夜が来た。
源石ボイラーが轟かす音は未だに弱まらず、高い煙突から今でもモクモクと煙が上に立ち込める。
労働者たちは古くなった防護服を脱ぎ、シフト交代にやってくる仕事仲間にそれを譲っていく。
カラドン市の一日が間もなく終わりを迎えるのだ。
1097年11月16日 9:50p.m.
(スージーの語り)
夜の九時、辺りにある感染者工場が勤務を交代する時間です。
ここクエルクスさんのお店で時間を潰す人は少なくありません。
でもお店として彼らに提供できるものもそう多くはありません。
粗末な鱗肉フライ、淡泊なジャガイモのスープ、味気ない果物酒。
それでも、また何人かの常連客が増えてくれました。

乾杯!

乾杯!

はははは!ブランデジュニア万歳!

スパークちゃん!もう一杯お願い!

はい、果物酒です。

なにかいいことでもあったんですか?今日は嬉しそうですね?

ブランデジュニアさんが今月みんなにボーナスを上乗せしてくれたんだ!

ボーナスつっての、100ペンスぐらいだけどな。

まあ、みんなが繁忙期で一生懸命稼いできた金に違いはない。

でもこんな夜遅くになっても帰らなかくてもいいのか、また奥さんにぶん殴られるんじゃないの?

冗談言うな!俺は一家の亭主だぞ!殴ってくるキモなんかあるものか!

そうかい、ならその亭主にも乾杯!
(グラスの鳴る音)

乾杯!

スパークちゃん!もう一杯お願い!

あはは……ジェームスさんは少し控えたほうがいいと思いますよ、じゃないと本当にまた奥さんに怒られますから。

スパークちゃん、以前店長さんから聞いたんだが、店には度数が高いお酒も置いてるんだって?

それ貰えないかな?

絶対!ダメです!

クエルクスさん言ってましたよ、あなたたちが高い度数のお酒を飲んでも百害あって一利なしだって!

アーシュさんは、ちゃんと自分の身体を労わってあげてください。

えぇ、別にいいじゃんかよ?

どうせこの病気を貰ったら、遅かれ早かれ死ぬんだからさ、ならせめて死ぬ前に……

そんなこと言っちゃいけません!

町のお医者さんが言ってましたよ、鉱石病であっても、個々人の身体状況が違えば、病状の進行だって違ってくるんですから!

そんな怒らないくれよ、俺はただ……

アーシュさんッ!

えっ……なんだ?

身体には気を付けて、しっかり生きてください!毎回毎回そんな縁起でもないことを口に出さないように!

えーっと……ごめんなさい?

まったく、スパークちゃんを怒らせてしまったな。

いや、別にそんなつもりはない。
(ゲンチアナが店に入ってくる)

あれ?今日はやけに賑やかだな?

こんばんは、ゲンチアナさん!

よぉ!ゲンチアナの兄ちゃんじゃないか!ほらほらこっちおいで、一緒に飲もうぜ!
(ゲンチアナが近寄ってくる)

あれれ~?今日はなんかいいことでもあったのか?
カラドン市の感染者地区には変人がたくさんいます、ゲンチアナさんもその一人と言えるでしょう。
ゲンチアナさんはロドスアイランドという組織に属していて、町の議会にいる貴族が雇って来た“スペシャリスト”だそうです。
でもロドスの感染者に接する態度は、今でも信じがたいものです。
「ロドスはカラドン市の町議会と協力して感染者へ医療を提供する」、そう彼らは公にそれを発表しました。
どうして……しかもまったく関わりない人たちが、向こうから感染者を助けてくれるのでしょうか?

今日は忙しくないのかい?飲みに来れる時間があるとはね?

まあね、最近人材をまた何人か募集したもんだから、それなりに人手も充実してきたんだよ。

なぁなぁ?ロドスでの仕事ってどうなんだ?結構貰えるか?

どうした、興味でも湧いたのか?

いやいいや、どうせ俺は字が読めないんだし……聞かなかったことにしてくれ。
最初の頃、感染者地区の人たちはまったく彼らを信用していませんでした、しかも彼らは重症の感染者を捕まえて実験をしてるんだってデマを流す人もいたほどです。
でもロドスは行動で証明してくれました、彼らは本当に感染者を助けてくれているんです。
鉱石病の容態診断、急性発作を起こした鉱石病の治療、さらには一般的な傷の手当、ロドスの医療ステーションに行けば、なんだって治してくれます。
今でもロドスの動機を疑ってる人は少なくありませんが、少なくともこの小さなお店にいるお客さん全員は彼らのことを信じてくれています。

そう言えば、ジェームスさん、さっき外であんたの奥さんを見かけたぞ。

ブフォッ!え??それ本当か?こりゃまずいな……

オホン。

あー、お前たちは飲んでてくれ、俺はその……ちょっと用事を思い出したから、先に帰らせてもらうよ!

ははは、“亭主”さんがお帰りになるのか?

