アタシの愛しい妹、アンタはアタシの権力を、地位を、財産を、アタシのすべてを羨んでいた。
けどそんなアタシはアンタの愛する人を、自由を、未来を、アンタのすべてを羨んでいることをアンタは知らないでいる。
アタシはいつだって取り換えっこできればいいと望んでいた、例えそれが決して叶わぬ夢だとしても。
ブラウンテイル家をアンタに引き渡せば、それは一族の滅びを意味する。
アンタの暮らしをアタシに譲れば、おそらくそんなアタシの人生も失敗に終わるでしょうね。
……
大したものね、エンシオディス、アタシに会うってのに護衛を一人しか連れてこないなんて。
私は争うために来たわけではないからな、お前もそんなつもりはないだずだろ。
フンッ、お生憎そんなつもりよ。
アタシらブラウンテイル家がペルローチェ家ほどの兵力を保持していなくともね。
デーゲンブレヒャーも入る?
入ってほしいのか?
ご自由に。
デーゲンブレヒャー、お前は外で待っていろ。
いいのか?私はどちらでも構わんが。
示したいのだ――私の誠意を。
エンシオディス、アンタの十八番は自分をウソで塗り固めることよ。
誠意ですって?アタシがなにをしたって無駄だって知らしめたいだけでしょ。
もしくは――お前が有意義な何かをしてくれるのを期待している、とも解釈しても構わないぞ。
それなら期待してちょうだい、後悔はさせないわ。さあどうぞいらっしゃい。
記憶が正しければ、ここはエーデルワイス家の領地だったはずだ。
その通り。いい屋敷でしょ?
いい位置だ、それに視野も広く確保できている。素晴らしい屋敷と言える。
エーデルワイス家は代々イェラグで文書保管の史官を務めてきたし、御三家とも悪くない関係にあった。離れとして、昔ウチのお爺様がこの屋敷を建ててくれたのよ。
ルッカ殿は生前とても建築や設計を好んでいたと聞く、この部屋の設計を見るに、おそらくヴィクトリアで名のあるデザイナーも感服せざるを得ない出来だ。
フフフ、アンタに褒められたってお爺様が喜ぶとは思えないわね。
でも、もし気に入ったのなら、当初の設計図を見せてやってもいいわよ。
考えておこう。
ラタトス、ここでこうして話してるうちに昔のことを思い出したのだが、何年前を思い出したかは分かるか?
何年前よ?
七年前だ。
七年前……あぁ、七年前。
アンタがちょうどヴィクトリアからここに戻ってきて、色んなものを持ち帰ってきては自分の領地を発展させてた頃ね。
そして、アンタはシルバーアッシュ家のために三族議会での議席を得るため、それと開国を図るために、アタシのところへやってきた。
開国したら、色んなビジネスが入り込んでくる、イェラグ人の暮らしは今以上に豊かになり、もう冬に凍える必要もなくなる、そう言ってたわね。
そして、アンタとアタシは一緒にアークトスと大長老を説得させ、イェラグを開国させ、外と商売を始めた。
いい時代だったわ。
ラタトスはホットミルクを一口飲む、その口調にはどこか懐かしむ雰囲気を含んでいた。
あれは確かにいい時代だった、シルバーアッシュ家とブラウンテイル家は手を携え、カランド貿易はイェラグを代表して外との貿易を開始するようになった。
資金も、技術も、人材も、色んなモノや人が続々とイェラグへ流れ込んできた、何もかもいい方向へ進んで発展してるように思えていた。
だがお前は自らそんな素晴らしい時代を終わらせた。
ラタトス、お前なら優秀なパートナーになると思っていたぞ。
アタシもアンタに失望したわよ、エンシオディス。
あのよかった時代はアンタだけのものであって、アタシのものでも、アークトスのもので、ましてやイェラグのものでもなかったからね。
結局のところ、アンタらカランド貿易がいい思いをしただけで、ほかの人はなんにも貰えなかったわ、それのどこが素晴らしい時代よ?
