
……

イベリアの眼。私が最後にここへ上陸した時は、もう随分と前のことになるよ。

無数の懲罰軍がここで犠牲となった。シーボーンは我々の防衛線を突破し、多くの技師たちも灯台内で非業の死を遂げた。

最後の一隻が撤退した時は、我々は1割しか生き残っていなかったよ。

しかし今は……見なさい。

なんと、灯台に光が灯っているではないか!
カルメンの声が久しく震えた。
ケルシーは静かに遠くにある岩礁の中央を眺めている。巨大な灯台だ、照らされた空はまるで白昼そのものだった。

船が見当たらないようだが。

見当たらないのはいいことだ、つまり彼らは探し求めていたものを見つけたことを意味するからね。

さあ、奥へ進もう。灯台の火が消えない限り、我々は前へ進める。

(門を囲って蠢く不気味な声)

……Mon3tr。

(甲高い咆哮)

門の付近を片付けろ、中へ進む。

……
(爆発音)
火の熱さだ。
それと門に集まり、徘徊し、蠢く恐魚たち。
カルメンは遠くへ視線をやる。吹きすさぶ風の中、横たわる憎きバケモノたちの屍がここまで続いていた。

恐魚に恐怖という感情はない。

だが危険を察知することはある、本能が狩りを行う際の慎重さを教えてくれるんだ。

……なのにヤツらが恐れているとは。国という存在も、法と徳すら理解できない生物だというのに。

ヤツらはイベリアの大審問官に、我々が文明に築き上げたすべてに恐れおののいているのか?

ダリオ!

……
ケルシーは言葉を返さなかった。
彼女は見えたのだ。蛍光を発する地面に、怪しげに光る輪があった。
焼き焦げた屍は山となり、幾千万もの同胞の死が恐魚たちにまったく新しい習性を刷り込ませた……
――この灯台に近づいてはならない、と。
微弱な火の苗が未だに燃えている。きっと大きく燃え盛っていたことだろう。
しかし恐魚が大波のように斃れていくまで、ここに可燃物などあるはずがない。
炎の中に人影が立っていたのだ。彼はランタンを掲げ、剣を突き刺し、まるで若き衛兵のように、微動だにしない。

……

ダリオ、君はよくやってくれた。

安らかに、眠るといい。
ダリオが手に持つランタンはまるでカルメンの別れに呼応するように、燃え盛る炎は瞬く間に多くの恐魚を呑み込み、沈黙する大審問官をも包み込んでいく。
彼の濁り切ってしまった眼は今でも遠くを望んでいた。
カルメンが彫刻のように固まってしまったダリオの前でしばし沈黙する。
ケルシーはカルメンの哀悼を断ち切らなかった。彼女はただ目に入った物事を捕らえていたのだ、ここにはあまり狩人たちの痕跡が見当たらない。
ただ大審問官一人、恐魚たちと死するまで、終わりなき殺し合いを繰り広げていたことだろう。
そして戦士が息絶えようと、この恐魚たちはそれでも恐れ慄いている。炎は消えず、灯火も揺らめき続けているからだ。
審問官は己を一種の現象へと昇華させた。イベリアの眼の純潔を死して守り抜いたのだ。
そしてようやく、カルメンが顔を上げる。
この高齢な老人から歳月の爪痕を、ケルシーはようやく目にできた。いくら裁判所が数々の手段で彼の命を引き延ばしても、今この時ばかり、彼は目に現れた疲弊を隠しきれずにいた。
彼は振り向き、ケルシーを見やる。だがまた徐々に、炎へ飲まれていくダリオにも目を向けた。

彼は私の一番優秀な門下生だったよ、ケルシー。

彼の死を悼むのにまだ三分の時間はある。あの炎が消えれば、恐魚たちは巣を再建する障碍が消えたと知り、続々とここへ押し寄せてくるだろう。

何より、あの女の子が見当たらない。少なくともダリオの弟子は生きてるということだ。

ここに上位のシーボーンはいないのかね?

