チッ、結局あいつを逃がしちまった。
途中からもうすでに戦う気ではなくなっていたさ。
まさかあんた気付いちゃいなかったのか?あいつがもし本気で俺たちを殺そうと思えば、ただの時間の問題だ。
あいつはその時間すらも無駄にしたくなかったんだよ。
シラクーザのファミリーを舐めないほうがいい、どのファミリーであってもだ。
あんた一つ誤解してるな。
俺は一度だってシラクーザのファミリーたちを舐めちゃいないさ。
本気でどいつも俺の敵だって認識しているよ。
ベッローネも含めてな。
(ウォーラックがディミトリーに剣を向ける)
もしかしてあんた、焦っているのか?
なんだ、こんなもんじゃ怯まないか。
あんたは自分んとこのドンを裏切ったんだ、ならあんたが俺たちと本気で手を結ぼうとしてるなんて信じられるわけがないだろ。
だから一つ忠告していこう、今はこんなことをしてる場合じゃないぞ。
ウォーラックに刃を突きつけられるも、ディミトリーは微塵も動揺を見せることなく、何事もなかったかのように顔を横にいる部下へと向けた。
街の状況は?
……まずいとしか。
副中枢区画が分離を始めたことなら、もうすでにどこのファミリーにも知られています。
ベッローネとサルッツォは今じゃいい的ですよ。
ついさっきだって、他んとこの連中に襲われてしまいましたし。
そっちに目を張っておけと言ってたことはどうなった?
お察しの通りですよ……
ほかんとこのファミリーに紛れ込ませたスパイが寄越した情報によれば、みんなベッローネとサルッツォを狙っちゃいますが、重要なのはそこじゃありません。
いま街中が混乱した状態は、ほかのファミリーにとっても好都合です。
スィニョーラにずっと抑えつけられた不満が、とうとうここで爆発しちまったんですよ。
ベッローネとサルッツォというケーキを切り分けることを皮切りに不満を爆発させたとこがいれば、この一件をきっかけに以前の雪辱を晴らそうとするとことか……
とにかく、今じゃどこのファミリーも騒ぎ立ててきています。自分から動き出したとこもいれば、単に巻き込まれたとこもいるしで。
(小声)……ドン、これがあんたの求めていたことなのか?
(小声)あんたもやっぱり、俺たちを裏切ったんだな。
……
ウォーラック、あんたはバカじゃない。だから俺たちが今ここで争ってもなんのメリットにもならないことぐらいは分かるはずだ。
大きな問題を先に解決する、これがメリットじゃないだって?
なら聞くが、ロッサーティはクルビアじゃ一声でもかければどこもかしこも集まってきてくれるほど、人徳は備わっていたのか?
自分たちだけでシラクーザを掌握できるとでも思うなよ。
手を結ぶ相手はしっかりと選ぶことだな、ウォーラック。
チッ。
(ウォーラックが剣を引っ込める)
まあそう気を落とすな。
もしこんなことになってなけりゃ、こっちだってあんたとは手を結びたかないね。
ところでレオンは?
……
どうした、ファミリーんとこに戻っていないのか?
はい、途中から見失ってしまいまして。明らかにわざと俺たちを避けているんじゃないかと。
……
レオン、まさかあんたまでもじゃないだろうな……
……
ディミトリーは深く一息ついた。
今ここで余計なことを考えても意味はない。彼は当面、今起こってる現実と向き合わなければならないのだ。
今じゃどこのファミリーもお互いに噛みつき始めやがった、となれば今が副中枢区画を奪取する最大のチャンスだ。
あそこを押さえとかなきゃ、俺たちに未来はないぞ。
ドン。
状況は?