ああそうだよ、また今度な。

気を付けて帰ってくださいね、ジェームスさん。
お店にいる大多数のお客さんと違って、ジェームスさんは感染者ではありません。
カラドン市の感染者地区で、非感染者を見かけることはままあります。
『カラドン市における感染者新法案』が実践された後、仕事がない貧しい人たちはリスク承知で感染者工場に行って働くようになりました。
そのうちの大多数の人は仕事を終えればすぐさま感染者地区を出ていきますし、仕事中でも感染者と接触しないように避けています。
感染したくない気持ちは分かりますし、感染者たちもとっくにその態度に慣れています、それで非感染者の労働者さんたちを責める人なんていません。
それでもジェームスさんみたいな変わった人もいます。

はぁ、一緒に飲もうってのに先に帰りやがった。

おーい、ビーン、そこでボケっとしていないで、俺と何杯か付き合ってくれよ!

うるさい、こっちは今新聞を読んでいるんだ。

なんのニュースだい?

ここ数日に起こったビッグニュースだよ!町中に広まってるのにお前は知らないのか?

新しい法案に関するあれだろ、確かにビッグニュースだな。

なんだよ、新しい法案って?

感染してる労働者の待遇を改善する法案だよ!お前は一日中酒ばっか飲みやがって!俺たちの生活に関わる一大ニュースなんだぞ!

ちぇッ、なにかと思えばそれかよ。

お前はまだ甘ちゃんなんだよ、そんなの俺はもうどうだっていいんだ。

なんだよ?待遇が改善されるのに不満なのか?

あの貴族様たちが俺たち感染者のために待遇を改善してくれるとでも思ってんのか?寝言は寝てからいいな!

当ててやろうか、この法案はどうせ全会一致で否決されて、なにもなかったこと扱いにされるのがオチだ。

あれはただ俺たちにそういうフリをしてるだけなんだよ。

へぇ!だが残念!お前のハズレだ。

法案は通らなかったが、否決はされなかったさ。

議会投票はドローで終わり、だから今は最終決議待ちなんだよ。

これがこの後も続くなんて俺は信じられねぇな、それでニュースにはなんて?あの法案には具体的になにが書かれているんだ?

ちょっと待て、どれどれ……この前発表した時はまだちょろっと憶えていたんだが。

ああ、ほらここ見ろよ、法案には、感染労働者の一日の労働時間を十五時間以内に制限する、それと工場は感染者に非感染者と同等の防護服を支給する義務を設け……

プッ、笑えてくるぜ。

これがマジで行われるとでも?あの諺は言うんだったっけ?棚からぼたもち?

お前ら外から来た者はやっぱまだここがどういう場所なのか馴染が薄いんだよ、だが俺は生まれも育ちもカラドンの人だ。あいつらのやり口なんか生まれてからずっとこの目で見てきた、俺よりもあの貴族様たちを理解してる人なんざいねぇよ。

あのケツの毛一本すらケチるようなクソ野郎どもが自分の財布から俺たちのためにびた一文をくれるとでも期待してたのか?んなわけねーだろ。

はぁ、だとしても少しぐらい夢を見たっていいじゃないか。

そんな悲観するなって、十年前を思い返してみろ、カラドン市の感染者に関する新法案が可決されることなんて当時は誰も想像できなかっただろ、違うか?

あれとこれとじゃワケが違うんだよ。

俺たち感染者が工場で働いても、あいつらは俺たちに半分の給料しか支払わねぇんだ。貴族様たちのお財布が膨れ上がるんだから、当然喜んでそうしてくれるさ!

確かにそうだな、しかも多い時には給料じゃなく、支払いチケットで済ませやがる。

物事が発展するには時間がいる、だから楽観的に考えたっていいんだぞ。

カラドン市がほかの都市から来た感染者を受け入れ、彼らに仕事を与えてることってのは、このヴィクトリアでも唯一無二の出来事なんだ、それを忘れないでくれ。

以前親分の何人から聞いたんだが、この政策はなんか“クルビア方式”を模範としてるらしいな?

クルビアの都市もここみたいな感じなのか?

あー……それはちょいと話し出すと複雑でな、まったく同じというわけでもないんだ。

もういいもういい、この話題はこれでおしまいだ、ほかになんかニュースはないのか?

えっとぉ……

「恐怖!夜中のカラドン市の地下で不気味な音が!」とか。

あとこれとかも……「カラドン市辺境の廃棄区画で夜間に人が出没、密航してきた感染者か」とか。

それとこれとか……「治安の悪化、犯罪者と指名手配犯が感染者地区に混入」とかだな。

ぶっそうなニュースばかりじゃないですか。

おっかないタイトルをつけて、それから“感染者”って三文字を加えたら、あのクソ野郎どもがでっちあげた『カラドン日報』の完成だからな!

とは言っても、スージーさんは気を付けてくれよな、近頃のカラドン市は確かに治安が悪くなってるから。

あはは……そうですね、ありがとうございます。
1097年11月17日 8:40a.m.

