本当に一人でこのブラウンテイル家の領地に来るなんて、いい度胸してるわね、エーデルワイス家のノーシス。
私は素直な性分なんでな。
フンッ、あんなバカな真似をしてカランド貿易から追い出された裏切者のくせに、よく自分は素直だって言えたものね。
ここにいるのはラタトスかと思っていたんだが。
そんな誰でも言えそうな薄っぺらい戯言を言うあなたを、ラタトスが易々と信用するわけがないじゃない。
……
言ったはずだ、協力するには双方とも誠意を示す必要がある。どうやら私の話はすでに彼女には伝わっているようだな、それで充分。
強がっちゃってまあ。
さあ言いなさい、自分からここにやってきたんだし、この前言ってた事態が進んだって意味を教えてもらおうかしら?
事態ってどの事態のこと?進んだってどこまで進んだの?
はぁ。
エンシオディスはなぜ執政権の返還を提示したと、君は考える?
フンッ、そんなの当然あいつがペルローチェ家とブラウンテイル家に敵わなくなって、妥協を選んだからでしょ。
妥協?
フッ、妥協か。
もっと考えてみてくれ、スキウース夫人。君の姉ならそんな浅いことは考えていないはずだ、私ならそう断言できる。
エンシオディスがイェラグに戻ってきてから、勝利を収めるための行いがなかったと思うか?彼が提示した執政権の返還が本当にただの妥協案だと思うか?
……
ヒントをやろう――祭典だ。
……?祭典がなによ?あいつがあの場で権限を引き渡したり引き渡さなかったりしてみんなをおちょくりことができるとでも言いたいわけ?
もうじき祭典が執り行われる、その際物資と人員を乗せた列車はいつも以上に忙しなくシルバーアッシュ家の領土を行き来する。
考えてみてくれ、エンシオディスはなぜ自ら権限を巫女に譲り、譲り渡す日時をすんなり祭典の時期に合わせたのだ?
アークトスは視野が狭い、彼なら今もエンシオディスは権限譲渡式になにかしらしでかすとばかり思いこんでいるはずだ。
そのため彼は人手を窪地と鉱脈区に送り、あまつさえエンシオディスが招いたあのドクターを厳重に監視するようにした。
彼の無知加減には笑えてくるよ、そんなことをしてもなんの役にも立たんのだからな!
……!!
スキウースは咄嗟に視線を部屋のとある方向へと向けた、しかし向けた方向にはただの壁しかなかったが、視線を向けた動きは捉えられてしまった。
ノーシスも真っすぐとその壁に目を向ける。
ラタトス、君はそこまで愚かしくはないはずだ。
エンシオディスがなにを企んでいるかは、私が教えてやろう。
だがしかし、次からはそちらも顔を出して頂きたい。
さもなければ、エンシオディスの企みによって君たちが彼の傀儡になってしまわれようとも――
私は断じて二度もこのような無礼を受けるつもりはない。
……
では失礼する。
(ノーシスが立ち去る)
……ラタトス。
ちょっとラタトス、そこにいるには知ってるんだからね!
……うるさいわよ、スキウース。
振動と共に、壁はゆっくりとこじ開けられ、その中に座っていたラタトスがゆっくりと立ち上がり、壁から出てきた。
あいつが言ってたこと、本当だと思う?
むしろその可能性をちっとも考えつかなかったことのほうが驚きよ、私の妹。
けど今は巫女だってこちら側に立ってくれているじゃない!
まさかエンシオディスはそれでも手段を選ばないほど……
手段を選ばない?
寝ぼけてないでいい加減目を覚ましなさい、スキウース。
エンシオディスが信仰を踏みにじり、勝手に山に穴を開けてイェラグまで鉄道を敷いて、巫女と関係が決裂した時から……
いや、あの時三族議会に席を戻す交換条件として、自分の妹を巫女に置くことをすんなり受け入れた時から、彼はまったく遠慮がなくなったわ。
当初彼ら兄妹は誰もが知ってるほど仲が良かったし、アタシも敬虔なエンヤを曼珠院の人質にするのはいい策だと思ってた。
けど今、フッ、もし今彼が山に登って曼珠院を焼き払ったとしても、別段おかしいとは思わなくなっちゃったわ。
……まさか、エンシオディスは本当に武力で……
それは早計よ、妹。
ほかにももう一つ可能性があるわ、それは彼が私たちを騙してるってこと。
なんでそんなことを……?
