(フェイスト達の足音)
フェイストはまたもやこっぴどく叱られるのかと、当初は考えずにはいられなかった。
すでに何度も腹稿を重ね、どういった言い訳をすればこの強情な老人を説得してやれるのかと心の内で隅々まで用意を済ませていた。
しかしキャサリンは今まであまりにも多くの出来事を見てきたのだ。そのせいもあってか、性格も工場にある機械よりは融通が利かなくなっている。
いくら彼が口八丁を連ねても、キャサリンには一度だってそれが効いたことはなかった。フェイストが自慢げに思う自分の頭脳も、知らぬ間に屑鉄と化してしまうほどにキャサリンの眼光は厳かですべてを見透かしていく。
それも相まって、フェイストは懐かしいしょげた感覚を覚えた。
祖母の前にいれば、彼はまるでいつも子供に戻っては、挙動は幼稚になり、情緒も押さえが効かなくなり、思いがけず自分でも後悔してしまう言葉を吐いてしまう。彼はただ、祖母が先に口を開くのを待つしかないのだ。
しかし、キャサリンは何も言おうとしなかった。
彼女はただ、フェイストを奥へ奥へ連れて行くだけだ。そしてついに足を止めた時、フェイストはこっそりと祖母の顔色を覗き込んだのだが、意外なことに彼はそこから少しも怒りの感情を読み取れなかった。
……
この先って……
至って普通の場所さ、何もありゃしないよ。
確かここの作業場、婆ちゃんがいっつも一人で行ってたよな。にしては組み立てラインが空っぽだけど?
ここで何を作っていると思う?
古株たちはみんな言おうとしないから知らねえけど、パットがダンと賭けてて、ここを……当時蒸気騎士を製造していた秘密の作業場だって言ってた。
ならパットに伝えてやんな、あんたの勝ちだよ。
じゃあやっぱり、ここって本当に蒸気鎧を……でも、なんでだ……
何回かこっそり婆ちゃんの後をつけてここに来たことがあったんだけど、そん時は確かに……機械やベルトコンベアは動いてただろ。
電源さえオンにすれば、今だって稼働できるさ。
……じゃあなんで止めたんだ?蒸気騎士がヴィクトリアから消えたから?いや、発注が来なくても、ここにあるのって貴重な機械ばっかだろ、このままほったらかしにする理由はないはずだ。
なぜ止めたか……そうね、一体なぜなんだろうね?
(キャサリンが機械を叩く)
歳を食ったキャサリンはまるで冷たい金属の塊に問いかけるように、目の前にある作業機器を叩いてやった。
そこでフェイストは気が付く、ここにある設備はどれも埃一つすら被っていない。まるでこの秘密の作業場だけが時を止められたかのように。
どうしてあたしはいつも一人でここに来ているか知ってるかい?
カーマ、マイク、ブランソン……あいつらは本来ならそこの持ち場で作業していたんだ。それにシャビも、推進器の監督を担当していたはずだ。
ここにあるベルトコンベアが動き出した時は……あんたが一度も聞いたことがないような、どんな曲よりも完璧なテンポとリズム感が聞こえてくるはずだったんだ。
シャビ……シャビってオレの親父の名前なんじゃ……?
ああそうさ。
あんたの親父はこの工場で一番頭の冴えた男だった。いつも奇天烈なアイデアを思い浮かべてはいたがね。
親父のことは、写真でしか見たことがない。
会わせてやりたいものだよ。あんたは本当に……あいつとそっくりだ、そう思わずにはいられない時があるぐらいには。
シャビは蒸気エンジンのプロフェッショナルだった、あいつ自身がエンジンみたいなもんでね。あたしでも追いつけられなくなるほど、工場のみんなを引っ張ってやっていたさ。
……あたしもちゃんと、しっかりとあいつの後に付いていっておくべきだったよ。
親父って街中で起こった事故に巻き込まれて失踪したんだろ?小っちゃい頃からずーっと、婆ちゃんからそう聞かされた。
街中で起きた事故か……二十六年前に起ったあの戦乱が“事故”と言えればの話だがね。
二十六年前!?それって国王がまだ生きてた時期じゃ……
そうさ。ロンディニウムは一夜にしてカオスになったよ。大公爵たちを筆頭に、貴族同士が次々と騒動を引き起こしたのさ。
多くの工場がその影響を受けたよ、特にあたしらんとこの蒸気鎧を生産する軍需工場がね。作業は全部停止させられてしまったよ。
シャビは……あの頃のあいつはまだ若かった。そう、ちょうど今のあんたと同じぐらいだった。あいつはとてもこの工場を愛していたよ、もちろんこの都市も。
あの日あいつは、貴族たちに抗議しにほかの作業員たちと工場を出て行ったんだ。みんなの最低限の生活を保障してもらうよう、公爵らに労働者たちの声を聞かせるために。
フッ……甘っちょろい考えだろ?
