
ほか両家に攻め入ることはせず、曼珠院の保護に転じたと……

まったく、よくもまあ考えたものね。

これでエンシオディスは堂々と曼珠院を支配下に置くことができたいうわけか。

・現状では彼の勝ちのようだな。
・歴史というのは常に勝者が書き上げるものだ。

はぁ、そういうことになるわね。

私もようやくエンシオディスのやり方がわかってきたわ。

執政権返還はただの大義名分で、本当は最初から何もかもをひっくり返すつもりだったのね。

・イェラグの民は神のいない生活を想像できないだろうな。
・エンシオディスは神のいない生活の過ごし方を知っている。
・イェラガンドに問題があるわけではない。

あら、私は感心しただけよ、別に落ち込んだりしてないから。

時代が進むにつれ、信仰は徐々に阻害となっていく……少なくともイェラグ人がイェラガンドへ向けてる信仰はそうなる、それはとっくに分かっていた。

でもありがとうね。

……はぁ、まあ巫女をお世話してるただの侍女長である私には関係ない話ね。

てっきりあなたは、なんで私がまだついてくるのかって、聞いてくると思っていたわ。

誰にだって傍観を選ぶ理由は無数にある。

あなたが手を出すのに無数の理由があるのと同じってことかしら?

……ありがとうね、ドクター。

私は自分の選択を守ってみせるわ、だからあなたも頑張ってね。
(Sharpとオーロラが近寄ってくる)

ドクター、任務完了だ。

・あの二人は?
・お疲れ様。

イェラグの当主二人なら連れて来られなかった。ラタトスはあんたに礼を伝えていたが、どうやらなにか考えがあるらしく、自分の領地に戻っていった。

アークトスも同じだ、どうやら兵力を結集させてエンシオディスと雌雄を決するつもりらしい。

ドクター、あの二人を自分の領地に戻させても、本当に流血沙汰は避けられるの?

・あの二人でしか自分たちの人を押さえつけられないからな。
・現時点でこれが被害を最小に抑えられる方法だ。

つまり、あの二人がもし捉えられてしまえば、衝動に駆られて処刑される可能性があったというわけか。

処されはしなくとも、なにかしらの裁きは免れないだろうな。

今でこそあの二人は裏切者扱いだけど、それでも両家の人間、特にペルローチェ家の忠実な手下たちは死んでもそんなことを認めないわ。

それで争いや内乱を引き起こしたにしろ、その時になったらイェラグは必ず混乱に陥ってしまう。

だがエンシオディスからすれば、どうであれすでに大義は掴んだ。

混乱が発生しようが、その過程で死傷者が出ようが、あいつからすればどのみち終息可能なんだろう。

……

彼もきっと動くはずだ、ただ待つような人間じゃない。

そうだな、エンシオディスは心を鬼にして今の局面を作り上げた、なら民衆を無視するような人間じゃないはずだ。

俺がカランド貿易に“招かれた”時、あいつのやり方は耳に届いていた、確か従業員たちも彼は遠いヴィジョンを持ってるとも言っていたな。

そんなあいつの計画が表沙汰になった今、ああいったリスキーな下策があいつにとっての最善策になったんだろう。

そうだと……いいんだけどね。

シルバーアッシュ家とブラウンテイル家はむかし良好な関係だった、その時にきっと幾つか駒なり手なり打ってるはず、ならその駒たちが混乱を収拾する作用を起こしてくれるかもしれない。

だが問題はペルローチェ家だな、ヤツらの装備と軍事素養は確かに落ちぶれちゃいるが、それでも無視できない規模を持ってる。

そうね、それにシルバーアッシュ家とはずっと関係が悪かったわ。

それに、ペルローチェ家の人間はみんな固い忠誠心を抱いている、今みたいな事態が起こっても、彼らがペルローチェ家を裏切る可能性は皆無と言っていいわね……

だからドクターがあの二人に手を貸すやり方はなんとなく理解できる。

当主がいる限り、その家は一枚岩のままでいられる、当主に影響を及ぼせるのならドクターの計画も融通が利くようになるからな。

しかしだドクター、俺が言わなくともわかってると思うが――

イェラグの地勢は複雑で交通も不便だ、俺たちに残された時間はもう多くないぞ。

とりあえず二人に会ってみよう。
(扉の開く音)

大奥様、お待たせいたしました。

こんな時に手伝わせてしまって悪いわね。

何をおっしゃいますか、私はブラウンテイル家の人間です、こういう時こそ大奥様のお役に立つべきではございませんか。

エンシオディスが言ってたアレだけど、アンタは信じるの?

