ぷはッ――!
上がって!!
はやく!手を!
一隻の小さな船だ。
ここはイベリアの眼からどれだけ離れているのだろうか?グラン・ファロまでどれだけ離れているのだろうか?
うぷッ、はッ、はい――!
アイリーニがジョディの手を握りしめる。
エーギル人もリーベリも、同じ手をしていた。
フッッ――ご、ごめんなさい――ボクあんまり力が……
いえ……
遠くであの船が爆発した時は――本当にびっくりしましたよ!皆さん大丈夫なんですか!?
ええ、あなたも無事で何よりだわ。呼吸を整えたら、少なくとも自分でも泳げるんじゃなくて?
今はまだ波が穏やかで本当に助かったわ。
ハァ……ハァ……ほかの人は?
……少し、確認したいことがあるって。
さっきのあれは……エーギルなんですか?あんなに近くにあったなんて……ストゥルティフェラ号はずっとエーギルの都市の上を回っていたんですか?
わたくしたちだけなら何とかしてあの都市に戻ることはできるかもしれないけど、あなたを連れてちゃ無理ね。
それに、隊長も不本意みたいだったわ、わたくしたちがあのままウキウキしながらエーギルに帰ることにね。エーギルの都市があんなに陸地へ近づくことはありえない、覚えがない都市だったし。
……ゲホゲホッ……ハァ……ハァ……
それじゃあ、あなたたちは、そこに帰るつもりなんですか?
いいえ、あそこはもうすでにシーボーンの巣窟に成り果ててしまったって、グレイディーアが言ってたわ。あの都市は、逃れてきたのよ。
え?
あなたたちが島民と呼んでる人たちっていうのは、あの陸地に接近した都市が崩壊した後に逃げ出した難民たちだったのよ。
……その人たちを助けてあげないと。
二つ、確認できたわ。
一つ、ウルピアヌスは死んでいない、彼はわたくしたちとの同行を拒否した。
二つ、この近くにはまだほかのシーボーンがいる。あの進化に引きつられて来たんだわ、群れもザワついてる。
今のうちに討伐しに行くこともできなくはないけれど、そうすればわたくしたちもあそこから逃れられなくなるわね。
……やっと……故郷に会えたっていうのに、今はまた、そこに背を向けて逃げなきゃならないだなんて……
……
グレイディーアが静かにスカジを一瞥する。
彼女はよく誤魔化せている。すべてが静謐に陥り、彼女が首元を軽く触れた時のように、見事に隠し通していた。
……そうするしかなさそうね。
そんな!?
ここに都市があること自体おかしいのよ。
もう一度……陸に上がって、態勢を整えましょう。
わたくしたちの責務はエーギルの守護であって、“家に帰る”ことではありませんわ。
……
どうやってここまで?
えっ、あっ、ボクに言ってるんですか?えっと、なんのことでしょうか?
この船は私たちが乗ってきたあの船よりも見ずぼらしい。どうやって私たちの居場所を特定できたのですか?こんな広大な大海原の中から。
……えっと……“阿呆船”から発せられた信号の位置を逐一照らし合わせたら……規則性を見つけ出しまして、ですのでその……イチかバチか……
イチかバチかですって?その位置の規則性の誤差は?
えっと、二三百海里程度?
それは規則性とは呼べません。もしその賭けに負けたら、あなたは私たちの位置に辿りつけなかったどころか、海に流されて死んでいたかもしれないのですよ?
……もはや奇跡ね。
はい……
……あの……一つ聞きたいことがあるのですが……どうか笑わないで頂けると……
こっちはいま笑える場合じゃないので。
……ボクは今、偉大な人になれたのでしょうか?