鱗肉、ジャガイモ、玉ねぎ……これぐらいかな?

あっ、黒胡椒を忘れるところだった!

それじゃあこれをケイルスさんのお店まで持って行けばいいんですね?

はい、お願いします。

わかりました!

よそ者は町から出て行け!

感染者を追い出せ――ここは我々の土地である!

出て行けぇ!

全部感染者のせいだ!あいつらがいるから、俺たち運搬業者は職を失ったんだ!
ここカラドン市で感染者地区に反対するデモ行進は珍しくありません。
四年前、カラドン市議会は“感染者新政策”を遂行したことで、多くの感染者が仕事を求めにカラドン市へ吸い寄せられました。
しかし感染者と非感染者の間にある諍いがこれで消えたわけではありません。

おい、そこの感染者、こっちに来い!

……わ、私はただまたまたここを通っただけですよ。

その持ってるものはなんだ?あぁ?

これはただの……

その籠になにを入れてるって聞いてるんだ!見せろ!

これはただの食材です!お店に届けるための!

お前ら感染者はこの時間帯、工場にいるはずだろ?ここでほっつき歩いてなにをしているんだ!

私はただモノを届ける仕事をしてるだけで……

俺に口を利くんじゃねぇ!
(声がでかい男がスージーを殴る)

がはっ……

(痛い……)
(火花の散る音)

火花……アーツが……

(ダメ、我慢だよ……スージー……手を出しちゃ……)

(こういうことは……初めてじゃないんだから。)

感染者のくせに、よく白昼堂々と街中をほっつき歩けるもんだな?

お前らのせいで、カラドン市の空気は汚れちまったんだよ!

この害虫どもが、さっさとドブに帰りやがれってんだ。

(そっちが感染者地区に入ってきたくせに……)

なんだ、俺を睨みつけるとはいい度胸だな?痛い目が足りなかったのか?

そこまでにしろ、手は引ける時に引け。

なっ……なんだお前は?
素顔を隠した背丈の高い男がフェリーンの女の子を支えて起き上がらせる、そしてくるりと目の前の男に目を向けた。

旦那、ちょっと格好が悪いんじゃないか?素手の女の子をイジメたって面白くはないだろ?

なんだよ、たかだか感染者だろうが!

それともなんだ、ヒーロー気取りか?

ほら、かかって来いよ?できるもんならな?

……

腑抜け野郎が。
(声がでかい男がレイドを殴る)

レイドさん!

フッ。

旦那のお怒りを買うつもりなんてこっちにはないよ。

だがそれでもやるって言うのなら先に言っておく、俺の顔には源石結晶が生えてるんだ、ちょうどあんたが殴ってきた位置にな。

なっ……なんだって……

こりゃいけねぇ旦那、見てくれ、こっちは唇から血が出ちまって、あんたの手も擦れちまってる。

もしかしたら旦那も鉱石病に感染しちまったかもしれねぇな?

なっ!ウッソだろ!

はやく病院に行け!まだ間に合うはずだから!はやく!

くそったれのウルサス人が!あとに見てろよ、絶対に許さねぇからな!

そういうのいいから、はやく病院に行くぞ!
(声のでかい音が立ち去る)

あの、レイドさん、ありがとうございます。

だ……大丈夫ですか?

心配はいらない、殴られるのは慣れている。

それよりもあんた、顔が腫れちまってるぞ。

だ……大丈夫です、帰って氷で冷やしたタオルを当てれば治りますから。

最近はあの感染者に反対してる連中の活動がどんどん増している、帰りはどこか遠回りしておきな。

今からどっか行くのなら、俺がそこまで送るよ。

でも、今って仕事しなきゃいけない時間帯ですよね、いつもそう迷惑をかけるわけには……

いいんだいいんだ、こっちも別件があるから。
レイドさんはこの近くにある工場の労働者で、たまにお店にも来てくれるお客さんです。
お酒は好きじゃなく、お店の中で一人で読書するほうが好きなようなんです、ウルサスからの移民なのに。
ほかの労働者さんたちからもとても尊敬されているようで、みんなからはレイドさんって呼ばれています。

それよりも……レイドさん、さっきの人って本当に鉱石病に感染しちゃったんでしょうか?

そんな簡単に感染するもんじゃないさ、脅しただけだよ。

確かに鉱石病ってのは血液を介して感染するものだが、あいつのはちょっと皮膚を掠っただけだ。

まあ脅しとしては効果テキメンだけどな。

あはは……そうなんですね。

あのクソ野郎どもが、どいつもこいつも※スラングの※スラング※ばっかりだ!

女の子に手を出すなんて、人間としてどうかしてる!

もう、そんなに怒らないでください、私なら平気だったんですから。

それで人を殴った後に逃げたってこと?そいつらがどこに行ったか分かる?

北のほうに逃げていったな、たぶんフェイ区のほうに行ったんだろう。

はぁ……フェイ区かぁ……こりゃ探すの大変になりそう

とにもまあ記録しておくよ、近頃警備隊の人手はずっと不足気味でね。

顔はまだ痛む?お薬でも塗ろうか?

