(回想)
ブレオガンは、あの鍵の持ち主だった。
彼はイベリアの黄金時代に王侯貴族の上客としてもてなされ、エーギルの島民とイベリア人との和睦の幕開けを象徴する存在だと、人々から慕われていた。
彼が災いの前に何をやったか、また何をやれずに終わってしまったかは誰も知る由はない。だがそれでも彼は確かに十分と言えるほどの遺物を……そして君たちからすれば十分と言えるほどの方角を、彼は残してくれた。
しかしそんな彼も今では過去の存在だ。今、選択を決めなければいけないのは君たちのほうである、紛れもなくな。
あの鍵……ブレオガンの鍵がなぜカジミエーシュに残されたかは、私が探る必要はない。
しかしその鍵を見つけたのは、狩人であるスカジだ。これは何も単なる偶然ではない、必然だ。君たちは生来から海に敏感でいるからな。
……ああ、鍵はあのバンドに渡した。君もいずれ彼女らがどういった存在かを知れるだろう。エーギル人も彼女らを一つ手助けしてやるべきなのだろう。
彼女たちも答えを探しているのさ。彼女らのほとんどはまだ若いが、それでも海の変化に心地を悪くしている。なんせ彼女たちは、真に自らの生まれの地から離れられないからだ。
そうだな……成功することを願っているとも。人類はあまりにも膨大な数の問題と直面せねばならない。度重なる災いはいとも容易く現代の文明を滅ぼしかねないからな。
グレイディーア、単独行動がしたいのなら、私は止めないさ。スカジも君に似ている、狩人たちは皆そうなのだろう。
しかし自分は陸のあらゆる問題を解決できるとは、万に一つも思わないことだ。
ん?どうした?聞きたいことがあるのなら聞いてくれ。君に対して、私も答えねばならない疑問を持っているのでな。
Ishar-mla……?
それをどこで聞いた?
(回想終了)
そろそろ到着します。
しかし、海……あまりにも広すぎますね、これでは少しでも座標がズレていたら大きな誤差を生じてしまいかねない……
……それに今の海面、私が思ってたのよりもかなり静かですね。
あまりにも静かすぎるわ。私たちがあの灯台から出た後、襲撃もがくんと減ったもの。
なにより……波がない。
それはどういう意味ですか?
つまり――
あら、小鳥さん、怯えているのですか?
キャーッ!あ、あなたいつの間に――ていうか私の背後に立たないでください!
怯えてなどいませんよ、ただ……ここまで海の奥に入れた人は極僅かしかいないものですから、その……分からないんです……
いいえ、今のあなたはただ後ろを振り返ってるだけであって、先に目を向けているわけではないのです。未知との遭遇ではなく、失うことを恐れているのですね。
……
あなたの上官はあなたのためにストゥルティフェラ号へ向かう契機を、エーギルへ向かう契機を作ってあげたというのに、あなたがそんな優柔不断ではそれすらも台無しになってしまいますわ。
……分かってますよ、そんなこと。
できることなら戦闘が起こる前にも……むッ。サメ、聞こえた?
ええ、この居心地のよい小船の航路をもう少し右へ寄せたら、あの大きな船が目に入るはずです。
そこもすでに巣となっているはずですけど、本当に向かうのですか?
スペクター、なんなら少し休んだら?
休む?私、どこか具合でも悪いのしょうか?どうしてそんなことを?
手が震えてるから。
え?
己の手を見るスペクター。武器を握っていないその手は、海風に晒される中で、微かに震えていた。
彼女の意識は徐々に明瞭になってくるも、またすぐさま深海へと墜ちていく、触れられないほどに。
私……あぁ、これは興奮しているのでしょうか?それとも……感動でしょうか?
一体なぜ?