まずいの一言です。
ほかんとこの大勢の連中が騒ぎに乗じてこっちに襲い掛かってきました、うちの下のモンも応戦してます。
もう収拾がつかない状況になってしまったかと。
まったくやってくれたものだな。だが、今の状況があのレオントゥッツォの小僧が思いついたものとは思えない。
ラップランドの思いつきとは言え、あの時からすでに我々サルッツォも計算のうちに組み込んでいたな、ベルナルドめ。
スィニョーラの権力が揺れ動く中、数十年來続いて来たシラクーザの根幹がいとも容易くお前によって火を点けられてしまった。
これがお前の求めていたことなのか?一体なぜなんだ?
ところでラップランドは?
昨日からまったく連絡がつきません。
……まあいい、放っておこう。
ドン、今じゃ街中がしっちゃかめっちゃかです、俺たちはこのまま静観したほうがいいですか?
フンッ、今さら私たちサルッツォが不干渉を貫いたところで、厄介事から逃れられるはずもないだろ。
ベルナルドの老獪め、ここまで考えていたとは。
外のいる者たちを全員召集しろ。
それから、選りすぐりの者たちを何人か副中枢区画の司令塔に送り付けるんだ。ベッローネとロッサーティなら、そこを手放すはずがないからな。
それって――
あの新都市なんぞには興味はないが、私を裏切った者の手に渡らせるつもりもない。
親父!
レオン……まさかここを見つけ出すとはな。
俺は単に記憶を辿ってここじゃないかと思い出しただけだ。
まあ来たからには、お前も座りなさい。
親父の目的はもう分かったよ。
何をだね?
最初から親父は、シラクーザを六十年前のあの暗黒時代に戻そうとしていたんだな。
ファミリーらが互いに食い争い、スィニョーラが介入してこなかったらみんな互いに食い殺されていたであろうあの時代に。
で今回、親父はそいつらをスィニョーラの首輪から解放し、ファミリーという存在がいなくなるまでもっと熾烈に互いを食い荒らすように企んでいたんだろ。
ふむ……どうやらしっかりと理解してくれたみたいだな。
しかし、それを言うためだけにここへ来たわけではないのだろ?
……なぜそんな思いに至ったのか、それが知りたい。
……
まだ二十歳だった頃、私はベッローネファミリーの一員に過ぎなかった。
その時私は、とある暗殺に失敗してしまってな。それで名前を変え、付近の村落に逃げて隠れるハメになった。
私はそこで半年ほど暮らしたよ。
まあその半年もの間、これと言った出来事は起こらなかったがな。
しかしその半年間もの暮らしを経て、自分が今いるこの国に対する見方がすっかりと変わった。
シラクーザにはファミリーが関わっていない箇所など存在しない。だが都市周辺にある村落からすれば、ファミリーのやってることはその村々にいる悪徳地主のやってることとなんら変わりはない。
当時の私はそこで靴職人の仕事をしていたんだ。あの時は夏で、私はとある通りで仕事をしながら、仇の動向に目を離さず見張っていた。
まあ結局、その仇は別に大したことはしなかったが、あの汗にまみれた熱い夏の日は生涯忘れられなかったよ。
レオンよ、お前にしろ私にしろ、ファミリーから出た者はな、生まれつき烙印を押されるんだ。
だからあの夏、私は一つのことに気付いたよ――
シラクーザはファミリーがいなくても生きていける、とね。
だから親父はラヴィニアを助け、俺がラヴィニアに接近してもとやかく言ってくるようなことはしなかったんだな。
本気で彼女の理想を叶えようとしていたために。そうなんだろ、親父。
彼女の考える正義とは一体どういった正義なのか、私も確かに見たかったからな。
だから、今回の計画にはなんの保険もかけることはしなかったのか。
俺やラヴィニア、そのほかの誰もがこの計画の保険として動いてもらう必要がなかったから。
一般人のためにファミリーという名の障碍を排除してやれれば、彼らの暮らしは以後いかなる悪影響を受けることはなくなると信じていたから。
その通りだ。
……でも、それだけじゃ足りないんだ、親父。
足りない?
ああ、まったく足りない。
ファミリーが消えるまでお互いを争わせておけば、今のファミリーが支配する社会構造を覆すことはできるのかもしれない。
だが、それでシラクーザが一般人の手に渡るとは思えないんだ。
スィニョーラがいるから、かね?