……
何度も何度も考えられずにはいられなかったよ……十二月のロンディニウムは寒いだろ?だからあいつの胸から流れ出た血は、さぞかし熱いんだろうねって。
親父は、理想のために……
理想のための死は崇高なものだって、そう言いたいのかい?
あんたら自救軍の指導者たちやそこの“ドクター”も……いつも仲間が死んでいったらそんな言葉を繰り返すのかい?
……クロヴィシア指揮官ならそう言うぜ。ドクターは……ドクターなら、そういう時はいつにも増して冷静になるけど、みんな本心でそういうことを言ってるよ。
そりゃ残念だね、死んでいった者は自分がどれだけ偉大だったのか知る由もないのだから。
その代わり生き残った連中の……そういった慰めの言葉ってのは、まるでタバコの煙のように薄っぺらいものだよ。肺に入れた時は気持ちがいいだろうが、吐き出したら……
(キャサリンがタバコをふかす)
キャサリンはタバコを一息吸い込み、そして間を置き、ゆっくりと吐き出した。
今日の気温はまだそれほど寒くはない。煙を吐き出されても、そこには何も残らなかった。
ただ一つだけ言えることはある。二十六年前のあの夜、四十一名もの作業員がセントラルの街へ行ったっきり、誰も戻ってくることはなかった。
それでもロンディニウムは何も変わらなかったさ。あの貴族や金持ちは、何も起こらなかったかのように見て見ぬフリをしたんだ。だからこの作業場も、また昔みたいに動き出すことはなくなった。
あたしはもう歳を食っちまったよ、フェイスト。もうこれ以上、自分の手であんな素晴らしい人材を育てることはできなくなっちまったね。
シャビがやるべき仕事も、今じゃあたしがやるハメになった。あんたに色々教えてやるべき人だったのは、あたしじゃなくてあいつだったんだよ。
婆ちゃん……
信じるかどうかは勝手だが、あたしは一度もシャビを責めたりはしていないよ。無論、あんたのこともね。
だがしっかりと考えておいてくれ、フェイスト。パットたちを連れて、暗躍しようと抗いを試みる時にしっかりと考えておくべきだ。
万が一この戦争から生き残るも、ほかの人たちが全員戻ってこなくなった中、あんたもあたしみたいに来る日も来る日も、ここにある誰にも使われない機械を眺めながら、悔しさに苛まれてもいいのかい?
……
婆ちゃん、三年前、オレはあんたの決断が理解できなかった。
でも今、その日のことを思い出すと、自分を婆ちゃんに置き換えると――
たくさん悩み抜いた末じゃないとその決断は出せねえなって、そう思ったよ。
婆ちゃんの言う通り、小賢しいだけじゃ死は欺けられない。
でもな婆ちゃん、妥協や従属したって同じだと思うんだ。
……
(キャサリンがタバコをふかす)
キャサリンは深くタバコを一息吸い込むも、反論はしなかった。
なあ婆ちゃん、オレは考えがまとまったってまだ言えねえけどさ……
オレたちならきっとサルカズをここから追い出せるなんてことも、胸を張って言えるわけがねえ。
正直さ、オレたちに残された時間はもうないってロドスから教えられてから、ますます肩に背負ってるものが重くなってきたんだ。
怖いんだよ、オレがまたバカなことをしでかすんじゃないかって。
でも――だからといって、オレは止まるわけにはいかねえんだ。
じゃないとオレ、ビルさんやジョニーにガビー、それから過去に犠牲となってしまった自救軍の面々と顔向けできねえよ。
……ホント、甘っちょろいねぇ。
そこのドクターって人、あんたはせっかちなこいつと違って落ち着きがある。
すまないが、もうしばらくこいつの世話を見てやってくれないか?
・心配はいらない。
・尽力しよう。
あたしの部屋にあるデスク、その左に置かれてる三番のタンスに隠し場所がある。
え?