まさか、きっとヤツはあなたを貶めているのですよ。

……

用意させといたモノはどうなった?

シルバーアッシュ家の領地からブラウンテイル家の領地まで戻るには少々時間がかかりますが、すでにお車は用意できております、それにコネも少々撒いておきました。

あとはあなたとスキウース夫人の準備次第でございます、必ずやお二方をブラウンテイル家へ送って差し上げましょう。

……領地の動向は?

祭典での出来事が広まった後、シルバーアッシュ家の領地と接してる数か所の町はすぐさまシルバーアッシュ家に寝返りました。

中央付近はまだ動向を確認しておりませんが、しかし……

平気よ、ブラウンテイル家にどれだけエンシオディスの人間が仕込まれているかは分かっているから。いざその人たちが集まったら数えきれなくなることのほうが恐ろしいわ。

エンシオディスの動向は?

霊山の麓周辺にはすでにシルバーアッシュ家の戦士が配備されております。

フンッ、曼珠院保護の話だけ本当なのね。

周辺の人々はどれもヤツらを歓迎しておりましたよ、まったく恥知らずな連中だ。

彼らはアークトスが祭典で裏切った場面をその目で目撃していたからね。

フンッ、今一番アークトスを信用していない連中を言うなら、むしろ彼の“裏切り”を目撃した領民のほうよ。

アークトスの話はさておいて、アンタ、エンシオディスからいくら貰ったの?

なにを……私がそんなことをするわけが……

芝居したって無駄よ、アンタ下手くそすぎ。

……全員出てこい、ラタトスを捕らえろ。

……

……!?
(ブラウンテイル家の貴族が殴られ倒れる)

ぐほッ……

こんなしょうもない罠も見破られなかったら、当主失格よ。
(スキウースが部屋に入ってくる)

ラタトス、車が来たって聞いたけど……

ちょッ、何事!?

何事かしらね?

……こいつ、私たちを売ろうとしてたの?

あら、救えないほどのバカじゃなかったわね。

私を皮肉ってる場合?

……それで、今はどれぐらい私たちに味方してくれる人がいるの?

どれくらいですって?さあね、一体どれくらいいるのかしら……

スキウース、アンタどれだけやらしかしたのか自分で分かってるの?

私は……

こんな事態になるとは思わなかったから……

……はぁ、アンタが思いつかないことなんて、ほかにも山ほどあるわよ。

だって仕方なかったでしょ……!私はただ、ただ私だってブラウンテイル家のために何かしてやれるって、みんなに知ってほしかっただけよ。

……私はただ……

あなたの力に……

……

ちょっと……疲れてるようだけど、ラタトス、大丈夫?

大丈夫じゃないって言ったら?

……

わかった、わかったわよ!ケジメをつければいいんでしょ?

私がやらかしたのなら、私がケジメを付けてやるわよ!今はユカタンも……私の部下もどうなってるかわからないんだから、さっさとつけに行ってやるわよ!

ちょっと待ちなさい、どこに行くのよ!

エンシオディスのクズのところよ!これは全部このスキウースがやったことです、ブラウンテイル家は関係ありませんって伝えにね!

私を煮るなり焼くなり好きにしても構わないけど、その代わり――私の人は全員返してもらうんだから!

……
(回想)
お姉ちゃん、お姉ちゃん!なんでまたお爺様に怒られたの?もう十分よくできてたじゃん!
お姉ちゃんは当主になるから、仕方がない……?
じゃ、じゃあわたしが当主になってあげる!お爺様にもそうお願いしてくる、わたしが当主になるからもうお姉ちゃんを叱らないであげてって、叱るならわたしを叱ってって!
えへへ、大丈夫だよお姉ちゃん、心配しないで、わたしにはユカタンがいるから、ずっと一緒にいるって約束してるからね!ユカタンもきっとわたしを手伝ってくれるわ、頭もいいしね!
それに……
それに、お姉ちゃん叱られても、もう泣かなくなった。
いや、お姉ちゃんは一度も泣いたことはないんだけど、それでもなんだか、見ていて辛いよ……
(回想終了)

ふ、ふふ……

なによ!?このクソアマ、こんな時になっても私をバカにするつもり!?

