あと一刻二刻過ぎれば、夕色は青天を染めきることになる。
三山十七峰のこの峰、どこの山で、またどこの峰なのかは分からない。
ただそこには庵があり、尚蜀今昔の風景を一望できる、収まりきれないほどの。
しかし今でこそその庵はがらんとしていて、その風景を眺めてもらえる人はいない。
だがそうこうしてるうちに、人がやってきた。

ここだな。

……

なんだよ、会いたくないのか?

……煩わしいからね。

そんなしょっちゅうお前に構ったりしないだろ、あの人は。

だからよ。

……はぁ。

なにを言おうがアタシらの姉貴なんだからよ、ちったぁ顔を立ててやれよ。

本人がここにいないんだから別にいいでしょ。

……それもそうだな。なんでいねーんだ?

麓はあんな騒がしくしてんのにな……こんな山奥に隠れてるなんて、姉貴らしいっちゃらしいぜ。

私があんたを避けてたらひん曲がった性格してるって言うくせに、なんで彼女があんたを避けたら私の時と全然違う態度をするのよ!?

いやだって……姉貴はお前みたいにずっと避けてるわけじゃねーだろ。

ちょいと酒に酔っちまったら、俗世から離れた浮雲を探して、そこで少しだけ微睡むだけだ、お前ほどじゃねーんだよ。

チッ、差別ね。

んなことしてねーよ。

それよりも酔っぱらって何かしでかさないでもらいたいわね。

あっちは呑気に酔っ払いながら夢を見てるくせに、こっちはあの連中に絡まれて大変だっての。

……あれでまだ寝れるなんて大したモンだぜ。本当に寝ちまってるのか?

一体どんな夢を見てるんだろうな?

……知らないわよ、聞かないでちょうだい。

……

どこをほっつき歩いてんのかは知らないけど、どうせ退屈に思ったら自分で戻ってくるでしょ。

聞いた話によると、この峰は本来なら崩れちまってたはずだ。

いつになったらここを探し当ててくれるんだろうな、クルースとウユウは。

……はぁ。

支配人、どちらへ?

避けられぬ厄介事が来てしまった。

……ショウに会ったんですかい?

ああ。盃もヤツに奪られた。

あんのクソ野郎!相変わらず聞き分けできねぇ野郎だぜ――!

いいんだ、ツケだからな。
(ジェン総支配人が刀を抜く)

おお、いい刀ってのはやっぱり錆びないもんなんですね。

支配人が刀を抜くとこを見たのは久しぶりですぜ。

刀剣に情けなし、やはり人を斬るよりも野菜なり果物なりを斬ったほうがマシだな。

だがヤオイェーに私の跡を継がせるためには、ショウとの因縁を解決せねばならん。

確かにショウは分からず屋ですけど、親同士の因縁をお嬢様に持ち越すほどのクソ野郎でもないですぜ。

支配人、やっぱりご自分で行かれるんですかい?

……ほかの者が行ったところで何になる。

あの雨の日で、二人の命をなくした。彼の息子は私の過失のせいで亡くなり、私に恨みを持った、文句は言えんよ。

彼がこれまでどう過ごしてきたかは、私が一番よく理解しているからな。

支配人……

安心せい、盃だけはなんとしてでも取り返してみせるさ。

取り返せなかったら、釈明の余地はないからな。

シェンさん、もっとはやく山を登る方法はないのかな?

あるっちゃある、だがあんま山を登ったことがない人間にとっては少々あれだ……

大丈夫、私なら慣れてるから。

……わかった。じゃあこっちだ。

グギャァ――!

チッ、本当になんなのよコイツら?
(ドゥ嬢が器倀を蹴り飛ばす)

……

ちょっと!リーの!

アンタの代わりにコイツらの相手をしてやってんのよ、なのにアンタはなにをボケっとしてるのよ?

……お気になさらず。

ただ……

もうシャキッとしてちょうだい、なんでいちいちコイツらがアタシらに纏わりついてんのも分からない状況な上、あの夜半と歩荷まで見失ってしまった始末なのよ今は!

なのになんでアンタはちっとも焦ってないわけ?

まあまあ、そう焦らずに。

……約束ならきちんと果たしますよ、ただその前に……

……近くに水場がある建物を探しましょう。

ふぅ……

(まだ若いのに、歳不相応な体力をしているな……)

こんな険しい山道なのに、まったく息切れを起こさないとは大したものだ。

以前もよくこういった山とかを上り下りしていたのか?