いいや、慣わしがあるからさ。
俺はカラッチの助手として一緒に働いていくうちに、次第にあることに気付いたんだ。
ファミリーという存在は、この土地にずっと根付いてきた。
ここに住まう人たちは誰しもがファミリーを疎く思っているのかもしれないが、その人たちはファミリーのいないシラクーザをまったく想像することができないんだ。
そんな場所がファミリーを覆せてやったとしても、その後に新しいものを生み出せると思うか?
……
俺は無理だと思う。
みんなどうすればいいか分からなくなるんだ、なぜなら何が起こったのかすら理解していないのだから。彼らはただ、自分らが住んでいた家が急に廃墟になったとしか思えないんだ。
それから彼らがその廃墟をもう一度建て直そうとした時、またファミリーという存在が出来上がってくる。
何も変わらないのさ、何も。
……
このまま続ければ、俺たちはしばしの間だけファミリーが存在しないシラクーザを作り出すことができるのかもしれない。
でも親父が夢見ているシラクーザなら、永遠に来ることはない。
考えがあまりにも傲慢なんだよ、親父。
親父は親父が考えたシラクーザをそこに住まう人々に与えることばかりを考え、相手がそれを望んでいるのか、それを受け入れようとしているのかをまったく考慮しちゃいないんだ。
この土地に住まう一人ひとりに、今ここで何が起こっているのかを思い知らせてやらない限り、彼らもこの戦いに組み込んでやらない限り。
どうやって“ファミリーが存在しないシラクーザ”を作るかという話さえも、できるはずがない。
……
どうやら、私の息子は自分で成長してくれたみたいだ。
てっきりここに来ては親子喧嘩をするだけに留まるのかと思っていたのだが。
まさかお前に教えられることになるとはな。
……親父。
それで、お前はどうするつもりなんだ?
ラヴィニアと合流して、ほかの人たちを集結させて副中枢区画の司令塔を奪う。ファミリーの力なら、もう借りないさ。
新都市というカードが俺の手の中にあれば、少なくとこっちがも受け身で動く必要もなくなるはずだからな。
それでその後スィニョーラと話し合うのか、それとも彼女に歯向かうのかは、その時々にまた考えるつもりだ。
ただまあこれだと俺たちはディミトリーや、自分らのファミリーを裏切ることにはなってしまうがな、親父。
……そこまでまとまっているのなら、自分のやり方でやってみなさい、レオン。
この騒ぎはお前が引き起こしたんだ、親父。言い逃れはなしだからな。
……心配するな、すぐお前に追いついてやるさ。
分かった。
(レオントゥッツォが走り去る)
……
敬愛なるスィニョーレ・アジェーニル、君は絶対に教会へ足を踏み入れないと聞いているんだがね。
(アジェニールが近寄ってくる)
シラクーザは教会を必要としていない。だがラテラーノの思想の一部を受け入れたのであれば、その文化的な影響も、形はどうであれば少なからず受けてしまうというものだ。
だから私もこうしてここから離れざるを得なくなってしまったのだよ。
だが、君という相手だ。一度だけ例外を認めてもバチは当たらんだろう。
ラヴィニアさん、みんな揃いましたよ、五十人あまりです。
かなり減りましたね。
ファミリーが寄越した連中なら、みんな自分たちのところに戻ったんですか?
