというのだ?
ここカジミエーシュにおいて、私に剣を抜いてほしいと望んでいる者などいないわ。
――ふん、冗談にしては笑えるな!
それと、私たちは見てみぬフリなどしていないわよ。
ただ天に帰す力を失ってしまってるだけなの。
……フン。
戦う意志を失った老兵なんぞに興味はない……そこをどけ。
ならあなたが探し求めてる試練の地っていうのはどこにあるのかしら?
貴様に答える筋合いはない、ペガサス。
あなたにはもう忠義を尽くす主も、あなたの帰りを迎えてくれる一族の者もいないわ。
あなた、帰るつもりがないのね。
……
フォーゲルヴァルデから話は聞いてるわよ、夢魘。
あなたの試合を見たわ。このままあなたを行かせるには勿体ないわね。
なんだと?
もし天途を終えたあとでもカジミエーシュに戻ってきてくれるのなら、あなたを騎士として、望むがままに戦場に行かせてあげるわ。
あなたたち一族の者はどれも稀有な存在、ましてやカガンの血が流れてるあなたは尚更よ。
たとえその血が薄くても、あなたはきっと優秀な戦士のはず。だからあなたは光栄に満ちた戦いの機会を得るべきなのよ。
……傲慢だな。
貴様は私が今まで見てきたカジミエーシュの騎士たちとまったく同じように、傲慢そのものだ。
貴様のために戦い、この見るも無残なカジミエーシュのために戦うことこそが光栄だと言いたいのか?
私はただせっかくのいい苗をこのまま枯らせたくないってだけよ。
ハッ、枯れるかどうか私自身が決めることだ、ペガサス!
そこをどけ、私の目の前から消え失せろ。この都市を出てからようやく、私の旅路は始まるのだ!
……
え?ん?んん?
き、騎士様?なんでこんなところに?大騎士様が来られるなんて村長からなんも聞いておりませんが……
……この近くにある田んぼの土地を買わせてもらった者だ。
ああ!あなたがあのジャックの土地を買って頂いた騎士様だったんですかい!これはこれは、お目にかかれて光栄です……
えっと、もしやと思いますが、その全身真っ赤な鎧に、その猛々しいお姿、お名前を……伺っても?
むぅ……今の私はもはや騎士ではないゆえ、名乗れるほどの者でもない。
では単刀直入に伺いますが……その……もしやあなたは……
血騎士のディカイオポリス様でいらっしゃいますかい?
だった者だ。
(失礼な驚きの声)――なんということだ、その……えっと……あの……
わしらはみんなあなたのファンなんです!なぜ急に引退を――?あなたと耀騎士の――あっ、そうだ!初めてここに来られたのなら、きっとなにか足りていないのでは?なんなりとお申し付け――
いやいやいや、わしはなにを言っておるのだ、申し訳ない、チャンピオンであるあなたなら、わしらよりお金も持ってるのは当然でございますもんね……ささ、わしが村を案内致します……
……う、うむ、頼んだ。
――ここがウチの村で一番大きな商店でございます、以前の店主は身体を壊してしまったため、今では彼の娘にお店を任せていまして……
あら?そちらの騎士様は?
おお、噂をすれば、こちらの方がさきほど言っていた、あの荒れた田んぼを買ってくださった騎士様だ!誰だかわかるかい?
いや、今の私は――
血騎士様だ!あのチャンピオンだ!あの血騎士のディカイオポリス様だぞ!
チャンピオン?チャンピオンだって!?
なんで血騎士がウチらんとこに?
ち、血騎士様ですって?本当に本人なんですか??
……そうだ。
うそ……
(雑貨屋の店主が座り込む)
す、すみません、オホン、その、あまりに急な出来事だったので足の力が……その、えっと、ここへはなにしに……なにか必要でしたら、なんなりと言ってください!
遠慮はいりません!本当になんでもおっしゃってください!
……
その……作物についてなんだが……
さ、作物ですか!?作物の種籾は村が一括して取り入れておりますが、なにか必要でしたら、今すぐ手配致します!
……いやその、ここはオリーブを植えれるかどうか、それを聞きたいだけなんだ。
オリーブ?み、み、ミノスのあれですか?少々お待ちください、それは村長に聞いてみないとなんとも……
いや、待ってくれ。
あとでも構わない。
いえ、お気になさらず、今すぐ聞いてきます!
(雑貨屋の店主が走り去る)
……
こりゃいけねぇ、ついとぼけちまった、すいません、お邪魔だったでしょうか?これ!みんなどくんだ!騎士様は街からいらしたばかりで休まれておらんのだぞ!
さあ、騎士様、こちらへどうぞ!わしが案内致します!
……待ってくれ。
お前たちは私を知っている、であれば……私が感染者であることも知ってるはずだ。
はい?感染者…え、ええ、それは存じておりますが。
鉱石病が怖くないのか?