……まあ数年前にね……

それに私はレム・ビリトン出身だから、こういった荒野とか山での生活には慣れているんだ、炎国の山とはちょっと違うけどね。

……なるほど。

昔から蜀の道は難しって言われているんだ、みんなそれがどこの道なのか言い争っていたが、実際はどの道も難しいってことになった、ここの山道も険しい箇所しかないものだな。

シェンさん、リーさんはこの取江峰で待っててくれって言ってたけど、なにか理由でもあるの?

彼がリャン様から盃の来歴調査を頼まれた時、まず最初にここ取江峰に行ってくれと言われたんだ。

……だが彼が聞いたのは“攥江峰”だった。その古い名前を知ってるのは現地の人でもほんの僅かしかいない、もう名前を変更されて長い間が経つからな、彼がどうしてその名を知ってるのかは、私も気になってるところなんだよ。

じゃあ多分リーさんは何かしらの手掛かりでも掴んでいたのかな……

手がかりなら掴んでいると聞いたぞ。夢の中で見たって、彼はそう言っていた。

その時はあまり深く聞かなかったさ、なにか隠し事があったから私を遠ざけようとしているんだと思っていたからな……仮に夢で見たというのなら、それはそれで奇怪な話だが。

うん……この取江峰、やはり道が険しいのか、観光客も少ないな。道の起伏も少なく、人の往来が多い泥泥峰や、あちこちに劇場を設けてる数舟峰より、ここはよっぽど静かだ。

お前も見えてるだろ……ここにある残された村や建物は、全部大昔に残されたものなんだ。

だが……

ほかの手掛かりとかはないの?

だが取江峰がまだ攥江峰と呼ばれていた頃、この山間にはもう一つ別の峰があったんだ。

その峰は攥江峰と合わせて“双峰回日”って呼ばれていてな、本来ならこの三山十八峰の中で一番雄大な両峰だった。

その峰はもはや崖といった様子で、一番険しい部分はほぼ垂直に近しく、遠くから見ればまるで天を衝く石の剣のように見えたんだ、壮観と言っても過言じゃないらしい。

毎日日没の頃、ほかの峰から見れば、まるで剣をもって日に挑むが如く、太陽が峰の尖がりに堕ちていく景色が見られた。

ただ残念なことに火の雨も降り注いだほどの巨大な天災が起こったせいで、この一帯の地形は変えられてしまった、あの剣にも見えた峰も大半は崩れてしまったよ、もう三十年も前の話になる。

もし街中で適当に尚蜀の年配者から話を聞けば、あの時起こった黒雲が街を押しつぶす奇妙な光景を鮮明に語ってくれるだろうよ。

まあ生憎あの頃、私はまだここの川で生計を立てていなかったため、この目でその光景を目にしたわけではなかったんだんだがな。

天災が起こったのに……尚蜀の人たちは奇妙な光景って呼んでるの?

奇妙と言われる理由ならある。あの時、天災はなんの前触れもなく襲ってきた、欽天監が警報を出した時には、付近の山にある村々を退避させるだけでギリギリだったらしい、本来なら逃げられるはずもない状況だったんだが……

どういうことか雷は轟くくせに雨は小ぶりで、家が数軒被害を被っただけで、山間にあった村々はまったく損害を出していなかったんだ、それに誰一人無傷だったという、これが一つ目の奇妙な点だ。

その後、土木天師が変動した山の地形を調査しに来た際、普通ならあのような高い峰が崩れた場合は、必ず峰だった部分が残るはずなんだ。

……だが取江峰の傍らに残った“刀身”である山体を除いて、山だった部分の巨石や崩れた痕跡がまったく見つからなかった、これが二つ目の奇妙な点になる。

どうしてそんなことが起こったかは、現時点で誰も分かっていない。それから信憑性のない噂や伝説だけが残るようになってしまったのさ。

まさか尚蜀でそんなことが起こってたなんて……

……炎国の歴史と伝説は、元来分けられるものではないからな。

尚蜀の誕生だって、古代の人々が見た夢と関係してるって伝説があるぐらいだ。具体的にどうだったかについては、それこそ検証のしようもないけどな。

その消えた峰の名前はなんて言うの?

……尋日峰だ。

まあしかし今じゃ炎国は急速に発展を遂げている、若い世代たちからすれば、三十年前の出来事なんてただの古臭い昔話にしか聞こえないだろうな。

待て――!

――なんの声だろ?
(ブラックナイトと器倀が崖から落ちてくる)

(レムビリトン語)痛てて――ライト、そいつを逃がすんじゃないよ――!

アウゥ――!クゥゥン――!

(レムビリトン語)大人しく、しろ――!

――キャン!

なんだあの人は……アレを捕まえているのか?