ふふふ、あははは……

(ルース、ほんっとバカな妹ね……)

……いま心の中でバカにしてたでしょ?

そんな感じ。

アンタねぇ……!

ほらほら、帰ってきなさい、エンシオディスのところに行ったって無駄よ。もうこの件には首を突っ込まないでちょうだい……今回のコレはそう簡単じゃないんだから。

スキウース、アタシらが最後にきちんと話したのっていつだったかしら?

私たちが今まできちんと話したことがあるなんて思えないけど。

……そうかもね。

とにかく、アタシはこれからのことについて考えるから、アンタは自分のことでもやってなさい。

そうだ、帰り道には気を付けるのよ、道半ばで捕まえられないようにね。

それどういう意味よ、あなたは領地に帰らないわけ?

アークトスはきっとまだ領地に戻ってる途中だと思うわ。

彼がドッシリ構えた時には、十中八九エンシオディスとドンパチ始めてる頃ね。

だからその前に、こっちもなんか仕掛けておきたいのよ。

……無茶だけはしないでよね、ユカタンたちがまだエンシオディスに捕らえられてることだけは忘れるんじゃないわよ!

それと……もしあなたに何かあったら、ブラウンテイル家は私が貰うわよ、そ、それも忘れないでちょうだい!
(スキウースが部屋から出ていく)

……

ブラウンテイル家を……スキウースに譲る、か……

……それも悪くないかもね。

見ろ、アークトス様の部隊だ……

祭典で旦那様が大長老に毒を盛ったって……

そこの者たち、黙れ!旦那様がそんな毒で人を殺めるような卑しい人なわけがあるか!

いや……でも……

ペルローチェ家に身を置く者であるにも関わらず、旦那様を信じないのか!?

ひぃ!!

……そこまでにしろ、グロ。

庶民に八つ当たりするな、恥を知れ。

しかし旦那様……!

あれがエンシオディスによって仕組まれたことかどうかはともかく、すでに起こったことだ、今更何を言おうが虚しくなるだけだろ。

ではこのまま屈辱に耐えるつもりですか、旦那様!

耐える?そんなわけあるか!

フンッ、確かにエンシオディスは一枚上手だった、だがヤツは一番犯しちゃいけない過ちを犯した、それがなんだか分かるか?

私を祭典で殺さなかったことだ。

我々は一旦本家に戻って、兵たちを召集する、それからヤツを叩きのめしに行くぞ。

自分がどれだけ大きな過ちを犯してしまったのかを思知らせてやるのだ。

なるほど!さすが旦那様!
(イェティとヴァレスが近寄ってくる)

そうはさせませんよ、旦那様。

ヴァレス!?

後ろに従わせているその者たちは……ペルローチェ家を裏切ったのか!?

……ヴァレス、ペルローチェ家から悪くない扱いを受けてきたはずだ、なぜそんなことをする?

悪くない扱いですか……

……旦那様、この期に及んでまだ思い出していないのですか?

何のことだ?このアークトスがやったことにウソや誤魔化しはない、いつそんな――
(回想)

こ、これは?

案ずるな、ヴァレス。

この大長老から頂いた霊薬を飲んで邪気を払えば、お前の父はきっとよくなる。

彼は聖猟の際、私を庇って傷を受けてしまった。

大長老が言うには、はぐれてしまった時にあの伝説のイェティに襲われてしまったらしい……

それでこんな弱まった姿になってしまったのだ……さあ、私が薬を飲ませてやろう。

なぜ父は目を覚まされないのですか、それに口元にあるこの緑色は……

もはや払えきれぬほどの邪気を受けてしまったため、イェラガンド様に召されたのだ。

こいつは以前に何度も曼珠院に逆らったことがある、おそらくそれでイェティの呪いにかかり、今日の聖猟でその命を刈り取られたのだろう。

霊薬をもってしても己の意志と信仰心を取り戻せなかったということは、相応の審判を受けたということになる。

……
(回想終了)

大長老に飲ませたあの酒はまさか!?

その通りです。

当時大長老が私の父を訪れた際、あの霊薬をなくしてしまったことがありましたが、憶えておりますか?