はい。
フッ、皮肉だけど、手間が省けましたね。
では皆さん。
法廷は現在ここシラクーザにおいて、とても微妙な立ち位置にいます。
我々はスィニョーレの意志の代弁者として、ある一定程度までの権力を得ることができました。
しかしこの権力はあろうことか、いま私たちの義務を果たすべき歩みの障壁となってしまっています。
また今までにおいても、そんな権力を握ってきた私たちでしたが、いかにファミリーという存在に対して無力であったか……本当に骨に染みる思いです。
そんな私たちであっても、ほかの大多数の一般人と同じように、理不尽に耐え忍ぶこともできず、かといってファミリーに溶け込むこともできずにいました。
そうした中、私たちの多くの仲間たちはそんな環境に耐えかねて、次々と鞍替えを強いられ、駆逐され、酷い場合は惨殺されてしまった。
しかし彼らが最後に己の職責を放棄したとしても、私には彼らを責め立てる資格はありません。
なんせ私も、ベッローネファミリーに支えてもらったおかげで、今日まで来られた人間なのですから。
今日起こったこと、それと今まさに外で起こってることについてなら、おそらく皆さんもすでに把握してるはずでしょう。
私も本来なら、また昔のように耐え忍んで見て見ぬフリするしかないと思っていました。
ファミリーの争いに一般人が巻き込まれないようにと、最後にはスィニョーレが私たちのために“正義を執行してくれる”ようにと、祈りを捧げながら。
しかし、とある勇敢な人が私たちに教えてくれました。ファミリーは悪なのだと、この国のすべては不公平であると。
彼はそのすべてを変えようとし、そしてその希望を私に託してくれたのです。
あなたたちならきっと私と同じように、ファミリーではないところからやってきたのでしょう。
私と長年ずっと一緒に働いてきてくれたのですから、きっとあなたたちの中にも、私以上にファミリーへ不満を抱き、私以上に現状を理解している方がいると思います。
ですのでどうか、ここで皆さんの力をお借りして頂けないでしょうか?
沈黙が広がっていく。
私たちに、何ができるんです?
つい先ほど、新都市の中枢区画が分離する工程が始まりました。
ルビオさんが暴いてくれたベッローネとサルッツォの陰謀、あれがその証明だと言えるでしょう。
ファミリーたちからすれば、あの出来事は彼らの争いの火蓋が切られたことを意味すると思いますが、私たちにとっても同様にチャンスではあります。
あの新しい移動都市は、間違いなくこの混乱とした情勢下における私たちの切り札になる存在です。この先スィニョーレとの談判するにしろ、ファミリーと争いことにしろ。
……
またもや沈黙が広がっていく。
……でも私たちの今の人数じゃ、少なすぎますよ。
大丈夫です、とても頼もしい二人の友人を連れてきましたから。
(テキサスとエクシアが近寄ってくる)
……
どもども~!
お前は、チェッリーニア!?なんでここに――
いやそれよりも、ヴォルシーニにほかのサンクタがいるなんて聞いたことが……
ひとまず、チェッリーニアと彼女の友人は私たちの味方であることを知って頂ければ結構です。
それとこのお二人だけじゃなく、ルビオさんが私に書き残してくれた助っ人たちにも連絡がつきました。
その人たちもきっと私たちの力になってくれるでしょう。
……
ただし、これだけは正直に言います。
私たちが向かおうとしているのは茨の道、全員が生きて帰れる保証はありません。
命を危険に晒したくないのであれば、ここから立ち去って頂いても結構ですから。
……
仮に成功したところで、私たちだけでも何かできるんですか?
それも保証はできません。
ただこれだけは皆さんに約束しましょう。この国のためなら、私は命を差し出しても構わないと。
……
(何人かが去っていく)
残りは僅か三十人あまり。
しかし彼らはこの場から立ち去るつもりはなかった。
私にこんな機会を与えてくださってありがとうございます、ラヴィニアさん。
もしあなたがこの法廷にいなかったら、おそらく私はとっくにイカレていたでしょうね。
ラジオなら私も聞きました、何が起こったのかも大体想像はつきます。
正直言って、私ももう我慢の限界でしたよ。
私たちだけじゃ何もできないのかもしれません。でもせめて、私たちはまな板に置かれた肉なんかじゃない、それだけはファミリーの連中に思い知らせてやりましょう。
……ありがとうございます、皆さん。
(携帯のバイブ音)
ラヴィニアさん、こっちも準備ができましたよ。
早いですね?