今はまだ。

ならばあの数も取るに足らぬな。

“今は”、な。

根本的に解決する方法を見つけ出そう。イベリアの眼はブレオガンが築いたものだ、エーギルと連絡を繋げる端末になり得る。

それは彼女らがあの船を見つけ出した前提での話ではあるがな……いや待て。

誰だ、イベリアの眼を再稼働させたのは?あのエーギル人たちとダリオもここへ来たのは初めてのはず……
(カルメンが上から振ってきた恐魚を切り捨てる)

……どうやら上にいるようだ。

くっ……ようやく……

ハァ……ハァ……せ、制御パネルも無事だ……

うぐッ、脇腹が痛い……

(好奇的な唸り声)

うわッ――ワァァァ――

あ、あなたは――
(ケルシーが近寄ってくる)

……想像以上だ、君がしてくれたことは……認めざるを得ん。

君は一人でイベリアの眼を再稼働させてくれた、3割もの機能すら回復させて。

君一人、この環境下でだ。

あなたは……エリジウムさんが言ってた……あっ!

し、審問官さんは!?ずっと下で戦ってくれてて……ぼ、ボクじゃ足手纏いだから近づくことも、助けることも……ここで制御パネルを見張っておくことしか……

彼なら尊い犠牲となったよ。

えっ……

だが決して無意味な犠牲ではない、信念を守り抜いた犠牲はその者の存在の証明、そして継承を意味する。

彼は裁判所の審問官として、イベリアの守護者として勇敢に死んだ。彼の理想に描いた自分は永遠にイベリアの海岸で生き続けることだろう。

エーギル人よ、少なくとも君は彼の犠牲の意味を守り抜いてくれた。君は決して諦めず、ここまで持ち堪えた。

よくやってくれた。

……だ、大審問官さんとは……あまり会話はなかったけど……でもあの方は……うっ……ひぐっ……

では、グラン・ファロは……ボクの故郷はどうなるのでしょうか?

……普段なら、一般市民から何を聞かれようと私は答えん。

だがこの時ばかりは……君に真実を教えよう。グラン・ファロは直に懲罰軍に接収される。住民たちも須らく前線歩哨拠点の労力として管理下に置かれることだろう。

だが……ティアゴが亡くなった、異教徒によって。

――!

な、なんで!?なんでティアゴさんが――!?

彼は最初からアビサル教徒の存在に気付くも、見て見ぬフリをした。彼のその匿う行為によって懲罰軍の計画は遅滞し、我々がここへ向かう時間も遅れてしまった。

たとえ彼がこの世から逃れられたとしても、私は彼を逃すつもりはないよ。

……
ジョディは地面に倒れ込む。
疲弊と痺れを感じる。ずっと張り詰めていた弦がいとも簡単に切れてしまったのだ。

……ティアゴさん……どうして……

……Mon3tr、出入口を見張っていろ。

(快く従う)

……“阿呆船”が最後に現れた位置をまだ確認はできるかね?

……

ケルシー。

ここからそう遠くはない。だが、最後に現れた時刻は今から48時間以内だ。

なんだと……?

あの船、彼女は今でも信号を発しているというのか?

ブレオガンがイベリア王室のために灯台と艦隊を立ち上げたのは、もう一度断絶された故郷と繋がるためにあるのだろう?

イベリアの眼にしろ、“阿呆船”から発せられてる信号にしろ、惜しまずエーギルの技術を使用してるのがその証左だ。

無論、シーボーンがあの船を沈まず、あるいは巣にしていない前提での話にはなるが。
カルメンは静かに灯光が伸びていく方角、その遥か遠い水平線を望んでいた。
肉眼では“阿呆船”を捉えられない、あまりにも海が広すぎるからだ。“遠くない”という言葉など、所詮は陸における狭隘な戯言にすぎない。
疲弊を見せていたこの聖徒はもう一度その年齢に相応しい表情を見せた。彼の唇が微かに震えている、なにやら思うことが多くあるようだ。

……アルフォンソ……ガルシア……トゥーレ……フリア……

まだ、そこにいるのかい?