申し訳ありません、旦那様。祭典で大長老が倒れるまで、私も半信半疑だったのですが……

……

まさか……まさか私はこの手で我が重臣を……

旦那様、あなたに恨みはありません、旦那様のせいではありませんので。

しかしイェラグは確実に変化を迎える必要があるのかもしれません、ですのでどうかそれの邪魔をしないで頂きたいです。

イェラグに忠誠を誓った戦士たちがこれ以上同じような目に遭わないためにもどうか……

アークトスが危険に陥る場面を阻止したか……またドクターの想定通りにいったな。

だが――

こうなると知ってりゃ最初からブレイズを寄越してこればよかっただろ、正面戦闘に長けたエリートオペレーターの中でこの立体的な山の環境で一番機動力があるのはあいつなんだからよ。

鉄道が止まっちまったあと、イェラグの交通はあまりにも不便すぎるからな。

はぁ、まあいい、こっちもそろそろ動くか。

……

本当に行かなきゃならないのか?

ああ、両親が決めたことだからな、イェラグにはもうボクたちの居場所はない。

あれはきっとおじさんとおばさんがやったことじゃない、おまえともなんの関係もないだろ。

……だとしても信じられないんだ。

どういう意味だ?

あれが本当に父さんと母さんがやったかは知らない、ましてや……ボクたちは間接的に共犯になったかどうかも。

……だとしてもおれが許す。

おまえは誰よりもおれの父を尊敬していただろ、分かるさ。

……エンシオディス、ボクたちの夢をまだ憶えているか?

当たり前だ。

二人で一緒にこのイェラグを強い国に造り替えるんだろ。

……でも、おまえは行ってしまう。

帰ってくるさ。

本当か?

ああ。両親はヴィクトリアに引っ越すつもりだ、ボクもそこの学校に通う。

いい機会だ、そこの最先端の技術を学んでおく、そして戻った時におまえの力になろう。

……ふっ、おまえってヤツは。

ならこの際、おれの考えを一つ教えてやろう、まだ誰にも教えてないやつだ。

なんだ?

エンヤとエンシアが成人した後、おれもイェラグを出るつもりだ。

おまえと同じように、色々と学んでからここに帰る。

……おまえは未来の当主になるんだろ、そんな長期間イェラグを離れていいのか?

その時は、おまえに会うよ。
(回想終了)

おい、ノーシス、飯を持ってきたぞ。

……

チッ、黙ってりゃ見逃してやれるとでも思うなよ。

言っておくが、今じゃシルバーアッシュ家の人間全員がお前を殺したくてしょうがないんだ。

旦那様と巫女様にあんなことをしておいて、もし旦那様がお前をここに収監しろと言わなかったら、飯どころか水一滴すらお前に飲ませたかねぇわ。

……

飲まず食わず、声も出さずってか?

なら好都合だ、とっとこのこの部屋の中でくたばりやがれ!
(イェラグの戦士が部屋から出ていく)

……

ノーシス、随分と変わったな。

以前のお前は人を鼻で笑うこともなく、無価値と蔑むこともしなかったはずだ。

変わったのは君のほうだ。

以前の君は自身の身分を武器にすることはせず、社交辞令や世辞など沸かすような人間ではなかったはずだ。

あれはあの貴族たちを相手にするためだ、学ぶ必要がある。

よりよい研究のために、誰からどう見られようが私は気にはしないさ。

なにを研究しているんだ?

生命科学、それと源石の解析だ。

難しそうだな。

君はどうなんだ?あの貴族たちの中ではそれなりの地位を持ってるように見えたが。

お前がイェラグを出る前に私たちが言ったことをまだ憶えてるか?

……

イェラグから出られて私は嬉しく思うよ、ノーシス。

外に出てようやく知ったんだ、今はもう自分を殻に閉じ込めればいい時代ではなくなった。

過去の百年、国同士は絶え間なく交流と衝突を繰り返し、その中でクルビアは急速に発展し、ガリアのような強国はその衝突の中で跡形もなく滅び去った。

テラ大地にある諸国が天災によって隔てられていた時代は徐々に変わろうとしている。往来を拒否することはもはや時代にそぐわない選択となった。

もしイェラグが依然と昔の姿のままでいれば、国を閉ざして自分たちの安寧な暮らしを享受することはできる。

しかしそれにより私たちが迎えるのは、破滅だけだ。

私たちはもう十分に平和と安寧を受けてきた、我々の門を他者に無理やりこじ開けさせるわけにはいかない、イェラグは外界と接触し、自らの足で歩みだす必要がある。

だから私に手を貸してくれ、ノーシス。

……フッ。

はぁ、イライラするぜ。

お前もいい加減にしてくれ、こっちまでイライラが移っちまう。

マジでわからねぇ、なんで旦那様はノーシスを殺さずに閉じ込めることだけにしたんだ。

俺からしてみれば、バスンとあいつの首を刎ねちまえば何事も綺麗に収まんのに。

お前に分かるかよ、あいつの首を刎ねたところで旦那様の怒りが収まるとでも思ってんのか?