(回想)
お前の祖父母、そしてお前の両親、グラン・ファロのこの世代の人たちは、みんなその青写真のために血と汗を流した。あいつらは……偉大であるべきなんだ、本当さ。
(回想終了)
……フッ。
でしたら、まだまだですね。
あなたは運がよかっただけです。
あはは……やっぱりそうですよね。
先生や……裁判所のほかの仲間たちは、ある考えを抱いているんです。
]“偉大”という言葉に相応しいのは犠牲した者だけだと。いくら私たちが頑張って生き残って、イベリアのために戦っても、それは大きな責務を背負ったただの一般人に過ぎないのだと。
なにも卑下してるわけではありませんよ、私たち審問官たちは。じゃないと私たちは瓦解してしまう、気が緩んでしまったその瞬間に。だから私たちはいつもきつくイベリアに当たっているのですよ。
けどそれまでの間、このランタンを灯すほどのヒトとしての意志を持ってる間は、私たちも同じ人間なのでしょうね。
そう……自分のやり方で藻掻き苦しむ住民たちと同じ。僅かばかりの良心が残り、それでも故郷のために我が身を犠牲してやれる戦士と同じ。
……あのグラン・ファロの技師たちとも。
……
……幸運はずっと傍にいてくれるものではありませんよ、ジョディ。もしまた、裁判所と接触する機会が……いや、つまり協力する機会があるとすれば――
――あなたにも、いずれ偉大になれる機会が訪れることでしょう。
……あはは……いやその、これはちょっと……とっさに疑問に思ったことというか……
ボクなんかより、ストゥルティフェラ号から不朽の叡智を持ち出した皆さんこそが本当の――
あなたは一気に三人ものアビサルハンターを助け出したのよ?エーギル人として、エーギル執政官ご本人から勲章を頂いてもおかしくはないわ。ねえ隊長?
……
……泳いで帰るのは、すごく大変。それにここはアイツらの巣窟の真上、何が起こるかは分かったもんじゃないわ。
グラン・ファロで生まれたあなたがどんな執念を抱いているかは分からないけれど……それでも、よくやったわ。
エーギル人として……イベリア人としてもね。
……はい。
では、帰りましょうか!
――
おお、よくぞ帰ってきてくれた、狩人たちよ。それにアイリーニも。
カルメン様……長官は……
……なぜそれを知っている?
……
遺品なら整理しておいた。この灯台で亡くなったほかの同志たちのもな。
だが懲罰軍がここに到着するまで、彼らの遺品を持ち帰ることはできん。
恐魚たちが大審問官たるダリオを倒すことはできない、だがイベリアの眼を守るため、彼は命を以て時間を稼ぐことを選んだ。
我々審問官に他者を悼む暇はないぞ、アイリーニ。ダリオは君に希望を託した、だから君は歩み続けなさい。
……はい!
……それと。
彼のランタンは無事だったよ、そこに置いてある。
持って行きなさい。
ありがとうございます……
(アイリーニが立ち去る)
どうやら懲罰軍も面倒事に遭ったみたいね。誇りあるイベリア海軍の実力をこの目で見れなくて残念に思いますわ。
……“阿呆船”は沈んでしまった。想定とは大きく異なる結末にしてくれたものだな。
こっちも同じよ。わたくしたちにとって、これは間違いなく大きな挫折ですわ。
……けどそれなりに情報は手に入れましてよ?それに……
エーギルの都市を、見つけたのだね。
それについてだが、ケルシーが何やら予想を立てていた、君も把握しておくといい。
裁判所は必ずすべてを掌握してみせる、我々はそう信じていた。サルヴィエントから、あのストゥルティフェラ号まで……我々は一歩ずつ、イベリアの栄光を取り戻せると信じていた。
だが今は現状を維持するだけで、裁判所は困窮してしまうほど力を落してしまった……認めざるを得んよ。
……
では聞こうか、執政官殿――
君たちはあの船で何を見たのかね?
……このランタンね。長官のランタン……焼け焦げていて、微かに恐魚の匂いがする……
長官……私は……
先生!
私は無事、裁判所から仰せつかった任務を達成し、ストゥルティフェラ号を発見しました!!
あえなく沈没してしまいましたが!それでも――船にいる――どのイベリア人も!己のやり方で、最後まで抗ってみせました!
ダリオ先生!
私はようやく――裁きの意味を理解しました!私たちが直面してる宿敵たちを理解できました!
もう――絶対に迷いません!怯えたりもしません!
イベリアを存続させるため、イベリアの宿敵と戦うため、イベリアの潔白と美徳を守るため、これからも私の剣と灯りを掲げて参ります!
……アルフォンソが……そんなのありえん!
六十年余りだぞ、なんたる苦痛か!いくら最も残酷な刑罰を受ける罪人とて、一年すらもたん!
