ちょっと。
こんな荒野にアタシを連れてきてなんの用よ、お宝かなんか出たわけ?
口滅ぼしにだ。
口だけは達者ね。アンタが今ここでアタシに口を塞がれても文句は言わないでちょうだい。
もうすぐだ。ラタトス、この場所に見覚えはないか?
……思い違いじゃなければ、ここにはイェラグと外を繋ぐ橋があったわ、ただ吹雪で崩れちゃって廃棄されてたはず。
もとから吹雪が頻発する地域だからね、強度を増した橋でさえ崩れるぐらいに。だからみんなここの道路再開発を諦めてしまった。
トゥリカムの関所にはどのくらいブラウンテイル家の人間がいるんだ、ラタトス?
エンシオディスが毎日誰と交易してるのか分かるぐらいには。
では近頃、武装した人と装備が君の目を掻い潜って、イェラグに入っていったことは知っているか?
……
まさか、エンシオディスはトゥリカムを避けて、こんな場所にも鉄道を敷こうとしてるって言いたいの?
……そんなのありえないわ。
見ろ、来たぞ。
来たって、あの道の先は峡谷じゃない……
今はもう違う。
……
…………
そんなバカな!
橋も、鉄道も、耐重機構もすべて装置によって両側にある崖に収められている。
人の目から掻い潜るために、列車が通る時だけ崖から橋が伸びてくる……
構造としては簡単だが、あれを実現するためには複雑な設計が必要だ。まったく物惜しい限りに思う。
(列車のガタンゴトンという音)
地面に落ちた新雪は気づかれないほど微かに揺れ動き、遠方から小さな音が徐々に大きくなって近づいてくる。
橋に嵌められてる軸受は火花を散りばめ、イェラグの文明の灯火が照らされた。
列車は編成した車両を連ねて素早く橋を通っていき、火花は貨物を満載した車両の重みを感じ取ったのか、瞬く間に躍起となる。
青年は衆目に身を翻し、パチンと指を鳴らした。
その時火花は突如と膨張し、明かりはますます増していき、温度も徐々に上がっていき、列車中段の車両を呑み込んでしまった、まるで祝日祭典の夜に燃える篝火のように。
そしてついに、その火花はこれ以上呑み込むことができなくなり、鼓膜を破らんばかりの轟音と共に車両を引裂いた。
キラキラした金属の品がまるで花火のように飛び散っていく、ガキンガキンと真っすぐ伸びた硬い橋の鉄筋にぶつかり、真下へと墜ちていった。
毛皮製品は炎の中で舞を踊る一方、精巧な戦闘服はまるで微動だにしない。
あまりにも急すぎた展開なのか、それとも轟音で感覚が一時的に麻痺してしまったのか、この一幕を目撃した人たちはただぽけーっと立ち尽くし、しばらくしてようやっと口を開いた。
ただ青年は何事もなかったかのようにアーツユニットを振り、雪が積もった地面に漣を起こす。
彼はアーツを発動し、キラキラとした軍用のサーベルをひょいっと足元にまで滑らせ、そして掲げられた手の中に武器は収められた。
ヴィクトリア製か。
さすがに鋭利だな。
この消えたり現れたりする青色の紋様……シルバーアッシュ家の鉱脈区でこれに類似した金属を見かけたことはないか?
……
単刀直入に言おう。君は私からエンシオディスの情報を得ようとしていて、私はブラウンテイル家の力を借りて彼と対峙したいと思っている。
最初から言ったはずだ、誠意は双方が示す必要がある。こちら側はすでにブラウンテイル家のやり方を把握しているのでな。
もし得られる利益がない、あるいは自分ではまったくエンシオディス相手に歯が立たないと知ったら、君たちはすぐさま私を捕らえて彼に迎合するはずだ。
だが今はすでに緊迫した状況にある。エンシオディスがどれだけの人員と武器を輸入しようとしてるのかは私でも計り知れない。
私は今すぐ行動に移さなければならない、彼が充分な戦力を裏からイェラグへ輸入しきる前に、彼の輸送経路を破壊したいのだ。
そのために、君たちの退路も断たせてもらった、これで今の君たちは私の共犯者と言えよう。
君たちがエンシオディスに投降を試みようとも、今起こった爆破事件から逃れることはできない。
私がこの通路を断った、ならエンシオディスもアークトスと正面戦争を仕掛けられるほどの戦力を備えられなくなった。
今の君たちに、選択肢はもうないぞ。
……ノーシスを捕らえなさい!
待て!
ラタトス、それが君の答えか?
いいえ、ノーシス、アンタは一つだけ前提を間違えていたわ。
アタシが最初からアンタのことなんか信用してなかったって前提よ、裏切者をそう易々と信じるわけがないでしょ。
とっくに疑ってたわよ、なんでカランド貿易から追い出されてもこうやってあちこち堂々とのたうち回れるのかってね。
エンシオディスがアンタを野放しにしてるのって、アンタが握ってる情報は大したモンではなく、彼にとって裏切りも想定内だったからなんじゃないかしら。
てっきり彼はアタシたちの邪魔をするための目くらましとしてアンタを利用してたんだと思ってたわ、自分が利用されてるとも知らずにね、けど今はもう違った。
彼がアンタを野放しにして、他人にこんな機密を漏洩させるわけがないものね?ましてやこんな重要なルートよ、防衛用の兵を置かないわけがないじゃない?
君の言う通り、エンシオディスがなんの対策も練ってないはずがない。
だが冷静になってほしい、彼らの本来の任務は列車が走行した時の痕跡を隠すことだ。
あまり過ぎたマネはしないでもらいたい、ノーシス。
エンシオディスが裏で組織した特殊部隊を紹介しよう、コードネームは“イェティ”だ。
なんですって、あれが……イェティ!?
