いいえ、エルシー、変わらないものだってあるわ!
たとえばこのわたし!わたしは必ず大きくなったら蒸気騎士になる、あのリッチ様のように!いいえ、リッチ様をも超えてみせるわ!
わたしがあなたたちを守って、悪者たちを追い返してあげる!
ひいひいひいひいお婆様と同じように、カンバーランドの名を永遠のものにしてあげるんだから!
約束よエルシー、絶対なってあげるからね!
(アラデルが火元に駆け寄る)
エルシー!!!
頑張ってエルシー!私が、今すぐ……
約束したじゃない!私が必ず……
(炎が更に勢いを増す)
アラデル殿、今すぐそこからお逃げください。
ブラッドブルードが来ています、ヤツに見つかってはなりません。
エルシーがまだ中に残っているのよ!そんなの――
あの方の命令に従ってください、勝手な真似は許されませんよ。
エルシーを、エルシーを見捨てることなんて……
我々には関係のないことです。我々はあくまで公爵様の命によって“任務を達成するよう”あなたに協力してるだけなのですから、我々はあなたの従者ではないのですよ。
あの方から伝えられたことを努々お忘れなきよう。
ご自身の立場もお忘れなきように。
……
あなたのすべきことはたった一つ、ご自分の使命の完遂です。
ふとした瞬間、アラデルはいま自分がどこにいるのか、また傍に誰が立っているのかすら忘れてしまっていた。
何があっても、彼女は人生の残りそのものを今に燃やし尽くしている炎の中へ飛び込みたい一心だった。
二十六年前のあの夜、父を連れ去っていく議会の兵士たちと止めるために、火へ飛び込もうとした時と同じように。
それ以外に関しては、あなたにはもうなすべき資格すらないのですから。
アラデルは目を大きく見開くも、その目に浮かんでいた涙は炎の熱によって干からびていた。
だがその燃え盛る庭園の中、彼女は確かにとある巨大な影が起き上がってるところを目で捉えたのである。
あれは、あの欠損した蒸気鎧だろうか?かつて彼女が何度も憧れを抱いていたあの蒸気鎧なのだろうか?
今すぐ対象者の傍へお戻りください、今すぐにです。
困難な時が訪れる度に、かの偉大なる先祖が再びその蒸気鎧へ舞い降り、難関を乗り越えさせてくれるよう、アラデルはいつも全身全霊で祈りを捧げてきた。
そんな今、彼女は見てしまったのだ。その古く錆びついた鎧が、恐ろしくも炎を吐き出している様を。
炎の中に蠢く陰影が、自分に向かって吼えている様を。
あれはもはや彼女の希望ではなくなっていた、彼女自身もとっくにそれから遠のいてきた。
仮に先祖が本当に舞い降りたとしても――
それはきっと彼女自身の悪夢になるだろうと、その時アラデルは察したのである。
……
彼女に伝えなさい。
いつもと同じように、必ず彼女の意思に従うわ。
な、なぜなのですか!大君様……
我々のもてなしに、十分満足されていたとてっきり……
時折私どものパーティにもお越しくださっていたではありませんか?大君様はここがお好きなのでしょう?
確かに僅かばかりではあるが、貴公らは私に愉快な思いをさせてくれた。
貴公らが臆するも媚びへつらう様や大袈裟に見せてくる友好的な態度も、実に愛らしいものであったぞ。
もしや勘違いをされておられるのでしょうか?誓ってでも、私はあの大公爵とレジスタンスとはなんら関係はありません……!
もし本当に疑問に思われるところがあるとすれば、それはすべてあのカンバーランドの女の仕業です!告発だってできますとも!
ですので大君様……なんでも、なんでも欲しいものがございましたらお譲りいたします!私のコレクションでも財産でもなんでも!ですので命だけは……
愛い奴め、私がそんなものを手にして何になるというのだ?
私を殺すことなんて、そんなことありませんよね?この先も大君様がお喜びになられるパーティなら開いて差し上げましょうぞ!まだ私の秘蔵の美酒をお試しになられてはないではありませんか……
レイトン中佐殿、私はきっと無事でいられるはずだね、そうだね?ここはロンディニウムなのだぞ!
彼らは、サルカズたちはあのキャヴェンディッシュ公とかいう腑抜けたヤツからの要請を受けて、ロンディニウムを保護しに来ただけだ!無闇な殺戮などするはずがない、そうだね?
……
お連れしろ。
まったく騒々しい。早々にやってしまわれよ。
や、やるって何を……?
合図が出たら、この中に入れ。
もし上手く部屋の中に入って、生き残ってる連中がいないのを確認できたのならお前を生かしてる。
中って……火の中にか!?こんな大火事の中に?そんな、無理だ!私も焼き死んでしまうだろ!
いいや、お前ならやってくれるさ。
――
古のサルカズはヴィクトリアの心臓部に位置しながら、静かに指を見せて弾かせた。
ひぃぃぃ――!