彼は……彼は……
しばし沈黙に入ったカルメン。彼は腰を曲げ、岩礁に座り込んだ。
恐魚たちはすでに屍の山として積み上げられている。ここにはもう、微塵たりとも異形の痕跡はない。ただ僅かに残った溟痕が海へ退き、海面で淡い青を発し、空の特権を奪っていただけであった。
カルメンは勝利を得たはずだ。裁判所の悲願を成し遂げたはずだ。懲罰軍も直にここへ辿りつく、すべてが円満に終わるはずなのだ。
だが彼はひたすらに沈黙し続けるだけであった。
彼方から汽笛の音が聞こえてくるまで。懲罰軍がやってくるまで。
ここからあの町が少しだけ見えるね。確か、この丘は……再起の丘って名前だったっけ。
ティアゴさんは穏やかに死んでいったわけじゃない、それがいいか悪いかはボクには分からないけど……でも……
みんなには、本当に感謝してるよ。
ううん、気にしないで。
粛々とした葬儀で英雄のために一曲送ってあげても、バチは当たらないでしょうよ。
Frostが戻って来たみたいよ。
わかった。すぐ戻るよ。
あなたはどうするの?色々と大変だったでしょ、イベリア人さん?
……
グラン・ファロはティアゴさんの故郷なんだ。エーギルも、みんなやボクのアビサルハンターの友だちの故郷でもある。
いつもふざけてたことしかしてこなかったから、みんな忘れちゃってると思うけど……
ボクの故郷はイベリアだ。ホントだよ、空気読んで言ってるわけじゃないからね。
あの医者からは何か助けてもらわなかったの?彼女の代わりに仕事してるんでしょ?
いや、色々と助けてもらってるさ。だからボクはロドスに残っているんだよ。
でも……
……ボクはまだ、誰も助けられちゃいない。
はやくはやく!物資を倉庫に移すんだ!
おい、テントの数がおかしいぞ?あのお偉いさんは揃えてくれるって言ってただろ!?ッ――
……あっ。
じ、ジョディ!?なんでここに……?
なんで……裁判所がお前を釈放してくれたのか?今までどこに行ってたんだよ?
俺たちも懲罰軍に連れて行かれては、また町に戻されたんだ……あいつら、ナニかと戦っててさ、今は俺たちに軍営地を張れとか言ってきて……
グラン・ファロはどうなっちまうんだ?なあ、それとティアゴは見なかったか?
……
ジョディ・フォンタナローザ。
あっ……せ、聖徒様……それに審問官様まで!
……ん。
このエーギル人と話をさせてくれ。
えっ、ええ、勿論です!どうぞどうぞ!
ぼ、ボクに何か?
着いてきたまえ。歩きながら話そう。
ここへ戻る最中、アイリーニが決断したよ。
……
け、決断ですか?なにを?
本来なら、大審問官ダリオの意志に従い、この子が大審問官の位に就くまで、私がアイリーニを預かり、育てるはずだった。
ダリオがあの場で死んだことは誰も予想だにしなかったよ――いずれ来るとは分かっていたのだが、今その宿命を受け入れる必要などはなかった。
……
だからこそなのか、アイリーニは自ら決心したのだよ。
彼女は、審問官としての役職を放棄したのだ。
――!えっ、なんで?なんでなんですか!?
これは私が自分で決めたことです。私なりの考えがありますから。
話を最後まで聞いてください、あなたにはなんら関係のないことなんですから。
は、はい……
エーギル人、問題は君だ。君は多くを知り過ぎた、深く関わり過ぎた。この町にいるエーギル人も、冒涜が過ぎた。
……
……だが、君に色々と助けられたのも事実だ。
か弱い君は、本来なら砂粒のように、人に悟られぬままひっそりと死んでくはずだった。だが君は、己の実力を発揮した。君のその種火は酷く小さい、だがとても尊いものでもある。
ボクはただ……なんで自分は生きているのかと、考えてただけです。ボクはそんな高尚な人間ではありません、揺るがない信念を持ったわけでもありませんし。
ジョディよ、君はいずれ……初めて裁判所に加わったエーギル人となる。
……
えっ、えっ?ボクですか?裁判所に?
正確に言えば、君に拒む権利はないがね。グラン・ファロはこれから多くの人手が必要となる、エーギル人が一人でもいれば、百人力だ。
それに、うむ、私個人としても若い秘書が欲しくてね……
ちょっと待ってください、ボクが裁判所に入るですって?
そんなの……
イヤなのは分かっています。今でも多くの裁判所の人たちや、そのほか大勢がエーギルに対して強い偏見を抱いているのは事実です。
でも、かつてイベリアがグラン・ファロに約束した、ティアゴに約束した未来を……この目で見たくはありませんか?
……!