……
グレイディーアは静かに彼女の手を握る。スカジもそれに倣い、三人の狩人はしばらく、沈黙し合った。
お帰りなさい、狩人たち。
グレイディーアが静かに船首へ向かう。
海風は漆黒な夜を押しのけて、嗅ぎ慣れた匂いを伝えてきた。
とても静寂で大きな船が、海面上で微睡み、眠っている。それは海風の臣民にして、時代の賓客である。
またそれはかつて理想に覆われた時代でもあった。人々の探究心は余すところなく、その船が体現していた。まこと傲慢の至れりである。
スカジとグレイディーアは静かにその船を眺めていた。
その刹那に彼女たちは色々と思い出していたのだが、きっと最後には己の過去を、幼年を、故郷を、そして船に揺れる頻度を思い出していたことだろう。
ただスペクターだけは海風に撫でられ、微かに手に持つ武器を握りしめていた。
海風が狩人たちを我が家へ導いてくれたのだ。
(石畳を這う不気味な声)
Mon3tr、焼き払え。
(雄叫び)
(恐魚達が倒れるも次から次へと現れる)
カルメン殿、あまりここを長居する余裕がない。狩人たちが危険だ。
懲罰軍も足を止められている、どうやら我々は深海教会の浸透具合を見くびっていたらしい。
予定ではグラン・ファロを片付け、そこに臨時的な陣地を設けた後に、彼らの後を追うつもりでいたのだがね。
もう選択の余地がない。
仮にグラン・ファロを確保せねば、挟み撃ちにされるぞ。
イベリア軍は少なくとも十個連隊、つまり三千人の規模がある。懲罰軍の幕僚たちの指揮があれば簡単にこの戦いを制圧できるはずだ。
君は懲罰軍をなかなか理解しているようだね。
それなりに交流したものだからな。
では何かね、グラン・ファロは懲罰軍に任せ、私たちはイベリアの眼へ向かうと?
ヴィクトリアの艦隊が相手であれば、その提案には反対していなかったさ。
しかし、このままではこちらがより甚大な損害を蒙ることになるぞ。
……
(Frostが近づいてくる)
(ギターソロ)
Frost?なぜここに……
トレーニングだって、彼女が。
私たちは海から来た、であれば私たちは海そのもの。
それがたとえ……(悲し気なギターソロ)
……もし手を貸してくれるのならば願ってもないことだが、君は何ができるのかね?
アイツらを大人しくしてやれる。私の歌で。
君の仲間たちは……
先に詫びを入れておくよ、Danが無断であの礼拝堂を借りた。そこで新しい楽曲を作りたいんだって。
楽曲?君たちの音楽は私が以前リターニアで聞いたそれとはまるで違っていたが、そんなものに興味があるのかね?
(キレイに奏でられたギターソロ)
音楽こそが、生きる意味だから。
ただ私は、ライブが始まる前に、会場を整理したくて。
Frostがゆっくりと彼女のギターを取り出す。
カルメンは少しだけ訝しんだ。彼は感じ取っていたのだ、目の前にいるこの生物は確かに“音楽”と名が付く芸術のことを考えているのだと。彼女の言葉の中にはまるで他意がなかった。
音楽と言えど、何も比喩ではない。仮に音楽という言葉をほかの物事の比喩表現として用いた場合、Frostはたちまち気を取られてしまう。彼女は音楽のことだけを考える、この魂の歓心を買う芸術だけが彼女の気を引き寄せられるのだ。
(畏縮した不気味な声)
(とあるギターソロを試す)
あの隠れ潜んでいた恐魚たちが、彼女を囲って、監察し、見定め、判断していた。
ヤツらは下手に近づけないでいた、嗅ぎ慣れた匂いを嗅いだからなのだろうか。目の前にあるギターもただのもぬけの殻に過ぎずに、彼女の遥か遠くにある繋がりが恐魚たちの血の奥深くで鳴り響いていた。
たとえここが陸地でも、恐魚たちは一瞬、自分たちは海に戻ったのだと感じていたのだ。
(戸惑ってその場を回る不気味な声)
なんと……不思議な……
この大地そのものと深く関わっている生物、ヤツらからすれば、人も恐魚も同じようなものとして捉えているのかね?
Frostは答えない。彼女はただ旋律に酔い痴れ、激情を強く激しく求めていた。
だがケルシーは分かっていたのだ、その問いは自分自身に向けられていたのだと。
ケルシーよ、これも君の計算の内なのかね?彼女たちを海岸に居座らせて、懲罰軍を海へ送るための?