旦那様はあいつをあんなによくもてなしてやったのに、結局は裏切られたんだ。

きっちり痛めつけてやらんと割に合わないだろ?

言われてみりゃそうかもな。でもよ、もうそろそろほかの両家と戦争し出しそうなんだろ、俺はやっぱり前線に行きたいぜ。

チッ、この戦闘狂が。
(エンシオディスが近寄ってくる)

旦那様。

ノーシスの様子はどうだ?

もうすでに丸一日飲まず食わずです。

しかも一言も話さないどころか、俺たちにうんともすんとも返してくれません。

私が彼と話そう。

はっ。
(エンシオディスが部屋に入っていく)

なあ、二人で何を話すと思う?

知るかよ。

ノーシスって旦那様の腹心だったんだろ、だからよ、もしかしたら毒の酒を渡して、綺麗な死に方をさせてあげると俺は思うんだ。

本の読み過ぎだろ。

でも、あり得るかもな……
(回想)

どうやらラタトスは大長老に傾倒したらしい。

お互い知ってたことだろ、いずれはそうなる。

君のやってることがすべてイェラグのためだったとしても、彼らがそれを信じてくれることはない。

会社にいる人たちも、自分のやってることは所詮会社の利益のためと考えてる人が大半だろう。

……戦争は起こしたくない、あれはいつだってやむを得ない時に取る手段だ。

君は心配し過ぎだ。

君が今考えてる“メンツ”的なやり方より、あの両家を滅ぼして直接建て直したほうがよっぽど手っ取り早いではないか。

暴力を行使して権力を奪った私をイェラグが本心から受け入れてくれるはずもない。

そういうことなら、私に任せろ。

ほど心配性ではないのでな。

……お前に何を任せるんだ?

とぼけるな、エンシオディス。

一度ぐらいは思いついてるはずだ。

この罪人の子が、カランド貿易に潜んでいる悪人が再び裏切者になる、これ以上に適したことはないだろ。

……

エンシオディス、私は君の駒でも、ましてや部下でもない。

私は君のパートナーだ。

君が頷かなくとも、私はやってみせるさ。

むしろ頷いてくれるのならもってこいだ、そのほうが芝居も迫真めいてくるからな。

このイェラグはもとから私に居場所など与えてくれなかった、ならこっちも受け入れてくれようがくれまいが知ったことではない。

ただ汚名をもう一つ背負うことになるだけだ、気にはしないさ。

……

……

……

なにか考え事か?

君は二十年前となんら変わっていないなと、思ってただけだ。

その心は?

相変わらずの完璧主義で、自惚れてる。

君はいつだって最善の結果だけを求め、自分ならそれを手に入れられると思い込んでいるからな。

その最善の結果とやらは、アークトスとラタトスが私たちの前に立ちはだからなかったことか。

大長老はすでにイェラグで起こりえる変化を受け入れてくれた、ならこれから私たちも求めていた段階をスムーズに渡っていけるはずだ。

あれは最善の結果とは言えないさ、君も分かってるだろ、あれは最善の憶測と言ったほうが正しい。

彼らは私たちが見ているモノを見えていないんだ、なら私たちと同じ考えを抱いてることには期待しないほうがいい。

それならお前も私も異なる考えを抱いてることになるぞ。

言ったはずだ、エンシオディス、私は君の駒でも、ましてや君の部下でもない。

私には私の考えがある、だが我々の考えにも多少なりとも重なる部分はあるはずだ。

それとも、今ここで私を殺して、今までやってきた偽芝居を本物にでもするつもりなのか?