そりゃ怖いですとも!
それがどうかしたんですかい?
……なら私から距離を置くべきだ。
ああ、そういうことでしたか……確かに、あなたは感染者でしたな、これは失敬、興奮のあまりつい……
……けど今はそんなことよりも人の助けがご必要なのでは?
……
農作業は簡単なもんじゃありませんからね……えっと、農作業のご経験はありますか?
村に学生の若い連中が何人かいるんでさ、ここでオリーブを植えれるかあとで聞いてみます……ああそうだ、それと鉱石病のこともだった、その……
都市での鉱石病の治療は順調ですかい?
……順調とは言えん。だから私は村から一番離れた土地を選んだ、用事がないのならあまり私のところには近づかないほうがいい、危険だからな。
……なら今のうちにサインを頂いても?
……フッ。
名は?
わしですかい?あっ、あはは、申し訳ない、自己紹介すら忘れておりましたわい、村ではみんなから歯医者の先生と呼ばれているので、騎士様もそう呼んで頂いても構いません。
……わかった。
もし私の力が必要であれば、そちらも申し付けてくれ。
ただ少なくとも今はまず先に……
……
騎士様?
……ふふ。
先に“家に戻らねばならん”。着替えておきたい、いつも鎧で出歩くわけにはいかないからな、さきに行っててくれ。
ええ、確かにそうでございますね!
では邪魔しちゃいけませんので、先に失礼させてもらいます!ではまたのちほど!
(カジミエーシュの村人が立ち去る)
……ゴホッ。
ゴホッ!ゴホゴホゴホッ――
……チッ。いい加減さっさと着替えないといけないな……ゴホッ。
いやぁ……まさか今日血騎士に会えたとは……今でも信じられんよ!
ん?しかし、彼はいつ引退したんだ?しかもこんな遠い場所まで来て隠遁生活なんて……もしかしてなにか人目についちゃ悪いことでもあったとか?うーん……
おや?またお客さんかい?ウチらの小さい村も随分と賑やかになったもんだな、わしらもそろそろ移動地区に移り住める頃合いか?はは?
やあ!旦那さんたち!どちらからいらしたんだい?この先道はもうないから、ウチらが案内するよ!
……こんにちは。
■■年後、ウルサス北部、“文明の境界線”
1:43p.m. 天気/小ぶりの雪
……こんなクソ寒い日なのに、なぜわざわざ巡回に出なきゃならないんだ?
文句言うな……ここ付近に村なんてもんはない、少し先を進んでもあるのはミノス人の観測所だけだ……いや、本当はクルビア人のだけどな。
冗談はいい。
これは――ただの聞いた話なんだが、昨日ミノス人の祭司かなんかの人が、慌ただしく上官に会いに来たらしいぞ。
ミノスの祭司?ああ、雪祀ね、あんなおっかない連中が国境を越えてどうしちまったんだ?
知ったことか、俺たちがこんな階級でいる限り、そんなこといちいち知る必要なんざないさ……今は目の前にある真っ白な大地を眺めてればいい、はぁ、毎日毎日同じ景色ばかりで、いい加減目も痛んでくる。
それもそうだな――おい待て!
前に……前方になんか人影がいなかったか?
これは――角笛?
遺棄されてかなり時間が経ってる……なのに車輪や足跡は見当たらない、どうする?
と、とにかく上官に報告だ、こんなところに人工物が落ちてるなんてありえない……この角笛、どこで作られたかわかるか?
どうせミノス人のじゃないのは分かる、見るからに古い形状だし、損傷も激しい。
ん?
おい……なんか音聞こえなかったか?
はぁ?聞き違いだろ。
とにかく本隊に連絡だ、信号はあるか?
(無線音)
こちら第七捜索隊、第七捜索隊、角笛を……見つけた、ああ、ほかの痕跡等は発見できず……
……待った、また聞こえたぞ!
そ、捜索隊!こちらで異変を発覚したため、十分後に再度通信を入れる!
おい!あそこを見ろ、遠くにあるあそこだ、あんなところに森なんかあったか?
望遠鏡を持ってこい!
第七捜索隊の情報によると、ウルサスの巡回兵二名が極北辺境地帯でとある“軍隊”を発見した。
二名がその“軍隊”の残した痕跡を辿って後を追跡したところ、戦鼓と武器が交わる音が聞こえてくるだけで、人の痕跡は見つけられなかった。
ただ遺棄された角笛一つだけを残して、それ以外はなにも発見できなかったという。
これについてミノス側は軍事行動含む一切の行動も起こしていなかったと言い、クルビア側の科学研究観測所も矢継ぎ早に否定した、雪の大地はいつもながら静かに煌めき、果てしなく広がっている。
ただ徐々に大雪に埋もれていく足跡だけが極北の果てまで、文明の境界線まで伸びていたことを除いて。