……隊長とグレイディーアが海に入っていった。

私たちも行きましょう。

待ちなさいな、ここで待機したほうがいいわ。海がザワついてるし、シーボーンの匂いも混ざってる、あの一匹だけじゃないはずよ。

……

何か聞こえないかしら、スカジ?

ううん……なにも。

そう。

貴様らァ!私の船になんてことをしてくれたのだ!?

それとそこのエーギル人、どうやってここへ入ってきた?

ここに入れる鍵は本来なら私だけが持っていた、そしてあの穀潰しが死んでから、その鍵は海に投げ捨てたはずだ!五十数年も前に!

この船の動力設備にロックをかけるなんて、自分から希望を捨てたようなものじゃない。

あの穀潰しが最後の技師だったのだ。ヤツが死ねば、誰もこの船を直せやしない。

何よりあの時にはすでに……“シーボーン”が我々に絡んできていた、逃げられるはずもなかったのだ。シーボーンに動揺する船員などこっちから願い下げだ。

そんなことよりも私の質問に答えろ、ここへ入った目的はなんだ!?

ブレオガンよ。隊長は彼が残した手がかりを追ってイベリアまでやってきて、ここへ辿りついたの。

貴様ら……あの船造りを知っているのか?

いいえ、わたくしはちっとも。だってわたくしは“作られた”側だから。芸術品も一種の技術でしょ?

でもまあ至って普通のことよ。エーギルに戻りたければ、エーギル人の手掛かりを追えば済む話なんだし――

――あら、これは何かしら?

貴様ら、勝手に侵入しただけでなくブレオガンの私物すら漁っていたとは……互いのプライベートを侵犯するのがエーギルのもてなし方だというのか?

……

何が書かれてるの?

ブレオガンの陸で見聞きしたことを書いた見聞録みたいね。

グレイディーア隊長はこれを探していたの?

さあね。本人に聞いてみたら?
(グレイディーアが近寄ってくる)

……それはまだほんの一部に過ぎないわ。

手柄も得ずにのうのうと帰ってきたのか?

ヤツが消えた。

それと追うのをやめたのは、近くでほかのシーボーンの痕跡を見つけたからという理由もある。

ヤツらは遥か遠くから漂ってきた匂いを追ってきたんだ、連中が共鳴している。

ヤツらとドンパチやり合うのなら止めはしないが、その前にこの船の問題に取り掛かれ。

貴様ら、まだ私のイベリアを奪うつもりでいるのか?

この船じゃないと、わたくしたちはエーギルに戻れませんの。エーギルの都市と通信を繋げることもね。

修復についてならご心配なく、ブレオガンの技術を中途半端しか理解していない人よりは多少なりとも習得してましてよ、わたくし。

わたくしたちにとってこれは千載一遇のチャンスなの、力づくでも掴ませて頂きますわよ。

……

……

四対二、か?

(牽制する咆哮)――

いや、三対三だ。

……何を言ってるの隊長!?

そう焦るな、グレイディーア。

俺が言ったことを忘れてもらっちゃ困る。

……だとしても、ここで手を引くわけにはいかないわ。

お前はエーギルがどうなってるか知らないんだろ、なら教えてやる。

シーボーンが自主的に都市を襲うことは一度もない、自分らの巣と生存領域が脅かされない限りはな。どの殺戮も、どの滅亡も、必ず背後にはエーギル人の邪な輩共が関与していたんだ。

あいつらは俺たちが死んだと思っている、連絡も途絶えてることだ。何より、俺たちの身体にはシーボーンの血が流れているだろ。

あの下等生物とずっと抗ってきた中、今回はむしろチャンスなんだ。

少数の輩のためにあのゴミクズどもを放っておけと?シーボーンの欲望は無尽蔵よ、これ以上住処を拡大させられれば、海ごと呑み込まれてしまいますわ。

それとこれは別の問題だ。

そしてこの二つは、お前が家に戻って軍を整えて、もう一度出陣して迎え撃てば解決できるほど単純なものじゃない。

いい加減考え方を変えたらどうなんだ?