ふふふ、今じゃどこのファミリーもてんやわんやです。
連中はいつも私たちみたいな人間を眼中にすら入れていなかったじゃないですか?だからきっと、まさかそんな私たちがこんな時に横槍を入れてくるとは思わないでしょうね。
ただこれだけはあいつらに思い知らせてやりますよ、自分らは一度だって都市の営みに関わったことはないってことをね。
都市を動かし続けてきたのは、私たちなんですから。
ですので、ラヴィニアさんたちは司令塔のほうに向かってください。
ファミリーたちのことなら、こっちであらゆる手を尽くしてでも足止めしてみせますよ。
ありがとうございます、ただ無理だけはしないでくださいね。
なんのなんの、むしろ申し訳ないぐらいですよ。
私たちは面と向かってファミリーに歯向かえるほどの力は持っていませんから、結局一番危ない仕事をラヴィニアさんに押し付けることになっちゃいました。
望んでやってることですから、気にしないでください。
分かりました、じゃあお互いに幸運を祈っておきましょう
ええ、幸運を。
カラッチを餌にして、まあ自分の息子を計略に組み込めたことはともかく、シチリアーナを相手にするという大義名分のもと、自身の手下すらも騙し、街を混乱に陥れた。
サルッツォ家のあの子オオカミが一時的に横槍を入れはしてきたが、君はまったくそれに動揺することもなく、むしろサルッツォ家までをも巻き込むことに成功。
片やアルベルトに安心して自分と手を結ばせるように、片やほかのファミリーへの示しとして、大胆にもロッサーティ家の小娘の暗殺に敢行した。
そして最後のテキサスというカードも十分に利用することができた。ジョバンナにとってロッサーティは、言うなれば鞘に潜ませた鋭利な剣といったところかな。
だがウォーラックの手に収まれば、それはもはや悍ましく冷酷な光を見せる刃となる。
それとルビオとカラッチの関係性もあって、君は彼の怒りすらも利用することにした。自分が耐え忍んでいることを知っている人はいないと彼は思っていたようだが、すでに君に見抜かれていたとはな。
……君がこの街にいることは分かっていたが、まさか私の策略がすべて筒抜けだったとは思いもしなかったよ。
結果をもとに逆算すれば簡単な話だ。
まあ、事態がすでにここまで及んでしまっている以上、こうして逆算したところで何かできるわけでもないのだがな。
おそらく今、シチリアーナがこの街に出現したとしても手を焼くことになるだろう。
最大勢力を誇るファミリーのドンが、まさか自分のファミリーを餌にして、その他すべてのファミリーを葬り去ろうと企んでいたことなど、誰も想像はつくまい。
腹を立てているようには見えんな。
シチリアーナが私に求めているものは、永遠に栄えるシラクーザではないのでね。
私もこの地に対して、一切の権力あるいは富を求めているわけではない。
君のしでかしたことなら、弁解の余地もなくシチリアーナが定めた秩序への破壊行為だ。だから私は、君を片付けるためにここへやって来た。
しかしまあなんだ、その前に親子同士の談話が聴けるとは思わなかったよ。
おや、気が変わったのかね?
秩序の破壊行為なら、シチリアーナは断じて許しはせん。なぜならば、未だかつてそんなことをして彼女に満足いく答えを返してやれた者がいないからだ。
君はそんな優秀な息子を持っている、ベルナルド。
君だけでは、シチリアーナが自ら作り出したこの時代を揺れ動かすことはできないだろう。
だが君と君の息子でなら、あるいは……
できないこともない。
ワハハハハ!
いやぁ人生というのは、やはり予想がつけられぬものだな。
私は今日をもって、ようやく己の終生の悲願を達成したと、それで遺憾なく目を瞑ることができると思っていたのだが。
レオントゥッツォがこの先どうするのか、それがたまらなく見てみたくなってしまったよ。
しかしまあ、名残惜しいものだな。
アジェーニルは一瞬だけ、サラ・グリッジョが構えられている方向へ視線を向けた。
ヒトではないナニかが、こちらへ近づいて来ているからだ。
なるほど、アレについては私も耳にしたことがあるが、これも君の計算のうちなのかな?