自分は本当になにかを企んでいて、今にも我慢できずに手を出したいと、アタシたちにそう思い込ませようとしているのよ。
そんなことしてもアイツになんのメリットがあるのよ?
人の手を借りて謀殺を可能にするか、エンシオディスに戦争の大義名分をでっちあげさせて、手柄の横領を可能にするかのどっちかでしょう。
フンッ、いずれにせよ、そうなれば私たちはみんなおしまいね。
そんなの……
どう判断すればいいの?
さあね。
あなたにも分からないの?
そりゃアタシは全知全能じゃないからね。
ただ、もしウソをついているのなら、必ず綻びが出るわ。
誰か。
どうなさいましたか、奥様?
ノーシスをもう一度下調べしてちょうだい、以前調査したはしたけど、最近の彼は仕事を引き継がせた時多くの人と接触して、多くの情報を残していた、その新しい情報を全部調べ上げてちょうだい。
承知致しました。
ガッカリさせないでよ、ノーシス・エーデルワイス。
……ラタトス、アイツの言ってることが本当だったら、本当にアイツを受け入れるつもりなの?
アンタは受け入れないわけ?
アイツはエーデルワイス家の人間でしょ!十五年前エンシオディスの父親を殺した一族じゃない!
だからなによ?
アイツら一家はシルバーアッシュ家を裏切った、なのにアイツはエンシオディスと一緒に何もなかったかのように留学からのほほんと帰ってきて、おこぼれに与ってる。
私に言わせれば、アイツは利益のためなら平気で裏切るような人間よ。今はご主人を怒られてしまって居られなくなったから、復讐するために新しい居場所を探してるだけよ。
ええ、それは想像つくわ。
じゃあなんで……
スキウース……「シルバーアッシュ家は関所を抑えていて、ペルローチェ家は肥えた土地と精悍な将兵を持っている、しかしブラウンテイル家はなにも持っていないのにも関わらず、なぜ御三家に並べられたのか?」
……「なぜなら我々は最も利を得ることをしているからだ。」
お爺様の教訓を持ち出さなくてもそれぐらい分かってるわよ。
ならアンタを今回の一件に首を突っ込ませてあげた条件として、ちゃんと色々自分の頭で考えてみなさい。
ブラウンテイル家の娘なら、こういう時はなにが最善なのか理解しておきなさい、罪人がどんなリスクをもたらしてくるのかばかりに拘るんじゃなくてね。そろそろ自分で判断することも学びなさい。
利益とはいつだってリスクを伴ってくるものよ。ただそれを拒むんじゃなくて、どうやってそのリスクを解消するのかを学ぶの。
彼がさっき言ってたことはすべて真実であり、同時にウソであることを今一番心配すべきよ、アタシたち。
それにもう一つ。
アンタ最近、自分の傍に置いてる下手人と距離が近くない?
メンヒのこと?
メンヒ、ナンシー、モーモ、なんだっていい。
あまり他人を信用しちゃダメよ、妹。
……チッ、言われなくともわかってるわよ!
むしろ見てなさい、あなたに頼らなくても、私だってブラウンテイル家を盛り上がらせることだってできるんだから。
はぁ、あの時エンシオディスにチャンスを与えるんじゃなかったわ。
それにあの石頭のアークトスも、なーにがエンヤといういい苗を育てて、あのクソったれの兄から離れさせる、だ。
まあいいわ。ユカタン。
ここに、奥様。
ペルローチェ家に伝えてちょうだい、数日したらご挨拶に上がるって。
承知致しました。
ドクター様、ちょうど今窪地に入りました。
・かなり距離があったな。
・お尻が痛い。
申し訳ありません……アークトス様がペルローチェ家の領地内で鉄道を敷くことを固く禁じられている上に、私たちも車両を使う習慣がないので。
あなたのような外国の方からすれば、確かに駄獣の騎乗は実に不便に感じるかと思います。
ドクター様、ようこそおいでくださいました。私はエンシオディス様の秘書を務めております、チェスターと申します。
ドクター様がこの区域内にいる時は、わたくしが随時ご同伴させて頂きます。
アークトス様をご安心させるため、工場の一軒一軒、坑道の一つ一つはドクター様が徹底的に確認して頂いたのちに閉鎖致します。
一通り確認して頂いたあと、アークトス様と大長老様の認可が下りたら、譲渡ははれて完了となります。
それでよろしいでしょうか、ヴァレス将軍?