好きな風に解釈してくれ。
しかし懲罰軍からはまだ一隻の船も用意されていないぞ。
海岸にまだ一隻残っている。
グラン・ファロの計画が頓挫して以来、彼女もずっと待ち侘びていたことだろう。
……だがまずは陸に根差している禍根を断たねばならない。
私は聖徒である前に一人の審問官だ。イベリアに潜む邪悪が私の目の前で跋扈してる様など、到底受け入れられんのでな。
(アイリーニ達が船に飛び乗る)
ふぎゃッ!
大丈夫ですか?
ちょッ、手を離してください、抱き着かないで!
しかしか弱い小鳥さん、あなたを抱えなければ、こんな高いところにある甲板には上がれなかったのですよ?
いや、そういう意味じゃなくて――ああもう、もういいです……
……
どうしました?
審問官アイリーニはただ茫然と目の前にある光景を見ていた。
漆黒な海面、仄暗い光。六十年という月日はまるでマストの前で停滞してるように見えていた。
これが……ストゥルティフェラ号、“阿呆船”……
学者と軍人を乗せた旗艦にして、没落した王族の海を行く王宮……本に書かれている記述とは……かなり様相が違いますね。
……
行きましょう。
ちょ、ちょっと待ってください!
こんな大きな船の中で、何を探そうとしているのですか?
ブレオガンはエーギル人だった。
だからこの鍵はきっと、エーギル人が残そうとした手がかりを隠しているはずですわ。
鍵?じゃあどこかを施錠してるとか?
それを探すのよ。
六十年も海を漂流していたこの巨大な船の中を探すってどうやって――
あなたのような若いイベリア人はこういった運送乗用物を見たことがないから分からないのでしょうけれど、ブレオガンの協力があっても、この船の造りはあまりにもお粗末ですわ。
なっ……!
ここに来るまでの間、海がどう荒れていたか、あなただって分かるでしょ。
では逆に教えて頂きたいわね、なぜこの船は未だに“沈んでいない”のかしら?
それってつまり――
足音。重く、粘つくような足音。
生き物がいるはずもないこの甲板で、人影が現れた。
いや、アイリーニはすぐにその考えを改めた。グレイディーアが投げてきた質問は疑問でもあったのだ。岸で、海で、私はあれほどの数の敵を見てきたじゃないか。
……
しかし敵の姿をはっきりと目に捕らえた時、素晴らしき天賦の才を持った若き審問官のアイリーニは、本能的に息を止めてしまった。
そして彼女が呼吸の仕方を思い出した時、グレイディーアはすでに一歩を踏み出していたのだ。
――(鋭い咆哮)――
(グレイディーアが???に襲いかかるも全て避けられる)
……
まさか私の攻撃を避けるなんて。
……!
(スペクターが???に襲いかかる)
逃げようとしています。
そうはさせない!
(???がスカジの攻撃を避けて逃げる)
……なっ……
船室内に逃げ込みました!追いますか?
……ええ、船室内に逃げ込まれてしまったわね。
しかしなぜ船室の中に?ここは海のど真ん中よ。
どうする?
……
この船にいるシーボーン、一匹だけじゃないわね。おそらく恐魚よりも数が多い。
手分けして行動しましょう。
じゃあ私、アイツを追うわ。
ではわたくしは下に向かいますわ。
し、下って、この船の構造なんて知らないはずですよね――?
知らないのなら、こじ開ければいいじゃない。
なっ……この船はイベリアの先人たちが残した最重要の遺物なのですよ!
あなたはどうします、小鳥さん?
私は……あなたたちを監視する義務があるから、当然ついて行きますよ。
ストゥルティフェラ号には多くの謎が残されています。なぜこんなにもキレイに原型を保っているのか、なぜ六十年もイベリアに一度も戻らなかったのか。
イベリアの審問官としても、私はそれを解き明かす必要があります。
では手を繋ぎましょうか?
はあ!?な、何を言ってるんですか!?
あなたは才能溢れる果実です。しかし目の前の敵と相対すれば、あなたのその努力も天賦も総じて無価値なものになってしまいましょう。
ちょっとでも気を逸らしたら、あなたを失ってしまわないかと心配で……
……舐めたことを言ってくれますね、エーギル人。
では彼女はあなたたちに任せるわ。
ええ。
サメ。
はい?