止むを得ん。
まあそういうことだ、スィニョーレ・アジェーニル、もうここを離れたほうがいい。
ここからは私のツケ払いの時間だ。
……そうか。
……
あぁ少しお待ちを、スィニョーレ。
何かね?
スィニョーレ、いや、修道士よ。実はな、私は生まれてこの方一度も人に祈りを捧げたことがないんだ。
自身が抱えている疑惑が、他人に預ければ答えを得られるとも思ってはおらん。
主もきっと、私に答えをお導きになられてはくれないだろう。
だが今、君にしか導き出してもらない疑惑を抱えているんだ。それをどうか、少しだけ聞いてはくれないかね?
話してみたまえ。
あの時、スィニョーレがラテラーノから帰って来た時のことだ。その時の彼女は一体、何を思っていたんだね?
……
色々と複雑だったよ。
自分がこれから直面する挑戦に不安を感じていた。
だが自分がこれから切り開く時代にも期待感を抱いていた。
今の君と同じようにな。
……うん、うん、分かった、そっちも気を付けてね。
(ソラが電話を切る)
テキサスはんとエクシアはんは無事やった?
うん、今ちょうどラヴィニアさんと傍にいるよ、一緒に手伝うって。
あの裁判官はんかー、まあこの前のあのベッローネファミリーよりかはマシやろうな。
あっちが何も起こらんとええねんけどなぁ。
そうだね。
うっ……うぅん……
あっジョバンナさん、お、起きた!?
私……死んでないの……?
うん、やられた箇所が心臓から数センチだけズレていたから、死なずに済んだんだよ。
あと、自分の身体が丈夫だったってこともあるかな……そうじゃないと、多分持ちこたえられていなかったかも。
ウォーラック……
……私、どれだけ気絶してた?
一日だよ。
じゃあその間も、街では色々と起こったんじゃないかしら。
私に教えてくれない?
……うん。
ようやく来てくれたか、我が主、いや、ザーロよ。
ベルナルド。
貴様、一体何を企んでいやがる?
君とてバカではないから分かるだろ。いい加減、自分が出した結論を素直に受け入れたらどうなんだ?
貴様よくも――
しないとでも思ったか?
君はこれまでの間ずっと私に権力と裏切りの何たるかを教えてくれた。だが君は傲慢だな、そんな私がいつか君をも裏切ってしまうはずがない保証などあるものかね?
忘れたかベルナルド!お前の持っているものすべてはこの俺が与えたものだぞ!
漆黒の煙霧がベルナルドの首に纏わりつく。
だが彼はまったくそれに意を介さない。
まだ分からんのかね、ザーロ。
狼の主同士のゲームなど、私からすればどうだっていいことだ。
君のほうも、所詮はこのシラクーザという国を想像することが限界だったのだろうな。
権力の極みとは、一つの国を、あるいはより多くの国ないしはこの大地全土を掌握することなのだと、そう君は考えている。
だが私はそうは思わんね。
本当の意味における権力とは、一つの時代を率いるに足りる力のことを指すのだよ。
本来ならば、シラクーザは私の計画によって私に傾くはずだった。
だがつい先ほど、私の息子が私に教えてくれたよ。あの子が見てる図版はもっと遠く、広いものだった。
ザーロ、君はそのことに安堵を覚えるべきだね。
その安堵を覚えたまま、もう君の住まう森に帰りたまえ。
今回のこのゲームは――
君の……負けだ。
俺の負けだと?フンッ、そんなわけあるか!俺にはまだ無数もの方法で――
狼の主が牙たちをコントロールする方法ならいくらでもある。
しかし、一筋の血がベルナルドの口角から滴り落ちるのを、この時ザーロは気付いてしまった。
なっ、毒薬だと!?
貴様ァ、最初からそのつもりだったのか、ベルナルド!