考えを変えた末、あなたはあの下等生物の言いなりになって、仲良くなったってことね。

ヤツらが言うには、俺たちも同族だ。だが俺たちはまだまだヤツらのことを理解できていない。

今でも俺が見たアレを理解できちゃいないさ。ヤツらの神について何かを知るまで、全部無駄なのさ。

隊長、何を言ってるの!?

あなたは……シーボーンと……だったら、最終的に私たち側に立つ保証なんてどこにもないじゃない!なんでそんなことを……

シーボーンから何かを得られると思い込んでいる狩人は、結局誰一人とて行方を晦ましていったわ。

無論、それを一番知ってるのはあなただと思うけど。

アイツらの唸り声も……共鳴も……何かもが人の脳を蝕んでいくの、あれは隊長の考えじゃない!

……スカジ。

それもまた……別問題だ。詳しいことは、グレイディーアに聞いてくれ。

船長、彼女らを船から下ろしてやれ。

フンッ、当然だ……

……残念ね。

……

……
沈黙、そして静寂。離ればなれになって久しい狩人たちの再会は、いつも理想から反したもののようだ。
ナニかがスカジとスペクターの心中で蠢いている。ガルシアも戸惑い、傷口がジンジンと痛んでいる。
そして、剣が抜かれた。
静寂。
なんたる静寂か。
なぜだ?波の音も、風の音も、シーボーンに穴を開けられて軋んでいる船体の音も――
何もかもが遠ざかっていくではないか。
(アイリー二が駆け寄ってくる)

あなたたち……!

こ、この船、動いてます!

何を莫迦なことを言っているのだ、旧イベリア人め……この船はもう何年も……

いいや本当です!ナニかがこの船を押してるような、それに……私たちがあのシーボーンを追い掛け回してた時から、船が航行してたようで……

それに……さっきから。

周囲が、あまりにも静かすぎます。

ブルル……

同類が、集っている。方舟を背に負い、遠ざかっていく。

ついて行こう……我々も。嵐の果てを見つけるのだ。

(従順に首を振る)

波が消えていく。

静謐が、訪れるのだ。

……確かに、何も聞こえん。あんな騒々しい波の音でさえも、一体なぜ……

何もかも、あの日のようだ……

(苦しそうに倒れ込む)

どうしたガルシア!?なっ……私の腕が、勝手に震えている……クソ、この忌々しい腕め、狩りのためでなければとっくに斬り落としていたわ!

エーギル人、これはどういうことだッ!?
グレイディーアは答えなかった。
彼女は感づかれないようにそっと自分の首元を、鱗を、自分のものではない身体の部位を触れる。ナニかと共鳴しているみたいだ。

シーボーンの匂いも……海の匂いも、全部消えているわ。外を見なさい、あまりにも静かすぎる。

一体なにが……?

ハァ、ハァ……どういうことだ……身体が重い……

……待て。

貴様ら、何か聞こえぬか?これはなんだ?

なんだこれは……

“海は未だ嘗てないほどに静まり返り、海岸では著しく後退する潮と不規則な波が起こり、災いの到来を宣告する。”

“音という音はすべて消え去り、岸を打つ波から町に響く鐘の音まで、すべての音が徐々に鳴りを潜めていく。”
人々の話し声も、消え失せるまで。
吹きすさぶ風も、鎮まっていくまで。
嘆くは大静謐、大静謐がやってくるのだ。

ウソよ、裁判所との記述とまったく同じなんて、私たちは今……新たな大いなる静謐を迎えている!?