何か思い出せそう?
……海風が、ある彫刻のことを、教えてくれています。その彫刻は泣きながら、私たちを待っていますわ。
この船でそれを見つけられるのでしょうか?
もちろんよ、もうすぐね、サメ。
(グレイディーアが壁を斬りこじ開ける)
待っているわ。
彫刻?
ええ、ですから共に死者を迎えながら、その彫刻が身を隠している場所を突き止めましょう、スカジ。
私の名前をまだ覚えててくれたことが何よりも嬉しいことね。
……本当に……豪華絢爛な造りですね。
でも、なんでこんなにキレイなんだろう……埃一つもついていないだなんて……見てください、床なんか光を反射するぐらいピカピカですよ。
きっと誰かがずっと掃除してくれてるのよ。
誰って誰です?
さあ。
……
あのバケモノを追うって言ってましたけど、本当に追い詰められるのですか?
匂いはウソをつかないわ。
ここは腐敗した匂いまみれ、だったらきっと数も少なくは――
(勤しんでる不気味な声)
恐魚!
やっぱりここもバケモノの巣窟になってるわね……
(スペクターが恐魚達を倒す)
ここはわたくしが。
(その場でのたうち回る不気味な声)
――待ってサメ!足元に匂いが!
(爆発音)
ッ――
Ishar-mla.。
Ishar-mla。
(爆発音と共にスペクターとスカジが飛び降りる)
くッ、さっきの衝撃……スペクター、大丈夫?
……
……スペクター?ローレンティーナ!
何を見て……鏡?なんでこんなところに鏡が?
……鏡、割れてますね。
どういうこと?イベリア人ってのは海上の輸送船にも宮殿を作らないと気が済まないわけ?
ロドスとは全然違うわね。
……
この鏡、そんなに気になる?
見えましたわ。
最初、それはこの割れてしまった姿見の燦燦とした光だった。だがすぐさま、その光は姿を成し、目となった。
それはシーボーン。ずっと孤独にもこの黄金のホールで、待ちわびていたのだ。
……Ishar-mla、La-tina、Louu-tina、Laren-tina……?
この幼いヤツ……いや、見た目で力量を判断してはダメね。こいつはシーボーン、さっきのとは別のヤツだわ、間違いないく。
それに恐魚も群れを成してる!スペクター!
スカジの言葉は耳に届いておらず、茫然とするスペクター。彼女はただ鏡と、その中にいるシーボーンを見つめていた。
……あなた、私を覚えているのですか?
シーボーンは僅かに頷く。戸惑いながらもスペクターとスカジを見比べ、思考していた。
なぜ彼女たちは“昔”と違う?どうしてしまったのだ?どうすれば彼女たちを魂の檻籠となっている肉体から解放してやれる?
……!
スペクター!
わたくし……
はやまるな!
はやまってなんかいないわよ。
口調が変わった。
スペクターを見て驚くスカジ。なぜなら彼女がサルヴィエントで見せた短い目覚め、それをスカジはグレイディーアやケルシーから明確な答えを僅かながらも得られていなかっただからだ。
ローレンティーナ、あなた……
ローレンティーナ、ええそうね、ローレンティーナ。
見てみなさいな、この武器についている経典の文。わたくしが自分の名前をここに描いた時、わたくしがどこで生まれたのかすらハッキリと憶えているものだわ。
あぁ……夢からの目覚め。まったく、またえらく時間が経ってしまったようね。
スペクター。
ええ、けど感慨に耽るのはまた後にしましょう。
サルヴィエントにしかり、この馴染みがあったりなかったりする水上輸送艦にしかり、真にわたくしの目覚めを望んでいるのは、エーギルの頂にある輝きであって、あなたたちのようなブサイクなバケモノではなくてよ。
……
あら、話し終えるまで聞いてくれてありがとう。いやちょっと待って、まさかあなたまで口を開けてはわたくしたちを同胞だなんて呼ぼうとしてるわけじゃないわよね?捻くれてるのもいい加減勘弁してほしいものね。
さあ、来なさい。あなたも少しお眠りになっては如何かしら?
意識の泥沼に堕ち、命の権能を諦めなさいな。
――(甲高い叫び声)