彼らは古来より伝わる伝説にあるイェティのように、イェラガンドの威光には属さない者たちだ、純粋たる暴力で信仰に挑んでくる。
伝説においてイェティは高原や雪山の奥深くに潜んでいるという。
怪しげな仮面を被り、巨大な鈴をぶら下げ、獣の毛皮を身に着けている。イェラグの幼子たちがこの名前を聞けば、誰だろうとたちまち泣き出す。
だが所詮は伝説だ。
目の前にある部隊員の恰好はさきほど列車から散りばめられた装備を連想するのにそう時間はかからなかった。彼らが被ってる仮面を見て、ラタトスは思わず身震いする。
……旦那様がお前に与えてくださった寛容との引き換えがこうも卑劣な裏切りとはな。
この場にいる者たちを全員捕らえろ!
ラタトス、そろそろ誠意を示してもらおうか。
チッ、あとに見てなさいよ!
では今から、ここには雷によって雪崩事故が発生する。
エンシオディスが秘密裏に配備した手下たちは不幸にもそれで失踪してしまうのだ。
……あの部隊名はどうやら“イェティ”と言うらしい。あの場にいる“イェティ”の頭数はそう多くない、全員ラタトスたちに生け捕りにされたっぽいな。
列車を操縦していた二名の“イェティ”も生きてちゃいるが、同じように捉えられちまってる。
俺が現場で見た状況は以上だ、あの場にいた当事者からはバレちゃいないから安心しろ、自信はある。
エンシオディスもおそらくあれをただの雪崩事故で片付けるはずもない。
ドクター!ここだよー!
シルバーアッシュ家の人間に疑われちゃまずいから、俺はひとまずここで退散させてもらう、ドクターから次の指示があるまで待機しておく。
・やあ、クリフハート!
・……
・久しぶり。
ふぅ、ドクターに会えて安心したよ、この前行ったらドクターは仕事で忙しいから会えないって言われちゃってたからさ。
祭典が終わるまでずっとペルローチェ家にいなくちゃならないなんて、こっちはもうすっごいソワソワしぱなっしなんだからね。
ドクター?黙っちゃってどうしたの、大丈夫かな……
ペルローチェ家からイジメられてないよね!?
久しぶりってほどでもないよ……
でもドクターを招いてから色々起こったから、全然時間が進まない感じはするね。
それより聞いた話なんだけど、アークトスさんたちと結構仲良くやってるっぽいね?
あっ……考えてみたらそりゃそっか、ドクターってロドスのみんなとも仲良くやってるもんね。
そうだ、なにかアタシに手伝えることってない?なにもしてないと気が滅入っちゃうからさ、ドクターになにかしてあげたいなって思ってたんだよ。
・じゃあ代わりにエンシオディスさんを守ってやってくれないか?
・巫女様によろしく伝えてくれないか?
え?そんなこと言われても、デーゲンブレヒャーがいるんだから、アタシが守ってやってもかえって足手纏いになっちゃうって。
でもドクターが言うんだったら、気を配っておくよ。
お姉ちゃんなら最近すっごい忙しそうなんだよね、だからアタシも全然会えてないなんだ。
でももし必要とあらば、アタシが山に登ってコッソリお姉ちゃんに会いにいって伝えておくよ。
はぁ、ドクターを手伝ってあげようと思ったんだけど、逆にまた心配をかけられちゃった。
それじゃあイェラグの伝説や伝承の話が聞かせてもらえないかな、例えばイェティとか?
ドクターってば、どっからそれを聞いてきたの?
そうだなぁ、実はそれって相当古い伝承なんだよ。
伝説では数百数千年前、イェラガンドが吹雪から民を守ってた時、その庇護を受けない山のバケモノたちが現れたんだ、その中に――
……すでに路線の多数の箇所で類似した破壊工作を確認しました、損失加減の確認も済んでおりますが、修復にはそれなりの時間が必要になります。
ただそれより酷いことに、イェラグと外界を繋ぐ線路の中で、我々が掌握している数本が完全に断絶されてしまいました。
つまり、外部勢力は今そう簡単にイェラグには入れないということだな。
ただ我々が保有する各種資源や材料はまだ備蓄が豊富ですので、路線が修復されるまでの維持は可能かと……
そんなことはいい、私が話してるのはそれではない。
……そのほかにも、ノーシスがラタトスと接触した場面も確認しております、二人して我々の領地周辺を徘徊していました。
そうか。
ドクターのほうは?
ドクター様に対する監視は以前よりも多少緩んでおります。それにドクター様がお連れしてるガードマンはとても警戒しておりまして、我々で追跡するのは困難です。
わかった、下がってくれ。
承知致しました。
容赦がないな。
私の予想に反して事態が進んでいる、そう認めざるを得ないな、だがノーシスがあそこまでやるのは分かっていた。
歪んでいるな、お前の信頼は。
彼は長年カランド貿易に尽くしてくれた、なら一部において私の予想を超えてくることもある。
これは信頼などではないさ。要求だ、シルバーアッシュ家が人に対してのな。
イェラグを背負うと覚悟を決めなければ、イェラガンドからそれを背負い継ぐ資格はない、以前の私はそう思っていた。
だが三族議会も曼珠院もその重荷をただただ腐らせることしかしてこなかった。
だからお前と巫女がイェラグを背負う必要がある、なんてことは言わないでくれよ。
あの子ならきっと最後にはそういう選択をするかもしれないな。
だがその前に、次の一手のための準備が必要だ。