そうみたい……

(レム・ビリトン語)フッ、そうよ、そのまましっかり押さえてて、逃げられないように見張っておくのよ!

(レム・ビリトン語語)あのー、レム・ビリトンの人ですか?

……!

……

(レム・ビリトン語語)まあまあそう警戒しないで……私たちはただ……

(レム・ビリトン語語)その恰好、炎国人じゃないわね。

グガァ――!

(レム・ビリトン語)――大人しくしなさいったら!フンッ!ねえあんた、これなんの動物か分かる?

(レム・ビリトン語)えーっと……それはアーツによる造物だと思うよ。

(レム・ビリトン語)アーツだって?あのリターニアの貴族様たちが遊んでるアレと同じってこと?ちぇっ、なによ、てっきり炎国の動物だと思って飼い慣らそうとしていたのに……

(レム・ビリトン語)一体誰がこんなものを作り出したのかしら……!ライト!もう放していいよ、使えないって分かったから!

……

(レム・ビリトン語)……私たちもその子のご主人様を探してるんだけど、なんか知ってる情報とかあるかな?

(レム・ビリトン語)……それは……

(レム・ビリトン語)君ってトランスポーターの護衛?それともバウンティハンター?

(レム・ビリトン語)たぶん協力できると思うよ、私たちと。

(レム・ビリトン語)……私がそう簡単に知らない人を信用するとでも思ってるのかしら。

(レム・ビリトン語)同じレムビリトン人だけでも十分じゃないかな。

(レム・ビリトン語)レム・ビリトン人だからって、全員が全員いい人とは限らないでしょ。

(レム・ビリトン語)じゃあ残念だね。

(レム・ビリトン語)……でも、ここでレムビリトン人に会えるとは意外だったわ。

(レム・ビリトン語)またどこかで会いましょう、コータスさん。
(ブラックナイトが走り去る)

……

同じ出身か?

そんな感じかな……ちょっと怪しかったけど……

まあいいや、シェンさん、山頂まであとどれくらいかな?

……それなりに広い道をしてるんで、道を空けてくれませんかねお二人さん?

それは難しい相談だ。

お役所様が俺になんのご用で?

ショウさん、その腰にぶら下げているモノですが、何なのかはご存じですか?

お前たちのものだったか?

そうですがそうでもありません、ただできればぼくたちに渡して頂きたいかと。

どうやって俺のことを知った?

少しだけ噂を聞いたもので。

ほう、ジェンからどんな噂を聞いたんだ?

真っ先にジェンさんを思い浮かべたということは、ぼくたちのこともご存じなのでは?

司歳台、秉燭役だろ。

だがお前みたいな若い年齢のは……見たことがないな。

我々の正体を知っているのであれば、なぜ速やかに盃を渡さぬ?

こっちにはジェンとのケジメがあるんでね。

しかしショウさんの腰に下げてるモノとはなんの関係もないはずですが。

……俺の息子は、この盃のせいで死んだんだ、関係ないわけないだろ?

キュゥゥ……

歳若くも、大したものじゃないか。あの畜生ども、なにやらお前に怯えてるらしいぜ。

どうか協力されたし。

イヤだと言ったら?そしたらお二人は奪いに来るのかい?

……ショウさんにとって、その盃はなんの役にも立たないものかと思います。

しかしぼくたち司歳台にとって、どうしてもその盃を使う必要があるんです。

使うって何に?

餌として。

なにを釣るんだ?

国と民を滅ぼさんとする者をです。

……ウチら炎国はもう安定して数百年も経つ、そんな国を滅ぼそうとするヤツなんかどこにいるってんだ?

それは関係者にしかお教えできません。

しかし、どうか信じてください、盃をぼくたちに渡す行為は必ず大義になり得ると。

ハッ!大義ね……俺みたいな人がそんなもんを背負うつもりはないし、資格もない。

……どいてくれ。

それはショウさんが決められることではありません。

この盃は俺の息子のための弔いなんだ。ジェンが来たら話ぐらいは聞こう……

それ以外のヤツは、論外だ!

俺は取江峰の忘水坪でそいつを待ってるんだ、どけ!

つけあがるな!
(タイゴウの攻撃を歩荷が防ぐ)

――棍棒術?

くっ――なんて力の強さなんだ、このウシ野郎、パワーだけはあるようだな。

公子、こやつただの歩荷ではないぞ。

モノが先です、人は後でなんとでもなります!

お二人さん、俺が一番嫌いな言葉が何なのか、ジェンから聞いていないのか?

口を挟むな!

――俺が一番嫌いな言葉は、“モノが先、ヒトは後”って言葉だ。