(貴族が走り去る)
その貴族は自分の後ろをナニが追いかけてきているのか、はっきりと見て取ることはできなかった。
しかし先ほどサルカズの戦士が言ったように、彼がしっかりと命令に従い、必死こいてこの先に向かって走り出した。
前にあるのは燃え盛る炎だが、少なくともまだ一縷の生きる望みはある。彼を追いかけてきているのは、絶対的な死の気配なのだから。
しかし彼の足取りは慌ただしいものであり、少し進んだところで躓いてしまった。
(貴族が転び、ブラッドブルードの大君のアーツが発せられた後、辺り一面に血が流れ始める)
それも束の間、赤黒い血が彼の身体から噴き出してきた。
噴き出した血は元の主に属することをやめ、別の主のしもべへと成り代わったのだ。
大君が指揮する中、血はこの先に広がる敷地へ、崩れゆく屋敷と猛然に燃え盛る炎を目掛けていく。残骸や花草を貪食しながら、灰燼を覆っていった。
進軍していく血を阻める者はいない、たとえ炎でさえも。
しかしレイトンよ、ヤツは一つ正しいことを言った。
まだヤツの秘蔵の酒とやらを味わえていない。
どうだね?これから一杯嗜みに行くのは?
よしついたぞ、ここで待ってろ。
ルンド、チャーリー……
ここであたしらを処分するつもりなんだね。
……なんでそれを知ってんだ?
見りゃ分かるさ。
この二年間、あんたらは一度だって作業員たちに造ってるものを打ち明かしてくれはしなかった。
だがあたしらみたいな頭をやってる人間は、多少なりともそれが何なのかを知っている。
近頃やけに催促しに来ているのは、おそらくそろそろ終わりも近いからだろうね。となれば、あたしらみたいな中身を知ってる連中は処分するに限る。
……お前、さっき俺を騙しただろ。
安心しな、本当にただ引き継がせただけだよ。
あたしらは三年も文句を言わずにせっせと指示に従って働いてきたんだ、今さら騒ぎを起こせる気力も持っちゃいないよ。
余計なマネはすんじゃねえぞ。
おいお前ら、俺と一緒に外の様子を確認しに行くぞ。
パプリカ、こいつを見張ってろ。
……うす。
(サルカズ傭兵の隊長が立ち去る)
タバコ吸ってもいいかい?
あっ……うん。
どうも。
(キャサリンがタバコをふかす)
逃げようとは思わないんすか?
逃げる?逃げるってどこに逃げるんだい?
仮にあたしがここで逃げれば、工場にいる作業員たちがその尻拭いをさせられちまうだろ、お嬢ちゃん。
……
どうやってあたしらを処分するのかってずっと考えてきたんだが、どうやらあんたらの上の人はまだ情けがあったようだね。
これで……まだ情けがある方なんすか?
あんたらに命令を出した人は、きっと作業員にパニックを起こさせないために、こっそりとあたしらを一か所に集めて処分しろと言ったんじゃないのかい?
もしあたしの命だけで多くの者を救えるのなら、もってこいだ。
あんたらが連れてこられたほかの老いぼれ連中も、そんなことは考えていなかったとでも思っていたのかい?
ウチには分かんないっすよ……
ふぅ……
お嬢ちゃん、あんたいま何歳なんだい?
なあドクター、蒸気騎士の物語は知ってるか?
・知ってる。
・少しは聞いたことがある。
婆ちゃんは昔、その蒸気鎧を作ってた作業員だったんだ。
昔の人たちからすれば、あれはある種認められたってことらしい。
ロンディニウムを、俺たちの故郷を守ってくれる戦士、そいつらが着る甲冑を作ってるんだからな。
オレも昔は憧れたよ。オレもいつかは婆ちゃんみたいに、この目であのスゲーものが誕生するところを見てさ……加わりたかったんだ。
婆ちゃんも色々と経験してきたんだよ、このロンディニウムが一歩一歩どうやって今の形になっていったのか、とか。それで失望しちまってるんだ、見りゃ分かるよ。
でもオレは……そんなすぐに諦めたくはなかったんだ。
(フェイストが鍵を開ける)
タンスって、これで合ってるよな……
隠し場所、隠し場所っと……おっ、あったあった。
さすがは婆ちゃんだ、普通じゃこんなデスクが改造されてるなんて見分けがつかねえよ……
これって……オレの作業員証?
それと……これは日記か?
誰かに見せるわけもなく、なんの意味もあるわけでもないが、とにかく書いておく。
……シャビが死んだあの年、フェイストはまだ生まれてさえいなかった。
リンディは彼を理解しようとしたが、結局彼女の思いは私への恨みに変わってしまった。なぜあの日、シャビを止めなかったんだと。
言い返せなかった。彼女がフェイストを残して家を出ていったことも、私には責められない。
どうやら彼女はその後、またいい人を見つけたらしい。いいことだ。
フェイストにこのことは教えていない、知ってほしくないんだ。なんの成果も得られずに死んでいった父親と、恨んで家を出て行った母親のことを。
……
じゃああんた、クルビアで育ったのかい。
うん、ウチは婆ちゃんに育てられたんだ。
父ちゃんも母ちゃんも傭兵だったけど、みんな死んじまった。
じゃあなんであんたまで傭兵なんかになったんだい?