……

サメ、どこに行くの?

上に行って様子を。

一緒に行く。

私も……

お前は行くな、スカジ。

グレイディーアとここに残るんだ。

……

……なあ、スカジ。

なに?

グレイディーアの傍にいろ、それとこれだけは忘れるな。

お前はずっと俺たちの狩人だ。

ローレンティーナ、行くぞ。
スペクターが空を仰ぎ見る。
暗雲はいつの間にか晴れていた。時間という概念をとうに失ってしまった彼女は今、満天の星空に気付く。
だが終始、声が聞こえてくるのだ。
彼女を呼ぶ声を。
スペクターが甲板を渡っていく、ウルピアヌスもほんの一瞬だけではあるが、心配の眼差しを投げかけていた。

……あなたも隊長も鼻が利くわよね、周りにシーボーンの存在は?

いいや、今のここは陸と同じだ。

海の上にいるというのに、まったく不気味なことだ。

俺は片方を見て来る、本当に船が潮に流されているのかを確かめてみよう。
(ウルピアヌスが立ち去る)

……ではまた。

……星空。

こんなにはっきりとした星空を見たのは初めてね。

色々と忘れてしまっていたことだわ。故郷を離れ、人に利用されてしまったわたくしを救って、記憶を呼び起こしてくれたのは、よりによってわたくしが一番憎たらしく思っているモノだったなんて。

自分がバケモノであることを受け入れるのはそんなに難しくなかったわ、だってわたくしの唯一無二の特徴なんですもの。

ただ、ただね、故郷を思うと、やっぱりどうしても心が痛んじゃう。

わたくしは、帰ってこれたって言えるのかしら?海面もエーギルだって言えるのかしら?ここはわたくしの故郷なのかしら?

グレイディーアは言わないけど、気付いてしまうものね。狩人同士が仲違いすることなんてしょちゅうだけれど、わたくしたちと故郷はどうだろう?もう……あまりにも長い時間、陸で干からびてしまったものだわ。

……あぁ、また思い出した。

小さい頃、両親と祖父母と一緒に、今日みたいに海の上でこうしてキラキラと輝く星空を眺めていたっけ。どれだけ美しい真珠結晶の洞窟とて、あの輝きには敵わなかったわ。

そう思うと、狩人になってから、わたくしはただ何度も何度も故郷から遠ざかったいくだけだったわね、どこにも根を張るわけではなく。

……ウフフ、ちょっぴり、ホームシックになっちゃったわ。

それで、今度はわたくしをどこへ連れてってくれるの、アマヤ?
壮麗な星空の下、その生き物は静かにスペクターを見下ろしてきた。
そこに音などはない。船はただ波を蹴立てて、海風が吹きすさぶ。すべての音はこの生き物の呟きにかき消されてしまっているのだ。
空に浮かぶソレはまさしく水を漂っているかのようであった。ソレは月光と星光に口づけ、漂う触手に優雅さすら覚えてしまうほどに。

どこにも行きませんよ、ローレンティーナ。海に果てはない、どこに行こうが変わりはありません。

ずっとあなたの歌声が聞こえていたわよ、アマヤ。

それは鱗無しの同胞の、リーベリ人のこと、イベリア人の名前ですね、ローレンティーナ。

私が彼女を捕食していた時、彼女はずっと私の頭を撫でてくれて、たくさん話しかけてくれました。時間はまるで氷漬けにされた土埃のようにゆっくりと流れ、しばしの永遠の中、私はずっと彼女の言葉に耳を傾けていました。

彼女がもう二度と口を利かなくなるなで、骨まで微細な細胞に分解されるまで、彼女は私にたくさんの栄養と時間を与えてくださいました。私にすべてを教えてくれたのです。

あなたたちはいつからそんな食料に貪欲になったの?