そうして頂けるのならそれに越したことはありません。
では、まずわたくしと一緒にぐるっと回って、ここの環境と状況について知って頂きましょう。
話はそう決まったと言われても、急すぎるわい……
そうだそうだ、以前の三族議会でいやな情報が流れたって聞いた時でも、俺たちはここを出ようとはしなかったじゃないか。
わしの息子は以前、工場で怪我を受けてしまっておる、その労災手当を工場から待っておるのにその仕打ちはあんまりじゃ……
わしらは、わしらはずっとエンシオディス様を信じておったんじゃぞ!見捨てたりはしないはずじゃよな?
みんなイェラグ人としていい暮らしを送るために毎日一生懸命だったのに、なんで急に工場閉鎖なんかするんだ?
それじゃあ俺たち感染してる連中はどうすればいいんだ、せっかく工場で仕事がもらえたっていうのに……
皆さん、どうか落ち着いてください、少しぼくの話を――
あっ、いいタイミングに来てくれましたね、ドクター。
クーリエ?
お久しぶりです、ドクター。今回ぼくたちのいざこざに巻き込ませてしまって、本当に申し訳ありません。
けどどうかもうしばらく我慢してください、祭典が終われば、シルバーアッシュ家がきちんと改めてご招待致しますので。
でも今はとりあえず手を貸して頂きたいです。
ここにいる人たちを窘めることか?
……
ご慧眼恐れ入ります、ドクター。
けど今の状況を見るに、すでに色々と用意できてるようじゃないか。
……そんなことはありませんよドクター、ぼくは何度もドクターの実力をこの目で見てきました。
ですからこれからも色々とあなたの助けが必要になりますのでどうかお願いします。
では、少しだけドクターを借りたいと思っていますが、融通を効かせて頂けませんでしょうか?
……構いませんよ。
皆さん、今日はこの一件の影響を受けてしまった皆さんに釈明するよう、エンシオディス様から仰せつかってここに参りました。
ちょうど、ドクターもここにいらしてくれています。彼こそがエンシオディス様がイェラグへ招かれたお客人、カランド貿易の現最高技術執行官です。
領民の皆さんにはどうか彼と一緒にぼくがこれから言う言伝の証人になって頂きたいです。
三族議会の結果は御三家と曼珠院が共に議論して得られた段階的な意見であり、後続の事項も徐々に議題へと盛り込まれていく予定です。
最高技術執行官の前任者であるノーシスは業務上重大な過失を引き起こしてしまったため、カランド貿易は工場を全面的に停止しその過ちを認めるための誠意を示す必要がでてきました。
そしてシルバーアッシュ家は執政権を返還したあと、積極的に曼珠院と交渉を図り、節制で計画的な新しい工場をゆっくりではありますが部分的に開くつもりです。
フンッ……
……
どうかぼくを、ぼくがここに代表するシルバーアッシュ家のことを信じてください、状況は必ずよくなりますので。
こちらにいる方は、さきほども申し上げましたがもう一度強調させてください、こちらにいる方こそがエンシオディス様がお招きした賓客であり、カランド貿易の現最高技術執行官を務められる方です。
彼が把握してる技術はみなさんが知る生産や採掘だけには留まりません、鉱石病の防護と応対も完璧に熟知しております。
こちらのドクターと彼が所属する医療組織はこれからカランド貿易と協力してみなさんがもっとも関心を抱く問題に取り組んで参ります、さきほど皆さんが話し合われていた医療援助がそのポイントとなります。
これは過去に雪山が成し遂げられなかったことでありましたが、今後はカランド貿易とこちらのドクターが共に協力して現実に造り替えてみせます。
(頷く)
同時にこの機会をきっかけに、ほか両家の領民にも偏見を捨て、共に我々のイェラグ開発に参入して頂きたいとも旦那様は考えられております。
ですのでどうか皆さんにおかれましては安心して、エンシオディス様を、巫女様を信じてやってください。イェラガンド様は決してご自分の民を見捨てたりはしませんから。
ああ、イェラガンド様と共に!
