(リーの走る足音)
……どこ行っちまったんだ……
ガウガウ!
うわっ。
あそこの木の枝のとこ……すごい数の妖どもが集まってきているな……
ガルル……
……はは、どう拾ったもんかね……
黒い碁石。
万物はこの世の摂理に従って生まれる、あの器倀たちの性格も、元となった器物の“意志”と相通ずるものがあるね。
それで、私の眠りを邪魔したのは……
あの墨を振り撒いて山河を弄ぶ妹か、それとも喋り出したら偉そうに決めつけてくる妹のほうか?
あるいは……
彼の手拍子で鳴った僅かながらの雑音かな?
……そこをどけ。
――!
クゥ――クゥンクゥン!
……
(ニェンが近寄ってくる)
……久しぶりだな。
……ん?あなたは確か……ロドスの……
ああ、なんだリーのほうか。
久しぶりだな、なんで龍門から尚蜀に来たんだ?
はぁ、なあ支配人が刀を持ち出していったのって、誰かと掛け合いするためなのか?
さあな。
俺たち新入りって、支配人が刀を使ってるところなんて一度も見たことがないんだよ。でも考えてみたらそうだよな、商売も順調なんだし、旅館だけでも尚蜀で食っていけるようになったから必要ないもんな。
支配人は刀で何をしていたんだ?
ここいら数年の支配人は、もうあんまり刀を使うことはなくなった。どうしてもって言うんなら、どうせ食材の仕込みで使ってるんだろう。
昔みたいに殺し合ってた日々と比べて、ジェン総支配人はもう長い間“殺し”目的で刀を使うことはなくなっちまったからな。
……なんだか凄腕の達人が隠居したみたいな感じだな?それでいま刀なんかを持ち出して何しに行ったんだ?
どうせ食材の仕込みだろ。こんなに旅館を経営してきたんだから、支配人だって仕込みぐらいできらぁ。
なんかつまんねーな。
じゃあなんだよ、仕込みついでに人でも斬るってか?
(戦闘音)
いい太刀筋だ!どうやらあれからずっと旅館の店主をやってただけじゃなかったようだな!
……いいや、あれから刀なんか振るっとらんよ。
算盤に、仕込み用の食材しか掴んでこなかったさ……それなのにまだこの刀が手に馴染むとは思いもしなかった。
まったく驚いたよ。
……もしあのジェンがふさぎ込んでいたのなら、そいつとの勝ちも負けもどうなっちまうんだろうと考えていたんだ。
どうやらそれが当たっちまったらしい。
――なにが当たっちまったよ、そっちが独り善がりで復讐したいだけじゃないの!
ッ……!
ヤオイェー!口を挟むんじゃない!お前ははやくあの龍門人を、あの盃を追うんだ!
ごめんなさいね父さん、今回ばかりはあんたの言うことには従え――
(ジェンがドゥ嬢を打って気絶させる)
グハッ!
そうなると思ってたよ。
……この子をぶったのはこれが初めてだ。
後悔するんじゃないぞ。
……タイゴウさん、あなたは支配人を助けに行ってあげてください。
公子はどうする?
ぼくは盃を追います、あれを野放しにするわけにはいきません。
待たれよ!
させん!
(タイゴウがウユウに巨岩を投げつける)
くっ、少しは手加減してくれませんかね、そうやって岩を掘り出し続けたら山を下りられなくなりますよ?
追い詰めるためにしているのだ。
恩人様!ここは私が引きつけますんで、あなたはリー殿を助けにいってやってください!あの若いのに先手を取られないように!
わかった!そっちも気を付けて!
(クルースが走り去る)
言っておきますけどイジメはいけませんからね、あなたがお役所の人間だからこっちは手を出してないってだけで――
……役所の人間だと?
私はただ恩義のためにこうして動いてるだけだ。サ公子との同行に、政府官僚としての身分などは関係ない。
さあ来い!廉家の後継者よ、ここで互いに武人として、武を競い合ってみようぞ。
……なら手加減はしませんよ!
(雨音)
……ん。
雨?
……雨が降ってきた?
明日の天気は晴れるって予報が出てたのに。
お客さん、雨が降ってきましたぜ、屋内に入ったらどうです?
……構わん。
雨の景色を眺めたいんですかい?そりゃいい趣ですな、ならあとで傘を持ってきますね……
それとご同伴の水夫さんはどちらに?
彼なら山に上がったよ。
こんな時にですかい?日が暮れたら下りられなくかもしれませんよ。
そうだな。
だが私から頼んだことなんだ。
……!あの龍門人だ!
器倀たちが彼を囲んでいる……?いや待て、彼の傍にいる人って……
おっ、新しいお客さんだぜ。
……ニェン!
オメーも盃を奪りにきたのか?
……ふぅ。想定よりも来る人が少なくて助かりました。
大炎司歳台秉燭役サガク、太傅の命により、シーと黒盃の行方を目下調査中です。
ガルル……ガルル……
……このおチビたち、なにやらあなたを恐れてるようですよ。
アタシを恐れてるってんなら普通だが、今恐れられているのはこのガキのほうだ……
オメー、なにを持ってやがんだ?
察しがいいですね。
ふん……なるほど……あのクソジジイの言ってた通りか。
そんでもってリーはなんでこの件に巻き込まれちまったんだ?