……
ほの暗い明かりの下、エンシオディスはノーシスに手を差し伸べた。

お前が私の親友で助かったよ。

……
ノーシスはしばらく口を噤んだ後、ようやく手を伸ばし、エンシオディスの手を固く握りしめた。

言ったはずだ、私はただ汚名をもう一つ背負うことになるだけだと、とっくに慣れているさ。
あの時と何も変わってない。

アークトスがすでに兵力を集結させている。

ラタトスのほうはどうだ。

これを見てくれ。
拝啓
エンシオディス様
ブラウンテイル家は長らくの間シルバーアッシュ家と良好な関係を保っておりました。近年の諸々の諍いも、各々がイェラグの前途に対する考え方の違いによるものでしょう。
イェラグの情勢が明らかとなった今、シルバーアッシュ家はすでに民心が向かうところの指標となっております。
この変革の時に際して、不必要な争いを避けるため、同時にイェラグの平和のために、わたくしラタトスはブラウンテイル家を代表して、ここにシルバーアッシュ家へ帰順することに致しました。
もしこれまでの宿怨を顧みずに頂けるのでしたら、ぜひお会いしたい所存でございます。
また、ご両親が亡くなられた真実も、その際に明かして頂きたいと存じます。
敬具
ラタトスより

……見え透いた罠だな。

しかし行く価値はある。

情勢はまだ君が無意味なリスクを冒すほど明らかにはなっていないぞ。

私たちはもう勝ったんだ、ノーシス。

本来の目的なら達成した、ペルローチェ家とブラウンテイル家も今ではイェラグの裏切者だ。

ブラウンテイル家の論調なら私がそこに仕込んでおいた人がズラしてくれる、ペルローチェ家も同じだ、あそこの人たちは頑固だが、正直でもある。

彼らがアークトスの“罪”を理解してくれた後、ペルローチェ家のほとんどの門は私たちのために開かれるだろう。

その際、後処理のための時間なら十分だ。

アークトスとラタトスがあのまま手を引くとは思えない。

だからこそラタトスと直接会いに行く。

ラタトスもあの時私と一緒にヴィクトリアへ留学しに行っていれば、今頃は私と同じぐらい成果を上げていたはずだ。

もしあのような人がこんな交渉まで持ちかけても私が行かなかったとすれば、趣がないだろ。

君はいつか必ずその自惚れで命を落とすことになるぞ、エンシオディス。

そうかもな、だが今日ではない。

アークトスについてだが、向こうもなんら変化がないわけではない、だからこそお前の力を借りにきたわけだ。

ただの粗忽者だろ、彼に一体どんな波風が起こせるというのだ?

確かにアークトスでは波風は起こせん、だが手を出してくるのは彼ではなく、ドクターだ。

彼は今回における最大の不確定要素と言える、こちらも構えずにはいられない。

ドクターか。

その人がイェラグに来てから想定外なことをしたのは認めよう、だが本当に君がそれほど重視するほどの人物なのか?

イェラグにまったくの理解がない上に、短時間でこの一連の出来事の核心にまで迫り、私たちの計画を攪乱した人物だ。

私だったとすれば、あそこまでのことは到底できん。

それに彼が次にどんな手を打つのかまったく想像がつかないんだ。もしかすれば何もしないのかもしれない、あるいは――

私ですら想像もしなかったようなことをしでかすかもしれない。

フッ、初めて言っておくことではないが――もし負けが怖いのなら、その挑戦をあたかも喜んで受けようとしてるフリはやめたほうがいい。

君は色んな人を騙してきたが、私にウソは通用せん、あのカジミエーシュからきたボディーガードにもな。

ならその言葉に返そう、ゲームの駆け引きを楽しむことと勝ち負けは別だ。

ゲームの楽しみは結果ではない、勝利へ進む過程なのだよ。

そこが私と君が一番かけ離れているところだ。なら私はせいぜい君が自身の自惚れに殺される前に助けてやれるように構えておくとしよう。

それについてならこれからも言葉を交わす機会はごまんとある。とにかく、私がラタトスと会ってる間の指揮権はお前に委ねる。

カランド貿易にまだ私の言うことを聞いてくれる者が残っているとでも思うか?