婆ちゃんを養わなきゃならないからっすよ。
サルカズはどこに行っても歓迎されないから、仕方なく傭兵をやることになったんだ。
イイ子だね。
じゃああんたは、あの摂政王のやり方には賛同しているのかい?
この都市を奪ったことすか?
うーん……わかんない。
ウチらは金を貰って仕事をしてるだけだからな。こんな大きな都市を占領するためにやって来たことも、最初は知らなかったんすよ。
クルビアじゃウチらは、闇商人のためにモノを運んだり、獣を殺すだけだったすから。
でも確か、グリムがあんな興奮してたのは初めて見たんだっけ。あいつウチに、もしこれが成功したら、サルカズはいい暮らしができるって言ってた。
グリム?あのスモークジャンキーのグリムかい?
あっ、うん。
そいつは今どうしてるんだい?最近まったく見かけなくなったが。
そいつならもう死んじゃったすよ。
……悲しくはないのかい?
グリムが言ってくれたっす、ウチら傭兵からすれば、死ぬも別れも普通なことだからって。
死ぬも別れも普通のこと、か。この都市が無茶苦茶にされて何年も経つが、ヴィクトリア人はまったくサルカズを理解しちゃいなかったようだね。
お嬢ちゃん、これをやるよ。
これは?
キャサリンはシガレットケースから小さい何かをパプリカに投げ渡した。
それは小さく、フカフカで、毛糸で編まれたものだ。色もまだ鮮やかである。
これは……指貫……
グリム……
……それ、あんたがあの歳を食った傭兵に編んでやったものなんだろ?
あいつは人差し指をケガさせていた、痛むって言っていたが、それでも頑なにタバコをやめようとしなくてね。そいつをシガレットケースに入れてるとこを見たことがあるんだ。
大方勿体なくて使いたがらなかったんだろう、あんたの気持ちを無駄にしたくないためにね。
……
あいつが行っちまう前に、そのケースをあたしに渡してきたんだ。数か月分、タバコを分けてくれたお駄賃としてね。
あいつは一度もあんたのことを話には出さなかったが、あんたを一目見て分かったよ、あいつがずっと心に思っていた子供が誰だったのかを。
ウチ……悲しくなんか……
あいつがこの戦争をどう見ていたかはもう知る由もない。
でもあたしには分かるさ、お嬢ちゃん。言われなくとも分かるさ……あんたはまだ、戦争というものを理解しちゃいないんだね。
……
実は、フェイストも出て行ってしまう予感はしていたんだ。
あの子はシャビに似すぎているからね。
頭が少しだけ回るというだけのことを頼りに、なんでもかんでも解決してやれると思い込んでいる。
あの子を見てると、よくシャビのことを思い出すよ。
自分の心にあるこの失望感は、はたして結果の見えない争いに対してなのか、それともシャビが貴族たちを見誤ったことに対してなのか、あたし自身でも分からない。
もしかしたら、そのどちらでもあるのかもしれない。
とはいえ、あたしはフェイストを行かせてしまった。
あたしじゃあの子は止められなかった。
……
ドクター、あんたをここに連れて来る前に、オレはたくさん婆ちゃんと話がしたいって思っていた。
こんなに長い間、十分に色んな経験を積んできたからよ、オレは……自分は覚悟が決まっているって思ってたんだ。
でも今思うと、やっぱり婆ちゃんに一回謝りに行きてえよ。
・君たちは家族だからな。
・謝罪の言葉なら必要ないはずだ、そうだろ?
……
婆ちゃんはずっとしかめっ面してる人だけどさ、みんな忘れちまってるんだよ、婆ちゃんだって普通の暮らしを失ったただの一般人なんだって。
……
サルカズたちは絶対に作業員たちを工場のとある場所に近づかせようとしなかった。だがヤツらが危険なものを作っているのは分かりきってる。
大公爵が互いを牽制し合ってるせいで、本来ならヤツらは今日まで生き長らえるだけの十分な資源は確保できてないはずだ。
だが工場に入ってくる加工用の資材にしろ、耳にしたヤツらの境遇にしろ、向こうが自分たちの補給線を確保してるのは明白だろう。
本当なら、そんなこと私にはなんの関係もなかったはずだ。
私にできるのは、せいぜい工場内にいる人たちを守ってやるだけ。
でも――
私は、私が書き残すべきじゃないものを結局は書き残してしまった。
もしかすれば、フェイストがいつか私に助けを求めてきた際、ただシャビが去っていったとこを見てやることしかできなかった時よりも、少しは手を貸してやれると心のどこかで思ったんだろう。
普通の作業員じゃあの手掛かりに近づくことすらできない。でも私は、もうあまりにもこの工場地帯のことを知り尽くしてしまった。
補給線の中継地点に適した場所なら、以下幾つかのポイントに絞ることができる。
これだよ、ドクター!婆ちゃんが地図上に幾つか丸で囲ってる場所が――
・ここのポイントは、どこも警備は厳重だろうな。
・そこに収穫でもあればいいのだがな。