ただし、裁判所に加わることは一種の試練です。きっとこの先、数々の苦行に苛まれるでしょう。
そこだけは誤解しないでください。
……か、考えておきます。
ええ。
では、審問官さんはどうするのですか?あなたの先生はもう……
……
審問官のままであれば、私やアビサルハンター、それとエーギルへ接触する際に不和が生じてしまいます、だから捨てました。
ずっと私を支えてくれた信念を……不幸にも師が亡くなってしまった時期に捨てるのは、とてもじゃないけれど耐えられないものです。
ですので……今は聞かないでください。また会えた時に、教えてあげますから。
すみません……
でも……
アイリーニが広場に聳える彫刻に目を向ける。小さなイベリアの眼だ。
戦乱で荒廃した街道、壊された家屋、一時的に張られたテント。
この彫刻は終始、ここで起こったすべてを見守ってきたのだ。
たとえ私たちが法の裁きの範疇を超えるモノと直面しても、きっとイベリアがその穢れを払ってくれることでしょう。
勝利は必ず、我々にあるのですから。
Frost、君には本当に感謝している。ジョディを助けてやっただけでなく、ハンターたちをも助けてくれた。
いい、ただのトレーニングだったから。言うことを聞かないあの子らだけが、波の向きを変えられるわけじゃないからね。
だから今度、ライブを盛り上げに来てくれると助かるよ。
ああ。
じゃあ、Ayaたちのところに帰らせてもらうね。
ちょっと出かけただけなのに、どこに行ってしまったのやら
(不満げなギターソロ)
そうだ、ケルシー……
せっかくここに来たんだから、私たちも何かやっておかないとね。こっちはいつでも覚醒できるよ、そっちが用意を済ませたらだけど。
Ayaならそう言う。
……感謝する。いずれは必ず真っ当な協力関係を築こう。
(別れのギターソロ)
(Frostが立ち去る)
つまり、あれがブレオガンが見つけた真実というヤツですわ。
“大いなる獣”と“海の神”、その二つの関連性。
大昔に海からあの巨大な生物が姿を消し、ああいった姿で陸に暮らすようになったと――
関連性はないさ、グレイディーア。
大炎も、サルゴンも、サーミも、確かにかつてはその獣が引き起こした問題と直面してきた。
だが忘れるな。
海の異変はそのどれとも異なる、極めて特殊なんだ。いくら私とて、あれの具体的な原理と過程は把握できていない。
結果を観測し、それから未来を予測してみたんだが……いい未来ではないよ、あれは。
それに、ブレオガンはきっとほかの真実も見えていたはずだ。だからもし君の言ったように、ほかのアビサルハンターも生きているのであれば……
海の神は一匹だけに留まらない。わたくしたちが屠ったあの一匹は、所詮エーギル文明が匿ったほんの一部に過ぎないと。
そして何よりも……
君たちが殺めたその一匹は今、スカジの中で生きている。
となれば、私が予想していた最悪の結果が現実になったというわけだな。君がエーギルに戻らなくて正解だったよ。
ロドスには色々と助けられましたわ。でもあなたたちにも自分の任務があるでしょうし、これからは自分たちでなんとかしますわ。
……
確かに、ロドスには……ロドスの責務がある。ロドスの歩みは、私たちの優秀なオペレーターたちが支えてくれることだろう。
だがこの数万年の歳月の中、私は私の責務を見つけた。
何度も何度も、私はエーギルが直面する問題を解決しようとした。だがエーギルは、陸からかけ離れた存在だ。
これ以上、時間を無駄にはできない。
海の問題と源石の問題は同クラスだ。
この厄災に勝たなければ、文明は生き残れない。
ストゥルティフェラの名が意味するように、いくらこの世界から争いが尽きぬとも、隔たりと戦火が消えなくとも。
このテラは病に侵された者たちと無知蒙昧な阿呆たち、また狂乱と無秩序の中から理性を求めようとする聖者たちを運んでいる。
そして今、君は進化の果てを知り、己の予想は証明された。エーギルの街も手の届くところまで来ており、自らを諌めることを諦めたイベリアのように、傲慢さに耽った。
我々もそろそろ動くとしよう、戦争総設計師殿。
……
(不満げに首を振るう)
静かにしてくれ、ロシナンテ。
(さらに激しく首を振るう)
……ロシナンテ……
(嘶き)
……どこに向かうつもりだ?
大波が、来る。
大波に、勝つのだ。
我々こそが、大波である。
大波か。海に水がある限り、空に月、そして風が吹く限り、波は収まらんぞ。
狂ってもなお指標を持つとは、本当に大したものだよ、お前は。
ヘイヤァ!(かすれた雄叫び)さあ、進めェ!
(愉快な嘶き)
(かすれた雄叫び)
これ以上の漣は、断じて許さん!
進むのだァ!大波へェ!