ベルナルドは答えない、もはやそんな気力すらも残っていないからだ。
彼はただ顔を上げ、教会にある隠し扉へ目を向ける。
やがて視線は花園を超え、ビルを超え、曇雲を超え。
ついには時間すらも超えていく。
その目に映ったのはあの年の夏。彼がいち靴職人として、烈日の下、せっせと労働の汗を垂れ流していた頃の夏の日だった。
その頃の彼は、今までにないほどの充実感を覚えていたのである。
今この時もなお、深く彼の心に染みわたった充実感を。
そしてやがて、ベルナルドはゆっくりと瞼を閉じる。
さながら一人の、一族の主であるかのように。
愚かだ。
愚かだぞ、ベルナルドォ!!!
巨狼の咆哮が教会の建物中に響き渡る。
しかし誰もその咆哮に応えてくれる者はいない。
しばらくして、ザーロはレオントゥッツォが離れていった方角に視線を向ける。
こんな失敗などあってはならない。
絶対にだ。
ヴォルシーニの街中には、今まさにファミリー間が闘争を繰り広げている箇所があれば、何事もなく平静なままでいる箇所もある。
そんなヴォルシーニの入口に、とある老婦人がゆっくりと現れてきた。それを知る者は、この時ばかりはいなかった。
だが遠くない場所で、アイマスクを被った一人のサンクタだけが、静かに彼女の到来を待っていたのである。
新都市の区画にある建物、もうここから見えるようになったのね。
ああ、中々に見物だな、違うか?
ふふ、私からすればちょっと目立ち過ぎね。
君のそのセンスはもう時代遅れだよ、シチリアーナ。
あなたに言われたくはないわ。
で、もう決めたのか?
まだよ。
ただまあ、とりあえず一番派手に騒いでるファミリーに少しだけ警告を入れておこうかしら。
スィニョーラがそう言い終えると、彼女の近くで幾つかの黒い影が現れる。
そしてすぐさま、ヴォルシーニの林立する建物の隙間へと消えていった。
あと、古い友人にも会ってやらないとね。
私の意見がまだ足りなかったのかね?
意見なら多いに越したことはないわよ。
やっぱり、ここにいたのね。
アジェーニルが教えたんだろ、私がここにいるって。
そうよ。
ここのトラットリアの飯は美味い、私好みだ。
久しぶりね、ベン。
久しぶりだな、シチリアーナ。
それで、何しに来たのかな?
なんだと思う?
もし単に街を鎮圧するためなら、君がわざわざ私のところに来るはずもない。
ベルナルドはよくオオカミの群れを理解していたわ。彼の計画もしっかりしていたけど、「流れに身を任せる」という言葉に尽きるわね。
十二ファミリーの血腥い気性も彼によって目覚めさせられてしまった。ああいった気性を抑えつけるのも、中々骨が折れることよ。
……まあ、とても骨が折れるとまではいかないけど。
そこであなたからアドバイスを頂戴しようと思って来たのよ。アジェーニルからも色々とほかのことを聞いたからね。
アドバイスならないぞ。よく通ってるとこのシェフが変わらないでもらいたいとしか、今は考えていないかな。
てっきり今のシラクーザに少しは思うところがあると思っていたわ。
懐かしむのもその一種だろ。
薄情な人ね。
そっちこそ、本当に私の意見など必要としているのか?
いいえ、まったく。
ただ文明の中に生まれるも、文明に疎い者であるあなたが何を考えているのか、それがどうしても知りたくてね。
……その時代に生まれた人というのは、必ず自分が生まれ落ちたその時代に縛り付けられるものだ。
誰もこの理から逃れることはできない。
だからベルナルドのあの考えは、君の時代から生まれた執念みたいなものだと言える。
暴力で時代をバラすことはできても、その後どうすればいいのかはてんで分からないまま。
じゃあ彼の息子は?
知らないね、未来のことなど分かるわけがないだろ。
けど君はもう分かっているはずだ、違うか?
この時代に生まれた新芽であると。