あれは彼女の願いであり、私はただそれに従っただけ。そのような感情に意味があるとすれば、試してみる価値はあるでしょう。

イシャマラはどうしたのですか?グレイディーアも、それと……ウルピアヌスも、どうしたのですか?

あなたの同胞たちは海へ戻られる準備ができていますか?

……ちょっと内輪揉めしちゃってね。

それはなぜ?故郷はすぐ目の前なのですよ。一族もすぐ目の前です。

帰りたがっているのですね、ローレンティーナ。アマヤが教えてくれました、彼女が今まで会ってきたエーギル人の中で、あなたが一番エーギルに深い感情を抱いてる人であったと。

さあ、こちらへいらっしゃい。

私を抱擁し、故郷へ連れ戻して差し上げましょう。

生きたシーボーンに触れたことなんて今までに一度もないし触れたくもない。あなたを抱くぐらいなら、死に様を見せてちょうだいな、そのほうが嬉しいわ。

自分の生存になんの役に立たなくとも、無機物に形を与えるのと同じように、ですか?

あなたたちってば、“生存”以外に追い求めるものはないの?

追い求める?あなたが故郷を追い求めるようなものを、ですか?

であれば種族の生存、より多くの生存、一族の生存がそうでしょう。

生きとし生けるモノは今のような無秩序にあるのではなく、一つであるべきなのです。
シーボーンが甲板に降りてくる。
スペクターが微笑む。

優雅な佇まいね、それもアマヤから教わったの?

これも彼女の願い、憶えてほしいという願いなのです。

じゃあ、わたくしと彼女のツケは、全部あなたにぶつけていいってことね?

……ええ、アマヤは死ぬ前に、私にあなたのことを任せられました。私があなたの命を頂き、あなたの願いを叶えましょう。

アマヤはあなたに感謝しておりましたよ。あなたを助けるべきだったと、そう仰ってました。なぜならあなたは、あなたたちはさらに一歩前進したのですから。彼らの“科学”も“理想”も十分に進歩したことでしょうね。

アマヤのことを語ってほしければ語りましょう。エーギルへ連れて行ってほしければ連れて行って差し上げましょう。一族の居場所とその様子も教えて差し上げます。私たちに溶け込もうとする人もここで教えて差し上げますよ。

必ずあなたを助けること、そうアマヤから頼まれました。あなたを助ければ、あなたは同胞を受け入れようとしてくれるのですから。

……フッ。

じゃあ、まずは……

その歌声を止めてちょうだいな、故郷の風が聞きたいの。

いいでしょう。
刹那、風の波の音がスペクターの耳元に帰ってきた。
甲板を強く打ち付ける最初の波の音がはっきりと伝わってた時、ウルピアヌスが持つ巨大な刃はすでにシーボーンの頭上に高く掲げられていた。

死ね。
(斬撃音)

――!?防い――ぐはッ!
(シーボーンがウルピアヌスを吹き飛ばし、ウルピアヌスが海に落ちる)

ウルピアヌス!

重い一撃を与えました。海にいる同胞たちが朦朧としている彼を迎えてくれるでしょう。そして彼を巣へ連れて行き、そこでじっくりと彼を受け入れて差し上げます。

それとこの方舟は、本来なら未だ海に適応できていない同胞たちを収容するために使うはずでした。しかし今ではそのほとんどは死に絶えてしまい、残ったのは受け入れるのを拒否する者たちだけ。

であれば、この方舟も用なしです。
(シーボーンは船を破壊し始める)
スペクターはシーボーンの動きをあまり上手く捉えられなかった。まるで歩いてる時、道の障碍物となってる箱をどけるように、荘厳な砲塔は一瞬にして姿を消してしまった。
そして数秒後、遥か遠くに跳ね上がった水の柱が、さきほど消えた巨大な鉄鋼の被造物の行方を教えてくれたのだ。

(あの巨大な砲塔を斬った!?一体何で!?まさか尻尾!?)