ただ、今更こんなことに文句を垂らしても仕方がないわね、勝負はすでに決した、敗者はアタシよ。
敗者がどんなに喚いても負け惜しみの遠吠えにしかならないんだもの。
自身を敗者と称するような敗者は存在しないさ、ラタトス。
話してもらおうか、私の両親の死について、お前はなにを知っているんだ?
エンシオディス、自分の両親はウチのお爺様とアークトスの父親によって殺されたと思ってるのかしら?
……
当時の調査によれば、私の両親はノーシスの両親が故意に引き起こした列車の事故で亡くなったとされている。
だがそれは信じられない。あの時の三族議会で、ルッカ殿とアークトスの父君も今日のように、私の両親が主導する工業化に反対していたからだ。
それに関連がないとは信じがたい。
そう、なら真実を教えてあげるわ。
アンタの両親が列車の事故で亡くなったのは本当よ、ただウチのお爺様がその罪をエーデルワイス家になすり付けたの、これが真実。
……
まあまあ、まだ話し終えていないわよ。
ウチのお爺様、最初からアンタの両親を殺すつもりでいたわ。
この屋敷はね、本来アンタの両親と会合する際、二人を焼き殺すために取っておいたものなの。
けど、ここに来る前に、二人は事故によって死んでしまった。
だから、二人のために残しておいたこの屋敷も、そのままにしておいたってわけ。
そうそう、お爺様の暗殺計画はアークトスの父親の黙認も得ていたのよ。
アンタも知っての通り、アンタの両親が死んだ数年後、アークトスの父親は当主の座をアークトスに譲った後、姿をくらました。
今頃生きてるのか死んでるのかすら誰にも分からないわ。
そんなことを自慢するために私を呼んだわけではないはずだ、ラタトス。
お爺様がやったことには生涯触れたくないって思ってたわ。
けど、彼がかつてアンタの両親を殺すために使おうとしていた屋敷が、アンタを道連れにするためにアタシに利用されるとはね。
……絶妙な皮肉だな。
屋敷一つとアタシの命でエンシオディスの命を交換できるのなら、悪くないトレードじゃないかしら。
(からくりの動く音)
ラタトスは右手側にあった取っ手を捻る。
機械が動く音が天井と壁から伝わってきた。
まるでけたたましく嘲笑うかのように。
……ちょっと待って、あれってお爺様が残してっいたからくり部屋じゃないの、なんで火がついてるのよ!?
ラタトスとエンシオディスはまだ中にいるんじゃ……
まさか――エンシオディスを道ずれにするつもり!?
ラタトス!ちょっと、なんのつもりよ、はやく出てきなさいよラタトス!
(スキウースが扉をガンガンと叩く)
あのクソ女……なんでビクともしないのよ、このドア!
ラタトス!ら、ラタトス――姉さん!!
クソッ……!
(デーゲンブレヒャーが近寄ってくる)
……
死なば諸共か……なるほど、これは想定外だ。
ん?お前は……ラタトスの妹か。
誰!?
……あなた、エンシオディスの付き人の……
(ブラウンテイル家の戦闘員が現れる)
私を止めるつもりか?
待ちなさい!誰が動いていいって言ったのよ、全員その場で待機してなさい!
ん?
どうした、私と雑談でもしたいのか?
なんで私があなたと雑談しなきゃならないのよ!?
そんなことはいいから、ねえあなた、この扉をどうにかできない!?
ゴホッ、ゴホッ。
……まったく、外の連中騒々しいわね。
お爺様のからくり、あんなに年月が経ったのにまだ動くとはね。
私が油断していた隙に逃げ出すのかと思っていた。
もしアタシが逃げられたら、アンタにも逃げられる可能性が出てきちゃうでしょ?
この部屋に逃げられる道はないわ、からくりが起動したら、中の人は死を待つだけ。
外から救出しようたって無理よ。
エンシオディス、私と一緒にここで死んでちょうだい、お願いだから。
では聞くが、ラタトス。
なにがお前をそこまでして私を止めようとしているんだ?