サルカズは監視が厳しいんだ。戻ってきたとは言え、ここの工場にあんたの居場所はもうないよ、それを見終わったらさっさと出ていきな。
それと、ほかのみんなには迷惑をかけるんじゃないよ。
(キャサリンが立ち去る)
……ありがとう、婆ちゃん。
キャサリンがあなたの傍を通りかかった時、あなたは彼女の表情が見えた。
それは安心と、悲しみだった。
つーわけでドクター、早速婆ちゃんが言ってた場所に行って見にいこうぜ。
ついて来てくれ、婆ちゃんの部屋はこっちだ。
(フェイストがあるき出す)
ブツは届いたかしら?
全部ここにあります。
プティ殿はご健勝かしら?
なんか病気になっちゃったみたいですよ。でもまあブツは無事に届けられたんだし、今回の取引はこれで完了ですね。
そう、なら代わりにお礼を伝えておいてちょうだい。
全身武装した傭兵たちが、次から次へと倉庫の奥から姿を現してきた。
それを率いてる者が自救軍の前へとやってきて、武器を所持ていない片方の手を差し伸べてきた。
お初お目にかかる、新しい雇い主殿。俺はトターだ。
お初お目にかかるわ、トターさん。長旅ご苦労様。
ああ、コンテナの旅はまったく息苦しかったよ。
まあ外に出ても……大して変わりはないな。
ふふ、ようこそロンディニウムへ。
八番隊は、新しく加入してくれた仲間たちを基地まで案内してやってくれ。近くで展開しているサルカズの巡査部隊にはくれぐれも注意するんだぞ。
了解です、指揮官。さあ傭兵諸君、俺たちについて来てくれ。
(自給軍の戦士と傭兵達が立ち去る)
……最後に届いた装備を加えたら、私たちもそこそこ戦力が増してきたわね。
もう時間がないわ、クロヴィシア。向こうはきっと、すでに貴族たちに手を出してるでしょうね。
公爵邸から脱出した後、我々はより人目に付きづらい第二基地へ移転した。今はまだ比較的安全と言えるが、いつまでそれが持つかは未知数だ。
市内のサルカズも数を増していることだしな。
あと三日もすれば、サルカズの主力部隊が市内に戻ってくるわ。
……ナハツェーラーの王、汚らしくも恐ろしいグールか。
アーミヤから奴の能力は聞いた。何やら戦争を“糧”に生き長らえているらしい。奴が戦場に立てば……たちまち戦場は奴の一部となるだろう。
代償は避けられないけど、一体どうすれば……戦場そのものを退けられるのかしら?
公爵たちの艦隊が団結しない限り、勝算はないだろうな。
奴については、こちらも避けなければならない。こうして奴が戻ってくる前に行動に移ったのがその理由だ。
奴らはまさしく、生きた伝説そのものだからな。
サルカズの王庭……もし彼らが本当にレイトン中佐の防衛軍を経ずに、直接都市全体の鎮圧にかかれば……
……クロヴィシア、あなた数字に強かったはずよね。だったら教えてくれないかしら、私たちがその恐ろしい伝説に勝てる確率はどのくらいなの?
……
平気よ、自救軍が今日までやってこれたのは、一概に精確な計算があったおかげでもないのだから。
戦士たちなら万全な態勢を整えてくれている。
何が起きようと……少なくとも私の心は一つだ。そうだろ、アラデル?
……ん?ええ、そうね。
何か考え事か?
ううん、ただ明日の作戦も……ここ数日みたいに順調に行けばいいかもねって、考えてただけよ。
……最近、なんだか作戦が上手く行きすぎてるように思えないか?
それっていいことなんじゃねえの?
いいことというのは、なんの謂れもなく起るようなものではない。
ヴィーナの意見に賛成ね。一回だけ運がよかったのならまだしも、こう次から次へと続くようなもんじゃないでしょ?
……
――
あの人、さっきからずっと辺りをウロウロしていないか……
……
その男は交差点の辺りに立ち、シージら一行がいる方向にチラチラと目線を向けていた。
とは言え、その視線が路地の奥まで届くことは本来ならありえないはずだ。しかしその男はまるで驚いたかのように視線を変え、そそくさに頭を下げては去っていった。
(ロンディニウム市民が走り去る)
(シージがダグザに無線を掛ける)
……ダグザ!
(ダグザが無線に応答する)
こちらダグザだ。
今すぐアラデルに知らせろ……全軍、倉庫エリアから撤退するんだ!
了解した。
……
何があったのかって、向こうが聞いているぞ。
何者かが私たちを見張っていて……いや、今は説明してる暇がない。
ダグザ、インドラ、モーガン。計画通りに動くぞ。
――
(サルカズの戦士がアーツを放つ)
くそッ……
全員撤退したか?
いや……どうだろうな……
……まずは逃げるぞ。