しまっ――
(シーボーンがスペクターに襲いかかる)
スペクターは捉えられなかった。
ウルピアヌスがいとも容易く撃退させられた時の衝撃のせいか、あるいは砲塔が切断された時の轟音に気が散ってしまったせいか、スペクターはいとも簡単に攻撃を食らってしまい、甲板にのめり込んでいった。
彼女はまったく動きを捉えられなかったのだ。

さあ、海へ還りましょう。

捕食するにしかり、交流するにしかり、進化するにしかり、どのみち海へ戻らなければなりません。
(ハンドキャノンが2発放たれる音)

待ちなさい!

貴様もこの船をバラすつもりか!そうはさせんぞ、このバケモノめ!

ガルシア!!

(咆哮)――!
ガルシアがシーボーンへ迫っていく。
だがその優雅な佇まいに触れる前に、ガルシアはピタッと動きを止めてしまった。
同胞。彼女は同胞だ。
なぜ私は同胞を襲っているのだ?
(シーボーンがガルシアに襲いかかる)

ギィィエェェアアァァ――!?

似て非なる者よ。あなたは多くの同胞を食らいましたね、であれば飢えている同胞にあなたの血肉を捧げるべきです。

養分として、一族を潤すべきでした。

ガルシア!!

貴様、私のガルシアに何をしたァ!?
(シーボーンがアルフォンソに襲いかかる)

――うごぉ!

がッ……おのれェ!

……!

心配するな、私は平気だ、ゲホッ。

……

アルフォンソ……

――なっ……?

待て、ガルシア、お前――

アルフォンソ。

今日ガ……最後ノ……航海デス。

ソレマデ私ハ……ズット……自分ヲバケモノ扱イシテキマシタ。ソノホウガ、楽デシタ。

分カッテマス。私ガ死ネバ……アナタハ独リ……アナタモ死ヌ。ナリマセン、ソンナ――惨メナ死ニ方ヲ。

でも今日ガ、最後ノ航海ナノデス。

私モ……スデニ、奴ニ血ノ繋ガリヲ感ジテシマイマシタ。

いいや!そんなことはない!

ガルシア!お前はまだ人の言葉を話せているではないか!お前はまだ狂ってはいない!

イイエ。

時間、デス。ストゥルティフェラ号ハ、直ニ沈ミマス。蛍光ノ海ガ、コノ船ヲ、蝕ミ始メマシタ。

私ナラ――

――人トシテ、イベリア人トシテ、死ニマス。絶対ニ、奴ラノ同類トハ認メナイ。

……
シーボーンが腰を曲げる。
その姿は副官ガルシアと瓜二つであった。
ガルシアが、頭に被る冠を正す。

(イベリア語)私ノ愛シイアナタ……ドウカ思イ出シテ……責務ヲ。

……

(咆哮)――
(ガルシアがシーボーンに向かって走り出す)

あなたは私に抗っているわけではないのですね、ガルシア。
(シーボーンがガルシアの体を穿つ)

ギィィエェェアアァァ――

あなたは今、ココロにある一族と抗っている。この船にいても、あなたは海を渇望しているのです。
(シーボーンがガルシアの体を穿つ)

アガッ――ギィエ、ギギャアア――

しかし、大丈夫ですよ。

養分となり、ほかの同胞を潤すのです。あるいは、受け入れ、同化なさい。
ガルシアの身体は穿たれ、血が泉のように噴き出す。
シーボーンはまるで餌を投げ捨てるかのように、ガルシアを海へ投げ入れた。
だが彼女はそれでも高貴な佇まいでいる、まるで神聖不可侵な聖像のように。

えっ……一体、何が?

