(最後の騎士が近寄ってくる)
チャンスを無駄にしたな。
なに?
もし俺がサルヴィエントであの喋れるシーボーンを捕らえたら、エーギルに関する情報を知ってる限り全部吐かせてたはずだ。
お前は陸に上がって数年にはなる、エーギルがどうなったかなど一度も耳に入ってきていないだろ?だが海は違うさ、海はどこだって繋がっているからな。
お前はあのままヤツを殺した、なんの価値も生み出さないまま。極めて効率の悪いやり方だぞ、グレイディーア。
ゴミのような情報など必要ありませんわ。獲物が吐く情報など所詮すべては低俗な思考なだけですもの。
どうやら陸で相当信頼できる協力者を得たようだ。
(グレイディーアとウルピアヌスが最後の騎士に斬り掛かる)
(甲高い叫び声)星々の……墓場……
グレイディーア、お前手加減したな。こいつまだ立っているられるぞ。
……いいえ。
思ってた以上に頑丈だっただけよ。
……
騎士は反撃しなかった。忽然とその場で立ち尽くし、そして顔を上げ、よろめきながら、ぐるぐると回りながら、上を見上げていた。
グレイディーアもこの機に乗じてこの追走劇を終わらせようと考えていたが、次の瞬間、彼女もまた微かにイヤな予感がしたのだ。
……シーボーンの匂いが、変化した。
ヤツの変化すら嗅ぎ取れるほど鼻が利いてきたとはな。
……
それでいいのだ、グレイディーア。
お前がどう自分と他者を慰めようと、遅かれ早かれ俺たちはこの難題と直面せねばならんのだ――俺たち自身とな。
……ガルシア!
(嗚咽のような鳴き声)
よしよし……ヤツに重傷を負わせてやったのだな、よくやった!血の跡を辿ろう、なあに、すぐに戻るさ。
待て、この焼き爛れた痕跡はなんだ?ヤツは私の船に何をしたのだ!?
……これはあのバケモノの仕業じゃないわ。
その通り。これはわたくしたちの可愛い小鳥ちゃんが残していったものね。こんな短時間でこれほどまで成長しただなんて、大した子だわ。
シーボーンとどっちがおっかないのかしらね~?
……あの旧イベリア人の仕業だと?ヤツが?ありえない、この船にいた歴戦の水兵たちのどれを取ってもヤツが敵う相手ではない。ヤツは一体どうやって……?
(船長の袖を甘噛みする)
……そうか。
あの旧イベリア人がか……だが何をしようが今はどうだっていい、我々も急がねば。
数か月も続いたこの狩りを、そろそろ終いにしよう。
なんだか嬉しそうね、船長さん?
嬉しそう?ハッ!
長い狩りがようやく終わるのだ、嬉しくないはずがなかろう!
貴様らはこのまま後を追え、私は別の道から向かう。ヤツはここの壁をこじ開けられなかった……であればきっと海に近い場所に向かったはずだ。
ガルシアよ……お前の傷はそう大したものではない、踏ん張るのだ、すぐに戻る!
……
負傷したガルシアは回復するための時間を要した。この者は静かに船長の顔を見やる。
喜び。隠しがたい喜び。これほど感情が湧き上がったのは久しぶりだ。
そしてこの者は安心したようにしばしの微睡みに落ちた。負傷した箇所の回復に集中するために、我が愛する人がこのまま狩りを全うするために。
あれは僅かばかりの短い夢だった。短く、朧気で。肉体が変わり果ててしまった後、こうして夢を見ることもめったになくなってしまっていた。
夢の中は、イベリアの海岸であった。満天を飾る祝賀花火と鳴り響く船の汽笛。意気揚々とした船長が私の傍に立ち、私に一つ訊ねてきた。
ガルシアよ。
岸にいるあの子供たちが見えるか?我々は皆、子供が好きだ。
子供たちはイベリアの未来である。我々の栄誉も、功績も、この身が習得した業の数々も、いずれは命と共に消え果ていく。
だが子供たちたちというのは、新たな命なのだ。イベリアが共に育んだこれらの命が、我々のすべてを受け継いでくれる。
なあ、ガルシアよ。
我々のいずれかの冠を戴くのは、どの子になるのだろうな?
(傷を負ったのにまだすばしっこいだなんて……追いつけない!)
(それに……無理してハンドガンを活性化させたせいで……腕が……)
うわッ!
溟痕が……この船に……そんな!?さっきまでこんな広がっていなかったのに!
蛍光を発する溟痕がイベリアの黄金の大広間を呑み込んでいく。
精巧に作られたドーム天井が深い紺色の光を反射している。その光の中央には、不釣り合いな女性が立っていた。
彼女は両手を交差し、ただただ黙し、細やかに目の前の玉座を推し量っている。溟痕は彼女の足元から広がっており、黄金も彼女のせいで彩を失っていた。
振り向く彼女。その目には慈愛と期待が見て取れた。
……こんばんは、アイリーニさん。
(アビサル教徒!)