周りの連中はみんなラタトスはルッカ同様、策略だけが取り柄だって言うの、まあそりゃそうよね、アタシは彼の孫娘なんだもの、策略に長けていないわけないでしょ。
最初の頃、アタシは対外貿易で利益を見出したからアンタと手を結んだ、けどその結果、アンタのカランドによって貿易の利益はすべて吸い取られてしまったわ。
だからアタシは大長老側についてアンタらカランド貿易を潰そうとした、そうすればアンタらの富を独り占めにできるからね。
みんなそう思ってたわ、それがここ数年のアタシに対する一般的な印象よ。
アンタもそう思ってたんでしょ。
否定はしない。
お爺様はずっと、ブラウンテイル家をイェラグ最大の豪族にしようと目論んでいたわ。
アタシと彼の違いはそこね。
お爺様は死ぬ直前にアタシをベッドに呼びつけて、随分と楽し気にアークトスの父親は臆病者だって嘲笑っていたわ。
そしてアンタらとペルローチェ家を潰せってアタシに言ったの。
アークトスの父親のほうがまだ人間としてはマシねって、あの時そう思ったわ。
それは同意する。
いつかブラウンテイル家がイェラグを支配したって、イェラグの民は自分たちをブラウンテイルの人間と呼ぼうとはしないはずなのにね。
イェラグがイェラグたらしめているのは、イェラガンドがこの地をイェラグと名付けたから。
アタシたちは同じ信仰のもと、そんな土地で千年以上も共に暮らしてきたからよ。
けど、御三家が自分の土地を管理する制度が始まってから、すでに数百年もの時が経った。
アンタが帰ってくるまでの間、毎年三族議会で討論される内容はどれもその時の祭典の主催はどの家が持つか、どの家が補助に回るかなど他愛もない話ばかりだったわ。
アタシたちは同じ土を踏み、同じ言葉を話し、同じ物を食べ、同じ神を信仰してきた……
けど異なる家に属しているがために徐々に疎遠になっていった、事実として今はもうみんなそれぞれ自分の領地に線を引いてるザマよ。
イェラガンドの名は今も人々の心のうちに留まってるけど、イェラグという名は徐々に徐々に忘れ去られている。
アンタがイェラグに戻ってきて、開国政策をアタシに語ってくれた時は、嬉しかった。
シルバーアッシュ家が諸外国と商売するだけでなく、ほかの両家もそれに参入してほしいってアンタが言ってくれた時、それなら御三家はまた一つになれるってアタシは思ったからよ。
エンシオディスは足を組み替えた、彼を知ってる者には分かる、あれは彼が真剣に話を聞いてるという現しだからだ。
カランド貿易がシルバーアッシュ家の同族経営企業として貿易を行うことと、カランド貿易がイェラグの窓口として貿易を行うことは違う。
しかし、私にも御三家をもう一度まとめたいという考えはあった。
アンタに?――ゴホッゴホッ。
アンタがなにを弄ってきたかを知るために、これでもかなり経済を勉強するハメになったのよ。
税率を引き下げて、外資を呼び寄せて、彼らを優待した。
あの大資本を留めさせるために、色んな大企業と色んな不平等な貿易協定を結んだ。
それと、アンタ裏でこそこそと軍事工場や軍を育ててるでしょ、アタシの目は誤魔化せられないわよ。
アタシはアンタの稼いだ金を横取りしようとしたから脱退したとでも思ってたわけ?
違う、恐れていたからよ。
いつからか、アンタからは御三家をまとめようとする思いが見えなくなったわ、むしろイェラグを自分のものに、あるいは他人のものにしてしまう感じに見えた。
もし大長老とアンタのどちらかを選ぶってんなら――アタシは大長老のほうをよろこんで選ぶわよ。
……
どうやらお前を誤解していたようだ、ラタトス。
そちらがそこまで真摯に打ち明けてくれたのなら、私も少しだけ腹を割って話そう。
イェラグの鉱業と原材料は他国と比較して豊富だが、私たちは核心になり得るイェラグ独自の技術を持ち合わせていない。
技術交流の際にこれは絶対的な劣勢になる。
金で買える技術はある、だが買えないものもある。
それがどういう意味か分かるか?