あはは……大丈夫ですって、グラニさんもそんな心配しないでください。

近頃カラドン市の治安が悪化したとはいえ……まさかスージーちゃんが襲われるなんて。
グラニさんはカラドン市に駐在する地元の警察ではありません、彼女は感染者地区を担当するために現地の警備隊が臨時的に要請してきた騎馬警官です。
カラドンの警備隊は明らかに感染者地区の管理を請け負うつもりがありません、いわゆる“人手不足”もおそらくはただの言い訳でしょう。
ですのでグラニさんは現地で感染者の補助を自ら申し出てくれた数少ない治安警官の一人でもあります。
でもこんな少人数だけでは……感染者地区にある諸々の治安問題を解決することは不可能です。

器物損害は起こってない……プロファイリング完了っと。今のところはこうするしかなさそうだね。

それじゃああたしは戻るよ、何かあったらまたあたしに声をかけるようにね。

ありがとうございます、グラニさん。

俺の手にかかったらただじゃおかねぇからな、あのクズどもが。

それでもし本当にあいつらを捕らえたとしても、お前になにができる?

そりゃメッタメタにタコ殴りしてやるよ!

少しは頭で考えてみろ、もし手を上げれば、たちまち周りがギャーギャーと騒ぎ出すだろうが。

そして次の朝になれば、『カラドン日報』で「感染者が一般市民を殴打、治安問題さらに悪化」の見出しが一面に張られることになる。

……でもよ……

あの声だけはデカかったクソ野郎なら、見覚えがある。

一か月前、あいつはつなぎの作業服を着て、デモ隊に混ざっては自分の工場は感染者のせいで倒産したと言っていた。

二か月前も、あいつは行商人のデモ隊に混じって、自分も冴えない商売人だが感染者が店からモノを盗んだってホラを吹いていやがった。

それが今日はどういう身分で混じってたと思う?

“運搬業者”とかでしたよね。

そんなタチの悪ぃヤツがいるのか???

フェイ区にいる派閥がよくやるような手法に聞こえるな、もしかして雇われか?俺たちはまたどこぞのお貴族様の気でも障っちまったのか?

感染者地区自体が一部の人間にとって目の上の瘤だからな、新政策を支持してる議員たちが圧倒的な優勢に立たない限り、似たような事態はこれからも頻発するだろう。

これからはいっそう注意したほうがいい。

それにしてもあのクソ野郎、スージーをイジメただけでなく、レイドさんにまで手を出すとは、命知らずな野郎だぜ……

まあまあ、もうこの話はここまでにしよう、酒でも飲みな。

はぁ……スパークちゃんが虐められた話を聞いたら、酒もまずくなっちまうよ。

あはは、そんな大げさな……

スパークちゃん、これあげるよ。

え?これは?

腫れを治す塗り薬だ、夜顔を洗った後腫れた箇所に塗っておけばいい。

おい、そんないいもんがあったのならなんで俺にはくれなかったんだよ?

これは炎国産だから高いんだよ!お前みたいな筋肉ダルマが使う必要はない!

えっ……そんなに貴重なものなんですか。

いいから受け取ってくれ、スージーちゃんはこの酒場の店員なんだから、いつまでも顔を腫らしてるわけにはいかないだろ。

あはは……このお店、酒場ではないんですけどね……

でもビーンさん、ありがとうございます。

じゃあ、今日のお代は結構ですよ。

やったぜ!
(回想)

スージー、本当に行っちゃうの?

うん、お母さん……このままここに残っても、みんなに悪いし。

そんなことないわよ、聞いてスージー……今月お母さんまた別の仕事を見つけたの、だからお薬のことならきっとまだなんとかなるはずよ!

いいの……これ以上お母さんたちに迷惑をかけたくないんだ、弟と妹もまだ学校に行かなきゃならないし、お兄ちゃんたちだってまだまだ健康で働き盛りなんだか。

自分の娘を独りでほかの町に行かせるわけにもいかないでしょ!

大丈夫だよ、もう調べてあるから、カラドンで働く感染者には、お給料の一部を薬として配ってくれるんだって。

ごめんなさい……ごめんなさい、スージー……本当にごめんなさい。

自分の面倒ならちゃんと自分で見るから、心配しないで、お母さん……
(回想終了)
1097年11月18日 9:20a.m.
たまに家族の夢を見ます。
私はボッセンドルで生まれました、ヴィクトリア北部の辺境にある小さな町です。
小さい頃、お父さんがまだ生きてた時、よく一家を旅行に連れてってくれていました。
シェーン山の尾根から見渡したカジミエーシュ平原は、どこまでも続いているんじゃないかってぐらい果てしなく広がっていました。
私はもう五年は実家に帰っていませんが、お母さんからはよく手紙をもらいます。
出て行ってから、家の状況が少しだけよくなりました、なにせお母さんとお兄ちゃんの収入だけで感染者の出費を受け持つのは困難ですから。
お母さんたちの暮らしがよくなっただけでも、私は満足です。

いらっしゃいませ!
(クエルクスが店に入ってくる)

やっほ~、私だよ!