(アイリー二がアマヤに斬り掛かる)
斬ったのに手応えがない――!?いや違う!
まさかアーツ!?
ご名答です、アイリーニさん。ダリオさんが今のあなたの姿を見たら、きっと大喜びするでしょうね。
――なぜ私と長官の名前を知っているの?あなたは誰!?
私はただのしがいない翻訳家ですよ。
そんなウソが通用するとでも?
ウソなんかつきませんよ、アイリーニさん、一度もね。色々と著作を翻訳してきたものです、もしかしたらあなたの本棚に置かれてあるガリア批判の現実主義的な著作も、私が手掛けたものかもしれませんよ?翻訳者の名前には注目したことがありますか?
足元を見なさいよ!どう見てもあなたが溟痕を寄越してきてるじゃない!?
それは語弊ですね、私が溟痕をもたらしてきてるだなんて……私はただ、光を放つ海と繋がっただけです。
その一部となれて、私は至極光栄に思いました。ええ、本当です。
……どうやってこの船に?
それはどうでもいいことです、アイリーニさん。
あなたがシーボーンを殺せるのか、私はここで命を落とすのか、この船は果たしてエーギルと繋ぐ手がかりになり得るのかどうかなど、すべてどうだってよいのです。
ええ……ダリオさんと懲罰軍の犠牲も、グラン・ファロの崩壊も、イベリアの眼も、長い長い果てしない歳月も……
進化という大いなる過程からすれば、これら全てはたかだか命が跳ねた水滴のような些細なものに過ぎません。
私がこれらを尊重しているのは、あくまで私たちがそのうちに一部だからです。しかし“全”からすれば、どれも取るに足らないちっぽけな存在。
――待って。長官が、どうしたって……?
あぁ、可哀そうなアイリーニ……知りたいですか?私なら教えて差し上げても構いませんが……本当に今それを知りたがっているのですか?敵と対峙してるさなかに?
先生がどうしたのよ!?
彼の犠牲はまったく意味を成し得ませんでした、アイリーニさん。
海風が彼の死を伝えてきたのです。残念ながら。
そんな……そんなのありえない……
……あり得ない話ではありません、アイリーニさん。
神勅が降りた時より、この大地の数ある未来はすべて決定づけられているのですから。
即ち私たちは地を這うムシ、であれば運命に従うべきです。隔たりも、差異もなく、国や形によって分け隔てられない命を選ぶべきだというのに、何がありえないと言うのですか?
……
……抵抗を諦めてくれるのでしたら何よりなんですが、もしそれでも抵抗するものなら……
(スペクターがアマヤに襲いかかる)
――そんなに何もかもどうでいいって言うのなら、あの傷ついた小動物の時間稼ぎなんかする必要はなくてよ、アマヤ?
……くっ。
ローレンティーナ、目が覚めたのですね。
完璧に、ではないけどね。けど少なくともあなたの名前を思い出せるほどには目が覚めたわ、アマヤ。失礼に思ったのならごめんあそばせ。
アイリーニ!
(スカジが駆け寄ってくる)
……
……なにかされた?
いいえ、少々雑談をしただけですよ。
スカジ、あなたは獲物を追ってちょうだい。
横取りはしないでって言ってなかった?
懐かしい人と出会ったのだから仕方がないでしょ。
……わかった、気を付けて。
アイリーニ?
……ウソつき。
海風は嘘をつきませんよ。
ウソよ。さっきも言った、そんなのはありえない。
死んだとしても先生の死は有意義な死だった、裁判所の辞書に“無意味な犠牲”なんて言葉はない。
それをないと思っているのなら……私たちがその意味を示してあげるわ、アビサル教徒。
……
そう……強かな子ですね。
くッ!
(アイリー二がハンドキャノンを放つ)
狩人、行きますよ!
(アイリー二とスカジが走り去る)
アイリーニったら……裁判所のハンドガンを扱えるようになったからって、そんなに見せびらかしちゃって。
あのまま乱雑に溟痕を焼き払っていったら、アルフォンソ船長もご立腹でしょうね。
はぁ……まあいいでしょう。
あのまま彼女らを行かせちゃってよかったの?
フフッ……私はクイントゥスほどせっかちではありませんからね。同時に狩人二人を相手取れば、私の命も一瞬にして終わってしまいましょう。
一瞬と刹那に違いはないと思うけど?
その通りです。けど昔のあなたと会えてとても懐かしく思いますよ、ローレンティーナ。だって一回目の実験が始まるまで、あなたはずっと昏睡状態に陥っていましたから。
私たちの前から消えた後、元気に過ごしていましたか?