ヴァイスと、マッターホルンが残っている。
(ヤーカとヴァイスが部屋に入ってくる)

彼ら二人がお前の代わりに命令を下に伝えてくれる。

ノーシス、事情は知った、ご苦労だったな。

いやー、まさか今までのあれはフリだったとは……

世辞なら結構だ。

フンッ、ようやく時間が空いたと思ったらこれか。

私の研究はもうすでに長い間停滞している、ここに収監されてる間は、少なくとも本ぐらいは読めると思っていたんだがな。

お前は私のパートナーなのだろ、ならお前の研究は私の研究だ、時間ならこの先いくらである。

……君が無事に戻ってこれればの話だがな。
(デーゲンブレヒャーが近寄ってくる)

そろそろ出発だ、エンシオディス。

では任せたぞ、ノーシス。
(エンシオディスが立ち去る)

……

……

聞きたいんだが、お前があの祭典でやったことは、どれも本気だったのか?

そうだと言ったら?

ならその鈍った腕を鍛え直すといい。

昔と比べて面白さに欠けていたぞ。

善処しよう。

お前は私の相手になれたはずだ、辛うじて半分程度ではあるがな、私も少しは構ってやろう、さもないと生きててもつまらん。

術師はただ研究のついでに兼ねてるだけだ。

もしもう少し強ければ、演技も少しは迫真めいていたんだがな。

……

だがお前があんなに憤慨していた姿は初めて見た。

いい演技だったぞ。

まあ、お前のアレは本気だったらしいがな。
(デーゲンブレヒャーが立ち去る)

……

ノーシスさん、これからどう致しますか……

……メンヒはどこだ?

……メンヒなら別の部屋に軟禁しております、案内しますよ。

彼女は知ってたのか?

それはできればあなたの口から伝えてあげてくださいと、旦那様が。

……案内してくれ。

……

ノーシス様……
メンヒは靴から小さな短刀を取り出した、彼女の秘蔵の武器だ。
ノーシスが実験の際に出てきた余り物で、彼女にやったプレゼントでもある。
彼女はそっと短刀を撫でる、その目には翳りがあり定まってはいない。
(ノーシスが近寄ってくる)

……馬鹿な真似はよせ、メンヒ。

……

……お怪我は受けてなそうですね。

よかったぁ……

私は平気だ。

むしろ君には苦労をかけたな。

私……誓いましたから……

ノーシス様がお求めとあらば、メンヒはどこへだってお供しますって……

……

……その顔、どうやら今回の事情をある程度把握したようだな。

一連の事件は、すべて私とエンシオディスが企てていたものだ。

……

やはりそうでしたか……

崖の下で待ってたヴァイスに助けられてから、ずっとそうじゃないかって思ってました。

もし何もかもあらかじめ敷かれていた計画なら、私は一体どういった役目にあったんでしょうか。

あなたがここに現れたってことは、そういうことだったんですね……

……

すまなかった。

……ノーシス様が私に謝る必要は万に一つもございません。

メンヒ、君は君なりの考えを抱いていた。それは理解できるが、私にも私なりの考えがある。

……

私とエンシオディスが袂を分かち、カランド貿易を離れてからラタトスと接触したのは、すべて最初から計画のうちだったんだ。

この計画を知る者は最少に抑えておきたい、だから君には教えなかった。

……

この計画がどれだけ無茶なものかは私もエンシオディスも理解していた。

どんな些細な点も制御下におく必要があった上に、どの行動も万に一つの過失を起こしてはならなかった。この計画は私がいつもしてる実験とは違う……もう一度などという機会はないのだ。

それで君を不快にさせてしまったのなら、君に謝ろう。

……

そんな……なんでそんなことを。

……

どうして……

なんだ?

あなたが何をしようが、どんな計画を抱えていようが、私は……

……ずっとあなたの力になると誓いました。

……

なのになぜ私を信用してくれなかったのですか……

……私を信じてもよかったのに……

……

メンヒ、どうか理解してほしい。

君を信じているからこそ、この一番肝心な時に、君に頼ろうとしていたんだ。

君のことなら信じているさ。私の最も優秀な部下として、きっと完璧に私の計画の力になってくれるとな。

……

さあ、もう余計なことは考えるな、今回はよくやってくれた、もうすべて終わったのだからリラックスしていても構わない。

これから存分に羽を伸ばすといい。

……

……どうやら言葉を交わせるような余裕はないようだ。

またあとでも見に来るよ。
(ノーシスが立ち去る)

……

私を信じてる……?

私を信じてくれてる人は、一体どこに行っちゃったの……

……

ノーシス様……私、あなたを信じてもよろしいんでしょうか?