あれ?店長!

ス~ジ~ちゃ~ん!

耳、触らせて!

あははは……店長……くすぐったいですよ。

また呼び名が店長に戻ってるよ?そんなに私たちの関係って疎かったかな?

あははは……クエルクスさん。

んー?

クエルクス姉さん……

そうでなくっちゃ!
クエルクス姉さんはとても変わった人で、この小さなお店の店長をやっています。
今ではみんなここを酒場扱いしていますけど、実を言えばこのお店はクエルクス姉さんのライトプランティングのお店なんです。
色々と聞かれました、どうして感染者地区にライトプランティングのお店を開くのかって。
でもクエルクス姉さんの答えはとてもシンプルなものでした。
(回想)

どうしてライトプランティング店を開いたかって?

だって好きなんだもん。
(回想終了)
とは言ったものの、クエルクス姉さんはほとんど間カラドン市にはいません。
お店を開いたのは単なるクエルクス姉さんの趣味、本当に文字通り“好きだったから”でした、彼女の本職はトランスポーターで、いつも各地を駆け回っていて、みんからよく“ゴドズィンのドルイド”と呼ばれています。
ついでに言うと、クエルクス姉さんのアーツはとても独特なもので、よくお店の中で色んな変な植物を植えているんです。お店で出しているお酒のほとんどもクエルクス姉さんが自分で醸造したものです。
私が持ってるこの杖と浮いてるものも、クエルクス姉さんがくれました、これを持っていれば私のアーツの暴走を抑えてくれるとかなんとか……

クエルクス姉さん、今回帰ってきたのは何か用事があったからなんですか?

用事がなかったら帰ってきちゃいけないの?

あはは……

用事ならあるよ、それにこの前は私なんて言ってた?もうすぐ年末になるんだよ!

あっ、そうだった……
今年は私にとってすごく大事な一年でした。
この数年間、私はずっとお金を貯めていました、このお店を買い取るために。
私はずっとカラドンで自分のお店を持つ夢を持っていたんです、どういう商売をしようが、それが自立する第一歩だと考えてから。
それに、このお店のテナントを貸してる大家さんもお店を譲ろうかと考えていて、自分もお店の面倒を見る時間がないと、クエルクス姉さんはそう言ってました。

それで、本当にそんなにお金を貯めたの?すごいじゃない、スージーちゃん!

でもクエルクス姉さん……本当にいいんでしょうか?このお店の売買価格、ちょっと安すぎだと思うんですけど……

もうそれ何回も聞いたよ、そんなに私のことが信じられないのかな?

いえ……そんなことありません、クエルクス姉さんのことなら信じてますよ。

来週時間を空けとくからさ、君と大家の二人で相談してみるといいよ、彼ってばすっごく頼りになる人だから。

来週かぁ……
1097年11月18日 9;56p.m.

はい、モンベリアルさん、ご注文頂いたお茶です。

ありがとう。
アイゼルフリー・ジュリエット・モンベリアルさん、私たちはみんなモンベリアルさんと呼んでいて、このお店の常連客です。
モンベリアルさんはロドスの専門家の一人で、町議会のために感染者問題に関する多くの解決策を提示してくれている人です。
ゲンチアナさん同様、ここのいるお客さんは彼女とも打ち解けました。
モンベリアル家は内外共に有名ですが、まさかそのモンベリアル家のお嬢様が感染者地区でお茶を飲まれてる場面が見れるなんて想像もできませんでした。

その表情、また貴族様たちにムカついたようだね?
モンベリアルさんはお茶を一口飲んだ後、口角あたりがピクピクし出して、額の血管も同じようにピクピクし出しました。

信じられます?あれが信じられます!?

私が半月もの間せっせと用意した資料を、彼らときたら一ページしか見なかったんですのよ!

一ページだけッ!!

目先のことしか見ていないにも程がありますわ!私が出した提案は全部可及的速やかに解決しなければならない問題ですのに、まったくもって彼らは無関心だったんですのよ?

彼ら自身に影響が及んでいないんだから、そりゃ無関心だよ。

このままズルズルと引き摺れば、いずれは足元どころか全身にまで火が及んでしまいますっていうのに。

以前ゴドズィンでレユニオンがあれほど暴れ回ってたのに、それでもまた警戒するには足らないとでも思ってるのかしら?

ゴドズィンのレユニオンは二年前に殲滅されたんだから、あの貴族様たちからすれば、どうでもよくなってるんだろうね。

どうでもよくなんかありませんわ!彼らはまったく事の重大さを理解していませんの!レユニオンはただの徒党を組んだチンピラではないんですのよ、彼らだって……

なんかお店の中の気温が高くなった気がしないか?