スペクターが僅かに微笑む。
彼女の今晩で最も美しい笑みだ。
ヤツの動きが早まってる!
もう……ぜぇ……身体に穴を二つも開けたのに、なんで……血液すら無尽蔵なんですか!?
穴を二つって……あなたどうやって……
それは後で教えます、今はもう体力が――
(アイリー二が恐魚の死体を見る)
――アイツ逃げながら同類を食ってたんだわ!道理で!
気を付けて、ヤツがこっちに来る!
(シーボーンがスカジに襲いかかる)
――うぐッ!
Ishar-mla、あのお方はドコだ?
答えガ、知りたい。
バケモノめ!
(アイリー二がハンドキャノンを放つ)
アイリーニが発砲するも、それ以前にシーボーンはすでに身体を伏せていた。
壁が崩れる音と共に、スカジはほぼ一瞬にしてシーボーンの目の前へ迫っていく。
しかし込められた一撃は、空振りに終わった。
なっ……
(全部避けられた!?)
……足りなイ。
栄養も、時間も、全部足りなイ。
Ishar-mla、答えヲ出してくれ。あのお方の存在が感じ取れるノダ。
言葉ダ、語ろう。
Ishar-mla、答えを出さなくトモ、あのお方ガ存在しえないワケではないゾ。
あのお方ガ存在しえないことは、血族ガ向かう道を見失ったことを意味しナイ。
向かう道ナラ、把握している。しっかりト、分かっているトモ。
生存、それが唯一ノ目標ダ。
(スカジがシーボーンに斬り掛かる)
あなたたちってどいつもこいつも、ブツブツ言いながらの殺し合いが好きなわけ?
そんなまどろっこしいことなんか考えなくていい、海には行かせないから!
――マダ足りない。
でも、もうスグだ。
――!耳を伏せて!アイリーニ!
えっ、きゃッ!
(甲高い咆哮)――
(かすれた唸り声)ロシ――ナンテ――
(嘶き)
大波が来る、待とう、外で待とう、得物で、引き裂きに――ハァッ!
(呼応する嘶き)
遠くからシーボーンの悲鳴が聞こえてきた。グレイディーアが僅かに眉をひそめる。
陸の者が軽率に海に触れ、そして永遠に狂ってしまったことなど、容易に理解できることだ。
しかし彼に付き従っているもう一匹のシーボーンはなんだ?
グレイディーアは深く考えないようにした。なぜならとても悪寒がする予感が彼女の神経を刺激し――
――首元に痒みを引き起こしていたからだ。
上で一体何が……?
この船は六十年余り、海を漂ってきた。
ヤツらがこの船を求めていなければ、あるいは執拗にこの船を沈ませようと、船にいる者どもを敵と見なしていなければ、この“阿呆船”はとっくに海の藻屑になっていた。
……しかしヤツらは船を受け入れたのね。
ヤツらはこの船すらも環境の一部として見做していたのさ。どういう目的かは不明だが、それでもヤツらはこの船が自分らのテリトリーを漂うことを許した。
だが今は、状況が変わってしまったな。
それはつまり……
なっ。
溟痕?いつの間に……それにこの広がりの速さは……
この船はいずれ必ず沈む、誰にも変えられない運命さ。
グレイディーア。
なぜブレオガンのようなエーギルの天才が、最期の時にその鍵を“そのような形”に作ったのかと、考えたことはあるか?
それはエーギルが夢にまで追い求めた秘密の鍵、彼の心血そのものだ。
なのになぜ誰の血を浴びせても鍵が開く仕様になっている?なぜその鍵が脆弱な騎士の手に渡ってしまったのだ?
俺たちはアレを黙らせたが、ヤツらは最初から神なんざ必要としてなかったかもしれない。両手を合わせ、海に向かって多くを祈り、余りある慰めを得ようとするのはヒトだけだ。
俺たちにはもう時間がないのだよ、グレイディーア。
まだティアゴのことを考えているのか。
少々な。私は数多くの悲劇を目の当たりにしてきた、彼のそれもそのうちの一部に過ぎない、至極普通のことだ。砂浜にある砂一粒のように。
砂浜にある砂粒とは、果てしないものだ。
この船は懲罰軍が用意したものではない。ほとんどの船舶は懲罰軍の管理下にある、極々僅かに残された船も……岸に忘れ去られたものだけだ。
だが今は、とある懲罰軍の幕僚の不注意でかなり手間が省けたように思えるが。
我々が忘れ去れば、どれだけのモノを置き去りにしてしまうのだろうか。それが言いたかったのだよ。
ケルシーよ、もしテラの大地が一隻の大船だとすれば、君はどういう船を想像するのかね?
……
……もうすぐイベリアの眼に到着だ。
……そうだな、もうすぐだ。