どうしてあんな、いとも簡単に――

……人も、同胞も、この両者の間にある命たちも。

アマヤは救おうとしていました、だから私もそうします。私はただ同胞を迎え、Ishar-mlaを迎えたいのです。

同胞の命を守る。そして一族の内に戻る、“故郷に還るのです”。

サメ。

――

――
(グレイディーアが走りダル)
グレイディーアが軽やかにステップを踏む、だが先ほど呟いた一言を置き去りにするほどの素早さであった。
そんな刹那の間にしても、背後に控えていたスカジと再起したスペクターが同時に反応し、そして同時にシーボーンへ武器を振り下ろす。
最速のグレイディーアがほんの少しだけスピードを下ろせば、三人のコンビネーションはより完璧なものになっていただろう――だが、もうグレイディーアにそんな余裕はない。

……
その攻撃を避けるシーボーン。あるいは、ただ前に進んだだけなのかもしれない。ヤツの素早さも目を見張るものであった。
そしてヤツはただスカジを見やる。

私たちの中には、たくさんあなたに会いたがっている同胞たちがいますよ。Ishar-mla、我らのイシャマラ。

――!

一族があなたの帰りを待っております。我らが待っております。どうかあなたからも答えを。

――ゴミクズめ、わたくしたちが眼中にないのかしら?
グレイディーアが彼女の長矛を振るい、そして貫く、シーボーンは避けなかったのだ。そしてその勢いのまま地面に大きな穴が開く。
(シーボーンとグレイディーアが天井を貫き下層に着地する)

……

これでもまったく効いていないだなんて……一体何をした?

もう直、多くの同胞たちが、必要としてる同胞たちが、私の高みへと達します。

私たちは一分一秒とて進化をし続けているのですよ。グレイディーア、私たちは一つなのです。あなたはその内の最も強力な個体の一人。
(スカジとスペクターが下層に着地する)

……ウルピアヌス隊長はどうしたの?

海に引きずり込まれてしまったわ、それにかなりの重傷を負ってる。

……

ウルピアヌスはコイツらの神ですら消化しきれなかったのよ、死にはしないわ。

それに今のコイツは何か変化が起こっている、サルヴィエントのあのゴミとはまるで違うわ。

カジキがコイツらを警戒するなんて珍しいわね、いつもならあんな汚らしい言葉を吐き掛けてるのに。わたくしの記憶がまだはっきりと全部戻っていないからなのかしらね、スカジ?

いや、確かに珍しい。こういったシーボーンは滅多に見ないから。三人の狩人の攻撃を受けても無事でいられる獲物なんているはずがない。

わたくしはまだ本気を出してないわよ?

このまま力づくで戦っても船がもたない。それにコイツ……以前よりもパワーが増している。
(アルフォンソが下層に着地する)

……さっきので、最下層に火事が起こってしまった。

よくも私の船とガルシアを……後悔させてやる、バケモノめ。

……

同胞たち、多くの同胞たちが私を呼んでいます、私に海の繁栄と安寧を求めている。

あなたたちが私を止めるのであれば、捕食するしかありませんね。しかしどうか、どうか私と共に、一族のもとへ。

ねえ、アマヤ。

……もうアマヤではありませんが、そう私を呼びたいのであれば。

そう呼ぶに決まってるでしょ。ちょっとまた思い出したことがあってね、こればっかしは紙にでも書いて残しておくべきだわ――

なんでしょう?

彼女ったら、わたくしに一つ借りが出来てるのよ、見逃してやった借りがね。だからあなたが代わりに返してちょうだいな。

借りですか?もし一族のもとに帰ってくれるのでしたら、喜んでそうしましょう。

それは無理ね。

……
シーボーンは言葉を返さなかった。
ただ静かに腰を曲げ、鋭い爪をあらわにする。
(斬撃音と爆発音)
そしてその刹那、大きな傷を負った船体はとうとう限界を迎え、視界を激しく揺さぶる。

……時間。そう、あなたたちの時間の概念。それもアマヤから教わりました。

10分です。

10分もすれば、この方舟は同胞に引きずられ、そして“沈む”でしょう。
それは狩りと捕食、生存と進化。
それに戸惑うシーボーンではない、決して戸惑うことはないのだ。