確かに。

もうまただよ、落ち着いて、お店燃えちゃうから。

はぁ……もう呆れましたわ。

あはは、モンベリアルさん、落ち着いて。

もう今日のお仕事は終わったんですから、お休みの時間ぐらいは楽しく過ごしましょ。

はいこれ、お試しください。

これは……飴?

はい、クエルクス姉さんが作ってくれたミント飴です、ムカムカした時にどうぞ。

はぁ……ありがと。

数か月前は、私もまだシエスタでバカンスを楽しんでいたというのに……もうあっちが恋しくなってしまいましたわ。

お疲れ様です、モンベリアルさん。

あなたたちが私の愚痴を聞いてくれるだけでも気晴らしになれて助かりますわ。

ロドスでは発散できないんですか?

みんな一生懸命仕事をしてますからね……職場で愚痴を吐いたら士気に影響が出てしまいますの。

なら大丈夫だ、ここにいるのはみんなガサツな連中だから、モンベリアルさんがなにを言ったってすぐ忘れちまうさ。

それで、その貴族様たちは結局どういう結論を出したの?

会議を開いてしばらくして、いくつかの都市伝説を巡って騒ぎ始めましたわ。

それって“地下から響く不気味な音”とか“感染者地区に潜んでる犯罪者”とかってやつ?

それから全部それを俺たち感染者のせいにするってのがオチだろ?

ええ、全部信憑性のない陰謀論に過ぎませんわ、まったく一体誰が毎日こんなものを吹き散らしているのかしら。

それからの会議はもう、まったく意味のない罵り合戦になってしまいましたわよ。

しかし聞いた話によると感染者地区を支持している貴族も少なくないらしいな?

なんせ感染者地区は色々と問題を解決したって事実があるからな、それで一部の貴族はここ数年が多くの金を稼いだんだから、普通の連中よりは感染者地区を支持してるんだろうよ、実際にそこから利益を得られるんだから。

それに今の感染者地区はもう感染者の問題を解決しただけでなく、多くの非感染者もこの地区で働くようになったから、じゃないからな?

そうだな、たとえば俺みたいな人とか。

ええ、理屈で言えばそうなんですが……ここで愚痴を吐いても何かが変わるわけでもないし、明日もほかの仕事があるので、私は先に帰らせてもらいますわ。
(スカイフレアが立ち去る)

帰り道には気を付けてね。

こういう話で思い出したんだが……

なんでジェームスさんは感染者地区で働きに来たんだ?俺が言うのもあれだけど、感染者と一緒に働くにはリスクがあるだろ。

リスク、か……はぁ……

正直に言って、リスクと言っても所詮は未知数じゃないか、それよりも実体としてある家計問題のほうに目が向いちまうのさ。

最悪の場合、俺が鉱石病を貰ったとしても、一家の生活は俺が仕事しない時よりもマシってもんだ。

家にはまだ二人の子供を養う必要があるから、ヒモになるわけにはいかねぇだろ、ウチの女房のマフラーを売ってる収入だけじゃ、食っていけねぇよ。

ウチのおふくろは喘息持ちで毎月結構な治療代を払わなきゃならんし、親父もひどい骨の病気をもらってる、歩けないほどだ。

だからしょうがねぇんだ、俺がほかにもいい仕事を見つけられれば……

……はぁ、なんだか聞いてると俺よりも惨めな暮らしに思えてきたよ。

……

今日はやけに静かだなアーシュ?なんかあったのか?

オホン……ジェームスさん、そのお子さんは今年で何歳なんだ?

一人は八歳、もう一人は十二歳だ、どうかしたのか?

いや……なんでもない……ただ……

言いたいことがあるなら言えよ、みんな馴染みなんだからよ。

なにか困ったことでも遭ったんですか、アーシュさん?

……困ったこと、か……はぁ。

実は……俺の女房から手紙が来たんだ、娘を連れて会いに来るって。

娘ッ!?お前娘がいたのかッ!?

え?アーシュさんってもう結婚していたんですか?

なんだよ!俺が結婚してたらおかしいってか?

いや、そういう意味じゃなくて、感染者の子供だからその……

ああ、それなら心配すんな、俺の鉱石病は後からもらったものだから、娘も女房も健康体だ。

ならいいことじゃねーかよ!なんでそんな苦い顔してるんだ?

そうだぞ、鉱石病を貰っても奥さんはお前を捨てなかった、いい女じゃないか。

はぁ、けど今の俺のこんなナリじゃ、あいつらに会わせる顔がねぇんだよ。

別にどこかいけないところなんてないと思いますけど。

そうだぜ、自分に自信持てよ。

でもそのまんまの恰好で奥さんに会うのも、確かにちょっと変かも。

せめて髪の毛とか整えたら?そんなボサボサヘアーじゃ格好悪いでしょ。

そうですよ!じゃあ散髪をするっていうのなら……

(ハサミと櫛を取り出す)

スパークちゃんってば散髪もできるのか?

この子を舐めちゃいけないよ!スージーちゃんの腕前はかなりのものなんだから。

ジャジャーン!