……
例を出そう、霊山の貿易ルートの経営権を引き換えに、旧式の鉄道信号システムと中古列車の優先購買権を得られた。
あれがなければ、私の両親が残した鉄道と数十年前の列車だけでは、工業の輸送も民間の交通もまったく話にならなくなっていたはずだ。
もう一つ例を出そう、東部にある鉱脈区の共同採掘権を引き換えに、レムビリトンが開発及び技術提供により培った最新型の鉱石加工技術と設備を交換した。
あの技術は私たちが今まで使ってきた技術と比べて効率が何倍に跳ね上がると思う?
……アンタが何を換えてきたかはどうでもいい、アタシが気になってるのは、アンタが何を差し出したかよ。
私たちにはもう時間がないんだ、ラタトス。
ヴィクトリアにしかり、ミノスにしかり、クルビアにしかり、カジミエーシュにしかり。
あの国々がイェラグを狙ってこなかった理由はただ一つ、それは――今のところ必要はないからだ。
移動都市がまだ発明されておらず、天災が大陸で人々を追い掛け回していた歴史の時代、大陸各地に分割されていたそれぞれの文明はまだ互いをあまり知らないままでいた。
現代的な国家はおらず、交流も交通もほぼ皆無だった。
今から二百年前、つまりあの開拓の時代だ、その時代になってもまだ自身の発展だけに注目して、各々は他国との接触を避けていた。
しかし今から数十年前、各国の間で徐々に摩擦と交流が生まれ始めた。
ガリアの後ろ盾により、クルビアはヴィクトリアから独立した。
それからたった十年で、あのガリアが四皇大戦で滅んでしまったのだ。
クルビアとリターニアはボリバルを巡って今でも戦争をし続けている。
それだけではない、国同士は戦争によって互いの交流を加速させた、各国同士で貿易協定を結び、次々と国を跨ぐ貿易会社が設立していった。
どの国も独り善がりでいられなくなったため、他国と共存する道を探すようになったのだ。
そんなことが外で起こっていながらも、イェラグは知らないふりをしている。
そんな危機が今目の前までにやってきても、私たちはなんら自覚を持っていない。
確かにヴィクトリアは今自分のことで手一杯だが、クルビアが開拓している辺境はすでに西の山脈に近づきつつある。
長い間、彼らにとってイェラグは占領する価値のない痩せこけた土地に過ぎなかった。
しかし、もしヴィクトリアが自国内部の問題を解決したら、もしクルビアがヴィクトリアになにか企んでいたら、あるいは、カジミエーシュが南下してきたら。
その時イェラグは、また今までのように安寧でいられるのだろうか?
……
あなたに話してるのよ!ちょっと!き、聞こえてるんでしょ!
もうお願い、お願いだから!この扉をどうにかできないわけ!
ギャーギャーと騒がしい。
なんですって!?
少しは静かにしろ、それと近寄るな。服が乱れる。
そんなこと気にしてる場合!?
自分の裾をひっきりなしに引っ張ってくるスキウースを払い除け、デーゲンブレヒャーはエンシオディスとラタトスが閉じ込められてる屋敷へと近づいていく。
屋敷の窓はどれも鉄板で固く密閉されていた。
そして彼女の目の前には、重厚な壁が構えている。
お前のものなのだろ。本当に私を止めなくていいのか?
止めてどうするのよ!いいからさっさとして!