ニェンさん、それを話すと長くなります……
あとロドスのオペレーター数名をこれに巻き込んでしまった、本当に面目ない。
いいさいいさ。クルースもラヴァちゃんもこんな壁を乗り越えられなかったら、あとあと自分らの目で最後を見届けてやれなくなっちまう。
……いや~、ニェンさんもお変わりないようで……
まったくこの二日は散々な目に遭ったもんだぜ。ただあのおっかねぇジジイからは色々と教えてくれたのは幸いだった。
司歳台と礼部の間にあるいざこざとかをな。そこのお兄さんよ、だからオメーらはそんなに……アタシらを排除しようと焦ってやがるのか?
……
アタシが勝手にシーを自分のお部屋から引っ張り出したことを除いても、ほかになにか理由があるんだろ。
話してみてくれよ?もしそれらしい理由なら、アタシも改心してオメーらに力を貸してやるかもしれねーぞ?
あなたとは関係ありません。
しかしそちらが自ら姿を現したのなら好都合……
彼女はどこにいるんです?
……誰のことだよ?
とぼけないでください!
だったらオメーら登る山を間違えてるぜ。
なに?
彼女なら山頂にいる、この雲海から顔出してる山の中で一番高い山頂にな。
オメーらもうそこには登ったか?
……忘水坪のことなら誰もいませんでしたよ、ほかの普通の山となんら変わりはありませんでした。
そうかい。
――!その盃に触れるんじゃ――!
おや……ニェンじゃないか?
久しぶりだね。
――
な、なにが?
この場この時こそが、尚蜀の山々の中で最も高いところだ。
普通“一番高いところ”を指す時って、この時を使うことはないと思うんだけど。
良刻と美景あってこその山頂なんだ。
それに物理的な意味で最高峰を語ってどうすんだよ、アタシがここで椅子を置いて座ったら、アタシが最高峰になっちまうだろ?
この場所は……確か……
夢の中で見たことがある、だろ?
やはりニェンさんはなにか知っているんですね。
当ったり前だ。オメーはこの盃と一緒にいる時間が長すぎたんだよ。
普通の人間ならこの盃の秘密に気づくことはないけどよ、司歳台にしろオメーにしろ、ちょいと不注意がすぎるぞ……
……それとも、これもオメーの計算の内なのか……?
ニェンさん?
いや、アタシのことはともかく……それよりそこの少年はなにやら今すぐ話したいことがあるようだな?
……まず、シーを連れ出したことについて説明してもらいます。
クルースさんは今でもあなたをロドスの仲間として見ています、となれば、この場にいるそちらお三方は、全員がロドスと関係があることになります。
あなた方の返答と今度の事件の結果次第で……こちらは朝廷にそれを奏上し、厳罰に対処することも否めませんよ。
ッ……!
シーを連れ出したのはアタシの判断だ、ロドスはその依頼を個人的に受けただけさ、この返答でいいかい?
よくないです。あなた方十二人が一度でも会合、連絡、口を交わせば司歳台の神経を逆撫でする大事になるんです、それを知らないあなたではないはずですよね?
ほう、若いくせに、言ってることはえらく成熟してるじゃねーか……
司歳台の今のトップは誰なんだ?アタシの知ってるヤツか?
……あなたがずっとふらついていた隙に、俗世はもう何回も様変わりしてしまいましたよ。
そりゃ残念だ。
シーとリンはどこです?
あなた方三人は尚蜀に集ってなにを企んでいるのですか?その盃は……なにを隠しているのですか?
オメーらが龍門からこの盃を持ち込んできたんだろうがよ、それをアタシらのせいにするなんてお門違いだぜ?
司歳台がそれを手中に収める必要があるのはあなただってご存じのはず――
――当然だ、こいつの中にはウチらの二番目の兄貴の部分的な意識が閉じ込められているからな。
……よく分かってるじゃないですか。ならそれに関わってる数名の方々も知らなかったから無罪になるとは言い切れませんよ。
俺は別に知らないフリをするつもりはなかったんですけどね……まあリャンからなにも教えられてないのは本当ですが。
……あはは、じゃあ今更ロドスはなにも知りませんでしたって言っても無理ある感じかな?
そりゃそうさ、それにオメーは被害者なんだからよ。
俺がですか?
アタシもついさっき気付いたばかりでな。それよりも司歳台、ずっと暇して脳汁絞ってるくせに、まーだなにも分かっちゃいねーのか?
巨獣は自身を分離させて独立した人格を持つ分身を生成することができるだけでなく、自分の意識を一部の媒体に組み込むこともできる……
……しかし分身であるあなた方はそれをもう一度同じようなことをできたと言うのですか?ウルサスのマトリョーシカのように。
できるかどうかは知らねーが……言われてみればコレはあいつが新しく作り上げたものなのかもしれねーな。
百八十一個ある黒い碁石を集めるための。
……彼は気でも狂ったんですか?
もう狂ってるんじゃねーの。オメーらなら会いたい時に会えるだろ、京に閉じ込められているんだからよ。
彼との面会は、最大の禁忌として扱われているんで。
司歳台はこれまでたくさんやらかしてきたのに、まーまだそんなことを気にしてやがるのか?
それでシーは?シーに何の用があったんです?何のためにシーを連れ出しただけでなく、ここにやって来たんです?
……一つ思いついちまったんだよ。
記録を見れば、あなたはいつだって思いつきばかりでしたよ。
へぇ……アタシのことをよく分かってるじゃねーか?
(うわっ、こっち見た……)
……
アタシは……
……この盃をどうにかしてぶっ壊してやりてぇんだ。
雨。
春の霧雨。
川を行き交うはずの水夫が、この時ばかりは高い山にいた。
……もうじき日が暮れるな。
はぁ……山を登ったり下りたりで、まったく骨がガタついてくる……