結構良さげじゃない?

短髪はめったにしないから、頭がなんだかスース―するな……

おお、サッパリしたじゃないか。

アーシュさんは普段から髪型を意識してもらえれば、いつもよりかっこよく見えますよ。

はぁ、こんな暮らしの中じゃ髪型なんぞに気を使う場合なんかないだろ。

そんなことありません!

こんな生活だからこそ、少しでもよくするべきですよ。

そうだよ、感染者の暮らしが絶対に惨めじゃなきゃいけないなんて決まりはないんだから。

ほらシャキッとしなさい、奥さんが見たらきっと喜ぶはずだよ。

まあ焦るな、その前に俺んとこの宿舎にでも来いよ。

キレイな服がまだあるんだ、全然着なかったヤツ。洗ってサイズが合うかどうか試してみな。

いやでも……そんなの悪いだろ。

今更なに遠慮してんだよ!

いいからこっち来い!今日はとことん飲むぞ!
1097年11月23日 10:35a.m.
今日は約束してた日です。
私とこのお店の大家さんが会う日です。
私の目の前には、分厚くまとめられたお金が置かれています。
6500ポンド、昔の私には想像もできないほどの大金です。
小さい頃、弟が誤って家の源石ランプを壊してしまった時、お母さんは弟のお尻を腫れるぐらい引っ叩いたことがあります。
お母さんがあんなに怒ったところを見たのはあれが初めてでした――あの源石ランプはお母さんが夜に採掘場の坑道をパトロールするために不可欠の道具だったからです。
お母さんを激怒させたあの高い源石ランプの値段は、150ポンド、当時お母さんの一か月分の収入でした。
6500ポンドあれば、どれくらいあの源石ランプが買えるんでしょう?
そこで私はもう一度この異様な“重荷”を数えることにしました。
これまでの節約、そしてこれまでの苦労。
それがこの6500ポンド。
私から見れば、この一枚一枚の薄っぺらい紙は私の橋をかけるための一つ一つのレンガであり、その橋の向こうには、私の夢が待ち構えているのです。

スージー!シャキッとするんだよ!

会うだけだから!大家さんとちょっと会うだけだから!

明日から、あなたが店長になるんだよ、あなたの夢がようやく叶うんだ!

あともう少しだからね!スージー!
私は鏡に向かって、思いっきり自分の頬を叩きました。

あとでどうやって大家さんに挨拶すればいいんだろう?

「どうもお初お目にかかります、大家さん!お会いできて……」

いや、これだと固すぎる。
夢がもうじき叶うというのに、私はあまりワクワクしていません、むしろもうすぐお店に来る人に怯えてすらいます。
大家さんって……どんな人なんでしょう?
感染者なんでしょうか?本当にお店を私に譲ってくれるのでしょうか?
こんな安い値段だから、もしかして騙されているんじゃ?
その人もほかの人のように、ただ私を嘲笑って、私を辱めようとしているんじゃないでしょうか?
く、クエルクス姉さんもそう言えば感染者じゃなかったし……もしかして本当は裏でつるんで、私のことを……

ああもう!なにを考えているの!
私は思いっきり自分に一発ビンタをかましました。
痛みで自分のネガティブな思考を吹き飛ばそうとしたからです。

ダメだよ!スージー!そんなんじゃみっともないよ。
私は鏡をジッと見つめることにして、静かになったお店の中には“チクタク”と鳴る時計の音だけが響くようになりました。
そして焦燥感も。
(クエルクスが部屋に入ってくる)

スージーちゃん!いる?

ぴぇぇぇ!!
(バチバチ音)

ちょっとちょっと、アーツに気を付けて!

どうしちゃったの、ビクビクしちゃって、なんかあった?

いえ……なんでもありません!ぐ、グッドモーニング、クエルクスさん。

(疑わしい眼差し)

なんか目の周りの隈すごいけどどうしたの??

寝れてないの?

あはは……ちょっと緊張しちゃって。
(ゲンチアナが近寄ってくる)

おはよう、スージーちゃん。

あ!ゲンチアナさん!全然気づかなかった……

あれ?今何時だっけ?

あっ、ごめんなさいゲンチアナさん、今日はちょっと休業してまして、なにかご用ですか?

あれ、クエルクスから教えてもらってないのか?

あっ、言ってなかったかも。

?

彼がこのお店の大家さんだよ、言うのすっかり忘れちゃった。

へ?

へ???

ゲンチアナさんが大家さん?じゃあ前の店長さんたちもみんなゲンチアナさんと契約を結んでたってことですか??

そうなんだよ、話すと長くなるんだが……まあ、このお店って実はロドスが所有してる不動産なんだ。

具体的な話ならもうクエルクスから聞いてるぞ、スージーちゃんはこのお店を買い取りたいんだってな?

なら一つ聞かせてもらいたいことがある、今後はどういった事業をここで行うつもりかな?

じぎょう?

あっ!事業か!