……フッ。
(斬撃音と壁が崩れる音)
微かに笑みを浮かべた後、彼女の斬撃により壁はいとも簡単にこじ開けられた。
そして軽く蹴りを入れたあと、先ほどまでまるで崩れることを知らないような壁は豆腐のように地面へ倒れた。
しかし地面に倒れた際の大きな音が、それはかつて重厚な壁だったことを示唆している。
ただ、デーゲンブレヒャーはこの結果に満足がいっていないようだ。
……やはりエンシオディスの戯言に耳を貸して、長らく供にしてきた相棒を倉庫に預けるべきではなかったな。
剣で斬るにはいささか面倒だ。
(斬撃音と壁が崩れる音)
そう言って、手に持っていた剣を捨て、腰に佩びていた鐧(カン)を取り出した。
壁が斬撃に応じて崩れていく、まるで引き裂かれる紙のように。
炎は徐々に部屋の中で広がっていき、勝手気ままに部屋の中のすべてを呑み込んでいく。
だが、部屋にいた二人は微動だにしない。
まるで熱さを感じていないかのように、あるいは炎に劣らない熱さを抱いているかのように。
お前がイェラグにそんな思いを抱いていたとは予想外だった。
もっとはやく今日のことを話していたら、私たちもこんなことにはならなかったはずだ。
しかしこれも必然なのだろう。
互いに立場ある人間だ、こういった場面でなければ、本心を吐き出せずにいるのも無理はない。
フンッ、よく言うわね。
必然、か。
そうね、必然ね。
必然なら、一緒にイェラガンド様に会いに行きましょ。
ラタトスは疲れからか、視野がぼやき始めた。
うっとりとしている間、彼女は幼い頃に、妹と一人の男の子と一緒に遊んでいた時の景色が見えていた。
鉄道と工場に興味津々だった自分のことも見えていた。
あれはもう彼女にとって戻ってくることのない時代だ。彼女は頭を振る、向かいに座っているエンシオディスは先ほどと同じような姿勢を保っているが、もはや彼がどんな顔をしているのかは分からなくなっていた。
この男はこんな時になっても冷静でいられるのね。
けどそれも今日でお終い、アンタはここで死ぬのよ、フフッ。
(斬撃音と壁が崩れる音)
意識は徐々に沈んでいき、途切れようとしたその時、“ドカン”と大きな音が聞こえた。
そしてそれに重ねて入ってくる、聞き慣れた声も。
ラタトス!!
そろそろ行くぞ、エンシオディス。
……うっ。
ラタトス、目が覚めたのね!
……
アタシ死んでない!?
デーゲンブレヒャーがいたんだ、死ぬわけがないだろう。
……このブラウンテイル家自慢のからくり部屋でも殺せなかったってわけか。
壁はさして問題なかったが、お前たちがいる部屋を探すにはそれなりに手間がかかったぞ。
……
なんで助けたのよ?
私はブラウンテイル家の投降を受け入れにきただけであって、その当主の屍を貰いにきたわけではないのでな。
……あれはアンタをここに誘うための罠だったんだけどね、アタシを生かしてておいたら、ブラウンテイル家がアンタに服従することがないのは知ってるでしょ。
エンシオディス様……本当にエンシオディス様だ!
エンシオディス様、あの火事が起こった屋敷から逃げてきたのですか?
ラタトスだ……きっとラタトスがあなたを殺そうとして仕掛けたんだ!なんて卑劣な!
ラタトスのことはもういいから、ほらはやく、服を持ってきてちょうだい。
なら私のものを、エンシオディス様、私のコートをお使いください!
群がる人々の中、一人の貴族が興奮気味に自分のコートを脱ぎ、恭しくエンシオディスのもとへ駆け寄り、彼にコートを着させる。
しかしエンシオディスはそのコートを脱ぎ、地面に倒れ込んでいたラタトスのもとへ寄っていき、彼女にコートを被せた。
それから、静かに、ただ身を起こし、路肩で彼を待っていた車両へ向かっていった。
エンシオディス様はラタトスを捕らえないばかりか、彼女にコートを被せてあげたとは……なんてお心が広いお方なのだ!
おい、なんならここでラタトスを……
エンシオディス様が見逃してあげたばっかじゃない、殺しちゃダメでしょ?
あれはきっと俺たちのために手柄を残してくれたに違いない、お前にわかるかよ!
なんですって!?
フンッ、スキウースだったか、そう焦るな、お前も一緒に逝かせてやるよ。
消えろ、とっとと私たちの前から消えろ!
な、なんだよこの女、イカレてやがる!
ねえ、ラタトス。
……
ねえってば!
ボケっとしないで、逃げるわよ!
逃げる?どこによ?
この人たちを見てみなさいよ、みんなアタシらブラウンテイル家の領民よ。
この人たちの目を見てもまだ分からないわけ?
アタシの完敗よ。
チッ……
どうやら一歩遅かったようだな。
アンタ……あの時アタシとアークトスを助けてくれた人ね。
なに、アンタもアタシを笑いにきたわけ?
いいや、ドクターがお前に会いたいと言ってるから迎えにきた。
……
アタシ……
まあいいわ……
もうこのザマだし、行ったところでどうだっていいわ。