イェラガンドと共に。
イェラガンドと共に。
では、ぼくの話は以上で……
ちょっと待った!待ってくれ!
ヴァイス様がそこまで仰ってくれたのなら……なら……俺も正直に言うぜ!
どうぞ。
ほか両家の当主を信用していないわけじゃないんだ。
ここ数年、俺たちがエンシオディス様からたくさんのものを頂いたのは事実だ。仕事も、食いモンも着るモンも保証してくれた、それに鎮痛剤だってみんなに配ってくれた。
昔じゃこんないい暮らしは想像もつかなかったさ……
だから工場を閉めるって話を聞いて、今のいい暮らしが無くなっちまうんじゃないかってみんな思ってるから不安がってるんだ……
その点はご安心ください。
さきほど紹介させて頂いたドクターは鉱石病の学者でもあります。彼をお招きしたのは、カランド貿易が感染者従業員の生計問題へ対応するためでもありますから。
ですのでどうかカランド貿易のことを信じてください。
ちょっと待った。
はい、なんでしょうか?
・エンシオディスさんはとても仕事に真面目な方と聞き及んでいる。
・……
・信用だけじゃお腹を満たすことはできない。
旦那様の考え方は現実的ではないと思われてる方もたくさんおられますけどね。
申し訳ありません、言い過ぎました。
……
はぁ、わかりました、やはりあなたには誤魔化せませんね。
うぅむ……
ドクターは本当にメンツを持たせてくれませんね。
皆さん、この話にはまだ続きがあります。
カランド貿易が内部監視を怠ったせいで皆さんの貴重な仕事を失わせてしまったのは、完全にこちらの過失です。
カランド貿易は引き続き皆さんが就いていた職を保留致しますし、保証金も引き続き配らせて頂きます、またなるべく早く、同等あるいはさらに好待遇な仕事を手配することも約束致します。
皆さんもここでご覧になったように、こちらのドクターは皆さんが本当に必要としてるものを理解されております、彼は決して第二のノーシスなどにはなりません。
彼はカランド貿易のために我々の暮らしにおける技術を提供して下さり、我々をよりよい暮らしへと導いてくださいます。
これが、エンシオディス様から皆さんへ伝えたかった本当のことです。
よかった!今すぐほかの皆にも知らせてくるよ!
よかった、本当によかった。しかしな若いの、イェラガンド様の教えを決して疎かにするでないぞ……
……ふぅ。
ご苦労様です。
いえ、旦那様の言伝を伝えることは元からぼくの職務ですから。
・手伝ってほしいってこういうことだったんだな。
・……
・いい演技だった。
ありがとうございました、ドクター。
ただこれは手伝う価値があることだって、ご自分でも理解してるんじゃないでしょうか。
……わかりましたよドクター、あとでチーズフォンデュを奢ってあげますから。
いえいえ、そんなことは。
もしあなたに気づかされなかったら、言うのを完全に忘れてしまってたかもしれません。
では、ぼくはこれにて失礼させてもらいますね。
クーリエ――
なんでしょう。
・エンシオディスさんも満足してくれるはずだ。
・こんなことのためだけに遣わされたわけではないはずだ。
・君もグルなのか、クーリエ?
……
なんのことでしょうか、ドクター。
……
条件は揃った、スキウース様の予想通りだ。
ヴァイスはここに現れる、おそらくエンシオディスが万が一にと遣わしてきたんだろう。
ただ、あれだけじゃまだ足りない。
あなたたち、ヴァイスが去った後、スキウース様が計画した通りに動いてちょうだい。
はい!
……
メンヒ、跡をつけられていたぞ。
……!
そんな!痕跡はキレイに……
ただ相手は一人だ、すでにスキウースが君につけた人を追っていった。
本当に申し訳ありません、ノーシス様のご期待を裏切ってしまいました。
いいや、今のほうがちょうどいい。
……すでに捨て子になる覚悟はできております、なんなりと差遣をお申し付けくださいませ。
私はただの研究者だ、メンヒ。
私にとって駒は無益な存在に過ぎない、駒よりもこちらに協力してくれる仲間のほうが重要だ。
……
計画を続けてくれ。安心しろ、ラタトスとスキウースがお前の尻尾を掴むことはない。
承知致しました。