……

わ……私のお父さん、実は理髪師でして。

小さい頃、よくこう言ってたんです……暮らしがひっ迫してるからって暮らしそのものへの向き合い方を変える必要はない。

散髪は些細な仕事のように見えるが、自分を整えようとする人は、きっと自分の暮らしに自信を持てる人なんだって……

だから私は……

感染者地区で散髪屋さんをオープンするのも……いいかなーっと思いまして。

散髪かぁ……感染者向けの散髪ってことかな?

いいアイデアだね。

ならそれで決まりだな!契約書ならあとで担当者に持ってこさせるよ。

え?これでもういいんですか?

だってお互い知り合いだろ、スージーちゃんならきっとやっていけるよ。

私の、自分だけのお店……なんだか……夢見てるみたい。

それじゃあ、クエルクス姉さんはこれからどうするんですか?この町を出るんですか?

もう、そんな顔しないで、もう帰ってこないわけじゃないんだし。

たまには会いに帰ってくるよ、この町でも色々と友だちがいるからね。

あっ、それともう一つ。

スージーちゃん、クエルクスから細やかなプレゼントがあるらしいぞ。

プレゼント?え?

おいで、スージーちゃん、みんな待ってるよ。
(ラッパのような音)

おめでとう!

いや~、本当におめでとうスージーちゃん!

グラニさん!なんでここに!?

おめでとう!スパークちゃんが店長になったとは感慨深いぜ!これからも俺たち好みのお酒を仕入れてくれよな!
(口笛)

おめでとう、スージー。

レイドさんまで!皆さん今はお仕事をしてる時間じゃ?

休みを取ったんだよ、スパークちゃんが店長になる大事なイベントを見過ごすわけにはいかないだろ。

そうだぞ、ここ数年は毎日店に行ってるから、もう自分の家よりも馴染深くなってしまったよ。

また奥さんに殴られるぞ。

それじゃあスージー店長、このお店は任せたからね!

……

うっ……

ちょっ、なんで泣いてるの、泣かないで!

そうだぞ、なにも泣くことはないだろ。

近頃みんな暮らしは大変だったけど、せっかくのお祝いなんだ。

だからほれ、もっと喜ばないと!!

まあ、この店が今後変わっても、今までのようにお邪魔するよ。

あははは……なんて言うんだっけ?嬉し涙ってやつ?

(嗚咽)クエルクスさんっ……私っ……

あーもうほらほら、泣かないで……
夢――
感染者にとって、夢というのは手が届かないほどはるか遠くにあるもの。
私の夢とは、自分の小さなお店を、自分の暮らしを持つこと。
そしてもう家族に迷惑をかけないこと。
それが今、私の夢は叶いました、感染者にとって、これはとても贅沢なことです。
私って幸運なのではないでしょうか?
1097年11月24日 6:35a.m.
煙……
煙が感染者地区の一角に立ち込める、大火事がここの静かな朝を打ち破った。

まずは近隣の家屋にいる人たちから避難させろ!

おいそこ、見物してる場合か!さっさと避難しろ!

こっちだ!こっちにまだ火が残ってるぞ!

もう一度死傷者がいないか確認しろ、ここは感染者地区だからな!

残留してる源石とか、あと損傷した電子機器類もチェックしろ!

活性源石粉塵の拡散はなんとしてでも防ぐんだ!

クソ※スラング※、一体誰がこんなところで放火しやがったんだ!

どう、して……

ほかの者を先に避難させろ!おいそこのフェリーン!ボケっとするな!
煙……
煙と焦げた匂いが空気中に散漫する。
燃えた毛皮と木材が高温の中でパチパチと爆ぜながら音を出している。

なに中に入ろうとしてるんだ!死ぬ気か!

彼女を止めろ!

どうして……
いま目の前で見てる何もかもが信じられない、そう思って彼女は目を閉じた。
これはきっと夢だ。
きっと悪夢なんだ。
あぁ、いま目を開ければ、きっと悪夢から醒める。
そうだ、目を開ければ、見知った天井が目に入り、新しい一日をまた迎える。迎えたその新しい一日には自分のお店だってあるんだ。
しかし彼女の目の前にあるのは、ただ轟々と烈火に飲み込まれた廃墟だけだった。
“グリーンスパーク”と名付けられた看板は黒焦げになった破片だけを残し、壁と屋根は高温によってすでにただの残骸と化した。
彼女の目の前にあったのは、かつて彼女の夢、彼女の希望、彼女の未来の生活だったものだけだ。
だがその全てさえも今ではそんな瓦礫の下に埋もれてしまった。

どうして……?
(スージーが倒れる)
今まで数々の艱難辛苦からこのフェリーンの少女を支えていた意志はもはやこの小さな身体を支えられずにいた。
彼女が地面に跪く。
未だに熱く滾る炎の余燼が彼女の手足に火傷を負わせ、ボロボロになった破片が彼女の皮膚を切り裂いていく。
絶望に一変した廃墟で、一人の感染者がすべてを失った。
そして火が、消えたのだった。





